解放区

2014年04月30日(水) 吃炒飯了?

今日はひどく疲れてしまった。

仕事で予想もしなかった事態が起こって後始末に追われ、気が付けばもうこんな時間だ。さすがにこんな時間になると自宅に帰ってから自分で料理する気力もない。

かと言ってコンビニで手頃な弁当を買う気にもならない。ちょっと前に、同じように疲れ切ったある日の出来事を思い出す。



あの日は今日よりも疲れていた。本当に精根尽き果てていた。ようやく仕事を終えて、その後どうやって職場から出てきたのかすら覚えていない。

気が付くと自宅近くのコンビニに居た。帰る道の途中にある飲食店に立ち寄って軽く食べて帰る、という選択肢すら思い浮かばなかった。そして、どうやってその自宅近くのコンビニまでたどり着いたのか全く覚えていない。

家に帰ったら、食べるものはないが飲むものはある。このまま飲んだくれるというのも悪くないが、肴も用意せずに空きっ腹にそのままアルコールを流し込むのはよくないだろうということくらいはさすがに理解していた。

コンビニの棚を一通り物色するが、いまいち食欲を刺激するものは見当たらない。冷え切った弁当はいくらチンしようが食欲を湧かせることはないだろうし、びろんびろんに伸び切った麺類を買う気もしない。

そんなことを考える余裕もないくらいに、徐々に意識も朦朧としてきた。疲れすぎたのだな。

そう、もう何も考えたくなかった。

とりあえず、何も考えずに適当に肴になりそうな缶詰をかごに放り込み、レジで会計を済ませた。後は帰ってから、一人この缶詰で今日の一日を乾杯しよう。そしてただ深く泥のように眠ろうと思った。


家に帰り、さっそく缶詰を開ける。ようやくやって来た至福の時だ。まずは家にあった缶ビールを開け、一人で空に向かって乾杯した。

ビールを一気に飲み干す。旨い! まるで砂漠に降る雨のように、乾ききった体に水分とアルコールが沁み渡る。至福の瞬間だ。

次いで缶詰を一口。さらなる至福の時が訪れるはずだった。そしててめえは旨いっ! と叫ぶはずだったが、あれ? 全く味がない。さっそくビールで舌が馬鹿になったか? 

恐る恐るもう一口。やっぱり全く味がない。どうした、てめえはあまりに疲れすぎているのか。

まあいいやと思い、味のない缶詰で晩酌をした。なんだか味気がなかったが、それ以上に食事ができているということに喜びを感じた。

そろそろ食べ終わる頃だった。てめえは初めて缶詰の表記に気が付いた。コンビニで出会ってから食べ終わるこの瞬間まで、全く気が付かなかった。

そう、缶詰にはしっかりと「犬用」と書かれていた。

(当然フィクションです、そして続く)



2014年04月29日(火) あるラーメン屋の風景。

あれはそろそろ残暑も落ち着き始めて、ようやく食欲も出てきて熱いラーメンを食べようとする意欲がわずかながら出てきた日だったと記憶している。

てめえは暑さに極端に弱く、夏になるとたちまち食欲が失せる。

灼熱の太陽の下で働いていた植木屋時代は、夏になんとか喉を通るのはとろろそばだけだった。あの時は、昼食時になると現場近くの蕎麦屋に駆け込んではとろろそばをなんとか喉に流し込み、滝のように溢れる汗を補うためにただひたすら麦茶を飲んだ。今でも、夏の日に屋外で仕事をしている人を見ると思わず頭が垂れる。


暑さも幾分か和らいできたその日、てめえはとあるラーメン屋の暖簾をくぐった。午前中の仕事に忙殺され、午後の勤務先に向かう僅かな時間に、ファストフードであるラーメンはとても都合が良かった。

きれいに清められたカウンターに座り、てめえはその店のおすすめラーメンの一つを注文した。先客は一人だけで、てめえとは少し離れたところに座って、すでに提供されているラーメンを一人で啜っておられた。

食べながら、写真を一枚ぱちりと撮られる。この写真は、自分のブログにでも載せられるのだろうか。あるいは単なる趣味で記録を残されているのか。

てめえは食事の時は食べることに集中したいので、食べながら写真を撮るという行為を全く理解できないのだ。もちろん、食べる前に、きれいに盛り付けされた料理を、記憶にだけではなく記録に残しておきたいという気持ちはよくわかる。しかし、食べながら写真を撮るという行為に関しては全く理解できないし、そういった意味でやや奇妙な印象がてめえの中に残った。

しかしまあその辺は好き好きである。商品の代金を払った上で、店主の了解を得ているのであればまあ好きにすればよい。

すこし奇妙な印象はあったが、そういったどうでもいいことを考えている間にすぐにてめえのラーメンが運ばれてきて、それきりてめえは彼への関心を失った。

あっさり清湯系のラーメンを売りにしている店で、この日はこってり濁っているスープの麺を注文したのだが、残念なことに動物系の臭いが少し気になった。やっぱり臭みのない清湯系の方がこの店はいいんだろうな、などと考えていたその時だった。先客が箸を置いてゆっくりと立ち上がった。通常は食事が終わった合図である。思わず彼の方を見たら、驚いたことに丼の中の麺はほぼ残っていた。確かに食べることよりも撮影などに集中されていたのだが、それはないだろう。

彼が立ち上がった瞬間、店主が足早に彼のところへ歩み寄った。もしや「おいこら、写真ばっかり撮りやがって麺をこれだけ残すなんて太え野郎だ!」とお怒りになり、職人と客とのバトルが始まるのではないかとてめえは恐れ慄いたが、てめえの思いとは裏腹に店主は意外な行動に出た。

「お味は、いかがでしたか」
と、てめえが驚くほどの恐縮ぶりを見せたのだ。

「いや、いつも通り旨かったです」
と、その彼は返した。じゃあなんで残すねんお前は、とてめえがてめえの麺をすすりながら心の中で思った時、彼はこう続けた。

「すんません、次があるので残してしまって…」
「いやいいですよ。…あ、お代は結構です」
と言う店主のひそひそ声を聞いて、てめえは思わず椅子から転げ落ちそうになった。なんだこの会話?

彼が代金を払わずに店から出て行ってしばらくは、その意味を考えることに忙しくて、残念ながらその後の麺の味は全く分からなかった。


世間知らずのてめえは、麺を全部食べ終わり、彼と違ってきっちり自分の食べた分を支払い、釈然としないままバイクに跨ってから、ようやく気が付いた。

おおそうか。そういうことか。

てめえがまだ子供であるということに気が付いた、ある残暑の厳しい昼下がりだった。



2014年04月28日(月) カエルとサソリ。

むかし、ある大きな川の畔にカエルとサソリがいました。

サソリは、そのゆったりと流れる大きな川の向こう側に、一度でいいから行ってみたいと思っていました。彼の背からは向こう岸すら眺めることのできない川の向こう側を、たった一度でいいから見てみたい。違う世界をこの目で見てみたい。そう願っていました。

そこでサソリは、近くにいたカエルに相談しました。おれ、一度でいいから川の向こうを見てみたいんだ。だから、たった一度でいい。一度でいいから君の背中に乗せて、川を渡ってくれないか? 君は自由に泳げるだろう? おれは泳げないんだよ。

いやだよ、とカエルは言いました。だって、君を背中に乗せたら、君は僕のことを刺すだろう?

そんなこと、するわけないじゃないか。とサソリは笑い飛ばしました。だって、君を刺したらおれも一緒に溺れてしまうだろう?

それも理屈だな、とカエルは納得して、サソリを背に乗せ川を渡り始めました。川は小さく波打ちながらゆったりと流れており、川底近くでは小さな魚が群れをなして泳ぎ、上空からの穏やかな風は水面を撫でていました。


川を半分くらいまで渡った頃でしょうか、カエルは突然背中に焼けるような痛みを感じました。痛みはたちまち全身を貫き、背を振り返る間もなく四肢の端までが痺れ始めました。

耐えがたい眠りに落ちる時のような意識の混濁を感じながら、カエルは溺れないように手足を大の字に大きく広げ、わずかに残った力を振り絞ってサソリに言いました。

サソリ君、君は僕のことを刺さないって言ったよね? ほら、このままじゃ僕も君も死んでしまうよ。君の言った通り、このまま僕たちは溺れてしまうじゃないか!

サソリは言いました。


"I can't help it. It's my nature"


仕方がない。これはおれの性(さが)なんだ。



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クライングゲームはてめえの大好きな映画の一つで、てめえには珍しく「恋愛映画」である。あまりに好きだったので、劇場公開中に幾度となく足繁く劇場に通った。この素晴らしさを感受性の高い若者に伝えたいと思い、てめえは数回目に当時中学生だった妹を連れて劇場に行った。

妹を連れていったその時まで全く知らなかったのだが、実はこの映画は「R-15」であった。つまり、15歳以下はダメ。確かに大人なラブシーンもあるが、それはそれとしてとても美しい映像だった。まあ、要はR15指定を食らったのは「大人の事情」である(性器を露出するシーンがあり、無修正だったため。実は激しいラブシーンは全くと言っていいほどない上に、性器を露出するシーンはストーリー上とても大事な場面であった。詳細はネタばれなので書かないが)。

妹は確か中1くらいで、しかも年齢より幼くみえたので、妹の容姿を見た窓口のお姉さんは妹の分の切符を売ってくれなかった。

てめえは猛抗議した。てめえは何度もこの映画を観に来ており、とても感動したので妹にも観てほしいと思った。むしろ多感なこの年の子にこそ観てもらうべき映画なのではないか?

てめえの抗議にうんざりされたのか、あるいは共感されたのか。最終的には妹の入場は許され、妹と二人で映画を観た。妹はとても感動していたぜ。





予告編。はっきり言って、編集がクソ。



そしてまた恐ろしいことに、今やyoutubeで全編が観れる。字幕ないけど。「カエルとサソリの話」は23:50くらいから。



2014年04月27日(日) たまには本当に日記でも。

朝、7時3分にセットした携帯電話のアラームで目を覚ます。「なんで中途半端な7時3分やねん」という声が四方八方から聞こえてきそうであるが、これはてめえが素数好きということ以外の理由は全くない。ちなみに寝過した時のためにアラームの第二弾も設定しているが、もちろん素数で構成された「7時17分」である。

アラームで目を覚ますと、眠い目を擦って台所に降り、父の朝食を整える。てめえは朝食は摂らない主義で、厳密には「二日酔いが酷い時は五苓散を二服」「そうでなければ野菜ジュースあるいはトマトジュースにエゴマ油+オリーブオイル少々」と決めている。起きていきなり固形物を取るのは、胃だけではなく膵臓にも負担をかけるからね。そう、てめえは一応美容と健康のことを考えてるのだぜ。

だったら親父の健康も考えろと言われそうだが、もう生活習慣が出来上がっていて、そこに全く疑念を抱かずこれ以上変更のしようがない人に関してはconflictする意味がないと思っている。

事実、かなり以前に、しかも今のように呆ける前に、親父に「朝食を抜く意義」について話をしたことがあったが、全く話にならなかった。あらかじめ刷り込まれている観念と言うのは難しいもので、「洗脳」を解くことの難しさを感じる。まあ、何が正しいのかは歴史が証明してくれるだろうけどね。

ちょうど朝食を整え終わるころにヘルパーさんがやって来る。「すんませんがあとはよろしくお願いします」とてめえはヘルパーさんに食事の介助をお願いし、デイケアに提出する日記を書き(と言っても排便したかどうかと、過ごした一日の内容を書くだけ)、ヘルパーさんが持ってくる書類にハンコを押す。ハンコを押すと「すんません、後はお願いします」とヘルパーさんに後を託し、エゴマ油がたっぷり入ったそして香り付けの西院のオリーブオイル専門店で購入したオリーブオイルをちみっと垂らした野菜ジュースを一気に飲み込み、平日は出勤準備を、休日は二度寝を決め込む。


のだが、今日は二度寝せずに久しぶりに中庭に手を入れることにした。「いってらっしゃい」と親父を見送った後、使い古した剪定鋏と鋸を取りだし、中庭の木々の散髪をすることにした。

てめえの剪定は植木屋時代の親方譲りである。つまり、小さい枝をちまちまと切るのではなく、バランスを考えた上で、不要な、かつ出来るだけ大きな枝を探して落とす。結構勇気のいる方法ではあるが、てめえは何の責任も問われない街路樹でうんざりするほど実践した。

そんなわけで、剪定を始めた。まずは、良く考えたらこの木がないほうが美しいのでは、という木を根元から切り落とすことにした。

本気で根元から切り落とそうと思うとかなりの大事になるので、てめえは上の方から順次鋸で切り落としていった。今までありがとね、と呟きつつ。

しかしこれは良い気分転換になった。色々煮詰まってたしね。

一本をまるっと切り落とした後は、他の木々を剪定した。たちまち中庭が切り落とした樹々の枝で溢れたが、これらは鋸や剪定鋏で細かく切ってゴミ袋に詰めた。


あとは裏庭も宿題として残っているんやけど、蚊が多い季節になる前に何とかしましょうね。


その後は親父が帰ってくるまでひたすら執筆。いやあうまくいかないわ。書いては消し、書いては消しの無為な時間をただ浪費しているだけのような気がする。6月末までにとりあえず一本をと考えていたが、ちょっと無理かもしれないと果てしない気持ちになり。最終的に満足することはあるのだろうかと自答する。ううむ夜は長いぜ。



2014年04月26日(土) 傾向と対策について。

てめえは本番に強いということを密かに自慢しているが、これは単に運が良い、あるいは実力がある、と言うこととはイコールではない。てめえにも、これまでの人生で確立したそれなりのやり方があり、それに従うことで自信を持って本番に臨めるからである。

てめえが初めて試験に挑んだのは高校受験の時だった。試験勉強のやり方を全く知らなかったので、クソ真面目に盲目的に全分野をただ勉強し、結果として第一志望に見事に玉砕した。


高校に進学した時は大学に進学する気もなかったのだが、プラスチック工場で悟りを啓いた結果、てめえはまじめに大学受験に挑むこととなった。

さて、同じ過ちを繰り返すのは賢明ではないので、てめえはまず、どうすれば「うまくいくのか」を考えた。なんで高校受験はうまくいかなかったのか? 限られた時間で成功するにはどうしたらいいのか?


普通なら、その思考を「学校」に丸投げして、なけなしの予算をつぎ込んで予備校に通っただろう。しかし予備校に行ってそれだけのリターンがあるのだろうか? 

それすらもよくわからなかった。そもそもてめえは「学校」というものに期待をしていなかったし、したがって予備校に過大な期待を持つ人たちのことを理解できなかった。ので、まずは成功した人の話を参考にしようと思いついた。


そんなわけで、夏くらいから仕事帰りに本屋さんで立ち読みを始めた。プラスチック工場の薄給では欲しい本を全て買うわけにはいかなかったし、立ち読みは苦ではなかった。

とりあえず、「大学受験記」みたいな本を片っ端から読んだ。その系統の本は、今でもたくさん出ている。いや、今ならネット上にそれ以上の情報がごろごろ転がっている。しかしその時代にはネットもなく、ひたすら仕事で疲れた体を引きずって本屋に通った。


その結果、面白いことが分かった。


普通の大学に合格した人の勉強法は非常にオーソドックスであった。よくつかわれている参考書や問題集を何冊も勉強し、寝る間も惜しんで勉強し、そして塾や予備校に通っている。

しかし、いわゆる難関と言われる大学に合格する人はそうではなかった。使っている問題集はせいぜい1-2冊で寝る時間は削らず、そして予備校に通う人は少数であった。

後者はそれだけ頭が良かった、もとが良いからそんなに勉強しなくても合格したんだろうと普通は考えると思うが、てめえは違った。「全てが理にかなっている」と思ったのだ。

もう一つ、後者の合格記には共通点があった。「傾向と対策をしっかりしている」ということ。つまり、受験する学校は早くに決めていて、その学校に合格するための勉強をしていた。逆に前者はがむしゃらに勉強して、その時点での偏差値をもとに学校を決めていた。これだと、勉強する範囲は前者の方がはるかに多くなる。

てめえは時間がなかったので、後者の戦術をとることにした。つまり受験する学校は絞る。ていうか、経済的な問題で事実上受験できる学校は限られていた。


なんだか面倒くさくなってきたので、この辺で一気にまとめる。


1.受験する学校(あるいは試験)を決める。

2.その学校(あるいは試験)の過去問を少なくとも10年分解いて、傾向を知る。

「実力試し」のために、過去問は最後まで取っておく人がいるが、これは愚の骨頂である。合格するためのヒントは過去問に最も豊富に含まれている。

3.傾向を知った後は、対策を練る。

てめえの受験した学校は、数学ではほぼ出る分野が決まっており、理科は簡単で英語は英文和訳と和文英訳のみであった。

つまり、数学は勉強する分野が決まっており、理科は難問を解く必要がなく、英語は穴埋めや発音問題が出ることはない。英文和訳は、知らない単語があっても誤魔化すテクニックが必要だし、和文英訳は、てめえの知っている単語レベルまで日本語をかみ砕いて英文にすればよい。

4.対策が決まれば、後はひたすらそれに沿ったトレーニングをする。

てめえが立てた対策に予備校が応えてくれるとは全く思えなかったので、予備校や塾に通うのはやめた。お金は働いてためた分が少しはあったが、それ以上に通学に通う時間がもったいなかった。


5.「成功する」というイメージトレーニングを行う。

てめえもてめえの通っていた学校もまったく実績のない状態だったので、本当にそれでうまくいくのか不安でたまらなかった。しかし、考えに考えた戦略と戦術である。もう信じきるしかない。

そんなわけで、不安になったときに「大学生になった自分」を夢想した。それだけではなく、勉強の休憩時間には、実際の受験の日に時間配分をどうするのか、などをひたすらシミュレーションした。

6.「合格する」ということは、合格最低点を1点でも上回ればよい。

500点満点の試験で300点で合格できるとしたら、少なくとも1割増しの330点取れるようにトレーニングすればよい。なにも満点を取る必要は全くない。極端な話、301点でも合格である。ただし毎年試験の難易度などのぶれはあるため、1割増しを目標とした。そのため、各教科ごとの目標点を設定した。


その結果、センター試験も二次試験も目標通り(というか、結果的には目標以上であった)の点数を取ることができ、てめえは晴れて大学生になった。結局、まともに使用した問題集も、教科ごとにせいぜい1-2冊だった。結局、一つの本の中に書いてあることをしっかりと理解すればそれ以上は不要だということを理解した。


要は「傾向と対策」「成功するというイメージトレーニング」である。試験でなくても、学会発表などでもイメージトレーニングすることによって失敗することはない。他にも応用はいくらでも効くと思う。

大学受験での成功に味をしめたてめえは、その後の試験も同じやり方でことごとく突破することができた。医師国家試験に関しては、ほぼ過去問しか勉強しなかった。そして、今後もたいがいの試験には落ちないだろうと思う。



2014年04月24日(木) Woman




ウーマン(Woman)は、1980年に発表されたジョン・レノンの楽曲である。アルバム『ダブル・ファンタジー』に収録されている。ジョンの死後にシングル・カットされた。ビルボード誌では、1981年3月21日に、週間ランキング最高位の第2位を獲得。ビルボード誌1981年年間ランキングでは第16位。全英では週間チャート第1位を記録した。

冒頭で聞かれるジョンの囁き "For The Other Half Of The Sky." (「空のもう半分のために」)は、「世の女性陣に向けて歌いましょう」といった呼びかけである。毛沢東の詩を引用しているとされる。(Wikipediaより引用



(For the other half of the sky...) 



Woman, I can hardly express
My mixed emotions at my thoughtlessness
After all I'm forever in your debt

愛するひとよ、なんて言っていいのかわからない
気持ちはぐるぐる渦巻いて、考えもまとまらない
結局、いつもあなたに負けっぱなしなんだね


And woman, I will try to express
My inner feelings and thankfulness
For showing me the meaning of success

愛するひとよ、なんとか言葉にしてみたい
この湧き上がる気持ちと、感謝の言葉を
「うまくいく」ってことの意味を教えてくれたよね


Ooh, well, well
Doo, doo, doo, doo, doo
Ooh, well, well
Doo, doo, doo, doo, doo

Woman, I know you understand
The little child inside of the man
Please remember my life is in your hands

愛するひとよ、わかってると思うけど
男なんて小さな子供のときのまま
てめえの人生なんて、あなたの掌の上で踊っているだけ

And woman, hold me close to your heart
However distant don't keep us apart
After all it is written in the stars

愛するひとよ、あなたの心のそばにいさせてほしい
どれだけ離れていても ずっと一緒なんだよね
結局、全ては星の中に描かれているの

Ooh, well, well
Doo, doo, doo, doo, doo
Ooh, well, well
Doo, doo, doo, doo, doo
Well

Woman, please let me explain
I never meant to cause you sorrow or pain
So let me tell you
again and again and again

愛するひとよ、言わせてほしい
つらい思いはさせたくない
だから何度でも言いたいの
何度でも、何度でも。



I love you, yeah, yeah
Now and forever
I love you, yeah, yeah
Now and forever
I love you, yeah, yeah
Now and forever
I love you, yeah, yeah
Now and forever


愛してる。これからもずっと。



2014年04月21日(月) らーめん。

「ラーメンって、もともと北の方の異民族の食べ物なんですよ」

と、てめえの中国人の後輩は言った。先週末の飲み会。彼はなぜか一人ぽつんと飲んでいたので、てめえはテーブルを移った。

「僕はね。ラーメンが好きなんですよね。それも日本のラーメン。豚骨がたまらない」
「おお、中国には豚骨はないのか!」

と、酔ったてめえはいつものように適当なことを言った。

ないですよー、北の方の、牛を食べる民族の食べ物なので、基本的に牛肉の出汁ですね、と彼は言った。

「いずれにしても、漢民族の食べ物じゃないんですよね」

と、漢民族の彼は言った。「異民族」と言う言い方が漢民族っぽいなと思ったが、漢民族の面白いところは、元にしろ清にしろ、異民族の支配を認めたことがあるということ。いわば、アメリカがフランス人や日本人の大統領を認めるのと同じ(ではないけどね。もっと威力がある)。この辺が中国の奥深さだと思う。



そんなわけで、あらためてラーメンのルーツについて勉強してみた。

麺料理については本当にいろんな由来があるので、ここでは麺は捏ねて引っ張って延ばす「拉麺」のみについて扱うこととする。


もともとは、中央アジア全般で食べられていたラグマンが由来とされている。中央アジアはイスラム教の人が多く、したがって自然と用いられるのは「牛」だった。イスラム教に豚は禁忌だからな。

ラグマンは延ばした麺を和えて食べる和え麺だったが、これが中国で牛肉のスープを得て、牛肉麺となった。これが蘭州拉麺である。

以降、中国全土そして台湾にも上陸したと思われる。


ここで不思議なのは、日本における豚骨の出汁。どこからそうなったのか? 中国から沖縄に持ち込まれた時点で、「豚+カツオ出汁」になっていた理由は?


というわけで、麺料理についてはいろいろ知りたいことがある。嗚呼、てめえはいつの日か引退したら、ラーメンの由来を調べる旅に出たいぜ。そして世界中の麺料理を食べてみたいと思う。



2014年04月20日(日) セウォル号の事故について。

今日のはいろいろ思うところがあり長くなりました。


てめえは沖縄に在住していた期間中、主に奄美に行くときに幾度となく船を使って移動した。故郷に墓参りに帰る時、あるいは奄美大島に赴任した友人のところに遊びに行くときなどに利用したのだ。那覇まで戻って飛行機で移動するよりは本部港から船で移動する方が便利だったからだ。バイクも載せられるしね。

それが「なみのうえ」号だったわけで、何度もお世話になったのでその内部の詳細までよく覚えている。


その「なみのうえ」号が日本での現役を終えて、韓国に売り飛ばされ「セウォル」号として就航していたという事実を、今回初めて知った。

てめえもよく知った船であるが、外装も変えられ改造されたその姿に往年の姿はなかったので、初めは全く気が付かなかった。

てめえはいつも移動に際しては、バイクと一緒に移動していた。バイクで船に乗り込み、絶対に動かないように固定してもらってから客室に案内されていた。固定方法は独特で、船員に代々伝わる特殊な結び方で固定されていた。これは絶対に解けないのだ。

外力では絶対に解けないが、あるコツで簡単にほどける。そんな結び方を彼らはたくさん知っていた。

てめえは救急隊の方と一緒に仕事をしたことがある。沖縄の救急隊は海での救助も担当しているので、船における特殊な結び方を知っている。てめえは何種類か教えてもらった。

「これ、絶対解けない結び方やし覚えてね。でも、海の男たちはもっと秘伝の結び方があるらしいさぁ」と、彼らは笑った。

なんでそんな事を書くのかと言うと、きちんと荷物を固定していれば、こんなことにならなかったのだろうと思っていること。今回の事故では、おそらく荷物の固定が適当だったのだろうと思う。それで旋回した時に荷物が解け、遠心力がかかった結果転倒したのだろうと思っている。

「急旋回で荷物がほどけた」と言っている人がいるらしいが、てめえも知っている結び方では絶対に解けない。

ということは、その結び方を知らなかったのか、その結び方をしていなかったの二択である。バイクや車やその他の荷物をきっちり固定できるように船が作られていたことは、何度となくバイクと共になみのうえ号に乗ったてめえは知っている。



今回の事故に関してはあまりに突っ込みどころが多すぎてあきれるばかりだが、残念ながらこれがかの国の実情なのだろうと思った。こんな危ない国には二度と行かないことをあらためて固く決意したぜ。

ていうか一回目に行った時からその気持ちは変わらないぜ。てめえはいろんな国を旅行したが、二度と行きたくないと思った国はただ一つだけ。てめえが最も嫌いな「卑屈さ」を纏っている国。

そしててめえのルーツの一つである、かつ温厚な民族性の台湾人がほぼ唯一嫌っている国。そう、はっきり書くが台湾人は韓国人が大嫌いである。理由は今日は述べない。グーグル先生に聞けば回答はごろごろ転がっている。

どうでもよいがベトナム人も韓国人が大嫌いだが、これは台湾以上の深刻な理由があり、ベトナムは韓国に「謝罪と賠償」を求めても良いと思う。ていうか個人的には求めてほしい。

なぜそんなことをしないか。ベトナムがなぜアメリカにも韓国にも戦時賠償を求めないかは、韓国民は良く考えた方が良いと思うぞ。


さてセウォル号に戻る。


1.乗員が乗客を見捨てて真っ先に避難した。

救護を放り投げて乗員が逃亡。これがどれだけひどいことか、てめえは本当に空いた口が塞がらない。乗員の義務って何なのか。真っ先に逃げ出したキャプテンが異常に言われているがそれだけの問題ではないと思う。修学旅行中の高校生を誘導することなく、キャプテンを含む乗組員は真っ先に逃げた。

船長だけが逃げたのなら個人的問題かもしれんが、乗組員みんなが逃げていれば、これは集団としての問題と考えざるを得ない。

乗組員は、最後まで乗客を誘導した一人が亡くなった以外は全員助かっている。救命率29/30。対して、乗客は行方不明者を入れると救命率は約30%で、これはタイタニック号事件に匹敵する。

タイタニック号事件が起きたのは1912年で、100年以上も前。しかも夜中で、大西洋のど真ん中。時代を考えてもこれだけ悲惨な事件になったことは理解できるが、それから100年以上たった21世紀の今日、しかも朝の9時に、領海内で起きた事故でタイタニックに匹敵するってどういうことでしょうか?

しかも、タイタニックでは乗員もかなり亡くなっているはずだが、今回はほとんど生き残った。これは海の男として最低だよな。

まあこれ以上は言わないわ。明らかな人災であるということ、それが個人的な問題ではなさそうというということだけ指摘しておく。

2.大統領が視察

「お前はこんなところに来る以上の仕事があるだろ!」という罵声が被害者家族から飛んだそうだが、全く同意する。大震災の時に原発に視察に飛んだ管直人を思い出したわ。原発が爆発したのはその後だったよな。現場にとっては迷惑以上の何物でもない。

3.日本の支援を無視

領海内の事故だから難しい問題があるのだろうということは理解するが、それ以上に感情的になっているとしか思えない。

困るのは誰なのか、もう一度考えてみたらどうだろうか。といっても感情的になった方には逆効果でしょうね。自国民の生命よりもプライドの方が上なんですね。


ほかにも突っ込みどころはあるが、もういいです。てめえ的には、よく知っている「なみのうえ」号が変な風に改造されて荷物もちゃんと固定されず、変な操縦をされてあっけなく沈んだことが最も悲しい。

あと、被害者の多くが子供だったということも悲しすぎる。子供には国籍関係なく責任はない。しかし子供を見捨てて真っ先に大人が逃げるって、ああそうなんですね。


追記

三豊百貨店崩壊事件

三豊百貨店(サムプンひゃっかてん)は、大韓民国のソウル特別市瑞草区にかつて存在した百貨店。
1989年に開店。6年後の1995年6月29日17時57分(KST、日本時間同)、営業中に突然、5階建ての建物の両端の一部を残し、跡形もなく崩壊。死者502名・負傷者937名という世界的にも例のない大惨事を起こした。


聖水大橋崩落事故

聖水大橋(ソンスおおはし)は、大韓民国ソウル特別市城東区聖水洞と同市江南区狎鴎亭をつなぐ漢江に架かる橋。1977年4月に着工し、1979年10月に完成した。

しかし、わずか15年後の1994年10月21日に橋の中央部分およそ50メートルが突然崩壊。通行中の乗用車や漢星運輸(韓国語版)所属の16番市内バスなどが巻き込まれ、32人が死亡、17人が重軽傷を負った。

原因は施工段階での手抜き工事で、建設会社と市側の監督責任者が刑事訴追された。また、当時のソウル市長李元鐘が、当時の大統領金泳三によって更迭されている(後に忠清北道知事になり、2006年まで職務を行っていた)。


追記その2

どうやら原因はまさかの「過積載」。まさに想像の斜め上状態で、さすがにてめえもこのエントリーを書いた時点で「荷物量の問題」であるとは想像できなかった。

荷物を適量積んでいたという暗黙の前提で考えた結果が「きちんと固定していなかったのでは?」だった。過積載だったら、そりゃあバランス崩しやすいわな。



2014年04月19日(土) 太郎さん

記事自体がいつ消えるかわからないので、引用させていただく。ちょっといろいろ考えさせられた。

どうしてこういうことになったのだろうか? もともと施設にいた方や、自宅で介護されていたとしたら、おそらく捜索願が出ているはずなので、身元も判明しているだろう。そもそもそういう場合、持ち物にはおむつも含めて必ず名前を書いているはず。

徘徊する方々は意外とすげえ遠くまで行っていることがあり、都府県を二つ三つ越えることも稀ではないが、もちろんそれくらいまで範囲を広げての捜索はしているだろう。


とすると考えられることは?

家族が介護放棄した?

もともと独居で、外出したまま帰れなくなった?

あるいは介護していた人が何らかの急病や事故などに遭遇した?

いずれにしても、このようなケースは今後も出てくると思う。しかし行政がその気になれば身元はわかると思うけどな。


<認知症男性>身元不明のまま仮名で2年 大阪の路上で保護

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140419-00000006-mai-soci


 2年前に大阪市の路上で警察に保護されたが、名前や住所など身元が全く不明のまま、仮の名前が付けられ介護施設で暮らす重い認知症の男性がいることが分かった。男性は自分の名前が分からず、該当する行方不明者届もない。専門家は「高齢化が進み、今後このような人が増えていくのでは」と危惧している。

 大阪市は男性に対し、保護された場所にちなんだ名字に「太郎」という仮の氏名を付けた。福祉の保護を受ける手続きなどで必要なためだ。容姿などから70歳と推定して仮の生年月日も決めた。現在推定72歳になったが、入所する同市内の介護施設の職員には「実際はもう少し若いかもしれない」との見方もある。

 記者は4月上旬、介護施設を訪ねた。「お元気ですか」と声をかけると、太郎さんは「ああ」とうなずき笑顔を見せた。判断能力が不十分な人を守る成年後見人に、市長申し立てで選任された山内鉄夫司法書士らによると、太郎さんの要介護度は3。言葉を発するのが難しくトイレも介助が必要だが、足腰は丈夫でひとりで歩くことができる。

 2012年3月11日午前8時前、日曜の朝だった。同市西部にある住宅街の歩道でしゃがんでいたところを警察に保護された。水色のダウンジャケットにグレーのスエットズボン、黒の運動靴。身なりに汚れはなかった。お金や所持品はなく、名前を尋ねても「分からん」と答えた。

 保護された際にはズボンの下に介護用の紙パンツをはいており、保護前に介護を受けていた可能性がある。介護施設の職員も「介護なしで生活ができるレベルではなかった」と話す。

 その日のうちに大阪市による緊急一時保護の手続きが取られ、太郎さんは市内の保護施設に入所した。規定の保護期間(14日間)を過ぎても身元が分からず、同年3月末から現在の介護施設に入った。

 介護施設は通常、本人の経歴や病歴、家族構成などを踏まえてケアにあたる。例えば夕方に歩き回る人がいれば「子供の夕食を作るため家に帰ろうとしているのか」と理由を推測し、不安を取り除くよう努める。だが、太郎さんには保護前の情報がない。山内さんによると、30ほどの施設が入所を断り、受け入れ先は容易に見つからなかった。

 太郎さんは特殊なケースなのか。認知症介護研究・研修東京センターの永田久美子研究部長は「超高齢社会では人ごとでなく、同様のケースが身近で増えることは確実だ。これまでも太郎さんのような存在と対面しているが、実態把握も対応も進んでいない。一刻も早く本名を取り戻し家に戻れるように、国や自治体が本格的に対策に乗り出すべき時期だ」と話している。【銭場裕司、山田泰蔵】



2014年04月17日(木) 夕凪の街、桜の国。

とてもとてもとても大好きな漫画。購入してからだいぶと経つが、折に触れ大切に読んだ。おそらく、何百回も。

Kindleストアで電子書籍になっていることを最近知り、すぐに購入した。これで、死ぬまでてめえのkindleちゃんの中に入り続けることになる。そして、iPhoneでも読むことができる。

最近、この物語を読む度に涙が止まらない。そして、死ぬまでそうだと思う。



大人になってから、涙なんて出なかった。担当の患者さんが亡くなっても、悔しくて悔しくて残念で、でも涙は出なかった。いつしかそれを受け入れることが仕事になっていった。そうでないとこの仕事を続けていくことは難しい。そして淡々と死亡診断書を書く。人が亡くなることは大変なことだが、受け入れないと先に進めない。

社会人になって初めて涙が出たのは、大学の同級生かつ同僚が自ら命を絶った時。あの時、葬式の場で、てめえは周りを憚らず号泣した。自分でもそんなことになるとは思わなかった。

彼が埋葬されたとき、墓の前で再度涙が出た。それが二度目。


三度目の涙は、患者さんが亡くなった時。ずっと診ていた人で、最後は癌の末期だった。身寄りが全くなく、本人には癌の末期であることは伝えていたが少し理解の乏しい人で、本当に理解されているのかわからなかった。

そういった場合、通常は家族に詳しく説明するのだが、その家族が彼にはいなかった。

「急変した時どうするの? 方針決めてもらわないと困るんですけど」と、ナースはひたすらてめえを責めた。でも彼は、自分が死ぬ時どうしたいか? ということを理解してくれないだろうということは分かっていた。急変時の対応を彼女たちが急ぐのは、自分の仕事を減らしたいからである。てめえは全てを自分で受け入れることを決めた。

何かあったら休日でも深夜でも自分に連絡してほしいとてめえは言った。それきり、ナースからの催促はなくなった。


ある日の午前3時頃、てめえの携帯が鳴った。来るべき時が来たのだろうな、とてめえは電話を取った。

すぐに病院に向かう。彼の意識は朦朧としていて、来るべき時は近いのだろうということがすぐに理解できた。

意識が混濁していた彼は、てめえの到着と共に目を開けた。その時の彼の顔は、一瞬正気に戻っていた。

「おれ、死ぬんか?」

死ぬんか。人間の最後の疑問を思いっきりぶつけられたような気がして、てめえは一瞬うろたえた。

「ええ、お迎えが近いようですよ。」

何とか言葉を発しててめえは彼の手を握った。そう言ったきり、再度彼の意識は混濁した。

それからしばらくして、彼は息を引き取った。あらゆる延命治療は、てめえの判断で行わなかった。今後彼の親族を名乗る人が現れて、治療を放棄したと訴えられても飲み込む覚悟をして。

てめえはいつものように死亡診断書を淡々と書いた。もう朝は明けようとしていた。


全ての書類仕事を終えて、個室に移された彼の部屋に行った。顔の上に掛けられた布を取ると、まるで眠っているように安らかな彼の顔があり、てめえは思わずその場で号泣してしまった。

てめえが患者さんのことで涙したのはこれが初めてで、たぶん最後だと思う。



2014年04月16日(水) STAP細胞について、その後というかもうほぼ最後。

昨日は飲みすぎた。

今朝は体が言うことを聞かず、アルコールを抜くには炭水化物だと珍しく朝飯を食べたが体が受け付けず、しかしなんとか朝ごはんを食べたので、今度は逆に午前中体がだるかった上に一日中下痢したわ。体は何かを一生懸命排出しようとしていたのだろうな。やっぱ朝飯は食うもんじゃないな。今後は二日酔いの朝は、野菜ジュース+五苓散(+黄連解毒湯)で対応しよ。



今日の笹井氏の会見をまとめて見たが、なかなか面白かった。小保方さんの会見は、正直笑うポイントがたくさんあったがこの人の会見は本当に真摯だと思った。正直、器が違いすぎる。

マスコミ的には「STAP細胞は、ありますぅ!」と叫んでほしかったのだろうが、この人は絶対に言わないな。しかし、言い方は悪いが「品格のある会見」だった。小保方さんは完全に一般国民に訴える作戦だったが、彼は逆に科学者として会見していた。あの会見内容は、一般国民にはまったく理解できないだろうとおもうが、それでいい。

そして、STAP現象があると考えないと理解できないことがある、と言った彼からは二つのことを感じた。

一つ目は、科学者としての本音。おそらく彼は、初めて小保方さんからこのアイデアを聞いた時、本当に興奮で体が震えたのだろう。それはてめえにも理解できる。この「死ぬくらいのストレスを与えると万能細胞になる」というアイデアに衝撃を受けるのは、おそらく医師としての本能だと思う。というのは、医師であれば納得できる哲学を含んでいるからである。そしててめえもそうだった。

二つ目は、小保方さんへの思い。彼はこの期に及んで、彼女を擁護しようとしている。それは保身でも何でもない。おそらく彼は、彼女の実験内容に関してはもうほぼ信用していないだろう。だが、彼は彼女のことを擁護した。そしてこれは「不適切な関係」とは無関係であるという印象を持った。


てめえは本当に幸いなことに、大学に進学したことで、ありえないくらい優秀な人々と出会う機会があった。そして彼ら彼女らと接していて感じたことは、本当に優秀な人たちは「非常に情が深い」のだ。とにかく友人や家族を本当に大切にする。そして、友人が窮地に立ったら全てを投げ打ってでも助けに行く。

彼ら彼女らは絶対に人を陥れない。「絶対に間違っていること」以外は、本当に情のままに動く。意外なようだがこれは真実である。


今回の笹井さんの会見からは、そういった擁護を感じた。今回の会見を見ていたが、彼は非常に頭が切れる。受け答えを見ていたらそれが良くわかった。さすが京大医学部。

そんなありえないくらい頭の良い彼は、一つ一つ検証していく中で「小保方さんがとんでもないことをした」ということはすぐに認識しただろう。そして、そういうことをする人は、おそらく今まで彼の人生の中で出会ったことはないはずだ。

しかし彼はばっさりと彼女を切らなかった。一瞬でも、夢を共有した仲間だから。こういう優秀な人は、仲間認定をすると死ぬまで守ろうとする。ただし、それは相手が裏切らないという前提のもとである。小保方さんの出方によって、今後彼がスタンスを変えることはあるかもしれない。


しかし、TCRの再構成がなかったということが覆らない限り、てめえはSTAP細胞はないと思う。そして理研がこっそりと再構成がなかったという告白をしたのは、おそらく笹井氏が書いたシナリオだろうな。とすると、彼は、今日熱弁していたSTAP現象はなかったと理解しているはず。ただし、今後証明できるかもしれないという考えを、彼は持っていると思う。

しかし相変わらずマスコミはアホの塊やな。「あなた自身に功名心があったのでは?」って、お前誰に質問してるねん。初めてnatureに論文を載せる人ちゃうで。natureには10回も論文掲載されており、今年上原賞まで受賞した人が功名心で論文書くと思うのか、本当に腹が立った。笹井氏は一つも表情を変えずにまじめに答えていたのは本当に素晴らしいと思った。てめえなら席を蹴飛ばしそうだが。いやそもそも研究しませんから。


あと、昨日オボちゃんがひっそりとプレスリリース出してたことを知った。「私はSTAP細胞を作って、当時同じラボの上司だった若山氏に渡した。その後STAP幹細胞を作ってマウスを作ったのは彼の仕事なので、渡した後のことは全く知らない」だって! てめえは腰を抜かしただけではなく、彼女に狂気を感じたぞ。その渡した細胞は若山氏の渡したマウスと違ったのに? ということは、若山氏が捏造した、という可能性を暗に言っているわけだ。こないだの会見でも狂気は感じていたが、この言い分はすごい。彼女は笹井氏とは異なり「情」なんて全くないようです。



しかしSTAP幹細胞を若山氏が作って、論文を笹井氏が書いた、しかも元々のアイデアがハーバードのヴァカンティだったとしたら、彼女の役割は何? 不適切なデータを作っただけしか残らないが、じゃあなんで筆頭著者になったのかという大きな疑問だけが、今日は残った。



2014年04月15日(火) QあんどA。

今年のふるさと納税はどこにしようかなと考え中。昨年に引き続き阿南町は決めている。ここのコメはまあまあ旨かったぜ。



てめえが外来でちみっと「朝食抜き運動」をした時、当然ながら質問の嵐にあった。そんなわけでよくある疑問に答えてみようと思う。


・三食ちゃんと食べないと力が出ない。

単なる思い込みです。私は朝食べていませんがギンギンに仕事しています。


・三食食べる子と朝食を抜く子で、学校の成績に差が出たという報告があったよ?

正直な話、子供は消費するエネルギーが多いだけではなく、大人にはない「成長」というファクターがあるので三食をがっつり食べても良いと思います。もちろん二食でもよいです。

さて、それは置いといて、正直この比較にはバイアスがかかりまくっています。統計学の落とし穴ですね。三食食べることが当然とされる社会において、朝食を提供できない家庭には正直問題があることが多いと思います。この報告の結果は「そういう家庭の子は成績が低い」という結果しか得られません。

「朝食を抜くと成績が落ちる」かどうかは、同質の集団(この場合、普通に三食摂っている家庭が良いでしょう)を用意して、従来通り三食食べる群と、朝食だけ抜く群に分けて結果を見るのが最低限必要です。そして、もしかすると朝食を抜いた群の方が成績が良い可能性があります。


・食事の回数を減らすのは納得できるとして、なぜそれが朝なの? 朝しっかり食べないと仕事になりませんが。

「朝は全身の細胞がギンギンにエネルギー充填されている」と昨日説明しましたが、ちょっと補足しましょう。

そもそも、食事をするということの生理学的意義を考えてみましょう。食事をすると、消化のために、全身の血液は消化管にシフトします。その分他の臓器や筋肉や脳への血流は減少します。血糖値は上昇し、各種ホルモンも分泌され、体は栄養を吸収するために「お休みモード」に入るのです。なので、食後は生理的に眠くなります。

これが食後の状態で、したがって、仕事前にはむしろ食事してはいけません。スポーツ選手が競技前に食事しないのは、食事することで筋肉への血流が減少し、自分のパフォーマンスが落ちるからです。食事のタイミングは、夜がベストで朝が最悪なのです。昼食の意義は、朝使ったエネルギーを補うだけと考えた方が良いです。そう考えると、「昼と夜の二食」という結論になります。



2014年04月14日(月) 健康的な食事と食事療法について。

医学部は「健康を損ねた人を、いかに治療するか」をひたすら研究しており、そして教育している。したがって、「健康を保つため」の講義はほとんど開講されておらず、結果として意外なほど医者は健康について知らない。

健康についてのアドバイスを求めると驚くほど的外れなことが言う医師がいるのはこのせいである(とくに外科系に顕著な印象がある)。これは一般的には意外だと思われるが、真実である。

健康な個体を研究しているのは、生理学をはじめとする基礎医学の分野になるが、それでも「いかに健康を保つか」について研究している人は驚くほど少ない。

そもそも、医者自体が不健康な生活を送っている。激務でまともな食事を摂れないということも理由の一つになりそうだが、それだけではないと個人的には考えている。減塩を説く医師自体が塩分リッチな外食に頼って降圧剤を飲んでいたり、減量を説く医師が糖尿病だったりする。ほとんどブラックジョークな状態。

これはなぜか。答えは簡単で、医師自身が健康について知らないからだ。てめえも恥ずかしいことに、ある時期までは、異常が出れば薬を飲めば良いと思っていた。自分が高血圧になっても、経験上減塩の効果はたかが知れている(実は、患者自体がきちんと減塩できていないだけ)。それなら薬で一気に下げたほうが楽しい人生ではないか。美味しいものを食べて薬で正常化する。現代科学バンザイ!

おそらく多くの医師は、今でもそう考えていると思う。同業者ながら正直残念なことだよな。



てめえはある時に「自分はあまりに健康について知らなさすぎるので、健康について勉強してみよう」と思った。しかしいろんな研究結果がある「病」とは異なり、健康については実に「百花繚乱状態」で、正直とまどったのだ。そして、健康について勉強すればするほどわけがわからなくなった。

そんなときに、井上氏の「健康方程式」に出会って、本当に全ての憑きものが落ちた。そしててめえの健康も回復しました。井上氏には本当に感謝している。


「健康」について語る時、避けられないのが「食事」と「運動」である。後者はまた今度にするとして、食事療法について書かれたものをまとめるとだいたい次の4つに収束される。


1.単なる妄想。

「○○が健康にいい!」(○○にはいろんな健康食品もどきが入ります)ってやつで、なんの根拠も演繹もない、まさに「勉強する価値の一ミリもない」もの。まあ、ほっとけばいつかは廃れるのだが、それでも雨後のタケノコのように次々とまあいろいろ現れるよな。そういうもので結局しっかりした評価があるものなんてひとつもあれへんで、いい加減学ぼうや。



2.理念が先にある。

「こういう食べ方をすれば、健康になれる」というもの。玄米食がいいとか、菜食がいいとかである。マクロビもここに入るかと思う。その根底は科学的根拠ではなく、どちらかというと宗教的観念的なものが見えることが多い。結果として良い結果になることはあるかもしれないが、根拠がない以上「自分が好きでやるのは良いが、人に勧めようがない」ものとなる。しかも議論のしようがない。


3.統計から演繹する。

さてこの辺から、ようやく学問というか議論に耐えうる健康食になる。例えば「動物性たんぱくを取ると取らない人よりも短命になる」みたいなもの。マクガバン報告なんてそうだよね。他にもいくらでも実例はあるが、ただしこの統計に頼る方法には落とし穴がある。

「食生活を含めてその他の生活習慣も健康に気を使っている人は、そもそも動物性たんぱくを取らない」という反論が成り立つのだ。つまり、動物性たんぱくを取らないから長生きするのではなく、長生きしたい人は動物性たんぱくを健康に留意しない人より取らないだけ。

なんか詭弁にも見えなくもないが、本来科学とはそういうものである。本当に動物性たんぱくを取らない方が健康になるということを証明するためには、同じような嗜好を持つ人をたくさん集めて、強制的に動物性たんぱくを取る群と取らない群に分けて統計を取るしかない。

そういう研究がデザインできない限り、統計による結果は正直怪しいものになる。

でしょ? 例えば、かなり乱暴だが「日本人は塩分摂取が多い。そして、世界でも有数の長寿国である。したがって、塩分は体に良い」という言い方も可能になるし、実際にそういう主張をしている人はいる。他のファクターを一切考えない暴論であるのはちょっと考えたらすぐにわかる。


4.生理学より演繹する。

以前はこういった方法はなかった。これもまた落とし穴はあるかもしれないが、今のところ最も科学的である可能性があると考えている。ていうか、むしろ今までこちらからのアプローチがなかったのが不思議でたまらない。

人間はなぜ食事をするのだろう? 答えは簡単で、エネルギーを得るためである。エネルギーがないと人間は動けない。

では「エネルギーを得た」状態とは何か。それは、「全身の細胞にエネルギーが充填された状態」である。

我々が食事をする。食べたものはいったん胃にため込まれる。ちなみに胃は単なる貯蔵庫で、それ以上の働きはない。厳密に言うと水分とアルコールは吸収するが、栄養分は吸収しない。アルコールを飲むとすぐに効果が現れるのは、胃で吸収されているからである。

胃にため込まれた食物は、少しずつ腸に送られ吸収される。ここで吸収されないのが「吸収不良症候群」で、食べてもエネルギーにならない。


栄養分が吸収されると、その栄養分は血液に取り込まれる。そして、全身の細胞に届けられる。ここで全身に栄養分(この場合、糖質になる)が届けられないのが「糖尿病」という病気の実態であり、血糖値が高いのは、細胞内に糖分が届かないからである。

細胞内に栄養分が取りこまれて「充填」は終了する。ここまでのプロセスがあって初めて食事は意味を為す。

なので、胃が空っぽであるということと、全身にエネルギーが充填されているということは本来別の話なのだ。ここを勘違いしている人がいるので、胃が空っぽだからと食事を摂ろうとする人がいるが、全身の細胞に栄養分が行き渡っておれば食事はあえて摂る必要がないのだ。


もう何が言いたいのか理解できると思うが、これが「朝食は不要」であるという論理の根幹である。そして、これを理解した時てめえには人生の中で最大級の衝撃を受けた。なぜなら、今までそういう理解をしている人に出会ったことがなかったからだ。

晩御飯を食べる。この成分は吸収されて全身に行き渡る。昼夜逆転している人を除けば夜ごはんのあとなんてごろごろするだけであり、エネルギーを使用することもない。また、使用するエネルギーも昼食由来のものである。

なお、体内での脂質合成は夜中に行われるので、夕食で酸化された脂を摂ってはいけない。悪玉コレステロールの原料をわざわざ提供するのと同じだからである。


そんなわけで、朝起きた時、我々の前身の細胞にはエネルギーがギンギンに詰まった状態となっている。もうお分かりと思うが、この状態でエネルギーを摂ってはいけない。朝エネルギーでギンギンにするのが夕食の役割であり、したがって朝はそのエネルギーを使うのみである。ここで新たにエネルギーを摂っても余分なエネルギーになるので、体はこれを貯蔵しようと脂肪合成に走る。


しかも食事を摂ると血液は腸管に集まるので、脳みそも臓器もうまく働かない。アスリートはそれを経験的に良く知っているので、試合のある日などには朝食は取らない。しかし、それでスタミナが切れるなんて聞いたことがない。力士は朝食を食べずにぶっ続けで何時間も稽古をするが、これは朝ごはんを食べるとトレーニングにならないということを経験上知っているからである。マラソン選手も競技前には何も食べないが、42.195kmを走りきる。




「健康方程式」が素晴らしいと思ったのは、健康的な食事はカロリーや栄養素の分配ではなく「何を、どのタイミングで食べるか」というところを重視したことにあると思う。いつ、何を食べるか。それを守りさえすれば、後は細かいことは言わない。simple is best。


一日の食事量を1600kcalと決めて、30品目以上食べる、炭水化物は何%、脂質はどれくらい、ω3/ω6比は1:1〜1:4。健康に興味のある、自炊する人ならこれは実施できるかもしれないが、世の中そういう人の方が少ないのだ。

なので、朝食べない、昼は炭水化物重視、夜は大豆を主に炭水化物を食べない、というシンプルな方法は本当に素晴らしいと思う。三食食べて1600kcalって、結構厳しいよ。しかも普通の人は全食にコメをつけようとするので、それで30品目以上は正直困難。しかも炭水化物の割合がとても多くなる。

朝食を取らなければ、少なくともコメは最大で2回。おかずも増える。それを「夜の炭水化物はやめましょう」とすることで、30品目は現実的になる。しかも、大豆製品を多く摂れば脂質はそれだけ少なめになる。


そんなわけで、意外と考え抜かれた食事方法と思う。てめえはてめえで実践し、尿酸値やコレステロール値が改善しただけではなく花粉症まで改善した。


問題は臨床的に実践するのが難しいということ。てめえは初めは頑張って「朝食やめましょう!」と指導していたが、あまりに一般的な常識(こっちが間違っているのですよ、念のため)と乖離していたため「こいつはヤバいのではないか」と思われることが続出した。そんなわけで、今は理解できそうな人だけに指導することにしている。

まあ、日本人が朝食を食べだしたのは明治以降で、始めたのは陸軍なんだけどね。伝統的な日本人の食事はそもそも朝ごはんはなかった。


昨日読んだ「一日一食」は、科学的な内容はあまりなかったが、結論は井上氏と同じで笑ってしまった。ただしこの方は「塩分をたっぷり摂ろう」などとちょっと受け入れられない内容も書かれていたので、正直買うだけ無駄だったかも。しかも引用論文の妥当性も適当ではないと感じた(そもそも、出典が書かれていなかったので自分で調べたぜぇ。ワイルドだろ)。やっぱり健康方程式が素晴らしい。批判できる部分が一つもない。


#塩分摂取についても書きたいことがあるが、これだけですげえ内容になるのでまた今度。結論を言うと「塩分排出力のある人は制限する必要はなく、排出力のない人は制限せざるを得ない」ということ。もちろん、後者が「高血圧」になる人々である。逆に言うと正常血圧の人はあえて制限する必要はないと思う。

#コレステロールが高いということで来院される方は多いが、てめえの指導する食事療法(揚げパンやスナック含め揚げ物を食べない、夜に炭水化物を摂らない)で正常値に戻る方が多く正直驚いている。他のDrはさっさと薬を出しているし、その方が病院経営には良いのだけど。今日もLDLコレステロール180くらいあって受診を指示されてめえの外来に来た人が、食事療法だけで正常値に戻った。体重はむしろ増えていてご本人は驚かれていたが、てめえ的には当然の結果と思っている。ちなみに運動療法はされなかったそうだ。



2014年04月13日(日) お金の使い方について。

グッと! 地球便」が好きで、毎週見ている。とてもいい番組だと思うのだが、残念ながら基本的には関西のみの放映らしい(どうでもいいが沖縄では見ることができる)。

今週はルワンダで義肢を製作している女性の話だった。片足の不自由なルワンダ人と結婚した日本人女性が、夫のために義肢を製作する勉強をする。そのために日本に帰国して勉強していたところ、ルワンダで内戦が起きて、戦争で片足、あるいは両足を失う人がたくさん出たのだ。

彼女は夫とルワンダに帰国した後に義肢作りを無償で始めた。そのためのNPOも設立して、義肢を作る一方でその技術をルワンダ人に教え、また日本からの寄付だけに頼らないためにレストランやゲストハウスも経営する。義肢に関してはルワンダ人の技術者も育ってきており、今は彼女はマネージャーに徹しているようだ。

一人で頑張って義肢を作っているのかと思ったが、後進を育てているというのはとても素晴らしい。そうして技術は広がっていくしね。

今回の番組を見ながらてめえは涙が止まらなかった。最近どうも涙もろいのは単に歳のせいかな。自分も、こういった仕事ができればいいと思う。


自分は貧しい環境からなんとか成り上がることができた。これは一つには、日本と言う素晴らしい国に生まれ育ったということがあると思う。正直、これが他の国であれば、教育の機会すらなかった可能性がある。

先進国とされているアメリカやヨーロッパですらそうで、アメリカはあまりに高い学費のために進学することすら叶わなかっただろうと思う。ヨーロッパの多くの国は学費はタダだが、成り上がるというシステムがない。つまり、小学校か中学校からエリートコースに乗らないと、途中からそこに参加することが叶わないのだ。イギリスなんかは、労働者の子供がケンブリッジなどに進学することはほとんど不可能だったと記憶している。

そんなわけで、てめえのように大学入学からの一発逆転ができる国は、実はそうそうないのだ。なので、まずは日本という国に生まれたことに感謝したいと思う。

そして、単なる「成り上がり」で終わらないためにも、ある程度社会に貢献する必要があると思う。てめえは貧乏人から成り上がった。そのことはまあ素晴らしい努力をしたと言えるだろう。しかし成り上がって単に豪邸に住んだり高級車に乗ったりブランド品を買い漁ったりなど自分のことしか考えないというのは残念な人でしかないだろうと思うぞ。貧しかった時のことを思い出せ。

てめえは住むところはそれなりで良いし車の免許は残念ながら取ることができなかったしブランド品にはあまり興味がない。特に着るものに興味がないのは自分でも残念なので、社会人としてこれはどうにかする必要があるだろうとは思うがそれはまた別の話。お金を使うところって食べ物くらいだが、最も興味があるのは麺類なので安いよな。笑 そんなわけで一番お金使うところはお酒やな。

そんなわけで、NPOなどへの寄付は続けていきたいし、自分ができることがあれば人材としても使ってほしいと思う。株式投資も、いつか不労所得だけで生活できるようになれば、てめえは仕事を辞めて何らかのボランティアで生きていきたいと思う。


お金も貯金しているだけというのはアホの塊である。銀行が喜ぶだけであり、アホすぎる。例えばキヤノン(てめえはほんまに好きやなこの会社笑)に全部ぶっこむ(正直、全く推奨しません笑)と年利で4%くらいの配当がある。例えばその4%を寄付してみませんか。寄付したらその分税金が安くなり、その分をまた寄付する。そういうお金の使い方って素敵やん。って自己満足やろか。



ううむ、今日は読み終えた「一日一食」という本のレビューを書くつもりだったがルワンダの義肢の話でぶっ飛んでしまった。一日一食についてはまた今度書こうと思う。



2014年04月12日(土) 春のボーナスゲット。

手持ちのお金がなくなったので(普段はあまり現金持ち歩かないのです)、お金を降ろそうとATMに行ったら残金がどかんと増えていて驚いた。

「どかん」は言い過ぎかな。「とかん」くらいか。これは「春のボーナス」が振り込まれたということですね。要は確定申告の還付金が入ったということですが、いやあ純粋にうれしい。このお金は、いつものようにまた「セーブザチルドレン」および「ラオスのこども」への寄付と株式購入に使おうと思う。


そんなわけで、「生活防衛」のためと称して税金対策について書いておこうかと思う。いや、基本的にはてめえは愛国者なので税金はそれなりに払いますが、正直ちょっと取られ過ぎだと思うんですね。そして取り返した分は、生活防衛というよりは世界の貧困に喘ぐ人たちのために使いたいと思う。株式購入も然り。


1.事業をする。

てめえは基本的に給与所得な人なので、毎月給料をもらうときにはすでに山盛り税金が引かれている。この「源泉徴収」については賛否両論ある。もともとはナチスドイツのやり方をまねて1940年に導入された。戦争にかかる費用としての税金を効率よくゲットする方法として導入され、これがそのまま続いている。

国の側から見れば、効率よく給与所得者から税金をゲットできるメリットがあるが、正直抜け道がいくつもある自営業者との差は否めないところ。しかも、税金を払っているという実感が弱くなるため、政治経済への興味を持ちにくくなるというのがデメリットだと思う。


そんなわけで、事業を始めるのが税金対策の第一歩。しかも、赤字になる事業を行うのがこの場合「正解」となる。だって、黒字事業をしたらさらに税金取られるしな。

しかも、青色申告者にはいろいろメリットが用意されている。詳細は書かないが、源泉徴収されている給与所得者であり続けたらこのことは知らなかったと思う。


「赤字になる事業」は何でもよい。例えば「レストラン評論家」として開業する。この場合、外食は全て経費になる。飲んだワインも含めて。東京のレストランに食べに行ったらこれも交通費含め全て経費。どうですか、これはすごいよな。

ただ食べ歩くだけでは「事業」でも何でもないので、食べ歩いたレストラン評論を適当にまとめて自費出版すればよい。昔は自費出版自体が初期費用も必要で敷居がそれなりに高かったが、今はなんとAmazonにアップロードするという裏技もできる(Amazon kindle direct publishing)。これだと初期費用もほぼ不要で、ただアマゾンの様式に従ってアップロードするだけ。


アマゾンでアップロードして、売れればそれはそれでよし。でも普通は売れないでしょ。しかし「売上−経費」が赤字になればなるほど、その分の税金が返ってくる。

例えば。これはほんまに例えばの話だが、てめえが源泉徴収された税金が100万円あったとする。

「レストラン評論家」として、1年で100万円食べ歩く。Amazonで自費出版して、もの好きな人が購入して20万円売れた。この場合80万円の赤字になるのだが、これを申告することで税金が返ってくるわけだ。しかも青色申告すれば、小規模の事業なら10万円、そうでなければ65万円の控除がある。その他もろもろを考えれば、給与所得者として源泉徴収された100万円はほぼ返ってくることが期待できるだろう。

どうでもいいが、てめえの好きな友里氏はおそらくこの目的でレストラン評論をされているという側面はあると思う。何と言っても彼の本業は社長だし、毎晩食べ歩いている分は税金対策にもなるだろう。


2.寄付を行う(地方税とは関連せず)

要は、まっすぐ国庫に向かうその一部を素晴らしい事業を行っているNPOに差し上げたいということ。寄付した分の一部は控除される。これは税金対策とはちょっと違うし、どちらかというと税金として払う分をNPOに流すという感じ。

てめえは「世界の恵まれない子供たち」に対する事業を行っているNPOを応援したいと思っている。大人が病気になるのは多くはてめえの責任であることが多いが、子供の病気は貧困によるものなど、本人の問題ではないことが多い。

その中で貧困ゆえに生じる病気は予防可能である場合が多く、てめえは医療従事者として、そしててめえ自身も貧困な子供だった経験もあり、世界中の貧困の中に生きている子供たちに、自分でできることをしたいと思っている。この思いはたぶん死ぬまで変わらない。そして親父の件がなければ、養子なども引き受けたかったし、今後状況が変われば養子を引き受けるかもしれない。


3.寄付を行う(地方税と関連する)

2とは異なり、こちらは本物の税金対策。いわゆる「ふるさと納税」を利用する。

地方自治体に寄付を行うと、所得税のみならず地方税も免除される。つまり、2の場合と異なりほぼ全額が返ってくるのだ。地方税対策としてはほぼこれしかないと思われる。

例えば、てめえが5年間住んだ、大好きな大好きな名護市に5万円を寄付する。地方自治体への寄付は2千円が控除されるので、48000円が返ってくる。

結果として、てめえは2000円払うことで、てめえの税金の納める先を名護市に変更したということになる。

この場合、寄付先は別に自分とは無関係の自治体でも可能である。てめえが去年行ったのは、長野県阿南町への寄付である。阿南町は、1万円の寄付ごとに、阿南町産のコメを20kg送ってくれる。

例えば3万円寄付すると、コメが60kg送られてくる。一度に60kg送られてくるとちょっと困るが、毎月10kg毎などのリクエストにも応えてくれる。これだと、6か月にわたって毎月10kgのコメが送られてくる。

控除は2000円なので、最大28000円の税金が返ってくる。つまり、自己負担は2000円で、コメ60kgを得ることができる。これはすごい。


そんなわけでためらわず試してみた。正直コメの質はこの場合問うてもしゃあないやろと思っていたが、これが意外に旨かったのだ。おそらく町としてもこの事業自体に力を入れていて、まずいコメはさすがに送らないということだと思う。


そもそもてめえはそんなにコメを食べないので親兄弟などにコメを配ったがこれまた評判も良かったぜ。そんなわけで、これは今後も続けたいと思う。



2014年04月11日(金) 佐野氏死去/娘からのメールとか

佐野実氏が亡くなったとのニュースに絶句した。まだ62歳なのに…。ご冥福をお祈りします。

「支那そばや」は新横浜のラーメン博物館にも、彼の生まれた戸塚に開かれた本店にも行った。初めてラーメン博物館で彼の店のラーメンを頂いた時の衝撃は忘れない。それは全く奇を衒ったものではなく、本物の直球ど真ん中勝負なラーメンだった。

ある時は、ラーメン博物館の中の製麺室で製麺されていた時もあった。自分が見世物になっているのは承知の上で仕事されているその真摯な姿勢に感動した。

また関東方面に行った時には彼の残したラーメンを食べたいと思う。



娘に「入学おめでとう! 高校はどう?」というメールを送ったのに全く返事がなくひどく落ち込んでしまったのだが、今日やっと返事が来た。「元気だよ! 楽しいよ!」という文面を見て一安心したが、気を遣わせてるんだろうな…。あんまりメールとかしない方が良いのかなんとも悩む。しかし親やし聞く権利はあるよな…。とかぐるぐる果てしない気分になるわ。



人生って単純で平坦なのが一番いい。普通に学生生活を過ごし、よくある仕事に就いてもの好きな相手を見つけて平和な家庭を作る。定年まで同じ職場で働いて、年相応に呆けていく。

ちょっと話はずれるが、認知症は、人生最後のプレゼントだと思う。死の恐怖や、友人や家族の喪失などの孤独から逃れることができる。なので認知症を治療する薬って本質的に間違っている気がするのだ。

さて本題に戻るが、てめえの人生の平坦のなさはどうでしょう。しかもこれからまた考えていることもあり、自分が選んだ道ではあるけどどうなんだろうとふと思った。



2014年04月10日(木) 昨日の続き。

さてオボちゃん会見。会見自体は仕事していたのでリアルタイムで見ることはできなかったが、今は会見内容が再現されているサイトなどもありさっそく会見の内容を確認した。

STAP細胞が存在しないのはもうすでに分かっている。T細胞受容体遺伝子の再構成が確認されていないので、STAP細胞はない。医学生レベルの知識である。万能幹細胞はあったかもしれないが、すくなくともT細胞由来ではない。

こんな大切な内容を、3/5に理研がさっくりと認めていて(これ自体は、本当は驚愕すべき内容で、マスコミは本来ここを突っ込まないと話にならない)、その時点で議論は終了している。あとは内容にねつ造があったのかどうかは正直興味はないが、現段階ではあったとしか言えないだろう。これで彼女の研究者人生は終了。

しかし会見の内容を見ていて思ったのは、日本のマスコミのレベルの低さ。理系の記者はいないのか。


そして、今回の会見を見ていて、少なくとも彼女は本気でSTAP細胞の存在をいまだに信じているということはよくわかった。あと、「第三者が再現に成功した」というのは絶対にウソである。だって、STAP細胞は存在しないのだから。そしてウソがばれたときに「心神喪失状態に近かった」などと言いだすだろう。


てめえが思うには、おそらく彼女がSTAP細胞だと思っているのは、別の幹細胞(おそらくES?)を見ているだけであろう。なぜESが入っているのかはここでは触れないでおこうと思う。


そして、共著者が誰もSTAP細胞について疑問に思わなかったのは、おそらく医学系の人が少ないからだろう。上記したが、T細胞のことについては医学部生でも知っていることで理解できることである。逆に言うと、小保方さんを含め医学部を出ていない人はおそらくそこを疑問にも思わないだろう。


そんなわけで、てめえの疑問は京大医学部を出ている笹井氏がなぜそこに気が付かなかったのかということ。いくつか予想できることはあるし、それは今後明らかになるだろうと思う。そしてこの問題についてはもうええわ。


今日たまたま見つけたブログが非常に分かりやすかった。ここが一番わかりやすいのではないだろうか。まあ書いておられることはてめえが考えていることとさほど差はないし、免疫の知識がある人はおそらく同じように理解していると思う。

いまさら人に聞けない小保方晴子のSTAP細胞Nature論文と捏造問題の詳細 その1 TCR再構成と電気泳動実験



2014年04月09日(水) おぼちゃん会見とか:と言いつつその話はほぼありません。

今日は朝から救急。てめえが救急当番のときはやたらと忙しく、しかも重症ばかり来るので看護婦さんからはいつもうんざりされている。

「○○先生の時だけこんなに重症が多いのは異常! 一回お祓いしてもらった方がいいのでは」

と愚痴る看護婦さんを、ベテランの看護婦さんが一喝した。

「アホか! ええか、あんたはまだ経験が足りないから信じられへんかもしれんけど、患者さんも医者を選んでるんや。きちんと診てくれる医者の担当する時間は忙しくなって当然や! 神様はちゃんと見てるんやで・・・」


まあそこまで言われれば文句も言わずに働くしかないのだが、さすがに何かに憑かれているのではないかと不安になり、無神論者のはずのてめえは滋賀にあるお祓いで有名な某神社にお祓いに行った。もちろん、その後も効果は全く感じずてめえの担当時間はなぜか忙しい。

そんなわけで、今日もひたすら忙しく働いた。あっという間に当院のベッドは埋まり、とうとう他院に入院をお願いしなければならない状態になった。

その患者さんは当院かかりつけの方で、今朝からの発熱で来院された。呼吸がわずかに早く、これは呼吸器感染、おそらく肺炎かと考えられた。

すぐに撮ったレントゲンでは、右上肺に肺炎像があった。

あきさみよー。これ、結核の可能性があるやんけ。結核は、肺の上の方から生じる。そして、高齢者がなりやすい普通の肺炎は、重力の関係上肺の下の方から生じることが多い。


実は、結核の診断は非常に難しい。最終的には結核菌の検出になるのだが、これは検査を出してから3週間以上かかる。それまで待つわけにはいかないので、他の方法で「らしい」のかどうかを考えなければならない。

というわけで、レントゲンだけではなくCTを撮った。空洞ができていれば結核「らしい」ということになる。空洞がなくても結核は否定できない。

CTでは空洞は認めなかった。てめえが診るには典型的な細菌性肺炎だった。


さて、これが当院の入院であれば「あとは入院して様子を見ましょう」ということになるのだが、他院に依頼する場合は非常に気を使うのだ。肺炎だと言って入院依頼をして、結果的に結核だったら大問題になる。

念のために呼吸器科のドクターを捕まえて読影をお願いした。彼の見立てもてめえと同じで、結核の可能性は低いのではないかということであった。


さて、診断は付いた。後は入院を受け入れてくれる病院を探すだけ。

さっそく家族の希望も受けて、受け入れ可能な病院を探す。いつも思うのだが、これ医者の仕事だろうか。

一つ目の病院に電話をかける。救急担当医に電話をつないでもらったら、なんと出たのはてめえの後輩であった。彼は電話が繋がるなりこう言った。

「ええと、超重症でなければオッケーっすよ」

おい、こっちは患者の病状とか一切言ってないぞ! と、てめえは思わず叫んでしまった。言いながら、経鼻で酸素2Lやし重症ではないわ、とてめえはさりげなく妥協した。


なんだか緩い感じだったが、しっかり受け入れしていただけるとのことで一安心。彼もまともな医師なのでさらに安心。さっそく搬送のためにいろんな手続きを行いてめえは救急車に乗った。


搬送先で待っていた後輩は、使い捨てのゴム手袋を嵌めながら
「いつもありがとうございます」
と、てめえに深々と頭を下げた。こちらこそよろしくお願いします、当院のかかりつけの方なので、ベッドが空き次第当院で受け入れますので、とてめえも深々と頭を下げた。


帰りのタクシーで、ほっと一息ニュースを見る。ちょうど小保方さんの会見が始まった時間だったようだが、この話はまた今度。



2014年04月08日(火) 健康に関する「本当の正常値」

久しぶりにスカッとするニュースを見た。

人間ドック学会が、「健康に関する本当の正常値」を大幅に変更するという。年齢によっても異なるが、ざっくりと言うと、血圧は160くらいまでは正常。悪玉コレステロールも180くらいまでOKというもの。これまで正常値は、どんどんと値が引き下げられていたのだが、今回初めて逆の方向にベクトルが動いた。


正直このニュースには驚いた。というのは、正常値がどんどんと狭められているその原因の一端は「製薬会社」にあるからである。


たとえば、血圧の正常値が140から135に下がる。というか、下げる。理由付けはなんとでもできる。「血圧が140の人よりも、135の人の方が脳出血のリスクを抑えることができた」などである。そういったデータはいくらでも「作る」ことが可能である。脳出血のリスクが下がった、などと聞くと普通はビビってしまうところだが、そもそものリスクが非常に小さい場合はどうだろうか。例えば(これは脳出血の話ではありません。あくまでも例えばです)、100万人に1人が100万人に0.8人に減った。これってほとんど誤差範囲やんけ。

しかし、血圧の上限を140から135に引き下げることで、治療対象になる患者数は増える。誰が喜ぶのか? 患者? 医師? No。答えは製薬会社である。

リスクが100万人に1人が100万人に0.8人に減ったとして、助かる患者は1000万人に二人。医師は薬を出さなければ訴訟になるリスクもあり、疑問がありつつも面倒くさい処方箋の発行を行う。そして製薬会社は数100億レベルの増収をゲットする。日本の人口にして20人ちょいを救うために、数100億。いや、確かに人命は地球よりも重いが、数100億あれば別の使い道で、よりたくさんを救うことができるだろ? 

でも、リスクを言われると患者側としてはまあビビる。低いにこしたことはないと薬を飲み始める。しかしちょっと待とうや、その前にすることはあるだろ?

しかし株式会社は薬を一つでも多く売らないといけないわけですよ。これ以上はもう書きませんけど。


というわけで、てめえは血圧の薬は150以下で処方することはなかった。薬には副作用もあるし、そんなに簡単に処方する人の気持ちが理解できない。しつこいが、その前にやることあるだろ? 減塩とか減塩とか減塩とか、運動とか。


今回学会のお墨付きを頂いたので、血圧が160まで薬を出さないことができる。ていうか、160以下の血圧を放置してとんでもないことになる人なんていないし、見たこともない。聞いたこともない。ものすごい不安が強い人で、副作用が出ようがなにしようが血圧が下がればもうどうでもいいわ、と言う人には出すけどね。

でもね、減塩とか減塩とか(中略)運動とかを出来ない人は、結局一緒ですよ。薬飲んでも下がらないし、さらに薬が増える。他の疾患、例えば糖尿病などの生活習慣病リスクはそのまま。


話はそれるが尿酸の治療もそうで、尿酸高値を放置して、尿酸結石に苦しむ可能性は実は1%以下。薬の副作用の可能性は2-3%なので、尿酸値が高いだけで薬を出すのはデメリットしかない。もちろん痛風発作や尿酸結石を繰り返すようなリスクの高い人は、薬を飲んだ方がメリットがある。

しかしそんなことよりも、日々の食生活を見直そうよ。加工食品は避ける。そしてなるべく自炊しよう。自分で料理作らないと、結局理解できないのですよ。塩分は控えめに。スナック菓子や揚げパン含め、揚げ物は食べない。アルコールは適量に(人に言えた立場では全くないぜぇ。ワイルドだろ?)。タバコはやめよう(てめえは禁煙に成功しました)。EPAやDHAなどの良い油を取ろう。

そんなわけで、てめえの外来には濃い人ばかりが残る。簡単に薬だけ欲しい人や、日々の生活の見直しができないひとはさっさとドロップアウトされる。それでいいわ。その代わり、毎回濃い話ばかりで外来の後はぐったりだぜ。ワイルドだろ?


しかしLDL(悪玉コレステロール)の正常値の変更だけはちょっと受け入れがたいな。180はまずいだろ。


#追記。

まあ実はこれ誰が得するのかというと(こういう大人な考えはあまり好きではないのだが)医療費を削減したい人々なんですよね。医療費を削減するという考えは基本的に賛成なのだけど、行き過ぎて予防医学にならなければ逆に医療費が増える可能性もあるわけで。

例えば上で挙げたLDLに関しては、180まで治療しないとなると薬代は間違いなく激減するが、脳梗塞や心筋梗塞も間違いなく激増する。前者の薬代よりも後者の治療費の方が多かったら意味ないよな。

まあ、実はコレステロール以外にリスクのないLDL180は(特に女性の場合)、経験上意外に大丈夫かもしれんと思う。脳梗塞などが激増する層は糖尿病や高血圧などを持っている人になるので、実は医療費を削減したい人々は、そういった生活習慣病の人にはさっさと(以下自己規制)とか考えているのかもしれんが、それはそれで薄気味悪い話。

しかし血圧は160まで大丈夫、というのは経験上受け入れられるけど、LDL180はないわ。これ自体が極端な意見とまでは思わないが、いろんな意見を吟味して自分なりに納得するやり方を続けるしかないと思う。



2014年04月07日(月) 親父の語学熱。

てめえの親父は、春になると語学が勉強したくなるようだ。これは昔からで、いつも4月になると、英語だの中国語だのハングルだののラジオ講座のテキストを買いこんでは、せっせとラジオを聴いていた。

しかしどうしても仕事の都合などで聴きそびれるときがある。そんな時は再放送を聴ければよいのだがそれもうまく時間が合わないことが多く、仕方がないのでラジオを録音することになる。

録音したら時間を作って順番に聴いていけばいいのに、なかなかそういうわけにもいかずに5月に入るころには録音したテープだけがどんどん溜まっていく。

6月になるともう録音することもなくなり、年間購入を決め込んだテキストだけが溜まっていく。毎年の風物詩であった。

そしてまた春になると彼はやる気を見せる。まあ好きにしてくださいって感じ? そして結局英語も中国語も全然ものにならなかった。


そんな彼が「よーし今年は英語を勉強するぞ!」と言いだしたのが去年の春。まあ気持ちはわからんでもないが、短期記憶障害のある彼が英語を勉強することにどれだけの意義があるのだろうか。途方に暮れて母や妹に相談したが「べ、勉強? 短期記憶できないのに? まあ自分ではそこの部分が理解できないだろうし好きにさせたら? 脳みそのリハビリにもなるかもしれないし」などと笑い転げた。

笑えないのはてめえの方で、まあ気の済むようにしてもらおうと英語を勉強してもらうことにした。

「ほな、テキスト買いに行かないと!」とノリノリ(死語)の親父。本屋に連れて行ってくれと言いだしたのだが、彼を本屋に連れていくのはあまりにデンジャラスなので再び途方に暮れた。


仕方がないので、いくつか見繕ってテキストを購入。さっそくノリノリ(死語)で予習を始める父。あまりに楽しそうなので、思わず幸せな気分になってしまいテキストを年間購読してやったぜ。ワイルドだろ?

ラジオも古かったので新しいのを購入した。すると「録音したいのでテープを買ってくれ」とのご希望あり。いやあなた、録音する必要ある? 本放送も再放送も好き放題聴けまっせ。それでも頭に入らなかったら…(以下省略)と言いたくなるのをぐっとこらえて「おっけー」とてめえはテープを買う旅に出ました。


しかし今どきカセットテープ。予想通り量販店には置いておらず、いくつか店を回って途方に暮れた。時代はMDを超えてiPhoneの時代でっせ。はーどでぃすくにろくおんじゃなくってろくがするじだい。おお思わず平仮名になってしまったぜ。


そんなてめえに朗報を届けてくれたのは100円均一の店だった。たまたま入った100均の店に、たまたま置いてあったカセットテープ。その場所が光り輝いて見えたのは果たしててめえだけだろうか。


そんなわけでカセットテープを2本購入。去年の話なので、しめて210円。量販店には置いていなかったそのテープを、てめえは大事に持って帰った。


さてそんな親父。さっそく録音して、音読するする。ある日帰宅するとノリノリ(死語)の親父の横で困惑するヘルパーさんがいた。すみません、言ってきかないものですから、とてめえはなぜか言い訳した。


さていつもの如く、5月には2本のテープがいっぱいになり、6月には音読の声も消えた。親父の部屋には年間購読しているテキストが積み上げられていった。




時は流れて昨日の話。いつものように、呆けた親父と二人散歩をしていた。春の陽気に包まれ、油断すると暴走する父を宥めながら人気の少ない道を選んで散歩をする。

突然彼は立ち止り、言った。

「英語勉強したいねん!」

な、なんだってー! あほかーざけんなよ(以下自己規制)と叫びたい気分をてめえは良く抑えた。

ええとあのう、去年も同じことをおっしゃりましたっけ?

あれ? そうか? 勉強してへんで!

そう、勉強はしていない。ただし勉強しようとはしただろう? とてめえは言いかけた。

「やし、テキスト買いに本屋に行きたいねん!」


あっきさみよー。今年も年間購読した方が良いのか? もうええわ。



2014年04月05日(土) 徒然なるままに

うーん、思うように書けない。「とりあえず一本書く」というのが本当に大事だと思う。並行して2本考えているのだが、何とか書き進んでも数行で立ち止まる。そして前に書いた文章との整合性をチェックする。思うがままに書き連ねるなんて天才の業でしかありえないということがよくわかるわ。徒然なるままに書き連ねるのは。

しかし何でそこまでして書こうと思うのだろうか。ということを思う。結局は自分の存在についての問題なのだろうと思う。今の仕事を続けていれば収入的にも問題はなく、それなりのステイタスもあり十分な人生は歩めるはず。なぜそこから外れようとしているのかということは、正直理解されないような気がする。まあええわ。



マー君のMLB初日。やっぱり気になってしまい、仕事前のわずかな時間だったがテレビでチェックしてしまった。てめえはカナダの国歌を聴いたあたりで時間切れになって出勤したが、そもそもトロントの球場を見た時点で涙が止まらなかった。あの懐かしいロジャーズセンター。そこでマー君が初めてMLBの舞台に立つ。外野にはイチローがおり。ほんまに夢みたいだった。自分がトロントにいたころからは全く想像がつかないぜ。





「鴨川ホルモー」

学生時代を強く思い出す。京大生以外には理解されそうもないこの作品が世間に受け入れられたということは、ある程度学生時代の共通の思い出につながるものがあるのだろう。でも京大生だったら100%以上楽しめる作品だと思う。久しぶりに観なおしたが、既視感に溢れてヤバかった。



2014年04月04日(金) カブトムシ

毎日午後からは組織学の実習である。

組織学とは何をするのかというと、人間のいろんな器官の組織のプレパラートをひたすら見て、それをスケッチしていくのである(ちなみに今日は男性生殖器であった)。したがって、実習中はひたすら孤独である。

と、言うほどのものでもないのだが、ふと実習しながら音楽を聴くのもいいのではないかと思い、今日はMDウォークマンを持参して実習に臨んだ。

家から適当にMDを持ち出してきて、それを聴きながら実習していたのだが、これがすこぶる調子がいい。気持ちよくスケッチを続けていると、イヤフォンからaikoの「カブトムシ」が流れた。

どうもこの曲を聞くと一年前に過ごした風景を思い出してしまう。

この一年間で、てめえの周りの風景はずいぶんと変化した。一年前、てめえは学生ではなく植木屋のしがないアルバイトであり、日々持ち歩いていたのも携帯電話ではなく、もはや絶滅しかけているポケベルであった。

植木屋の仕事は過酷であった。まあ、楽な仕事ってのもそうそうないとは思う。剪定となると、高さが優に10mを超えるであろう木にも登って、命綱だけを頼りに枝を落としていく。そうして、雑然とした木が見事に整えられていくのだ。

てめえらのような下っ端は、ひたすら落ちてきた枝を拾ってトラックに積んでいく。枝といっても、大きなものはもうそれだけで「木」である。

一応ヘルメットをかぶってはいるのだが、当たると衝撃で腰が砕けそうになる。大きくて運べないときは、すぐにのこぎりで運べる大きさに切ってやるのだ。ぐずぐずしているとすぐに親方の怒号が飛ぶので、枝を切ると両手いっぱいに抱えてすぐにトラックへと走らなければならない。

汗は滝のように噴き出て、降りそそぐ木の粉は体中にまとわりついてくる。持参する2リットルの麦茶はすぐになくなってしまう。毎日がこれの繰り返しであった。


そんなある日、いつものように現場に行くと
「おい、木、登ってみるか」
と親方に言い渡された。

驚いたが、この世界では親方の言葉は絶対である。
返事を聞く前に、親方はてめえに新品ののこぎりと命綱を渡した。
いいのかバイトにそんなことさせて?
しかし親方の命令は絶対なのだ。
そうしててめえは剪定技術を学ぶ事になった。


てめえが親方に選ばれた理由は、おそらくバイトのくせに、まるで職人であるがごとく足袋を履き、手甲を絞めていたからであろう。まず形から入るのは基本だが、それが親方に認めてもらえたということだったようだ。

とにかく、まずは木に登らなければ始まらないので、慣れない手つきではしごを木に立て掛けた。

登ってみると、上から感じる高さは思っていたよりも全然高かった。おまけに登ったときに加わった力で、木全体が少しゆらゆらと揺れている。で、頼り甲斐のありそうな枝に足をのせたが、体重をかけたら折れそうだ。

ここでびびったらおしまいである。
思い切って上のほうにある枝をつかみ、体重をかけた。
そうしている間、親方が下からてめえをじっと見ていた。

さて、どの枝を落とせばいいのだろう。
これがまるで分からない。
登る前に親方から簡単なレクチャーを受け、大体の目安をつけて登ったつもりだったのだが、実際に中から見てみるとどの枝を切るつもりだったのかまるで分からないのである。

「はよ切ってまえ!」
下から親方の怒号が飛ぶ。

それからは無我夢中であった。
気がつくと隣に親方が登ってきており、怒鳴られながら剪定をした。
ぼろくそに怒鳴られたのは理不尽だと思ったが、職人になれたような嬉しさがそれに勝った。



植木屋では、いろんなことがあった。

最初に剪定をしたプラタナスの枝は、とても素直にのこぎりを受け入れてくれた。

楠は、枝を切ったときになんとも言えないいい香りがして、本気で惚れてしまった。

イチョウを剪定したときは、こっそり銀杏をポケットに詰め込んであとで異臭に悩まされた。

現場には、親方とは別に他の会社から来ている現場監督がいるのだが、監督には真剣に
「おまえバイト辞めて職人目指さへんか?」
と誘われた。彼はてめえが学生アルバイトだとは知らなかったらしい。
大変光栄であると思ったが、てめえが目指しているのは別の道なので丁重に断った。

隣の木で剪定をしていた職人の載っていた枝が作業中に根元から折れて、重傷を負われたこともあった。慌てて飛ぶように木から下りてその人のところに駆けつけたが、親方から
「もうすぐ救急車がくる。おまえは自分の仕事をしろ」
と言われた。再び木に登りながら震えていた。
もしかしたらてめえが剪定していたかもしれないのだ。
その方は腰の骨が砕けたらしいが、数ヶ月後に無事植木屋に戻ってきた。

他の造園会社に職人として派遣されたこともあった。
親方に、いいのですか? と聞いたら、頑張ってこいと励まされた。
その現場では、一人前の職人として礼を尽くされた。
まさか「実はバイトです」なんて言えるわけがない。
この場を借りて謝っておこう。

すみません。実はしがないバイトでした。

ただ、要求された仕事だけは、きちんとこなしたつもりである。
その会社には、それからもたびたび手伝いに行った。

そのような植木屋の日々を送っていたとき
よくラジオから流れていたのが「カブトムシ」だった。
休憩しているときや昼飯を食べているとき。
また剪定の合間にコンビニでトイレを借りたときなど。
そういった風景が、この曲を聞くたびに昨日のことのようによみがえってくる。

朝になると、今日こそ辞めてやると思い
昼には次の木をどう剪定しようかと考えを巡らし
夕方には仕事を無事終えた充実感でいっぱいだった。

親方は何を思っておれに剪定技術を教え込んだのかは知らないが
「プロ意識」だけは確実に学んだように思う。
それが何であるかは、うまくは説明できないのであるが。

今年の春にあった平等院の庭園工事を最後に、てめえは植木屋を辞めてまた学生に戻った。
いろんな植木屋から選ばれた平等院工事のメンバーの末席に加えて頂いたのは、てめえの一生の誇りである。




2014年04月01日(火) 桜の咲く季節/スワロウテイル

どこまでも青い空の下
満開の桜の花が川べりの道に並ぶ。

まだ子供のころは、桜の美しさを理解できなかった。
「死体が埋まっているから美しい」だなんていうよりも
酒臭いオヤジたちが好むものという認識だった。

自分が年をとり、今ようやく理解できる。
ソメイヨシノのない沖縄に住んでいたからというのもあると思う。
桜の美しさは、きわめて日本的だと思う。

雲のほとんどない、青一色の空を見上げると
まぶしいばかりの太陽の光を浴びて、純白に映える桜の花
今日のこの桜の美しさを、私は死ぬまで忘れない。




Huluに大好きな「スワロウテイル」が入っているので、時間があるとつい観てしまう。何度見ても全く飽きない、たぶん日本映画(典型的な日本映画では全くないが)の中で最も好きな映画。

さまざまな人種や言語を混ぜ込んだ無国籍な世界観も秀逸だし、キャラの作り方も素晴らしい。退屈なところの全くない脚本も、時折セピア色に染まる画も、音楽も何もかもが美しい。Charaの歌声も。





何と今はありがたいことに、youtubeで検索したら映画そのものが最後まで観ることができる。ただし英語の字幕付きで、英語のセリフはそのままになっているのでおそらく外国で発表したバージョンなのだろうと思う。編集もちょっと違うし、これはこれで新鮮に楽しめた。


そして何より、世界で最も素晴らしい「My way」が聴けます。続いて「Mama's alright」に続くのも素晴らしい。

最後のランのフェイホンに対する弔砲を聞くといつも涙が出てしまう。そう、フェイホンは人生を戦い抜いた戦士だったのだ。



Charaが出た映画は、この「スワロウテイル」と「Picnic」のみ。いずれも岩井俊二監督の作品で、どちらも素晴らしい。「Picnic」では共演した浅野君と結婚する出会いになったのだが、残念ながら二人は離婚した。この映画もなんとYoutubeで観ることができる。なんてすごい時代になったものだと思う。




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