りとるのひとりごと。
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2012年11月25日(日) 2回目の徹夜

なかなか更新できないまま月日がどんどんたってしまった。

ホントは母が入院したときのこと詳しく書きたかったんだけどな。

とりあえず1回目の徹夜は書いたので、今回は2回目を。


母を病院に残し夕方帰宅した日。手術後3日目くらいかな。

真夜中の1時に携帯がなった。

お母さんが不穏状態なので、今すぐ来てください、とのこと。

眠る息子を置いて家を飛び出した。

病院につくと、母はナースセンターで叫びまくっていた。


ベッドに拘束され、看護師の人たちを罵りまくり。

娘さんきたよー、と言われても、私をにらむだけ。

その後ベッドは個室に移されたが、拘束具は外してもらえず、
母は目をぎらぎらさせて、外せ外せと動きまくる。

おなかの傷が開かないかひやひやした。

一晩中母は眠ることなく、私に罵声を浴びせたりわけのわからないことを
口走ったり、私はへとへとになりながらも眠ることができなかった。

翌日は精神科の先生に診察を受けたが、おそらく術後せん妄とのこと。

手術後のストレスなどで一時的に認知症のような感じになるのだ。

しかし母のはかなりひどく、このまま母は元に戻らないのではと
不安で不安でたまらなかった。

窓の外を見ては、ああ、大きな帆船がいるねえとか、
隣の部屋に同居おじさんがいてこちらをうかがってるとか、
自分のいる場所が病院だという自覚もなく、ちびりとるを呼んだり。

ということで、予定より早く退院しましょう、となった。

入院しているほうが良くないと判断されたようだ。

最後の夜は、布団を借りて一晩一緒に眠った。

夜に注射を打たれたおかげか、一晩中おとなしく眠ってくれた。

それでも不安で、私はうつらうつらしては目を覚ますうちに朝になった。


退院した母はすっかり弱っていて、歩くのもしんどくて車いすを使用。

それでも家に帰ったら顔がすっかり穏やかになっていた。

せん妄も嘘のようになくなった。

本当の母が戻ってきてこれほど安堵したことはなかったかも。


今回の一連のことは同居おじさんには何も言わなかったが、
そもそも彼も何も聞こうとしなかったのだ。自分の妻が何日も
いなくなっているというのに。

母は退院したその日に帰ってきたおじさんに入院していたことを
説明したが、おじさんは一言「自殺したかと思った〜。」って。

この糞じじい。


しかし私も歳を取ったので、徹夜も含めてなかなかしんどかった。
この上介護とかしてる人を思うと、本当にすごいなあと思う。

その後は順調に抜糸も済み、通院もしなくてよくなった。

精神科も行かずにすんだ。

今では普通に歩き回ったりもできている。

いつ何が起こるかわからないなあと思うし、いつかは母も父も
私より先に死んでしまうはず。

その時の覚悟ができているか・・・といえば、自信が無い。

ヘタレだな・・・私も。


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