解放区

2014年06月30日(月) ブラジル対チリとか。

夜中に目が覚めてしまった。普段なら眠る努力をするのだが、日曜日だし何よりワールドカップ開催中だし。

そんなわけで、何も考えずにサッカー観戦。決勝トーナメントの第一戦、ブラジル対チリだったが、これが凄い試合だった。

スタートから溢れるスピード感と、繰り広げられる個人技に絡み合うチームプレイ。正直、これほどにレベルの高いゲームを観たのは久しぶりで魂が震えた。こりゃあ日本も敗退するわ。

今回は南米のチーム同士の戦いだったが、これらのチームの選手を観てて思うのは、全く甘えがないこと。全面的にチームプレイに撤してはいるが、最終的に信頼できるのは自分だけ。だから、ゴール前でもパスできる味方を捜すよりも、自分でいかに突破できるかを探す。それが無理なら躊躇なく味方にパスを出す。

ここに、日本とトップチームとの差を感じた。日本の選手はなんだかんだ行っても緩いのだ。甘えのないプレーをしていたのは、てめえが観る限り本田と長友、そして内田。いずれ海外のトップクラブに属しており、命をかけるような試合をしてきたからだろうと思う。

アジアの代表枠が削られるかもしれないという話もあるが、てめえは全面的に大賛成である。今回の大会でアジアのチームは1勝も出来なかった。こんな恥ずかしい話はないが、試合内容を観ても、残念ながら日本以外は観るところがなかった。


スピーカーを衝動買いした。これに関しては後日また詳しく書きたいが、このスピーカーは人生最大級の衝撃を受けた。いやあ良い買い物をした。

ワインセラーを衝動買いした。てめえはお酒専用冷蔵庫を持っているが、そろそろ容量もヤバくなってきたこと。勢いに任せてブルゴーニュやバローロなど買い漁ってしまったので、これはまともなセラーがないとまずいんじゃないだろうかと思ったこと。そんなわけでセラーを購入したが、インテリアとしてもなかなか良いぜ。今後はセラーと冷蔵庫の二本立てになる訳で、さらにアル中まっしぐら。もうそれでいいわ。

娘は今日は登校したらしい。帰宅したら、疲れて眠ったって。無理しなくて良いぜ。

祖母の件。病状は落ち着いているのだが、叔母はどうも、すべててめえに丸投げしたいようだ。正直てめえとしてもその方が良いので丸受けするが、やり取りをしていて、てめえの周りにはまともな大人がいなかったということに気が付いた。

実の母親が大変なことになっているのに何もする気がない娘。そしてもし亡くなったとしても、てめえ一族以外参列する気のない親族。なんだこれは。

昔はそう言うものだと思っていたが、てめえも大人になり、これは異常だとさすがに気が付いた。可哀想なばあちゃん。これ以上こじれたらてめえの病院に移して、真っ当な最後を送らせてあげたい。しかし葬式にはてめえの兄弟以外には参列ないだろうな。こんな変な一族の中で、よくぞてめえのようなまともな人間が育ったものだと感心するわ。ほんまに皮肉じゃなくて。



2014年06月26日(木) 第二次自炊ブーム。加賀棒茶

加賀棒茶なるものをもらったので飲んでみたら、これがとんでもなく旨かった。あまりの旨さに仰天して、さっそくネットで調べてみたら、なんと昭和天皇に献上するために開発された茶らしい。そりゃあ旨いだろう。

そんなことも知らずに水出しにしてぐびぐび飲んでいたが、値段を調べてまた仰天。しかしそれだけの価値はあると思うので、今後は自腹で買うぜ。


木曜日は比較的余裕のある勤務になっているので、この曜日が好き。今日は早めに仕事が片付いたので、机の上にたまった書類をどんどん片付けてやったぜ。なんせ、油断すると山のように書類がたまっていくからね。

会議の資料や勉強会の案内など、もう不要になった書類を、シュレッダー行きとそうでないものに分ける。必要な書類は持ち帰ってpdf化する。

てめえの家にある本はあらかた自炊したのだが、仕事用の本はさすがに裁断するのが忍びなくて大事にとってあった。

ところが再度、自炊魂に火がついてしまった。きっかけはMacを購入したことで、iBooksに試しに自炊した本を入れてみると、これがとても便利だったのだ。

とすると、医学書が入っているのが一番良いはず。そんなわけで、何冊か自炊してみたらこれが便利。ちょっとした時間に自炊した本を読むことが出来る。出先でも可能だし、これは書いていいのか迷うところだが会議中にもこっそり読める。笑

最も威力を発揮するのはレクチャー資料などを作る時で、いままではパソコンの前に何冊もの医学書を並べていちいち参照しながら作っていたものが、今やパソコンの中で全てが足りてしまう。

しかもしかも、Macに付いているSpotlightがこれまた便利で、てめえの調べたいことを入力するとたちまちそれが載っている本をすべて検索してくれるのだ。例えば、「腎不全の治療」などと入れたら、腎不全の治療を扱っている本をiBooksから探してくれる。

いやあとんでもない時代になったものだ。そんなわけで、てめえは今密かに医学書を持ち帰って、時間を作っては自炊している。雑誌関係は既に全て自炊が終わっており、後は医学書だけ。これらがなくなったらてめえの机には何もなくなってしまうぜ。ワイルドだろ。



2014年06月25日(水) リアル30代とか。

物書きの方は、本業が忙しかったり実生活でいろいろあったりして、現在完全に停滞している。まあ、ゆっくりやりましょうね。可能であれば読むだけの立場の方が幸せだとは思う。


2012年から2013年にかけて毎日新聞に連載されていた「リアル30S」という連載が非常に面白かった。現在の30代が持つ問題や悩みを掘り下げるというもので、てめえも30代の端くれとして非常に興味深かった。連載をまとめたものが本になっているのを見つけてしまったので、さっそく購入しようと思う。

てめえの年代の人間はそれなりに特殊なのだと思う。まあ、言ってしまえばどの世代も特殊ではあるかもしれないが、特に第二次ベビーブームの世代は本当に時代に翻弄された世代ではないだろうか。

最も同世代の人口が多く、少人数教育とはほど遠い大教室で、小学校から高校までひたすら詰め込み教育を受けた。高校のときなんてほぼ50人学級だった。従って競争は過酷で、てめえが初めに入った大学の学部の入試の倍率は48倍であった。これはてめえの母校の倍率の最高記録で、間違いなく今後も破られることはないだろう。


この世代の特徴は、中学校〜高校生時代にバブルが弾けていたということと、大学生くらいの時期にインターネットが普及したということに尽きると思う。

社会に出る頃にはすでにバブルが弾けたあとであり、前の世代のような美味しい思いをすることもなく、就職や進学には困難しかなかった。就職にあたっては採用を控えられることも多く(最も人口が多いにも関らず!)、なんとかありついた職にしがみつくしかなかった。

就職できず、とりあえず派遣社員として働き始めた人もいる。ちょうどてめえらの世代から、人材派遣会社が進出してきた。容赦のない派遣切りもあり、鬱病も増加。などなど社会に対する不安しかなかった。てめえはそう言う例には当てはまらないが、友人たちにはそういう例がたくさんいる。

あの町工場の屋根を見つめながら「何かに騙されている気がする」とてめえが蒙を啓かなかったら、そしてガリ勉しなかったら。ガリ勉の結果奇跡的に48倍を突破しなかったら。同じようになっていたかもしれない。

そうして職を得ても給料も低く、結婚したとしても共働きが基本である。「亭主関白」や「専業主婦」なんて、やりたくても出来ない。というわけで、家事は自然と分担することになる。逆に言うと、食事も作れない男性は話にならない。なんとか結婚にこぎつけても生活が破綻する。

てめえの職場の同僚も、子供が風邪を引いたと言ってはあっさり仕事を休む男性がいるが、とても良い傾向だと思う。その分てめえらに仕事の負担が増えるがそれくらいはどうってことはないし、それを自然に許容しているうちの職場はとても働きやすいと思う。

そして共働きなのに家事負担を専ら女性に求めるのはいただけない。というのが、てめえらの世代の平均的な意見ではないだろうか。というより、現実的に難しい。これはてめえらより下の世代も同じだと思う。自分で出来ることは自分でする。結構地に足の着いた世代とも言えるかもしれない。そういえば「イクメン」などという言葉が生まれたのもてめえら以降ではないか。

ちょっと話は違うが、同様の理由で、家族の介護を嫁に求める傾向も改善してほしいと思う。これもまた仕事上いろんな悲劇を見てきた。夫の親と嫁って基本的に赤の他人だぜ。てめえの親の面倒も見れない男は子供以下だろ。それが男の甲斐性やろ。自分が見ることが出来ないのなら他の兄弟など血縁者に頼るか、あるいはプロを雇いましょうね。


逆に言うと、バブル以前に社会人になった男性の中には、家事が出来ないことをむしろ誇っている人もいる。とても可哀想だと思うし、世代の断裂を感じる。なぜなら、そんな人がバブル後にどんな人生を歩んだのか、てめえは今の仕事の立場からたくさん見てきたからだ。

バブル後の社会人とは違い良い仕事についてはいるが、バブル後にはむしろお荷物扱いされ、給料も激減。仕事がないからと家にいても、「仕事が出来るから」(本人が出来る訳ではなく、仕事だけしていても許された時代だっただけ)と家のことを顧みなかった分何も出来ないので妻や子からダメだしされるが、プライドだけ無駄に高いので逆切れして結果的に独居になり、色々と荒れて医療のお世話になる。自分のまいた種なのか、あるいは彼も時代に翻弄されたのか。てめえは、時代に甘やかされたのだろうと思っている。


と言うとてめえの世代はデメリットばかりにも聞こえるが、そうではない。毎日新聞の連載ではデメリットというか、上記のようなこの世代の悲劇を多く扱っていたし、てめえも共感できるところが多かったのだが、メリットはあまり扱っていなかった気がする。

てめえの考えるメリットは、インターネットの普及をこの目で見てきたということだと思っている。


てめえの世代より前は、社会人になってからインターネットが普及した。従って、「便利なもの」という認識はあるかもしれないが、頭が柔らかいうちに出会っていないのでそのメリットを未だに享受できていない人が多い。

てめえの世代より後は、もう気が付いたときにはインターネットがあった。「便利なもの」というよりは、当たり前にある情報ツールという認識だと思う。これはこれで良いことだが、インターネットがなかった時代は知らない。

てめえの世代は、ネット前と後を知っている。これは大きなメリットだと思う。子供の頃は携帯電話すらなく、もちろんtwitterやFacebookなどのSNSもなかった。メールもなかった。友達と遊ぶと言ったら原っぱで暗くなるまで遊ぶことだった。女の子の家に電話する時は、時間を決めて電話したものだ。呼び出し音が鳴り、本人が出るまでは息を潜めていた。罷り間違って、特に父親が電話に出た時は凍り付いたものだ。まあ、どうでも良いが。

てめえの場合。小学校でPC-9801に出会い、学校でベーシックのプログラムを学んだ。今は亡きAおよびBドライブの意味を知っている最後の世代ではないだろうか。ていうか、てめえより前の世代で知っている人はパソコンおたくである。OSが入っているのがCドライブであることの理由を知っている人は実は少ない。

大学生のときにWin95が出た。その後、リアルタイムでITの進化を観てきた訳だ。従って、ネットのメリットもデメリットもよく知っているし、どう生かすかということも最も知っている世代なのではないか。



まあ、どうでもよいわ。よくないが、てめえの娘が高校でも登校拒否になったという話に比べればどうでも良い。父ちゃんとしてはSNS関連の問題があったのではと勝手に推測しているが、どうなんだろう。違うような気もするが、コミュニケーション関連の問題なんだろうなとは思う。そんなものがなかった時代は良かったと思うし、てめえはSNSには手を出さない。



2014年06月24日(火) 配当金と優待到着。「高タンパク(特に魚)が脳卒中リスク軽減」だと。

てめえが株を持っている会社の株主総会の案内が次々と来ていたが、もちろんその多くは東京でしかも平日に行われるために参加できない。



そうこうしているうちに株主総会の決議が次々と届いて、てめえの口座に配当金が次々と入ってきた。配当金が入るのは嬉しいが、それ以上に嬉しかったのが寿スピリッツから届いた株主優待のお菓子。てめえはこの会社の株を200株持っているので、4000円相当のお菓子が届いた。ちなみに配当金は、税金を取られた後で6375円。合わせて1万円くらいのプレゼント。



もう少し書いてみる。てめえがこの会社の株を買ったとき、手数料込みで一株あたり1171.79円で取得している。今日の株価は2409円なので、今売り飛ばしたら247,442円のプラス。でも、もちろん売らねえぜ。笑 毎年1万円相当のプレゼントがあること、今後も株価が上昇する可能性があるから。

しかし4000円相当のお菓子は結構な量だった。しばらくはお菓子に困らないな。笑



高タンパク食で脳卒中が減少(原文はここ



米国神経学会(AAN)は、高タンパク質食が脳卒中リスクを下げることを示した研究を紹介した。6月11日配信のNeurology誌(オンライン版)に掲載。

 この研究は、タンパク質摂取量と脳卒中リスクに関して入手可能な全ての研究7件(被験者総数25万4489人、平均追跡期間14年)を対象にしたメタ解析。タンパク質が最も多い食事を取る者は、タンパク質摂取量が最も少ない者に比べ脳卒中を発症する可能性が20%少なかった。タンパク質摂取量を1日20g増やすと、脳卒中のリスクは26%低下した。脳卒中リスクを低下させる効果は、植物タンパクよりも動物タンパクで大きかった。

 研究者によると、タンパク質が持つ血圧降下作用が、脳卒中リスク低下に何らかの役割を果たしているとのこと。また、赤身肉は脳卒中リスク上昇と関連するが、魚の摂取は脳卒中リスク低下と関連するため、赤身肉よりも魚からタンパク質を取れば、脳卒中リスクの低下が期待できる。「全ての人のタンパク質摂取量を20g増やせば、脳卒中による死亡を世界で年間140万人減らせる」と述べている。

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引用以上。

植物タンパクよりも動物タンパクでリスクが少なかったというのは検証が必要だと思う。動物タンパクってざっくりまとめるのではなくて、肉と魚をはじめから分ける必要があるのでは。ちゃんと分けると、リスクはおそらく肉>植物タンパク>魚になるのじゃないかと思う。加えて、魚でリスクが低下したのはタンパクの問題ではなくてfish oilの問題では? と思う。そんなわけで、やっぱω3最強。あと、いずれにせよ炭水化物は摂取しない方が良いだろう。てめえは昼だけで良いと思っている。



2014年06月23日(月) 慰霊の日。

今日は沖縄戦が事実上終結した日。沖縄県でのみ公休日になっており、もちろん学校も病院も休み。そんな日に、普通に働いていることに違和感を感じるのは、社会人になってからこの日が特別な日であったからだろうと思う。

明治以降に日本になった地域に興味があったのは、てめえがそれらの地域の血を濃く継いでいるからだろうと思う。順に琉球、台湾、樺太、そして朝鮮。アイヌは便宜上ここに含めない。

これらの地域は、太平洋戦争のときに「日本」として戦った。「一億総火の玉」とはよく言ったものだが、この一億はこれらの地域を含めた人口である。つまり、日本としては全く差別化していなかった。

にも関らず、これらの地域は終戦間際まで徴兵もかけずに徹底的に保護した。日本は、徹底的に守ろうとしたのだ。

これらの地域の中で、地上戦を経験したのは沖縄だけである。台湾出身の祖父も言っていたが、他の地域は平和そのものだった。空襲の恐怖もなく、赤紙もこない。つまり戦争を身近に感じることは全くなかった。祖父なんて、あまりに平和すぎて、一旗揚げようと日本に出稼ぎにやってきたくらいだ。つまり、戦争を身近に経験したのは沖縄だけである。

沖縄に上陸したアメリカ軍に対して、沖縄の人々は徹底的に戦った。徴兵されていないにも関らず日本軍に協力し、果敢に戦った。看護要員として参加した「ひめゆり部隊」はあまりに有名だが、それ以外の沖縄人も果敢に戦った。そりゃあそうで、自分たちの住む土地が蹂躙されているのだ。日本軍に協力したのはそれだけではない。自分たちの土地を命をかけて守ろうとする日本人に、自然と協力することになったのだ。

沖縄戦では、当時の沖縄県民の約25%が命を落としたと言われている。てめえも沖縄で仕事をしていたときに、家族歴に「戦死」が多いことに絶句した。

そんな沖縄戦も、日本軍は摩文仁に追いつめられて終了した。それが、今日6月23日。

沖縄戦を最後まで戦った海軍軍人の太田実は、自決する直前に海軍宛に電報を打った。いつ読んでも涙が止まらない。


沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ
然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ
而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ
所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ
更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ
是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン
糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ



電報の現代語訳
沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。
沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。
しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。
つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。
食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

沖縄県民はこのように戦い抜いた。
県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。


「天皇陛下万歳」ではなく
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
と書き残して自決したこの誇り高き軍人の遺志を、果たして今の日本は継いでいるのだろうか。と慰霊の日に思う。

皮肉にも、最も過酷な運命を背負った沖縄は、その後アメリカ占領を経て日本に帰属した。徹底的に保護されたあげく戦場にもならなかった台湾と朝鮮は独立したが、親日と反日に分かれた。なんでだろうね。



2014年06月20日(金) 日本対ギリシアとか麦飯とか。

ある雨の降らない梅雨の日に突然お告げが降りて、麦飯を試してみた。本当に突然のお告げで、てめえはまさかハマることになるとは夢にも思わなかったのだ。

いわゆる「臭い飯」である。今時の麦飯はどんなものなのか。とりあえず、何でも売っていそうな大きな店に行ってみた。

まあ、麦もいろいろあるね。しかし特別に安い訳ではない。むしろ上等な麦は米より高い。適当に見繕って購入してみた。

そして米2合に麦1合の割合で、てめえ愛用の鍋で炊いてみた。麦の方が米よりもよく水分を吸うそうだが、よくわからんのでいつもの水加減で炊いてみた。固ければ、次回調整すれば良い。

しかしこの麦飯が旨かったのだ。てめえの好みにやや固めに炊き上げた麦飯は、噛みしめるごとにぷちっと小さな抵抗を示して喉の奥に消えて行く。香りも独特なので「臭い飯」とはよく言ったもので、しかしこれは好きな人には好きなのじゃないだろうか。

そんなわけで、夢中でもりもり食べた。噛みしめる楽しさ。しかしよく噛むのでたくさんは食べられない。しかもカロリーは米よりも低い。

というわけで、てめえは白米がだめだったのだと言うことがよくわかった。玄米も麦飯も好き。しかし白米は甘すぎる上に、独特の匂いがダメ。そして、てめえは糖尿病になることはなさそうだ。これが好きで白米をもりもり食べる人が糖尿病になるのだろうな。

昨日は久しぶりにカレーを作ってみて、麦飯に合わせてみた。これが旨い! 玄米もカレーに合うが麦飯もなかなかではないか。しかも香りがダメな人でもカレーだとさほど気にならないだろう。

とても気に入ってしまったので、大麦を12kg大人買いしたぜ。ワイルドだろ。ついでと言っては何だが黒米も1kg買ってしまったぜ。慣れたら麦と混ぜて炊いてみる。これも楽しみ。

さて、なんでこんなことをしているのかというと、少量の炭水化物を摂るとアルコールなしでも食事を楽しめると言うことがわかったからである。ということは、今後アルコールなしの夜が増えるかもしれない。夜の炭水化物は体に悪いのは間違いないが、アルコールとどっちが悪いのだろうか? ちょっと程よく試してみたい。というわけで、サッカーの話はもうええわ。



2014年06月17日(火) ドクターヘリ

梅雨だというのに京都では全く雨が降る気配がない。雲行きは怪しいことも多いが、結局降らない。バイク乗りにとっては最も憂鬱な季節なので雨が降らないのは歓迎だが、農家の方々にとってはそれどころじゃないだろうなと思う。


てめえが医師になって2年目だった。今もそうだが、卒後研修必修になってから(つまり、てめえより後の年代)は2年目で「地域医療研修」がある。もちろん、てめえより前の年代にはない。

てめえの地域医療研修は離島だった。人口1000人ちょっとの、医師一人の離島。自分一人で何でもやらなければならない。そういう日が来ることはわかっていたので、1年目は全科をひたすらどん欲に勉強した。特に救急関連を、もう嫌になるほどに経験させていただいた。

内科や外科、小児科の処置はもちろんのこと、眼科や耳鼻科の救急も出来なければならない。なんせ、島にはたった一人の医師である。「専門じゃないので専門科に行ってね」とはいえない場所。


そんな離島研修はひたすら楽しかった。二つの離島に行った。それぞれの特徴もあり、ほとんどは内科管理、たまに小児科や外科処置もあり、中には眼に入った異物の除去や耳に入った虫を取り除く処置もあったが、日々は平穏だった。何でも出来なければならないとビビっていた自分がかわいく思えるほど、何もない日々が過ぎた。

そんなある日。診療を終える夕方近くに診療所に連絡が入った。「うちのおばあが畑仕事中に倒れて意識がないので診てほしい」と。

この電話の情報で、脳出血だろうなと考えた。脳梗塞かもしれないし、単なる熱中症かもしれない。あとは本人を診ないとわからない。

しばらくして家族が診療所に患者を運んできた。バビンスキー反射陽性、片側の反射も亢進しており、脳出血と矛盾しない。梗塞かもしれないが、これ以上はCTをとらないとわからない。CTのない時代には、両者まとめて「脳卒中」と片付けていたことを思い出す。

もちろんCTをとれる施設はこんな小さな島の中にはないので、本島に搬送する必要がある。日中であればフェリーでの搬送もあり得るが、夕方でありフェリーもなく、しかも結構緊急状態。こんな場合は自衛隊にお願いすることになってるのだ。

早速自衛隊のヘリを要請した。さすが軍人、詳しい話も聞かずにすぐに島に来てくれることとなった。

電話を切ってしばらくして、患者をヘリポートに搬送して自衛隊の到着を待った。遠くからヘリの音がする。それがどんどん近付いてくる。ようやくヘリが見えたかと思ったら、あっという間に近付いて爆音とともにヘリポートにヘリが降り立った。

ヘリが垂直に降りてくるとともに、爆風がてめえらを襲う。なんとか患者さんを爆風から守り、ようやくストレッチャーごと患者をヘリに乗せた。

ヘリの中には自衛隊員が数人乗っていた。みな一言も口をきかない。そりゃそうで、ヘリの中は爆音が凄くて会話なんて不可能。そもそも患者を搬送するためのヘリではなく、軍人を運ぶためのヘリである。てめえも所定の位置に座ると、きつくベルトを締められた。

島のヘリポートを飛び立ったヘリは、あっという間に那覇空港に着いた。空港内ではすでに救急車が待機しており、すぐに救急車に乗り換えて病院へと向かった。

問題はここからで、渋滞で有名な那覇市内は救急車といえどもラッシュ時に重なっており、徐行しながら病院に向かった。離島から空港に達するよりも、空港からすぐの病院への時間の方が長かった。

無事病院に患者を送り届けた。すぐにCTを撮った結果、てめえの見立て通り脳出血だった。



2014年06月16日(月) いろいろと。

明日の研修医向けレクチャーの資料作りが終わらない。週末でなんとかメドを付けたつもりだったが、研修医から受けるであろう質問を想定するとまだ足りず、修正を余儀なくされている状態。

まあ、あとはアドリブでも何とかなると思うが、間違ったことを教えるのはさすがにまずいと思うのでもう少し頑張ろう。とも思うが、今日も忙しい一日だったし家のこともしたりとかしてもう限界。残りは明日早起きしてなんとかするぜ。自分の知識のアップデートにもなるので苦痛ではないしね。ていうか、こういうことをしていると、やっぱり自分は医学と医学教育が好きなんだなあとしみじみする。


今日の外来は、長いことフォローしているある患者さんがやってきた。この方はてめえが京都に帰ってきてから引き継いだ患者さんで、てめえの外来の中でも付き合いは長い。

生まれた時からいろんな障害と病気を持っておられる方で、他科とも併診となっている。てめえも引き継いだ時はその既往歴の長さに驚いた記憶がある。60代独身女性で独居。しかしそれだけ病を持っておられるにも関らず、ご本人はいつも明るく人生を楽しまれている。

その患者さんから相談を受けたのは、この春だったか。「友人に誘われて人生初めての海外旅行に行きたいのだが、病状的に可能だと思うか?」とのこと。

てめえはもちろん、双手を挙げて賛成した。リスクを挙げて反対するのは簡単だが、それは彼女の人生に何の足しにもならないのだ。

むしろ、人生に目標を持ってもらった方が治療の動機付けになるのだ。目標を持ってもらうことで、自分で病状を好ましいようにコントロールしようとするようになる。そう、てめえは医者の仕事なんて、いかに動機付けするかだと思っている。いったん本人をその気にさせることが出来れば、病状のコントロールは容易になるのだ。いくら説教したり薬を増やしたりしても、本人による動機付けに勝るものはない。

それでも不安が強い彼女のために、何かあったときに海外の医療機関に提示する紹介状のようなものを英語で作成した。それは単なる紹介状ではなく、生い立ちから今まで受けた医療や病名まで詳細にわたるもので、文書にするとすげえ量になった。仕事の合間に作ったということもあり、作成するのに1か月以上はかかった。しかも通常の紹介状にはなり得ないので無償である。その文書を作りながら、彼女の過酷な人生を図らずも振り返ることになってしまった。そして、何事もなく、そしててめえの作った文書が使われることなく無事旅行を終えられることを祈った。

そんな彼女は、今日満面の笑みで外来に現れた。そしててめえに、いかに楽しい旅行だったかを語った。てめえも時間を忘れて彼女の話を聞いた。次々と重ねられて行くカルテを横目に見ながら。

「結局あの文書は使わなかったのですね」とてめえは尋ねた。「ええ、使いませんでした」と彼女は笑った。これを機にまた海外旅行行ってね。


その後の外来も順調で、今日は早めに終わったので、午後への仕事の移動中に「煮干し生醤油らーめん」を食べた。うーむ、ここのらーめんはいつも何か一枚足りない気がするぜ。旨かったけど驚きのない予想通りの一杯だった。


今日はドイツ対ポルトガル。時間が合えば絶対に見たい一戦だが、無理です。寝ます。ううむ残念だ。にわかサッカーファンには、せっかくの機会なので日本戦だけではなく他の素晴らしい対戦を観なさいと言いたいてめえは立派におっさんですね。

日本戦のあと、日本のサポーターはきれいに掃除してからスタジアムを後にしたそうだ。日本人にとっては全く意外性のないニュースだが、世界的には驚愕らしい。そりゃあそうだろうなと思うわ。こういうニュースを聞くと、てめえは「美しい国」日本の日本人であってよかったと思う。



2014年06月15日(日) 日本は初戦敗北/教育について

今日はある意味忙しかった。なんせイタリア対イングランドと、日本戦が連続だったから。笑

前者は素晴らしい試合だった。こういうガチンコ勝負を、毎日のように観ることの出来るワールドカップの期間は本当に幸せ。

日本の敗北は残念だったが、内容的には仕方がないだろう。むしろ最小点差で済んでよかったのではないかとさえ思える。コートジボワールはよく鍛えられた良いチームだった。うまく行けばベスト4くらいまで勝ち上がるのではないだろうか。

しかしこれで日本のリーグ戦突破は非常に厳しくなった。ギリシャには勝てる可能性はあると思うが、相手も初戦を負けており今度は必死だろう。

仮にギリシャに勝利したとしても、次のコロンビアは無理だろうな。しかしだからこそ頑張ってほしい。


「今度また○○についてレクチャーしてほしいんです」と研修医にお願いされてしまった。「おっけーまかしとき」と簡単に引き受けたのは良いが、レクチャーするのにはすげえ準備が必要なのですね。研修医としてはわからんことを教えてほしいと簡単に言うのはよくわかる。自分もその立場を経験してきたから。

その度に、指導医の方々は涼しい顔でレクチャーしてくれたものだったが、立場が逆になるとこれがいかに厳しいかがわかる。

自分の専門分野であれば、まだ簡単である。さすがに日々アンテナも張っているし、最新情報もいろんな人を通じて入ってくる。それでも知識を整理して、初心者にもわかるように噛み砕くのは簡単ではないけれども。

それが専門分野を外れると一気に困難になる。まず自分の知識のアップデートから始める必要がある。自分が常識だと思っていたことがあっという間に時代外れになっていたりする。まあ、自分の勉強になると言う点では良いことではあるのだけれども。

仕事場以外では仕事をしないと言うことをポリシーとしている自分ではあるが、さすがに勤務時間内にはレクチャーの資料をそろえることは出来ず、週末を犠牲にして勉強したぜ。したからと言ってギャランティはもらえないが、こんな仕事を嫌にならずにやっているということは、やっぱり教育の仕事が好きなのだろうな。

そのため、と言うだけではないが、昨日は珍しく一滴も酒を飲まずに寝た。家で飲まずに寝たのは、母親が肝障害で倒れたとき以来だ。

あの時はさすがに願掛けも兼ねてアルコールとタバコを止めた。タバコはそのままやめられたが、アルコールを断ったのはそれ以来。今日? もちろん飲んでますよ。いやあ断酒後のアルコールは最高。笑



2014年06月14日(土) 誤審?/スペイン大敗

ワールドカップ初戦のブラジルークロアチア戦のジャッジが誤審だったのではないかと話題になっている。

てめえはこの試合をリアルタイムで見ていたのだが、確かにブラジル人FWのフレッジの倒れ方はわざとらしくはあった。しかしクロアチアDFの手は明らかに体に触れており、あれはファウルをとられても仕方がないと思う。その他のジャッジも全く問題を感じなかった。確かに少しクロアチアに辛いかな、とは感じたけれども。

あーだーこーだ言う人は、次の2点を考慮していないのだろうと思う。

1.「誤審だ」「いや誤審じゃない」と判断が分かれる場合は、通常誤審ではない。

それは審判の判断の問題である。野球でも、ストライクかボールか微妙な場合がある。完全なグレーゾーンの場合は、審判の判断になる。そう言った場合は、選手は納得いかないこともあるかもしれないが、審判の判断に従うしかない。

誤審というのは、誰が見ても間違った判断を下した場合である。明らかなくそボールをストライクと判断したり、あるいは2002年の日韓ワールドカップにおける韓国戦であったり。まあ、後者は「誤審」ではなくて「買収」だったけどな。奇しくもそのことを、当時韓国サッカー協会の会長だった鄭夢準は認めよったけどな。自分としては業績だと思っているのだろうが、ほんまに恥を知れ。

FIFAが「ワールドカップ誤審トップ10」を公式に認めていて、トップはもちろん韓国戦だろうと思っていたら1位はなんと「マラドーナの神の手」だった。笑 あれには勝てないわ。ちなみにトップ10に日韓ワールドカップの韓国戦が4つもランクインしていた。

2.ペナルティーエリアでは、紛らわしいことをしたものが負けである。

サッカーを少しでも齧ったことがあれば常識である。ファウルとられれば、すなわちPKになるからだ。



さて、今日のスペイン対オランダ戦は前回の決勝戦の再現でもありとても楽しみにしていたが、意外なまでにオランダが大勝した。オランダの攻撃が炸裂したという見方も出来るかもしれないが、てめえ的にはスペインの守備が崩壊しただけだと思うぞ。

次回までに立て直さないとスペインがまさかの予選リーグ敗退になってしまうが、個人的には残念なことなので今後立て直してほしいな。前回大会も、初戦敗退から立て直して優勝したしな。スペインがんばれー。



2014年06月13日(金) Wカップ開幕/東京女子医科大学麻酔科の衝撃

なぜだか夜中に目が覚めた。iPhoneで時間を確認すると5時前だった。ニュースを確認してもう一眠りしようとニュースサイトを見たら、なんとWカップが開幕していた。すっかり忘れていた。

たちまちてめえは飛び起きてテレビにかじりついている。今は後半が始まったところでまだ同点だが、ボール支配は圧倒的にブラジル。日本人審判の笛も素晴らしい。決勝戦までの1か月間、じっくり楽しみたいと思う。



禁止鎮静剤、投与後12人死亡 東京女子医大が因果関係を調査


透析クリニックの医師が殺人目的でカテーテルを引き抜くという事件も衝撃だったが、そっちは単に頭のおかしい人にすぎない。医療側が悪意を持てば、簡単に殺人が出来るということを図らずも証明してしまったのは残念だが、単なる悪意の問題では済まされないのが東京女子医科大学の問題だと思う。


なんと一人ならず12人も死亡していただなんて、これはもう確信犯としか言いようがない。どこまでプロポフォールのせいなのかはきちんと検証する必要があると思うが、医療で確信犯はもちろん許されないしそんな医者はいらない。禁忌薬を使って死亡者が出た時点でアウトである。それを使い続けるなんて、人の命を何だと思っているのか。この方々は少なくとも医師免許剥奪で良いのではないか。

プロポフォールは鎮静に使う薬であって、他にも代わりとなる薬剤はたくさんあるし、使わないと命が助からないような薬ではない。そんな「使っても使わなくても良い薬」をあえて使って死亡者を出す。てめえには「危ない薬を使いこなす自分に酔っている」ような印象が目に浮かぶが、考え過ぎだろうか。

今後の検証はしっかりしてもらう必要があるが、てめえには今回の問題は東京女子医科大学だけの問題ではないと感じる。ぜひ日本中の病院でも検証をのぞむ。


と書いているうちにブラジルが逆転した。ナショナルチーム同士が本気で戦う姿には、本当に感動する。トップクラスの選手が見せるプレーは本当に美しい。ああ、寝不足の日々が続くなあ。まあ、眠れない夜に退屈することはないとも言うことができるけれども。



2014年06月10日(火) 泥んこ道を二人で

部屋の整理をしていたら「シドアンドナンシー」のDVDを見つけてしまい、再度見返している。本当にこの映画が好き。クソみたいなドロドロの映画だが、初めて見た時からてめえの心を捉えて離さないのだ。




人が生きて行く中ではきれいごとばかりではない。クソみたいなどろどろした心を、みな隠して生きている。

シドとナンシーはそんなドロドロを隠さずにまっすぐすぎるくらいまっすぐに生きて、そして20歳過ぎの若さで死んだ。本当に命が燃え尽きたのだろうと思う。そんなてめえは、40近くになって恥ずかしいことにまだ生き長らえている。


______________



二人で生きて行くのなら、きれいな道を歩きたいって思うかもしれないけれども
二人で生きて行くのなら、きれいではない道ばかり。
一人だとしんどいけれども、二人だと「泥んこ道」もまた楽しいかもね。
「シドアンドナンシー」ほどのドロドロでなくてもいいのだけれども。

楽しいことやしんどいこと。
良いことや悪いこと。
そんな全てを飲みこんで、泥んこ道を二人で。





泥んこ道に二人で ころがりおちた
もう二度ともどれない 愛の世界に
もぐりこんで もぐりこんで ずっと抱き合って
ころげおちて ころげおちて 泥んこ道を二人で



2014年06月07日(土) 蒼白

あれはまだ、てめえが研修医1年目の時の出来事だった。

昔は医者になったら、自分の好きな科の勉強をすぐに始めていたものだが、今は昔と違い、はじめの2年間は各科をローテーションすることになっている。したがって(と言っていいものかどうかわからないが)昔の医師と今の医師は、平成16年卒業を境にして基礎的な素養がちょっと異なる。

医者になったばかりのてめえの医師人生は、小児科から始まった。なんちゃって小児科を2か月経験し、さんざん子供を泣かした後に救急の研修になった。救急は科に関係なくいろんな患者がやって来る。自分が経験したのは小児科だけだったので、子供の診察だけは自信があったが大人はさっぱりだった。

救急での研修をはじめてすぐの頃。腹痛を訴える大人の患者が救急を受診した。一通り話を聞いて、実際に診察も行ったが何の病気なのかさっぱり見当もつかなかった。そして何より、次に何の検査をしたらよいのかもわからない。

診察を終えて、患者さんがてめえの方をじっと見ている。腹痛の原因は何か、次に検査はあるのか、重症なのか軽症なのか、などを考えておられるのだろう、心配げにてめえの方をじっと見ていた。

診察を終えたてめえは、そんな患者さんと目が合った。「さっぱりわかりません」などと正直に言えるはずもなく、数秒の沈黙がその場を支配した。

「あのう…」
と、てめえはようやく絞り出すように言葉を出した。
「…はい」
患者さんは次に何を言うのだろうと構えている。さっぱりわかりません、とはやはり言えず。数秒間患者さんと見つめ合って、ようやくてめえは「ちょっと上の先生にも一緒に診てもらいます」とその場を誤魔化した。

いったん診察室から患者さんを出し、院内PHSで上級医に電話した。診察室に降りてきた上級医にカルテを見ながら一通りプレゼンテーションした後、上級医は「それで、お前の診断は?」と聞いてきた。「ええと、正直よくわかりません」と、上級医には素直に告白した。

てめえの拙いプレゼンテーションを聞きながら、汚い字で書かれたカルテ(当時は紙カルテだった)を眺めていた上級医は、カルテの最後に汚い字で「診断:腹痛」と書かれているのを見つけて、憚ることなく爆笑した。

「いいか、腹痛ってのは症状であって診断ではないぞ」

と、爆笑した後に真顔に戻った上級医にてめえはこってりと指導を受けた。


こってりと絞られまくった救急の後は麻酔科であった。ここで2ヶ月の間、朝から晩までひたすら麻酔をかけた。研修医はてめえ一人だったので、麻酔の準備から導入、麻酔中の管理などをすべて一人でやらされた。もちろん後ろには指導医が控えているのだが、ここでやりたい放題させていただいたのはとても貴重な体験だった。

他の病院では横で見ているだけの指導が多いと聞くが、てめえは毎日少なくとも3例以上の麻酔をさせられたおかげで、多分今でも緊急手術になれば、簡単な麻酔であればかけることが出来るだろう。全身麻酔も脊髄麻酔も山盛りしたし、最後の方では硬膜外もさせていただいた。

夜中も緊急手術があればすぐに呼ばれた。結局この2ヶ月は、ほぼ手術室で寝泊まりした。

麻酔科の次は産婦人科だった。産婦人科もたった一人の研修医だったので、全てのお産に呼ばれた。夜中であろうとも。帝王切開にも第二助手として全て参加させられた。しかも麻酔科の直後だったので、すべての帝王切開の麻酔までかけさせられた。麻酔を自分でかけて、その後手洗いして助手として手術に参加する。なんと濃い研修だったのだろうか。

おかげで2ヶ月の産婦人科研修の中で経腟出産は20例以上とり上げた。残念なことに死産にも立ち会った。最後の方は、産後の縫合も一人で行っていた。そんなわけで、今でも目の前で産婦が産気づいても怖がらずに最低限の対応は出来るだろう。

その後は内科。もともと希望していた科でもあり、楽しく勉強させてもらった。半年以上経ち、他の科も経験して、ようやく自信がつき始めていた。


そんなある夜の当直。この日も忙しく働いていたのだ。17時に当直を引き継いだ後は、ほぼ食事も休憩も取れない状態で仕事をしていた。

その患者が来院したのは、確か23時頃だったと記憶している。「胃が張って痛いんです」と書かれた問診表を手に、てめえは患者を呼び入れた。

若い女性だった。ご主人と診察室に入ってきたその女性のお腹は大きく張っていた。産婦人科を経た自分なので瞬時に理解したが、このお腹はほぼ臨月の大きさだ。妊婦なんて聞いてないぞ、と思いながら診察を始めた。

どこが痛みますか? とのてめえの質問に、その女性は「胃が痛いんです、昔から胃が弱くて」と疲れた様子で言った。こういった場合は、患者本人の訴えを信じてはいけない。本人が言う「胃痛」は、胃由来ではないことが多いからだ。

その後妊娠9ヶ月であること、当院ではないかかりつけの産婦人科医にかかっていることなどを聞き出した。

てめえは問診を急いでいた。なぜかというと、その患者にはどことない重症感が漂っていたからだ。胃の問題ならば、単なる胃炎ではなく胃潰瘍など、あるいは他の内臓疾患か。「本物の患者」は、どことない重症感を漂わせているものだ。それを理解できるかどうかが、医者の適性があるかどうかだとてめえは思っている。したがって、クモ膜下出血を見逃したというニュースを聞くたびに、あり得ないだろうと思うのだ。クモ膜下出血の患者さんは、すげえ重症感があるからだ。

「では、診察しましょうね」と、最低限の問診を終えたてめえは患者をベッドに寝かせた。腹部の診察は、通常聴診から始まり打診、触診に移る。学生でも知っている常識である。しかしてめえはその時、常識を守らずに聴診も省いて躊躇わずエコーのプローベを患者のお腹に当てた。そう、まず否定したいのは産科の病気。

躊躇わずに胎児の頭に当たる部分にエコーを当てた瞬間、見たことのない画像が見えた。あ、これ、ヤバい奴や…。たちまちてめえの顔は蒼白になったはずだ。


ここまで、患者を呼び入れてから3分もかかっていないはず。てめえはすぐに産婦人科当直に電話をかけた。

「はい産婦人科当直」
と、その日産婦人科の当直をしていた医師は、あからさまに眠そうな声で電話に出た。てめえは寝ていたのを起こされて不機嫌かも知らんが、忙しい内科は一睡もしてないのだぜ、という心の声をぐっと抑えた。

「すみません、他院にかかられている妊婦なのですが、腹痛で来院されて…」
そこまで聞いて、産婦人科医はてめえの言葉を遮った。
「だからって産婦人科呼ぶの? 内科の病気は否定したの? それで寝ているところ起こされるのっすかあ?」
と、産婦人科医は子供のように怒鳴った。だから人の話は最後まで聞けよ。じゃあこっちもプレゼンテーションの中身すっ飛ばして結論言おか。
「ええ、エコー当ててみたら胎盤に血腫があって、おそらく常位胎盤早期剥離と思われます」
「な、なんだってー! それほんまか? お前、間違いないんやろな。すぐに行くわ」
てめえも産婦人科をわずか2ヶ月とはいえ経ている自信はそれなりにあるぜ。なめんなよ。

すぐに飛び起きてきた産婦人科医は、自分でもエコーを確認して「間違いないな。すぐに手術や!」と早速手術の手配を始めた。

その後、無事赤ちゃんは帝王切開で生まれたことを聞いた。


久しぶりに購入した漫画「コウノドリ」を読んで、そんな日々があったことを思い出した今日この頃。



2014年06月01日(日) 東京優駿結果。

いやあ感動した。素晴らしいレースだった。


昨日の内容と矛盾するが、各馬の当日の出来を見て考え方が変わった。レッドリヴェールは体重減少もあり、出来もいまいちで残念ながら選択肢から消えた。イスラボニータは非常に仕上がりが良い。ワンアンドオンリーも凄い気合い。トウザワールドも悪くないが、ややおとなしめ。やる気があまり感じられない。まあ、良い言い方をすると「落ち着いている」となる。

やっぱり皐月賞のレースをyoutubeで見直して、最後に凄い足を使ったワンアンドオンリーが気になった。昨日は選択枝に入れていなかったが、急に選択枝に急上昇。

そんなわけで、直前で気が変わり、トウザワールドとワンアンドオンリーの単勝を買うことにした。

そして結果はワンアンドオンリーが最後凄い足を使って勝利。払い戻しは単勝560円。久しぶりに「いっけー、そのままー!」と叫んでしまった。


1万円分買っていれば、払い戻しは56000円。2万円買っていれば112000円。5万円分買っていれば280000円。10万円分買っていれば560000円。やっほー。いくら買ったかは言わない。JRA関係者が見ているとも限らないので。笑


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