**Secret**..miho
臨床調査個人票
2003年08月31日(日)
8月31日、今日で入院して丸3年が経ちます。そして、明日で退院して丸2年が経つ事になります。時が経つのは早いものだなぁ…。今日この頃になって、改めて自分の病気と向き合い直してみて、当時の自分と現在の自分との変化・成長を再確認してみると、案外、今の自分の症状というものが、一体どういうものなのか、言葉に表してみるのが難しい事に気が付きました。そんな時に、今年10月からの受給者証に関する改正の書類審査において、主治医が自らに記入して下さった私の病状に関する臨床調査個人票の内容を拝見してみて、今更ながらに「へぇ〜、そうなんだぁ。」と、自分の病気について改めて納得する部分がありました。

これを機会に、主治医の目から見た私の現在の病気の様子を、その臨床調査個人票を基に、少しだけ紹介していこうと思います。きっと、下記の内容から、私の病状の詳細が自然と浮かばれてくるはずです。




<平成15年8月6日>

☆発病時在住都道府県
 岡山

☆発病年月
 平成12年3月(満19歳)
※私的には、大学受験の頃から異変に気づいていたのですが、
 検査入院時には、最もひどい症状であった時期を告知しました。

☆初診年月日
 平成12年8月30日

☆生活状況
 やや不自由であるが独力で可能

☆初回認定年月
 平成12年9月

☆受診状況(最近1年)
 主に通院(2回/月)

☆現在の症状 MGFA分類
 眼筋以外の中等度の筋力低下。眼筋筋力低下があってもよく、
 その程度は問わない。
 主に四肢筋、体幹筋、もしくはその両者をおかす。
 それよりも軽い口咽頭筋の障害はあってもよい。

☆現在の重症度(MG-ADLスケール)
 会話・・・間欠的に不明瞭、もしくは鼻声。
 咀嚼・・・固形物で疲労
 嚥下・・・正常
 呼吸・・・体動時の息切れ
 歯磨き・櫛使用の障害・・・なし
 椅子からの立ち上がり障害・・・なし
 複視・・・なし
 眼瞼下垂・・・なし

☆過去1年間のクリーゼ歴
 なし

☆抗アセチルコリン受容体抗体
 平成12年9月・・・陽性760nmol/L

☆治療状況
・胸腺に対して
 胸腺摘除術・・・あり(平成12年10月)
 治療効果・・・改善
 胸腺病理像・・・過形成
 胸腺放射線照射(最近1年以内)・・・なし

・現在の内服治療(最近1年以内)
 抗コリンエステラーゼ薬・・・なし
 副腎皮質ステロイド剤・・・12mg/隔日 治療効果・・・改善
 免疫抑制剤(タクロリムス)・・・3mg/日 治療効果・・・著明改善

☆今後の治療方針
 継続治療を要する




病院の父
2003年08月03日(日)
今日は、あるおじちゃんのお見舞いに、お父さんと二人で病院まで行ってきました。そのおじちゃんは、私と病気はまったく違うけれど、入院中に知り合って仲良くなり、隣同士の病室で約半年間一緒に頑張って闘病をしました。お友達的存在というよりも、まるで病院の父のような存在であり、入院中は何かとお説教をされたり、深夜遅くまで親身になって相談事を聞いてくれたりと、実の父親よりもお父さんらしい存在でした。そんなおじちゃんが、退院後も心不全で何度も倒れて救急車で運ばれるなど、入退院を繰り返しているようなので、夏休みになったという事もあって、改めてお見舞いに行く事にしました。それまでは、一度、再入院をした時に初めてお見舞いに行ったきり、たまぁにメール交換をするくらいの関係だったので、ざっと約1年半ぶりくらいの再会になりました。

私が退院する頃のおじちゃんは、足の神経異常のために杖を使ってでしか歩く事ができなかったけれど、入院当初は車椅子だったという事を考えたら、リハビリの効果がすごくあったと言えます。誰よりも頑固で負けず嫌いなおじちゃんで、最初はとても近寄り難い存在だったけど、本音でお話をするようになってからは、その考え方や人生観に心を打たれ、だんだんおじちゃんと一緒に過ごす時間が楽しく思えてきました。おじちゃんにはとっても仲よしな奥さんがいて、常に二人で支えあって生きているような力強さをいつも感じていました。そのおばちゃんも、私にとっては病院の母のような存在で、入院中は、おばちゃんがおじちゃんの所へ来る夕食の時間がとっても楽しみで、消灯時間までの食後のお散歩が、私の入院生活の生きがいの一つでもありました。

今日お見舞いに行ってみると、2年前と変わらないおばちゃんとおじちゃんの姿を見る事ができました。おじちゃんは、暑さのために上着を脱いでおり、頭と眉とヒゲは白髪交じりになり、歯は病気のために数本か抜かれており、身体は骨がくっきり見えるほど痩せ細っており、鼻からは酸素が注入されており、体中には点滴のチューブが巻き付いていました。今日はそれでも調子がいい方みたいで、体を起こしてお話ができるような状態だったけれど、おばちゃんの詳細なお話を聞いていると、それまでのおじちゃんの苦しい出来事が鮮明に浮かんでくるようで、とってもいたたまれない気持ちになってしまいました。366日間入院をしていて、病院や病人には慣れっ子だったはずなのに、退院して2年間も経ってしまうと、日常生活に慣れてしまい、それが当たり前に感じるようになってしまったようです。こうやって、次第に自分が病人であった記憶が薄れていくんだなぁ。今でも、まだまだ十分に病人なんだけど、普通に日常生活を送っていると、ついつい病気の事が頭から離れてしまうようです。

ざっと一時間ほどお話をしました。中には、二年前の入院中の懐かしい出来事についてのお話も含まれており、当時の思いがそのまんまよみがえってくるようでした。ああぁ…私は今でも当時とちっとも変わっていないじゃないか…そう思ってしまいました。当初ほどではないけれど、今でも「死にたい」という気持ちと葛藤する時があります。でも、当初との違いは、今は日常生活という現実と実際に交わっているから…当初は、行く先がまったく見えない暗闇の中だったから…。今は、将来のためにやるべき事と実際に隣接しているから、いくら「死にたい」と思っても、「いや、今死ぬわけにはいかないんだ。」という気持ちが心の奥から生じてくれるから…。当初はその気持ちがまったく現れず、その代わりに、おじちゃんという存在が、当初の私の抑制になっていました。おじちゃんが、私の生に意味を見出してくれたから、「生きていよう。」と思えるようになったのです。

現実を見据えてちゃんと生きていこうと誓って退院したはずなのに、今だに「死にたい。」だなんて思ってしまう事があるなんて…よくそんな事が平気で思えるのか!!真の生と向き合って闘病をしているおじちゃんの姿を目にしてから、そんな自分が腹立たしくなってきました。誰だって、たとえどんな状態であろうとも、生きていたいという願いを持って生きているはずです。私は、ご飯だって食べられるし、自由に歩き回る事もできるし、おしゃれだって一応は人並みにできるし、ちゃんと一通りの日常生活を送って生きていく事ができます。けれど、私の病気の一番の症状である疲れやすさはひどく、何か一つの出来事を通り過ぎるたびに、痛みは感じないものの、かなりの疲労感に襲われます。そのような状態になると、何かをしたくても、ただ寝転がって休む事しかできず、心の中までふさぎこんでしまいます。それで、まともに日常生活を送れない中途半端な状態にいる自分の立場が憎くて、「死にたい」だなんて思ってしまう自分が、とても愚かで弱くて情けなく思えてきました。本当に生きていきたいと願うのなら、どうしてありのままの自分で堂々と生きていけないのか…ありのままの自分を許容できたはずなのに、今でもまだたまにくじけてしまう時があります。けれど、今日おじちゃんと再会できて、そのおじちゃんの強い意志に基づく生き様から、自分の未熟さを改めて感じ取り、再び生きていくという事の意義を再確認しました。今日は、おじちゃんに会えて本当に良かったです。




m a i l



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