Sun Set Days
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2003年10月31日(金) 【Fragments】更新

【Fragments】を更新。22番目の「A hundred summer,a hundred winter」。テーマは「東京タワー」。
 17番目の「Over」と、19番目から21番目までの「Garden」がまだだけれど、一足先にアップ。
(ちなみに、「Garden」は前編中編後編というスタイルの短期集中連載的なスタンスになる予定)。


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 お知らせ

「A hundred summer,a hundred winter」を書いている間、ずっとMonicaの「I keep it to myself」(アルバム『The boy is mine』収録)をリピートして聴いていました。


2003年10月30日(木) 『マトリックス』

 DVDで『マトリックス』を見た。いよいよ来週に迫った『レボリューションズ』を前に1作目と2作目を見直しておこうと思ったのだ。
 ヘッドホンをして、部屋を暗くしてみたのだけれど、数年ぶりに見るマトリックスは、大まかなストーリーは覚えていても意外と細部を忘れていたのだなと実感した。たとえば、1とリローデッドのラストがシンメトリーな感じになっていることとか、マトリックスの意味だとか、電池としての意味であるとか、そういった細部を結構忘れていた。
 けれども、その分また楽しんで見ることができたのはよかったと思う。段々明らかになる『レボリューションズ』予告編で少しずつラストへの物語展開が見えてきているけれど、最後には予想すらしていなかったような、やられたというような着地点を求めてしまう。やっぱり。期待ばかりが膨らんでしまうのは抑えようと思うのに。

 いまでも忘れられないのだけれど、『マトリックス』をはじめてみたのは、出張先の熊本市だった。長期出張の合間の休日に、当時の同じ部署の先輩と一緒に市内観光をしているときに、たまたま先行ロードショーの長い列を見て、なんだろうということで近づいていったのだった。話題になっていることも漠然としか知らなかったから、ミーハーな気持ちで列に並んで、面白かったらいいなくらいにしか思っていなかった。
 そして、観終わった後には、もうどうしようもないくらいに興奮していた。あまりにも衝撃的で、2週間後に、次の出張先である福井市でも、やっぱり休日を利用して観に行ったほどだった(もちろん、一度観ただけでは理解できない部分がたくさんあったからでもあったのだけれど)。

 そして、『リローデッド』を観たのは先々行ロードショーだった。どうしても初日に観たくて、0時過ぎでも上映をやっている川崎のチネチッタに仕事が終わってから後輩の車で向かい、午前1時30分スタートの回を観てきたのだった。そんな深夜に映画を観るなんてはじめてのことで、だからそのこともやっぱり忘れ難い思い出になっている。映画館の中がやたら暑かったことと、上映終了時に午前4時を過ぎていて、帰りの夜明けの青白い高速道路を走っていたことが忘れられない。3人で観に行ってきたのだけれど、1人は後部座席でぐっすりと眠っていた。数時間後にまた職場で働いているということを考えると体力的に無茶だよなとは思ったけれど、それでもたまにはそういうのもいいものだと思った。

 それから、来週の『レボリューションズ』。今度も実は初日11月5日水曜日の23時からのチケットを買っていて、しかも6枚購入済みで、6人で観に行くことが決まっている。そんな大人数で世界同時公開の初回に観に行くなんて、それもやっぱり思い出に残るような気がする。問題は、その日の仕事が映画に間に合う時間にちゃんと終わることができるのかどうかということ。
 頑張って、早く終わらせようとその日ばかりは思うのだけれど。


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 お知らせ

 矢井田瞳のニューアルバム『Air/Cook/Sky』を買いました。


2003年10月29日(水) 息抜きの方法

 昨夜部屋に帰ってきたのは23時少し過ぎ。
 パソコンの電源を入れて、お茶を飲みながらメールのチェックをする。
 それから、Daysを書き始める。
 Daysの内容はたいていの場合そのときまで考えていなくて、昨日もなんとなくどうしようかなとキーボードに手を載せる。傾向的に、ネタをストックしようとすると、書いている自分が新鮮な気持ちになれないので、テンポが悪くなってしまうような気がするのだ。
 しばし考える。
 ふと、コンビニで期間限定のお菓子が結構売っていたよなと思い、よし今日のDaysはお菓子でいこうと思う。
 そして1時間ほどで、「ビターチョコ」の前編が書きあがった。
 後編は明日にしようかなと思ったのだけれど、明日はまた明日で忙しいかもしれないしと思い直して、そのままさらに1時間かけて後半も書きあげることにする。もちろん、自分で「おいおい明日も仕事だろう」と突っ込みを入れながら。
 後編を書き上げたときには午前1時30分を過ぎていた。一度読み直して、それからアップする。

 朝の8時から22時30分くらいまで働いて、帰ってきて、それから「バリバリせんべい バリゴリ」とか書いているのだからまったくと思う。
 自分のことながらやれやれだと。

 でもまあ、息抜きの形はたくさんあって、個人的にはなんらかの文章を書くことはその中で重要な位置を占めているのだ。たとえそれがゴリ先輩やぴょん太だとしても。

 ちなみに、今日はやっぱり午前8時から働き出して、部屋に帰ってきたのは23時を少し過ぎたところだった。今日はメンバー間でちょっとしたいざこざというかトラブルがあって、帰り道を歩きながら携帯で事情を聞いていた。結構な人数が働いているとやっぱりなんだかんだはあるのだ。全メンバーが仲良くなんてやっぱり結構難しいことではあるわけだし。

 何かがあったときにはときどき、新入社員の頃に配られた冊子のようなものに、社会人は自分なりの心の健康法を持ってなくてはだめだというようなことが書かれていたことを思い出す。そのときの僕は自分にとっての心の健康法はいったいどんなものになるのだろうなと漠然と思うだけだったのだけれど、いまでは少しではあるけれどわかるような気がする。

 ほんの少しだけではあるけれど、何かあったときに普段のペースを取り戻すための方法がわかるような気がするのだ。

 そしてそれは新入社員の頃にはよくわからなかったことで、少しは成長したのかもしれないと思う。


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 お知らせ

 今日は黒沢健一のアルバム『New Voices』を聴いているのです。


2003年10月28日(火) ビターチョコ

 ビジネスドラマ『ミッション・インポッシブル』

 ビターチョコ[前編]


「駄目だ……マンネリ化に陥っている……!!」

 某お菓子メーカー部長佐藤俊夫は頭を抱えていた。来春の新製品のお菓子のアイデアが湧き出てこないのだ。
 いまや新製品の開発スパンは短くなり、苦労して世に送り出したお菓子が、わずか一月もしないうちに半額セールのワゴンに置かれてしまう。昔は定番のお菓子がヒットすれば、それだけで3年間は持ったものだった。しかし、現在では売れ行きはPOSデーターですべて参照され、人気がない商品であれば一瞬のうちにそれこそ突風に吹かれてしまったかのように消えてしまうのだ。

「競合他社はどういう新製品を考えているのだろう……」

「いや、そのようなことを考えている時点で、すでに勝ち目のある製品を作ることはできない……」

「そのアイデアはすでに昨年試して失敗している……」

 佐藤俊夫の頭の中を様々な思いがよぎる。二十年前、意気揚々と仕事を始めたとき、自分はたくさんの人に愛されるお菓子を作るんだと意気込んでいた。そしていくつかのお菓子はヒットを飛ばし、道端で子供たちが自分の作ったお菓子を食べているのを見ては胸の奥が熱くなったものだった。けれども、いまでは自分の作ったお菓子を食べている女子高生を見ても、むしろ消費されている現実に胸が痛くなるのだった。

「もしかすると、自分はもうお菓子屋ではないのかもしれない……」

 社内では、お菓子作りに情熱を傾ける男たちのことを、照れくさい自嘲を込めながら「お菓子屋」と呼んでいた。お菓子屋の誇りにかけて、愛されるお菓子を作ってやるというのが佐藤俊夫の世代の合言葉だった時代があったのだ。けれども、最近の新入社員たちは、優秀であるがマーケティングだとか、ネット世代とのコラボレーションだとか、わけのわからない言葉をまくしたてている。もちろん、マネジメント能力と実績をかわれ部長にまでなった佐藤俊夫だ。それらの言葉の意味もよく理解している。けれども、そこには本質的な何かが、お菓子作りには絶対に必要な何かが欠けているように思えてならなかったのだ。

「もう自分のお菓子作りは古いのかもしれない……」

 片道一時間半かかる通勤電車の中で周囲のサラリーマンたちをぼんやりと見やりながら、佐藤俊夫は自分を駆り立てていた情熱のようなものが、消えかけの焚き火のように、徐々に小さくなっていくのを感じていた。窓越しに見える暗い夜の郊外の景色は、自分が引退する日が近いのだと小さな声で囁いているように感じられてしまう。

 家の近くのコンビニで、自分の会社の作ったいくつかのお菓子を順番に手にとっては、元に戻す。この中で、来年にまで売り場に置かれるお菓子ははたしていくつあるのだろう。そんなことを思うと、妙に心が寂しくなる。OL風の若い女が、最近自分が手がけたお菓子を手に取る。それはやっぱり嬉しいことではあったが、彼女はきっと明日には違うお菓子を手に取ることだろう。自分が情熱を傾けてきたことはその程度のことでしかないのだ。

 もちろん、たかがお菓子といわれてしまえばそれまでだったが。




「だからっすねえ、やっぱり驚きっていうのが必要だと思うわけ。いわゆるオー、サプライズ! みたいな?」

 若手の社員の一人がそう言う。派手な色のワイシャツに、ネクタイも締めずに第一ボタンをあけている。典型的な最近の社員だった。若者の感性がお菓子のアイデアに欠かせないとか言って会社が重用している一人だった。佐藤俊夫もそのことには異論はない。実際のエンドユーザー世代の価値観を持った社員がアイデアを出すことの有用性は決して小さなものではない。それはわかる。けれども、どこか釈然としないものを感じていた。そのためか、いきおい若者たちの意見に噛み付くようになる。だから最近の企画会議では、佐藤俊夫はもっぱら反対意見ばかりを言う嫌われ者のような存在だった。

「鈴木君は驚きって言うけどな、具体的にはどういうことなんだ」

「また具体的に、ですかぁ? たとえばー、他社のお菓子ですけど『きのこの山』を開けたら、中身が全部「たけのこの里」だったみたいな驚きって言うんですかぁ? ポッキーを開けたら、中身が全部プリッツだったみたいな」

「それは驚きとは言わないだろう」

「いやいや、喜びますよ。『おいおいきのこじゃなくてたけのこかよっ!』って。仲間内で突っ込むのがブームみたいな」

「…………」

「あと、『きのこの山』で言うなら、白にピンクの水玉模様にして、『毒きのこの山』とか。最近ちょっとダークなテイストが流行ってるから、いいっすよ、結構」

「…………そうか」

「部長ももうちょっと頭柔らかくしたほうがいいんじゃないですか。だって、部長の作った最後のヒット作って、『バリバリせんべい バリゴリ』じゃないっすか」

「あれはかなりのヒットだった。男らしく、バリッと音を立てて食べるせんべえという一大ジャンルを築き上げた」

「そういうの過去の成功体験にしがみついてるって言うんすよ」

「……なにぃ!!」

 思わず若手社員につかみかかりそうになるのをちょうど自分と若手世代の間にいるバブル期の社員が止める。かつては新人類と言われた彼らも、いまでは中年の次のリストラ候補の槍玉に挙げられ驚くほど従順になっている。

「やめてくださいよ佐藤部長。そんなふうに感情的になったら負けですよ」

「…………くっ」

「あー、怖い怖い」

 若手社員がそういって、やれやれというジェスチャアをする。佐藤俊夫は黙って、頭を冷やすために会議室を出て行った。



 ぴょん太:ゴリ先輩……

 ゴリ先輩:おう、どうしたぴょん太

 ぴょん太:おやつの時間でっせ

 ゴリ先輩:おう、おやつかぁ。

 ぴょん太:おやつでっせ。

 ゴリ先輩:おやつと言えば

 ぴょん太:おやつと言えば

 ゴリ先輩:これだよこれ……(ゴリ先輩大きな丸いせんべえを取り出す)

 ぴょん太:うっひょー、うまそー

 ゴリ先輩大きく口を開けてせんべえを食べる。

 バリッ、ゴリッ、グシャッ、ムシャ、ムシャ……

 ゴリ先輩:んーっ、うっまーい。サイコー。

 ぴょん太:バリゴリですね、ゴリ先輩。

 ゴリ先輩:おう。最高だぜこりゃ。

 ぴょん太:男のおやつ、バリゴリせんべえ バリゴリ。新発売っ。

 ゴリ先輩:よろしくぅ。




 佐藤俊夫は社内の昔のテレビCMを集めた記録室の中で、自身の最大のヒット商品である「バリバリせんべえ バリゴリ」のコマーシャルをぼんやりと眺めていた。バリゴリは大ヒットし、街中で大きな丸いせんべえを大きな音をたてて食べる若者たちがたくさんいた。コマーシャルに出てくる番長風のゴリ先輩と、丁稚風のぴょん太のキャラクターも当たり、ぬいぐるみなどの関連商品も記録的な売れ行きを示した。

(過去の成功体験、か……)

 佐藤俊夫は薄暗い記録室の中で、ゆっくりと首を二度振った。






 次回ビジネスドラマ『ミッション・インポッシブル』は、「ビターチョコ」[後編]ゴリ祭りをお送りします。


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ビジネスドラマ『ミッション・インポッシブル』

 ビターチョコ[後編]ゴリ祭り


 結局、企画会議で選ばれたのは若手社員の推した新商品「トゥインクル・スター」だった。ピンク色の星の形をしたチョコレートは確かにかわいらしく、女子高生やOLが好みそうな形をしていた。しかも、中には肌に優しいなどの健康的なサプリメント10種類のうちの何か1粒が入っていて、そのどれが入っているのかわからない(けれどもどれも体にはいい)というところがちょっとしたサプライズとして非常に受けていた。
「トゥインクル・スター」のヒットで売上高が上がり、株価は上昇し、会社はニュースになればと、企画部の部長に「トゥインクル・スター」の発案者でもある若手社員を抜擢した。それは若者向けお菓子のトップメーカーを目指すための方針転換であり、そのことを内外両面にアピールするためのものでもあった。

「な……」

 そのニュースに何より驚いたのは佐藤俊夫だった。企画部のそれまでの部長は自分だった。自身ではよいアイデアが生まれないまま、若手の推す「トゥインクル・スター」を半ば放置するように認めたのは事実だったが、だからと言ってまさか自分の地位までが代えられてしまうとは思わなかった。まさに青天の霹靂、寝耳に水とはこのことだった。

「佐藤君、君には重要なポストであるゴリ事業部に行ってもらう。ゴリ先輩の産みの親としては、最高の部署だろう」

 常務に呼ばれ、佐藤俊夫はそう告げられた。ゴリ事業部とは、かつての大ヒット商品「バリバリせんべえ バリゴリ」のメインキャラクターであるゴリ先輩のライセンスを管理する事業部であり、様々なメーカーに、ゴリ先輩グッズの販売を許可する部署だった。

「…………」

 佐藤俊夫は黙って辞令を受け取るしかなかった。ゴリ事業部はかつて会社の花形だった。しかし、ゴリ先輩ブームの衰退と同時に、ライセンスの許可を求める企業も激減し、いまではゴリ先輩Tシャツを作る地方の繊維メーカーとの取引があるくらいだった。

 それはつまり、事実上の窓際への配置転換だった。

 社内で新しい企画部部長とすれ違ったときに、「あ、おはようございます。ゴリ先輩……じゃなかった佐藤先輩」と呼ばれた。佐藤俊夫は黙って会釈をして通り過ぎるしかなかった。もちろん悔しかった。しかし、ビジネスの社会では結果がすべて、しかも現在の結果がすべてであり、それは冷酷な運命であっても受け入れるしかないことだったのだ。

「佐藤部長。どうしたんですかぁ、浮かない顔して」

「この顔は元からだ」

「まったくぅ、部長がこんなだと事業部として活気が出ないですよ。ほら、笑って、元気出してくださいよ」

 佐藤俊夫は顔を上げて、目の前にいる田島里香を見た。ゴリ事業部の4人だけの社員の一人で、入社2年目の新人だった。ゴリ先輩好きで、最初からゴリ事業部に配属されることを希望していた変り種だった。部屋にはぬいぐりみやマグカップなど、様々なゴリグッズで溢れているのだという。天真爛漫な、明るいが少し変わった子だった。

「元気になれって言っても、難しいんだよ。なかなか」

 そんなふうに言うのは、入社5年目の宍戸太一だ。大得意先との接待の席で相手の専務にビールをかけたという伝説を持っていて、そのためクビにこそならなかったがゴリ事業部に飛ばされてきたというわけだった。もちろん、噂によると接待に同席していた女性社員にセクハラを働いた相手にビールをかけたのであり、よくやったと影で喝采している者も多かったのだが。

「…………」

「もう、ムスッとしてばっかりなんだから。そんなんじゃゴリ先輩に殴られますよ」

「ゴリも呆れてるよ」

 奥の机の上でクロスワードパズルを解いていた橋本幸信が顔を上げて言った。佐藤俊夫と同世代の、ぐうたら社員と呼ばれている男だった。
 つまり、佐藤俊夫の新しい部署は、社内のつまはじき者が揃った城だというわけだった。


 ゴリ事業部の仕事はたいしたものではない。地方のスーパーや百貨店の催事場にゴリグッズ売り場を設けて販売応援に行ったり、ゴリ先輩Tシャツの新デザインにOKを出したりするくらいだ。新しいゴリ先輩グッズの作り手は現れず、開拓に行っても断られるばかりだった。

「あぁ? ゴリ先輩? おたく、まだそれやってんの。もう過去でしょ、過去」

「落ち目なキャラクターほど、リスクの大きいものはないんでね」

「『よろしくぅ』って、言ってみなよ。声まねでさ」

 それでも、佐藤たちは諦めずに多くの企業を回った。佐藤は新入社員だった頃の、営業部員だったころのことを思い返していた。あの頃は自分たちのお菓子をスーパーの棚に置いてもらうことに必死だった。売り場のチーフに交渉して、棚を商品ひとつ分だけ空けてもらったときの嬉しさといったらなかった。見込みのない外回りは確かに厳しかったが、当時のことを思い出すことができて、嬉しい面もあったのだ。

「あーっ、なかなかうまくいかないもんですねえ」

 営業の途中で公園で休憩しているときに、宍戸がそう言った。

「ま、こういうご時勢だからな。誰も忘れ去られたキャラクターなんか使いたがらんさ」

「悪くないと思うんだけどなあ、ゴリ先輩」

「そう言ってもらえると癒されるよ。お前じゃなく取引先に言ってもらえれば最高なんだがな」

「だって、なんだかゴリ先輩って、いまの日本人が失いつつある義理人情に厚そうな感じがするし、男っぷりがいいというか器が大きそうな感じがするもん。ぴょん太だって、普段乱暴で殴ったりするゴリ先輩をそれでも慕ってるわけでしょ」

「まあ、そうだな」

「そういうキャラクターって、むしろこれからの時代に必要な気がするんだけどなぁ」

 佐藤俊夫は目を細めて聞いていた。確かにゴリ先輩は時代遅れのキャラクターだ。けれどもどこかバンカラなその風貌と性格は、いまの時代の人々が忘れてしまっているものを持っている。どこか懐かしくて、心の底から信頼できるような……決して裏切らないような。

「もう一度……」

「え?」

「もう一度、ゴリ先輩にいい夢を見せてやりたいな。心が奮える、熱い夢をさ……」

「佐藤部長……」

 それからしばらくの間、佐藤俊夫は毎日ゴリ先輩のことばかりを考えていた。通勤途中に開く小さな手帳に、ゴリ先輩ワールドの詳細を書き込んでいった。ゴリ先輩の通う動物高校の他の生徒たち。マドンナのうさ子に、ライバルのウルフ。ずるがしこいキツネに、学級委員長のクマ五郎。ふくろうの校長先生。そこで起こる様々な事件とその後に深まる友情。次から次へと世界観が整えられていった。森の動物たち。せんべえが大好きなゴリ先輩と、彼を慕うウサギのぴょん太……

「うさ子が好きなものはなんだろう」と佐藤俊夫が質問を投げかける。

「そうね……やっぱり可愛らしいものよ。女の子らしい女の子って感じ。ビーズとかきれいなもの」と田島里香が答える。

「ライバルのウルフとはいつもいろんなことを競っている方がいいですよね。あと、キツネが競争になるたびにゴリ先輩の邪魔をしようとして罠を張り巡らせるんだけど、最後には自分ではまっちゃうとか」宍戸が楽しそうに言う。

「ふくろうの校長先生はめがねをかけているほうがいいな」と橋本までが話に入り込んでくる。

 ゴリ事業部は、少しずつではあるけれど変わり始めた。

 彼らは森の動物たちの世界観を整え、ゴリ先輩を中心とした物語をコンセプトを作り始めた。そして、それをアニメ制作会社に持ち込んだ。ゴリ先輩をアニメ化し、その人気にあやかってお菓子を売ろうと考えていたのだ。それはうまくはまれば、爆発的なヒットを見込めるはずだった。

「……ゴリ先輩ねえ」

 アニメ制作会社のプロデューサーは、最初は斜に構えていた。営業に出向いた多くの会社の担当者同様、ゴリ先輩は彼にとっても過去のキャラクターだったのだ。人は落ち目のものには冷たい。けれども、佐藤俊夫たちはそれまでは確実に変わっていた。
 けれども、4人で乗り込んだ佐藤たちには簡単には追い返すことのできないような不思議な気迫があった。佐藤たちは熱く、熱っぽくゴリ先輩をめぐる世界について語った。話を聞いているうちに、プロデューサーの目つきが変わってきた。かつて一世を風靡したキャラクターで、子供の人気は高い。リバイバルブームを起こすことができたら、これはもしかしたらいけるかもしれない……それに、友情などを重んじる世界観も、子供向けのアニメとしては適している。

 プロデューサーは賭けにでた。「……わかりました。佐藤さんたちの熱意に負けました。やりましょう。ゴリ先輩に、もう一度スポットライトを浴びてもらいましょう」と言ってくれたのだ。

「やったぁ!」

 ゴリ事業部がひとつになった瞬間だった。それからは殺人的な忙しさが続いた。アニメは子供を中心に大ヒットし、森の動物チョコも大ヒットを飾った。様々な企業がライセンスを取得したいと名乗り出て、ゴリ先輩は一お菓子のキャラクターの枠を飛び越えて愛されるようになった。

 一方、佐藤俊夫がかつて所属していた企画部は、「トゥインクル・スター」の生産が追いつかずに、中のサプリに日本では認められていない着色料を使用している商品ができてしまったことが明らかになり、批判の矢面に立つことになった。会社を評判は落ち、売り上げは落ちかけたが、それを救ったのがゴリ先輩関連商品だった。佐藤はまさに、会社の救世主となったのだ。

「……佐藤君。今期の決算が増収増益になったのも、すべて君のところのゴリ事業部のおかげだ。本当にありがとう」

 社長室で、自分にゴリ事業部行きを命じた常務がそう言った。社長は佐藤俊夫に近づき、感謝の言葉をくれた。いまではゴリ事業部は三十人の大所帯となっていた。アメリカでのアニメ放映スタートと、森の動物チョコの発売も決定した。佐藤俊夫は自分たちの部署に、夢と感動という言葉を飾るようになった。お菓子にはやっぱり夢がなければならないし、感動やうれしさを与えなければならない。
 心の底からそう思ったし、いまではもうそのことに疑いを抱くことはない。


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 お知らせ

ビジネスドラマ『ミッション・インポッシブル』は気まぐれ更新です。


2003年10月27日(月) 『キル・ビル』+『ビジネス・シンク』

 今日は休日で、後輩と『キル・ビル』を観に行ってきた。クエンティン・タランティーノの最新作だ。
 これはもうタランティーノが自分の好きな映画たちにオマージュを捧げたのだろうなというような作品で、とにかくもう血の量が半端じゃなかった。音楽の使い方に凝った構成、そしてお約束気味のカメラワークと、タランティーノにしかこういうのは撮れないのだろうなという個性がかなり際立っていたのだけれど、多くの人に受け入れられるのかどうかはまた別の話。少なくとも、見終わって感動したとか、面白かった! というような作品ではないように思う。マニア受けしそうな突込みどころ満載のB級映画といった感じとでも言うのだろうか。ただ、格好よくスタイリッシュな映画ではあるので、気に入る人は気に入るだろうけれど(ちなみに、一緒に行った後輩はぜんぜん駄目だったと言っていた)。
 パート2は、来年の春公開だそう。
 個人的には、楽しかったけれど、心は動かされなかったという感じ。
約2時間飽きずに集中してみることはできたのだけれど。
 アクションは単純に見せ場が多くて、これは撮っていて楽しかったのだろうなと思うのだけれど。

 映画を見終わった後後輩とヨドバシカメラに行って、デジタルカメラやPDAなどを見る。ヨドバシカメラのポイントが貯まっていたので何か購入しようかなと思ったのだけれど、結局何も購入しない。

 夕食は天ぷらを食べる。おいしかった。


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『ビジネス・シンク』読了。D・マーカム、S・スミス、M・カルサー著。日本経済新聞社。
 この本は『7つの習慣』でおなじみのフランクリン・コヴィー社の副社長などを歴任した人物たちが書いたもので、平たく言うと『7つの習慣』をいかにしてビジネスの現場での行動原則に活かすのかというルールについて述べてある本だ。わかりやすく述べられているのだけれど、それらのルールは8つに分けられている。それは以下の8つだ。

 ルール1、入口でエゴをチェックせよ
 ルール2、好奇心を育てろ
 ルール3、ソリューションから離れろ
 ルール4、証拠をつかめ
 ルール5、インパクトを計算せよ
 ルール6、波及効果を探れ
 ルール7、黄色信号では減速せよ
 ルール8、原因を見つけろ

 それぞれについてもちろん細かな言及がなされているのだけれど、すべてに共通しているのは、行動するために考えることの重要性を繰り返し説いているということだ。本書の中で多くの企業が日々生まれているが、そのほとんどは生き残っていないということを述べている箇所があるのだけれど、それもこれらのルールを事前にしっかりと適合していないからだと述べている。ある種のアイデアや思い込みで突っ走ったが故にそのまま奈落の底へと吸い込まれていくというわけだ。少なくとも、これらのルールを適応することで多くのリスクを避けることができ、本来達成する必要のある課題を明確にし、取り組んでいくことができるのだという。
 多くのビジネス書がそうであるように、ここに書かれている内容も原則的なものが多い。それはやはり奇策ではなく正攻法の継続的な実施こそが重要だということなのだろう。奇策は一度は成功するかもしれないが、二度目はないのだろうし。

 ちなみに、最初のルールの「入口でエゴをチェックせよ」の詳細な説明の中で、このような文章がある。

 傲慢、警戒心、何が何でも承認を求める態度は、対話を遮断し、機会を奪い、決断を鈍らせる。結果として時間とエネルギーが浪費され、もちろん人材も有効に使われない。自分を変えればビジネスも変わる。(51ページ)

 確かに、このルールをしっかりと守るだけで、様々な可能性が多くの局面で活かされる可能性は高くなるように思う。


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 お知らせ

『マトリックス レボリューションズ』の予告編が新しいものになっていました。
 そして、早売りのチケットも購入してしまいました。


2003年10月25日(土) 飲み

 今日は仕事が終わってから、職場のメンバー12人で飲んできた。
 22時からスタートで1時30分過ぎに終了。横浜駅西口近辺で飲んでいたのだけれど(ビックカメラの近くの無国籍料理屋)、最後には終電もなくなり、タクシーで乗り合わせて帰ってきた。
 様々な話にかなり笑ったし、料理も結構おいしかったので(春巻きやエビチリソースやマグロのステーキなどがとてもおいしかった)、かなり楽しかった。
 ちなみにいまは午前2時50分過ぎで、明日ももちろん仕事なのだけれど、楽しんだ分ちゃんと頑張ろうと思う。


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 お知らせ

 稲本がマンチェスターU戦でゴールを決めたのはすごいと思うのです。


2003年10月24日(金) 『Microsoft Office OneNote 2003』

 今日は休日だったのだけれど、午後から会社に行ってきた。
 ずっと以前から気になっていたのだけれど、日々の仕事の中でそれに取り掛かる時間がないといったような仕事を片付けにいってきたのだ。それを放置しておくことは効率の低下に繋がるのでなんとかしたいと思っていて、まずは計画通りに終了したのでよかったとは思う。終わってみて、ささやかなことでも、小さなことでも、達成感を味わいながら仕事をすることが続けていくコツなのかもしれないとあらためて思った。日々はささやかなことの繰り返しなわけだし。

 会社に行く前に電器店に寄って、パソコンのソフトを買ってきた。
『Microsoft Office OneNote 2003』。今日発売のOffice2003シリーズの新しいソフトウェアだ。
 以前から気になっていて発売日に購入したのだけれど、これは名前の通り、デジタルのノートになりうるソフトウェアなのだ。
 箱の説明書きにはこう書いてある。


 新しいデジタル ノート ライフを始めましょう!

 Microsoft Office OneNote 2003は、テキスト、手書きメモ、音声、写真、グラフィックス、Webなど、あらゆる情報やアイデアをPC上で1か所に集約し、効果的に整理、再利用できる新感覚のデジタルノートアプリケーションです。OneNoteがあれば、会議や講義にノート、付箋、録音機を持ち込む必要はもうありません。紙のノートが持つ自由さと柔軟性、そしてデジタルの効率性を併せ持つOneNoteなら、収集した「情報」を効果的に「力」に変えて次のアクションにつなげることができます。ビジネスや学校、プライベートなど、幅広いシーンで活用できます。


 というような感じなのだけれど、この使い勝手がとてもいいのだ。
 部屋に帰ってきたのが23時過ぎだったのでまだほとんど使ってはいないのだけれど、それでも少し使用してみた感じで言うと、かなり感覚的に操作することができて使い勝手がよさそうに思える。いままでのアプリケーション(WordやExcelなど)にはなかった自由度の高さがあって、デジタル文書を作成する際のストレスがかなり軽減されている。

 イメージとしては、画面に開かれた白紙のファイルのどこにでも付箋紙をはるように文字を書くことができるというもので、このどこにでもというのが従来のアプリケーションとは最も異なっている部分でアイデアをまとめたりするのに適しているように思う。これは個人的な癖なのかもしれないのだけれど、僕は普通のノートにアイデアなんかをまとめて書くときには罫線なんかは無視して適当な場所に文字を書いてしまうのだけれど、それと同じことをデジタルの画面の中でできるのだ。

 さらに言うと、普通のノートであれば気に入った雑誌から持ってきた写真を切り抜いてスクラップブックにしたりするのにちょっと手間隙がかかってしまうものだけれど、OneNoteなら、Webの写真などを右クリックでコピーしたものを貼り付けることで、簡単に画像が表示され、その画像に対してコメントを入れることができる(しかも、元のURLが自動的に下部に貼り付けられ、それをクリックすると元ページに飛ぶことができる)。
 また、本物の付箋とは異なり、あとから文章を挿入することも、ひとつの付箋をふたつに分割することも簡単にできる。
 そして、「ノート」なので保存もすべて自動的に行われていて、いちいち最後に保存したりする必要もないのだ(保存し忘れを考えなくてもいいなんて、思い付きのアイデアを書き留めるには適している)。
 さらに、タブレットPCやタブレットがあれば、本物のノートさながらの手書きメモさえつけることができるのだと書いてある。

 とまあ、ファーストインプレッションがかなりよかったのでかなりいいようなことを書いているけれど、これから使っていくうちに問題点や実は使い勝手がというようなことが出てくるかもしれない。
 けれども、小説のアイデアや、その他日々感じたことやストックしておきたい情報など、様々な事柄をスクラップしておくためにはとても重宝するような気がする。
 たとえば、インターネットのニュースサイトの中で興味のある記事をコピーして、それをノートに貼り付けておくというのを続けるだけで、膨大な量の情報のスクラップブックが出来上がるのだ。しかもデジタルなので、実際のスクラップブックとは違って、膨大な量のノートの中から該当する言葉を含む記事を検索したりすることもできるわけだし。

 学生で、タイピングが早い人なら、講義のノートをまとめるにはかなり適しているような気がする。卒業論文やレポートなどのブレーンストーミングや構成を考えたりするにも向いているかもしれない。

 とりあえず、個人的には最近のかなりヒットなアプリケーションになりそうな感じで、結構楽しみだったりする。


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 お知らせ

 頭に浮かんだ漠然としたアイデアや思い付きを形にするのにかなり向いているような感じなのです。


2003年10月23日(木) 岩手産地鶏

 先日、4人で横浜駅西口の近くにある居酒屋で飲んできたのだけれど、そのときに入った店もどちらかというと薄暗い、隠れ家のような個室がいくつかあるところだった。ここ1〜2年の間に個室のような仕切りスペースばかりの店が増えてきていて、仲間内の会話を楽しむとか、そういうときにはやっぱり重宝するのだろうなと思う。薄暗いということも、ビルの中の狭さを逆手にとってうまく利用しているということなのだろうし。
 また、料理も創作和食というのか妙に凝っていたり説明書きがいちいち細かかったりして(先日の店は岩手産地鶏が売りのひとつだった)、なるほどなあと思わされる。それでいて価格は普通の居酒屋とかとそれほど変わらないのだから、利用者にとっては便利な時代になったなと思う。経営しているほうは様々な企業努力をしなければならず大変なんだろうなとは思うのだけれど(ただ、最近の個室が多いような創作居酒屋の外観はあまりにも似た感じのところが多くて、結局模倣はどんな業界でもまたたくまに広がってしまうのだなと思う)。

 今日テレビで「ワールドビジネスサテライト」を見ていたら、「トレたま」のコーナーでニューヨークのDJバーの経営者が「最近のお客にとってレストランやバーは食事をするところだけじゃなく、エンターテイメントを求めているんだ」というようなことを話していたけれど、おいしい料理をしっかりとしたサービスで提供するだけでは生き残れないような時代になっている側面があるなんて、なんだか発達しすぎた世の中も困ってしまうところがあるのかもしれない。

 トレンドだとか、そういう言葉は最近ではあんまり積極的には使われなくなっているような気がするけれど、それでも最先端の流行に接するにはエネルギーやパワーがいるような気がする。元気なときには積極的にそういったことに踏み込んでかかわっている人も、年とともにあるいは元気じゃないときにはもっとスローなものに触れるようになる。いつだってハイテンションでアンテナを張り巡らせ続けることは(多くの人にとっては)そんなに持続できることじゃないのだ。
 最近はスローライフやらスローフードやらそういった言葉を雑誌で見かけることが多くなったけれど、短期間に与えられる、触れることのできる情報が多すぎて、逆にそういったものに惹かれる時期が早くなってきているようなところがあるのかもしれないと思う。たとえば、1から7までを経験した人が8以降にスローなものに惹かれるようになっているのだとしたら、10年前よりも1から7を体験することのできるスピードが早まっているような感じとでも言うのだろうか。しかも、昔と異なるのは実際にそれを体験していないのに体験したような気になってしまうほど情報が増えているということかもしれなくて、1から7までの体験が実体験ばかりでなく疑似体験も混ぜ合わせてのものになっているのなら、確かに消化のスピードは早くなるだろう。
 それが良いことなのか悪いことなのかはもちろん簡単には判断できないけれど。

 ただ、その居酒屋で料理を食べていたときにも思ったのが、外装とか、スタイルとか、そういったことももちろん大事じゃないわけじゃないのだけれど、それでも大切なことは料理がおいしいかどうかということなんだよなということだった。そのときの料理はどれもとてもおいしくて(もちろんそれはとても空腹だったせいもあるのだろうけど。店に入った時間は23時くらいで、12時過ぎから何も食べていなかった)、それがやっぱりとても嬉しかったわけだし。
 様々な物事に様々な要素が紛れ込んでいるので、できるだけ基本がなんなのかということに、核となることはなんなのだろうということに留意していきたいと思った。そんなのはもちろん当たり前のことなのに、ときどきあまりにもうかつにうっかりと、大切で当たり前のことを忘れてしまいそうになる。


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 そのときに一緒に飲んでいた後輩が、先月富士山に登っていてそのときの話をしてくれたのだけれど、その中で一番印象的だったのが8合目を超えた辺りから雨が地面から空に向かって降っていくのだという話だった。
 その話を聞きながら、その光景を一度見てみたいものだなと思った。雨が下のほうからから空に向かって降るなんてなんだかものすごく不思議な光景のような気がする。灰色の世界の中で、透明な雨が街とは反対の動きを見せるということ。後輩たちはそのときにはもう疲労困憊でその雨がかなり辛かったのだという話をしていたのだけれど、確かにそれはとても辛そうなのだけれど、映像としてはきれいなのだろうなと(もし自分が同じ場にいたとしたら疲労で見ている余裕なんてないにしても)思った。
 その光景は自分が見ているわけでもないのに結構クリアに想像することができて、やっぱりいろいろな人との話の中ではじめて知ることは多いなと思ってみたり。


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 お知らせ

 少しずつ冬の気配が感じられるようになって、なんだか嬉しくなるのです。


2003年10月20日(月) カウンター

 ふと気がつくとDaysのカウンターが20000を超えていた。超える少し前に、そう言えばもう少しだなと書いてそれからしばらく忘れていて、今日見てみると20090くらいになっていた。
 考えてみると不思議な感じがする。何度も書いてはいるけれど、個人の日記なのに20000回も見られているなんて。
 もちろん、自分で訪れてカウントされているものもあるから、厳密に言うとまだ20000回にはなっていないだろうし、同じ人が繰り返し訪れてきてくれているはずなので実際に読んでいる人の数はそれほどたくさんではもちろんないのだけれど、それでも累計で考えると結構な人がDaysを訪れているということにはなる。

 いったい、どんな人が、どういう状況でDaysを読んでいるのだろう。
 ある人はたとえば子供を送り出してから、家事がひと段落ついたリビングで読んでいるのかもしれないし、ある人は朝出勤前に読んでいるのかもしれない。また他の人は会社のパソコンで見ていたり、部屋に帰ってからいくつかのホームページをめぐる中で日課のように訪れてくれているのかもしれない。それは知らない人ばかりで、けれども大まかな日々や思ったことを知っているのだからなんだか奇妙な感じだ。

 もちろん、何度も繰り返し書いているようにリアルな生活の方が大事なので間を空けることもしばしばだし(忙しかったり疲れていたり遊んでいたりして書くことができないときはもちろんたくさんある)、あえて書かないこともDaysにはたくさんあるのだけれど(当然だ)、それでもまったく事実を書かないということではなくて、自分の日々のある部分については確実に書き留めていると言うことはできる。別に普通の日常で取り立てて珍しいことが起こるわけでもなんでもないのだけれど、それでも気がつくともう2年以上は書き続けている。継続は力なりというとなんだか意味が違うけれど、続けてきた分分量というものは確実に蓄積されていて、後になって読み返すときに書いてきてよかったと結構強く思えることもあるのかもしれない。

 そんなふうに思う。

 そして、もしかしたらDaysを楽しみにしてくれている人もいるのかもしれないと思うと、うまく言えないけれど嬉しい話だとぼんやりと思う(不思議な感じももちろんするのだけれど)。

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 お知らせ

 今日はBritneyの「That's Where You Take Me」を繰り返し聴いていました。


2003年10月18日(土) 『マッチスティック・メン』

『マッチスティック・メン』を観てきた。恒例の、土曜日の夜のシネコン。
 これは、潔癖症の詐欺師が、14年ぶりに娘と再会して再生するという話。精神安定剤のような薬を飲まないと落ち着くこともできない詐欺師が、奔放な娘に振り回されている間は薬を飲むことすら忘れていく。そしてやがて詐欺師から足を洗い、親権の裁判まで行おうとしてていく……という話。


 ※これから観ようと思っている人は、この下は飛ばしてください。


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 これは僕にとっては非常に珍しいことなのだけれど、かなり最初のほうでオチがわかってしまった。そうして見ると、シーンのいちいちが本来とは別の意味を持ってきてしまうのだ。もちろん、面白いし、次々と進展していく展開にも引き付けられてはいくのだけれど、オチがわからなければもっと楽しめるのだろうにと思ってしまったのも事実。ただ、オチの後にさらにオチがつけられていて、それに関しては嬉しかったのだけれど。


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 結局今朝は午前4時に眠って7時に起きて、それからずっと20時過ぎまで仕事をして、さらに映画まで観に行った1日だった。仕事中は忙しかったこともあるけれど全然眠くたくはなくて(生理的に欠伸は出るけれど)、体がどうにかなっているのかなと思ったりもしていた。睡眠不足でもあんまりなんとも思わない体。
 ちなみに、これを書いているのは19日の午前0時45分なので、さすがにもう寝ようと思う。
 いまから眠れば6時間位は眠ることができるし。


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 お知らせ

『キル・ビル』の新しいタイプの予告編が面白そうだったのと、『死ぬまでにしたい10のこと』は絶対に観ようと思ったのでした。


2003年10月17日(金) 気配

 現在、18日の午前3時55分。
 パソコンに向かって仕事をしていたら、こんな時間になってしまった(いてて……)。
 7時には起きたいのでもうすぐに寝てしまおう。
 そう、0時過ぎに眠気覚ましのコーヒーを買いにコンビニに行ってきたのだけれど、空気の中に冬の匂いが混ざっているように感じられてなんだか嬉しくなってしまった。冬は寒いし苦手でもあるのだけれど、それでもやっぱり好きなのだなと思う。体のどこかに冬の粒子のようなものに過敏に反応してしまう何かがあって、それが今年ももう少しで冬になるのだという気配を感じ取って犬が尻尾を振るようにサインを出しているような感じ。
 今年の関東の初雪はいつになるのだろうか?


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 お知らせ

 今日のBGMはL⇔RとCharaでした。


2003年10月15日(水) 焼き肉とにぎり

 今日の仕事帰りに、上司と後輩の3人で焼き肉に行ってきた。
 今回は、前から気になっていた数ヶ月前にオープンした高そうな店に行くことにしたのだけれど、そこがもうかなりかなりおいしかった。
 もちろん、価格は高めではあったのだけれど(値段を見てちょっとびっくりした)、店構えも新しいだけあってよい感じで、肉も明らかに普段行っているところとは色が違っていた。食べてみるとかなりおいしくて、普段はよく喋る僕らも、なんだか今日は言葉少なだった。
 中でも、メニューのひとつに「にぎり」というものがあり、それはお寿司のネタが霜降りの肉というものだったのだけれど、そのとろけようが絶品で、3人で「おいしい……」「やばい……」「とける……」と言葉を失ってみたり。

 帰りの車の中でも「おいしかった」と何度言ったのかわからないくらいで、かなりかなり満足だったり。


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 お知らせ

 最近は3連休で仕事が忙しかったり(それでも映画を観に行ったり)、会社の研修に参加したり、その研修で発表があたっていてそのためのレジュメを部屋で作っていたりと、平均睡眠時間が結構やばいことになっていました。けれども、その連続出勤の最終日をこの焼き肉でしめることができて満足度が高いのです。


2003年10月12日(日) バランス

 今日はとても忙しかった。午前8時ちょうどくらいに仕事を始めて、終了したのが23時ちょっと前。店の鍵を閉めて、メンバーと「お疲れさまー」と別れて、家が近くの後輩と話しながら帰ってきた。忙しかったということと、あそこはああした方がもっと楽になるかも知れないという話を。

 昨年の今頃僕は人事部の採用にいて、現場である店に戻りたいとしきりに話していた。採用も2シーズン経験し、1シーズン目はいわゆるワーカーとして、2シーズン目は全体の計画や予算も組ませてもらったりするチーフとして、思いがけず様々なことをやらせてもらえたと思っていたからだった。
 また、その前に所属していた新店の準備をする部署から数えると3年半ほども現場から離れていることに危機感を感じていたし、会社の様々な部署や側面を知るにつけ、やっぱり現場が主役で、その場所でしっかりと経験を積みたいというまっとうなことを思ったからでもあった。
 そして12月上旬に異動してきたのだ。

 それから約10ヶ月が過ぎて、現場はやっぱりたのしいなと思っている。
 もちろん、その楽しいには大変なことも含まれてはいるのだけれど、それでもこの10ヶ月間はとてもたのしかったしおもしろかったと思う。
 採用の時に学生に向けて話していた会社の理想や目指している様々なビジョンのようなものが、現場でどのように形になっているのか(あるいはなってはいないのか)を知ること。日々現場で、店舗で様々なことが起こっているのを当事者としてこの目で見て、参加すること。そういったことがとても新鮮でおもしろく思えるのだ。
 もちろん、そんなきれいな話でもなくて、企業であるのだから予算もあるし、様々な数字のことを考えなければならないし、多くの人たちが働いてもいるので、人間関係もそれなりには複雑に絡んでくるし、他にもクレームやトラブルもおいおいここまで……と思ってしまうほど起こったりと日々結構忙しい。しかも、会社の中でベスト3に入る忙しい現場にいるので、その様々な出来事を経験することができる絶対数も多くなってくるわけだし。

 それでも、なんだかんだでおもしろいと思えるのだ。それは僕があまり物事を深刻に考えていないせいなのかもしれないし、日々起こる様々な出来事が飽きないせいなのかもしれない。また、春くらいから仕事と自分の時間をちゃんとバランスよく持って、充実した時間を過ごせるようにしようと少しだけ意識していることもあって、この1年は思いがけずいろいろなことをしている。先月には、少し遅い夏休みを利用してずっと行きたかったフランス旅行にも行ってきたし、春くらいから演劇やライブにも結構行ってきた。また、週末には恒例となりつつある後輩たちとの映画鑑賞とかもあるし。

 1年後に自分がどこで何をしているのかわからないけれど、楽しいだけではないいろいろなことがある仕事を、それでもやっぱりたのしいと言えていればいいなと思う。ずっと前に「仕事は楽しいなんて言うものじゃない」とかなり年上の人に言われたことがあって、「そういう考えもあるのか」と思ったものだけれど、それでもやっぱり個人的にはたのしいと思っていたいなと思う。そう思うことを意識していたら、そうじゃなくなったとき、そうじゃなくなりつつあったときに、どうしてたのしくないのかという理由に思い至ることができるんじゃないか思うし。その理由がわかったら、どうしたらその理由を潰しこむことが出来るのだろうと考えることもできるわけだし。現状を把握するということ。

 いずれにしても、仕事と自分の時間のバランスをとることはとても難しいことのような気はするけれど、それでもイメージに近いような形でそのバランスをとることができればいいとは思う。仕事以外のことも、「たのしい」と思えるように。


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 お知らせ

 いま少しずつ書いている長編『Moonlight Episode(仮称)』に接しているときも、(自己満足的ですが)たのしいのです。
 少しずつ物語ができていく趣味なんてとても便利だと、しみじみと思ってみたり。
 ちなみに、前にもちょっと書きましたが、事故で夫の記憶だけをなくした妻と、主人公である夫がもう一度近づいていく話です。
 舞台は札幌で、いまのところ結構叙情的な感じです。


2003年10月11日(土) 『インファナル・アフェア』

『インファナル・アフェア』を観てきた。土曜日の恒例のメンバーで。
 トニー・レオンとアンディ・ラウが共演していることでも有名なあまりにも渋い男のドラマ。ストーリーはホームページの文章を一部引用すると、


 警察学校で優秀だったために、警視からマフィアに潜入することを命令されたヤン(トニー・レオン)。一方、マフィアのボスの指令をうけ警察官となったラウ(アンディ・ラウ)。自分の道を選ぶために相反する世界に潜入させられた18歳の二人はその偽りの生活を10年も続けることとなる。そしてある日、麻薬捜査の失敗から警察とマフィアの内部に潜入社がいることが発覚。それぞれ二人は裏切り者を探し出すことを命じられる。そして遂に、二人の運命が交叉する時がやってくる…。


 このストーリーを見て、これは絶対に観に行こうと思っていたのだけれど、予想以上に重い映画だった。最初と最後に無間地獄について触れられているのだけれど、それもなるほどと、思えるような。
 結構たくさんの伏線が張られていて、それが物語に救いを与えている部分もあって、一緒に観に行った後輩の1人は、「もう一度観てもいいかもしれない」と話していた。また、ハリウッドが史上最高額でリメイク権を獲得したというのも話題になっていて、ブラッド・ピットが主演するらしいのだけれど、ハリウッドがこのストーリーをどう料理するのだろうと、これはまた『猟奇的な彼女』のハリウッドリメイク版をさりげなく楽しみにしている身としては興味深かったりもする。
 ただ、ストーリーの要所要所に哀感を漂わせた情緒的なシーンがあったり、フェード・アウトを多用する手法がそれぞれの立場の不安定さを印象的に感じさせていたりといったどちらかというとアジア映画っぽい部分はどうなるのだろうとは思うのだけれど。

 それにしても、トニー・レオンとアンディ・ラウが共演しているなんてと思ってしまう。2人とも存在感があって、演技が巧かった。2人の主人公の18歳のときからの人生の流転のことを考えて観ると、なおさら感じ入ってしまう映画だった。


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 お知らせ

 ケリー・チャン(リー医師役)は相変わらず美人なのでした。


2003年10月10日(金) 久しぶりの……

 この間の休日に近くの公園を散歩していたときに、ふと目をやると5歳くらいの利発そうな男の子と、その母親が手を繋いで歩いていた。秋の公園に華やかさを添えるような光景に目を細めながら歩いていると、ふとその2人の会話が耳に飛び込んできた。


子供:ねえママ。さいきんのてきすと・さん・せっとにふざけたにっきがないのはどうしてなの?

母親:あらケンちゃん。まだあんなサイト見てたの? ろくな大人になれなくなっちゃうから見ちゃダメってあれほど言ったじゃない。

子供:そんなことないよ。もちろん、ろくな大人になれなさそうな予感でいっぱいのサイトだけど、コンビニで配ってるクーポン券くらいは役に立つこともあるよ。

母親:ああ、あのもらうんだけど使うことのないまま捨てられちゃうクーポン券のことね。

子供:た、たまには使うことだってあるよ……。

母親:あらあら、ごめんなさいね。別にママはテキスト・サン・セットがくだらなくて役に立たないって言っているわけじゃないのよ。ただ、ケンちゃんには『ハーバード・ビジネス・レビュー』とか、『モノマガジン』とかを読んでもらいたいなぁーって思ってるだけなの。早くからマネジメントについて学んだり、本当によい物って何なのかっていうことをちゃんと見極めることの出来る大人になって欲しいのよ。

子供:うん……それはわかるけど。でも、気になるんだ。確かにドラッカーの未来への慧眼には恐れ入るけど、世の中ってそういうことばかりじゃないじゃない。

母親:バランスが大切だっていうことをケンちゃんは言いたいのね。

子供:うん。そう……だからてきすと・さん・せっとをたまに覗くんだけど、最近は普通の日記みたいになってて、こわれたさんせっとさんがいないんだ。

母親:まあ、あの人ももういい年だからね……ようやく、遅いくらいなんだけど、年相応になってきたっていうことなんじゃないのかしら。

子供:相変わらず実際の年齢より若く見られて、責任者出せとか言われたときに驚かれて年とか訊かれて困ることもあるらしいよ。

母親:なんだか生々しいわね……でもまあ、彼ももうすぐ30歳になるわけだし、ようやく落ち着いてきたのよね。きっと。

子供:そんなの……そんなの……ぼくの好きなさんせっとさんじゃないやっ。年相応なんて関係ないよっ。ぼくはもっとおかしなさんせっとさんが見たいんだよ。もっとどうしようもなくて、なさけなくて……でもちょっとだけせつないさんせっとさんがさっ。

(子供目に涙を潤ませている)

母親:ごめんね……ママが悪かったわ。うん。そうだね。ケンちゃんの言う通りね。年相応なんか関係ないわね。ようし、じゃあ今度ママがさんせっとさんにメール打ってあげるわ。昔みたいにくるったさんせっとさんが見たいってね。

子供:本当っ!!

母親:本当よ。ね。

子供:うんっ!!



 数日後、僕はあるメールを受け取ることになる。




 ────メールが1通届いています────




 こんにちは。はじめてメールします。私は横浜市在住の32歳の主婦です。
 ぶしつけなお願いで申し訳ないのですが、サイトを閉鎖していただけないでしょうか。
 こんなことをお願いするのは筋違いとも思うのですが、Sun Setさんは子供たちへの悪影響についてどのような見解を持っているのでしょうか。うちの息子はあなたの作るサイトを見て、親としては好ましくない影響を受けているように思えてなりません。
 もちろん、子供が自分にとってマイナスの影響を与えるものに惹かれてしまいがちな点は私もよくわかります。けれども、そういうものから我が子を遠ざけておきたいというのが親の心というものではないでしょうか? あなたも人の親なら、あ、親じゃなくても人の子なら、そういう気持ちはわかるんじゃないかと思います。
 前向きにお願いを考慮してもらえることを切に願っています。














 イテテテテ…………


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 お知らせ

 確かに最近【ユーモア】に分類されるDaysが少なかったですね。Days Selectを見てわかるように、以前は結構あったのですけど。


2003年10月08日(水) 意味のない口癖をいくつか

 仕事が終わって部屋に帰ってくるのが大体22時半から23時になることが多いので、部屋で音楽を聴くときにはボリュームを絞るか、ヘッドホンで聴くことが多い。どちらかと言うと後者の方が多く、もう随分と昔に買ったヘッドホンでいまだに音楽を聴いている。僕がいま住んでいる3階建ての小さなマンションは小さな子供のいる家族ばかりみたいなので、騒音で迷惑にならないかと気になってしまうのだ。以前、上の階に住んでいる若奥さんと階段で会ったときに、上で子供たちがどたばたとうるさくないかしら? と言われたことがあった。そのときは気にならないですよと答えたし、実際日中は部屋にいないことが多いので気にならない。ただ、逆に、深夜にこっちがうるさくするのもなんだよなあと思っているのだ。小さな子供が夜中に目を覚ましたら面倒そうだし。

 ただ、ヘッドホンで音楽を聴くのは嫌いじゃなくて、むしろ臨場感のようなものが感じられて結構好きだったりする。ずっとヘッドホンをしていると耳が痛くなってしまうのだけれど、それでも頭の中央で音が響き渡ってくるような感覚は音楽を染み込ませてくれるような気がして気持ちいいし。

 イヤホンもヘッドホンと同じで、もう随分と昔ウォークマンで音楽を聴きながら散歩をしていたときにも、音楽が随分と近くに感じられたものだ。散歩はたいてい夜にすることが多かったのだけれど、たとえばいまの季節のような秋が深まり気温がぐんぐん下がっていくような時期には、耳に響いてくる音楽はより冷たく響いたものだ。たくさんの道を歩いているはずなのに、それぞれの街での散歩のことを思い返すときに決まって思い出される通りがいくつかあって、それは実家にいた頃の国道5号線沿いだったり、函館の産業道路沿いであったり、横浜のある駅までの道だったりする。そして、どちらかというと一人で散歩をしている映像のようなものを思い返すときには、それはやっぱり冬のような時期のことが多い。どうしてかはよくわからないのだけれど、まあいまがそういう季節だからなだけなのかもしれない。夏には夏の散歩のことを思い返すのだろうし、春には春の散歩のことを振り返ることになるのだろう。いまは秋だし、まあ秋や初冬の散歩のことを思い出してしまうというわけだ。

 秋や初冬の散歩では僕は秋物のコートなんかの上着を羽織っていて、ポケットに手を入れて歩いている。喉が冷たくなって、吐く息が白くて、風がびゅうびゅうと強い。空には雲はほとんどなくて、ただ星や月が孤独にクリアに輝いている。街灯の明かりが等間隔に遠くまで続き、電線が何か大切な物を運んでいる役目を持っているかのように少しだけゆるくたわんで伸びている。バス停があって、コンビニがあって、道路には時々思い出したように車が走る。どこかの交差点で信号が赤から青に変わるから、それまで押さえられていた車が一気に連なってやってくるのだ。信号と言えば、どんなときでも世界中のどこかの街は朝を迎えていて、どんなときでも世界中のどこかの信号は青なのだということを途方に暮れたときにおまじないのように唱えてみるというのはどうだろうと思う。

 自分のための意味のない口癖とか、おまじないのようなものをみんな持っているのかなと思う。もちろん、普段はみんなそんなことをおくびにも出さずに生きている。ちゃんとした大人のように、しっかりと仕事をしていたりする(まあ、僕もそうだと思うし)。けれども、誰もが、たとえば電車の中に乗っている誰もが、自分のためのちょっとした口癖のようなものを持っていたらいいのにと思う。そう考えてみると面白いし、そうであったらいいなと思う。ふとしたときに、願掛けのように呟いてしまうような言葉とか、メロディーとか、他愛のないものをみんな。
 どうなのだろう? やっぱりあるのだろうな。


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 お知らせ

 最近はどんどん冷え込んでいて、まわりでは風邪をひいている人が続出なのです。


2003年10月07日(火)

 最近忙しくて、ふと気が付くとカレンダーをめくるのを忘れていた。僕はいま2DKの部屋に住んでいて、ダイニング以外の2部屋を趣味の部屋と寝室というように分けている。そのうち、起きているうちのほとんどの時間を過ごしているのが趣味の部屋で、壁際に大きな机を置いていて、その机に座ったときに左前に見える位置にカレンダーをかけている。そのカレンダーがついさっきまで9月のままだったのだ。
 あららと思った。忙しかったり余裕がなくなったりしているときには、普段当たり前のようにしていることを忘れてしまう。そしてそのことに気が付いたときに、自覚症状というか、自分の状態がそんなふうなところまで来ていたのかと思うのだ。
 もちろん、そんなふうに書くとちょっとオーバーだけれど、最近ちょっと疲れていたのは事実だ。もちろん、基本的には元気だし、精神的にも肉体的にも深刻で困ってしまうようなところはほとんどない。けれども、ちょっとずつ疲労のようなものがたまってきていて、なんとなくいろいろなことがおっくうになっていたようなところはあるように思う。漠然とした疲れのようなものの膜に覆われているような感じとでも言うのだろうか。

 それはちょっとどろどろしていて、ゼリーを薄く引き延ばしたような感じで、覆われたままでも全然平気だし、むしろそれがちょっと楽に感じられるときさえあったりする。けれどもそこがやっかいなところで、その膜の中で過ごす時間が長くなればなるほど、膜なしで活動することが億劫に思えてくるのだ。面倒で放棄したことたくさんのことを放置したままでも別にいいやと思えてしまうのだ。
 もちろん、それは比喩的な意味だ。でもそんな感じだったような気がする。ぼんやりと気持ちよくて、けれどもいつまでもそんなものの中にいたらふやけて溶けてくるようなある種の膜。そういう膜は年に何回か(あるいは何年に一度)気が付くとものすごいところまで繁殖していて、たくさんのものを覆ってしまっている。そしてその膜をとるためには、ゆっくりとでも確実にじたばたとしなくちゃいけない。

 もがくことはときにとても重要で唯一の方法であったりするのだ。もがくことでうまくいくのかどうかは別にしても。

 とりあえず手を伸ばして、カレンダーを10月に変えてみた。こういうときには部屋が散らかっていたりもしているので、今度の休みには一日部屋に籠もって掃除をしようとも思う。それから数年ぶりに送られてきた昔の友人からのE-mailへの返事も書いて、熱いコーヒーでも飲もう。


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 お知らせ

 gooの「3Dウェブ検索」が面白そうでダウンロードしてみたのですが、アクセスが集中しているのか、うまく見ることができないのです。


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