私はいかにして暗黒に染まったのか

久しぶりにマイクで喋ってしまった。
先週の友達のお手伝いをしに行ったのだが、
まさかしゃべるとは思っていなかったからちょっとビックリした。
まぁ、相変わらず緊張もせずにヘラヘラしてたのは自分らしいが…。
しかし、内容は友達からしたらかなり過激に聞こえたらしい。
アタ○クチャンス!と言って血管切れないのは求心飲んでるからとか、
ストリートミュージシャンがさ○ま○しを歌っていて
頭まで○だ○さ○になっていなかったとか。
なにわのモ○ツァルトは被り物大好きとか。
「何かあったんですか」と心配されてしまった。
まぁ、無かった訳ではないが、日頃からこんな会話してる方が
異常なんだろうか…
2002年03月31日(日)

インストールの挽歌〜最終章〜

今日は代理のシフトで朝から出勤。
朝早くに出発なので一本早く乗って電車で睡眠時間を稼ぐことに。
するとやってしまいました。起きるとバッチシ「南草津」!
でも意外にも南草津は初めてだったりする。
草津はよくあるんだが…寝過ごしの王座決定戦に出れるな。
まぁ、一本早いからバスの時間は大丈夫だと思い、
瀬田に戻ると……バスが来ない!
休校日ダイヤで土曜にもしっかりと来るはずのバスが来ない!
待てど暮らせど来ない…おらぁ帝○バス!
勝手に運休するんじゃねぇ!これは法的措置とったら
賠償金取られるぞ!田舎のバス会社の癖して高い料金取りやがって!
てめぇら怠けてるぞ痛い目にあうぞ、そのうち。
まぁ、怒りはそこで置いておいて、勤務先に連絡。
良かった、怒ってないみたい。が、しかし…
勤務先に着くなり「○○君手伝ってくれる?」
「え?」…………すっかりと目をつけられていました。
まぁ、二日も同じ事してたら慣れるわな。
ということで今日は本拠地二号館のインストール!
しかも今日は仲の良いSEさんがついてくれるぞ!!
しかもSEさんの技術によってわざわざアドレスを一台一台入力しなくても
大丈夫だぁ〜〜〜。嗚呼、技術って素晴らしい。
しかし、自動で教室のパソコンが一斉に点いたり消えたりするのは
見ていて壮観ですな。思わずホラー映画の撮影技術に使えるのでは?
と思ってしまったりして。
ということで地道なインストール作業も終了。
帰りに物珍しげにマック卵まんセットを買って帰る自分でした。
2002年03月30日(土)

あ、あれ…

予備登録も無事終了し、あとはノルマを…
ということでインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
インストールインストールインストールインストールインストール
まさか三号館の端末全部をするとは思わなかった…。
強力な助っ人の登場もあって無事インストールも終了〜
しかしこれで終わりではないことはこの時知る由も無かった。
2002年03月29日(金)

恐るべし二班体制

教務課に行くと顔パスになっていた…。
予備登録の用紙と共に来年度の契約書も渡された。
来年どれくらい入れるんだろう。
その後シフトの交代に行ったら、恐るべし!
利用者が一人しかいない…延べ三人らしい。
午後からは少し来たんですが、それでも両手で事足りるくらい。
すっかり時間割を決める時間を取れてしまった…。
これでいいんだろうか?と思いつつもメールを見るとまたビックリ!
知らない間にマナー講習会の班のリーダーになっていた。
去年やってないけど大丈夫か、ワシ?
まぁ、見込まれたんだからやるだけやりますか!
必要とされてるってことは幸せなことだ。
勤務終了後に追加で新しく入れる語学ソフトの
インストールを手伝うことに。
これが後に大きな影響を及ばすとはこの時点で知る由も無かった…。
2002年03月28日(木)

余裕で卒業できます

この日は覚えているぞ。
成績配布の日だ。んでゼミの発表。
とりあえずゼミは希望通りになったから良かった良かった。
でも友達が「女の子が二人しかいない」と嘆いていた。
う〜ん、そんな嘆くものかなぁ。
というのは男子校出身者の感覚か。
むしろその二人になってしまった女性の方はご愁傷様です。
しかも一人は知ってる子だったりする…
2002年03月27日(水)

サブロウの日らしい

この日だっけ?T議員が辞職会見したのは。
結局あの人はパフォーマンスばかりの人だったなぁ。
議員バッジを置くって、山口百恵じゃないんだから。
でも、こういう幕引きではなく、ちゃんと口で
打ち負かされて敗れる方があの人には似合うと思うんだが…。
何にしても、釈然といかん話です。
20日に無実と書いたのははずれていましたが…。
2002年03月26日(火)

またもや迷宮入り

確かこの日は教授からの電話で起きたんだっけ。
テキスト作成の予備日であるかどうかわからなくて、
その連絡がきたんだ、確か。
で、アカデミー賞の授賞式をチョコッと観てから
(ハル・ベリーにもらい泣きした)
水口の打ち上げに。久しぶりに会う人もいて
懐かしい思いに浸っていたら、衝撃の事実が発覚。
そのダメージが大きく早めに帰宅。
その節ではご迷惑をおかけしまた。
それにしてもアカデミーの発表の日って必ず何かあるなぁ。
去年はアカデミーをみてからpillowsのライブに行ったけ。
で、同日にBIG CAT行われたライブについて電話で道案内したり。
そういえば「屋上に昇って」をライブで聞いたのもこの日だ。
2002年03月25日(月)

何とか明確に

この日は覚えてるぞ。
確か(おいおい)MC企画に入った友達と
二年振りに会ったんだ。
大学に行かずに養成所に入って
アナウンサーを目指している友達だ。
それにしても二年という歳月は恐ろしい。
性格があそこまで変わっているとは…。
まぁ、かく言う自分も「ブラックになった」
と言われて「何かあったんですか?」と言われましたが。
その後友達の同期の人と野球についてディープな話を展開。
三時間も野球の話をするとは思わなかった。
しかし、この業界の人はマイクを持った時と持たない時の
ギャップが激しくて、野球の話をしている時の紳士さには
さっきまで吠えていた人かと見まごうばかりでした。
2002年03月24日(日)

ええと…

この日は確か某T議員に向かって
「見苦しいぞ!」って言ったんだっけ?
相変わらず何したかは覚えていない…
2002年03月23日(土)

う〜ん

この日は…テキスト作ってたんだっけ…
記憶があいまいだ…
確か、この日に一向に守られるが無い約束を
こっちから破談にしたような記憶がある…
2002年03月22日(金)


この日何したっけなぁ…
2002年03月21日(木)

雑記

今日はテーマを決めずに色々と。

疑惑の総合商社で一躍有名になったT議員。
僕はあの人パフォーマンスばっかりで大っ嫌いなんだけど、
今回のT議員に関する疑惑は絶対に陰謀だと思います。
だってタイミングが良すぎるもん。
きっと報復だって、あれは。
与党が面子を傷つけられた仕返しですな。
なので今回はT議員に罪無し。
こんなことばっかりしとるから日本は良くならんのだよ。

奥田民生の新曲「花になる」のジャケットの裏表紙、
ここに表のジャケットの人物を正面から見た姿っぽい
イラストがあるんだけど、これが何となく白土三平チック。
「サスケ」とか「忍者武芸帳」、「忍法秘話」を読んでた
一白土ファンとしてはちょっと嬉しい次第であります。
ちなみに楽曲は文句無し。

もう一つ民生話。
カップリングはプレスリーの名曲「監獄ロック」だけど
これが日本語歌詞!昔、王様とかが和訳ロックとか抜かして
CD出してたけど、それとは違いものすごく民生民生してます。
民生ちゃんは前にもルパンのテーマとかをカバーしてたけど
見事に自分の色に染めているのが凄い。
そういやツアーに行った時は陽水の曲もやってたな。
あ、カップリングのもう一曲もカバーです。
「悲しくてやりきれない」これも同様に民生色になってます。

昨日の日記にあったpillowsのライブDVD。
見始めたのが深夜にもかかわらず、思いっきり堪能してました。
ライブ本番ほどではなかったけど、さわお君の「yeah!」
に「yeah!(小声)」で応える自分。
曲によっては拳を上げる自分。
他人が見たら絶対に怪しまれます。
でも、しばらくライブが無いのでこれで感触を反芻するしかありません。

もう一つ昨日の話。
民生ちゃんのシングルを買うためにタ○ーレコードに寄ると
何だか凄い行列が…くるりのキャンペーンやってるらしく、
それで凄い行列できてたのか。にしてもえらい売れたな、くるり。
以前音楽雑誌で我らがpillowsを微妙と言ってたのを見て
「それはお互い様でしょ」と思ったのだが、
売り上げに関してはお互い様でも無くなってしまったか…
でも最近のちょっとテクノっぽいくるりは「らしくない」気がする
ような気もするんだが、どうだろうか?
個人的には二年ほど前のちょっと郷愁感をさそうメロディーが
好きなんだけど、今は何だか「おしゃれポップ」って感じですな。
(以下コメントを控えさせてもらいます)

ついでタワー○コードに寄った話。
必殺仕置人のDVD−BOX下巻があるかどうか(お金無いので買えないが…)
確かめに行った所…無い!(まぁ、発売日覚えてないんだけど)
もう一軒行ったんだけど…無い!!
嗚呼、おいたわしや念仏の鉄、もうあなたの雄姿を見れないのですか、
とは思わなかったけどそれだけ売れたということは嬉しいことです。
以前必殺やウルトラQのDVDを買うと言ったら
「古ぅ〜」とか言って馬鹿にしてるやつがおったが、
古くてどこが悪い!
最近のマニア向けのいかにも狙った作品よりかはよっぽど良いと思うぞ。
むしろ古いからといって見る事を怠っては損をしてるだけだ。
必殺のあの独特の美学、ウルトラQの当時としては
最先端のSFストーリーテリングと現代社会に対する
鋭い切り口、生身の人間がヒーローに頼らずに
知恵と勇気で怪獣や怪奇現象に立ち向かう面白さや
赤字を出してまで作ったクオリティの高い特撮は
今見ても色褪せない。
これらの作品は10年後20年後になっても必ず残っているぞ!
今のマニア向けの作品は10年後は一体どうなってる?
え?今がよければそれで十分?ま、そういう考えもあるわな。

いつもは21日に購読している映画雑誌が発売するんだけど、
ホームページを見ると何故か今日発売になってる…
ちゃんと次号予告を見ておけばよかった…。

……テーマを決めずとか言っときながら、結局音楽ネタが
圧倒的に多かったような気がする。
2002年03月20日(水)

BUSTERS ON THE PLANET

今日は久しぶりに帰ってきたpillowsのライヴDVD見るので
長文はお休み。
2002年03月19日(火)

102年目のHappy Birthday

という訳である意味今シーズンの優勝を占う一戦となった
ヘーレンフェーン戦。前回の対戦が惨敗だっただけに
今回は負けられない。
監督がクーマンに変わってから選手が生き生きしてると感じたのは
自分だけではないと思うが、それが表れたのか、
見事2-0で勝利!勝因はCFで起用された(と思う。試合見てないので)
アーメド・ホッサムことミドの活躍。
本来アヤックスのCFはズラタン・イブラヒモビッチか
ニコスマ・フラスが務めていたのだが、クーマンは今回ミドを抜擢。
以前クーマンはミドのポジションを掴みかねていると話していた。
入団当初は左ウイングでの起用が予想されていたが、
180cmを優に超える身長からCFもこなせると言われていた。
今回はその思い切った采配が的中したようだ。
現在数ポイントの差で首位を追っているヘーレンフェーンを
これで完全に沈めた形となった。
そしてアヤックスのチーム設立102周年を祝う勝利となった
この試合の価値は大きい。
2002年03月18日(月)

世の中は恐ろしい物で…

センバツの抽選がいつのも間にか行われていたりする。
とは言え母校の出ていない大会はあまり興味がわかないのも事実で、
どこの高校が出ているのかさえわかっていなかったりする。
その中で注目校を挙げろといわれると、やはり「酒田南」だろう。
何故かと問われれば上宮関係者がいるからである。
あったり前やん。
では関係者が誰かと言われるとそれは廃部寸前の酒田南野球部を
わずか二年で建て直した西原監督その人である。
西原監督は上宮がセンバツ初出場を果たした昭和55年のチームの
主将で、その後大学を経て社会人野球の名門河合楽器野球部へ。
(惜しくも昨年廃部が決まってしまったが…)
その後同部コーチを経て上宮の兄弟校酒田南に請われ野球部監督に就任する。
就任当時はグラウンドはボコボコ、部員は11人しかおらず、
その部員も覇気に欠けていたが、熱心な指導と学校側からのサポートで
97年夏に甲子園初出場を遂げる。この大会と二年後の大会は
一回戦敗退だったが昨年夏の大会では初勝利を飾り、全国制覇へ一歩前進した。
そして今回のセンバツ初出場である。
大阪人であり上宮出身の自分としてはセンバツ出場は夏の大会ほど
価値があるようには思えないが、山形では違うようである。
それもそのはず。
東北地方は出場枠が二つしかない。
確かに学校数の関係があるとは言え、近畿の7に比べると随分少ない。
ただ各地方大会で各県の代表が集まるのはどこも同じ。
近畿の二府四県からの7と東北五県の2では価値が違う。
近畿大会では一回戦を勝てば切符を半分手にしたようなものだが、
東北大会は決勝まで進まなければならない。
そのことを考慮すると地元のフィーバーぶりも頷ける。
ましてや酒田市は例の短大によってイメージがダウンしており、
今回の酒田南出場によって少しでも心象を良くしようというのも考えられる。
初戦は開幕第二試合。願わくば酒田南に良き勝利を。
自分ももらった酒南ボールペン愛用するんで。

P・S 今年から近畿のセンバツ出場枠は6に減ったはずでした。
    すっかり忘れていました。
2002年03月17日(日)

人生の勝敗

よく人生の勝ち組、負け組と言う言葉を耳にする。
しかし、人生と言うのはそう簡単に勝敗が付くものだろうか?
まだ人生が終わったわけでもないのに勝敗なんてつくものではないはず。
九回裏で逆転満塁サヨナラ優勝ホームランがあったり、
人生が終わってもロスタイムでVゴールを決めて後世に名を残したりする。
そもそも人生の勝ち組って何だろう?
それは自分の人生がうまくいっていると思っている人間が
うまくいかない人間を蔑んで優越感に浸るという悪趣味極まりない
差別精神の表れではないだろうか?
勝ち組と思っていても次の日に何らかのアクシデントに巻き込まれて
負け組みの仲間になることだって充分考えられるのだ。
それにこんな考え方もある。
「人生の勝ち組というのはその後もずっと勝ち続けていかねばならず、
 結局本当の意味での勝ち組なんてごく僅かだ。」
これは社会学博士課程の人の言葉だが、言いえて妙だと思う。
結局勝っても弱肉強食の世界なのだからいつかは負けるはずだ。
そういう風に考えたらある程度勝ってあとは負け組にいるほうが幸せだろう。
そもそも勝ち組の基準とはなんだろうか?
一流大学に入って一流企業に入って一流の生活をする、
といったところだろうか?
ところが、それが人生の価値とは限らない。
京都でキャラクターショップを経営する某氏は言う
「あらかじめ決められたレールで事を運んでいっても、
 大事な物は見えない。今の若い人は価値観を決められて
 窮屈だけど、一般に勝ち組と言われているのは
 一部が決めた価値観でしかない。自分の人生の価値は
 自分で決めるものだから。」
かなり的を得ている発言である。例に自分の今までの人生を挙げてみよう。
自分は今全国で無名の二流大学の学生で、一芸に秀でているわけでもない。
彼女もいないし、かなりのヒネクレ者で嫌われ者だ。
ほら、これだけでもうすでに負け組だ。
じゃあ本人はどう思っているかと言うと、これがまた微妙である。
負け組には変わりないかもしれないけれど、別に勝って嬉しい訳じゃない。
むしろ勝ちすぎて人の弱みがわからなくなる方が嫌である。
と本人は思っている。
嫌われ者とあったけど、別にこれは一部のことであって、
世の中全ての人間に嫌われている訳じゃない。
自分のことを認めてくれて必要としてくれている人間がいる。
それだけでも十分過ぎるほどだが、期待してくれている人がいるのも
事実で、別に人生に負けたとかはあまり気にはしていない。
別に大学だけに友人がいるわけではない。
地元にも親友と呼べる人物はたくさんいる。
もちろん大学にもいたんだけれど、その友人を失ってしまったのは
悲しいことではあるが…。
話が逸れてしまったが、結論としてはこうである。
「人生の価値は他人が決めるものではない。
 その人の人生にはその人の価値がある。
 もし負けていても逆転はいくらでも可能だ」
2002年03月16日(土)

ただぼんやりと

これは昨日の話になるのだが、
いつの間にか桜が咲いていた。
その前日には咲く気配すら見せていなかったのに、だ。
最近は暖かい日が続いたからきっと桜が咲いたに違いない。
ただ、春が来たかというとそれはまた別の問題になる。
少なくとも僕の中ではまだ春ではない。
多分、これは精神的なものなんだと思うのだけれど、
まだ春には遠いイメージである。
近いうちに寒の戻りがありそうな気がする。
きっとセンバツが始まったくらいにあるはずだ。
天気を司る神というのはものすごく天邪鬼なのだから。
2002年03月15日(金)

これからの課題

山積みになった本がある。
叔父さんが送ってくれた本だ。
寺山修二の「家出の勧め」や坂口安吾の「堕落論」「白痴」
織田作之助「夫婦善哉」といった名作から
震災関係の本、世界から見た日本人一般に関する本まで
色々ある。ただ、これは全部読めていない。
大学に入る前にもらった物だが、大学に入ってから読もうと考えたまま、
結局忙しいのと、その存在を忘れたままでついに
三年目を迎えてしまった。なかなかどうして読めないもので、
知らないうちに別の本を買ってしまったりする自分がいるのが厄介だ。
高校の新聞部の先生に「文章力を上げるには色々と本を読むこと」
といわれて早数年。未だに数をこなせていない。
文章力の無さというのは決定的で、それはこの日記にも
如実に表れている。いつもいつも頭の中で考えていることを、
うまく表しきれていないのが現状だ。
それに表現力にも乏しい。後で読んで訳のわからないことが多い。
頭の中では、わかりやすく読みやすい流れるような文章を志してはいるけど、
結局中途半端なままだ。
自分の文章というのを確立するにはまだまだ程遠いとは思うが、
もっともっと文章が上手くなりたいと思う。
人の文章を読むことで文章力が上がるのをパクりだという人がいるけれど、
その人は日本語を捨てる覚悟が必要だと思う。
誰の文章にも影響されずに名文を書いた人というのを僕は知らない。
現代のどの作家も多かれ少なかれ誰かの影響を受けている。
漱石も鴎外も一から文章を作り出したわけではない。
あの人たちは学生時代に多くの本を読み、そこから影響を受けているのだ。
あの芥川だって古典を好んで読んだから「羅生門」「鼻」のような
名作を生み出しているのだ。(宇治拾遺物語だったかな?)
現代の作家に於いては言わずもがなである。
現代教育で国語をちゃんと習うのだから、必ず良い文章、
日本語として綺麗な文章を読むことになるのだから、
これで影響をを受けていないという人がいれば、それは大嘘つきか、
もしくは単なる恩知らずの傲慢な人間のどちらかだ。
人が文章を書く上で誰の影響も受けていないなんてありえない。
たとえどんなに適当な文章でも、それは誰かの書いた文章が
頭の中にあって書いた物だ。日本語の文章の書き方を
一から習ったことよりも読んだ文章の方が確実に頭に残る。
文法だけで良い文章は書けない。それは英作文をやった人間なら
わかるはずである。良い例が無ければ書けない。
もし、文法だけで良い日本語の文章が書けると言う人がいるのならば、
是非会ってみたいものである。そして、その人が過去に
本を読んだかどうかも知りたいものである。
本を読んだ時点で、それは嘘なのだから。どんな適当な本でも。
今の自分は将来的に文章の仕事をするなんてとても考えられないけれど、
伝えたいこと、理解して欲しいことがある限り
良い文章を書きたいという欲求は尽きないはずだ。
それが無くなれば文章を書く意味は僕の中では無くなる。
2002年03月14日(木)

どこまでも青く

いい青空が広がっている日だった。
こんな日は神戸に行きたい。
僕が生まれた街、そして最も愛する街。
神戸という街に青空は良く似合う。
それはこの街が持つ独特のコントラストに
由来するのかもしれない。
海と山、それに挟まれるように広がる街並み。
そんな絶妙なコントラストを少し高台にある
海の見えるベンチに座り静かに眺める。
海は太陽の光を反射し、
街に輝きをもたらす。
山は緑をもってそれに応える。
青空はその自然の調和に彩りを加える。
街は自然に包まれながらも人の活気を表す。
そんな風景を見ているだけで幸せだ。
震災で多くのものが失われたが、この風景だけは変わらない。
そして、そんな風景をこれからも見続けていきたい。
2002年03月13日(水)

希望は消えたけど

ある歌の歌詞がある。
それは僕にとって今の心境、そしてこれからするべき指標を
導いているような物かもしれない。
残念ながら希望の灯火はもう消えかけ寸前で
その歌の歌詞のようなことはできないかもしれない。
ただ、希望は針の穴のように小さく残っているかもしれない。
今はその残っている小さな希望にかけるしかない。
願わくばその小さな希望にいらないことを吹き込まないでもらいたい。
2002年03月12日(火)

夢の話はわかりにくい

昨日の晩から体調を崩してしまい、今日は一日中寝ていました。
すると変な夢を見るもので、しかも朝と昼続けて強烈な夢を
何故か見てしまうのが不思議なところ。
まず朝の夢。
とある所へ行く用事(見た感じ仕事か任務っぽかった)があって
車に乗っていたのですが、そのパートナーが、な、何と……
昔付き合っていた彼女だった。
しばらく心の奥底で封印していた人間が何故か夢の中で…
しかもここ数年思い出すことも無かったのですごく意外。
車に颯爽と乗ってきた彼女は付き合っていた当時の面影はあるものの
完全に大人の女に成長していて、妙にカッコ良かった上に
すごく魅力的になっていました。(実際はどうなっているか知りませんが)
動作が機敏で、シュっとしているところはさすがは元陸上部という具合で、
何だかすごいキャリアウーマンって感じで驚きました。
それに言うことがまたビシッとしていてカッコいいんだなぁ、これが。
付き合っているときはそうでもなかったのにね。
結局何をしていたのかは起きたと同時に忘れてしまいましたが、
もう、何年も会っていない彼女がどうして夢の中に現れたのか、
そして、今、彼女はどうしているのかなぁ、という疑問を
寝起きの僕に投げかけました。彼女が幸せに暮らしていれば幸いです。
お昼ご飯を挟んで昼の夢。
朝の夢ほど強烈ではないですが、
ユニフォームを着ていました。どこのユニフォームかはわかりませんが、
しっかりと着ていました、はい。
そしてグラウンドに立っていました。
右サイドを駆け上がり、ベルカンプ(元オランダ代表のストライカー)に
クロスを上げようと画策していました。
しかし、そこで自分が思い通りに動けない事に気づきました。
まずドリブルができないようになっていました。
本来ならあんなにボールが離れるようなドリブルはしないし、
昔はそうであっても血のにじむ様な努力をして矯正したはずなのに
ボールが足元に来てくれない。
おまけにスピードが出ない。トップスピードに乗れないどころか、
全く走れないような感覚に襲われ、前からディフェンスが…
ジャンプもできない…、ドリブルでかわす事もできない…
それはおろか左右に動くことすらできない…
後ろでマルディーニ(イタリア代表のサイドバック)がパスを指示してる…
どうすれば…っていうかどこのチームに所属してるんだ?
しかも何でピッチが芝じゃなくて砂のグラウンドなんだ?…
ディフェンスと激突!
転倒しながらもボールにかじりつき走りこんできた
パパン(元フランス代表のストライカー)にパス……
その後どうなったかは覚えていない。
ただ、どうしてあそこまでコンディションが悪いのに
試合に出場できたのか不思議だ。
そして年代が合っていない微妙に豪華なチームメイトも…
夢というのは深層心理を表すだの色々と言われているけれど、
今回のは分析するのが少し煩わしい。
2002年03月11日(月)

アレナの熱狂

攻撃というのは水物ではあるが、
軸を失うとがたがたと崩れ始めるものである。
それを如実に表していたのが最近のAjaxであるが、
今回は違ったようである。
Super Famersに4−0と完勝した。
ただ、思うに攻撃の軸であったRafael君がいれば
もっとクレイジーな結果になっていたのではないだろうか。
たら、れば、はスポーツの世界では禁句だが、
そう考えてしまうのがファンの常というもので、
なかなか困ったものである。
とはいえ暗い話題ばかりではない。
シーズン開始直前に前監督アドリアーンセとの確執の末
アラベスにレンタルされていたRichard Witschgeが来シーズン
Ajaxに戻ってくることが決まった。
彼の左足から繰り出される華麗なパスと見るものを惹きつける
流麗な個人技は再びファンの喝采を浴びることだろう。
また、攻撃の軸になってくれることは間違いない。
そして個人的にサインをもらい会話した選手でもあり、
彼の帰還を心から祝福したい。
おかえり、Richa!
2002年03月10日(日)

NOT BAD

「悪くない」
一見ほめてるのかけなしてるのかわからないこの言葉。
でも、今日ほどこの言葉が嬉しいと思ったことは無い。
素直じゃない人が人をほめる時にこの言葉が良く使われるみたいで、
今日、この言葉を言った本人もかなり照れてはいたのだけれど、
嬉しい様子は目で見てわかるほどだった。
一度ならず何度もこの言葉を発し、
その嬉しさはこちらにも伝わってきた。
人間を長くやっていると嫌なことが積もるもので、
特に最近は嫌なことばかりだった。
そんな中でこれだけ喜んでくれる人がいる。お互いが本当に幸せな関係を築いている。
それを実感できただけでもたまらないのに、
今夜はそれ以上のものをもらったような気がする。
幸福はほんの一瞬でしかないけれど、
その一瞬を噛締めることができる素晴らしい環境と出会いに感謝し、
六年目の軌跡を共に歩むことができたことは、
これからの明るい未来を約束してくれているような気がした。
末永く良い関係が築けますように。
2002年03月09日(土)

GOD BRESS YOU! YEAH!!

人に喜ばれると何故こうも嬉しいだろう。
それが自分が応援し元気や勇気をくれる人だったらなおさらだ。
今日の夜はまさにそんな体験をした夜だった。
今まで自分が辛い時、苦しい時に何度も励ましてくれた人が
今日はあんなにも幸せそうな顔をして喜んでくれた。
いつもならこっちが幸せそうな顔をさせてもらっているのに、
今日はお互いが本当に幸せそうな顔をしていた。
自分の目の前であれだけ幸せそうな顔をされると
こっちも幸せになる。
お互いがお互いの行為で幸せになれる。
これからも頑張っていけそう。
2002年03月08日(金)

心の時間は過ぎ去りて

日頃通らない地元の商店街まで歩くと、
驚かされることの連続である。
いつの間にか自分の知っている風景と言うものが、
全く無くなっているのである。
この商店街は物心がつく前から連れられてきているので、
よく知っているはずだった。
そして、いろいろな思い出がそこにあるはずだった。
その風景はもはや無い。
人も風景も時代と共に変わっていく。
それは当然の摂理だ。
変わっていくことは悪いことではない。
人の生活も変わるのだからそれだけ街も変わっていく。
しかし、人間というものは厄介なもので、
いつまでも心の中にあるものにしがみつきたくなる。
懐かしい風景であればなおさらだ。
しかし、変わったことは現実だ。
それは受け止めなくてはならない事実である。
だからと言って悲観することもそう無いとも思う。
心の中の時間では今でもその風景は残っているのだから。
2002年03月07日(木)

遠く遠く

人というものは時にさまざまな試練を受ける時がある。
それはあまりにも残酷で思わず目を背けたくなるものだ。
その試練というものは多くが別れというものだと思う。
肉親や友人、恋人。人は生きているうちにさまざまな人に出会う。
しかし出会いがあれば別れがあるのも当然であり、
また、人は多くの別れを経験して成長していくものである。
しかし、仲には別れたくない人がいるのも事実で、
そんな人と別れなければならないのが試練なのだろう。
人との出会いは一期一会と言うが、実際にそうである。
たまたま電車で隣に座った人だって明日必ず会えると言うわけではない。
むしろ、そうやって隣に座っていること自体が奇跡に近い。
旅先で出会った人、それも海外で出会った外国人の人に再び会うことは
ほぼ不可能に近い。それだけに再会できた事が嬉しくなる。
しかし、そのような人との出会いは旅だけではなく、
日常生活にも多くある。道ですれ違うこと自体が偶然の産物なのだから、
出会い、友達になり親しくなることは、出会ったことに
もっと感謝するべきことなのかもしれない。
自分には大事な友人が多くいる。
その友人達はそれぞれの自分の世界を持ち、
その世界の中に自分が接触したこと自体が奇跡なのに
その上その世界で友人として認識されるようになる。
こうして世界は広がっていく。
しかし、いくら大事な友人でも別れの時は確実にやってくる。
それは価値観の相違や遠く離れてしまったり、形は様々だが
「死」というもっとも恐れるべき形でやってくることもある。
今まで自分の世界にいた人間が突然遠い世界に行ってしまう。
そして永遠に戻ってこなくなる。
渡したかったもの、伝えたかったこと、全てを残して
自分には手の届かない遠い遠い別の世界に行ってしまう。
会うことも話すことも触れることも二度とできなくなる。
それが喧嘩の最中だったりすれば、後悔しても仕切れない
自責の念に襲われるのは確実だ。
もし、一度別れても生きていれば再び関係が戻ることもある。
しかし、遠い世界に行ってしまうと関係はおろか会う事すらできなくなる。
今、自分が抱えているもの、自分の周りにあるもの、
全てを見渡して改めて思う。
自分にとって大事なものに感謝し守っていかねば、と。
2002年03月06日(水)

遠くアムステルダムは夜更けを過ぎて

Ajaxというチームを自分はどうしてこんなに好きなんだろうか?
多分それは自分のサッカー観に一番影響を与えた
ヨハン・クライフの存在が大きいのだと思う。
多分クライフがいなければ今の自分のオランダ好きも無かったし、
攻撃的サッカーへの関心と言うのもそんなに無かったと思う。
まだ僕がバレージが好きな頃、もちろん自分の中では
イタリア代表が一番で、もしクライフに出会わなければ
そのままカテナチオを信奉していたかもしれない。
それだけクライフの存在は強烈だった。
ヨハン・クライフ。1947年4月25日生まれ。
幼少の頃に父と死別し、母親はアヤックスのスタジアムで
清掃員をやり生計を立てていた。
路地裏でサッカーをやり始め、アヤックスユースに入団。
その後17歳でアヤックスとプロ契約をし、
アヤックスにチャンピオンズカップ三連覇を始めとして
数々の栄冠をもたらす。1974年のワールドカップでは
「トータルフットボール」と呼ばれる先進的なシステムで
旋風を巻き起こすも決勝で皇帝・ベッケンバウアー率いる西ドイツに
敗れるがその年、自身三度目の欧州年間最優秀選手賞を受賞する。
この年の夏にバルセロナに移籍し、低迷していたチームを
宿敵レアル・マドリードに大差をつけ優勝。
バルセロナ市民から救世主と呼ばれる。
その後、アメリカに渡り数シーズンを過ごした後、
スペインの小チームに所属する。このときが彼のキャリアの
一番惨めな時であったかもしれない。
しかし1981年からは古巣アヤックスに戻り、
若い世代に魂を植え付けていく。
往年のスピードは無いもののテクニックに衰えは無く、
チームに再び活気を取り戻すことに成功させたのも束の間、
ライバルフェイエノールトに移籍してしまう。
そこでも、彼自身の実力を如何なく発揮し、リーグ、カップの二冠を
チームにもたらす。(ちなみにこの時は背番号10が多く小野入団時に
「クライフの付けた背番号14を受け継いだ」なんていうのは嘘である)
そこで彼の現役のキャリアは終焉を迎えるが、そこで終わる彼ではなかった。
再び古巣アヤックスに戻りTDとしてチームを総括し、カップウィナーズカップ
等を獲得する。ちなみに彼の役職がTD(テクニカルディレクター)なのは
オランダにおける監督のライセンスを持っていないためである。
その後バルセロナの監督に就任し、リーグ戦4連覇を始め
チームとしては初のチャンピオンズカップ優勝をもたらし、
クライフ監督の率いるクーマン、ミカエル・ラウドルップらのチームは
当時のバルセロナ五輪のアメリカ代表バスケットチームにちなんで
「ドリームチーム」と呼ばれた。しかし、健康上の問題を抱え
心臓の手術を二度行い、タバコとは縁を切っている。
また、チームが不振に陥ったために95年に突然解雇されたものの、
バルセロナ市民からは英雄として扱われている。
また、彼のサッカーの理論は「美しく勝利せよ」で
「1−0で勝つくらいなら4−3で負けたほうがましだ」
という言葉を残している。その攻撃サッカーへの精神は評価が高く
現在でも監督要請の話が絶えないが、本人はピッチに戻るつもりは無く、
若手の育成に従事し、サッカー界全体のレベルアップを図るべく
さまざまな事業を行っている。
2002年03月05日(火)

結果

1対1の引き分けでした。
やはりAjaxはシャドーストライカーの不在が大きいようで、
得点機は作るもののもう一歩が出ないという展開。
結局引き分けという結果に終わったものの
やはりこの試合は勝っておきたかったのが正直なところです。
一応勝ち点差は5点ついたもののもう少し差を広げられれば
今後の展開が楽になるはずです。
やっぱりRafael君の負傷は大きいなぁ。
2002年03月04日(月)

予告

首位に返り咲いたものの
得点源Van der vaartを怪我で欠き
攻撃陣の爆発が無くなったAjax
一方UEFAカップでAjaxOBが多く在籍する
レンジャーズを破り波に乗るフェイエノールト
リーグの覇権をかけてその両者が今夜激突する
次節
「決戦アムステルダムアレーナ!」
2002年03月03日(日)

それぞれの道

東京から友達が帰ってきた。
その友達は高校時代下宿していたにも関わらず
皆勤をとったという非常に偉い友達で(おいおい)
東京の大学に行ったのでなかなか会うことができなかったのですが、
こちらに帰ってきたということなので、
その時のクラスの友達数人(これまた久しぶり)と
会うことになった。
感想。
やっぱり高校の友達は一生の友人だ。
別れ際が惜しいと思える友人はなかなかいません。
家に帰ってからショッキングなことがあったために
余計にそう思えます。
自分にとって友達は一番大事なものだと。
だから、今揉めている友達との仲を考えると…
2002年03月02日(土)

帰ってきたここ天

今日家に帰ると珍しく葉書が届いていました。
何の葉書だろうと思って中を見てみると……
おおっーーーーーーーーーーーーーー!!
最近連絡の無かった友達から年賀状代わりの葉書が届いていました。
その友達は現在アナウンサーを目指しており
進学校から大学に行かず養成所に通っており、
事務所にも所属しているためになかなか連絡が取れなかったそうです。
しかも年明けから体調を崩していたらしく、
この時期になってしまったという訳で
懐かしい感じがしました。
彼自身は高校在学中から事務所に所属していたらしく、
コンテストなどで何度も本選に出場していました。
そんな彼に出会ったのは数年前。
とあるラジオの高校生を集めた放送に出演した時に
偶然知り合ったのがきっかけでした。
お互い似たような道を志す人間だったので、
意気投合し、現在に至ったわけです。
彼自身の実力は疑いの余地は無いので、
前途は明るいでしょう。
2002年03月01日(金)

Dag Soliloquize / tsuyo