猫をかぶった仔猫の日々

2007年02月26日(月) 病状が悪化。

先日から体調が急に悪くなり涙がとまらなくなりました。
子供のようにエンエン泣いてしまうのです。
我慢できなくなり、ママに『ママ、恐いよ』って抱きついてしまいました。
ママは私をギュッと抱きしめてくれました。
抱きしめてくれたのは初めてでした。
今、私はかなりの睡眠障害になってしまいました。
ママも寝るのが遅いのだけれど、寝る前に必ず私の部屋を見に来てくれます。
私の病院は予約制なのですが、急遽次の日に病院に行きました。
診察室に入って私はまたエンエン泣いてしまいました。
今まではルボックス、アモキサン、コントミン、ソラナックス、デパス、レキソタン、あと頓服でヒルナミンを飲んでいました。
でも、大量服薬したせいでレキソタンしか薬を出してもらえなくなってしまいました。
あまりにも乱れていたので、ルボックスを渋々出してくれました。
でも、先生は厳しかった。
『あなたは働かないと病気は治りません』と言われました。
そして『順番から考えたら親のほうが先に亡くなるのよ、そうしたらあなたはどうするの』とまで言われてしまいました。
先生から『1日一回は外に出ること』と言われたのですが、あまりにも体調が悪く外に出るのが恐くてたまりません。
出かけるとしたらママと一緒じゃないと外には出れません。
先生はデイケアか作業療法に行かないかと言いました。
でも、私は怖くて拒否してしまいました。
実を言うと外にも出れず、お風呂に入ることさえ出来なくなっています。
そして拒食症になってしまいました。
固形物が口に入らないのです。
ママがおかゆを作ってくれるのですが、食べれて1日一回。
それもニ三口。
4日間で6キロも痩せてしまいました。
元々太っているので6キロ痩せても支障はないのですが。
でも、ママは心配して『ヨーグルトだけでも良いから食べて』と口に運んでくれます。
正直、入院も考えています。
でも、先生は『もうちょっと様子を見ましょう』と言って許可を出してくれませんでした。
頓服をくださいと言っても『あげません』と言われてしまいました。
完全な引きこもりです。
ママはなんとか外に出るように声をかけてくれます。
でも、恐くて出れないのです。
そして私が部屋で夜中泣いているとママは起きてきて『どうしたの?不安になちゃったの?』って起きてきてくれます。
結局ママに迷惑をかけてしまっています。
こんなに不安定になったのは久しぶりです。
私はどうなってしまうのでしょう?
恐くて不安でたまりません。
木曜、病院なのですがママが用事があるので1人で行かないと行けません。
とても恐いです。
はっきり言って甘えすぎですね。
情けないです。
人目が恐い、サングラスと帽子をかぶって行く事になるでしょう。
診察も恐い。
また迷惑かけちゃうのかもしれないけど入院したい。
先生とちゃんと話してきたいと思います。
ちゃんと行けるかが心配です。
でも、第一歩踏み出したいと思います。
自立できるようにできるだけ早く頑張ります。



2007年02月25日(日) ママからの手紙。

ママにありがとうと言いたい。
でも、口に出すのは勇気がいる。
なので、先日書いた『ママの愛情』の日記をプリントアウトして読んでもらいました。
そうしたらママからお返事が来ました。
その内容をお書きしたいと思います。

桂子へ
読ませてもらいました。
母親としては当たり前の事、子供のことを少しでも良くなってもらいたいと思わない親はいないと思います。
私は口が悪いので『もっとやさしい言葉で話さなきゃ』といつも思うのですが感情が出てしまって反省しています。
桂子は繊細なので深く考えすぎ、他人に気を使いすぎることが多いので、余計に苦しくなって悩んでしまうんだと思う。
なかなか病院(医者でも治すことが難しい)でも、簡単にいかない。
お母さんは何もしてやれないので、少しでも良くなる様、いつも心の中で祈っていますので『死にたい』などと思わないで・・・
これから薄紙がはがれる様に少しずつ良くなりますから、希望を持って気持ちを楽にして過ごし、笑顔を見せてください。
(かわいいまーくんもいるのでね、先日まーくんとじゃれている姿良かったです)
ママより。

こんなに思ってくれているとは思わなかった。
嬉しかった。
ママの子に生まれてとても幸せだと思いました。
でも、ママの優しさに何も恩返しできないことが、とても悔しくてたまりません。
ごめんね、ママ。
そしてありがとう。



2007年02月24日(土) パパ。

ママとはうっと変わって、パパはどうしようもない人です。
自分を産んでくれた(産んだのはママだけど)人にそういうことを言うのはなんなんだけど、パパの発言を聞いてムカッとくる事がいっぱいあります。
先日の日記にも書いたのですが、パパは働いているのに収入をうちには入れていません。
ほとんど飲み代です。
そして、ママが腰が痛くなって寝そべっていたらこんな事を言ったんです。
『ママが働けなくなったら、うちは終わりだ』って。
なんですか?その発現。
私も働いていないので大きなことは言えないのですが、ママが働けなくなったら自分がなんとかしようと思わないのでしょうか?
パパは戦災孤児です。
だから家庭というものがわかりません。
大阪から横浜に逃げてきて、靴磨きから始めて一人で生きて来ました。
その苦労は私には理解できないことなのかもしれません。
でも、ママとよく話すのですが、だからこそ結婚したら家族を大事にしようと思わないのかと。
パパは言います。
『俺は家庭がわからないから、しょうがないんだよ』って。
愛情に飢えて育ってしまったのでしょうがないのかもしれませんがそんな発言、子供の前でしてほしくないです。
今日もパパはベロンベロンに酔っぱらって帰ってきました。
そして『俺はもう死ぬ』って言ったんです。
意味はわかりません。
でも死にたい願望のある娘に向かって言う言葉なのでしょうか?
酔っぱらった時は暴言をはきます。
『死ね』と言われた事もあります。
『お前なんか子供じゃない、もう縁を切る』など・・・
でも、本人は酔っぱらっているので次の日になると何も覚えてないんです。
約束したことも覚えてなくて、困ったことも沢山あります。
そんなパパに育てられた私はAC(アダルトチルドレン)です。
ACとは
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/acwhat.htm
これをみていただけると詳しくわかると思います。
私はパパは苦手です。
怒ったと思ったらおべっかを言ってきたり。
理解できません。
本当にパパが言ったようにママがどうにかなってしまってパパと2人になってしまったら私はどうしたら良いかわかりません。
とにかく自分の思い通りにならないと気がすまない人なんです。
ママのことは尊敬しています。
でも、パパにはそういう気にはなれないのです。
大げさに言うと軽蔑しています。
この先どうなるかわからないけど、もうちょっと父親だと言う自覚を持ってほしいと思います。
ママ、苦労したね。
ごめんね、力になれなくて。
これからは私も努力するから、見ていてね。



2007年02月20日(火) 甥っ子とはじゃぐ。

私には兄と姉がいて、兄の家には甥と姪がいます。
でも、残念なことに昨年離婚してしまいました。
甥は小学校一年生、学童保育で5時まで学校にいます。
姪は中学二年生、生意気盛りだけど友達のように接しています。
離婚をし、義理の姉が働いているので、週に一回だけ学童保育が終わった後、甥をあずかっています。
ママは甥っ子にメロメロです。
甥っ子は里芋の入ったトン汁が大好きです。
だから、あずかる日は絶対トン汁。
そして、まーくん(甥っ子)の好きな、とぴっこ、鶏肉などまーくんメニューになります。
まーくんは自分が興味のないものは一切食べません。
だから、ママはまーくんが来る時は特別メニューです。
食事が終わったら、まーくんが『トランプやろう』って言ってきたので面倒だった私は『何やるの?』って聞いたら『スピード』って言ったので即却下。
そしたら『ジェンカしよう』って言ってきたのでしょうがなくやることになりました。
が、はまってしまった。
皆さん、ジェンカって知ってますか?
積み木みたいのを積み上げてって、崩さず取っていくゲームです。
それが、まーくんがうまくて負けてしまいました。
で、その箱の中にたまたまお手玉が入っていて、ふざけて投げ合っていたら二人とも本気モード。
まーくんは投げるふりして私を驚かし『あ〜びびってんの』ってからかってくるので、私もむきになってはしゃいでしまいました。
それからくすぐりあいとかして、ゲラゲラ笑ってました。
退院してから、こんなにもはしゃいだと言うか、笑ったのは初めてでした。
子供って、元気をくれるんですね。
まーくんに感謝。
今はちっちゃいから一緒に遊んでくれているけど、何時まで遊んでくれるのでしょうか?
それを考えると、ちょっと寂しいです。
でも、遊んでくれるうちはいっぱい楽しみたいと思いました。
そんなまーくんも生意気なことを1つポロリと言いました。
先日、家のテレビを買い換えました。
居間のテレビももう古くて、私の部屋のテレビも時々映らなくなり叩かないとダメな状態だったので、2つ買い換えました。(ママに買ってもらったのですが・・・またまた感謝です)
この際だから地デジのテレビを買う事にしました。
丁度、お店で在庫処分で安く売っていたので、それを買いました。
テレビチャンネルも増えて満足。
でも、色々な機能がついていて、まだ使い方がいまいちわかっていません。
でも、まーくんが来た時、ちょっと覚えた機能を披露しました。
そしたら『わーすごい』って言ったのですが、その後『でもさ〜今は最新でもそのうち古くなっちゃうんだよね』って。
ぷっ。って思わず笑っちゃいました。
まーくんがそんな大人のような事を言うなんて・・・
でも、今の子はませているんでしょうね。
きっと、まーくんだけではないと思います。
これからの成長が楽しみです。



2007年02月18日(日) ママの愛情。

肺炎になって、退院してから微熱が止まりません。
それほどでもないのですが、先日38度近く出てしまいました。
ママに言ったらアイスノンを持ってきてくれました。
私は入院して以来、不安と気分が向上しないのと死にたいと言う願望が消えません。
いっそ死んでしまったほうが両親も良かったんじゃないかな?と思ってしまっているほどです。
ママは68歳でヘルパーの仕事をしています。
忙しい中、私が入院していた時も毎日来てくれました。
わがまま言い放題の私に何も言わず看病をしてくれました。
そんなママはとても辛かったと思います。
でも、何も責めないんです。
薬こそ管理されたものの、私の為に色々なことをしてくれます。
私の家は貧乏ではありませんが、けして余裕があるとは言えないと思います。
パパも働いていますが、収入は家に入れていません。
だからママの収入と年金でやりくりをしています。
毎年入院する私。
私が入院する病院はけして安くはありません。
でも、私が良くなればと思いママは文句1つも言わないでいつも笑っていてくれます。
時には厳しいことも言われますが、それは私の為を思って言ってくれていることです。
ママは寝る間も惜しんで働き、家庭を支えてくれています。
そんなママを私は尊敬します。
こんな強い人間はいないのではないかと。
今も腰が痛くてしょうがないのに一生懸命働いてくれています。
私が働いていなくても何も言いません。
私は病気になる前、バリバリ働いていました。
時には月35万くらいお給料をもらっていました。
その時、結婚していたのですが私は両立することが出来ず仕事が本業になり夫婦仲はだんだん離れていきました。
病気は自覚していたのですが、病院にも行かずに自分なりに頑張っていました。
でも、義父が亡くなってそのショックから耐えられなくなり初めて病院に行きました。
仕事のこと、家庭のこと、義父の死、色々原因がありました。
問診表を書いて先生に見せた時、先生から『仔猫さん、これだけ原因があったら病気にならない方が病気ですよ』と言われました。
その時の病名はうつ病でした。
でも、6年がたっても一向に良くならずに悪くなる一方です。
自殺未遂も6回以上はしています。
リストカットも散々してきました。
そのたびママは私のカッターを取り上げました。
その時のママは自分の娘がこんなになるなんてとても悲しかったと思います。
私はプライドがあるというか、どうしても営業事務か一般事務をしたいのですが、ママはスーパーやコンビニでも良いじゃないと私の体調を考えて言ってくれます。
私はママになにも恩返しが出来ていません。
そんな私なのにママは熱を出している私を心配してアイスノンが溶けた時に水枕を作って取替えに来てくれました。
私は寝ぼけながら『今何時?』って聞いたら『4時だよ』って言いました。
ママは朝の4時に水枕を作ってくれたんです。
自分は寝る間も惜しんで。
そんなママを私は誇りに思っています。
そしてママをもう裏切れないと。
これから何があるかわかりません。
また私は同じことを繰り返すかも知れません。
でも、ママを哀しませたくないと今は思っています。
ママが私を愛してくれているように私もママを愛しています。
どうしたら恩返しが出来るのでしょう。
元気に笑っているだけでママは喜んでくれるのだろうと思います。
こうして日記を書いていても涙が止まりません。
ママの愛情を無駄にしたくはありません。
だから私はママの前では笑顔でいようと思います。
そしてママが辛い時は私がママに何かしてあげたいと思います。
それが私の今の気持ちです。



2007年02月02日(金) クリニックへ行って。

今日は元々通っているクリニックにママと行きました。
ママと行ったのは、歩けないのもあるのですが、先生に怒られるのが恐くてついてきてもらいました。
病院に着いたら、丁度先生が受付にいて、入院していた病院の先生とやり取りをやっていたということを聞きました。
そして診察をしました。
先生には・・・怒られました。
薬を渡すということは『信頼関係』だと言われました。
もし、今度やったらどこか見てくれる病院に移ってもらうしかないと言われました。
かなり恐かったです。
でも、そのあと先生が『生きていて良かった』と言ってくれました。
今回、私は親友に裏切られたことでODをしました。
先生も距離をおいたほうがいいと言いました。
そして、せっかく薬が減ったのだからこのままで行こうと言うことになってしまいました。
今までかなり薬を飲んでいたのに、処方された薬は眠剤を入れて3種類。
私は無理だと泣きました。
でも、先生に『あなたは薬に頼らなくてもやっていける』と言われました。
そして、このままだと親友のようになってしまうと言われたので、先生を信じて条件をのみました。
ただ、頓服をもらうのを忘れたのでそれだけが後悔です。
先生はとても記憶力が良くて入院していた頃のことを話してくれました。
『あなたが入院していた時、いろいろな人が頼って集まってきていたじゃない』って。
そんなことないと私は言いました。
でも、それは本当だったのかもしれません。
そこで良い友達ともいっぱい知り合えたからです。
今、信頼して話せるのは真美と言う入院の時知り合った友人です。
私は、ODをしたときとっさに二人の人に助けの電話をしました。
その1人が真美です。
真美は『お水を飲んで吐いて』と言いましたが、時間がたってしまっていたのでそれは出来ませんでした。
でも、うちに電話してくれたり、毎日『真美ポン日記』と言って毎日メールを送ってくれました。
『仔猫はどんな景色を見ていますか?』とか『仔猫の笑顔は最高だよ』とか。
帰ってきてそれを見て涙が出ました。
親友との間にも入ってくれました。
でも、親友はガスボンベを吸っていて(鍋とかに使うイワタニとかのガスを歯の間に挟んでシューって吸っているんです)最初はまともに話せなかったそうです。
で、しばらくして冷静に話せた時、親友と私の言っていることがあまりにも違い、ガスを止めないと親友とは冷静に話せないと言っていました。
まず、親友は去年、友人が自殺をしてしまったのですが、私は毎年恒例のクリスマスカードを友達に送りました。
もちろん親友にも送りました。
そして、親友の家でクリスマスをやったのですが(ここが矛盾しているのですが)クリスマスカードをとても喜んでくれて飾っておくと言ってくれました。
しかし、真美には『私が喪中なの知っていてこんなの送ってきてびりびりに破いてやった』と言ったそうです。
そして統合のことですが、旦那さんが私に『隠れ統合だ』と言った時、後ろで『そうだよ、統合なんだよ』と叫んでいたのに、真美には言ってないと言って、横で聞いていたのかと言ったそうです。
そして、私は言っていないのに『仔猫は真美の悪口散々言っていたよ』と言ったそうです。
信じていたのに、退院してからもショックが絶えませんでした。
そして真美と、もう親友とは連絡を取らないほうがいいという決断になりました。
今日も真美と電話で話したのですが、先日話した時より元気になったと喜んでくれました。
真美には本当に感謝しています。
こんな友達はなかなかいないと思います。
これからも大切にしていきたいと心から思いました。

病院の話しに戻りますが、カウンセリングの先生とも今日は長く話しました。
先生も距離をおいたほうがいいと言っていました。
そして、話の食い違いが多く話しにならないねとも言われました。
あっ、言うのを忘れていました。
診察の際、先生から言われました。
入院の時、私はかなり強い薬を使ったそうです。
それで後遺症が出て、(手足の硬直とか)経過を見て、私は『統合ではありません、信用してください』と言われました。
私は統合が悪いとは思いません。
統合で前向きに治療をしている人もいるし、皆が皆悪いとは思わないんです。
だから統合でも良いと思いました。
でも、親友が何故『統合』にごだわったのかが疑問です。
真美には『統合でも仔猫は仔猫だから』と言っていたそうです。
なら、何故そんな電話を旦那さんにさせたのでしょうか?
気持ちがわかりません。
でも、これからは友達との付き合いをもうちょっと慎重に考えていきたいと思います。
皆さんにはとても心配をかけたし、迷惑もかけました。
でも、昨日の日記を読んでとても感動したし嬉しかったです。
顔は見えないけど、私を応援してくれている人がいると言うこともわかりました。
だから、私は強くなります。
それが今、私に出来る皆さんへのお返しだと思います。
本当に心配かけました。
明日からはリハビリの為に散歩をしようと思います。
そして早く不自由なく歩けるようになりたいと思います。
焦りすぎと思う方もいるとは思いますが、早く皆さんとオフ会をやりたいと思っています。
その時は笑顔で盛り上がれたらと思っています。
回復がどのくらいかかるかわかりません。
でも、待っていてください。
頑張ります。
これが、今の仔猫の気持ちです。
でも・・・何時になったら眠くなるんだろう?



2007年02月01日(木) 生と死をさまよう。

あまり記憶がないのですが、1/8、私は大量服薬をしてしまいました。
理由は友人の裏切りでした。
1/8に友人のご主人から電話があり、『君は隠れ統合だ』と言われました。
ショックでした。
とても仲良くしていた友人だったので、しかも友人からではなくご主人からの電話。
私は訳がわからなくなり、とっさに薬を飲んだようです。
しかし、薬は隠していたもの。
眠剤は、毎日一日分ママからもらっていました。
だから、大量服薬したと気づかず、菌が肺に入ってしまって、肺炎を起こしてしまいました。
それもかなり重症な状態。
1週間、昏睡状態でした。
手足がしびれて動くことも出来ない。
食事は看護士さんとママに食べさせてもらっていました。
トイレは尿道に管を入れられ、オムツ。
ナースコールも押せない状態でした。
足はどんどん悪くなり、寝ていても痛い状態。
手はしびれて何もつかめない。
ママは私がこのままおかしくなってしまうのではないかと、先生に聞いたそうです。
そして、2週間ほどたって肺炎も落ち着きました。
が、まだ手足が動かない。
原因不明なので、内科から精神科に移らされました。
寝っぱなしだったので、背中にはあせも、お尻には床ずれ。
今も痛くてしょうがありません。
でも、救急で運ばれたので、歩くのもままならないのに、退院となってしまいました。
入院中は辛かった。
命があったからいえることなのかもしれませんが、死にたくってしょうがありませんでした。
実は、今もその傾向があります。
友達に裏切られたことが、たいしたことではないのかもしれませんが、相当、傷ついたようです。
約、一ヶ月の入院。
何も出来ず、寝たきりの生活が続きました。
誰とも喋ることなく、一ヶ月がすぎてしまいました。
やっと車椅子に乗れるようになり、御飯も退院する4日前に1人で食べられるようになり、歩くのも退院する3日前に出来るようになり、はい退院となってしまいました。
正直、家での生活にも支障が出ています。
ただ、嬉しいというか二週間で7キロ痩せました。
おかゆの生活だったので家に戻ったら、また増えるのかも知れません。
手が利かなかったので、誰とも電話もできず連絡が遅くなったこと、申し訳ないと思っています。
明日は、元々通っていたクリニックに行かないと行けません。
前にも大量服薬をしたとき、『今度したらうちでは見れません』といわれています。
明日はママと行きます。
歩けないので、パパに車で送ってもらいます。
正直、診察が恐いです。
でも、入院した病院に移転することも考えています。
私は『境界線人格障害』、『統合』ではありません。
統合だったらどうなのかと疑問にも思います。
統合だったらそれなりに治療をしなければいけないと覚悟はしています。
あと、人を信じすぎるのはどうかなと、考えてしまっています。
人間不信になってしまうなんて、今までなかったような気がします。
でも・・・あったかな?
今回、色々なことを考えさせられました。
死にたい反面、生きていくしかないのだと言うこともわかりました。
だから仔猫は頑張りたいと思います。
書き込みやメールなどで心配してくださった方、ありがとうございます。
でも、もう大丈夫です。
少しずつリハビリして元気になれたらなと思います。
今年は年女(恐い)良いことがあると良いなと思っています。
良いことがあったら皆さんにもおすそ分けしますね。
待っていてください。


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