りとるのひとりごと。
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2001年09月30日(日) こういう時ケータイは便利

今日は忙し歯ブラシとんがらし(意味無し)。

朝、息子が起きたとたん30分狂ったように大泣き。
もう為すすべ無し。

泣きやんだところで急いで着替えさせ、お出かけ〜。
今日は午前中に売家を2ヶ所見に行き、午後から友人のところに行く
予定で、バタバタだったのだ。
ファミレスで母達と待ち合わせ。モーニングを急いで食べて、
早速物件を見に行った。

うーん、どちらも静かなんだけど山奥で公共の交通がない・・。

昨日見に行った所の方が良いかなーと思った。
んで、今度、昨日見に行った物件の中を見せてもらうことにした。
今日はとりあえずそこまで。

その後友人の家に向かう。一応電話で道順は聞いたが、案の定、
道に迷った。

同じ道をグルングルンまわった。
チャイルドシートの息子はすっかり爆睡。
通常なら20分ほどの道のりが、1時間半かかってもたどり着けない。

ウガーッ!!!となって、これは電話かけるしかないと思った。

実は私、ケータイ持ってない。

引きこもり未亡人には必要のない物だったのだ。
お金かかるだけだったし。

んで、公衆電話を探した。

んが、無い。
どこにもない。

やっと見つけて電話。もう一度道順を頭にたたき込む。
今度はさすがにストレートで行きましたわよ。
息子はすっかり起きて大泣き。
車という狭い密室でギャンギャン泣かれるとキツイわ〜。

で、友人宅でのんびりまったり・・というわけにはいかなかったが
(なにせ怪獣付き)久々に楽しい時間だった。
最初は息子が人見知りしてワンワン泣きわめいて大変だったけど。
どーしてもカレーがうまく作れないという友人に私流カレーを
伝授したりして。

しかしいいやね。新婚さんの二人暮らし。
新しくて綺麗なアパートで。
トイレなんてウォシュレットだった〜!!
うらやまぴ〜。

息子は疲れたのか、今日は早く寝た。
私も早く寝ようかな〜。

あ、生活費の話できなかった・・(汗)。
明日にします・・きっと・・たぶん・・。


2001年09月29日(土) 捨ててやった!参ったか!!

暑いんだか寒いんだか。
気温の差が激しゅうございます。

今日は!!

思い切って!!

ダンナの服を一気に処分したぞ!!

タンス1本と、衣装ケース8個(!!)分。

いやあ〜、スッキリした。

というのも、今朝ダンナが夢に出てきたのだ。
私に会いに来たのかしら?!ムフフ・・なんて思ったのもつかの間、
ダンナはこっちを一切向かず、終始背中を見せたまま、
まずは車の整備を始めて、その後場面が変わって職場でデスクワーク。

おいおい。死んでもまだ仕事と車が大事かい。
私なんかどーだっていいんだ!!

ふんっ!!

ふんふんっだ!!!

いいもん、服全部捨ててやる!!

スーツもシャツも靴下もパンツも、ぜーんぶ!!!

・・という訳なのだった。
でも私は服をドサドサ出しただけで、実際整理したのは義母だった。
私、用事あったもので・・すんまそん。

スーツはほとんど義弟が持っていったらしい。
まあ捨てるよりいいか。
綿シャツは義母がウエスとして仕事で使うらしい。
まあダンナも怒りゃしないだろう。

ダンナが死んで1年8ヶ月。
やっと少し整理できたかな。
まだまだ彼の置き土産(?)はあるのだけど。
ガラクタとか。
これからは息子の物も増えるんだからどんどん処分しなくちゃ。
別にダンナを忘れたわけじゃない。忘れようとしてるわけじゃない。
まあそんなことしたくてもできっこないけどね。
生きていくには仕方ないことなのだ。


話は変わって。
義母が珍しく食事に誘ってくれた。

回るお寿司。

わーい。

回ってたって私は構わないのさっ。

でも一番安いお皿しか取れなかった。小心者の嫁。
義弟夫婦と子供も一緒に行ったが、義弟は皿の色などお構いなし。
良いなあ(笑)。
でもお腹いっぱい食べたぞ〜。わははは。


午後からは母の所に行き、中古住宅の物件を実際に見に行った。
なかなか「これだ!」というものがない。ま、仕方ないけど。
明日も見にいく予定。

10月が勝負。
うっしゃ。


2001年09月28日(金) 公園デビュー・・だと思う

ランランラ〜ン♪

息子が早く寝た〜〜〜。
うっれっしっいっなっ。

・・のっけから壊れ気味だが、酔ってるわけではない。
アルコール、もうやめた。
最近は全然飲んでない。
飲んでも美味しくないし、身体はだるくなるし、何よりお金ない(笑)。

の、かわりに。
コーヒーにハマッた。
今までコーヒーなんて見向きもしない紅茶党だったのに。
ついに我が地方にもスターバックスができたおかげだ。
話のネタに行って、飲んで、やみつきに。
豆も器具も買って毎日飲んでいる。
コーヒーは身体に合わないはずなんだけどなあー?!

今日は息子が昼寝から起きてすぐに市役所へ。
福祉医療費の受給証の更新手続きだ。
母子家庭や重度の障害者がいる家庭では医療費が免除になる。
かなり助かる。お陰で病院の会計でお金を払ったことがほとんどない。
半年ほど歯医者に通ったときも、結局全回無料だった。

帰ってきて、散歩に出かけた。
近所の方たちが公園へ誘ってくれたので渋々?!ついていった。
初めて人のいる公園に行った。
公園デビューってやつですか?!

大勢いる子供では息子が一番小さかった。
砂場で、2歳半くらいの女の子の相手をずーっとさせられた。
息子は横で黙々と砂をいじっていた。
女の子はおままごとをしていて、彼女がお母さん、私が子供の役だった。

女の子「お母さん、何してるのって言って」

私「お母さん、何してるの」

女の子「カレー作ってるの。・・・お母さんって言って」

私「お母さん」

女の子「なあに?・・・お母さん、たくさん作ってって言って」

私「お母さん、たくさん作って」

女の子「はあい。・・・お母さんって言って」

私「お母さん」

女の子「なあに」

延々この繰り返し(笑)。おーい、この子の親はどこだあ〜?!

やっと親も含めて大人がやってきた。
「一緒に仲良く遊んであげてね」
女の子の親が言う。
女の子「イヤだ」
親「どうして?小さい子には優しくしてあげないと」
女の子「この子(うちの息子)だいっきらい」
親「可愛い子じゃない」
女の子「かわいくない!!」

ムッ・・・あんたこそ可愛くない子だな(怒)。

女の子は私とまだ遊びたいらしく、「ねえねえお姉さん〜」と
言ってきた。
彼女の親が「お姉さんじゃなくておばちゃんでしょ」

ムムムッ・・・ムカ。

女の子「違うもん、お姉ちゃんだもん!」

・・・この子ったら、可愛いじゃないの。オホホ。


結局息子があっちこっちフラフラしだして、女の子がすがってきたが
相手になってあげられなかった。
どうも女の子は息子にヤキモチ妬いていたのだな。

息子も早く人間らしくならないもんだろーか。


話は変わって、来月から生活費をもらえないことになった。
詳しいグチは明日に乞うご期待〜〜〜(笑)。

ってなわけで、つづく。


2001年09月27日(木) ぎもぢわる〜い

なんでかっていうと、晩ご飯で昨日の残り物無理に食べたからなのだ。

蓮根と鶏肉の煮物。
大学芋。

大学芋なんてねえ、生まれて初めて作ったのさ。ははは〜。
あ、でもタレはわかんなかったから「タレのもと」使ったけど。
(今は便利になったのねえ〜しみじみ)
サツマイモは義母の手作り。バカみたいに穫れたのだ。
低温でじっくり揚げたあと、高温でこげ目を付ける。
暑いのなんのって、汗かきかき揚げたさ。

その間に煮物をグツグツ火にかけていたのだがね。
我ながら両方上手くできたのだ。
しかし昨夜食卓に出すと、義母は「じいさん(義父)もこれ?」と聞く。
「これはじいさんは食べれん」

義父はめっちゃくちゃ偏食なうえに入れ歯ときたもんだ。
しかも、食べるときに入れ歯を外すという偏屈オヤジだ。
よって少しでも固い物はNG。
んなのいちいち考えてられないよお〜〜〜って。

義母もほんの少し手を着けただけだった。
「大学芋てんこもり〜〜」だって。2本しか使ってないよお。
頑張って食べたが結局残ったので、今日も食卓に出したのだ。

そしたら!!
義母は残り物には目もくれず、手も着けず、今日作ったおみそ汁と
秋刀魚のみりん干し、漬け物をバクバク食べて終わり。
わたしゃ目をウルウルさせつつ食べたけど、結局また食べきれず。
きっと義母が捨てちゃうんだろーなあ。

だいたいねえ!!(と声をあらげる)
イモ類が嫌いな夫婦なのに、何で畑でどっかーんとイモ作るのだ?!
ジャガ芋もサツマイモも里芋も!!!!
でもって今回は「大学芋作らな、大学芋」ってうるさかったから
作ったのに。
イモ料理は結局私一人食べて、食べきれず捨てるハメになるのだ。
もーめちゃめちゃもったいないではないかー!!!

義母は炊飯器にご飯粒がたくさんついていてもおかまいなく洗う。
私にしてみればもったいないったらありゃしない。
私の方がババアみたいだ。とほほ〜。

おお、今日もグチ全開だー・・いい加減止めたいのにネタが
つきないんだよねえ・・ううう。
義母は今日も機嫌悪くて怖くてこっそり泣いちゃった。
泣きゃいいってもんじゃないんだけどね。分かってるけどね。


今日は散歩に出かけた。2時間歩き回った。しかしすごいよ息子。
マラソン選手にでもなって年収5億稼いでちょーだい(爆)


2001年09月26日(水) 散歩恐怖症

秋晴れというのにねえ。
じぇんじぇん外に出なかった。
義父母の洗濯物の取り込みと、郵便物取りに行ったくらい。

ふつーの人なら、
「外の空気を吸ってリフレッシュ!!」
なんてことが出来るのだろうけど・・。

今の私は外に出ることがリフレッシュどころかストレスになる。
買い物程度ならまだ良い。
問題は・・散歩だ。

息子との散歩。恐怖の時間。
なんてこと書いたら息子に悪いけど。本音だもん。
大声で怒ってばかりの2時間強、ツライのなんのって。
常に周辺に気を配るからヘトヘトになるし。
帰ってきたら食事の支度どころか、何もしたくなくなる。

今日も息子は散歩に行きたがり・・可哀想だったがやめた。
もう引きこもりたい心境。
なおかつ、テレビで狂言リストカットをしているドラマがやっていて、
思わず参考にしようかななどと思ってしまった。

私バカよねえ〜。おバカさんよねえ〜・・。

まあたぶんそんなことはしないけど。だって痛いの苦手。
痛くなければやっちゃったかも。痛くて良かった。なんのこっちゃ。

明日は勇気を出して散歩行かねば・・。
何よりも大切な息子のため!!

しかし最近目がおかしいなあ。
PCに向かいすぎ?チラチラする・・。
ただでさえド近眼なんだから大切にしなくちゃあね。
祖父も母も網膜剥離やってるからなー・・怖いなー。
祖父の場合は失明しちゃったし・・。

綺麗な景色を見たいな。
目の保養したい。
いい男周りにいないし〜(爆)

ちゃんちゃん。


2001年09月25日(火) ぐるじい〜・・・食べ過ぎた(反省)

毎日毎日良いお天気が続いておりますな。
毎日毎日布団を干したくなってしまうのであった(笑)
干した布団の匂いって好き〜。

今日は思い切って図々しくなってみた。
ななんと!夕ご飯の支度をせずに、「晩ご飯は外で食べます」と
置き手紙を残して出かけてしまったのだ!!!!
いやあ、勇気がいった。

まあ、洗濯物を取り込んだり部屋を片づけたり、炊飯器のタイマーを
入れたりはしたんだけども。
覚悟はしていたが、やっぱり帰ったら義母は機嫌悪かった。
義父に喧嘩腰で話してた。怖い・・・。
怖いので息子とこっそりお風呂に入って2階へ逃げたのであった。

夕食は、実母と帰省中の弟、母の彼氏?!と焼き肉を食べに行った。
狂牛病騒ぎでさすがにお店はガラ〜ンガラン。
でも牛肉食べまくった。わはは。
前回食べたのは息子がねんねしていた頃だったからかなり前だなあ。
まあ、万が一狂牛病になったら国に賠償請求して、そのお金で
息子を食べさせるさ。うん。

昨日母が中国から帰国したので、今日はお土産大盤振る舞いだった。
あちらはとにかく物価が安くて、買い物したい放題らしい。
頼んだ物以外にも、シルクのパジャマやら何やらたくさんもらった。
母曰く「チャイナドレスも欲しかったんだけど〜」
・・って、あーた・・いつどこでそんな物着るんだよ(汗)。

このご時世の中、母が無事帰国できたのは正直ホッとした。
中国の大連はかなり良いところらしい。
母は、行く前はかなり嫌がっていたのに、今日会ったら「あーまた
行きたい〜」だって・・。呆れた・・。
私はのんびりゆったり旅行なんてどーぶん無理でさあね。

そういえば、逃げ場所として良い物件が見つかったらしいのだが、
半日で手がつけられてしまった。ぐやじい。
なんとか10月いっぱいで良い物件を見つけて、年内にはここから
逃げだそうと思っている次第。

頼むから応援してね、ダンナ。




2001年09月24日(月) 今日も泣けてくるじぇい

ちと精神的にイカンね。
自分が自殺しようとする想像ばかりしたりして。
そうすれば誰か私を見てくれるかなってね。バカだなー。

今日も散々であった。
1週間前くらいから今の電気の4つあるうち2つが切れていて、
部屋が暗くてずーっと気になっていた。
義母が毎日「電気買ってくるの忘れた」と言うのでしびれを切らし、
今日、義両親がモーニングに行っている間に買いに行った。

そう、義両親は朝遅く起きて、何も言わずさっさと出ていったのだ。
行き先は喫茶店に決まっているのであった。朝食だ。
私は台所で立ってコーンフレークを胃に押し込んだ。

蛍光灯と、ついでに以前から壊れていた蛇口の水栓を買った。
シャワーと切り替えられる、アレだ。
他にも仏花や、昼食などアレコレ店をはしごして買った。
子連れのはしごはツライ。いちいちチャイルドシートに乗せたり
おろしたり・・まあ当たり前だけど。4WDだから大変なのだ。

家に帰り早速電気を取り替え。
イスに乗り、天井の電気のカバーを苦労して取り外し、取り替えたまでは
良かったが、問題はその後だった。
カバーがどーしても出来ない!!
コツ・・というか、やり方さえ分かれば出来るのだろうが、初めて
触ったので何が何だか分からない。全然はまらない。
上を向いてハアハア言いつつ、汗をかきかき、必死で頑張った。
両手が真っ黒になった。頭がクラクラしてきた。
でも途中で諦めたり投げ出したりしたくなかった。最後まで自分の力で
やり遂げたかった。

悪戦苦闘して30分後、何とか二つとも交換終了。
倒れ込みたい気持ちを抑えて仏花の取り替えをしつつ、昼食の準備に
とりかかる。
昼過ぎ、義両親が帰ってきた。
「電気切れたらしいな、どれや?」と義父。
私「さっき取り替えました」
義父「なんや〜、今買ってきたのに〜・・」
「(義母に)おい、りとるさんが買ってきて替えたんやと」
義母「じーさんが何もやらんから私も何もやらんのだわ」
義父「じゃあ蛇口かえたるわ。買ってきたで」
私「それも替えましたけど・・」
義父「なに?!替えた?」
私「はい・・すいません・・」

汗かいて必死で頑張ったのにお礼の一言もなし。
義両親の目の前で泣きそうになった。こらえたけど。
とどめはその後。

息子に先に昼食を食べさせていたので、義母が大人の食事の
用意をした。
買ってきておいたのは安売りのウナギ3尾。
温めておいたので、それを義母が切って丼に盛る。

義母「あれ、じいさんにたくさんごはんよそったから、
りとるちゃんの分がほとんどなくなっちゃった。
ウナギも余っちゃった。はい、どーぞ」
受け取った丼にはご飯が3口分程度。
ウナギは3切れ。

義父と義母はウナギそれぞれ1尾分ずつ入っていた。
「いただきます・・」黙々と食べた。食べ終わるのに3分も
かからなかった。

なんだかなあ。
もう腹を立てるのもばからしい。

午後も義両親は出かけていった。
義母は毎週毎週遊びまくって、それがストレス解消になるらしい。
「11月なんて遊ぶスケジュールいっぱいで大変だわ〜」だと。
義母は遊んでストレス解消して、
義父は毎晩飲んでストレス解消して、
じゃあ私はどーすりゃいいんだよ?!

毎日育児と家事に追われて。
平日も休みもない。
遊びほうけてる義理の両親の世話もして。
お風呂もトイレもゆっくりできない。

逃げたい。
はやくここから逃げたい。
ダンナ、お願いだから逃がして。


2001年09月23日(日) 涙が止まらない・・もう疲れた

遺書みたいなタイトルだなあ。

でもそのまんま。
疲れた。
肉体的にも精神的にも。
もうヤケになってる。

今日も早朝から義母は遊びに飛び出していった。
義父は会社に。ホントかどうか分からないけど。
で、夜遅く帰ってきて犬がギャンギャン甘えて吠えまくり。
あまりの吠え方にイライラする。
近所迷惑も甚だしい。
なのに義母は知らん顔。
おいおい・・飼い主だろーが・・。

一日中息子とふたりっきりだった訳だが・・・。
爆発しそうだった。
1歳児は犬よりたちが悪い。
散歩に出たら最後、私は2時間以上大声で怒りっぱなし。
もう怒るのも話しかけるのも疲れる。

ゴミは拾ってしゃぶるし、他人の家に入っていこうとするし、
こっちだと言うとあっちに行き、あっちだと言うとこっちに行き。
行きたい方へ行けないと道路の真ん中で大の字になって泣きわめく。
抱き起こして歩かせようとすると、今度は抱っこをせがんで大泣き。
片手で抱っこ、片手で車の乗り物、両腕がブルブルしてくる。

走っている車に寄っていこうとする。むやみに動物に向かっていく。
真っ黒な指を吸う、家に帰るとさらに大泣き。
家の中でもそばにいないと大泣き、手洗い大泣き歯磨き大泣き。
お風呂も眠くて泣いて、その後機嫌が直ったら物を散らかし放題。
片づけても片づけても追いつかず、結局寝てから黙々と片づける。

散歩の途中も家に帰っても涙が出てしかたなかった。
外では、道路に寝転がる息子に手を焼いていたとき、
近所の父親らしき人が小さな子を散歩させているのを見て泣けてきた。
そうだよ、日曜くらい父親が散歩させたっていいだろーに。
おい、あの世のダンナよ、あんたが憎らしいよ。

自己中心的な義両親にとって私も孫も邪魔者だ。
私がリストカットでもすれば気づいてくれるだろうか。
父親がいなくて、母子二人で頑張っているのを不憫に思って
くれるだろうか。
しかもそうさせたのは自分たちの息子なのだ。

なのに「もっと相手してやらな」「一緒にもっと遊んであげな」だと。
だったらあんたらが相手すれば?
身も心もクタクタになっている私にむち打つような言葉はやめて。
もう泣けて泣けて仕方ない。
悲しくて辛くて苦しくて、どうにでもなれって感じ。
逃げたくてアルコール飲んだが身体がしんどくなっただけだった。
ハアハア息を切らして息子の世話をしていたら、息子は私の
まねをして「ハアハア」言うんだから参る。
泣きじゃくっていると不思議そうに見ているし。

ダンナはもう助けてくれない。
義両親にはもう何も期待しない。

のんびりしたい。疲れた。


2001年09月22日(土) 火事だ〜〜〜

いやあ、今朝は寒かったあー。
昼間も暑くなかった。
夕方も寒かったあー。

つまり秋ってことだあね。

で、今日は風もあってカラッとしていたせいか、
近くで火事が2件もあった。
驚いたのはそのうちの1件。
同じ町内で、メチャメチャ近所。
義母も良く知る人の家だった。

昼に、義母に息子を預けて買い物に出かけた。
車で「その家」の前を何気なく通り過ぎた。
なーんの異常も感じなかった。
「え〜天気やねえ〜」ってなもんだ。

その近くの薬局でオムツを急いで買い、店の外に出ると、
目の前の空に煙がモクモク。
サイレンがウ〜ウ〜。
どー考えても野焼きじゃなかった。

車で煙の方へ移動すると、さっき通ってきた道は野次馬だらけ。
車も大渋滞。人もわらわらと沸いて出てくる。
救急車やら何やらワンワンサイレンの音が鳴り響く。
渋滞で動けないのを良いことに運転席からマジマジと見てしまった。

すさまじい量の煙。しかも色が、白やら黒やら茶色やら。
その下は屋根の上にまで火の手があがって手の着けられない状態。
誰もが「うわ〜〜」と思わず言ってしまう光景だった。
メチャクチャ怖かった。

火事なんて間近で見るもんじゃないと思った。
妊婦が見てはいけないというのも分かる。ショックが大きすぎる。
これが自分の家だったら・・と思うと鳥肌が立つ。
腰が抜けて立てなくなるんじゃなかろーか。
消防士さんは偉い。本当に偉い。
生き物のように暴れる炎に果敢に立ち向かうのだから。

息子は義母に連れられて野次馬に加わったらしいが、かなり離れて
いても煙がものすごかったため、間近で消防車を見ただけで
帰ってきたらしい。
生の消防車は怖かったらしい。泣いたそうだ。ははは。
いつもは手のひらサイズのオモチャ消防車だからなあー。

火事は怖い。すべてを一瞬にして無くす。
戸締まり用心、火の用心。


2001年09月21日(金) いきなり秋じゃ

昨日と今日との気温差の激しいこと。
身体がついていきましぇ〜ん。
半袖じゃ寒かったー。

半年振りくらいに弟がこっちに帰ってきた。
大学はまだ夏休みらしい。うらやましいこってす。
2浪1留してるからまだまだお気楽生活みたい。
先日の日記にも書いたとおり父のすねかじりまくりだし。

息子は最初はさすがに緊張した面もちだったが、すぐ慣れた。
弟に馬乗りになってはしゃいでいた。
今日は遊び相手がいてかなり助かった。
雨で散歩にも行けなかったし。

なのに義母は相変わらず役に立たない・・とほほ。
今日は夕食後にパチンコに行ってしまった。
「ちょっと行ってくる」って言ってたがほぼ100%間違いない。
しかし息子をお風呂に入れようと脱衣所で服をせっせと脱いでいる時に
バッと入り口開けることないんじゃないの(怒)。
義母は上半身ブラいっちょう姿でウロウロしても平気だけど、
私は違うっつーに!!

お堅いと言われても仕方ないが、私はギャンブル類一切キライだ。
だが義母はかなり好き。
どうやらダンナを始め3兄弟、みなギャンブル好きなのは義母の
遺伝子がかなり入っているようだ。
息子はギャンブル狂いになりませんよーに!!
パチンコ代をサラ金から借りるバカになりませんよーに!!!

ところで、ここの犬はバカだ。
というか、まったくしつけされていない。
ムダ吠えがとにかく多い。散歩も引っ張りまくる。
義母はよく「子供育てるの失敗した」っていうが、
そりゃ犬のしつけ一つ満足にできないんだもの。
人間のしつけができるわけないじゃん。
3人ともだよ3にんとも!!!!ダンナもだよっっっっ!!!!
しっかりしてくれよお〜〜〜。
・・・と偉そうな事言ってる私も自信ないけど。

う〜〜、またバカ犬がギャンギャン吠えてるよ・・とほほ。
息子が起きるっちゅーの!!!
なのに義母はたしなめも怒りもしない。
それどころか自分もバンバン戸を閉めまくり。家が揺れるほど。

うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!

夜中くらい静寂が欲しいと思うのは贅沢なんだろーか。
今日も疲れてるなー。ううう。


2001年09月20日(木) お世辞でも嬉しい一言・・・

彼岸花が咲いているなあー。
夜には虫の声が聞こえる。秋ねえ。

日が短くなって息子と散歩しているとあっという間に真っ暗になる。
かといって日中はまだまだ日差しが強くて暑いし〜。
しかし息子は外に出すとパワー百倍うれしさ千倍って感じ。
子供って外が好きだなあ・・。
真冬が大変だわ・・。は〜。

近所のお子達と遊んだのだが、みーんな息子より年上ばかり。
一番近い2歳10ヶ月の子のお母さんが、これまた若い。
若いおねえちゃん大好きの息子は手をつないで満面の笑み(汗)。
だがふとしたことで年齢の話になったら、その人は27だった。
22か3だと思った・・髪の毛茶髪というより金髪なんだもん・・。

相手も私の年を聞いてビックリしたようだ。
「え〜、そうは見えない!」って言われてちと嬉しかったりした。
まあウソでも何でも、そう言われるとね、嬉しいもんさね、女は。

しかし私はもともと見た目が老けてたのだ。
小学生の頃は「中学生?」
中学生の頃は「高校生?」
高校生の頃は・・・もういいか。
とにかくそんな感じだったのだ。
大学生の時は当然OLに間違われた。

それが20代後半から逆になってきた。
まあ良いことかもしれないけど・・。
だが確実に腹は中年化しているのだった・・とほほほ〜〜〜。

歳は取る。必ず。
老いに対する心構えが必要だ。
お金ありゃ老いも何とかなる時代にはなってきたけど。

どーなるんだろ私。
どーなるかねえ地球は。
戦争だけはヤダ。
息子が安全に幸せに暮らせる世の中が続きますように・・・。


2001年09月19日(水) また腹出てきたさ

息子の予防接種に行ってきた。
風疹。
あとは三種混合の追加を来年受けて一段落。
あ、任意(おたふく、水ぼうそう)がまだあるけど。

今月末には母子家庭の福祉医療受給証の更新があるし、
来月は1歳半児検診だ。なんだかんだやることはあるもんだ。

そう、うちは母子家庭で遺族年金もらっているんで、医療費が
タダになっているのだ。市町村によって違うと思うが。
私も息子もこれは助かっている。
健康保険料も驚くほど安くしてくれる。
国民年金は今年も免除にしてもらった。
来年はいい加減頑張って支払わないとなあー。

母子家庭でいろいろ恩恵があるっていったって、やっぱり
こんなの望んでなかったから・・。
今後、保育園に息子を入れて運動会やらイベントがあるのが憂鬱。
先のことで憂鬱になってどないするんやというつっこみが入りそうだが。

だって子供と父親が戯れる姿なんて見たくないっつーの。
親子3人で手をつないで(もちろん子供が真ん中ね)いたりしたら
もー最悪。
跳び蹴りくらわしたくなる。ホントの話。正直者だわ私。

テレビで「お父さんも育児に協力しよう!」「ここはお父さんに
やってもらおう〜」なんて言っていると、
「父親いないっつーの!!」ってテレビに毒づく。嫌な母親。

実母は会うたびに息子に「はやくパパ欲しいよね〜」なんて言う。
まだ息子にはパパなんて概念はないんだけどさ。
パパなんて、そこらのスーパーに売ってないっての。
もう男性に愛される自信も希望もないバカ母・・それが私。

しかしね、自分を卑下すると子供に申し訳ない。
ニッコリ笑って飛びついてきてくれる息子。
でも立派な親になろうと無理をするとどこかでひずみが生じる。
さんざん大声出してばかりのろくな母親ではないがね、
ダンナの分まで頑張ってるつもりなんだ。

そ、頑張ってる。偉いぞ私。泣けてくるよ。

あらやだ、タイトルに触れてない。
また過食で腹が出てきたのだ。ヤバイぞお。
髪の毛もバンバン抜ける。怖いぞお。
歳を取るって大変だ。


2001年09月18日(火) グウタラ遺族

胃が痛いしね。
身体だるいしね。
眠いしね。

どーも、元気でないなー。

義母が帰ってきてブツブツ言っていると憂鬱になるし。

息子がぐずると疲れるし。

ダラダラ横になってばかりいた。

息子との散歩はしっかり行ったし、買い物にも出かけたけど。

近所に、20代の娘さんで男の子供を連れて実家に出戻ってきた人がいる。
たまに子供同士遊ばせたりするのだが、彼女はリラックスしている。
実家でのんびり子育てって感じ。
彼女のお母さん・・要はおばあちゃん・・も、よく孫をみている。
助け合ってるって感じがすごくした。

ダンナが自殺して、そのダンナの実家に子供と入るってのは、かなり
特殊かもしれないと、今になってやっと思いだした。鈍いなー。
というか・・去年はそんなこと考える余裕がなかったから。
ダンナの死と出産と子育てと。もう無我夢中という言葉がピッタシ。

やっぱりね、実家がちゃんとあって、両親がうまくいっていたら
実家に戻るべきだよ世の死別、離婚したママさんたち。
いろいろ問題はあるだろうけど。
でもうちは実家は存在はしているけど(抵当に入ってはいるが)、
両親は離婚してるし、実家自体は父の愛人の巣窟だ。

私が中学生の頃から父は愛人を作っていた。
嫌がらせの電話が毎日何十回きたことか。夜中だろうがかかってきた。
出ると無言か、すぐ切れるか「親父を出せ!」と怒鳴るか。
10代の多感な時期、メチャメチャ恐怖だった。

庭をメチャクチャに荒らされたこともあった。
当時小学生だった弟はそれ以来不登校になった。
カウンセリングを受けても、不登校は高校まで続いた。
大学も2浪した。
大学生の今でも精神科を受診し、薬を飲み続けている。
「こうなったのは親父のせいだ」と、父の部屋のドアに「死ね」と
書いたこともあった。
今は父のすねを無くなるまでかじり続ける気らしい。
弟なりの「復讐」なんだそうだ。

私はストーカー行為を続ける愛人の一人に立ち向かったこともあった。
彼女の車に乗り込んだのだ。
当時はすぐ殺生沙汰になることはなかったので、刺されずにすんだ。
今だったら危なくて出来ないかもなあ。
別の愛人は電話をかけてきて、そのまま自分の自殺行為(手首を切った)
を実況中継したりした。死ななかったらしいけど。
「おまえのせいで・・おまえのせいで・・私の家族はメチャメチャに
なったんだ・・恨んでやる・・許さない・・」など、地獄から聞こえて
くるような女のだみ声は、今でも忘れることが出来ない。

そんな愛人達と別れられない父を憎んだ。
ろくな女を愛人にしてないんだよまったく。
母も私も命の危険すら感じたこともあったのに。
父はいまだにしらを切る。バカだよホントに。

そんな大バカな人間を父にもつ私は超大バカ?!

あら、昨日と同じオチ。わはは。


2001年09月17日(月) はっぴば〜すでいわ〜たし〜♪

前厄じゃ〜〜〜。わっはっは。

25過ぎからは誕生日が来ると「あ〜あ」って気分になるなあ・・。
しかも厄だもの・・はぁ・・・。

でも今日は友達と街にくりだした。
自分へのご褒美として、息子に服を買った(爆)。
自分の服を買うより嬉しい。

ウインドーショッピングも、大人の服を見るより子供服を見ている方が
楽しくなってしまった。
自分の服はせいぜいユニクロ・・しかも限定価格の時・・。
子供の服はいくら買ってもまた欲しくなる。
なんなんだろ〜ねえ。

実母と義母がケーキを買ってくれたので、今日はケーキづくしなのだ。
だが義母には「友達が持ってきてくれた」とうそをついた。
本当のことを言ったらたちまち機嫌が悪くなるような気がしたからだ。
実母と義母は表面上は上手くつき合っているが、本音はお互いに
嫌っている。
最近実母は義父の事も嫌い始めた。
義父もうちの両親は好かないだろうなあ。
だってダンナが死んですぐに両親は「娘の今後をどうしてくれる」って
義両親に言い寄ったから・・。

ダンナが死ぬ数ヶ月前の結婚式では、母は泣きながら「私の大切な
娘をあなたに託します。どうぞよろしく・・」なんて言っていたのに
その娘は身重の身でとっとと捨てられたんだからなー。
親としては怒りが何より先立つのは当たり前だろう。
私も1年半たった今では、ダンナには怒りの感情しかない。

何が「幸せにするよ」だよ。バーカ。
一人で死ぬんじゃねえっつーの。
あんたはそれで満足したかもしれないけど、残された私と子供は
どれほど苦しんでいるか。
まあ息子はまだ分からないけどさ。

自殺者の遺族の苦しみがどれほどのものか。
想像を絶するよ。ホントに。
すごく特殊なのよ。
事故や病気で死んだのとはまた違う、大きな苦しみを背負ってる。

母子家庭でもね、離婚した母子家庭とは訳が違うと思う。
離婚はお互い納得してるよね、少なくとも。
「こうするしか仕方なかった」みたいなさ。
でもある日突然死なれちゃったんだよ。
納得も何もあったもんじゃない。

「なんで?なんで?なんで????」
最初はそればっか。
そのうち「あー、捨てられたんだ」って思いだす。
そのうち「何もここまで私を苦しめることないだろう」って思う。
「そんなに私のこと憎んでいたの?!」って。
周りがどんな慰めの言葉をかけても、ちっとも響かなくなってしまって。
でも表面上はすっかり元気のふりをして。
本当はまだ心から血がドクドクと吹き出ているのに。
一生この血は止まらないのに。

結局夢に出てきて誕生日も祝ってくれなかった。
っとに、バカだよ。大バカ。
んでもって、私はそんな大バカを好きになってしまった超大バカなのだ。

笑うしかないなあ。はははは。


2001年09月16日(日) どーしって毎日痛いんだ

そうなのよ。
今日も痛かったのよ。

火傷した右手をかばって昼食作ってたら、今度は左手を火傷。
幸い冷やしたら治ったけど。痛くて情けなくて涙出た。

夕方には窓を閉めたとき指を挟んだ。
ウギャって言っちゃったよ・・。

とほほ〜。

しかし手の指にホータイなんて巻いてられないね。

濡らせないんだもの。

おまけに息子のおむつ(ウンチ)を替えたらホータイが黄色くなった。

よって絆創膏みたいなガーゼをくっつけた。

どーか明日は痛くありませんよーに!!!


ところで、今日は義父が夕方から家にいたので、息子は嬉しいらしく
「遊んで〜」とばかりにくっついていった。
しかし義父はテレビを見るか寝ているかどちらか。
そこへ息子がキャーッと馬乗りになると義父は怒る。
相手なんてするかって感じ。

じいじよ、も少し孫の相手してやってもいいんでないかい?
そんな邪険にしなくってもいいじゃないか。
そのうち孫から邪険にされるようになるぞ。
「くそじじい」扱いだぞ〜。

今日の夕食は火傷を良いことに出来合のおかずを買ってきてすませた。
たまにはいいよねえ?!
それにしても義父の偏食はハンパじゃない。
そんなんでよく病気にならないなあって思う。
しかし食事を作る身になってほしいよまったく・・。
義母も好き嫌い多いしー。
ムカついて作りたくなくなることが何度あったことか。

あー、良い物件は何処に・・。


2001年09月15日(土) い〜〜た〜〜い〜〜。ぱーとつー

やっと寝違えの激痛が治まったと思ったら!!

火傷しちゃったよー!!!

右手の親指と中指・・・皮膚がずるむけてしまった。
あまりの激痛に自然と涙が出た。
痛くて意志と無関係に涙が出たのは、胃カメラ飲んだ時と
麻酔無しで奥歯をガリガリ削られたときと、陣痛のときくらいかな。

火傷に効く薬が無いからツライ。
4〜5時間は保冷剤などで冷やしていたが、そのお陰で軽傷の
人差し指は赤くなっただけですんだ。
しかし息子をお風呂に入れるために冷やすのを止めたときの
痛さといったら!!!!
指に五寸釘をゴーンゴーンと打ち込まれている感じ。

てな訳で、指が包帯グルグル状態でキー入力がしにくいったら
ありゃしないっす。
左手だけで何もかもやるのは本当に大変。
私は結構両利きなので助かった。

しかし・・。

ついてないな。

最近。

ここを出る計画を立てているから、ダンナが引き留めてるんだろか。

だったらこんな痛い引き留めかたは止めてくれい。

枕元にそっと立って「行かないでくれ〜」って泣いたら話は別だけど。
でもそうされても出て行くなたぶん。
だって今日の義母の機嫌の悪さはかなりのものだったし。

手の激痛で息子の散歩に行けずにいたら、義母が代わりに
行ってくれたのだが、息子は蚊にさされまくるので、玄関で
「虫除けを・・」と言ったら、

「虫除けもへったくれもあるか!!いくらでも刺されればいいんじゃ!!」
刺されたってほかっとけ!!」

鬼ババ・・。

私は強引に虫除けの薬を息子に塗ったけど・・。

義父は義弟を床屋に連れていかなあかんと行って逃げていったし。

あのな。

義弟・・三男だけどさ。

もう20歳だぞ。

しかも子持ちだぞ。

床屋くらい一人で行かせろーーーー!!!!


めちゃめちゃ役立たずの義父と、虫の居所がいつも悪い義母。

もうやだあー。えーん。


2001年09月14日(金) 流血・・・あわや

一日雨っした。
まあ蒸し暑いったらないわ。

月命日のお参りがあった。
住職さん(若くて二枚目)がお経をあげている間、息子はたいてい
その邪魔をしようとして隔離され、私は結局お参りできないのだが、
今日はなんと珍しくお利口だった。
木魚やお鈴をかっさらわなかったし、アレコレ手を出さなかったので
私は久々にちゃんとお経を唱えられた。

息子がハイハイするようになってからは、酷いときはお参りの間中
外で息子をあやしたりしていたものだ。いやあ進歩進歩。
今日は木魚のポクポクという音に合わせて体を動かしていた。
何やっているか理解できるのはいつのことだろうなあ。

さてさて、タイトルの「流血」の件に触れなくては。

昼食はイスに座ってテーブルで・・というのが毎日だが、
このイスから息子はしょっちゅう落っこちる。
本人だけ転げ落ちることもあれば、イスもろとも倒れることもある。

今日は後者だった。
食後のミルクを飲むのに気が集中してしまったらしい。
イスは横に倒れ、食器棚に当たり豪快な音を立てた。
ミルクの入ったマグを持ったまま一緒に倒れた息子は、かろうじて
棚には激突しなかったが(頭を強打するところだった)、下唇を切り、
かなりの流血。火がついたように大泣き。
口の周りが血だらけで、最初どこが切れているか分からなかった。

口って傷の割に出血量が多いからビビってしまう。
イスから落っこちることも多いが、口を切ることも多い。
気ばかり焦って歩いて足が追いつかずこけると、ちょうどそこが
敷居の上だったりして、さっくり口の中を切ったこともある。
いやあ、血の量が多いとドキドキするー。すぐ治るんだけど。

今日は義父がもらってきた巨大マツタケで炊き込みご飯と
お吸い物を作った。
カサがばかでかい、どーみても国産じゃなかったが、調理すると
それなりに香りがしたから偽物じゃないんだろう。
義両親はバクバク食べていたが、私は食欲ゼロで一口も食べず。
息子もパクパク食べた。1歳でマツタケ・・幸せだこと・・。


2001年09月13日(木) 二本撮り・・いや、書き。

ってなわけで気を取り直す。

読んで投票してくださってる皆さんしゅびばしぇん。
これからは日記が書けそうにないときは前日にお断りしておきます。

今日は!!

痛いのだ!!

寝違えた!!

母のベッドで、慣れない枕のせいで(高かったみたい)、
朝起きたら上半身に激痛が・・。
腰から上、ロボットのようにしか動かせない(涙)。
一番辛かったのは運転。
信号のない交差点。
左右を確認するたびに「うおーーー!!」「いた〜〜!!!」
チャイルドシートの息子は母が壊れたと思ったかどうか。

あまりの痛さに吐き気すらもよおす。
うう。最悪っす。

ガム踏んづけたり、針金が足に絡まってこけそうになったり、
どーもついてないっす。

うう。
負けるもんか。

明日は晴れる!!

・・と思ったら予報は雨だそうだ。

とほほ〜〜〜。


2001年09月12日(水) うわーーーーーーーーーーー

なんなんだ。
長々と日記を書いて、さあ登録と言うときにいきなり強制終了。
おいおい・・(涙)。

ということで、今日の日記は跡形もなく消えてしまいました。
ついてない。
最近ついてないよー。
うわーーーーん。
はあ・・。

もう力が抜けてしまった。
日記の内容を思いだして書けなくもないのだが、そんな気になれない。
もーあったま来るなあーーー!!!!!!!

しかも今日は2日分かかなきゃいけないっつーのに。
実は今日は木曜日。
昨日は一人暮らしの母の所に泊まりに行ったから日記が
書けなかったのだ。
んで、せっせと水曜日の日記を書いたのに・・ううう。
諦めがつかない・・。

読んでいただいている皆さんには内容の無い日記で申し訳ないです。

ないようがないよう。

わーーーーーーーーーーーーん!!!!!!!!!!


2001年09月11日(火) 葬儀場

いやあ、今日は風が強いのなんのって。
息子と散歩していて、二人してデコ全開だったさ(親子揃って
デコッパチなのだ・・とほほ)。

今日の夕方の散歩は1時間半くらいだった。
砂利があるところで息子に根っこが生え、二人して座り込んでいた。

息子は石で遊ぶのに夢中。
暇な私は歌を歌った(童謡)。

息子が私を見て笑った。

失礼な〜。

ばあばのオンチよりマシよー。

ところで、息子との散歩コースには葬儀場が入っている。
ダンナの葬儀をしたところだ。
近いから避けようがない。
何度も霊柩車が出ていくところを見た。
その度にフラッシュバックがおこり、動悸が激しくなる。
「あの人を乗せた霊柩車に追いすがってここで泣き崩れたっけ・・」

しかも息子は、駐車場に停めてある、ダンナの冷たい身体を
4時間かけて運んだ葬儀場の車を触るのが好きだ。
まあ車は何でも触りに行くのだが。
私はその車を見ても心臓がバクバクする。
「あの日」の事が鮮明によみがえってくる。

「その車はね、あなたのパパをここまで連れてきたんだよ・・」
声には出せない思い・・。
この車から出てきた棺桶にダンナは横たわっていたのだ。

自ら死を選んだダンナ。
捨てられた私とお腹の子。
ダンナにその気がなくっても、結果的にそうなってしまったのだ。
いつも通りに「行ってきます」って出ていったのに。
「今日は遅くなるから、先に寝ていて良いよ」だって。

帰ってこなかったじゃないの。
帰ってきたのは彼の抜け殻。
冷たく、硬く、真っ白になったダンナの肉体だけだった。

うそつき。


2001年09月10日(月) 蒸し蒸し蒸しあつ〜

台風、来てるらしいけど。
前回同様ここは逸れる気がする・・。

なのに義母は飛ばされるからって犬を家の中に入れた。
この犬がすさまじい悪臭を放つので、幾度となく吐きそうになった。
家中臭い。もー泣きたいよー。

話は変わるのだが、子供の一人遊びは邪魔しちゃいけないらしい。
集中力がなくなるそうだ。
私は息子が遊んでいる時は大抵放っておく。

だが!!しかーし!!
義母は「ちゃんと相手してやらな」「一緒に遊んであげなあかん」と言い
息子が一人遊びしていようがお構いなしに割って入る。
端から見ると息子の邪魔をしているようにしか見えない。
義母の頭は固定観念で凝り固まっている。
頼むから息子が何かに夢中になっているときに名前を連呼しないでよ。
息子の集中力がゼロなのはひょっとして義母にも責任が?!
そう思わずにはいられない・・。

今日も義母は「部屋が汚い」とのたまった。
毎日掃除機かけて、拭き掃除もなるべくしているっちゅーのに。
あんたは拭き掃除なんてしたことないじゃんか。
あの掃除機だってオンボロで全然吸ってくれないし。
掃除機買う買う言って、結局何ヶ月だったんだ?!
結局いつも「金がない。金がないから仕方ない」ですます。
ウソばっかり。
毎週、パチンコに通ったり食べ歩きしたりカラオケ行ったり温泉行ったり。
それで「金がない」だって。あはははは。バカみたい。

ふー、今日はかなり毒舌だわ。
いいのいいの。もう私「影の鬼嫁」になるから。
表だって鬼にはなれないから、あくまで「影の」なのよね。くすん。


2001年09月09日(日) つっ・・ついに息子が

あぢ〜〜。
真夏がまたやって来た。
息子の頭が汗くさくなるからイヤなのよお。
普段はとってもいい匂いなのにー。

また義母のキツイ言葉がいくつか炸裂した。
しかも自分の汚れた下着を「これ(洗濯機に)入れといて」だし。
驚いたなあもう。
それと、義母の口癖は「○○してやった」「しておいてやった」
恩着せがましいんじゃ〜〜〜。

夕方、ここの飼い犬(バカ)が、義母に甘えてギャンギャンと
吠えてうるさくて仕方なかった。
すると居間で一人遊びをしていた息子が外に向かって

「こあ!!ううちゃい!!」

おっ?!

「こやっ!!」(コラ!!)

「うーちゃい!!」(うるさい!!)

うわー。
しゃべってるよ・・・。
驚いたー。
今月で1歳半、今まで一言も言葉らしい言葉をしゃべったことが
なかったのに・・。

感動。
しかも面白いでないの・・。

その後、「だえ!!」(ダメ)も言うことが判明。
しかしこれじゃ私がいかにいつも「コラ!」「ダメ!」を連発して
いるかが照明されてしまうではないか・・。
最初に覚える言葉は「ママ」と相場が決まってるんじゃないのお?!
はぁ〜。

ま、いっか。
しかし聞いたのが私一人とは残念。
他にも証人が欲しかったな・・。

また明日も何かしゃべっておくれ〜〜。(親の期待)


2001年09月08日(土) ちかれたびー(古・・・)

うきゃー、日付が変わってしまった。
まあ今日は帰宅が夜11時だったから仕方ないかな・・。

そう、今日は昼から母の所へ行ったのだ。
義両親が夕食要らないと言ったのを良いことに長居してしまった。
帰宅し、恐る恐る居間へ行くと、冷ややかな義両親が・・。

部屋ちらかして行ったしなあ・・洗濯物も干したままだったし。
謝ったのだが無視されてしまった。
それより北側の小さな窓が開いていたことを注意されてしまった。
「窓が開けっ放しだったからビックリしたわ!!」だってさ・・。
おまけに息子をお風呂に入れてきたと言ったら
「ふーん、もう入ったのー、入ったのかー、ふん」だと。
もういたたまれずに2階に逃げた。

母と今後どうするか話したが結論は出ずじまい。
私はとにかくここを出たい一心。
ダンナの遺骨がそのままだが、もー知るか!!って感じ。
だいたい私と息子はダンナに捨てられたんだから。
最近は線香だって毎日あげてない・・。
枕元に立って一言謝って欲しいものだ。まったくー。

あ、そうそう、昨日何気なくエンピツのランキングを見たら、
なんと私の日記に6票も入っているではないですか!!
かなり、そうとう感動してしまった。
「6票」という字をしばし見つめてしまった。
私が1票入れたとしても(笑)、あと5人もの人が読んで下さったのだ。

いやあ、ありがたやありがたや。
がんばろ。うん。


2001年09月07日(金) 寝ない・食べない

秋雨だ。
今日もしんみり。

いつもは2時間くらい昼寝する息子が、今日はなぜか20分くらいで
起きてしまった。その後寝かしつけようとしたがダメだった。
夜、早く寝てしまうかもと慌ててお風呂に入れたのに、テンションは
一向に下がらず、笑いこけるし動き回るししゃべりまくるし(宇宙語)、
まったくタフな1歳児。

3秒前までなにやらしゃべっていたのに、急に静かになったと思ったら
寝ていた。
この場合寝付きが早いというのだろうか?!
明日は昼寝しておくれよ〜。

おまけに好き嫌いが激しくて食べない。
口を開けるので入れると、そのままべーっと吐き出す。
だったら最初から口にいれるなよお。
見ただけで食べたこともない物でも泣いて嫌がったりする。
首がちぎれんばかりにブンブン横に振って抗議する。

そんな、食べられる物が少ない息子なのに、今日、スーパーで
数少ない好物である「黒ゴマ豆腐」を買おうとしたら、な、ない!!
フツーのゴマ豆腐しかないではないか〜〜。
しかもそこのスーパーにしか置いてなかったものなのに・・。
ショック・・。今度店長に直訴しようかしら。

息子は今日、義母に「コイツ」呼ばわりされた。
息子は分かるはずもないが、私はちょっとショック。
いくら口の悪い義母でも「コイツ」はないんじゃないの。
義母の口の悪さが息子に移ったら大変だ。何とかせねば。
(おまけに義母の箸の使い方は最悪)
義母ネタ、ありすぎて一度にはとても書ききれましぇ〜ん。


2001年09月06日(木) 2時間歩く1歳児

今日は天気が悪かったから涼しかった。
秋が大急ぎでこっち来てるなあ・・。しんみり。

天高く馬肥ゆる秋。
ストレスで過食してしまう。いかんなあ。
世間では、ショックでストレスたまるとげっそり痩せるのが一般的だ。
だが、実際はストレスで太ることだってあるのだ。
義母と私がそうなんだから。

ダンナが死んで3日は水以外喉を通らなかった。
みんな、ダンナの棺桶のそばで食事をとったりしていたが、
私には信じられなかった。
ダンナの死に顔を見て大声で泣き叫んだダンナの弟も、カレーを
食べたりしていた。
妊娠8ヶ月の私は当然身体がおかしくなり、夕陽みたいな真っ赤な
尿が出て怖かった。
母が病院に「娘が何も食べないんです」って泣きながら電話してたっけ。
検診に行くと、看護婦、先生、みんな私を哀れみの目で見つめた。
待合室で一人黙って泣き続けたっけ。
その時はさすがに痩せたんだけどねえ・・。
妊娠中だからいきなり痩せちゃいけないんだよねホントは。

話が脱線してしまった・・。
今日もまた息子と2時間散歩。
2時間歩き通す1歳児。恐るべし息子。
しかも道は平坦ではない。登りあり、下りあり。
うーん、人生みたいだ・・。

夜、義母が大好きなテレビ番組を見ていた。
ローカル局の、素人カラオケのど自慢・・。
ど素人のおばちゃん、おじちゃんがど演歌を熱唱する。
見るに、聞くに耐えない・・。
演歌大嫌いなんだもんーーー。

ちなみに義父は野球大好き。巨人好き。
家に帰ってくると私たちが何を見ていようと勝手にチャンネルを
変えて野球を見る。
私、巨人だいっきらい・・見るに、聞くに耐えない。

演歌と巨人ファンの方ごめんなさい。
でも義両親の好むものが私はダメ・・やっぱりここは私には
不適切な環境なんだろうなあ・・。


2001年09月05日(水) 1歳児は疲れ知らず

一時期の鬱々状態からは抜け出たようで、最近は楽。
昼と夜に飲む癖は直ってないが、まあたしなむ程度だし、いっか。

義母も機嫌悪くないし。パチンコ行ってばかりだけど。
私も義母の帰りを待つのはやめてさっさと夕食を食べることにした。
本当は家族一緒に「いただきまーす」って食べたいんだけど。
理想と現実。

しかし・・1歳児っちゅーのはどーしてこうタフなんだろーか。
うちの息子だけがそうかもしれないが・・疲れる・・。

夕方から2時間、暗くなるまでみっちり外で遊んだ。
近所には意外と息子と同級生のお子達がいるんだと分かった。
今日初めて一緒に遊んだ子もそうだった。
もうおむつが外れていた。うー、すごい・・。

息子はその子の車のオモチャに乗ってひたすら我が道を行く。
ひたすら追いかける私。
子供が増えて息子は興奮状態に。
暗くなってみんないなくなってもまだ一人遊んでいた。
オデコ、蚊に食われて真っ赤じゃないの・・。
最後は強制連行した。
家に帰ると夕食をバクバク手づかみで食べた。
そりゃお腹も空くだろーな。

近所のパグ犬。
たらいに水を張ってもらったら、そこにすすっと入って座り、
「良い湯だな〜♪」状態だった。オヤジみたいで可愛かった。
息子は食い入るように見ていた。

息子は犬猫が好きだが、怖さを知らないので触ろうとする。
犬の散歩が多いので、あらゆる犬の後を追いかける。
そのつど「いくつ?」と犬の飼い主に聞かれたりする。
息子を通じて他人と知り合うことが多いかも。
子供ってのはスゴイもんだ。

しかし涼しくなったなあ。蚊が多いから困るなあ。


2001年09月04日(火) 公開二日目

アルコールのせいで眠た〜。
息子を寝かしつけていたらこっちが先に意識失いそうだった。

昨日、日記の初日から全部読み返してみた。
いやあ、日記らしいっちゃあ日記らしいなあ。
日によってテンション違う違う・・。
わりとすすすと読めは出来るけど、まだまだ文章は修行せねば。

公開にするといろんな人が読んでくれるんだと改めて実感。
私のために時間を割いていただいて恐縮っす。
うるうる。

今日も昼と夜とアルコールはやっぱり必要だった。
アルコール飲むと息子にガミガミ怒らなくてすむと気づいた。
おおらかな気持ちになれるのだ。
肉も魚も野菜もご飯も食べない息子にカッとすることもない。
思いっきりおだてて高野豆腐ばかりバクバク食べさせた。
my肝臓よ、しばし頑張ってくれい。

義母に対する不満の波はとりあえず過ぎ去り、さざ波程度になった。
津波となってドドーッと来た日にゃどーすりゃいいのか困って
しまうが。フツーに話もできるし、義母は義母で今は末の息子の
ことで頭が一杯なのだ。
19で子供作っちゃって入籍して、就職したのにその会社を
突然辞めて、現在も無職。
義妹がしょっちゅう義母に泣きついてくる。
サラ金にまで借金しているらしい・・しかしパチンコ代をサラ金から
借りるなんて・・言いたくないが「今時の若者は・・」。

義弟の事で心労が重なったのか、義父は7月に足を大けが、やっと
それが1ヶ月経って治ったら、今度はクレーンで人を挟んでしまった。
幸い相手は死ななかったから良かったものの、不運が重なりすぎだ。

ダンナ、ちゃんとこの家守っているんかいな。
さぼってるんじゃないだろーなあ。
死んで仏になったなら、ちゃんとやるべきことやりなさいよ。
・・ったく。


2001年09月03日(月) 公開記念日?!

公開して初めての日記。ちとドキドキ。
これからはブツブツ独り言というよりは、読んでくれている人が
いるのを前提に書かなくちゃね。
とはいっても私の稚拙な文章・・どこまでできるやら。

とりあえず自分自身のことを少し自己紹介。
去年、結婚して1年たたないうちにダンナが自殺しまして、その後
出産して一児の母&未亡人をやっております。
私の実家は一家離散してまして、今はダンナの実家に身を寄せております。
でも密かにここを出る計画を思案中。

息子は久々に夜更かしをして、今日は午後11時半にやっとおねむ。
こっちが疲れた。もう眠い。
そりゃ午後6時半まで3時間も昼寝すりゃ眠れないわな。
私だったら午前2時くらいまで目がさえて眠れないだろう・・。

今日は雨。
散歩も無し。
アルコールはやめられず。
甘い物が欲しくなる。
夜、アルコールと洋菓子を買いに走った。
内臓が重いっちゅうのに、やめれられない・・はー。

午後、息子が寝たくらいに、大学時代の友人から電話。
7年くらいの不妊の末、やっと3月に出産したので、お祝いを
送ったのだ。
久々だと話も弾む。お互いの出産の話で盛り上がった。
浣腸しただの、痛みで叫んだだの、泣きまくっただの・・。
トイレが怖いだの、おっぱいもまれただの、懐かしくなった。
まだ去年のことなんだなーって思う。すごーく昔のような・・。
しかし痛みは結構リアルに覚えている。分娩台からの眺めとか。
経験してこそ共有できる話題である。
無事生まれて本当に良かった。いつか会えるといいなあ。


2001年09月02日(日) 来客

ダンナの中学時代の同級生がお参りに来てくれた。
3人。うち一人は奥さんと2歳の女の子を連れて。
その子は赤ちゃんの頃、ダンナと遊びに行って抱っこしたことが
あった。あのときは生きていたんだよなあ。ダンナ。

息子は見知らぬ人が来て緊張した面もちでいた。
いつもの笑いもなく、少々無愛想な感じ・・。
でもパトカーのオモチャをプレゼントされて目が釘付けになった。

みんな変わらなかった。
ダンナだけがこの世にいない。
みんな結婚し、子供ができ、家を建てて幸せに暮らしている。
何なんだろーなこの不公平。

来客で気疲れしたのか昼から息子は3時間爆睡。
しかし義父が来客に話していたのを聞いてため息が出た。
「孫は実の子供と違って責任がないから楽だ。気が向いたら
可愛がればいいし、泣いたら母親に押しつければいい。」
まあ、いつも言っていることなのだが。今日は癪に触った。
義父の場合「気が向いたら可愛がる」回数、時間ともほとんど皆無に近い。
義母は義父に比べれば相手をするが、それでも私は不満だ。

息子のケアもだが、私のケアは全く頭にない。
平日、仕事をして大変なのは義両親だ。
その分休日は遊びまくっている。
私は平日も休日もなく息子の相手をしている。
たまには一人でのんびり買い物に行きたいときもある。
休日の数時間くらいは孫をみていてやろうという気はないんだろうか。
ないんだろうな。自分中心の生活だから。
自分中心だから早朝だろうが夜中だろうが大きな音をたてられるんだろう。
夜中に大声で夫婦喧嘩ができるんだろう。

私も自己中心的な母親かもしれない。
でもダンナがいない分頑張っているつもりだ。
アルコールの量が増えてきた。
ダンナが生きていたら・・・どーなってただろうなあ・・。
なんで死ぬかなあ。


2001年09月01日(土) 清水の舞台

朝晩めっきり涼しくなって、風邪を引きそうだ。
私はともかく、息子は掛け布団類・・タオルでさえかけられると
嫌がってはねのけてしまうので困ってしまう。
まだかいまきは暑いだろうし・・うーん。

ブランドの子供服を買った。
清水の舞台からトリャ〜〜っと飛び降りた。
気持ちよかった。ストレスもちょっとは吹き飛んだかな。
こんなんじゃイカンのだが。
でも自分の心が壊れるよりはマシってとこかな。
早く着せたい〜〜秋よ来い〜〜〜。

息子の体調はすっかり元通りだが、私は今日もイマイチだった。
昼寝したら夢見が悪く、起きてもだるくてしんどかった。
それでも息子と1時間散歩した。
近所に家を次々と新築している場所があり、最近の息子の
お気に入り散歩コースになっている。
土地や家を見に、家族連れが続々と来て、住宅メーカーの案内と
共に歩き回っていた。
夫婦と赤ちゃんの3人連れがいた。
ダンナが抱っこ紐で子供を抱っこしていた。
そのダンナに寄り添う妻。
そんな若い家族が家を買おうと見に来た場面を運悪く見てしまい、
心臓が鷲掴みにされたような息苦しさを感じた。

私のダンナは家を買うのが夢だった。
死ぬ数ヶ月前まで真剣に土地を探していた。
しかし会社からも銀行からも借金が出来ないと分かり、かなり
落胆していた。
3人で、新築の一戸建てに住むのが夢だった。
ホントに夢で終わっちゃった。


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