白馬鹿日記

2001年10月31日(水) 白痴の知恵熱

うおお、頭と目がいっぺんに痛い。おまけにクシャミが止まらん。後者は風邪がぶり返しているせいなのだろうが、前者は頭の使いすぎだ。こんなに真面目に物を考えたのは何年ぶりだろう。もしかしたら生まれて初めてかもしれん。要は算数なんだよなあ、算数。ニガテだという事は薄々感じていたのだが、実はニガテどころか白痴に近いという事がわかった。やりたい事をどうしても式にできん。どうすれば良いのだ。いよいよ逃げるか。

気分転換に「流血国家(上下)」トム・クランシー著を読む。クルド族問題は一歩間違うと第2のアフガニスタンになる。しかも国家というものがないので対応の難しさはそれ以上かもしれぬ。まあ、クルドがすぐに何かをするとは言い切れないが、アフガニスタンばかりに気を取られていると他で起きているシグナルを見落とす事になるかも知らんね。



2001年10月30日(火) 二兎を追うものは

いつもの会社からも仕事が回ってきた。例によって他人のバグ取り。面倒に巻き込まれる訳には行かないので(だったら二股かけるなッ!)がんばって働く。そうしたら修正3本が半日で終わってしまった。これはまずい。安っぽすぎる。もうちょっと苦労した雰囲気を出さねばイカン。という訳で今夜遅くに送ることにした。インチキなどと言うなかれ、演出である。

それ以外の時間はマフラーを愛でて過ごす。ええなええな、美しいなあ。叫び出したいくらいだ。そうか、これは消音器だから、こヤツ越しに叫べば声が響かないのでは。何とええ考えじゃ、ワシはやっぱり天才だった、などと思っていたら昨日の友人からメールが来た。

”まさかマフラーを口に当てがって「ぶぉーん」とか言ってんじゃねえだろうな”

くそ、読まれてる。何で分かったんだ?



2001年10月29日(月) マフラー、ええなあ(^o^)v

今週は打ち合わせで外へ出る日が多そうなので、雑用を全部済ませる。朝イチで起きて、と言っても10時だがバイク屋にマフラーを取りに行く。非常に対応が良く気分が良いので名前を出す。サカエ輪業さん、ありがとう!ウチへ帰ってサイレンサーを抱えて踊る。これは嘘。でも気分はそれくらいハッピー、みたいな。くそお、早く付けてえなあ。頬擦りしようと思ったが、カーボン繊維が刺さるからよせ、と友人に止められた。<馬鹿

昼食を取ってコインランドリーへ行き、待っている間に読みかけの本を了読。「平壌25時」高英煥著。高官と言ってよい立場の人の告発がこうなのだから、巷間伝わっている話は本当なんだな、と改めて呆れる。そろそろ誰かが天誅を下しても良いのではないか?

夜は相変わらず仕事。相変わらず訳がわからん。いくつかパターンを作っておいて誤差一覧を出して向こうに選ばせるか。動作する事には責任を持つが、動作内容は知らんもんね。



2001年10月28日(日) さんすうはやっぱりにがてです

うおお頭が痛い。新プロジェクトの計算公式を考えているのだが、実にミミッチイ数字ばかりが並びやがる。誤差をどこまで許容範囲と考えて良いのか全く指示がないので、いまのところ可能な限り細かく考えなくてはならない。 ナノセコンドだのナノミリメートルだのという今まで何の縁もなかった単位でモノを考えていると、はっきり言ってどうでも良くなってくる。ちょっと私が受けるべき仕事ではなかったかも、と思っても後の祭り。やるっきゃねえのだ。

ああ、面倒くせえなあ。

気分転換に「ベトナム戦記」開高健著を再読。アフガニスタンはこれに比べればカタを付けやすい、と言ってよいかもしれん。前線はない、という事に関してはよりワールドワイドになってしまっているが。

とか言ってるくせに来週沖縄に行っちゃうんだなあ、これが。やっぱり俺もノーテンキなんだなあ。あはははは。(-_-;



2001年10月27日(土) 超ハッピ〜、みたいな

ああ、やっちまった。バイクのマフラーをオークションで落としてしまった。今月は金が無いのになあ、どうしようかな困ったこまった。

困ったといいつつ内心は嬉しくて仕方がないのだから馬鹿丸出しである。ガキといっしょだ。しかしまあ、これで新しいプロジェクトをやらざるを得なくなった訳で、仕事に熱がはいるのだから良しとするか。うひょひょひょひょひょ〜ん。(^o^)



2001年10月26日(金) さんすうはにがてです

新しいプログラムの設計を始めた。少々、数学の知識が必要なので、太古の昔に教わった気がする公式やら三角関数やらを思い出そうとあがいている。いやあ、覚えてないモンだねえ、何しろもう四半世紀も前の事だからなあ。そう考えるとあらためて自分のトシを感じざるを得ない。ましてやあの頃は決して品行方正とは言えなかった時期だしなあ。見事にツケが回ってきたと言う訳だ。まあ、今から勉強しなおすというのもオツなモンだ。どこがッ!?

「孤剣」大藪春彦著を読む。ずっと文庫から消えていたのだが、徳間から再販されたので迷わず購入。ううん、乗り物と人の殺し方が違うだけでやってる事は大藪ヒーローそのものである。ワンパターンと言わば言え。面白いモノは面白いのだ。これを快感と言わずしてどうするかってんだ。



2001年10月25日(木) 美味しい仕事はねえかなあ・・・

新しい仕事は結局、受けたというより断われなかった。だいたい、手遅れになったから私みたいなモンに回ってくるんだよね。何しろ正式な納期が11月末で、まだハードは出来ていないというんだから。出来るワケね〜じゃん、と言うのはたやすいが、言ってしまったらもう2度と仕事が来ない。11月末にα版納入、デバッグに2週間、その分も見積りに乗せるという条件で受諾。最悪12月末完納ね、と念を押す。もちろん、そうなっても支払いは同じなので、何とか仕上げねば持ち出しになる。金額的にはいつも通りなので高いとは言えない。こうなるとまた評判を落とすんだよな〜、お前が相場を下げてるって。

「3001年終局への旅」アーサー・C・クラーク著を了読。モノリスは正体不明で良かったのではないだろうか。確かに面白かったのだが、どうも釈然としないような。それにウイルスで、というヤツはインディペンデンス・デイで大失敗しているハズなんだがなあ。原作はどっちが先なんだろう。いずれにせよ、面白いながらもどこか醒めた目で読んでしまった。



2001年10月24日(水) 秋葉原衰退の原因?

時々仕事をくれる計測機器関係の会社から、発注の打診があった。担当者は良く知っている人で、話を聞くとかなり納期が切羽詰っているらしい。金額的には悪くない会社なので受けようとは思っているが、来週末は沖縄なのよねん。明日、打ち合わせなので納期がかぶらなければ、という条件を出してみよう。でも、それって仕事の予定を遊びに合わせろと言ってるようなモンだなあ。「モン」じゃなくて思いっきり言っとるわいこの馬鹿ッ!

新しいビデオが届いた。素早くてまことによろしい。こういう事だから外へ出なくなるんだな。秋葉原は歩いて行ける距離だし、ドンキホーテもバイクですぐのところにあるってのに。しかしネットなら種類の多さは半端じゃないし、値段も十分に安い。何より馬鹿うざい店員にまとわりつかれなくて済むというのは有り難い。

店:何をお探しですか
う:何でもいいだろこの馬鹿、大きなお世話だ
店:ビデオでしたら今こちらが売れてます
う:何が売れてようと知った事か、市場調査に来たんじゃねえ
店:ご予算はどれくらいで
う:安けりゃ安いほどいいに決まってんだろ、タダにしろタダに

これでは喧嘩になる。それでもまだ応対の丁寧なヤツならば我慢もできるのだが、中には「これを買わんやつはアホだ」みたいな事を平気で抜かす馬鹿もいるからね。何度、店に火をつけてやろうと思った事か。最近は少しは良くなっているのかな?



2001年10月23日(火) そろそろ本気で本を何とかせねば

久しぶりに八重洲BCへ。歩いているとちょっとフラつくのは、やっぱりまだ完調ではないのかな。まあ、あまり身体を甘やかすのもよろしくないので、気にしないでおこう。

今日は技術書には目もくれず、文庫売り場へ。予算1万円で売り場を回る。と思ったら半分くらいで回っただけで予算オーバー。困ったモンだ。何とかならんのか。紙質を落としてもいいからもっと安くしてくれ。表紙カバーもいらんから半値にせい。だったら図書館へ行けこの馬鹿ッ!

帰りは八重洲地下街で買い物。例によってピーナツバター等々。そういえばそろそろ蛎の季節だね。寒いのは嫌いだが食べ物が美味しいのは秋ならでは。どちらが良いかと訊かれたら・・・暖かいところで美味しいモンを食べたいぞっ!(^^;



2001年10月22日(月) ペンティアム4・・・

ちょっと仕事の手が空いたので買い物にでも行こうかな、と思ったら雨。まあ、そんなモンだよね。夏の雨なら傘をさしてでも出掛けてしまうが、こう寒いと出る気にならん。ソースの整理をしたり、BIOSのセッティングを直したり本を読んだりで何となく1日が終わってしまった。イカンなあ、これじゃまるでヒッキーぢゃん、などと思うが実際その通りなので仕方がない。寒さのせいだ。

ペンティアム4マシンがどんどん値下がりしている。ペン3/1Gを買って8ヶ月のユーザーとしては非常に微妙な気分である。買い換えるにはちょっと早いが最大クロックで2倍の差は黙って見過ごせるモノではない。おまけにこれからは845チップセットが主流になりそうなので、850が気になる私としては買うなら今しかない。別にベンチマークオタクではないつもりだが、パソコンでもバイクでもパワーは無いよりあったほうがよろしい。どうせオモチャを買うなら、なるべく飽きないモノの方が良いではないか、ねえ?



2001年10月21日(日) ビデオデッキ崩壊その2

風邪はもうほぼ完治。ほぼであって完治でないところが悲しい。やっぱりトシかねえ、こんなに長引くのは。特にどこの具合が悪いというワケではないのだが、夜になると何となくダルい。風邪じゃなかったりして。

ビデオデッキは予定通り?崩壊。(T_T) 故障原因はすぐに判ったし、その部分の修復も簡単だった。具体的には柔らかい金属製パーツの変形による摺動不良で、ちょっとプライヤーで形を直しただけ。で、そヤツを外す時に余計なパーツがポロッと落ちて、それをはめる時に基盤をずらしてしまい、戻す時にアームのかみ合い部分が外れ・・・と連鎖的に崩壊していった。結局、スプリングを止めていたピンが折れてジ・エンド。私が不器用すぎるのか、パーツが軟弱すぎるのか。ヤレヤレ、ってお前が不器用なんぢゃこの馬鹿ッ!

仕方がないのでネットで注文。最近、これが当たり前になってきた。ちょっと危険かもしれんなあ。いや、セキュリティ云々ではなく財政的にね。簡単に物が買え過ぎるぞっ!



2001年10月20日(土) ビデオデッキ崩壊

ビデオデッキが壊れた。テープを入れて動かすと、バリベリボリと音がしてヘッド周りに絡みつく。なぜこういう事になる。あまり原因らしき事に覚えがないのだが、もしかしたら紅茶をこぼしたテープを突っ込んでしまったのがイカンかったのかも知れん。砂糖は入っていないから大丈夫だろうと思ったのに・・・けっこう軟弱な機械である。精密だなどと甘やかすからこういう事になるのだ。誰か生活防水の家庭用ビデオデッキを作ってくれ。

風邪から復調の兆し。1週間も引きっぱなしだった事になる。今ぶり返したら2桁突入だろうから、今夜は早く寝て養生しよう。明日はビデオデッキの分解清掃だな。はたして分解して元に戻るような代物なのだろうか。やった事がないので何とも言えんが、人間、チャレンジ精神は大切にせねばイカン。まあ、たとえ戻らなくてもこのままだったらどうせ使えんのだ、かまうもんか。



2001年10月19日(金) 薬物運転等?

店に出たら若いモンが風邪を引いていた。もう一人のスタッフも引いているという。釣り仲間のお弁当屋のニイチャンも引きっぱなし、馴染みのお客さんも風邪で釣りに行く気がせん、と言っている。なあんだ、みんな引いてるんだ。OKOK。みんなで引けば恐くない。

って別に恐くはないんだよね、ツライだけで。

ノドが痛いので、薬屋に行って「いちばん強力な咳止めをくれ」と言って売ってもらった薬と、続けて飲んでる風邪薬と頭痛薬をいっぺんに飲んだらフラフラになった。ポケた頭で馬鹿すぎる、と思った時にはもう遅い。ノドと鼻がカラカラに乾き、立ってるだけでフラフラする。強力な眠気と覚醒感、それに若干のラリリ感を覚えつつバイクで帰ってきたのだが、どう考えてもいつもより早かった。パンダ色で赤灯付きの車をブチ抜いたような気もするのだが定かではない。てゆうか途中経過をあんまり覚えていないのよね。事故らないで良かったよかった。ちっとも良くないこの馬鹿ッ!

まあ、40にもなってこういう事をしてはイカン、というお話でした。反省。



2001年10月18日(木) 落合叩き、って聞いたけど・・・

今日は寒かったなあ。まだ10月だってのに何でこんなに寒くなるんだ。外へ出たら凍え死んでしまいそうなので、ほとんど1日中仕事。修正1本+新規のコンバート馬鹿プロ1本。やっぱり他人のPGの修正は面倒くさい。おまけに余計なバグ見つけて仕事が増えたし。黙って放っておいて向こうが気付いてから仕事として直す、という事をすればよいのだが、どうもそういう事が出来ない。ある種の貧乏性かもね。損な性格である。

遅ればせながら「ザ ラストウォー」落合信彦著を読む。日本の政治家の対応のくだりは読んでいて腹が立つほど。これじゃ救いがないッスよと言いたいがそれが現実なので仕方がない。日本に未来はあるのだろうか、と本気で考えたくなる1冊だった。

その落合さんが叩かれているとか聞いて色々と調べてみた。何だか変なアゲアシ取りみたいな本があったがあれの事だろうか。ナメられたもんですな、落合さんも。まあ、気にする人はそんなにおらんでしょうし、少なくともあれを読んだという理由で彼の見識を疑う人はおるまいね。



2001年10月17日(水) 深すぎる「JSA」

少し味が分かるようになってきた。という訳で(もないが)昨日のポトフの残りを昼飯に食った。わあ、まずい。何だこれは。ヤケに安っぽい味がするし、ミョーな香りも着いている。調べてみた結果、出来合いのロールキャベツが原因と判明。魚肉ソーセージをキャベツで包んだような代物であった。ううむ、風邪のダルさに負けて手を抜いたのがイカンかったのだ。反省。しかしもう1食分くらいあるのよね。どうしよう。激辛化してごまかすしかあるまい。

遅ればせながら[JSA]朴商延著を読んだ。何となく、韓国の北に対する考え方が見えたような気がする。ヒットしている、という事は比較的スタンダードな考え方と思って良いのだろう。いや、その逆という事もありえるのかも。非常に根深くも難しい問題なので、安易に納得してはイカンかもね。日韓関係も実はそういう部分があるのだろう。私の世代ではもう(無責任な言い方だが)日帝云々は過去の話であって、実態を知るすべは(多分、意図的に)閉ざされてしまっている、と言ってよい。しかし韓国では韓国から見た日帝感が綿々と伝わっているのであろうし、そうなると接点が無くなってしまっている訳だ。これでは対話も反省も主張も自己批判もしようがない。このままでは永久に解決できなくなってしまうぞ。ユダヤ人に対するドイツの対応を見習うべきだと思うが如何に?



2001年10月16日(火) 風邪が治らん

まだちょっと風邪っぽい。何だろうね、いったい。こんなに治らんモンかねえ。幸い、急ぎの仕事は全部片付けた後なので、今日はゆっくりさせて頂く。11時頃までゴロゴロして、ヨーグルトとオレンジジュースの昼食を摂る。宮古で着ていたTシャツやら何やらをまとめてコインランドリーへ行き、待っている間にバイクの掃除。チェーンオイルが切れそうだ。チェーン換えたいなあ、そろそろ。
その後、ODBCのマニュアルを探しに八重洲BCへ。¥8,000円也。相変わらず高いのう、仕方がないが。帰りにスーパーで買い物、あまり食欲がないせいか野菜ばかりになってしまった。それとも身体が求めているのかな?

料理するのが面倒くさいのでポトフにした。大ざっぱに切って白ワインとコンソメで煮るだけ。その間にODBCのテスト。へえ〜こんなに簡単に繋がるんだねえ、凄いすごい。今度からはこれで行こう。

メシを食って驚いた。味が全然わからん。けっこう来てるのかな、風邪。



2001年10月15日(月) バイオテロ

いやぁ風邪ぢゃ風邪ぢゃ、ノドがもう痛いの何の。まいったなあと思いつつも仕事の手を休める訳にはイカンのよね。もっとも仕事をする上で喋る必要はないし、寝転んだままでも何とかなるのでその点では恵まれている。クライアントもまさかパジャマで寝転んだまま書いたプログラムを使っているとは思うまい。わはははは。げほごほごほ。ああ、じじくさ。

TVのチャンネルを変えていたら佐々淳行さんの顔が見えたので手を止めた。TVタックルという番組。テーマは良かったのだが人選がどうも、ね。あれでは何を視聴者に見せたかったのか全くわからんと思うのだが。危機管理は大事なテーマなので、もうちょっとマトモな番組にして欲しいね。

とうとうバイオテロが始まった。日本もウカウカしていられないぞ。地下鉄のラッシュアワー、長いトンネル、高層ビル、繁華街の人ごみetc・・・標的には事欠かない、というか非常に狙いやすい状況がいくらでもあるからね。ンな大げさな、と思う御仁はWTCのビデオをもう一度見るべし。あの事件以降、「まさか」という言葉は意味を失ったのですヨ。



2001年10月14日(日) また風邪引いたし

夕方前にやっと仕事が一段落、ちょっと休んで買い物にでようと思ったらそのまま寝てしまい、目が覚めたら夜10時。しかもバリバリに風邪引いてるし。やっぱり寒いのは嫌いだ。まだ10月半ばだと言うのに、もう冬用布団と毛布をかけないと寝られない。真冬になったらどうなるのだろう。考えるだけで悪寒がする。あ、これは風邪のせいか。

しかしよく風邪引くなあ。トシかねえ。日記で確認すると考えられないくらい頻繁に引いているな。こういう時に日記は便利だが、何だか自分の情けなさまで記録しているようでそう考えると鬱陶しい気もする。現実逃避に自分でツッコミを入れているようなモンだ。それで「頑張るぞ」となれば大したものだが、そう上手くはイカンのよね、やっぱり。

面倒くさいので晩飯を抜こうかとも思ったが、昨日のハマチがあるのを思い出して考え直す。手の込んだものを作る気力はないのでチラシ寿司。酢飯を作ってハマチとその辺にある半端ものを刻んでぶちまけるだけである。見た目では生ゴミと区別がつかない状態となったが、脂ののったハマチはやはり美味しいね。



2001年10月13日(土) 忙しすぎて何もなし

ちょっとノドが痛む。風邪の前兆かタバコの吸い過ぎかはわからない。帰ってくるなり回ってきた仕事に何とかメドがつきそうなので、今日は少し外へでよう。天気もいいしバイク屋でも行ってこようかな。走ってりゃタバコも吸わないしね。でも行くとまた余計な金を使ってしまいそうだ。

釣り仲間が遊びに来た。「爆釣だったのでオミヤゲ」と3キロ弱のハマチを置いていった。くそ、いいないいな、俺も行こうかな、でもそんな時間ないんだな。相模湾のカツオ・キメジも絶好調に戻ったらしいし、今行かないでいつ行くのだ、という状態である。こういう時に限って忙しいのは何でなの?仕方が無いので刺身を食って我慢する。皮を引いたら包丁にぶ厚く脂がこびりついた。くそお、釣りに行きてえなあ。



2001年10月12日(金) 苦行inリゾート

トレバリーの釣り場開拓をしている旅行会社から調査協力の打診があった。と言ってもまだ下調べもしていないらしい。場所はインド洋のとある島国、有名と言ってよいリゾート地である。だんだん釣り場が遠くなるなあ。

とりあえずネットで情報収集、あとは現地のお人よし(失礼!)を探してメールで問い合わせるしかない。今のところ、魚はいるがンな釣りをするヤツはいない、という程度しか分かっていない。リゾートに来て馬鹿の様に竿を振り倒す物好きはいない、そういう根が忙しいヤツはそもそもリゾートなんぞに来ない、という事らしい。リゾートとしてもそんな奴隷船の漕ぎ手のような釣りを客にさせたくない、というスタンスらしい。まあ、そりゃそうかもね。そもGTの釣魚としての価値って日本で異常に高いだけで、豪華クルーザーでのんびり釣りを楽しんだり記録を狙ってマーリンを追いかける人たちにとってはワン・オブ・外道でしかないワケだし。馬鹿重いルアーをヒーヒー言いながら投げまくる様な苦行は休暇にすべき事ではないのだね、西欧人にとっては。

とはいえ自分で投げないと「釣った」気分になれない、という感覚は私にもある。「釣れた」と「釣った」は違うのだ。達成感の違いとでも言いますかね。ワシは楽しみに来たのであって苦しみに来たのではない、というのはアリだし、ハードルは高く道は狭いほうが越えた時の喜びが大きいのぢゃ、というのももちろんアリである。要は個人差なのだから両方認めろ、というのがナカナカどうして通じないんですな、これが。特にヨーロッパ系リゾートではこの傾向が強い様に思えるし。これも歴史を重んずる姿勢なのでしょうかねえ。

「やっかましい、釣らせろ」ってフランス語で何て言うんだ?



2001年10月11日(木) 寒い

寒い、寒いぞ、何て東京は寒いんだ。温度計を見ると22℃となっている。沖縄帰りの身体にはけっこうこたえる気温である。何となく風邪引いたっぽいし。昨日の夜からさっそく仕事をしたのが悪かったのだろう。しかも他人が作ったプログラムの修正という、一番嫌いなヤツだ。病気は気から、というが最も気力を萎えさせる仕事をしたのだから、病気になるのが当然だな。静養のためにどこか暖かいところへ2〜30年行きたい気分だ。

宮古のガイドからTELがあった。今日から宮古入りした友人のU氏がボウズを食ったそうだ。しかも海が荒れて明日以降の出船は無理だとか。さすがは嵐を呼ぶイラストレーターである。わはははは、いい気味ぢゃ。

こう書くと私が人の不幸を喜ぶ冷たい人間に思えるかもしれない。しかし、それは違います。立場が逆なら罵声を浴びるのは私のほう、それも竿を納めれば綺麗に忘れます。ある意味、釣り仲間というのは非常に強い信頼感で結ばれているのかもしれませんな。



2001年10月10日(水) 宮古島玉砕

宮古島、初日。波が高いので岸釣りに予定を変更。メッキポイントをいくつか回る。ミノーで小さなミーバイ、ポッパーで25cmくらいのメッキをキャッチ。他のメンバーも同じような釣果。う〜ん、ちょっとシブイね。

2日目、ボートでGT狙い。アタック3回、ノーヒット。昨日とはうって変わって波が無い。無さ過ぎが敗因かも。天気も良く気分は良いのだが・・・

3日目、同じくボートで出撃。ノーバイト&ノーヒット。何も反応なし。こんなにひどいのは久しぶり。天気はいいんだけどねえ・・・

4日目、パヤオへ。2キロくらいのキハダとカツオ、80cmくらいのシイラを各数尾。反応は悪くないけど魚が小さい。憂さ晴らし、ってとこですか。

という訳で本命のGT(ジャイアント・トレバリー)は見事に玉砕。アタックも無い、というのはやはりツライ。くっそ〜、年明けはまた海外か?



2001年10月06日(土) いってきま〜す

いよいよ明日出発。考えてみたら竿の用意をしていないし、荷物も釣り道具とTシャツしか入れてない。わあ大変だ。恐れていた通りのドタバタが始まる。街中用の着替え、常備薬、荷物用のキャスター。キャスターに荷を固定するゴムバンドが無い。部屋中を引っかき回して捜す。部屋がぐじゃぐじゃだ。空き巣でも入ったような有り様。帰ってからが悲惨だが、そんな事は言っていられない。ウエストバックにチケットと本、財布の中身をチェック。相変わらず少ないが、まあ足りるだろう。後は何だっけ、何か忘れてる気がするのだが。いつもそうだ。駅へ向かう途中で思い出したりする。まあ、仕方が無い。最悪、金と釣具があれば何とかなる。何ともめちゃくちゃな話だが、釣り師の旅はそんなモンである。俺だけか?

まあいいや。とにかく、4日間の天国が始まる。



2001年10月05日(金) もうカンベンしてっ!

明後日から4日いないってのにまだ仕事が来る。担当、忘れてるんじゃないのかな、釣りに行くっていうの。今日はゆっくり準備をしようと思っていたのになあ。このままだと2晩徹夜で出発になりそうだ。辛すぎる・・・

おまけに、という訳ではないが、台風まで出てきやがった。これが西に進んだら、また雨男にされてしまう。ただ、私が帰る翌日から元祖雨男・嵐を呼ぶイラストレーターのU氏が宮古入りだという話があるので、そっちが原因かもしれぬ。そうか、ヤツのせいだなきっと。いやそうに違いない。なにしろ向こうは農林水産省公認、プロのの雨男だ。これは嘘。文句のメールを書いてやろう。ついでにウイルスの2〜3匹?もつけてやろう・・・なんてヒマがあったら仕事せいこの馬鹿ッ!



2001年10月04日(木) 重すぎるっ!

まだ仕事が残っているが、落ち着かないので遠征の準備をする。リール、ルアー、もろもろの小道具、カメラ。体重計に乗せてみるとすでに15キロを超えている。着替えはTシャツ3枚しか入れてないし、カッパもまだ入っていない。替えのパンツすら入ってないのにもうこの重さ!いやだなあ、また20キロコースか。今回はかなり減らしたつもりでいたんだけどなあ。

時節柄、空港のチェックが厳しいという事で、あまり変なものを持ち歩きたくはない。まあ国内だし、ご禁制の品には縁がない(はずだ)。ましてや凶器を持ち込んで飛行機ごと頂こうなどという魂胆は毛頭ない。しかし、X線を通さない鉛のルアーを大量に入れたカバンと、黒く太長い筒、しかもBAZUKAと刻まれたヤツを抱えて空港を歩くのは、何も無くてもけっこうスリリングだろう。空港警備の皆様、悪気は無いので勘弁してねっ。



2001年10月03日(水) 再び狂牛病のばかたれっ!

狂牛病がけっこうな騒ぎを引き起こしている。結局、日本では発生する可能性が低いとか何とか言って、何の対策もしていなかったらしい。一応、検査はする、でも見つかったらどうするかを全く考えていないというのは、まあいかにも日本のお役所仕事って感じですな。根拠はないけど一番うまく事が運んだ時のことしか考えてない、という事だろう。大臣やら役所のお偉方やらというのはアホの群れか?

しかしまあ、そんなに人材の乏しい業界?なのかねえ、役所と言うのは。民間だったらまず処分モノでしょう。もういっそのこと、全部民間に任せてしまうというのはどうだろう。間違いなく良くなるぞ。良くなるほうに100万円賭けても良い。誰か反対に賭ける人はいません?

一所懸命やってます、なんて言わんでくれよ、お偉方諸君。「努力は馬鹿の埋め合わせにはならない、馬鹿の努力ほどはた迷惑なものはない」という言葉を知るべし。



2001年10月02日(火) あと4日

昼は暑いのに夜は寒い、これでは風邪を引かないほうが不思議である。馬鹿は風邪引かない、という伝説は本当であった、のか。でも遠征前に風邪引いたらシャレにならんけんね。わあい、馬鹿で良かったっ。(爆)

仕事が終わりそうで終わらない。このままでは準備ができん。また出発前夜にあわててやるの、いやだな。絶対忘れ物するからな。前は帽子を忘れたし、その前は島ゾーリを入れてなかったし。まあ、釣り道具とチケットだけあれば何とかなるんだけどね。

浮かれてるのか悩んでるのか良くわからん状態である。分裂症になりそうだ。仕事しよっ、と。



2001年10月01日(月) 生きてるフリ

冷たい雨が降っている。もう10月だもんな。夏の名残を見せろというのは無理な注文だ。あとはもう、春になるまで死んだフリをしているしかない。

死んだフリをしながら仕事するフリもしなければならない。死んでる割には忙しいね。ピンポ〜ン。誰か来た。ついでにいないフリもしようかと思ったが、これ以上何かのフリをすると自分を見失って元に戻れなくなるかもしれない。もっとも、どうしても元に戻らねばならない程の人格かどうかはわからない。もしかしたら戻らないほうがいいヤツだったりするかも知れない。どうなんだ。誰か教えてくれ。

「どなた?」「宅急便です」「結構です」と言おうと思ったが開けてしまった。仕事だったらどうしよう。わあ、書類だ。怖るおそるラベルを見る。東京一ツアーセンター。をを、今週末の旅行のチケットではないか。突然生き返り、幸福の絶頂に駆け昇る。これでもう寒さも仕事も苦にならん、と言いたいところだがやっぱりイヤぢゃ。辛くないフリをして1週間が過ぎるのを待つしかないな。


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