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2001年09月29日(土) 藤木直人@「プラトニック・セックス」テレビ版

 えー、これも原作、読んでません。演出家の方のお話では、原作に忠実というより、親子関係にスポットをあてた感じで描きたいということですが、いやー、藤木直人が見たいがために、見ましたけど、原作読んでみようかなぁと思う程、(買いはしないけど、思いついたら図書館で借りて)飯島愛さんの人生っていうのは、色々あったんだなぁ、と。テレビで見た限りでは、自分がまいてった、たねから始まるので、そうそう、同情ばかりしてらんない、っていうのはあるんだけど、だからかな、原作はどうだろ?

 1話目、直人は、あまり出ないだろうと、気合入れずに見てたから、あまり言えないけど、(実は、全然出てなかったー。)田中好子が母で、彼女が倒れやしないかと、心配になりました。娘が親に反抗して家出して、生死もわからないなんて、普通の親だと、神経磨り減ると思うもの。でも、倒れたのは、会社の経営も抱えていた父・永島敏行だった。ICUに入る父を見つめながらの弟のナレーションが印象的だった。「姉に起こっている事も、ぼくらは知りようがなかったけど、家族におこっていることを姉は何一つ知らなかった。」みたいなこと。彼女は、キャバクラの常連さんとNYに行って、豪遊してたんだよ、その頃。

 彼女が「寄り道」を始めたのは、友達の誘いがきっかけだったと母は思っていて、ある日、彼女がすっかり変わって、「なんとか慶応に受かりました」って、さわやかに通り過ぎるんだよね。その子が元凶だと思ってた母は、現在行方不明のままの娘を思うと、呆然とするしかなかったろうと思う。何が、歯車を狂わせるんだろうね。もちろん、父は少し抑圧的だったかもしれない。会社の運営が大変だと、子供の事は、母にまかせきりで、母は、「いい子」という枠に必死すぎたのかもしれない。

 でも、見ようとしなかったのは自分自身だと、最後には気がつく。「愛が欲しい、愛が欲しい」と、ねだるばかりだった彼女は、いつも彼女が信じた「愛」に裏切られ、逃げられ、もしくは最初から手に入らず、でも、逃げていただけで、それは、父の背中に、帰ってくるかもしれないと、誕生日に毎年ケーキを焼きつづけた母に、あった。その姿を見ながら、成長した弟が思う。「勝手に出て行った姉さんの替わりに、僕までぐれやしないかと、小言は増え、それに従うしかなかった。自分を押さえてでも、これ以上両親を心配させるわけにはいかなかったぼくは、ぼくで、大変だったんだよ。」

 でも、さすが、いい男揃えます、とプロデューサーが宣言しただけあって、揃ってたかも。キャバクラで勤めながら、ある日、妻夫木君に会う。彼にも「愛を求め」彼は、応えたいが借金があるという。「売り」をしてまで返したその日。「愛なんて簡単に信じない事」そう書いたメモを残して、彼は逃げた。妻夫木君、今回はひどい役ね。どこまでが演技(役がする演技)かわからない。彼もほんとは、寂しい奴かもしれない。男にも、女にも体を売ってる役。微妙にあってた・・・。
 
 常連と行ったNYで、彼女は、メークアップアーティストを目指す、柏原崇に会う。私はこの役が一番いいんじゃないかと、また、柏原くんにすごくはまってたと思う。出会ったその日1日のできごとなんだけど、二人はセックスするのね。彼女は「愛してしまった」っていうんだけど、彼は「気持ちよかっただけでしょ。愛って求めるばかりじゃなくて、そこにあるものなんじゃないかな?」そこまで言う彼の彼女に会いたがる愛に彼は会わせる。でも、その彼女はレズで、彼女がいて、彼を含め3人でフラットをシェアして住んでるんだよね。「永遠の片想い。そうかもしれないけど、そこに愛はあるよ。彼女の近くにいたい、それが僕の愛。」愛には、それが、とても新鮮な考えに思えた。一瞬の出演だけど、また柏原がするから説得力ある感じだった。私は一番好きな役でしたね。

 そして、我らがフジッキーこと藤木直人登場。ストリートミュージシャンをしながら、花屋でバイトしてる(逆か?)克美(直人)に出会った頃、愛は、AVに出て稼いでいた。「愛も欲しいけど、お金も欲しい」傷心で花屋の前を通り過ぎる愛の耳に克美の弾き語りが・・・(この曲は、直人が今の音楽プロデューサーのサトリさんと作ったようですよ。直人っぽいと思った!!)ミュージシャン藤木としても活躍はなはだしい(え?日本語変?)めざましい、か?直人としては、なかなか、おいしい役だったのかな?その曲に、克美に人目ぼれする愛、「永遠の片想いは、私には出来ない」真っ直ぐな愛に心を寄せていく克美。すべてが上手くいくように思えた。でも、AVを辞めても、仕事が増えてきた愛に対し、克美は仕事も入らない。愛は克美の愛を貪欲に欲しがるわりに、克美の心が読めてなかった気がする。
 愛の親友が夫とうまくいかなくて相談しに来た日、お互い寂しさから、一線を越える二人。そこへ帰ってくる愛。二人をなじり、責める。克美は「俺も生きてるんだ。目の前にはほとんどいない君をこれ以上どうやって愛しつづけられるんだ。君の愛は重い」そして「本当は、AVやってた事嫌だった」そして、そのままギター片手に出て行ってしまう。「AVやってたことなんて、嫌な過去なんて、消しゴムで消せちゃうよ!」そう言ってた愛だったけど、人の心までそうはいかないよね。AVが、悪いってことじゃなくて、本当に愛が欲しいなら、相手が本当に欲しいものも見つめなくてはいけないのじゃないか?直人がやってたから贔屓目なのかな?なんだか、これは、克美くんに同情してしまう。「ラブ・レボ」の須賀ちゃんの方が、女泣かせの嫌な役、っていう触れ込みだったけど、須賀ちゃん、最後いい人だったし、克美の方が、別れ方悪くて、嫌な役だったかも。でも、うまくやってたんじゃないだろうか。←完全贔屓目?

ふふ、いい男揃いとしては、次の月9、はずせませんぜ。


2001年09月28日(金) 「ウソコイ」鴻上さん的に、どうだったのかしら?

 最初のオープニングタイトル見るまで、第三舞台主催の鴻上尚史の企画とは、思いもよらなかった。しかも、探偵役でご出演とは?!

 フェイ・ウォンのタイトル曲、「セパレイト・ウェイズ」(あれ?ジャーニーにこういうタイトルの曲なかったっけ?ま、いいけど)これ、すごく素敵。サビ前で♪チャララ・チャララ〜♪とピアノが入るあたりのアレンジがまた素敵。フェイちゃんの声が、いいんだけど。あとね、オープニングの絵、構成、結構よかったと思います。最近好きなのは「眠れる森」「白い約束」「LOVE STORY」でしたが、「ウソコイ」も入れておきましょう。キレイだとおもうんだけど、どう?

 最初はね、役者ね。いつものもっちゃんパターン。生瀬勝久〜!おお、木野花さん出てるの?仲間由紀恵ちゃん、声といい、好きなのよ。え?パパ役、布施明?おやおや、中村俊介くんが本郷タケシってえ役名?正義の味方とか言ってるよ。あらあら、渋い役どころが多い、大杉漣さんが、デザイナーなのに、ちょっとダサダサ。・・・笑えるツボは揃ってるんだけどなぁ。

 なんでなんだろう。例えば、字にすると寒いけど、偽装結婚がばれてフェイちゃんは、逮捕されるの。で、はめられた中井貴一は、このまま強制送還されれば、晴れて由紀恵ちゃんと婚姻届出せると思ってるのね。(かなり、この時点では、フェイちゃんに情が移ってるから、心配ではあるんだけど)ところが、逆に、区役所的に言うと、強制送還されちゃったら、ずっと離婚届が提出されないので、離婚は成立しない!と説明するの。区役所職員生瀬さんが。で、画面の左手前にいるのね。で、奥にいる中井と中村に説明するのよ。二人は、わからん・・・なのね。「わからんやっちゃなー」と「当事者不在で、ウンタラカタラ」ともう一度説明するんだけど、やっぱ、わからん。そこへ、ぽそっと、中村が「ほうじ茶・・・?」この時の生瀬の絶妙なタイミングでの微妙な落胆の表情、もう、いいーーーーーーー!

 こんな感じで、要所、要所、かなり面白いんだけどね。ありえないような、入国管理官とか・・・。思うに、なんか、つくりが舞台向きなのかなぁ、とか、勝手に舞台好きだからか、思った。これは、最終的に「嘘からでた真」になるんだけど、「嘘」っていうか、成り行きで巻き込まれて、なんだか、最初に正直に話しとけば全て丸く収まったかもしれないのに、まわりの入れ知恵や、本人も、大切な誰かを傷つけたくなくて、じゃ、彼女の耳に入る前にかたづけてしまえば、もとのさや、すべてうまくいくんじゃない?わざわざ心配かけなくてすむんじゃない?一応、善意から始まるんだけど、ごまかすのね。最初のごまかしが、「嘘」になり、「嘘」をかくすためにまた「嘘」を重ね。見てるこっちは、そのあたふたや、おたおた、きゃー、もうこれはばれるでしょ?いつどうやって、どう収まるの?が、楽しくて見てるんだけど、1クールもので、このネタでいくには、長すぎたのでは?

 せっかくの面白いシーンや、ぐっとくるセリフもなんだか「またかよ」になっちゃうっていうか、舞台だと長くて3時間だから、観客もろともまるめこまれてしまうんだけど、1クールドラマだと、無理が出てくる。本人達が真剣に考えてるからこそ、コメディとして笑えるんだけど、時間があるわけで、(もちろん1クールドラマでも、短い期間の物語ってのもありえるけど)「本気で解決しようと真剣に考えてる?」とかって思ってしまう。だから、なんかもったいなかったなぁ、と思う。

 で、気になってるのは、実は由紀恵ちゃんが子供の頃山で迷子になったの。それを助けたのが、当時、山岳部だった(もう写真家だったかな?)の中井。最初二人はそのことを知らずに、結婚までの交際となるんだけど。由紀恵パパは知ってたのかな?カレがそうって。で、そのことを由紀恵ちゃんも途中で知るのかな?いくら、フェイを以前から知っている友達のように思っても、やっぱり、まだ好きな相手をあの笑顔で(それもウソなんだけど)見送れない。自分と暮らす事は山の夕陽の写真を撮りたい中井の夢を奪う事になる。それも気にしていただろう。同じように、デザイナーになりたいという夢を持つフェイを応援したくなる中井の気持ちもわかるだろう。自分にもフラワーアレンジメントという夢を見つけたし。でも。最後にフェイに送った手紙は「あきらさん(中井)が、迷子になってるの、見つけてあげて」だったしな。で、軽装な、フェイが最後に山にいる中井を見つけてエンド。

 あと、ナゾの探偵、鴻上さんは、ラスト、山のシーンで中井と同じ服を着て現れる。それまでもフッと現れて、ふと消えるから、なんかあるな、と思ったけど。自分の夢をないものとだまそうとしてる、自分の分身だった、ってことなのかな。(だまさなくても、由紀恵ちゃんともやっていけたとも思うけど)この辺も、鴻上色、強し!だけど、1クールドラマでは、生かしきれなかったか?惜しい。

 この気持ちの、うさうさは、10年間第三舞台封印公演「ファントム・ペイン」を観て、はらすしかないか?(でも、第三舞台のオリジナルとしては7年目なのよね。今までも、封印してたも同然?)封印といっても鴻上さんは、プロデュース公演を自分の脚本、演出でやっていくし、役者さん達は既に、色々客演経験豊富だからね。心配ない状態だけど、あぁ、「ファントム・ペイン」大阪初日、もうすぐですよ!!もっちゃん?当然、ゲット済みさ!


2001年09月27日(木) 続・最終回の季節・そして疑問は残るのさ&more

 「早乙女タイフーン」で、7月期ドラマ、私の中で終わりました。で、幾つか、小話を一席・・・違うって。

■「マリア」
 もともと、飛ばし飛ばしだったから、よくわかんないんですけど、やっぱり、町医者として奮闘する浅野温子さんが、時には、厚生省に目をつけられつつ(保険のない人や、普通の病院に行けない人にも治療してたからね)「ここに患者がいるんだよ」そして、治療した全ての人に「私はあなたの主治医だと思ってるから」この決め台詞で、やはり、聖母マリアのようだ、ってことで、タイトルがついたのかしら?(でもあのマスカラがすごいアップはどうも・・・「あぶない刑事」のカオルちゃんだけにして!とか思った)
 そして、白血病だと診断されていたゴマキは?ラストあたり見てないからわからない。誰か、知ってたら教えて下さい。
 
 もっちゃんは、岸恵子さんが、大好き。だから、見てみようと思ったの。あぁ、素敵。いいよなぁ、岸さん。憧れです。彼女は森本レオの長女役。(無理あるよね・・・)5人姉妹の長女。だから、おねえさま→おねま、と呼ばれていたのだろうか・・・?不思議。彼女は、本当は父の町医者を継ぎたかったんだけれど、町医者としての資質は、技量だけではない。と、望んでいるし、黙って、温子に継がせ、自分は最先端の研究所に勤める医師というより研究員になる。

 腕がいい医者、看護婦がいる病院、設備も整っている。もし入院でもするのなら、そういう病院が安心だと思うけど、「マリア」見ててふと思い出した。「ナースのお仕事3」を見てて、入院するなら、朝倉(浅倉?)がいる病院がいいなぁとか思ったことを。朝倉みたいに何でも言えて、患者本意で、怖くない病院。で、沢田先生みたいに技量があって、高杉みたいに男前もいる・・・。

■「ビューティ7」
 このドラマは、何だったんだろう?毎回、ビューティアドバイスがあるのが目玉?私には、桃井かおりが目玉としか思えないけど・・・。中途半端に松本幸四郎丈が出てて、以前のオークションハウスを舞台にしたドラマ、見てないけど、思い出しちゃった。高田聖子も出てたねぇ。「R-17」の桃井に比べれば、お遊びというか、ドラマ自体にヒネリとかないし、なんで出演したんだろう?黒いドレスで髪アップで、すーーーっと出てきて、「では、ひとつ、よろしくて?」こんなの桃井しか出来ないよぉ。でも、いったい、彼女は何者だったんだろう・・・。ナゾは深まるばかりでございます。って、見てなかっただけなんだけど。だって、明石家さんと重なるんだもん!

■「ネバーランド」
 三宅君(V6)の父役で升さんが出る、っていうんで1回見てみたけど、回想シーンだったから、見るの止めちゃった。あれ、いったいなんだったんだろう。行き場のない子供の一夏のフェアリーテール?その割には、なんか、誰か死んだりしてなかった?最後のほうで、回想でない升さんが出てたらしいけど・・・??求む、升毅情報。

■「生きるための情熱としての殺人」
 これは1回しか見てないのね。でも、1話目の頭部分と、最終回が、つながるシーンがあったらしくて、しかも、だましだまされ、っていうのが、最終回に、てんこもりだったようで、ちょっと見ればよかったかなと。かなり映画の色んなシーンを意識して作ってたみたいだし。(パクリの域を出てたかどうかはナゾ)最後は、結局ハッピーエンドと思いきや、包囲されて突っ込んでった・・・どうなん?釈ちゃん、チェ・ゲバラのTシャツ着てたらしいし。見ればよかった。どういうチェのTシャツだったんだろう。(全然、外れてるよ、本筋から)

■「ウソコイ」
 これもね、もしかして、大切な回、2回連続で見逃したのかも、それ見てたら、ラスト納得いったかなぁ・・・。って感じ。っていうか、せっかくの鴻上さん企画(出演してるし)、納得したかったわけです、私としては・・・だから、「ウソコイ」次回続く・・・


2001年09月26日(水) 加藤晴彦くん・再び。っていうか「タイフー」ラスト!

 「早乙女タイフー」くーーーーーーーーーーーーっ!!やっぱり、加藤晴彦、いいっす!もう、めっちゃ、ラブリーで、「海の正義の味方」でした。キャスティング大成功!!だと思います。

 んとね、大竹海岸閉鎖を止めて欲しいっていうのを、議会で再審議してもらうために1000票の署名を集め、議会にたくし、大竹ライフセービングチームとしては、解散状態になってしまいました。
 で、彼らはどうしていたかというと、まず、残り600票を集めるために、実は会社の御曹司だった監視長が、自分が跡を継ぐのを交換条件に、顧客名簿をもらったの。(全員に了承をもらってないと思うんだけど、それって、公文書偽造?)だから、引き換えに、東京で、昔で言う、丁稚奉公ですな、百貨店の納豆実演販売を虚しくやる毎日。怒られようと、「これはライフセーバーの色ですから」、って黄色のワイシャツと赤のネクタイで。 看護婦の弥生ちゃんは、監視長について、東京で看護婦をしながら二人で暮らすようになってたのね。
あと、町役場を辞めてしまった一色紗英ちゃんは、「海の家」の娘のタレント進出時、マネージャーとして一緒に就職した様子。この二人同士以外は連絡を取ってなかったみたいなんだけど、紗英ちゃんが、デパ地下の納豆売り場で、監視長と再会する。
 
嵐ちゃんは、「金がいる」って、急に東京に出てきて、肉体労働をしているらしい、ってことを、監視長に一度連絡してきたきりらしい。「お金が要るって、嵐さんどうしたんでしょうねぇ。」紗英ちゃんの心配も知らず、嵐ちゃんは今夜も肉体労働。そして、栄養失調で倒れる。また、これが、運ばれた病院が弥生ちゃんの勤めてるところで、弥生ちゃんは二人を呼びよせ、「お前の命は検査の結果、明日までや、意地はらんと、会いたい奴おるやろ?」再会を果たす4人。でも、その時脳裏によぎったのは、他でもない、初対面から大嫌いだったあいつ、タイフーだったんだけど。

 4人は、お台場あたりの海岸(?)で、しんみりしている。全てをかけていた再審議、それが結局転覆ならず、そのまま、大竹海岸は閉鎖され、大型リゾート開発されることになったという新聞を読むのだ。うなだれる4人。「凪子は、東京の人はかわいそうね、これを海だと思ってるのね」そう言ってた、という嵐ちゃん。実は、お金をためて自分たちのライフセービング会社を設立すれば、大竹海岸閉鎖さえ免れれば、自分たちでまたあの海を守れる来年の夏があるんじゃないかと、焦っていたのだった。「甘かった。」そうだね、大きな市民運動にでもならない限り、もっかい審議するだけだから、(普通市民運動になると思うけど、それだけ集めれば、あ、400票は違うのか・・・)観光収入、それに伴うモロモロの税収アップ、そういう目先のことに目がくらんで、っ町議会では、却下されたのね・・・。

 あれから、3ヶ月後の出来事でした。しかし、うなだれる4人の前に「海はラブリーかい?」の紙飛行機を飛ばしてきた野郎が!あのまま姿を隠してしまった、タイフーが、新聞を読んで帰ってきたのだ!うーん、さすがタイフー?ここに4人が集合してること、なんで、わかったんだ?「何やってんだよ。帰るぞ。凪子があの海にはいるんだよ。」(篠原涼子の凪子、よかった。彼女の笑顔のフラッシュバックが、タイフーたちの「なんとかしなくちゃ!」をかきたてるのに効果的だったと思う。)
タイフーは止められない。閉鎖の動きも彼らに止められるのもではなかった。が!

 視察に来ていた町長が、なんと、海岸にたばこをポイ捨てするんだよ。本能的にそれを拾い、町議会に乗り込むタイフー。もちろん一席ぶつよ。「海は、本来ラブリーじゃなきゃいけない。海は弱い者も、金の無い者も、誰でもが来れる、最後の楽園でなきゃいけないんダーーーーーーー!」ってね。でも、本当の用事はこれ、って町長に、「海にゴミ捨てちゃダメでしょ」って、すいがらをはじき返す。そして、追いついた4人に、「あいつらしい」って見守られる中、帰る。

 そして、2002年夏。海開き前の大竹海岸はそこにあった。彼らのライフセービング小屋も。なんと、あのポイ捨てで、なんか、不評を買った、町長がリコールされ、新町長に監視長のパパがなる。監視長と弥生ちゃんの生まれくるベイビー、つまり、「孫に、この海を見せられなくなってもいいの?」で、閉鎖は却下。タイフー達に、また熱い夏がやってくる。
 大切な人に、大切な場所を残せるか?見せたい風景を残せるか?しかもそれが次代を担うベイビー、これがキーになるとは・・・。ずっと、大切な人のために、大切な海のために全ての行動が本能的に決まっていたタイフーの物語にふさわしい、展開かも。現実はそうはいかんよ!という大人たち。友情や愛情は、やはり、源なんだよ。

 そしてそれぞれの去年から、今までがオーバーラップしながらエンドへ。一つ違うのは「期間限定、夏季限定、そんな冷やし中華みたいな」ライフセーバーこと海の正義の味方は、期間限定じゃなく、真冬もゴミを拾ってたのさ!!

 


2001年09月24日(月) 世にも素敵なネバーエンディングストーリー

 ねたばれってます。大阪公演終了。東京公演これから。意表をつかれたい方は、読まない方がいいです。興味がない方、もともと読まないか(涙)。面白そうだけど、どうしよう、ねたばれ聞いて、あとで行きたくなるかも?とか思って@悩み、の方、読んでみる?上手く書けないだろうけど、私はとっても面白かったよ。問題は、関西受けしたけど、関東はどうかな?っていうのと、高田聖子さんは、あんなべたべた、こてこての関西弁を、東京公演でも話すのかな?演出、変えないよね?

 劇団☆新感線の看板女優、高田聖子がはじめた「月影十番勝負」。今回六番目。今までは劇団☆新感線の作家、演出家と組んでいたので、せっかく劇団と離れた活動なのにもったいないんじゃないの?みたいなことで、外部、つまり、ハイレグ総代河原雅彦に作、演出、出演も+でってことで、このようになった次第。・・・らしい。というのも、お間抜けな話、今までの五番、知らなかったのさ・・・不覚である。

 高田聖子さんというのは、「ナースのお仕事3」、「ビューティ7」、「おやじ探偵」など、テレビのレギュラーも多いので、舞台を観ない方もご存知では?ほら、あの、サンドラ・ブロック似の女優さんです。

 
 このね、「世にも素敵なネバーエンディングストーリー」これ、タイトルだけで、もってかれちゃいますね。映画「ネバーエンディングストーリー」のテーマ曲が、頭の中でわけもなく流れたりしてね。実はこれは、「奇跡の人」をベースに書かれてるんだけれど、いやはや、まちゃぴこの手にかかると「奇跡の人」も、こうなるか?!そして、高田聖子が演じると、アニー・サリバンもあぁなるか?!驚きの中、しかもヘレン・ケラーは、木野花。7歳の木野さんが見れるとは・・・!ピー音、入りまくりのセリフもありありの中、脚本というか、演出のとんでもなさに笑わされ、おかしくて、でも、やがて哀しき・・・、感動もしっかりあったりして・・・ラストは笑いで終ります。

 「奇跡の人」昔、読んだけど、クライマックスの「Water」しか覚えてない。
奇跡は起きたのか?奇跡のその後は、どうだったんだ?そんなこんなで、「世にも素敵な〜」は、アニー・サリバンが、アニー・タカダンへ。ヘレン・ケラーがキノー・ハナーへ(そのまんまやん)兄いたの?キノー・マチャーがまちゃぴこ。そして、召使いにキシリン(岸潤一郎)。タカダン先生を商売の道へ引きづり込む(?)行商人にダンゴメス(竹田団吾)こんな5人で演じられるのです。

 まず、スタート。BGM(リンダちゃん?)の中、あばれるハナーと、技、かけてでも押さえるタカダン先生。のち、一人タカダン先生の独壇場。登場するなり、関西弁で、「もうあのくそがきにはまいるで、ほんま。盲学校を卒業して、やっとありつけた職やさかい、それにこのうち金持ちやしね、辞めたないけどな。、生傷たえへんし、どないせーちゅうねん」サリバン先生とは大違い。手をこまねいているわけ。全然成長を見せない、ハナー。両親は、タカダン先生を解雇しようとする。突然、標準語で「教育者として迷っています」殊勝な事を言い出すタカダン。タカダンに気のあるマチャーのおかげで、ひとまず首は逃れる。

 って、え?!え?!登場人物以上5名だったよね?両親て?びっくりしまっせ、ほんま。こんなこと、まちゃぴこ、いつ思いつくんでしょうね。なんと、テーブルにマネキン二体。スピーカーがついている。父の声は池田成志?まじ?うそ。なるしーより、カッコよく聞こえる・・・。

このマネキンとの会話がやたらうまい。問題をつきつけられると黙り込む。「こういう時だけ、ムセイブツになるなよ!」とか、「うるさあい!」って、ボリューム下げられりゃ、マチャーに上げてもらって「どうなる事かと思ったよ。」「目を見て話しましょ」と、テーブルと背中向きに異動させられ、その後放置された夫婦の会話「なんか、位置が微妙ねぇ・・・」「微妙だね・・・でも、自力ではね。」面白すぎる。「そろそろ部屋へ戻りましょう。お腹一杯みたいだし」「誰が?」「お客・・・」

 後、見逃せないのは、マチャーの登場シーン。なんだ?あの衣装は?あのヘアスタイルは?何着ても、似合いはるねぇ。マチャーは、こそこそと出入りし始めるダンゴメスにやきもちを焼く。彼にはタカダン先生は関西弁で話すからだ。エンディング近く。大からくりが暴露されようとしている時、マチャーはのん気にも、開き直って関西弁で話すタカダン先生に「やっと、関西弁で話し掛けてくれましたね?」そして、ここを出なくてもいい、「嫁に来ないか?」返された言葉は「それ、脅迫やん」

 つまり、「Water」以来、ハナーは、一言も何も覚えていなかったのだ。途中「じっちゃんの名にかけて」って、セリフも出てきたんだけど(金田一少年の事件簿ね)実は、タカダン先生が、取り寄せた、いっこく堂の腹話術本で、ずっと、二人分、話していたのですよ。そりゃ、のどにねぎ巻きたくなるほど、疲れるわな。(これって、「名探偵コナン」ヒント?あぁ、総代に聞きたかった。)だって、そこそこにしとけばよかったのに、進化しつづけるハナーは、家族には内緒でダンゴメスの手配でコンサートまでやってたんだから。期待に答えようとして、何も成果が上がらずにいるタカダン先生。しかし、それよりもやっぱり、金に目が眩んだタカダン先生なのであった。ミラクルなんて、そう簡単に起きないからミラクルなのだ。

 ラストはね、「お金の価値を教える」って、自分が色々忙しくなったから、召使いのキシリンを友達として、接するようにってタカダン先生が、「あなたの勉強も見てあげるから」と、「フリをするだけでいいのよ」と、しむけた事が結実する。病気の父のところへの暇ももらえなかった、手紙も届けてもらえなかった、父の死の手紙も、タカダン先生はウソを言った。絶望して、出て行こうとするキシリンを、呼び止めたのは他でもないハナーだった!!ミラクルは起こるべくして起きた!

 って、感動で終ると思いきや、「これでまたひとかせぎできるなぁ」っていう、こりないタカダン先生のセリフで終る。この人にミラクルはもう起きそうにない?…。

 あとのポイント、小さいスクリーンに、暗転の時、時間経過やその間の物語が、活字で写されるんだけど、これがまたまちゃぴこ語りで、笑える。それから、いーーーーーータイミングの暗転で「これから10分間の休憩に入ります」って、木野さんのアナウンス。間髪いれず、ウソってわかるんだけど、開演前のお知らせが木野さんだったから、だまされた人多し!!(うちもです)
 場面転換代わりに、意味なくマチャーとダンゴメス加わっての、ダンスシーン入ったり(音楽、鳴ってるよ今も)、相変わらずまちゃぴこはオーバーアクションで、それを聖子さん、真似したり。主役なんだから、仕方ないんだけど、「私はでずっぱりやねんぞー」と叫んで、ハケル聖子さん。最初から台本にあったのか、稽古中に加わったのか、リアルだった。

 世にも素敵なメンツで世にもマレかもしれない、どこまでいくねん!という物語を見せていただきました。役者さんたちは、お疲れだったでしょう。でも、とっても楽しかった。


2001年09月23日(日) 新派なども見てみる。「滝の白糸」〜あらすじ

「滝の白糸」は、明治27年に泉鏡花が発表した「義血侠血」を翌年川上音二郎が初演した際、主人公の太夫の名前を外題にして演じ、そのまま「滝の白糸」として上演される。

これは、旅芸人、(水芸の太夫)滝の白糸が、元来の気風のよさと、粋狂で、速いんなら飛ばしとくれ、という白糸が、2頭立ての馬車の馬丁(べっとう)に、「約束を守り通してちょうだいな」と言ったばかりに、腕に覚えのある馬丁が裸馬に白糸を横抱きにして、石動の茶屋に届けた。これが最初の出逢いである。といっても、雲を霞と走るほどの速さに彼女は失神してしまって、あとから彼の名前だけ聞くという出逢いである。

そうして数日後、卯辰橋(うだつばし)の河原で夕涼みしている白糸が、小船に寝ている一人の男を見つける。それは、この間の馬丁。白糸には忘れられない夢の時であったが、彼は覚えていない。「抱いた女を忘れるなんて、情なしだねぇ。」そんな風に始まったいきな会話の中、彼は苦学生だと知る。名を村越欣弥という。向学心を捨てきれぬ欣弥に、白糸は粋狂で貢がせてくださいと申し出る。彼の母親の面倒もみるから、勉強なら東京へおいでなさい、と。喉から手が出る申し出だが「縁もゆかりもない人の・・・」と、断る欣に、「縁?縁というのも初めは他人。ここでうんと言ってさえくれりゃ、つまりはそれが縁になろうじゃありませんか?」決心する欣。「ありがた過ぎる。恩を受ける私のあなたに果たすべき義務を、伺いましょう」それに、白糸はこう答える。「他人らしくなく。生涯、親類のようにして暮らしてくださいな。」すぐに通りかかった人力で、そのまま欣弥は東京へ、これが2度目の出逢いである。

3年が経つ。その間、欣弥からの手紙には、勉強に精進している事と、母を案じる事が書かれてくる。金の無心は一切ない。白糸は白糸で、彼に「女房にしてください」などとは一切言わず、書物など必要だからと、景気の悪くなった時も、座元に借金しながら、欣弥に送金し続ける。これが最後の送金になるという時、同じ座元にいる南京出刃打ちの寅が、借金に行く白糸の話をききつけ待ち伏せして金を奪う。白糸は死ぬしかないと思うが、それじゃあ欣さんが困ると、呆然とたたずむ。そうするうちに金持ちの家の裏木戸から中へ入れてしまう。水を飲んでいるところを「泥棒」と戒められ、騒がれるのを押さえるうちにさっき、証拠にと拾った出刃で刺してしまう。出て来た内君を脅し、100円だけと、盗みを働くが、女と知れ、また騒がれ、内君まで刺し殺してしまう。

その場に残された出刃と、白糸が寅と争った時ちぎれた寅の袖口が証拠となり、寅とその一味が逮捕される。白糸から100円は盗んだが、殺人なんてしていない。そういう一方、白糸は、100円は盗られちゃいない。翌朝、東京に送金した記録も持っているといって譲らない。裁判になる。送金先(欣さん)の名前を伏す事を条件に証人に出ることにする。しかし、運命の皮肉というか、それが運命というか、白糸の送金で無事、検事になった村越欣弥は、この金沢裁判所に検事代理として公務につく。予審などをすませた公判で、白糸と欣弥は3たび出会う。

生涯、たった3度、3度だけしか逢わなかった二人。最初は真実、盗まれておりません。と、言い通した白糸も。「本職村越欣弥は、偽りをもって、この世の最も憎むべきとする。」以下、贔屓があったとして卑怯未練を喜ぶか?自分が贔屓なら、愛想をつかす。二代目として、罪なき者を陥れれば、母に、その名に対し、どうなる?自分の母も立身より、心が清浄無汚ならんと祈っている。自分に妻があれば同様の祈りをするだろう。自分は3年ぶりに帰ってきて恩人と明後日は手を携えて将来を語ろうとしている。もしその手が血塗られていようとも滅罪の法がある、しかし、恩人の胸や心が偽りと卑怯とで汚されていたら・・・しかし、わが恩人は断じてそんな女ではない。と、壇上から満身をこめて語りかける。白糸は、「金を取られました」と自供する。

その後、重罪についても白状し、村越欣弥は、私情をはさむことなく、大恩を重ねたる人を殺人犯として起訴する。裁判長は死刑を宣告。一生他人らしくなく、と約束した欣弥は、もう一度面会する事もなく、その夜、自宅で自害する。

原作は、ここで終わっている。新派では、死刑まで収監されている白糸を、欣弥の母が訪ね恩義を返せなかったことを詫びる。白糸は、大切の門出を汚したことを詫びる。母は、無慈悲な刑の申し渡しの時ですら、二人だけ別天地のようだった、二人は似合いの夫婦ですよ、と、優しく白糸に言う。そして、欣弥も待っているから、と自害の事を告げる。「草葉の陰からご出世を見守る楽しみがなくなった、しかもお母様を一人残すなんて・・・」そう言う白糸に「達者でいるから案じてくれるなと、伝えて欲しい」と、欣弥が大切にしていた書物を彼女に託す。「私はもう一度、お目にかかれますか?」空に問い掛ける白糸、外は雪


2001年09月22日(土) 新派なども見てみる。「滝の白糸」

 新派の「滝の白糸」を観てきた。初代水谷八重子の23回忌追善公演の千秋楽であった。そういうこともあるのかもしれないが、なんだか胸にしみいるものがあった。多分、基本的に新派って嫌いじゃないんだと思う。どっちかっていうと、好きなのかもしれない。ま、作品も泉鏡花だし。好きな「世界」なんだろうな。うん。

 実は、国立劇場で平成12年3月に「滝の白糸」が公演された。私は観に行っていたのだ。「滝の白糸」は、明治27年に泉鏡花が発表した「義血侠血」を翌年川上音二郎が初演したのがはじまりの不朽の名作、ということであるらしい。私は、鏡花の世界が好きだとはいえ、元来ずぼらなもんで、鏡花の物語を読破したりしていないんだけれど・・・。その際は、読みました。「義血侠血」。「義血侠血」はこう始まる。「越中高岡より倶梨伽羅下(くりからとうげじた)の建場(たてば)なる石動(いするぎ)まで、四里八町(よりはっちょう)が間を定時発の乗り合い馬車あり。」ルビがないと、全然読めない!!でも、音読すると、この流れのよさは結構気持ちいい。物語は人情にあふれる世話物でありながら、無情に切ない現実を終焉とするのだが。あらすじに関しては、別のページに書いてみましょう。

平成12年、欣弥は坂東八十助(当時)だった。彼の欣弥は、その潔々しいまでの正義感と、心中に秘めたる、熱血を押さえた演技であった。丁度私は、同じ鏡花の「海神別荘」を観ていて、それは、魑魅魍魎の世界の方が人間界よりはるかに美しい、人間の心のあさましさの中では、本当の美しいものはそのままではいられない。と、海の御殿で仕合せに暮らしていく姫の姿を描いたもので、よく上演される「天守物語」の男女逆、天上から海中へ、という、鏡花の一つの「世界」である。つくりもファンタジックである。(これも、原作を読んでから観たのだが、よくぞ再現したね、玉三郎さん、王子に新之助、抜擢したね。と、見ものでした)初見では、そちらの「世界」に引き込まれ、新派は新派やね、なんて感想を持ってしまったのだけど、よく見ると、その八十助の押さえた演技が、あぁ、これも鏡花の「世界」だ、と感じさせた。心中流行りの時代のものが歌舞伎にもたくさんある。それを推奨しようとは、微塵も思わないが、鏡花の「世界」として、対極にあるような異なる二つの作品の中にも、鏡花は「この世では結ばれなかった二人」「純粋で侠気にあふれる二人には」天上しかなかったのではないか?という風に考えると、共通した、鏡花の視点が見えてくるような気がしたのだ。

今回、欣弥は、関西歌舞伎界の期待の若手、片岡愛之助が演じたが、彼の欣弥は、若々しく、瑞々しく、正義感に溢れ、力強かった。八十助の抑えた演技では、「人ではない世界でしか、本物の愛は結ばれない」という「世界」が強く感じられたが、今回は人間味が強く感じられたかもしれない。現実的というか。見ていて、あの出刃打ちの寅が、100円さえ盗まなければ、歯車は別の方へと回らなかったのに。しかも、それが、最後の送金だったのに、と惜しんでしまった。だからといって、欣弥が、自分を同罪と自害する事を「それはあかんで」と思うほどにはリアルではない。リアルではないというよりも、それが鏡花の「世界」なのだと理解できると言い換えた方がいいだろうか。でも、この3年は、何だったんだろう、という思いが、悔しさが増した。それは、「鏡花の世界」を描くに当たって、愛之助さんがやることによって新たな欣弥だと、OKで、いいのかな。
いずれにしても、「母」志向の強い鏡花の思いは、更に強く感じた。(初代の23回忌ということもあるのかもしれないが)

ラスト、雪がしんしん降っている中、あの出会いの、馬の早や駆け、飛ぶように走る二人の思い出の音で終わる演出そのものに、幻想性より、現実的な世界の追求をみたのかもしれない。(平成12年の上演時にも逢ったのではないかと思うのだが、私には、しんしんと雪が降るシーンまでしか思い出せないのだ。馬のいななきなど聞こえなかった。)

たまには新派もいいもんです。水芸のシーンはもちろん本水使い。前回は確認できないのだが、今回の奇術指導はMr.マリックだった。これが一番驚いた事だったりして・・・。


2001年09月21日(金) 「踊る大ソウル線」と「イタリア通」

目の前に提示されてしまうと、「べた」な感じもするのだけど、思いついた人、えらい!好きです。こういうの。「踊る大捜査線」が、「踊る大ソウル線」になちゃうのうね。遊びだね。いいね、こういうの。

私は「ラブストーリーは突然に」を見て、はまった人間だけど、どうも織田裕二は、苦手。今も多分、配役によっては「え?なんで?」と思うかもしれない。だから、「踊る大捜査線」見てなかった。でもね、映画になったでしょ?あれにKYON2(小泉今日子)が出てて、CMで、ちょうど、歯列矯正具をつけた歯を「にっ!」とやって、不気味に笑うとこを使ってて、そのKYON2が見たくてね。(私はKYON2が好き)テレビで放送された時、見たのよ。KYON2はレクター教授のパロかもしれないけど、とっても危ないけど、キュートで、大好き。それ以上に、おいおい、そうか、深津ちゃん出てたんだ。佐戸井けん太さん出てたんだ。いやだ・・・おもしろいかも。それで、再放送見たのさ。あ、なんだ、面白い。この織田裕二いいやん。青島君。いいやん。だから「ロケット・ボーイ」も見ました。
 
え?いや、そんな話じゃなくて、青島君は世界陸上に休暇を取って行ってるということで、出てなかったけど、ソウルに6人。つまり、7人休暇を取ってる状態・・・いいのか?湾岸署?犯人がソウルに高飛びしたので捜査に3人行かせて、ガセネタってわかったから、「これは休暇の個人旅行ってことで、楽しんできなさい。」って言った署長たち3人が、ただ券でソウル行って。変なおじさんたちだ。おかしいんだけど。いいのか?湾岸署。

観光ガイド番組って色々あるけど、クイズだったり、泣かせだったり、冒険だったり、あんまりドラマとタイアップ(?)してるのってないと思うので、いいんじゃないかと思った。ドラマの中で観光に行った先で、殺人事件に巻き込まれるというのはあるけどね。あれは、まぁ、本人達は、観光目的で行ってるから、観光地がテロップ入りで挿入されても、しゃーないか、と思える。すっごくわざとらしく、観光地がうつるというか、背景にあるのはね、おいおい、そことさっきの場所は、遠いぞ。そんな不自然なルートのデートはないだろう、とか捜索はないだろう、とか思ってしまうからね。
いっそのこと、ドラマの設定の役で、観光ガイドしましょう、っていうの「踊る大捜査線」メンバーだったから、強引に成り立ったところもあるかなぁと、思いつつ。中途半端といえば、中途半端。もっと、面白くできたんじゃないかなぁ、と、期待が先行してたからね。でも、ま、いいか。すみれさんな深津ちゃんが見れたし、佐戸井さんもナレーションしたりして、無理ない範囲の観光もので楽しめました。めっちゃおもろい、とこまでいかなかったけどね。「あり」だな、と、もう、タイトルで。

その点、日本におけるイタリア年だとかで「イタリア通」というイタリアの4都市を紹介する番組があったのをご存知かしら?あれは、いかしてた。毎回、笑わせていただきました。あんなでいいのか?と、こっちが心配になるほど、ふざけてた。堤真一が小雪と新婚旅行先に選んだイタリアで、まず、ローマね。間違ったうんちくを彼女に披露して、まわりのイタリア人にげらげら笑われる。「恥をかかせないで!」って、小雪にぶたれたあげく捨てられる。だいたい、日本語で話してたら普通そんな全員にわかられないって!そんなことくらいで、小雪も、捨てるって、新婚さんざんしょ?大げさなんだから・・・。しかし、打ちひしがれる堤の前に「自称イタリア人」江守徹が派手ないでたちで更に大げさに登場する。
 
「君の選択は二つに一つ。ローマについて勉強するか、彼女と別れるか?」もちろん彼は前者を取る。「それではこれから45分で、君はローマのほぼ全てを知ることになる。」と、何かにつけて「我々イタリア人は」と、頭につけて説明する江守。これは、いい。あぁ、ありえないほど、おかしい。45分で、スペイン広場からルビコン川まで行って帰って来れないってば!そんな矛盾も、吹き飛ばされるというか、「あり?」って思える、江守の摩訶不思議さが、私を4夜連続くぎづけにした。おかしい、堤が目的だったのに・・・。
 
ローマでは、コロッセオの前まで行きながら、「ここ、世界遺産でやってました」とか、堤が入れると思って言うと「じゃ」って、素通りするし、有名どころも当然入ってくるんだけど、紹介のセレクトがよかったとも思う。それぞれキーパーソンがいるんだけどね。ジュリアス・シーザーのローマ。マルコ・ポーロのヴェネツィア。レオナルド・ダ・ヴィンチのフィレンツェ。ジュゼッペ・ヴェルディのミラノ。街の成り立ち、歴史をその人物を要として紹介していく。
で、番組終盤「これで君もローマ通だ。彼女を迎えに行きなさい。黄金の翼に乗って。」と「自称イタリア人」江守に促され、ハンサムなのにおばかな顔をした堤真一がホテルに着くと、小雪はチェックアウトした後。そして、次の街へ追いかけていく。また、うんちくを・・・。お約束どおりが4都市で続く。役はあるんだけど、物語は3人の登場人物には、ほぼなくて、物語は都市そのもの。でも、今までも役をかぶって紹介していくっていうの、あったと思うけど、ここまでおばかな作りにしながら、いい感じで都市のポイントおさえて紹介していくのは、見たことなかったから、楽しかった。イタリアも各都市に歴史があるので「ナポリ通」とか、もっと続けて欲しいくらい。思い出し笑いができる。
愛すべき「自称イタリア人」江守。江守がいるのなら、更に行きたいよ、イタリア。


追記:「黄金の翼に乗って」は、ヴェルディの曲で、毎回エンディングに流れてた。イタリアの国家統一の気運をあげた曲だったそうで、私はそういうことは知らなかったので、お勉強になった。私が知ってたのはナナ・ムスクーリの歌うスペイン語バージョンだったのだけど、美しい曲。登場人物のおばかさとの反比例がすごい。笑わせてもらって、美しさだけが余韻に残る。


2001年09月20日(木) 最終回の季節なのさ

 もう9月も半ばを過ぎ、ドラマは最終回ラッシュ。「加藤晴彦くん」のところで「早乙女タイフーン」は、今週が最終回!!と書いたし、そう思って気合入れてみた。ウソ!!マジ?!こんなとこで終わってどうすんの?そう思ってたら、次回予告が出た。ほっとした。ということで、次が最終回なのね。水野課長もついに素直に、大竹海岸を守る側になって、署名も規定数を集めたのに、閉鎖の動きは変わらない。ラスト、タイフーたちは、どう出るか?!どうやって、大竹海岸を守るのか。日曜日が待たれる。

 うーん、でもなんかねぇ。他のドラマねぇ。なんかフに落ちないのさぁ。「救命病棟24時」これはね、医局長、渡辺いっけいさんが、過労で死んでしまうんだけどね、既にスペシャルの放送も決まってるようだし、こんなもんかなぁって思うのよ。刑事ものとかでもある。1クールだけど、視聴率よかったら、続けるよっていうタイプでしょ。もともとの素材が。(だからといって、医局長死ぬのはなぁ。SP出ないのか、いっけいさん。)

 「できちゃった結婚」も、ラストが姉妹合同結婚式の教会シーンで終わり。ハッピーエンドだし、いいかぁ、と思うけど、ちょっとね、竹之内くんの仕事の扱いは、なんだったのかな?ってひっかかるの。
 「氷点2001」これは、原作、読んでないから、こうなのかどうなのかわからない。憎しみのために愛を見失ってしまった大人が、大切な人を失いかけてやっと、膨らむ憎しみの影で見えなくなっていた、愛しさに気づくという感じでしょうか、シンプルともいえるけど。仕方ないのかな。最終回っていうもの自体が、私にあっけなさを感じさせるの?

 「非婚家族」これは、うーん、これは、なかなか、個人の持っている既にある家族像とか、社会通念というか、一般常識とかのとらわれ度によって、見方がかなり違ってくると思う内容だったけど。別に、あってもいいかもしれないな、と思うんだ。ただ終わりがね、どうもね、フに落ちないっていうのか、何だろ?鈴木京香がクッキーと結婚しようと、物語の一つの答えだから、構わないんだけど。・・・あ、そうか、時間配分かな。そうか。それでいくとまだ「非婚家族」は、想像しようと思えばできたかもしれない。真田の行く末。
 
 何が一番フに落ちないかというと「恋がしたい×3」!!いいのよ。誰と誰がひっつこうが、誰もカップルにならなくて、「未来はまだわからない」とかって終わってたとしても。水野美紀がこれは渡部だな、と思わせといて、やっぱりミッチ-だったの、「この人とずっと一緒に生きていこう」と決めたの、であっても、物語の流れ上、理解できる。ところが、渡部だ。私の見方が甘かったのか?水野美紀と別れることを選んで、教師を続ける自信がついて、そこまではいいんだけど、なんで菅野美穂?蜜柑ちゃんっていう名前なんだけどさ。(虹を見て気持ちが切り替わるシーンが最終回にだけ出てくる。主題歌も「レインボー・コネクション」登場人物の名前に全部、色名が入っている。そんな人ばっかり偶然会わないでしょ、って、思いつつ、それでもまぁいい。)蜜柑ちゃんは、ずっと渡部が好きだったよ。それは、それは、すごく好きだったよ。彼の事、何にも知らないうちから恋に落ちて、どんどん、好きになったよ。でも、渡部の方が、水野美紀をとても好きだったから、蜜柑ちゃんの良さに、後で気づいていったっていうのなら、その過程がね、もうちょっとないと。空港までいって、「今の自分が好きだ!」と叫ぶまではよくても、(蜜柑ちゃんの母親の死に際に、「私はあなたが好きです。これから自分をもっと好きになっていきます。」と告白するようなシーンがあったから)でも、それで渡部が「君も好き」になるのが、フに落ちないね。

 今のクールに関係ないけど、朝ドラの「オードリー」これほどフに落ちなかったのはなかった。あれも最後1週間で、ばたばたっと丸め込んだ、って感じだったのね。おいおい、あれだけ、丁寧に描いてきたシーンが、人間関係が、だいなしになるじゃないの?あれは、なんだったの?主眼はどこ?メインテーマがしぼりきれてないの?せっかくのシーンが、後に結びついていっていない。もしくは、結びつけるつもりがないなら、ちょっと描き方変えたほうがよくなかった?ある意味、視聴者の期待を裏切るのが「新しい」とか「意表をつく」のかもしれないけど、もったいない気がする。積み上げではなかったの?伏線じゃなかったの?主軸はどこへいったの?
 この、後遺症かね?うーん、どうも、納得いかんのよ。物語を見てきて、ひっぱられて、ひっぱられて、いきなり、うっちゃりを受けたような、そういう最終回は、「まじ、やめて!」と、「Fighting Girl」のフカキョン風に言ってしまいたくなるのさ。それは、私の勝手なんだけどさ。

 そだね。「Fighting Girl」は、ある意味、よかったのではないですか?登場人物の行く末は、最終回までわからなかったけど、「強くなりたい」というフカキョンの異様な願望が、実は「傷つくのが怖い」から出ているもの、と、彼女が気づいていく。それは、一本筋が通っていて、他の登場人物の行動や性格づけ、変化、そんなものも全てそれに動機づけられてつくられていた。そういう感じがする。最初はチープな感じがして、どうなるの?と思ってたけど、一つの物語として、まとまっていたような気がする。あ、なんか、ちょっと落ち着いた。「オードリー」後遺症ってこともわかったし。(?)

 秋はどうかな。テレビ見るために、別腹みたいな時間が欲しいかも。でなきゃ、出演者をまとめて欲しいな。あれもこれも、ちらっとしか出てこない人、見るために、テレビドラマ沼にはまっていくんだから、私。はまったからには、ちゃんとした最終回が、待ってるといいなぁと思うの。


追伸:「救命病棟24時」ホタちゃんは出ませんでした。(はず)そしてみやっちに春が・・・?


2001年09月19日(水) このたびの月9男は・・・

 やっぱり、千葉ちゃんでしょう。月9って枠で、主人公たちをさしおいてアップ、取りまくったのは、さすが世界の千葉真一!!「できちゃった結婚」の父・小谷一徹。この人見たさでした。頑固一徹、いってっちゃん。素晴らしい!!

 竹之内豊と石田ゆり子、阿部寛が同級生。ゆり子と寛は10年間で別れてはよりを戻し・・・をくり返してるカップル。ゆり子の妹が広末で、その友達が新しい「ナショナルきれいなお姉さん」。竹之内の後輩に「タイタニック」の吹き替えでブーイング受けまくった妻夫木くん。この6人で夏の旅行に
行ったのが全ての始まり。
 
 物語としてはどうなんだろう?ありなんだろうか。そういえば友達の妹って、こんな大きくなって
たっけ?って感じのノリの男、名前を忘れられてて結構ショックと思いつつ、夜の海辺で二人きりに
なった時、一瞬、月明かりの下「この人が好きだなぁ」と、思った女。一夜のできごとで、恋が始まる事はある。でも、恋が始まる前に赤ちゃんができちゃった。でも、もともとずーーーっとカップルやってる姉と阿部ちゃんより、二人は現実と向き合わなければならないことで、着実に家族っていうものについて考え、愛情を深めていった。そういうところだろうか。?

 千葉ちゃん、いや、一徹ちゃんに反対されても、反対されても、とりあえず結婚の許可をもらわなければ!ガンバル二人。
 阿部ちゃんから、何度も、姉との交際を認めてもらおうと通ったけれど、そのたびに、とりあえず殴られる。最初は「お願いします」と言って殴られ、次は一言も発する前に殴られ、ついには玄関を開けた瞬間に殴られ・・・そう、それが一徹ちゃん!そういう話を聞いていたから、最初に、挨拶に行ったとき、手土産にお酒を持っていった竹之内は、玄関の横から庭をのぞき、ウワサの一徹ちゃんと、目が合って「誰だ?」と聞かれ、思わず「酒屋です」と言って逃げてしまう。その後、かなり長い間、一徹ちゃんは竹之内を「酒屋」って、わかってるのに呼びつづける。このセンスいいかも。
  
 そうこうしているうちに、だんだんにわかってくる。頑固なだけの親父、意地で反対しているだけの親父ではない事が。それで「酒屋」としか呼んでもらえない竹之内の方が、「お父さんに認めてもらえないと結婚はしない」と言い出す。毎回、なんかの行き違いがあって、それは、お互いを思いやりすぎてってこともあるんだけど、広末がきーきー、きーきー泣くんだ。チヨちゃん。あんまり好みではないんだけれど、なんか、かわいかったよ、チヨちゃん。ほんと、きーきー泣き喚くの。でもそれは、これからお腹の子の母と父となる二人の間は、素直なものであった方がいいと思ったから、さらけ出していたわけらしいんだ。(でも、いきなりきーきーはなぁ・・・)

 一徹ちゃんにも許されて、晴れて結納の日に、竹之内は、「ヘッドハンティングされて、1年、外国周りの仕事につくから、出産には立ち会えない」と言い出す。一徹ちゃんは、気に入らない。チヨちゃんもびっくりする。竹之内は、また一人で考えて仕事がぽしゃった、と、ウソをつく。一徹ちゃんが気に入らなかったのは、娘と孫をほったらかしにして、仕事に行ってしまうことではなくて、それだけ、人生をかける仕事なら、「どうして説得できないのか」ってことだったし、チヨちゃんも、そんなに大切な事、どうして相談してくれなかったの?ってことだったのに。
 
 だから、チヨちゃんは、ウソをつく。「私、もうやっていけそうにないから山下さんと結婚することにした」・・・いい迷惑だよ、山下さん。一徹ちゃんの元部下で、それ、聞いちゃうんだもん。『ムコ殿』で、秋吉久美子の旦那さんの役やってた人なんだけどさ。そうそう、一徹ちゃんは、退職するまで刑事で、山下さんの非番の日に、二人でチヨちゃんたちの張り込みしたりするの。この様も、おもしろかった。山下さん「現役時代を思い出しますっ」って、単純に喜んでてね。また、チヨちゃんの主治医・沢村一樹が、ゆり子に一目ぼれするから、阿部ちゃんもそっちを張っててね、天敵の一徹ちゃんと鉢合わせするっていうか、同じ行動してるの。笑えたわ。

 結局、二人は別々の道をいくことにする。だけど、竹之内の出発前に、チヨちゃん緊急出産。一徹ちゃんは、「101回目のプロポーズ」(私は見てないんだけど)ばりに、エアポートリムジンの前に飛び出してチヨちゃんがつけてたアルバム日記を彼に無言で渡して、失礼しました、と去る。(これがさまになるのよ、さすがアクションスター)日記の最後のページに「あなたが生まれてきたらもっと強くなれると思うけど、今は、リュウノスケさんにとても会いたい」リュウノスケって、竹之内ね。彼は飛行機に乗らず、病院に駆けつける!無事に赤ちゃんが生まれ、通院仲間の旦那さんから仕事もオファーされてハッピーエンド。

 でもさ、彼にやりがいのある仕事を辞めて欲しくなかったチヨちゃん。そして、それを下準備段階、やりあげたリュウノスケ。だから、悔いはないのかもしれないけどさ。ちゃんと話し合ってれば、緊急出産までの数ヶ月、リュウノスケは日本にいたからチヨちゃんとも会えたわけで、そういう事情に
なったから、出発を彼だけ少し遅らせてもらって、仕事に復帰するってできなかったのかな?とか、
思ってしまう。二兎追うもの一兎も得ず、の例にならったのかしら?もうちょっとうまくしようが、現実ならね、あったんじゃないの?とか思って見てました。はい。でも、家族か、仕事か?っていうのがテーマではないんだな、きっと。だからいいのか。?

 ま、リュウノスケの義弟役で酒井敏也さんが出ててね。よかったわ〜。最初は、男3人会議(?)なんだけど、途中から彼も加わってね。阿部ちゃんと酒井さんは仲良しなので、アドリブとかもあったようで、楽しい現場っぽかった。阿部ちゃんも、どうなのこの人?って、昔は思ってたけど、上手くなったなぁ、好きだわ、なのね。沢村の事を顔が濃い、動きが変とかって、人形先生とか呼ぶんだけど、阿部ちゃん、自分も充分濃いって。で、リュウノスケをヘッドハンティングするのが、これまた升毅さんなのよ!見ててよかった〜。あと、やっぱり、リュウノスケの書いた、一徹ちゃんのパラパラマンガね。さすが、千葉ちゃん。パラパラマンガになっても劇画タッチ。あぁ、また役者重視で見てしまった。装飾過多ぎみなのに、わりと、うまいテンポで挿話されてて、そっちの方が面白かった。(あ、主を食ってるって意味ではいかんのか?私は楽しくとも・・・)
 
 さて、次回の月9は?「西洋骨董洋菓子店」漫画原作もの。春の月9で人気急上昇の藤木直人が、また一味違う役に挑戦しますよ。タッキ-に椎名桔平、困りますね、男前ばっかり。にゃは。


2001年09月16日(日) 「あと1マイル」、「大統領様」

 今、どういう風に世界は動こうとしているのだろうか?
 他人の血が流されて、命をかけて闘っているのに、お金だけの協力しかできないの。と、日本は湾岸戦争のとき対応して、嫌われた。だけど、唯一の被爆国として、「戦争は二度と繰り返してはならない」と主張するそれ自体は悪いと思えない。
 「聖戦」といっても、首謀者と見られる、金持ちのイスラム原理主義者は、犯行を否定する声名を出したと言うが・・・。じゃあ、誰なの。「真珠湾以来」と言われるが、本土にそれも、中枢に、攻撃をしかけられて、民間人の多数の命が奪われて、これはあきらかに、宣戦布告だ、とアメリカは受け止めているらしい。
 文明や、宗教や、根本的に価値観が、命に対する価値観と言うのだろうか、(来世を信じる過激派にとってね)違うから、話し合いといっても、困難を極めるのだろうか。それに、中東というか東ヨーロッパでの争いの歴史が長く、複雑すぎる。

 それにしても、本当にどうなるんだろう。「対岸の火事」とは思えない恐怖におののいているものの、だからと言って、かたずをのんで様子を見守るしかできてないのだけれど、もしくは、考え込みすぎて気分が悪くなるとか・・・だから、下手の横好き、ドラマの話を書こう、そう思っていたのだが・・・だめでござる。

 規模が大きくなる。束ねて国益を上げたり、陣地取りをしなければならぬ。そこへきて、絶対、儲けている人がいる。そういう構造も無きにしも非ずの中。どこへ向かっていくのだろう。

帰り道、というか、ふと、もう、声に出して歌ってしまうフレーズがある。

「『誰があなたに射てと命じたのか そんな風にお前を育てていない』
 母の声がいつも耳に残って僕はいい兵士になれそうもない」


 またもや、さだの歌で恐縮だが、これは、グレープを再結成し、作ったアルバム。時が経ったから「レーズン」というユニット名で、さだが、吉田政美と91年に作ったアルバムに入っている。手元にライナーノートがないので、確実ではないが、湾岸戦争のことを意識しているとは思う。もちろん、あれは、空爆が主で、どちらかというと、内戦そのものや、もう少し前のベトナムなどもイメージされて作詞されているのかもしれない。(また、確認しておきます、っていうか、知ってる人いたら、メールください)

  タイトルが示すとおり、彼女の恋人が「銃弾に斃(たお)れたのは」味方まで1マイルの場所。彼女のプレゼントの「腕時計の日付がその日で停まっていた」。そして、彼からの手紙が彼女に届いたのは、その日から1週間後。「右下がりの懐かしい文字が」上記の、母の言葉を綴ってあった。しかも、彼女がその手紙を読み終えたのは、戦が終わった翌朝。・・・やりきれない。

 「あなたは一体誰の為に 私まで捨てて戦ったのか
  よその国では若者たちが そしらぬ顔で遊んでるのに」

 彼女は、そう歌う。胸が痛む。私は、そちら側にいる。最后の頁に彼女の名前が520綴られていた。私は、この520という数字が、当時コンサートに行ったんだけど、話されたかどうか覚えてない。湾岸戦争で、そういうエピソードがあったんだろうか。どなたかご存知の方、ずっと疑問なんです。教えてくださればさいわいです。
 「あなたの手紙を何度も読み返した あなたの声は聞こえなかった
  最后の頁に520の あなたの愛が刻まれていた」

  そして、鮫島さんとの美しい、コーラスで
 『誰があなたに射てと命じたのか そんな風にお前を育てていない」
 母の声がいつも耳に残って僕はいい兵士になれそうもない」

 くり返される。私はくちづさみながら、涙がこぼれてくる。「いい兵士」ってなんだろう。だけど、誰も本当は「いい兵士」でいたいわけじゃない。任務だからだ。もちろん、闘う事が、愛する誰かを守る事になると信じているのかもしれないが、やられる側にも愛する、守るべき誰かがいるのだ。この歌の、母は、とても強い人だ。

 「ノーブル・イーグル」気高き鷲、という、作戦名までつけられたらしいが、それが本当に、無残にも亡くなってしまった人に報いることなんだろうか。(もちろん、テロ行為そのものは、許されるべきではないのは、誰もがわかっていることだけれど)「ビルの基盤は壊れたが、アメリカの国土は揺るぎもしない。」本当は、一人一人の仕合せが、たくさん集まって、平和が揺るぎもしないんだと考えたりするのだが・・・。

  強い母で思い出した。この歌も中学の時に聞いて(リアルタイムじゃないよ)深く感銘した。忘れられない歌のひとつ。ご存知だろうか?「大統領様」もともとは、フランスの歌で、実は、私の好きな小山卓治というシンガーが、89年にカバーしてアルバムに入れていた。とても誇らしかった。褪せさせない気持ちを感じたから。
徴兵カードをもらった若者が、自分は戦いたくないからと、逃げる、と、大統領に手紙を書いた、という歌詞である。日本語訳は、フォークの重鎮、高石ともやさんだ。

「大統領殿 お暇があれば 読んでほしい この手紙を
 僕は今 戦場へ行く 徴兵カードをもらったところ
 僕は逃げる 戦いたくない 哀れな人を殺したくない
 大統領殿 腹を立てないで 聞いてほしい 僕は逃げる」

父が戦争で昔死んだ。子供は泣いた。女手一つで苦労をした母も今はお墓の中。

「世界中のすべての兄弟 僕は行こう 言って歩こう
 人生を大切にしなさい 僕らはみんな兄弟だ
 血を流すならあなたの血を 猫っかぶりの偉いお方
 僕は逃げる 武器は持っていない
 憲兵達よ 撃つがいい 撃つがいい」


2001年09月13日(木) 友人は無事。〜「最期の夢」2〜

 友人からメールが来た。飛行機には乗っていなかった。出掛けだったようで、取り急ぎ「I am O.K.」というタイトルのメールを送ってくれた。とにかくほっとした。テロがテロを呼ぶというか、昨日も書いたが、暴力を制裁するために暴力をもってすればどうなるのか?心配だから、あの飛行機には乗っていないのを祈りつつ「気をつけて」と書いた。返事は、「今のところここは大丈夫」とあった。
  
  テロリスト側からの犯行声明などはないようだ。電車の乗客が広げる新聞の一面に「戦争勃発か?」の文字。テロに関与しているらしい人物の名前と、彼の関わったとみられる過去のテロのことがテレビのニュースで知らされる。新聞の朝刊ではテロをタリバン派とみた反タリバン派がアフガン内戦を激化させかねない爆撃を行ったと書かれている。不安が憶測を確信に変えて暴挙に出ないとも限らない。恐ろしい。
  
  友人の「今のところ」が気になる。ボストンで、テロに関係すると思われるレンタカーが見つかったという。不安は続く。安否のわからない邦人たちの名前と年齢がテロップで流れる。彼らの肉親、友人たちの不安はこんなものじゃない。実際、そこにいた人の不安も続くだろう。テロップでは流れない、多くの行方不明の人がいる。ほっとした上に不安な私どころではない。

 

  私はここのところ、気分がすぐれなかった。体調が悪かったこともあるが、とにかく落ち込んでいて、気分がふさいで、そんな自分が情なくて。でも、こういう事件がおきると気持ちが二つの方向に行く。とにかく生きている。私はまだ生かされている。落ち込んでる場合じゃない、っていうか、落ち込む余裕があるってこと。もしかして、充分仕合せってこと?もう一つは、私は家族や自分自身を守れるのだろうか。そのくらい強くはないんじゃないか?あ、段々不安になってきた。もしもの時に私はちゃんと私の役目を果たせるだろうか。
 何事もない基本的に平和な社会生活の中で、私にとって重要な問題も、こんな大きな問題が起きると、すごくちっぽけなことなのに。仕合せなはずなのに、悩みにひっかかってるなんて、恥ずかしい。で、また落ち込む・・・。あかんやん!!

  「人は過去を哀しむべきなのだろうか
   それとも忘れ去るべきなのだろうか
   しあわせや不幸せなんて 自分で決めたら良いものなのに」

 どんな宗教を信じているのか、どんな思想をもっているのか、民族がどうだとか、かたくなに固執するのは、勝手だ。だけど、それを人に押し付けたり、それが叶わないと暴力で手に入れようとしたり、力で主張したりして、命を奪うなんてどうかしている。本来、宗教や思想は誰かを救ったり、できるだけたくさんの幸福を目指したりして生まれた物じゃないのですか。テロの実行犯も死んでるし。そんなのどうかしている。どこかで間違っている。操っている人物は、本当にテロで仕合せになれると考えているの?

 「やがて時が来て もしも この人生の最期に
  たった一つだけ過ちを 償わせてくれるというなら
  私はなにを償いたいと願うのだろうか
  もしもその事で誰かの心が救われるとしたら」

 失われた命は帰らない。だけど、残された人は、生き続けなければいけない。テロなんて卑劣な事をやってのける人々は、こんな事を考えたりはしないんだろうか。償いなんて、考えたりしないんだろうか。それとも失われた自分たちの何かの償いを求めて、間違えて報復しているのだろうか。

 この歌自体は、きわめて個人のための歌だと思う。普段は自分に言い聞かせる。「しあわせや不幸せなんて自分で決めたらいいもの」なんだからって。自分で励ます。そして戒める。大きな過ちをしませんようにって。そういう歌なんだけど、そして、昨日書いた友人が無事ですと、書いておかなければ、と思っただけなんだけど、恐怖と憤りが交錯してなんだかわけのわからないことを書いているかもしれない。


2001年09月12日(水) これは現実だ。〜「最期の夢」という歌〜

 11日、「ウソコイ」というドラマの最終回を見ていた。ニュース速報が画面の上に入った。「N.Y.のワールドトレードセンターに航空機が激突し、炎上している。」なんですと?しばらくして、ドラマは中断され、映像が入った。2棟のビルのある部分が無残に崩壊し黒煙をあげている。2棟目に2機目が追突する瞬間が映る。炎が、ビルから突き出るように膨れる。映画を観ているようだと思った。とても不謹慎だけれど。信じがたい、現実とは思えない光景だったから。全く信じがたい。
 新たなニュースが入るまで、ドラマがわけもわからず始まった。私はチャンネルをそのままにしていた。何が起こったのだろう?しばらくしてニュースに突然切り替わる。煙を上げているのは今度はペンタゴンじゃないか!「これはアメリカに対するテロだと認識し捜査する」ブッシュ大統領が声名を出したとういう。慌てて、NHKに切り替える。そのうちにワールドトレードセンターが、崩れ落ちた。そびえ立っていた、ツインビルが消えてしまった。そして白煙が街に、空に広がる。これは映画でもない。アニメでもない。現実だ。
 
12日深夜。現在、アメリカ国内で11機の航空機がハイジャックされ4機が行方不明だという。テロに対し、別のテロが動くのではないかと伝えるものもある。暴力に制裁を与えるために暴力をもってすれば、この世界はどうなるのだろう。

 ワールドトレードセンターに激突したものの1機は、ボストン発だという。友人に電話をした。留守電。それに乗り合わせる事なんて、まさかないと思うけれど。新たなテロが報じられる。中継放送は燃えるペンタゴン、救助活動、N.Y.の街の人の声、伝え続けている。私は恐ろしくて怖くて。こんなことが起きるなんて。どうしてなのかわからない。そして、どうなっていくのかわからない。不安。それが、更に友人の安否を伴ってしまった。まばたきをするのを忘れそうな、息が止まりそうな、たまらない怖さが。
自分に関係する人の命と、知らない人の命と、命の重さは同じだけれど、その人にも繋がる人がいるのだから、だけど、やはり現実には心配度は、全然違ってくる。どうしよう。メールを送った。ボストン発というだけで、大げさな奴と思われようが、心配なんだからしょうがないじゃない。それに、新たなテロとか言ってるし、あちこちで飛行機落ちてるし。車も爆発してるし。早く返事がきますように。失いたくない大切な友達。しかもこんな卑劣なことにまきこまれるなんて、許せない。許せない。許せない。巻き込まれてしまった人には、そんな事が起こるとは夢にも思わなかったに違いない。自分には明日が必ずあると、大抵の時はわけもなく信じているもの。

「本当に大事なものは目に見えないから
 大切な人も失ってから気づくもの」

「やがて時が来て もしも この人生の最期に
 たった一つだけ望みの 夢をみさせてくれるというなら
 あなたの夢が見たいと思う きっとあなたに会いたいと思う」

  これは、さだまさしさんの「最期の夢」という歌の一部。不安で呆然としながら、この歌が、私の中で鳴っていた。
  2000年9月21日に出た「日本架空説」というアルバムのラストに入っている。はじめてコンサートでこの歌を聴いた時、涙がこぼれてきた。会いたい人はたくさんいる。もしも自分の最期を先に知る事が出来たら、私はできるだけたくさんの人に会って、「あなたに会えてよかった。ありがとう。」そう伝えたいと思った。そして安否の知れない友人はそのうちの大切な一人。
 この歌は、すごい命題を投げかけていると思った。色々考えた。事故や、天災、急病、「やがて時がきて」というゆるやかにその時を待てない人は、その一瞬に愛しい人の姿を声を、思い描けるのだろうか、そんな事も考えた。でも、今日のこれは、テロリズム。誰にも誰の時を奪う権利なんてないのに。どうして?

「私はどんな夢が見たいと 願うのだろうか
 もしもその夢で私の生きた意味が解るとしたら」

  一生を懸けた質問になる。さださんもライナーノートに書いていた。その一生を、テロなんかに奪われていいわけがない。事故だって、天災だって、病気だって許せないのに。一人でもたくさんの命が無事でありますように、そしてもうこれ以上やめてください。


2001年09月08日(土) 加藤晴彦くんのこと

 結構、好き。なんでか、いつからか、好きだ。多分、最初はアルペンのCMか?それより前に知ってた気もする。
 彼は、名古屋出身の26歳のタレントさん?俳優さん?どっちのくくりなんだろうかしら?94年に「アリよさらば」というドラマの生徒役でレギュラーをゲットしてから、割合ドラマに出てるんだよねぇ。でも、私の見てないのばっかりなんだよねぇ。唯一「彼女達の時代」、これは、見たくてね、再放送があったから、チェックだぜ!って張り切ってたのに、ほぼ見れなかった。確か、水野美紀ちゃんの頼りな〜い彼氏の役で、最後はちゃんと、彼女の怖いお父さんに結婚宣言しにいくんだけど、途中、行方くらましたりするような、そんな役だったような・・・。

 飲料水のCMね、あれ、好きだよね。今は更に、オリコカードのCMも好きだね。でも、「動物奇想天外!」に出てたって、あんまり番組の方に興味がないので、満里奈さんも好きなんだけど、見てないし。「あいのり」も、見て、ぐっとくる展開の時は続けてみたりするんだけど、すぐまた見なくなるしね。いい子だなぁ、とか思うけど、全番組チェックまでには及ばない。(「あいのり」って、「SMAP×2」直後に番宣が入るんだけど、それが今田耕司のアップからで、スマスマの興がそがれる、って、YOUが、「明石家マンション」で言ったんだよね。「よく言った!そうなのよ!ごめんね、今田君、でも現実はそうなのよ」って思ってたら、次に「あいのり」の番宣、加藤君入りか久本さん入りになってて、笑ってしまった。系列が同じだからできるのね。随分、よろしくてよ(爆)、その方が。)「あいのり」コメント意外に辛口で、其れもまた良し。

 偶然、「徹子の部屋」に出演してる加藤君を見れた。彼がある先生との出会いでスゴク信じる事とかいろんなことの転機になったっていうエピソードを語った時、彼はちょっと涙ぐんでしまった。なんて、いい子なんだ〜とか、また思ったりして。

 2000年4月期の『アナザヘヴン-eclipse-』。これは、大沢たかお、本上まなみ、室井滋のほか、篠井英介、佐藤誓など、出演陣も魅力があったし、物語も不思議そのものだった。すごくカラーの強い色調の画面が、とんでもない勢いでカット割されるので、酔いそうになったけど、気に入ってた。警察マニアの役を加藤くんが、やってたね。結構、役者としても上手いんじゃないか、と思った。

 そして、ついに池谷登場。01年4月期『Love Story』。主演はトヨエツと中山美穂。そこに香取慎吾や優香などが、さりげなく位置付けられ、たわいもない会話が積み重なって(これが、実はツボだったね)そのうち、「本当に素敵なラブストーリーなんて、現実に手に入らないから僕の小説が売れるんです」と言っていた、トヨエツ(恋愛小説家・永瀬)と、中山(編集部の契約社員・美咲)が、晴れて本当の気持ちを見つめあってエンド。

 なんだけどね。この間に、美咲は、2回失恋するんだけど、2人目は、加藤(池谷)なのさ。後輩で(正社員だけど)玄関先に転がってる柴犬みたい、って言ってた池谷だったのに。池谷が美咲の窮地を救ってくれて、2人で打上げて、盛り上がって、歩道橋の上にきた時、突然池谷が叫ぶ。(二人は離れてたからね)「美咲さ〜ん、素敵なキスをしませんか?」「なんだそりゃ」って答える美咲。「昔、書いた小説に、こういうシーンがあった。」「うん、地上、4.7mのキス。」美咲の横にたどり着く、彼は道路の方に顔を向けたまま「そう、それでね、僕たちがキスしてる間に、何台の車が通り過ぎたでしょう、って言うんです。」夢みるように「僕たちの下を?」という美咲。不思議な沈黙の後、池谷は言う「試してみよっか?・・・」
 二人はぎこちなく付き合い始め、初めてのデートに水族館に行くんだけど、このエピもよかったぁ。池谷の別れた彼女から連絡があって美咲はまた振られてしまうのだが、実は、美咲には、永瀬が運命の人だと思って身を引いたように考えたいもっちゃんだったりして。「一家に一台」池谷貢、って感じで、池谷めっちゃ、欲しいです!(ちなみに加藤君は、すっごい中山美穂ファンでずっとドキドキしてたらしい。)

 で、7月から始まった『早乙女タイフーン』。大竹海岸のライフセーバーバイトとして、3年ぶりにカムバックした早乙女太風役。「ベイウォッチ」なんかと比べると、おいおい!って、突っ込みたくなるような大竹海岸の彼ら。イントロは毎回「夏の訪れとともに僕たちは海に出る。海でやる事といえば、ゴミ拾い、監視、パトロール、迷子の世話。たまーーに溺れた人を助けたりして、またゴミ拾い。それでも僕たちは海に出る。期間限定、夏季限定、そんな冷やし中華みたいな僕たちを人は、ライフセーバーと呼ぶ」と、役場の職員役、一色紗英のナレーションで始まる。いいのか・・・。
 「役場が一人死んだら即閉鎖」という条例を作り、リゾート地にしようとしているのは、観光課課長水野の弟(太陽)が3年前溺死したから。それを、タイフーのせいだと恨んでいるから。太陽が一番信頼していたライフセーバーは、タイフーだったというのに。普段は、おちゃめで、はちゃめちゃ、女の子大好き、ナンパ路線のタイフーも一人の女(凪子)を思いつづける、一人の男を敬いつづける、そして何より、海は、全ての人に開かれた最後のパラダイス、海で嫌な思い出を作って欲しくない、と信じている。彼の口癖は「海はラブリーかい?」
 凪子に、太陽と二人の夢だった、プロサーファーとしてL..A.へ行くのを勧め、しかし、凪子に想いを伝えに駅に走った朝、実は凪子は海に挨拶してから行くね、と同じく凪子を想う嵐に伝えて入り、帰らぬ人となる。「一人死んだ」わけだ。しかもそれが、タイフーの人生を変えた、大いなる存在凪子。大竹海岸を守るため、タイフーたちの闘いはどうなる?来週最終回!!

 いいのか、こんなおちゃらけで、こんな、物語の展開重視で、監視に穴がありすぎるライフセーバー、描いてて。でも、ゲストで、本物のライフセーバー出てるし・・・。タイフーの、加藤晴彦の「気持ち」「心意気」みたいなものは、充分伝わってきて、かなり、お気に入りのドラマになってしまいました。いいね、加藤晴彦!!


2001年09月02日(日) 「星のかけらを探しに行こう」〜ビリー思い出したよ・・・

 山崎まさよし所属事務所、オーガスタの夏のイベントサマーキャンプ。今年はまさやんの地元、山口県防府市で7月28日に開催された。(それまでも、全国数箇所まわってる)その模様が、8月29日にBSで、放送された。はっきりいって、まさやん一人のイベントではなくて、オーガスタファミリーのイベント、夏祭りの様をていしているのに、放送時間1時間強は短すぎる。(3回目の今年からファミリーイベントになったようで、1、2回目は、まさやんのイベントゲストだったらしい)

 私は、特にまさやんファンではないが、とても大切な友達がまさやんに心酔している。最初まさやんを聴いた時、「この人って、佐野元春、好きなん?なんか、重なるわぁ」って、どっちかというと敬遠していた。そうこうしているうちに、まさやんは、まさやんの道をゆき、すっかりたくさんの人に愛されるミュージシャンになっていた。その後、その友達が突然どっぷりまさやん沼にはまったので、私も時々テレビに出ているとチェックするようになった。それで、去年かなぁ、一昨年かなぁ、オーガスタキャンプも見るようになった。

 同じ事務所の仲間。スガシカオ、若手コイル、そして、今年は大発掘者かも、沖縄民謡をやっていたという、元(はじめ)ちとせちゃんという新人も出ていた。そして、姉貴的存在、杏子!!!バービーボーイズの頃の杏子もセクシーだったけど、この頃の杏子は、セクシーさにキュートさが加わっている。すっごい素敵な女性だ。なんか、ちょっとがらっぱちそうで、好き。

 彼女の「星のかけらを探しに行こう」は、ファミリーみんなで歌うようだ。今年は、リードはずっと杏子がとって、シカオちゃんたちはバックボーカルにまわっていた。でも、みんな、とてもリラックスしていて楽しそうだった。(ちなみに「福耳:杏子・まさやん・シカオ」で歌う時はタイトルの最後にagainがつくそうです)

 ♪今宵、星のかけらを探しに行こう、船はもう銀河に浮かんでる
  願い忘れた事があったから、もう一度、向かい合わせで恋しよう♪
 からはじまる。メロディもとても優しい。一度は付き合って別れた二人が、何かのきっかけで再び出会い、もう一度、今度はすれ違わないように、きちんと向かい合って恋しよう。いい曲じゃないですか?

 ♪はじめての出逢いみたいね、こんなにときめいてる♪
 ♪きっと近すぎて、遠すぎて、少しずつ見えなくなった
  だけど今、素直になれる気がする♪

 このあたりから、もうすぐ「アリーmyラブ」が始まるせいか、私はビリーとアリーを思い出し始めた。
 ♪話し足りない事があったから、もう一度向かい合わせで恋しよう♪

 再会した時、すでにビリーは結婚していた。ビリーにとって、最上と思える女性と。アリーのショックは相当だった。でも、エピソードが進むに連れ、彼女達の恋愛未満親友以上みたいな関係は、とてもスペシャルで、この世に他には比べる事が出来ないくらいの仲なんじゃない?って、恋愛ベースに考えると辛いけど、一種、羨ましくもあったりして・・・そして、ビリーが・・・

 ♪こうしてめぐり逢ったこと、偶然じゃないかもね
  運命の導きを信じてみたくなる
  ずっと側にいる、愛してる、君だけを感じていたい
  誰よりも大切だってわかった・・・♪

 3rdシーズンは色々あるけど、あぁ、2ndシーズンにもアリーには知りたくない発言もあったけど、なんかねぇ、4thどうなるのかなぁ、と思いつつ。アリーとビリーの関係が好きだったので、なんだか、久しぶりにしんみりしちゃったさ。いや、しんみりっていうより、ジョージアごめん!と、上の歌詞は、ビリーからアリーのもの、って思って、ちょっとやっぱり、「話し足りないこと」があって、神様が再会を用意してくれたような気がする。そして、ラストフレーズ、ビリーは今はそれができる。

 元ちとせちゃんは、まさやんの「名前のない鳥」を歌った。♪裏切られるよりは彷徨う方がいい♪♪誰かが、全部、幻だと教えてくれたら、私はどこへ行くだろう♪♪願うのはただ愛しい人の胸で眠りたい♪すごい、沖縄民謡のこぶしがまわってんねんけど、めっちゃ、アリー〜〜とか、思ってしまった。彼女の声いいわぁ。
 
 さ、明日から、2ndシーズン集中再放送よ!!


もっちゃん |M@IL( ^-^)_ヲタ""日常こんな劇場( ^-^)_旦""

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