どこまで素で書けるかな?

2007年12月09日(日) いってきた。

大学病院に行ってきた。
結果はというと覚悟していた通り。

いくつかある症状項目のうち二つ以上一致したら確定なのだけれど
この病気は成長と共に発症する症状が多いために次男は一つしか該当せず「高い確率で」という前置きがついた診断。

いつも『病院は3時間待って診察は5分』なので
さらっと告知されて終わるのかなと思ったら
30分弱の時間を割いてくれて色々な話をじっくりと説明してくれた。
さすが難病ともなると患者家族へのケアが違うんだなとヘンな所で感激。

内容がネットで調べて知っていたことばかりだったことと
事前に友人たちに話を聞いてもらって心の整理がついていたことで
重い内容の話も落ち着いて聞くことが出来た。

私よりショックを受けるんだろうなと思っていたダンナも
「まだ信じたくないけれど」と付け加えつつ気持ちの整理をつけたようだ。
帰りの電車でようやく病名も覚えたみたいだし。

難病とはいえ症状が軽いまま健康な人と変わらない生活と寿命を過ごす人が多いこと。
日本一の専門外来がある病院まで30分ほどで通院できること。

それらの不幸中の幸いに感謝して次男のケアをしていこうと思う。



2007年12月03日(月) KY。

長男が私の実家へお泊り。
その隙にダンナと次男について話し合い。

大学病院へ行くために有給休暇申請を行った際、
もしかすると今後、数ヶ月に一度ぐらいのペースで
有給をもらうことになるかもしれないと上司に話したんだとか。

彼や社長からは励ましと今後の協力のお言葉をいただいたそう。
その心遣いがありがたい。
おかげでほんのちょっとだけ心が軽くなった。

そんな中、私の心をかき乱す肉親が一人。
大方予想はしていたけれど、やっぱり彼女はそんな役回り。

紹介状を持って病院に行く日が決まり
長男の面倒をみてもらうために電話をかけた。
彼女は私からの用件は知っていたはずなのに
「元気?」と挨拶代わりに聞いた私の言葉に
「元気じゃな〜い!」と答えた。

シリアスな内容の電話でそう言うんだから
よっぽど体調でも悪いのかと思ったら
「どうしても上手に歌えない歌があって!」だとか。
趣味でやってるバンドのボーカルのお話だ。

絶句。

数日後
「病院に行く日は何時に帰ってこれる?
 16時には帰ってきてよね。
 夕方からバンドの打ち上げがあるから」
と言われて再度絶句。

無神経を自覚していたらまだ可愛げがあるのだけれど
「自分は繊細で人の気持ちは手に取るようにわかる」と思い込んでいる
勘違いっぷりに親子確執の最大原因があるのだろう。

良かった。
彼女に精神的な面では全く依存してなくて。
これからもただの「人手」だと思うことにする。



2007年12月01日(土) 明け方に。

朝5時なのに。
5ヶ月になったばかりの次男がご機嫌なので起床。
夢で見たから紅茶を淹れてみようか。

一週間後、紹介状を持って大学病院に行く。

周りの人には近況報告はできるけれど
不安で押しつぶされそうなことまでは相談できない。

ダンナがようやくスタート地点に。
でも、まだ正確な病名すら覚えていない。

怖いのはわかるけど。
ズルイなぁと思う。

甘えたり逃げたりできる人がうらやましい。


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