社長の日記(日付をクリック)

2003年10月20日(月) 誕生日

10/17に54歳になった。
子供の頃50歳なんて聞くと「おばあさん」というイメージだったが
自分がそうなってみて・・・・・20歳くらいの頃と感覚がさほど変わらないと思う。
最近はたぶん誰もがそう思ってるだろう。

子供の頃お誕生会をハデにやってもらってた。
友だちを大勢招いていっぱいご馳走を作ってもらって
家はお店をやってて、母は日々忙しく働いてた
なのに暇なお母さんたちと同じように、お店をやりながら
パーティの準備を・・・・半端じゃなくすごいご馳走をしてくれた。

今もし私がそんな立場だったら、とてもそんな準備はできない。
そんな母も82歳車椅子生活のため施設でノンビリ暮らしている
そう、月イチの通院以外は外出することもなく・・・・・
先日16日が通院日だった。通院介助は私の役目。

私が通院介助するにはいったん施設まで迎えに行って
私の近くの病院へ連れてくる・・・ということなので
所要時間が6時間くらいかかる。
実家のお嫁さんが「毎回大変だから、今度は私が代わろうか?」
と言ってくれるが、母の施設が遠いということもあり
そうそうお見舞いにも行けないので、せめて月イチだけでも
と思いあえて引き受けている。

下半身がゼンゼン動かない人の大変さを実感してます。
気分が悪くなった場合運転しながらの世話も大変なのですが
1回目でバッチリ学習しました(^o^)丿
先日は最初から洗面器を母のヒザに乗せて・・・・・
一応酔い止めも飲ませて・・・・母は目も殆ど見えないんです。

帰路お昼を食べて出発するとどうやら気分が悪くなる
今回は途中の「道の駅」で食べることにした。
でも車椅子がないしあってもバリアフリーでもないから
お店には入れない。で、いろいろ買って車の中で食べることに

お寿司やらパンやら・・・・ここは地域の方々手作りのものがいっぱい!
珍しいパンやお弁当、お菓子、お土産品、地酒、はては野菜・産みたて卵まで・・・
見てるだけで楽しい♪

「飲み物は何がいい?」「コーヒー」(^o^)丿
いろいろ買い込んで昼食。
施設へ帰った母がすこぶるゴキゲンなのを見て
通院日が待ち遠しくなるように毎回何か楽しいことを企画しなくては・・・・と思った。



2003年10月13日(月) F1

一昨年の夏の終わりに鈴鹿サーキットの隣のアクティブランドで
ハンドボール観戦中にサーキットからレーシングカーの爆音が・・・
その日の日記
去年は無理だったが今年は手に入った(^o^)丿
招待券なので自由席・・・・でもタダだし・・・・十分ですぅ♪

生まれて初めてのF1これまではな〜んにも興味が無かったF1
イザ出かけるとなると「疲れるだろうなぁ・・・」
「うるさいだろうなぁ・・・・・」「面白いかなぁ・・・・・」
まあいいや、飽きてきたら帰ってこよう!

おりしも同じ日が「津まつり」「極津」の晴れ舞台です
もちろん娘も踊ります。おまけに今年が最後大学四年の娘は
今年のまつりで引退です。「極津」は学生踊り子隊ですから・・・・・
F1は3日通しであります。前2日間は予選です。
で、一日目予選を観て、2日目は「極津」にした。

三日目が問題!双方フィナーレですから・・・・
練りに練ったあげく、朝のまつりの会場に行きビデオにおさめて
その足で電車移動して鈴鹿へ・・・・・
F1決勝を観て急いでつまつりに戻り、バスで
「極津」の居場所へ移動・・・・

[耳栓]
F1初日にあまりの爆音に耐え切れず「耳栓」を買った
飛ぶように売れている。爆音・・・・半端じゃないよ!
予選終了後、耳栓をはずすし「あ〜気持ち良い耳がスッキリ」
ゴミをまとめ不燃物・可燃物仕分けして捨てて、帰路へ
耳栓が・・・・・・ない・・・・・
700円した耳栓が・・・・・(*゜0゜)ハッ!!ゴミと一緒に・・・・・
(-""-;)

次の日一緒に行った鈴鹿の友だちからメールが
「百均で耳栓見つけたったよ、買って行くからね」
ワーイ♪ (★^▽^)V持つべきものはともだち♪

さて、決勝当日「耳栓ちょうだい」「あっ(・o・)」
家へ忘れてきてたのでした・・・・・(〃´o`)=3 フゥ

でもF1はというとメチャクチャ面白かった!
良く野球にゼンゼン興味の無い人でもドームとかへ観にいくと
盛り上がるっていいます。まさにそれです。
予想以上に盛り上がった50もとっくに過ぎたオバサン二人の
F1観戦でした(^_^; アハハ…



2003年10月01日(水) 救急車

交差点で信号を渡ってたら赤信号の方から
信号無視の救急車が割り込んできた(当たり前だけど)
私が止まったら、私の車の前に入り込んだ
ピーポーピーポー

救急車の後を走ることになった。ピッタリくっついてついていった
いくつかの交差点を突っ切り・・・・病院の手前の信号で
目的地が違う私は救急車と分かれることになった
その時(*゜0゜)ハッ!! と気づいた・・・

救急車にピッタリくっついてきた私は・・・
ずっと信号無視して来た訳だ(ーー;)
世間は多分患者の関係者だと思ってることだろう・・・

私はとっさに左折した救急車の後を追い
病院の救急外来の入り口までくっついていった
(;^_^A アセアセ


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