みかんのつぶつぶ
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2001年07月29日(日)

遅かった。


「彼らしく」
なんて
甘かった。


限界だって信号を
発していたじゃないか・・・

もう何もかも
遅い。

信頼されていなかった。
そんなこと
わかっていた。

彼を孤独にしていただけだった。


不安にさせるだけだった。


私という存在が。









2001年07月28日(土)

戦士は
己の限界を超えて
病と闘った。

孤独の果てに広がる荒野を歩き
戦士は己の世界へと
去っていってしまったのだ。







2001年07月26日(木)

待っていても電話はかかってこない・・・

彼は、もうどこかへ行ってしまったのでしょう・・・

彼の目は、何も映し出していない…そう…
ただの真ん丸い黒い点になっているだけ…

自分自信の中に、避難してしまったのでしょうか・・・

信じられるものは自分だけ。
もう苦しみも悲しみも感じたくないとでもいうように・・・

病室にいるのだ、という意識はなく、
時々は「ああ、そうだった…」と認識するのだけれど、
それでも「じゃあ帰らなくちゃ仕事が困る」
といっては荷物をまとめさせるのだ。

1階に事務所があるから連れていけ…と。
みんな頑張っているから差し入れをするからと。


思えば、去年のちょうどこの時期だったんだ。
彼が体調を崩して、連日泊まりこんでいた職場で寝こみはじめたのは・・・
ただの疲れだからと、
風邪薬を服用していたらしい。

仕事に戻らなくちゃいけない・・・
その意識だけが、現在の彼を動かしているだけなのだろう。







2001年07月24日(火)

ずっとウトウトトロトロしている。
そして目が覚めると、夢うつつなのか、
つじつまの合わない、突拍子もないことを聞いてくる。

私は、涙がこぼれそうになるのを
必死にこらえる。

これでは廃人にしてしまうだけではないか・・・

「車のエンジンかけないと…もう何ヶ月も動かしてないから…」

家に帰りたいと、ハッキリと口にするわけではなく…
心配事が山積になって、それが気にかかって、
夢うつつの中、ポツリと言葉にでてくるようだ。

主治医と面談をした。
現在の状態の理由と
これからのこと・・・
内容は・・・
いまは思い出す気にもなれない。

今週末、2泊で外泊予定。
これが今の目標。
もし、容態が急変して、
呼吸が止まっても、救急車で連れてきて構わないから…
と、声をひそめて主治医が勇気付けてくれた。

帰りの電車で
偶然にも婦長さんと一緒になった。
そのときの会話・・・

「じっくりと話し合われましたか?私、途中で席をはずしてしまったんですけれど」

「ええ…色々と相談にのっていただきました」

「あの先生は…こんなこと私が言っちゃいけないかもしれないけど(笑)
お話しがとても短くて、ご家族からよく不満があがるんですよ...」

「え?そうなんですか?(笑)」

「だから今日も、すぐに話しが終わってはいけないと思って
様子を見に行ったんですけどね(笑)
でも、ずいぶんと、あの先生にしては珍しく
時間をかけてお話ししているなぁと安心しました」

「まあ…そんなことまで気にかけてくださって…
ありがとうございます」

「でも前から、奥さんとのお話しの時は
割と時間をかけてじっくり聞いているようなんで、不思議に思っていたんですけど…
奥さんが先生に合わせていらっしゃるの?
何かコツがあるのかしら(笑)」

「いえ…あの先生は、質問するととめどなく答えてくださるし、
そこへ持ってきて私が質問好きだからかも知れません(笑)」

「奥さんが熱心だから…相性がいいんだわね(笑)」

婦長さんは、大変だわ(笑)
患者の看護はナースに任せて
患者の家族と主治医のお世話は婦長さんの役目なのかもね・・・

ふーん…あの先生、いっつも話しが長いと思っていたのは
私にあわせてくれてたからなのね

婦長さんとお話しができて
なんとなく気持ちが持ちなおした
帰り道だった。

感謝感謝・・・







2001年07月22日(日)

「たとえ世界が明日終わりであっても、私はリンゴの樹を植える」

悲観はしても、絶望はダメだよね・・・


私の後ろ向きな想いは、伝わってしまうよね。

つい迷い道に入りこんでしまう。







2001年07月21日(土)

全身倦怠感。
目を開けているのも疲れるみたいで
ずっと横になったままだ。

ちょっと頭の中が混乱気味になる場面もしばしばで・・・
急につじつまの合わないことを言い出すのだ。

帰るからと声をかけると
自分も帰ろうかな…と言い出した。

ああ・・・また…壊れちゃったか…
それを言われるのが
いちばん辛いのよ・・・


果たして治療は、必要なのだろうか。








2001年07月20日(金)

一昨日から、唾が飲みこみ辛い…と言い始めた。
急に。

回診にきた主治医にも訴えていた。

主治医は「う〜〜ん…」と意味深な表情だ。

腫瘍が大きくなってるからなんだ…

ちょっとずつの微妙な変化が毎日あって・・・



今日から子供たちは夏休み。
去年の夏休みは入院騒動でさんざんだったね。
今年も・・・(T_T)







2001年07月19日(木)

先週から学生さんがついている。
ありがたいことだ。
が、
今度の学生さんは、ちょっと変わっている。
あんまり看護婦さん向きではないかも知れないね。

笑顔がダメかも知れない。
お愛想笑いなんだよなーなんとなく・・・
仕方ないかもしれないけれど、
あんまり気分よくないかも。

それに、ココロの調子がいまいち悪い私的には、
ついてお世話をしてくれるお礼を言うのにも
いちいち疲れる状態なわけで・・・
あまりヒトと接したくない状態なものだから、
イヤな面ばかりを感じてしまうんだなー
私自身のこういうところ、ホントどうにかしたいっす(T_T)







2001年07月18日(水)

抗癌剤5クール目開始。

精神的に落ちついていて、身体の動きも軽そうだし。
体調が良くなったと思う頃に、また抗癌剤だし。
ホント、かわいそうなんだなあー…
これじゃあマイっておかしくもなるよなあー…
なんてココロのつぶやきをしながら
ベッドサイドにいるワタシって…


Oさんが亡くなった。


15日に個室へ移されていた。
今日、名札がなくなって、新たな患者さんが入っていた・・・

私達夫婦の後姿を描いてくださったOさん…
力が入らない絵で…って照れて、
手術前に、もう一度描きなおしてサインまで入れてくださった…

術後、食欲もでてきて、元気になって、
おやつの交換までしてたのに。
だんだんと寝ている時間がまた増えてきて、
そのうち心電図のモニターがベッドサイドに置かれるようになって。
食事もこなくなって・・・

さようなら・・・
きっと、父とも話しが合うかもしれません。
私は元気に頑張っていたと
伝えてくださいね。
自由になって、あちこち歩きまわって、
素敵な絵を
いっぱいいっぱい描いてください。

ありがとう、
出会えてよかったです。









2001年07月17日(火)

「家にいて仏壇を見ていると悲しくなるよ。
身体は休めても、やっぱり気が休まらなくってねぇ・・・
去年はそこで寝ていたのに、なんでって思っちゃうんだよ」

父が築いた鉄工所と、父が母のためにつくったお好み焼き屋、
両方を切り盛りして毎日忙しく動いている母からの電話。
土日はゆっくり休んだよ、見舞いにも行かずに悪いねと。


毎日車椅子を押して、
私の目の前でゆらゆら揺れる坊主頭が
消えていってしまったら・・・
私も母と同じ気持ちになるのだろう。

生きているうち
働けるうち
ひのくれぬうち

さ、待ってるから行ってこようか。








2001年07月16日(月)

ここへ引っ越してきてから
昨日でまる4年。

たったの4年間なのに
いろんなことが変化した。
移り変わって取り返しのつかない季節が
流れていった気がする。

引っ越してきた当時、息子がよく奇声を発していて叱ったことがある。
リビングに座ってキーキー声をだしてる姿を想い出す。
声変わりをしてしまうから、いまのうちに高い声を出しておくのだといっていた。

娘は、たまごっちのガチャポンを近所の雑貨屋でみつけてきて
毎日暑い中、暇つぶしに買いにいっていた。

まだまだ私を必要としていた子供たち。
そんなふたりを突き放すように
私は外出することが多くなった時期だった。
自分の思うままに行動していた。
夫とは話し合うことは皆無だったし。
それ以前に拒否をしていた。

恵まれた幸せな形に見える状態とはうらはらに
殺伐とした気持ちで過ごしていた。
満たされない気持ち・・・

環境が変わって心細いであろう子供たちの気持ちを
知りながら見て見ぬふりをして。
家に縛られるのは、もうイヤだったから。
夫に支配されている状況は、もう飲みこむことはできなかったから。

ただ、そんなことの理由だった。

一昨年あたりから
食事が終わると子供たちも部屋に入ってしまい
ひとりリビングに取り残される夫の姿が
淋しそうに映ったのを
いまでも覚えている。

だから・・・
いま、ひとり淋しそうにしているであろう病室の姿が
あの日の姿とだぶってしまい
淋しい想いをさせた後悔を
どうにか埋めようとして
懺悔の気持ちでいっぱいなのだ。








2001年07月15日(日)

私は、オトナだったら「優しい嘘」をつくことが
大切なことだと思っいる。

いつも何かというと「正直なひと」「素直なひと」
って言われがちな私。

「他の人は思っても口にはしないよ…」
ってことをサラリと感じたまま言葉にしてしまう・・・
これは戒められたんだけれどね(笑)

感じたから・・・ってこと、口にだしたらいけない時も、あるのだけれど。

でもね。
ホントはね。
反対のこと思ってる。
ココロの奥、
底には静かに
潜んでいたり
澱んでいたり
叫んでいたり
・・・
でもそんなこと言えないからさ、
それは表現したらどうにもならなくなってしまうから
「営業的」な私が表立っている仕業なのさ。

いつも正直に
真正面からヒトと接していたいと思っているのに
なんとなく
違う私が顔を出している。
でも、
そんな私も「自分」には変わりないってことか。






2001年07月12日(木)

こんなに空いちゃった・・・ふ〜〜〜ん・・・

死んでしまうのは確実なことってことが
この数日間で一気に押し寄せてきて
どうにもならない気分にさせてくれる。

もうとっくにわかっていたことなのに
やっぱり現実的な受け止め方してなかったのかと・・・
自分の精神が狂いだしそうな音を立てているのがわかる。
あ・・・ヤバイヤバイ…って。

「日一日が大切になるね・・・」

先生、あなたは正直すぎるですね。

婦長さんは、病状から経過からそしてこの先に起こるであろう緊急事態まで
すべて本人に話しをして、納得させるべきではないかと考えている。
現在のジレンマ状態は、すべて病識がないばかりではなく、
自分の状態を把握していないからだろう・・・
と。

確かに。
本人には詳細を伝えては困るとお願いしてあるので、
全ては私の胸の中にだけある。
ゴマカスこと、最期まで希望を持って夢を持っていて欲しいと思うから・・・

退院の日程を決めるのだと、彼は意気込んでいる。
それもいいかなぁーって。
それが一番彼にとっていいのかなぁーって。

試してみたい治療はいくつかあるけれど
それは寿命がちょっと延びるだけであって
いまの彼の状態では、
苦痛以外の何物でもないかもしれない。

これって、あきらめるのとは
違うんだよね。

来週の月曜日から
朝晩のグリセオールを止めて、様子をみようという結果になった。
でもこれは、とっても危険な試みだと念を押された。
命にかかわるとも。

賭けだ。
いのちがけだ。
彼の、いまの彼を救ってあげるための。
そして、最良の思いやりだと信じて決行してもらうことにしたのだ。

グリセオールがはずせれば、数日間は外泊ができる。
その中で、彼自身が決めればいい。
そして、彼自信が治療を希望するようにしなければならない。

酷かもしれない。
でも、最期まで生きるってこと。
彼らしく。







2001年07月08日(日)

ここでは、泣いているひとを日常的に目にする。
あたりまえのように見ている自分がいる。

そこかしこに色んな涙が落ちて、
月日とともに渇いていって、
その渇いた涙が粒子になり、
そんな空気が充満していて・・・(T_T)

めずらしく、ワンワン泣きながら病棟からでてきた女性に出会った。
不安になるから彼には見せたくないと思った。

あんなに泣けるのは、
そばに旦那さんが寄り添っているからだ。

帰り道
ひとりじゃ
みっともなくて
泣けないし・・・みかん心の俳句(泣)







2001年07月07日(土)

病状は、慢性的に悪くなっている。
抗癌剤の効果は・・・投与しなければ病状の悪化はもっと早いだろう。

どうするか、どう考えてゆくか。

死が来る日まで、どう過ごすか。
死が来る日をどうやって延長させるか。

生きて行くのは、辛すぎる。

左半身のマヒは、体力が落ちているからではなく、
腫瘍が大きくなっているから。
もう、力が入らない。
座っていても倒れてしまう。
また少しはヒョコッと動くんではないか、と期待していたのに。

「じゃあ、右足も、次には右足も動かなくなってしまうんですか」

「うーん…医学書通りに行けばそうなるけれど、
多分、右半身にマヒが来る前に呼吸が止まるだろうね…
突然ね・・・」

「・・・徐々に右足や右手まで動かなくなってゆくのも
悲惨すぎますよね・・・」

「抗癌剤の治療は、続けて下さるんですね、先生」

「うーん…こういう状態だからねぇ。治療をしても手足が動かない。
治療の効果がないってストレスもあるわけだし。
本人が納得してくれればね、僕は続けたいと思っている」

「・・・もう、納得するとか認識するとか、そんな状態じゃあないんですよねぇ・・・」

「・・・そうなんだよねえ・・・」



どうしたらいいんだろう。








2001年07月06日(金)

「時間的行動の確立がない」
この長い入院生活は監禁された状態。
その監禁された日々の中で、不自由になってゆく身体。
「喫煙に行く」ということによって、自分の意思で動き、時間を経過させる唯一の手段。
それを制限させることは、彼にとって最もよくないことである。
喫煙する害と喫煙できない害…これはどちらが、と量ることはできない。

現在の彼の状態は、薬や病気が原因ではなく、
精神的なものだという。

精神科の診察。
主治医の判断で受診。

ゾッとした。
とうとう…
追い詰められた気分だ。

記憶が飛んで消えて、自分がいま何をしているのか把握できないほど
彼は追い詰められて。

これが薬の副作用だったらどんなに救われたことか。

でも、違うのだ。
彼が、彼自信の精神までもが病んでしまった。
ある日突然ではなく、
経過をたどって。
その経過にどんなにか苦しんだことだろう。

私は、
私は。

結局、独りだったんだね。
いつも独りぼっちなんだね。
病気になるって、こんなに辛い苦しいことなんだね。

ごめんね。
ごめんね。







2001年07月05日(木)

上を見ると眩しいし
下を見ると涙がこぼれるし
やっぱり前を向くしかないね。


両親の古くからの知り合いが
ガンで亡くなった。
明日が通夜だと母からの電話。
個室へ移ったと聞いてから1週間。
乳がんから肝臓へ転移していた。
母と一緒に旅行へ行きたいね、と云ったきり・・・

「先生がね、好きなもの食べて、旅行へも行っていいって言うのよ…
これって、もうダメってことよね…」

見舞いに行ったとき、こう囁かれて母は困ったという。
父も、同じこと言われていたよね・・・
でもその時は、それが「治る」「元気になる」ためだと信じて疑わなかった。
けど・・・

新盆の話しになった。
父の新盆・・・あらためて、思い知る。
いないんだなぁーって。

どこにいっちゃったのかねえ。
みんな、どこへいっちゃうのかなあ。
さよなら、ほんとにさよなら。
生きていたこと、
おぼえてるから。
わすれないから。

ありがとう、おかげさま。








2001年07月04日(水)

記憶が・・・記憶が消えていっている。
どうして自分はここに泊まっているのか説明しろと云う。
治療のために入院している、現在の状況は治療の後遺症のために
このような状態になっていると話して聞かせる。


現在白血球700。
部屋全体に空気清浄器がかかっている・・・これは彼への配慮の結果なのだ。
カーテンを閉め切りにされるのを嫌がった彼を思いやり、
それならば病室全部の空気を綺麗にしちゃおう…という結果になったという。
他の3人の患者さん達まで巻きこんで・・・

個室へ、という話しも出たが、それでは精神状態に悪影響であろうから、と。

ほんとに、ありがたい。
仕事とはいえ、みなさんの献身的な看護に
どんなに毎日救われているか・・・



コンチンがモルヒネだということ、彼は理解していなかった。
何日か前に、私に言っていた。

「コンチンってモルヒネなんだってなぁ・・・」

何気なく聞いていた。いや、聞き流していた。
でも・・・
彼にはショックだったようだ・・・
ベッドの横に置いてある紙袋に『モルヒネ』という走り書きをみつけた・・

悲しかった。
後悔した。
どうして、どうして側にいるのに、
その時の彼の叫びや嘆きを感じてあげなかったのだろうと。
自分がモルヒネを飲んでいると知ったら、
ガン患者がモルヒネを飲んでいる状態が末期的なこと、
どうしてもっと気遣って対処してあげられなかったのだろう・・・

コンチンは痛み止め、
モルヒネのなかでも穏やかな作用で
安全に使用できる・・・
知識として飲みこむ私は第三者的な受けとめ方しかできなかった。

もし、
私がガンに侵され、
痛み止めとしてモルヒネを処方すると言われたら・・・
ショックだ。

あれからかもしれない、彼の様子がおかしくなったのは。

精神的なものなのか。

とにかく記憶が消えて、
現在と幻覚との狭間で生きている。

コワレタ。
コワレチャッタ・・・







2001年07月03日(火)

婦長さんから声をかけられた。
お話しをしたいと思っていたのですが・・・と。

彼がどんな気持ちでいるのか、毎日一緒にいる私にしかわからないだろうから…と。

そんなこと聞かれても、たいした話しをしているわけではないから困った。

「先生のゴールと患者さんのゴールが違いすぎると良くないと思いまして…」

ハッとした。
そうなのだ、全ての治療が終わった段階で、どのような結果になるのか、なっているのか。
左半身の神経が全て蘇えってくるわけではなく、
ましてや腫瘍が全て消えているわけではなく、
もっともっと悲惨なのは、
彼が切望している社会復帰は、
もう・・・無理だろう・・・

でも彼はきっと仕事に復帰できる身体になると信じている…いや、望んでいる、希望をみている。
このギャップを懸念している婦長さんの言葉だった。

この問題について、ふたりで話し合うことは皆無だ。
触れることさえもしないでいる。
私の気持ちは、
病気を受けとめ、治療に耐え、という毎日に、
これ以上彼に苦悩を与えたくないと思っている。
だれが、なにが悪いわけでもなく、
恨むこともできない。
どうすることもできない、やり切れない現実に、
『これから』の問題を、彼に考えさせることは、
私にはできない。

いや・・・
彼はすでに思い巡らして絶望の淵に追いやられている。
言葉にしないだけだ。
独り、ただ独りで考えていたはずだ。
考えないわけないじゃないか・・・
仕事に対してあんなに厳しいひとが、
この自分の置かれている状況が、どんな展開になるかということを・・・

あえて言葉にださせるまい。

患者の『希望』『夢』として
仕事への復帰を残していきたいと、
婦長さんに伝えた。
理解してくださったようだ。
看護婦さん達にも、そのように申し送りされるだろう。






2001年07月02日(月)

今朝は二度寝してしまい、起きたら息子はすでに出て行ったあとだった(+_+)
月曜日からこれだと、落ちこむんだなぁ・・・
私って、ホントだめ。

あげくに夢見が悪かったから目覚めも悪く、
後悔の朝だし(泣)

3時半に目が覚めて、外の景色を覗いてみたら
そこは夜明け前の、ほんのちょっと前の、
夜と朝とが重なり合う幻想的な景色だった。
夜の輝きと違って、街の明かりも眠たそうな光りをしていて。

とかなんとかいって、な〜〜んにもやる気が起きない自分を励ます術を探してたり・・・






2001年07月01日(日)

7月のカレンダーを慌てて作った。


病室の壁に貼りながら、もう4枚目になるんだなぁ・・・なんて、
彼に悟られないように少々肩を落としてしまった私。

ふっ・・・6月は梅雨だからジメジメ気分で終わったなぁ・・・(+_+)






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