解放区

2011年11月30日(水) Airbag

In the next world war
In a jackknifed juggernaut
I am born again

次の世界大戦では
折りたたまれた巨像の中で
ぼくは生まれ変わる

In the neon sign
Scrolling up and down
I am born again

ネオンサインが瞬き
上へ下へと蠢く中
ぼくは生まれ変わる

In an interstellar burst
I am back to save the universe

惑星間の爆発で
ぼくは宇宙を救うために帰るんだ


In a deep deep sleep of the innocent
I am born again

ぐっすりと眠りにつき
ぼくは生まれ変わる

In a fast german car
I'm amazed that I survived
An airbag saved my life

速いドイツ車で
驚いたことにぼくは生き残った
エアバッグが僕の命を救った

In an interstellar burst
I am back to save the universe

惑星間の爆発で
ぼくは宇宙を救うために帰るんだ

In an interstellar burst
I am back to save the universe
Radiohead - Airbag



2011年11月29日(火) 最近読んだ本

今回初めてAmazonと結託してみた。


「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか」

後味の悪い読後感。大変な環境の中で正気を保つことは大変なことだと思うし、麻原が逮捕された時の5歳という年齢のために正気を保てたのだろう。これ以上であれば姉たちのようにある程度価値観は出来上がっているだろうし、これ以下であれば全く理解できなかっただろう。
本人は、自分の言いたいことを書いて発表したかったのだろう。ただ年齢の割に成熟が見られないのは単に環境のせいか。こういった人物に既視感があるのはなぜだろうか。元幹部のことについては書かされている感で溢れていた。これは編集者が望んだのだろう。

続いて「A3」も読んでいるが、こちらは素直に入ってくる。

地下鉄サリン事件が起きた時、てめえは理学部の1年生だった。学食の2階で勉強しながら、備え付けのテレビから垂れ流されているワイドショーが聞こえていたことを思い出す。


  



「世界でもっとも阿呆な旅」

海外篇は面白く読んだが国内篇はいまいち。どのように行くか、とか、現地の人とのギャップが読み物として面白いのだろうと思った。個人的にはオーストリアの「Fucking村」にもぜひ行ってほしかった。





「きららの仕事」

全16巻大人買いして一気に読破。初めの方はいまいちだったし、途中からのバトル形式もなんだかなという感じ。キン肉マンやドラゴンボールなどもそうだが、ネタがなくなれば戦うしかないのか。ただし原作者の早川さんが大変な鮨好きであり、出てくる鮨や技などがあり得ない設定ではないのが救い。

もともと早川さんの「日本一江戸前鮨がわかる本」「鮨水谷の快楽」に感動して購入した。前者は江戸前鮨の歴史なども詳しく書かれており、大変感銘を受けた。後者はミシュラン三ツ星を獲得した鮨水谷の寿司を一か月ごとに12か月紹介したもので、まあ鮨とはこんなにも深いものかのかと感動した。一度は本格的な江戸前鮨を食べてみたい。鮨への思いに関してはまた別の機会にでも。


    



2011年11月28日(月) Not the farther

とんでもないものを見つけてしまった。

http://www.youtube.com/watch?v=N5aP9as3Wb4

ピーピーなり過ぎワロタ。さらに上を行く

http://www.youtube.com/watch?v=Y6Bmkt3QVMo&feature=related

二人とも彼ら以外てどないやねんほんまに。



2011年11月27日(日) 父の部屋にテレビを設置することについて

大阪市長選挙は、予想通りというかなんというか、午後8時きっかりに選挙速報が出た。至極まっとうな結果だ。橋下さん期待してますよ。


父の部屋にテレビを導入しようかと考えている。今までなくても何とかなっていたのでいまさら感は拭えないが、あったら彼の生活バリエーションも増えるだろう。

現在テレビはリビングに1つのみで、父の部屋はその隣に位置している。昨年の夏に一度電気屋に来てもらったが「壁に穴開けてケーブル通すしかないですね」と言われた。見積もり今度出します、と言ったきり今日まで見積もりが来ていないので、今後も来ないだろう。だんだんどうでもよくなり、父もテレビのない生活に文句もないのでそのままにしてきた。

もともとテレビが好きな人だったわけではない。テレビを見るといえばプロ野球の阪神戦とニュースくらいだった。

読書が好きな人でもあったが、短期記憶が障害された今は読書をしても、数ページで内容を忘れてしまうので、いつまでも本の冒頭を読み続けることになる。ので、うんざりしてしまい本は読まなくなった。

新聞は毎日読んでいる。以前は2紙とっていたのだが、これまた同じ所ばかり読み続けるので一つは解約した。1紙になったがそれでもずっと新聞ばかり読んでいる。

朝起きて、てめえの用意した朝食を食べ、デイケアに出かける。夕方に帰ってきて、新聞を読み、てめえの作った夕食を食べ、新聞を読み、寝る。やることがないせいか、夕食後秒殺で就寝する。

風呂はデイケアで入っているし、別にいいのだが、もう少しバリエーションのある生活をしたほうがよいのではないか。大きなお世話かもしれないがテレビくらいあったほうがよいのではないか。以前はここに「散歩」という項目も入っていたのだが、短期記憶のない人が町をうろつくことを考えるとやめたほうがよいと判断した。ので、ヘルパーさんやてめえと見張りがつく状態でのみ散歩している。

さてテレビをどう設置するか。壁ぶち抜き以外の方法はないのかどうかいろいろ調べてみた。

初めはワンセグぐらいでいいのではないかと考えていたが、画面も小さいし老眼の彼にはつらいだろうと考え直した。光テレビも考えたが、費用が大きすぎる。というわけで、いろいろ試行錯誤して、室内アンテナを設置することとした。これに安めの液晶テレビをつけてもまあ予算範囲内ということで、もう少しいろいろ調べてみるがさらに良い案がなければこれでいこうかと考えている。しかしネットって便利だな。ネット時代以前であれば、迷わず壁をぶち抜いていただろう。


昨日は昼から仕込んだおでんと、前日のあまりの高野豆腐、焼いたピーマンと油揚げをおかかで和えたもの、ジャガイモのローズマリー炒め、サツマイモのレモン煮。妹と母が刺身持参で参戦したので、ありがたくいただいた。おでんはむしろ味のしみた今日が楽しみ。今後てめえの食生活は、徐々に動物性たんぱくが減っていくだろう。



2011年11月26日(土) 菜の花やすぐきについて

寒い。陳腐な表現だが街中が冷蔵庫の中のようだ。体の芯まで寒さが沁み渡り、背骨がぎしぎし軋む。

菜の花が店頭に並んでいた。一般的な旬は2月くらいだそうだが、京都の菜の花は今くらいが旬らしい。というわけで、あまり安くはなかったが早速購入し芥子和えにしていただいた。香菜もあったのでもちろん手に入れて豚肉とシイタケの炒め物に使った。てめえ愛用のフライパンは香菜の香りがしみ込んでいていつもエスニックな香りがする。残りの香菜はキャベツと大豆のサブジに使った。あとは、さわらのアラが安かったので醤油とみりんで炊いた。味噌漬けにして数日後に楽しもうかとも思ったが、それはまた今度の機会にしよう。

そろそろすぐきが上賀茂で収穫される季節になった。もうしばらくすれば、漬物にできないくらいの小さなすぐき菜が一瞬だけ店頭に並び、しばらくしてすぐきの漬物が出てくるだろう。寒い中での小さな楽しみ。小さなすぐき菜は、去年もいろいろ試してみたがこれも芥子和えが一番よく合うようだ。酒に合うというのもあると思うが。

いよいよ大阪のダブル選挙の投票日。橋下氏の勝ちであればおそらく圧勝で、午後8時過ぎにテレビに速報が流れるだろう。てめえとしては橋下氏の大阪市政を見てみたい気がする。

父の部屋用にネットオークションでセラミックヒーターを落札した。呆けた父の部屋に石油やガスの暖房はあまりにデンジャラスなのでセラミックヒーター。父の部屋はなぜかとても暖かく、今まで小さなヒーターで余裕だったが、越冬は厳しいだろう。去年彼は入院していたので、越冬ははじめて。セラミックヒーターが届けば、今まで彼が使っていた小さなものは台所に持っていく予定。台所寒すぎる。



2011年11月23日(水) 死亡診断書と医師法20条について つづき

先日、てめえの外来日の朝に、その日来院されるはずだった患者の家族から電話がかかってきた。なかなか起きてこないので起こしに行ったら反応なく、体が冷たくなっていると。かなり動転されている様子だったし、それだけではよくわからないので、救急車を呼んでうちの病院に来院してくださいとお話した。

最終来院日は2日前だった。体中に爆弾を抱えている方だったが、最近は比較的元気に過ごされていた。ただ、何が起きてもおかしくない方ではあった。

こちらは来院されると思い、いろいろ準備して待っていたが、なかなか来られなかった。しびれを切らしていると、警察から電話がかかってきた。救急要請された後、その方は別の病院に運び込まれ、死亡が確認されたと。ついては、当院で死亡診断書が書けませんか、との電話だった。

当院には救急受け入れの電話もなかったので、救急隊の判断で他院に運び込まれたようだ。正直、話もややこしくなるので非常に困るのだ。以前の例をたちまち思い出してしまった。日中だったので断る理由もなく、当院に受け入れ要請があればすぐに引き受けるつもりでいろんな部署にも連絡していたのに。

今度はてめえが担当医のケースでもあり、勉強しなおしたことで死後診察を行えば死亡診断書を書けることを知っていたので「先方の病院から許可もらえれば、当院で死亡診断書を書きます」と返事した。

また医師法20条の件で揉めるんだろうな、と思いながら先方の病院に電話したところ、救急担当の医師は意外なほどあっさりと「全く問題ありません。何卒よろしくお願いします」と言った。先方の話しぶりからは、面倒くささというよりは、よく勉強されている印象を受けた。

「午前中は診察がありますので、午後から伺いますが、よろしいでしょうか」
「了解しました。それまで霊安室に安置してお待ちしています」

この時点で診察時間をかなりおしていたがなんとか午前中の診察を終え、てめえは先方の病院に行き、死後診察を行った。といっても、死亡確認しただけだった。すでに死後硬直が始まっていた。ご本人は、まるで眠っているような安らかな顔だった。外傷もなく、原疾患による死亡と考えられた。たくさん抱えていた爆弾のどれかが、眠っている間に突然爆発してしまったのだろう。おそらく本人はほとんど苦しんでいないと思われた。

昨日まではいつも通りで、明日病院に行くからと準備をして、夜もいつもどおりに眠ったんです。まさかこんなことになるなんて。こんなことって、あるのでしょうか。何も言わずに逝ってしまった・・・。そう奥さんは無念そうにてめえに言った。



2011年11月22日(火) 死亡診断書と医師法20条について

てめえの担当ではなかったが、当院で往診管理していた患者さんが自宅で亡くなられた時のこと。最後の往診からは24時間以内ではなく数日経っていたと記憶している。

なんの病気を患っておられたのかは忘れてしまったが、ご本人および家族により「急変時に心肺蘇生を行わない」という意志を持っておられた。のだが、布団の中で冷たくなっていた患者を見て、動転した家族は119に電話し救急車を呼んでしまった。

到着した救急隊は職務として心肺蘇生を開始した。そしてこれまた何の手違いか、当院とは異なる病院に搬送した。運ばれた病院としてはその患者の情報は全くなく、心肺蘇生を救急隊から引き継いで継続したが、甲斐なく蘇生されず、そのまま運び込まれた病院で死亡確認された。

その病院にしてみれば、今までの経過もわからなく「異状死」の可能性があるということで、所轄の警察署に届け出た。警察は家族から事情を聴き、自宅の捜索も行い、ご本人の検案もおこなったが、事件性もなく、ご本人に外傷もなく、もともとの原疾患による死亡と考えられた。

その日その時間にたまたま救急当番をしていたてめえに、警察署から電話が入った。上記の経過を説明されたあと、担当の刑事は言った。
「というわけで、かかりつけで診ていただいていた貴院で死亡診断書を書くことはできないでしょうか。経過からも事件性はなさそうですし、ご家族も今まで診ていただいていた貴院での診断書を希望されていますし、もしできないのであれば司法解剖となります。それもどうかと考えまして。」

正直そのようなケースを経験したことがなかったので、答えに戸惑った。もちろん、拒否することもできるし、てめえとしてはそれが一番簡単だ。当院で診断書を書くとすれば、医師法20条との兼ね合いもある。また、万が一後から事件性が疑われた場合全責任を負う必要がある。

てめえは、たまたま救急当番となっていただけで担当医ではないので即答できないこと、また、医師法との兼ね合いでそんなことが可能なのかどうか知らないと説明し、担当医もしくは病院の管理者と相談してから再度連絡しますと刑事に説明し、電話を切った。

たまたま病院内に担当医がいたので上記の経緯を説明したところ「原疾患による死亡でしょう。これまでうちで診てきたのだから、こちらで死亡診断書を書いていいのでは。医師法についてはよくわからんのでいちおう管理者とも相談してみてください」とのことだった。

そのとき院長は不在だったので、副院長に相談した。いろいろ話はしたが「・・・これは、うちで書かなあかんやろう」という結論になった。この間いろんな医師と相談しているうちに、てめえの考えは「引き受けないほうがいいのではないか、最後の往診からも24時間以上たっており、他院に運び込まれたのは不幸な出来事だったが手続きとしては警察での死体検案および司法解剖が間違いがないだろうと考えるようになっていた。「後は私が責任とります」と副院長が言ったので、その後の対応はお任せすることとした。

副院長から警察に連絡され、司法解剖は免れることとなったが、今度は運び込まれた病院が怒った。てめえの病院で死亡診断書を書くのは手続き上おかしいし、そんなことは許されない。ので、ご遺体の引き渡しも行わないとする、かなり強硬なお怒りだった。

その後どういう話になったのかはわからんが、ご遺体はいったん警察が引き取って自宅に運び、そこに副院長が出向いて死亡確認を行って、死亡診断書を書くということになった。前述の病院からはその後あらためて抗議があったらしい。




医師法第二十条
医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後二十四時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。




上記については、最後の診察から24時間以内であれば死亡診断書が作成できるが、24時間を超えた場合については死体検案書となるというふうに学校で教わることがほとんどだと思われるし、そう解釈している人が多いが、よく読むと「24時間以内であれば、死亡確認せずに死亡診断書を作成できる」と言っているにすぎない。誤解が多かったために昭和24年に医務局長名で通知が出ているが、いまだに徹底されていないと思われる。

運び込まれた病院は、この条文を盾にかなり抗議されていたが、実は副院長があらためて診察して死亡診断書を作成しており、なんの問題もなかったのだ。てめえもあらためて勉強しなおすまで知らなかった。

つづく。



2011年11月21日(月) 医師法20条


医師法第二十条
医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後二十四時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。


医師法第二十条但書に関する件  
     (昭和二四年四月一四日 医発第三八五号)  
     (各都道府県知事あて厚生省医務局長通知)  
 標記の件に関し若干誤解の向きもあるようであるが、左記の通り解すべきものであるので、御諒承の上貴管内の医師に対し周知徹底方特に御配意願いたい。  

      記  
1 死亡診断書は、診療中の患者が死亡した場合に交付されるものであるから、苟しくもその者が診療中の患者であった場合は、死亡の際に立ち会っていなかった場合でもこれを交付することができる。但し、この場合においては法第二十条の本文の規定により、原則として死亡後改めて診察をしなければならない。  
  法第二十条但書は、右の原則に対する例外として、診療中の患者が受診後二四時間以内に死亡した場合に限り、改めて死後診察しなくても死亡診断書を交付し得ることを認めたものである。  
2 診療中の患者であっても、それが他の全然別個の原因例えば交通事故等により死亡した場合は、死体検案書を交付すべきである。  
3 死体検案書は、診療中の患者以外の者が死亡した場合に、死後その死体を検案して交付されるものである。



2011年11月20日(日) 日本シリーズについて

ハマチのアラとカブが安かったので、ハマチはしょうゆとみりんで炊き、カブは油揚げと一緒にかつおだしで炊いた。後者は最後に片栗粉でとろみをつけた。寒い時に体がぽかぽかになるように。

今年の日本シリーズは大変面白かった。第6戦までアウェーのチームが勝ち続けるのも異例だったし、日本一になってもクビが決まっている落合監督の采配にも興味があった。チーム力だけ見ると、パリーグ断トツの首位で優勝し交流戦も優勝、プレーオフも全勝で勝ち上がってきたホークスに圧倒的に分があるし、一方的な展開になると面白くないと思っていたが、実際は大変な接戦となり、結果は最終戦まで持ち越されることになった。

第7戦は、ホークスが3点を挙げたところでほぼ終了。なぜなら、中日は今回のシリーズで3点以上得点しておらず、またその力もなかった。打率が12球団で最下位のチームがここまで勝ち進めたのは、その守備力もあるだろうが、やはり監督力ではないだろうか。1点差の勝利がとても多かったのは、采配の勝利、頭脳の勝利だろう。

中日の監督・コーチ陣をみると、ほぼ生え抜きがいないことに気付く。中日での選手経験はないが、その脳味噌というかコーチ力を買われて落合監督に一本釣りされた人ばかりだ。フロントは実はそこが気に入らなかったのだろう。落合監督のみならず、生え抜きではないコーチも一斉にクビにしている。これだけの実績を残しながら。これだけのことが起きていながら中日ファンが暴動を起こさないのは、ファンもフロントと同じように考えているということなのだろうか。

これが阪神だったら間違いなく暴動が起きているはずだ。連覇した監督及びコーチををクビにしたならば。関西人は勝つ人を重用する。勝てないと用はない。今年の真弓監督のように。

第7戦は、勝っても負けても落合監督最後の試合。実は契約は10月いっぱいで切れており、日本シリーズが終わるまでは日雇いになっていたらしい。落合は、7回には浅尾、8回には岩瀬を投入した。まるで勝っている試合の時のように! この采配にてめえはなぜか涙が止まらなかった。

ホークスはそのままファルケンボーグで終了かと思ったが、まさかの負傷交代。最後は摂津! これもまた涙が止まらなかった。最後はやはり馬原かと思ったが、通常ではありえない起用が続く。最後まで緊張感あふれるものすごい名勝負で、両監督の野球に対する凄ましいまでの愛を感じた。落合もすごいが、秋山もすごいな。両者両チームともどうもお疲れさまでした。



2011年11月19日(土) ラーメンマニアについて

引き続きラーメンの話。

もはや国民食でもあるラーメンが大好きな人々はたくさんいるが、なかでもラーメンマニアを自認する人たちがいる。彼らには一定の特徴・傾向があり、その影響がもちろん悪い方に働いている部分もあると思われる。その一部を取り上げてみる。

・ラーメンは熱々でないといけない。少しでもぬるいと「このラーメンはぬるい」という批判をてめえのブログに展開したり食べログに投稿したりする。

日本のラーメンは熱すぎると思う。これだけの熱さで提供される麺料理は世界中にないのではないか。ラーメンは、麺料理の適温を超えて提供されていると考えている。てめえでも食べ終わった後に口の中が火傷していることがある。これはどう考えても異常である。熱すぎる食べ物がいいのか?

まず、熱すぎると麺が伸びるのが早くなる。つまり、麺がベストコンディションである時間が短くなるわけだ。特に伸びやすい細麺を使用している九州系豚骨ラーメンは「バリかた」でたのまないとあっという間に伸びてしまうが、これは本末転倒ではないか。

また、スープの香りは、高温で香りが逃げてしまう。旨みも高温では損なわれるのではないか。中華料理の鶏ガラスープは、作るときは絶対に沸騰させない。カツオ出汁などの魚介系出汁も、絶対に沸騰させない。香りも旨みもなくなってしまうからだ。ラーメンはなぜか熱々が良いとされているため多くの店ではほぼ沸点で提供されている。料理には「適温」というものがあるだろうと思う。


・どの店に行っても「麺固めで」と注文する人がいる。

「麺固め」注文がデフォルトになっている人々がいる。初めて訪れた店でも麺固めを注文する人もいる。沸点近くで提供される九州系豚骨ラーメンであれば固めでたのむのもありかもしれんが、これもまた「適度の茹で具合」というものがあるだろう。それとも何が何でも固めの麺が好きなのか。君は他の麺屋さん、例えばうどん屋や蕎麦屋、スパゲッティー屋でも「固めで」と頼むのか。


・味が薄いと「湯切りが甘い」と批判する。

ラーメンを作っているところを見ればわかるが、多くのラーメン屋では麺を湯がいている間に丼にたれを入れ、その後スープを注ぐ。このたれの量、スープの量はほとんどの店では「目分量」だ。この時点でかなり適当であることがわかる。この時点ですでに薄い可能性があるだろう。その程度のブレを楽しめるようでないとラーメンを楽しめないぞ。

湯切りが十分でないとしても、さらに加わる水分の量はわずか数ccである。それでスープの薄さが大幅に変わるわけがない。「天空落とし」にどれだけ意味があるのか。むしろ麺そのものや茹で方(テボなのか平ざるなのか、など、こちらの方がよほど本質的では)の質にこだわるべきでは。


ちなみに京都のラーメンはとても柔らかくゆでてある。



2011年11月18日(金) ラーメンと沖縄そばについて

昨日は豆腐を入れたら、やはり思った通りぴったしだった。日本酒がよく進んだ。八角を入れたら美味いだろうなと思うので、次回ははじめから八角を入れてみよう。

てめえは家業がラーメン屋だったので生まれた時からラーメンを食べて育っており、おかげで現在のてめえの血となり肉となっているわけで、もはや体の一部と化しているので、消耗してきたら補ってやらねばならず突発的に食べに行く。もちろん自分でも作る。休日の日には鶏ガラと豚の骨を買ってきて、朝からぐつぐつと作るわけだ。生姜を効かせた方が好きなので、生姜はたっぷりと入れる。家業にしていたときにはスープの原料として野菜は使っていなかったが、てめえは野菜の残りくずなども入れる。麺はパスタマシーンで作る。チャーシューも作りメンマは乾燥メンマを1週間かけて戻して使う。なにやってんだろう。

もちろん一人で食べきれない量になるので、家族で食べることになる。おかわり上等である。余ったスープは冷凍して後日の楽しみにする。

ところでラーメンとは不思議な食べ物である。まず、いったい何をもってラーメンと定義するのか困難である。

麺は定義できるだろうか。「小麦粉を主体とし(そば粉などのほかの粉や卵などを混ぜている場合がある)、かん水で打ったもの」と定義できるか? 今は無かん水の麺もあるので、かん水は必須ではない。とすると、「小麦粉を主体とし(そば粉などのほかの粉や卵などを混ぜている場合がある)、打ったもの」になるが、これだとうどんやスパゲッティーのみならず、蕎麦も含まれてしまうぞ。結論。麺は定義できない。

スープは定義できるだろうか。明らかに無理です。必ず入っているというものが全くない。鶏や豚が主体だが、魚系の出汁のみの場合や牛骨を使っている場合もあり。何でもありだ。

具に至っても、何でもアリだ。チャーシューやネギ率は高いが、それがないとラーメンと定義できるものはない。

結論。ラーメンは定義できない。


さて、ここで新たな問題を提起してみよう。「沖縄そば」は「ラーメン」ではないのか?

沖縄そばを定義するのは容易である。麺は、小麦粉に、かん水などのアルカリ性の水を混ぜて作ったものである。アルカリ性の水はかん水が使われることが多いが、伝統的な店では、ガジュマルやイジュの樹を焼いて灰汁を作りその上澄みを使用する。

スープは、豚骨と鰹節。これ以外を使用している例を見たことがない。

具は多様だが、基本形は豚の三枚肉とネギとかまぼこである。三枚肉はソーキになったり野菜になったりする。

こう見てみると、非常にすっきりしている。ラーメンがいかに適当な食べ物かと愕然としてしまう。

さて、麺が小麦粉とかん水でできており、豚骨と鰹節でだしを取ったラーメンは存在するのか。あるでしょういくらでも。っていうかこれは沖縄そばの定義に当てはまるではないか。沖縄そばではないのか。

なんだか急激にどうでもよくなってきた。続きはまた今度。



2011年11月17日(木) 大阪市長選挙

大阪市長選挙が熱い。

知事が辞任して市長選挙に打って出るというのもたいがい熱いが、極めつけが共産党の候補が立候補を取りやめたことだ。どんな小さな町の選挙にでも候補者を立てようとする共産党が、これほど大きい選挙に候補者を立てないというのは寡聞にして知らない。調整がつかなかったというのはあるかも知れんが、立候補者が決まっているのに取りやめるとは。もはや異常事態だ。

この異常事態を引き起こしているのは、橋下徹という人間だ。

ちょっと興味があったので、いろいろ調べてみた。教育条例はたしかにやりすぎだが、その他ちゃんといろいろ仕事をしている。ただのタレント弁護士から、見事に行政の人になっている。

黙っていれば、知事の二期目にも当選し、さらに大阪府のために仕事されただろう。それを投げうって、今度は大阪市に乗り込むとは。正直仰天した。並の人間ではできないことだ。環境も部下もローカルルールも全て変わってしまうというのに。共産党まで敵に回しており、議会はてめえの大阪維新を除くと総野党ジャマイカ。仮に当選したとして、議会から職員までものすごい抵抗勢力だぞ。並の人間の精神力では不可能だな。


大阪市を解体する。たったその一点で、てめえは橋下氏を支持したい。当選したら公約をことごとく放り投げる現在の政権与党のようにならないことは、知事当選後の言動をみていればわかる。

そして、ぜひ大阪市をぶっ壊してほしい。別に大阪市にうらみがあるわけではないが、大阪市がいかに狂っているかは、この橋下氏への激しい拒否反応を見ても明らかだ。さらにてめえは、もっとどうしようもない京都市と言う自治体を知っている。共に早くから政令都市になっている関西の都市でもあり、おそらく似たような構造があるのは間違いないだろう。

先日も、京都市の現役職員が逮捕されたという記事を読んだ。いや、昨日だった気がする。京都市にとんでもない職員がおり、それを再生産する構造があるのは善良な京都市民ならみんな知っているし、大阪市にもあるだろうことも明らかだ。これは大阪府の長をやっていれば出会わない仕事だ。関西の大都市にあるこれらの闇をぜひぶっ壊してほしい。まあご本人はそこまでは考えていないだろうな。まあ闇は大阪都の区に引き継がれるかもしらんが。



昨日はカンパチのアラが安かったのでそれを炊いて、冷蔵庫に余った肉と根菜で肉じゃがを作った。バラ肉の塊が安くで売っていたのでそれも買ってきて、高野さんのところで読んだ台湾おでんを作ってみることとした。ねぎをそのままとバラ肉をそのまま、大量に醤油を入れて火にかけて3時間放置。これはそのまま今日の晩餐になる予定。だが、あれだけ醤油入れたにもかかわらず味見してみたら少し薄かった。帰ったら、もう少し醤油を足してみよう。加えて、今日は豆腐を買って帰って、ここにぶち込んでみよう。多分豆腐が合うはずだ。



2011年11月16日(水) おいしいもの。

てめえの願いは、てめえが死んだあと「あの人はおいしいものが好きな人だったねぇ」と懐かしがられることだ。自分を形容されるならば、美味しいものが好きな人、と言われたい。

昨日はカレイの切れ端がいっぱい入ったものが100円で売られていたので、それを購入し煮付けて夕食にした。それと、たくさん作り置きして冷蔵庫にしまってある「さつまいものレモン煮」と、アーサと油揚げの味噌汁。煮魚なんて、京都に帰ってくるまでほとんど作ったことはなかった。和食を多く作るようになったのは、明らかにこの土地の影響だ。京野菜をはじめとして、売っているものそれぞれが最もおいしく食べられる調理法を考えると、和食の手法が一番しっくりくるのだ。

料理した後に残る野菜の切れ端は、冷蔵庫の野菜室の中にある袋に入れておき、ある程度たまったら片っ端からみじん切りにして塩と酒で処理し、ひき肉で炒める。以前は甜麺醤(+豆板醤)で味付けしていたが、いろいろわけがあり甜麺醤が使えなくなったので、代わりに赤味噌をみりんで溶いたものを使って炒めている。野菜の下処理に使う酒も日本酒を使っているので、こっちの方がしっくりくる気がする。さらに醤油を入れたり、豆豉を刻んで加えたりする。具も、しょうが醤油をつくるときにできるしょうがの醤油漬けとかなんでも入れる。大根の皮や葉やニンジンの皮や玉ねぎや白菜やキャベツの芯などもとっておき、みじん切りにする。ごはんのよい友になるだけではなく、余れば弁当にできる。元は「泡菜肉末」といって、陳健一の本で知った。こういった始末の仕方を知っているといろいろ便利だ。

赤味噌は、御所近くにある本田味噌のものを使用している。いろいろ試したがここの味噌が一番美味い。明治天皇が東京に引越するまで、皇室や御所付近に住んでいた公家たちは、ここの味噌を愛用していた。いわゆる「禁裏御所御用達」である。値段はそれなりだが、こういった基本調味料を奢っておくと、肉や野菜が安いものでもそれなりの味になる。なんといっても毎日飲む味噌汁が美味いことが一番である。


天皇が東京に引っ越した時、皇室や公家に物を納めていたところは、そのまま京都に残ったものと、お得意先と一緒に東京に移ったところに分かれた。本田味噌は前者なわけで、後者は「とらや」など和菓子の店が多かったようだ。移った和菓子の店は得意先がほとんど皇室や公家だったのだろう。茶の「千家」は3つとも京都に残った。和菓子の店も、京都に残ったところもある。そういった店は、皇室や公家と疎遠になっても商売できる自信があったのだろうと思う。

松風で有名な「松屋常磐」も、御所近くに今でも店を構えているが、京都に残った店である。向田邦子もここの松風が大好きだったようで、てめえ愛用の料理本「向田邦子の手料理」にも出てくる。が、てめえは大徳寺納豆の入った松屋藤兵衛の松風が好きだ。ここは大徳寺の近くなので、皇室の需要はあまりなかったと思われ、今も変わらず営業を続けており、地元の人々を中心に愛され続けている。



2011年11月15日(火) 何が嫌なのだろう

この仕事を始めて早くも8年目になる。なんとか一通りのことはできるようになったし、その中である程度大きな学会などでの発表もさせていただいた。一般的には知識もそれなりにあるし手技もそれなりにできるし、後輩の面倒を見たりなんだりと一番充実しているころのはずだ。

一通りできるようになったところで、意欲のあるものはさらにいろんなことを極めるべくいったん大学に戻って専門分野の研究を始めたり、そのまま現場に残って指導者・管理者への道を歩み始めるころだ。

そんななか、てめえはドロップアウトし始めた。もったいない、といわれるし、自分でももったいないと思う。正直これだけトレーニング受けたものが仕事を減らしていくのは社会的損失だ。最前線から撤退して区ことに対し、家族のこととかなんだと理由にしているが、恐らくそんなところに真実はない。なるべくしてそうなっていると自分では思う。

何が嫌なのだろうか。何に疲れているのか。仕事そのものに対してか、職場の問題か。

仕事そのものに対してとしても、本当にそのものに対してか、専門分野に対してか。

仕事そのものに対しては、そんなに嫌ではないと思う。そうであれば、大学受験から間違っていたということになってしまう。しんどいなりにやりがいはあるし、社会に役立っているという実感もある。なにより、利益を求める仕事ではないのが性に合っている。

専門分野は選択を誤った気がしてならない。ある意味成り行きで決めてしまったが、こんなに精神的にしんどいとは思わなかった。他の国であればお亡くなりになられている方々だけに、全身の管理がとても難しい。あっという間に急変するわけだ。一見本人は元気に生活しているように見えているが、日本以外の多くの国であればもう亡くなられている方だという認識が本人にも家族にもあまりないので、何かあればひどく狼狽される。医療は一体どこまで進歩するのか。亡くなっていたはずの方々が命を長らえるのはいいことでもあり、新たな問題を生じることでもある。


二つ目だが、職場の問題とすれば、職場の人間関係か顧客の問題かそれ以外か。

人間関係は満足している。どこの職場にもいる使えない人は確かに存在するが、医療現場で働く人々は基本的に善意の人である。ので、てめえに関する人間関係には全く問題がない。上司も素晴らしい人だし、全く問題なし。

顧客の問題。デリケートな話だが、てめえの施設は特殊な人々が顧客として多く集うので、対応に難渋することがある。が、これは他の職種の人々と協力し、解決することが多いのであまり問題ではない。


結論。てめえはどうやら専門を間違えたらしい。とすると解決方法としては専門分野を変更するのが一番だが、また一からトレーニングを受けなおす気力はもう残っていない。現実的には、今までの知識を流用した仕事ができればいいわけで、なんとかそれで生き残れないかもがき中の日々。



2011年11月14日(月) 父と暮らす/トランス脂肪酸の恐ろしさ

夕方までの勤務の時は、帰宅時に買い物を済ませるのだが、昼までの勤務の時は、デイケアから帰って来た父と一緒に、近くのスーパーで買い物をする。
「昼は何食べた?」
と聞くが、なんやったかなあと彼は首をかしげる。短期記憶が障害されているのでまあ覚えていないだろうな、と思いながら、いつも同じ質問をする。ふと、何事もなかったかのように彼に正気が戻るのを期待しているかのように。

脳の一部を傷害した彼は、まるで子供だ。欲しいものの前でじっとしたまま動かない。「おっこれ安いやん」と叫ぶのは、たいてい生ギョーザの前だ。刺身のコーナーの前では、じっと刺身を見つめたまま動かなくなる。先日は、イワシの前で彼が動かなくなったので、100円で山盛り入ったイワシを購入し生姜と梅干しで煮つけた。「何食べたい?」ときくと、たいてい「なすび」と答えるので安くて助かる。

料理を盛り付けて机に運ぶと、「わっごちそうや。おいしそういただきまーす」と一人で食べ始める。文句を言ってこないところは人ができているが、きっとろくなものを食べてこなかった人生に違いない。てめえはこの人が、ギョーザと焼き茄子とラーメンと冷凍食品で生きてきたことを知っている。


喫煙もせず、大きな病気もなく、肥満でもない、むしろトライアスロンに出たりチャリで日本一周を実現するくらいのスポーツマンだった父が狭心症を起こしたのは、てめえが南国に行ってすぐのことだった。彼はその時、冷凍食品を運ぶトラックの運転手をしていた。
「ちょっと動くと胸がぎゅーっと重くなるのだが、これはなんだ」と父から電話がかかって来た。よく話を聞くと、典型的な狭心症発作だった。
「電話を切って、すぐに病院に行け。そうしないと心筋梗塞で死にますぜ」と、てめえは父に言った。仕事が忙しくてなんとかかんとかなどと言っていたが、最終的には病院に行くことを了承し、みごと冠動脈に狭窄が見つかった。あと少しで閉塞し、梗塞に至る一歩手前だった。完全に詰まってしまう手前で冠動脈にステントを入れ、彼は生還した。

「なんでこんなことになるんや?」と、まだ正気だった彼はてめえに聞いた。確かに、彼には心臓病のリスクファクターは全くなかった。高脂血症でもなく、糖尿病でも高血圧もなかった。先に書いたように、肥満もなく喫煙もしていない。まったくリスクはなかった。

「まあ、そういう人もおるわ。喫煙したことないのに肺がんになったり、お酒一滴も飲まないのに肝臓壊す人もおるやろ」と、てめえは疫学者が聞いたら卒倒するような詭弁を言った。だが、その時は本当にわからなかった。なぜ彼が、狭心症になったのか。


あれから時も経ち、今ならわかるようになった。まったく、学校では大切なことは学ばないものだ。今ならわかる。冷凍食品、及びそれに多く含まれる、揚げ物のせいだ。コレステロールも高くなかったのだがら恐れ入る。トランス脂肪酸の恐ろしさを父で思い知らされることになるとは思わなかった。

てめえはもともと揚げ物料理をすることが少なかった(めんどくさいからで、ほしい時には買っていた)が、トランス脂肪酸の勉強をしてから、揚げ物を徹底的に避けるようになった。もちろんスナック菓子もである。友人と外食するときは、食べることもあるが、それ以外では意識的に避けている。ので、父の食卓に揚げ物はない。ので、今後彼は長生きするだろうな、などと考えている。



2011年11月13日(日) 小金井市のごみ問題/○○でほしい

小金井市のごみ問題、今日までまったく知らなかった。関西ではニュースになっていないからだろうか、偶然今日初めて知った。ていうか、関西人は誰も知らないのではないか。

このままいくと、ごみを誰も引き受けてくれない可能性があると。これはすごい。ナポリと姉妹都市になれるのでは。ぜひなってください。

私見だが、小金井市の方々は、一度ごみ処理が完全にストップしないとわからないのではないか。ごみが市内の道路を埋め尽くさないと先に進まないのではないでしょうか。元朝日新聞記者の辞任した市長も甘いが議会や市民はもっと甘いのでは。次の市長選挙は誰か立候補するのか。いっそ横粂代議士が立候補してはどうか。

http://ameblo.jp/katsuhito-yokokume/entry-11068404268.html

なんで彼はここに手を突っ込んでいるのかと思ったら、次期選挙で前首相に対抗して小金井氏を含む東京19区から出る予定なのね。がんばれ「総理」。首相選挙の一票はてめえも爆笑させていただきました。笑っている場合ではないが。

http://www.youtube.com/watch?v=CBjVw-Z86W8



「続・落ち穂拾いの記」たしかに死んでほしい。あっ書いちゃった。
しかし、気持ちはよくわかりますぜ旦那。てめえも幾度となく脳内殺人を企てました。これは、そういうことができないような制度を作らないと永遠に続くような気がするぞ。そんなことをすると、善意に基づいて成り立っている医療現場が完全に崩壊するだろうが。こっちも、一度完全に崩壊しないとわからないのでは。まあてめえは最前線から離脱しましたが何か。



2011年11月10日(木) 料理する

最近は毎日料理している。ほとんど加工食品は使用しないので、めんどくさいことはめんどくさいが仕事するよりましだ。今は5時には仕事が終わるので、それから買い物をして帰る。いろんな店で買い物するので、店ごとの特徴もわかるようになってきた。

で、まじめに考えてみたが、きちんと料理するようになった理由はどうやら二つある。一つ目は、京都に住んでいるということである。

沖縄にいるときはあまり感じなかったが、こっちでは旬のものがはっきりしているということ。まあ沖縄は亜熱帯なので旬もくそもあるかと言われればそれまでだが、京都はよりはっきりしているのではないだろうか。その旬のもので、いままでいわゆる京都の家庭料理をいうものを作ったことがなかったので、いろいろと試してみている。「なすとにしんのたいたん」とか、実際食べたことなかったわけだ。これは、子供の時に料理を作っていた母親が、京都出身ではないことと関係しているのだろう。京都にはいろいろ京野菜があるので、ネットや本などでレシピをいろいろ調べたりしながら作っている。ただし、元の味がよくわからないのだな。

本は、図書館で借りてきている。さすがに、図書館に行くと、ちゃんと京料理のコーナーがあるのだ。これはありがたい。

おかげで、今まで知らなかったことがいろいろと分かった。京都では牛肉の消費量が多いとか、こんなことも知らなかったわけだ。母親が南国出身なので、てめえの育った家では豚肉ばかりだったからな。たしかに牛肉コーナーがやたらと充実している。

京野菜も、旬の時期だけどかっと並んで消えていく。以前に、中国では、冬になると八百屋には白菜のみが山のように積んであると聞いたことがあるが、そこまで極端ではないが何となく情景が理解できる気がする。

さて二つ目。これは、偶然ネット上で出会った高野さんの日記の影響である。リンクは張らない。おっさんひとりめしでググると出てくる。これがまた、毎日おいしそうな料理を作ってらっしゃるわけだ。感化されやすいてめえは、たちまち壇一雄の本や池波正太郎の本や海軍レシピの本などを買ってしまった。ちなみにてめえが一番好きな料理本は向田邦子のもので、ずっと台所に置いてあるので表紙は脂でてらてらになっている。これは偶然、一乗寺の恵文社という書店で見つけて衝動買いしたものだが、そんな話はどうでもよい。



さて今日の晩飯は何にしようか。最近近くの店で、香菜がたまに置いてあるので、今日もあれば買って帰ろう。おいてあれば必ず買うので、最近おいてある頻度が高くなった。イカが安かったらイカと炒めてもいいし、そういえば冷蔵庫にブタのバラ肉があるのでそれで炒めてもよいし、サラダに入れてもよいし。豆とキャベツのカレーつくっていれてもいいし。



2011年11月07日(月) パンと京都

パンの一人当たりの消費量は、京都が日本一だそうだ。

この統計は「京都府」でくくっているので、おそらく「京都市」にすればもっと数値は跳ね上がるに違いない。そう考える理由は後述する。

なぜ、京都人はパン好きなのか。ミシュランの星を数多く獲った「美食の都市・京都」。京都では薄味が好まれるという幻想と共に、パン好きも京都の一面を表していると思われ非常に興味深い。

京都で薄味という幻想は誰が作ったのか。ミシュランの星密度が世界最高と思われる祇園では、様々な名店が軒を並べるが、これらの名店では出汁をしっかりと利かせているために、味を濃くする必要がない。必要がないというよりは、濃い味では出汁を生かせない。だから薄味だと思われているのだろう。だがこれらの名店を利用する京都人はごくわずかであり、大半の京都人は自宅で食事している。もしくは、大衆食を食べに行く。大衆食の代表と言えばラーメンだろうが、京都のラーメンは御存じ超ギトギトのこってりスープである。いまや全国展開どころか外国にまで暖簾を広げた「天下一品」も、発祥は京都だ。


さて、パンである。どうでもよいが、てめえの住む街はパン屋だらけである。同じ通りにパン屋がずらりと並んでいて、どのパン屋も個性的で美味い。意外なことに、あんパンやクリームパンなどいわゆる「日本のパン」を売る店はほとんどなく、ハード系やクロワッサンなどが美味い店が多い。バゲットなどは店ごとの美味さを競っている。

てめえはこの街に引っ越してきて以来、家のすぐ近くにあるパン屋にお世話になって来た。結構美味いパンを焼くし、最も近いというそれだけの理由で、そのパン屋のパンばかり食べていたが、ある日の夜中に突然家ごと燃え落ちてしまった。2階の住居部分まで燃えてしまったばかりではなく、密集する住宅街のことで、密接して建つ隣の家も半焼した。まだ家の燃えた嫌なにおいの残る翌朝、燃えたパン屋の前に立ちてめえは呆然とした。明日からどこのパンを食えばいいのだ。

隣の家まで燃やしてしまったということで、てめえのパン屋の再建は後回しになり、まずは隣の家の修理が始まった。パン屋自体は焼けたままで放置である。てめえは、まあ、そらそうやわな、などと思いつつ、通勤路でもあるパン屋の前を毎日通ることとなった。

さてパンをどこで買うか。今まで最も近いだけの理由でたまたま購入したパンが絶品だったので、実は他のパン屋を試したことすらなかった。が、探せばパン屋だらけである。

というわけで、いろんなパン屋を試してみたが、どうもいまいちだった。どうやら、燃えたパン屋はてめえの舌ととても相性が良かったらしい。そうしてパン屋巡りする毎日だった。

歩いていける範囲のパン屋をことごとく試したが、どこもいまいちだったので、自転車で行ける範囲に捜索範囲を広げた。そこでようやく、新たなパン屋を見つけたのだ。


そのパン屋は一見パン屋というよりは怪しげな衣料店のようにも見えた。店の前に立ってみるが、外から見る店の中は暗く、開店しているのかどうかもよくわからない。勇気を出して入り口の扉を押すと、なんとそこはパリだった。

店内にはフランス語のラジオが流れており、壁にはフランス映画のポスターが貼ってある。壁の白い部分にはいろんな言語の落書きがあった。店番をしていたお姉さんは、てめえと目が合うとにっこり笑って「いらっしゃいませ」と言った。bonjourと言われずにほっと一安心。

置いてあるパンをぐるりと見ると、普通のクロワッサンやアンチョビクロワッサンなど、他にもオリーブやナッツ類などうまく組み合わせてありてめえ好み。さっそくいくつか購入してみたが、どれも思った以上に美味かった。

それからは、そこでばかりパンを買うようになった。やっと見つけたお気に入りパン屋さん。散歩がてら歩いていける距離でもあったので、休日はのんびり歩きながらパンを求めている。購入して帰り、自分で淹れたコーヒーとともにいただくのが至福の時間だ。のちに知ったが、こんな近所の小さな店が東京のしかも新宿に支店を出してしかも大繁盛しているらしい。これで東京に行った時も、パンが食べたくなればいつでもいつもの味をいただけるというわけですな。


人気パン店「ル・プチメック」西山さんに聞く、今までとこれから


さててめえの近所の燃えたパン屋だが、隣の家の修理が終了した後も、しばらく焼けたままで放置されていた。おそらく、隣の家の修理で資金が尽きたのだろう。というか、資金はなかったのかもしれない。そのまましばらく時間が過ぎた。

忘れたころに、パン屋の工事が始まった。「近所の方々には大変ご迷惑をおかけしました。まもなく再開しますので宜しくお願いします」という紙が店先に張ってあった。

焼けた跡は立て直しが大変なのだろうか、それからずいぶんと日にちがたったが、ゆっくり工事は進んでいる。再開すれば、歩いてすぐのこの店にまた戻るだろうが、前述の店にもちょくちょく買いに行くだろうな。



忘れかけていたが、京都にパン屋が多い理由だった。京都のいわゆる旧市街地にあたる「洛中」は、職人の町である。特に町屋なんかは職住一致のための家であり、1階は店舗や工場であり、2階が住居となっているわけで、通勤時間もいらない職人のための家である。職人は食事の時間がまちまちであり、またさっと食べられる、もしくは作業しながらでも食べられるパンがよく食べられるようになるのに時間はかからなかったと考えられる。

したがって、京都を歩くと、特に洛中にパン屋が多いことに気付く。職人の街ではない洛外は、おそらく京都以外の街を同じくらいのパン屋密度ではないだろうか。京都市外も同じだろう。

というわけで、「京都のパン消費量は日本一」の理由としては、洛中の人々がパンをたくさん消費するためだと考えるのだが、いかがでしょうか。あまり外れていない気がするぞ。



2011年11月01日(火) 元居候氏の襲来

夕方に台所で食事を作っていると、ぴんぽんとチャイムが鳴った。てめえは日用品をネットで買い物することが多いので、てっきりどこぞの運送会社の配達の人かと思い出てみると、元居候氏がにっこり笑って立っていたので驚いた。

彼は学生の時から、予告もなくてめえの住むところに現れては好きなだけ滞在し、好きなだけ京都観光をして帰っていく。今は大阪在住だが元々は京都出身であり、なぜそれだけ飽きずに地元観光をできるのかと不思議だったが、いったん外に出て帰ってきてから、その気持ちがわかるようになった。まあ、それはまた別の話。

さすがに南の島に移住した後はさすがにそこまでやってこなかったが、京都に再び帰ってきてからは、またちょくちょく現れるようになった。

彼はスイーツ好きで、てめえはアル中なので、いつも彼の手土産は甘いものと日本酒である。まあよくわからん組み合わせだが、この日もてめえの料理で日本酒を飲み(彼は全く飲めないので、一人で)、食後に甘いものをいただいた。

食事しながらいろんな話をしたが、自殺未遂した友人(お互い知り合いでもある)の話になると、彼は呆れながらこう言った。「彼はいつもいろんな人に助けられて、いろんなひとにチャンスをもらっているのに、全く自覚なくいつもそのチャンスをぶち壊しますねぇ」まさにその通りですわ。こうやっていろんな友人を失っていったこと、わかってんのかいな。まあ、申し訳ないがもうてめえは関係ないがね。あとは勝手に生きてくれ。

元居候氏とは遅くまでいろいろ語ったが、夜遅くになって「明日仕事ですし帰りますわ」と、自分の折り畳み自転車を組み立てて自転車に乗り、大阪に帰っていった。


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