speak like a...child

 

 

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deep river+ - 2002年09月30日(月)

昨日は朝9時からサークルのソフトボール大会に駆り出され、
3打数2安打(レフト前1、内野安打1)を放った3番左翼手nutsとはオレのこと。
夏休み中のバッティングセンターの成果が現れてるらしい。
ただ、出塁した直後に1塁から一気にホームまで生還したら
息が切れたし、平凡な外野フライも取れなかった。失策1。
イチローはなんてすごいんだと思うわけで。ペプシでも飲むか。

今日はようやく学会帰りのエイジさんを捕獲。
工学部の院に行くよん♪と報告したら笑ってた。
関係書類に一筆お願いして、明日受け取ることに。
ようやく期日に間に合うメドがついたので一安心。

宇多田のDVD【UH3】を買った。
カウアイ島ってどこだろう。きれいだな。
って思ったらハワイ諸島か。
海外行きたいな。

GONTITIのCDを貸したら「ゴン父」というタイトルでメールが来たので
「ごん乳」って返信してやったら返事が来ない。
また、あれか。オレが悪いのか。

夕方にエド君から電話があった。
「まだ生きてたの?」
第一声はいつもこんなもん。
最近は職場からの私用電話もかけてこないし忙しいんだろうなと思ってたら
先週の水曜から家に帰れず、睡眠は平均2時間だったそうで。
恐るべし、業界人。

まだ死んでくれるなよ。
オレに止めを刺すのはオマエの役目なんだから。


September 〜 其之参 七年制大学 - 2002年09月29日(日)

院試初日。
専門がないオレは午後からの試験だった。

【数学】
・線形代数学
・微分積分学
・微分方程式
・ベクトル解析

「・・・の中から2題を選んで解答せよ。」

オイ、コラ。
そういうことは早く言え。
1時間だから3題選択かと思ったら2題とは。

結局、3(微分方程式)と4(線形代数学)が解き易そうだったのでその2題を選択。
決して、1(微分積分学)のテーラー展開をド忘れしたとか、
2(ベクトル解析)のGaussの発散定理を知らなかったからというわけではない。

1時間の制限時間いっぱいで解答完了。
出来にはかなり満足だった。

【英語】
英語に関しては何もやっていない。
まあ、なんつーか、やってもやらなくても変わらないので。
オレの英語力は中3のころのまんまなんだよね。

全英訳と全和訳。知らない単語はテキトーに訳して書きまくったった。


これで初日終わるかと思いきや、志望専攻調査なるものがあった。
予想はしていたが、用紙を配って2日目に回収だと踏んでいたのに、
即提出せよとは。油断してた。
第2、第3志望については一応考えていたものの、
帰ってから詳しく調べるつもりだったので判断材料が手元にない。

というわけで第1志望のみ書いて提出。

迷ったときは動かないというのはオレの鉄則であるし、
だいたい高校受験も大学受験も第2志望を書かないでやってきたので
今回もそれを貫くのがいいかなと思ったんだ。
だいたい一年余計にやらせてもらってるのに
「希望しないとこに配属されました」じゃ親に会わせる顔がないし。


院試2日目は小論文。
内容は次のトピックスから2題選んで、指定された4つのキーワードを
文中に用いながら意見をまとめよというもの。

小論文は事前に何を勉強したらいいか分からなかったので、
夏の勉強の合間に知的財産権に関する本を一冊だけ読んでおいた。
案の定、それに関する出題があったのでまずは一問を全力で書き上げる。
もう一問は書けそうなものを選んで適当にやってみるが、あまりうまくまとまらなかった。


院試3日目は面接。
だいたいの合否は2日目までの筆記試験の内容で決まっている。
英語と数学に関しては不安はなかったが、小論文については
どう点数化して他の奴らの専門試験と比較するのかが疑問だった。

工学部の面接にはキーワードがある。

「ここを落ちたらどうしますか?」

内部生はこれを聞かれたら十中八九落ちている。
昨年、アビはそれでも受かったが、受験生にとっては恐怖の質問である。
面接はとにかくそれを聞かれないように祈るだけだ。

オレの順番が来る。

「失礼します。」

教授が8人くらい並んでいた。
普通は試験の出来はどうだったかとか聞かれるものなのだが、
オレの場合はまず数学科出身がすごく異色だと言われた。
そして志望動機を聞かれて、数学科で何を学んだか、それをここでどう生かすか、
どんな技術に興味があるか、物造りに興味はあるか、実験とかは大丈夫か、
本当に違う学部に来てやっていけるかなど厳しい質問ばかりだった。
つーか、ホントに面接は苦手である。
すみません、今思い浮かびませんを2度ばかり使ったろうか。
ダメダメな受験生だね。

あと、志望調査で第1志望しか書かれていないことも念を押された。
心の中ではどこでもいいから入れてくれと思ってたんだけどね。

「あと、念のため聞くけど、もしここを落ちたらどうしますか?」

全身の血の気が引いた。
吉本ばりに椅子から転げ落ちるわけにもいかないし、
まさか卒倒するわけにもいかないので「就職します。」とだけ答えた。

終わったかな。
なんつーか、短い夏だったな、と。





そう思ってたわけなんだけど、結果は11日の通りで。
どうやら外部生はみんなに聞くんだと、あれ。
勘弁してくださいよ、もー。

ちなみに内部生はたいがい自分の研究室を志望するので当然合否は教授が知っている。
発表の日まで漏らすわけにはいかないんだけど、それとなく雰囲気で分かるんだって。
どこの研究室も院試が終わった日に慰労会があって、酒の席で教授に呼ばれて
「明日の午前中に研究室に来るように。」って言われたらアウト。
落ちてたら今後の身の振り方考えないといけないからね、
一週間も発表待つよりは早いほうがいいんだろうけど、
酒ぐらい安らかに飲ませてほしいもんだよね。


終わってみて思うことは何かあっけなかったなと。
そういや大学受験のときもそうだったな。
ちゃんと勉強したときに限ってそういうもんなのかもな。
去年の院試のときは勉強してても全然充実感なかったし。

ふと思うのは、大学は7年かかるんかなーってこと。

自分は理系だったから大学入ったときから院に行くのが普通だっていう
風潮がすでにあって、少し違和感を覚えながらも特に自分で何もしなかった。
そして壁にぶち当たって今年一年を自分を見つめ直すために費やすこととなった。
最初はその時間がすごく後ろめたいように感じられたんだけど、
結果的に自分にはうまく作用したし必要だったと思っている。

周囲を見ると、たいがい大学に入る前に一浪してるか、
入ってから留年、もしくはオレみたいに卒業して浪人してる。
とすると、みんなどこかで一年必要なのかなって思うんだ。

もちろんちゃんと4年や6年で卒業していく人もいるよ。
そういう人は学業の一方で自分を見つめることを怠らない人、
多忙に流されてしまわない自律している人なんだろうな。
中にはそうじゃない人や、何故かすんなり行ってしまって
疑問に感じてる人や迷いが生じている人もいるみたいだけどね。
その人もいずれどこかで立ち止まることになるんだろう。
それが一瞬なのか一年になるかは人それぞれで。


オレの2002年度は分厚いなぁ。
まだ半年も残ってるや。

誰に出会うかな。
何が起こるかな。


今日、ジュンと飲んだ酒はうまかったねぇ♪


September 〜 其之弐 院試に向けて - 2002年09月28日(土)

7月末、受験の準備に入った。期間は8月の一ヶ月間。

幸運にも工学系専門試験は工学系学科出身者のみとなり、
それ以外の者は小論文に差し替えられた。
正直なところ一ヶ月で工学部の専門を一から始めて
試験レベルにまで引き上げるのは厳しい話である。
たまにそういう壁を乗り越えて合格する人もいるが、
その気なら2,3ヶ月かそれ以上前から準備が必要なのだ。

試験科目は数学(1時間)、英語(1時間)、小論文(3時間)となった。

問題は数学。
数学科出身なんだから数学くらい軽く解けるだろうというのは
間違いである。オレにとって。(小声)
数学科の数学と工学部の数学は別物なのだ。
同じ単元を履修していてもその内容はかなり異なる。

試験範囲とそれに対するオレの評価は以下の通り。

・線形代数学・・・必修なのに落として留年しかけた。(苦)
・微分積分学・・・問題の種類にもよるが可もなく不可ばかり。(汗)
・微分方程式・・・Picard逐次近似なんとかって単語が思い浮かぶだけ。(忘)
・ベクトル解析・・・Hessianって単語が思い浮かぶだけ。(無知)

後ろの2つがどう見ても心もとないのは担当教官がカリキュラムを
間違えたせいもある。単元を取り違えた挙げ句、
15回のうち7,8回だけの講義とレポートで浮いたからだ。
残りの大部分はオレの不勉強なのだが。

要するアレだ。全部一からやり直せと。

工学部の数学をやるにゃ何を勉強したらいいか同期に尋ねたら、
この4冊をやりゃ受かると言われた。

「演習 線形代数学」
「演習 微分積分学」
「演習 微分方程式」
「演習 ベクトル解析」

・・・そのまんまやんけ。
つーか、4冊並べたらすごい厚さだな、これ。
そりゃ全部やったらどごさでも受がるべや。

「4冊か。一ヶ月あるから一週間で一殺、もとい一冊でいいよな?」
「いや、過去問もやらんといけんけぇ、十日で二冊くらいやらんといけんよ。」

オイ。
Tシャツにハーフパンツにサンダルの涼しげな格好して
全身から汗が吹き出るようなことをサラッとぬかすな。
ただでさえうだるように暑い夏なのに。
でも迷ってても仕方ない。
時間もないことだし、今はこの広島県人を信じるしかないべ。
やるか。

8月は図書館が24時間営業になる。半強制的に。
夏休み中なので午後5時で閉まるのだが、一度退館させられたあとに、
各研究室に備えられたカードキーで無理矢理侵入して朝まで居座るからだ。
職員もあきれ果てる夏の風物詩である。
なんで図書館かというと一応冷房(かなり弱め)は入るし、
調べたいときに蔵書はあるし、それ以外に気を散らすものは何もない、
あと朝から夜は19時半まで学食が開いてるからだ。
24時間勉強するだけあってヤツらの気合いの入り方は尋常でない。
腱鞘炎を起こして右手に湿布しながらやっているヤツがいるほどだ。

「マズイ、出遅れたな。」
そんな後悔してる暇があったら問題を解けってさ。

オレは図書館が苦手なので、とある計算機室を借りて(もちろん無断使用)勉強した。
激しく冷房が効く部屋で快適だったし、しょっちゅう屋上に出ては夕陽や街の灯りを眺めていた。
昼出勤、夜中帰宅という生活サイクルの中で、たまに同期とバッティングセンターに行ったり、
ファミレスに行ったりしながら、8月を終えた。

よく集中したと思う。オレにしては。
量もこなしたし、結構満足の行く一ヶ月だった。

「これで落ちても得るものはあるよ。」

そう語りかける自分は逃げとか妥協とは違うと思うが、
それで納得しない人がいることの存在に支えられて
さらに一歩を踏み出す力を得た。


September 〜 其之壱 2002年度上半期 - 2002年09月27日(金)

今年度上半期の総括や院試についての所感を三日連続で綴りたいと思います。
大学についての記述になりますので嫌いな人は読まない方がいいでしょうし、
むしろ進路に悩む高校生や大学生の参考になるのであれば幸いかと存じます。




3月に大学を卒業し、4月からは科目等履修生という苦肉の策を講じたオレ。
メンドイので人には研究生って答えてるけど、微妙に違うんだよね。
とりあえず中学の教員免許を取得するっていう大義名分のもと、
一年間仙台にいることになったけど、その先は何も見えてなかった。

ちなみに高校の教員免許(一種・数学)は取れてるんだけど、
オレの年代から中学の免許取るには特殊な実習が課されててね。
学部時代はその暇がなかったのだよ。
秋田にも中高一貫の学校が設立されたりして、
取れるうちに取っておこうかなと思ったんだ。

それから7月半ばまでいろいろ考えてたんだけど、
やっぱりもうちょいどこかで勉強しようと思い始めた。
学部時代は大して勉強してなかったし、
就職したら今以上に自分の枠が広がる機会もない。
このままバカなままで人生終わりたくない、
そう思うようになった。

実は学部時代に興味があった分野があった。
金融工学やファイナンス、デリバティヴ、トレーダー、資産運用、etc。
要するに市場に活きる数学なんだけど、
そういうのはたいがい証券会社や保険会社、銀行に就職してからの話で、
純粋数学がメインの理学部数学科ではあまり扱う分野じゃなかった。
一時、保険会社に行ってアクチュアリーをやりたいとも考えたんだけど、
親にさんざんけなされて頓挫。まあ、諦めたのはオレなんだけど。

そんでだ。
そういった分野ができるとこないかなと思って探したらちょいと関東の方にあった。
他大か。
不安もあったし、新天地に活路を見いだすのもいいかなとも思った。
幸い試験時期が遅いので考える時間は十分にある。

そうこうしてるうちにうちの大学の院試の締め切りが近づいてきた。
とりあえずどこか受けてみよっかなと思ってもらってあった要項を見る。
理学研究科、工学研究科、情報科学研究科、
この3つは試験日が重なっていたりするので受けるとしてもどこか一つ。
今さら水の合わない理学研究科(数学)を再び受ける気はないし、
工学の機械か電子あたりもおもしろいかなと思ってた。

そんな感じで要項を眺めていたら工学研究科に見慣れない専攻があった。

なんだこれ? 新設?

去年も工学研究科を受けようとして要項を見ていたので
まさか最後の項目に新設の専攻があるなんて思わなかった。
一ヶ月くらい要項持っていたのにすっかり見落としていた。

研究内容のページを開く。

「金融・・・ファイナンス・・・資本戦略・・・ベンチャー・・・」

オレの興味をそそる単語が並んでいる。
そしてもう一つ。

「知的財産権」

実は4月からの3ヶ月あまりただゴロゴロしていたわけじゃなかった。
時折、就職説明会などに出向いたりもしていて、
その中で特許事務所の話に若干ひかれていた。

先日はDVDの技法を巡って日本の企業が中国の複数企業を訴えたばかりだったし、
青色発光ダイオードを発明した中村教授への報奨金がたった2万円だったなんていうのも
特許権に関するトピックスとして有名なところだ。

これやりてぇ。
ここ行きてぇ。

風が吹いている気がした。
やっと時間が動き出す気がした。

それはずっとそこにあった。
ただ自分が出会うか否か。
それこそが邂逅の妙。


そしてオレは出会った。


40 LICKS - 2002年09月26日(木)

よく苗字を間違えられる。
3通りくらいの読み方があるので仕方ないことだが、
銀行や病院で名前を呼ばれても気付かないことがよくある。

今日は学生証の証明写真を撮りに写真屋へ行った。
「お名前は?」と聞かれたので苗字を答えると
「草冠の方ですか?」と聞かれた。
実際、この読み方で竹冠の人はいないと思うのだが、
それでもちゃんと気を配って聞いてくれるだけありがたい。

ところでオレはこの写真でもう2年過ごさないといけないのか?
証明写真なのに口が半開きって、オイ。


CDを買いに行ったらストーンズのベストが出ていたのでビツクリした。
すっかり忘れていた。
なにやら特典が付くというのでHMVに行って買った。

ストーンズはアルバムで聴かせるバンドだと思う。
彼らほどベストが無意味なバンドもないんじゃねーか?
ストーンズは中学のころから聴き始め、まだ30枚くらいしか持ってないが
今回のベストに収録されている曲は当然全部持っている。

話は変わって。
男性は古くに鍵付き貞操帯なんてものを作って女性を縛ったが、
女性は男性の浮気を確かめるために精液を見るんだと。
十分な量と濃さと、あと何回モツかとかね。
それだったら隠れて一人でヤるのは禁止なんか?と思うが、
ま、そういう方法もあるってことで。

んで、何が言いたいかというと、だ。

オリジナルのアルバムを作ろうと主張したKiethとベスト盤にしようと言ったMick。
結局新曲を4曲入れたベスト盤って折衷案で落ち着いたアルバムがこれ。

ふざけんな。

Mickが去年のソロアルバムに力を入れたがために
ストーンズとしての種、もといネタに尽きたのが一目瞭然じゃねーか。

Mickを世の中の普通の男と一緒にするつもりはねぇ。
ただ、浮気はしてもいいからこっちでも精力を切らすな。
アンタにゃ常に絶倫でいてもらわなきゃ困るんだ。
それができなくなったら解散するときなんじゃねぇかって思う。
40年の歴史やナイトの称号なんてどうでもいい。
今、この瞬間にRock'n'rollができなくなったら終わりなんだ。

何とか言ってやってくれよCharlie。

ストーンズ欠乏症のオレらをこんなんでごまかしやがって。
すんげー腹立たしいので来春の東京公演行っちゃうゼ。
2回とも行く気マンマンだぜ。
また生でyeah!yeah! yeah!fooh!ってヤリてぇゼ。

ライブは愉しませてくれよな。
それまでは手淫も禁止だぜ。



君が咲く花の都 - 2002年09月25日(水)

AM7時。
目が覚めると弦の顔が目の前にあってびびる。
まあ、それはいつものことなので慣れているが、
寝てる部屋がいつもと違うことに気付いてまたびびる。
デザインの良い照明と花柄の壁紙。窓に格子。
そういや東京に来たんだった。

昨夜着いたのは深夜0時半。
高速を降りてから町中をひた走り日野市まで。
栃木のあたりでは持ってきたgunsとprinceでゴキゲンだったし、
東京に入ってからはMR.BIGの“終焉”を爆音で鳴らしてた。
かなり近所迷惑な大学院生(24)と大学生(22)とプー(23)。
弦宅に着くなり乾杯してオレは2杯でダウンした。

なぜか朝は早く起きてしまい、廊下に出てガラス越しに見えた妹にピースする。
次いで顔を洗って親父さんに挨拶する。弟もチラッと見れたし満足。
そして朝飯食ってまた寝る。

昼過ぎになってようやく活動を開始。
シュンのアパートまで行って車を置いてから新宿に出て遊ぶ。

夜になって一杯だけ飲んで、追いすがるシュンと妹を振りほどきつつ東京駅へ。
せっかく来たんだからもっと遊んでいきたい気もするが、
なにせ書類を出さないと来年もプーになってしまうので泣く泣く帰ることにする。

とりあえずエドの安否を確認し、
かえるに軽くあしらわれる恋文を送りつけ、
よ〜こに東京滞在を主張してみる。

連絡したのはこんだけ。
今かなり会いたかったミトさんには連絡せず。
予定外の行動に出るとアクシデントが痛いので今回は我慢。

仙台行きの最終は21:32。

ってか、一泊て何さ?


そう言えば、新宿から東京に向かう間、
何故か切なくなって頭の中を駆け巡ったフレーズ。
その断片をつなぎ合わせリフレインしていた。

 最終電車で君にさようなら・・・
 東京へはもう何度も行きましたね・・・


それでも23歳です。
サバ読んでるとか言わないでください。


319 - 2002年09月24日(火)

街へ行って焼き増しの注文をしてくる。
現像した写真を見てみると同じ箇所に黒い斑点が見える。
どうやらカメラがおかしいらしい。
前々から気になってはいたのだが。
高3の京都IHのときに買ったカメラなのでそろそろ新調しようか。
デジカメも欲しいのだが普通のカメラも欲しい。

学校に行く用事があったが昼時は教務が開いてないので
とりあえず角五郎に寄ってみる。
合宿から帰ってきているはずだと思ってドアを開けると
腐乱死体が3つ転がっていた。
つーか、シュンがいる。これは予想外。
なんだい、那須からこっちまで引っ張られてきたってのかい。

シュンとは6月のワールドカップ以来。
せっかくだからいろいろ話そうと思ったら今晩帰るとか言う。
なら、学校の用事を後回しにしてしばらく居座るとするか。

また一人変なのが増えて昼食にする。
この4mってなによって聞いたオマエはその間の悪さが素晴らしい。

マッシュ宅で話しているうちに夕方になり、
シュンが帰ると言いだしたが、その場の勢いで弦も一緒に帰ることに。
そして何故かオレも連れて行かれることに。

勢いって素晴らしい。
学生って素晴らしい。

当初の用事を済ませるべく急いで学校に行く。
しかしエイジは不在。
事務室で聞いてみると島根で学会だとか。
日本にいてくれて助かった。
来週には何とかなりそうだ。

部屋に戻って荷物を詰めてCDを何枚か持つ。
午後6時、シュンの愛車に拉致されて一路東京へ。


Cloudy Tower - 2002年09月23日(月)

来客のせいもあってあまり部屋が片づかない。
膨大な書類の山もどうにかしたいものだ。

今日は一日ゴロゴロしてようかと思ったが、
カメラのフィルムが残り2枚だったので
無理矢理愛車を撮影して現像に出してきた。

相変わらず愛車はけたたましい音を奏でる。
マフラーに穴が空いてしまっているので明日には修理しよう。

原チャで走っているときが一番文章が思い浮かぶ気がする。
あまり誉められた習慣ではないのだろうけど、とにかくそうだ。

e-beansに行って1階でぴあをチェックする。
ハタハタロックのチケットを買うのをすっかり忘れていた。

3階で薬屋に寄ってパイポと湿布を買う。
最近パイポにはまってるが、みっともないからやめなさいと言われた。

4階の楽器屋にも寄る。アップライトのベースやスティングレイ、
ジャズベース、ストラト、テレキャス、アルトサックス、etc...
欲しいものを挙げたらきりがない。
楽譜を見て後にする。

6階から上は書店。
村上春樹の新書が出てるなと思いつつ買わない。
いずれ読む。
今は買わない。
結局漫画を3冊買って帰る。

オレはとことん活字が苦手で、語彙力に乏しいのは明らかに本を読まないせいだ。
とにかく昔から漫画くらいしか読まなかったので今になって少し後悔している。
今年の始め、狂ったように20冊くらい読み漁ったがそれっきりだ。
今も手を付けてない本が5冊くらい転がっている。

こうして定期的に文章を書いているのは自分への戒めであるようにも思う。


【更新連絡】
19、20、21日の日記を追加しますた。
一気に書いたからあんま推敲してない。
リンクタグはメンドイからや〜めた。


タダイモ。 - 2002年09月22日(日)

一週間ばかり滞在した秋田ではいろいろと楽しいことがありました。
思えば、実家にいる間、悲しいことに出くわさないで過ごすというのは、
かなり珍しい気がします。
もしくは僕が忘れているだけなのかもしれません。

滞在中の出来事については後ほどゆっくり綴るとしましょう。
更新したらちゃんと報せますので無闇に時逆さんに頼らなくともよいですよ。

たった一週間でもアパートを空けていると
完全に日常に戻る作業というのはけっこう面倒なものです。

PCもその一つ。

まず、携帯に送られるメールは常にPCにも転送されるため
その仕分けに手間がかかるんです。
さすがに実家に帰るとなると仙台の友人に不在連絡をして、
秋田の友人に遊ぼうと連絡するのでやりとりが増えます。
あと、予定のない夜はCDもPCもない部屋で暇しているので
意味もなくメールを送ってみたりするわけです。
んで、帰ってきたら一週間でたまったメールは200通。
エセ几帳面な僕はこれをいちいちフォルダに振り分けるわけです。

My登録している皆さんの日記も先ほどざっと読んでみました。
こういうときに限って毎日更新してらっしゃる方がうらめしくなります。
普段は楽しみにしてるときになかなか書かないくせにー。ぶー。

徐々に元のリズムに戻るとします。
メール、更新はそのうちに。


納豆×オムレツ - 2002年09月21日(土)

ミズイと二人で松島へ行った。
安芸の宮島、天橋立と並ぶ日本三景の一つ。
オレはまだ松島にしか行ったことがない。

良い天気だった。
好天の松島に訪れるのは初めてな気がする。
三連休ということで観光客で賑わっていた。

松島海岸駅に着いてすぐ昼食にした。
ウニと牡蠣を食べた。
ミズイは前回来たとき生牡蠣にあたったと言う。
オレは臆病だからまだ牡蠣を生で食したことがない。
宮島に行ったら広島の牡蠣を食ってみたい。

昼食後は瑞巌寺、五大堂を見て遊覧船に乗った。
お決まりのコースだが、松島に来たら遊覧船に乗ることをオススメする。
ジッと座って案内を聞きながら島を眺めるのではない。
デッキに出て100円のかっぱえびせんを買って群がるカモメに投げつけるのだ。
カモメはうまい具合に空中でキャッチするし、手に持って伸ばしていれば啄んでいく。
オレは一度指をかまれたことがあるが、これがすごく楽しいのだ。
島巡りの風情なんてあったもんじゃないが。

遊覧船のあとは湾内をひたすら歩いた。
天気が悪ければここらへんで切り上げようか、なんてことになるのだが、
飽きもせずに隅々まで行ってしまった。

そしてそのうちに歩き疲れて帰宅。
二人とも九時には泥のように眠りに就いた。


昨日も書いたが文系の院に外部から入るというのは容易なことではない。
だからミズイが来年仙台に来る確率はかなり低いのかもしれないし、
本人もあまり良くなかったよと言うくらいだから期待しないで待っておこう。
でも、こいつが来れば剣道もできるしバンドも組めるかもしれない。
そう考えると期待せずにはいられないのだ。

そのうち岡山に遊びに行こう。


ペペロンチーノ×ゴーヤチャンプルー - 2002年09月20日(金)

岡山からミズイが来るというのでそれに合わせて仙台へ戻った。

ミズイは先月に一度、研究室見学で仙台を訪れ、この木・金曜が院試であった。
オレも学部を移ったのである意味外部扱いだったが、
文系で完全に他大から受けるとなると、その門は極めて狭い。

うちに来たミズイはひどく浮かない顔をしている。
どうやら面接で相当やられたようだ。オレも覚えがある。
要するに口頭試問は学術的に深く追求する一方で、
圧迫面接の要素もかなり含まれているので
オレやミズイが最も苦手とするところなのだ。
だからその精神的な疲弊ぶりはよく分かる。

ホヅミを呼んでうちで夕食にした。
何から何までホヅミが作ってくれてすごくうまかった。

・・・嫁にしてぇ。

最近になってホヅミに対する誤解がいろいろ解けた気がする。
この子は純粋なのだ。危なすぎるほどに。
あの頃のオレはそれを理解するには幼すぎた。
今こうして欠片を埋める機会が得られたことを幸運に思う。
人の巡り合わせとは奇妙であり美しくもあり。

腹一杯食いすぎたせいか、程なくして寝に入ってしまった。
布団にくるまったホヅミが口を開けて寝ている。
しばしミズイと話していると突然会話に参加してきていつの間にかまた寝ている。
そんな繰り返しのうちにオレもミズイも眠くなって灯りを消した。


5トン貨物 - 2002年09月19日(木)

学校帰りの女子高生を拉致して遊びに行ってきた。
(これって仙台だったら条例違反なんだろうか・・・)

まず下新城にある県立大の秋田キャンパスに行ってみた。
新しい大学というのは当然きれいだし、デザインもけっこう凝っている。
安くて広い土地を探してゆったり目に造るので散歩には丁度いいのだ。
秋田の県立大は初めて訪れたが、予想通り何もない場所だった。
いかにも整備されたばかりの石畳と芝生が爽やかで、
これも新築大学の定番である変なオブジェが期待を裏切らない出来映えだった。

大学の案内図を探して、図書館のある建物に入った。
途中、教員か職員らしき人に怪訝そうに見られたが、
なんか聞かれたら見学に来ましたと言えばいい。
連れはじきに受験生だし、オレにしたってつい十日前までは
進路も決まってなくて行き先を探していたんだから。

何か飲み物が欲しくなったので生協か食堂を探したが見つからず。
仕方なく講義棟に入ってみた。新築の香りがする。
まだあまり手の加えられていない無機質な空間。

棟を二つほど移って食堂を発見。
カフェテリアと書いているが休みだった。
その先に売店があったので飲み物とお菓子を買った。

何人か学生とすれ違った。
ああ、これがこの大学の学生なんだと思った。
別に否定的に捉えているわけじゃなく純粋な感想として。

当然のことだが、大学は学生あってのものである。
大学の雰囲気や実績、その他全てを作り出すのは学生なのだ。
大学を知りたい場合は要項やネットなんかで見ていても何の足しにもならない。
その大学に行って学生や教官に触れるのが一番なのだ。
これまで五つか六つほど同じように大学に侵入してきてそう思う。

そろそろ出ようかというときに回転式の自動ドアに出くわした。
粉チーズのふたみたいなアレだ。
入ろうとしたら直前で停止し、入ったと思ったらまた停まった。
そして案の定閉じこめられるオレ。

県立大恐るべし。

そんなバカをやりつつ大学を後にする。

次に向かった先は秋田マリーナ。
要するに港っつーか、埠頭っつーか。
ヨットやクルーザーなんかが停泊してるとこ。

小高い丘の椅子に座って夕陽を眺める。
今にも沈みそうな赤々と燃える夕陽。

高校のころ、帰り道から見える夕陽がとても好きだった。
夕陽が見える時間に帰られるというだけで幸せだった。

高校生は若い。
いつしかオレは確実に歳をとり、昔を語るようになっていた。

君もまだ若い。
もう少しだけ、無茶を重ねる君を見ていたい気がする。


夕陽は水平線に吸い込まれる前に雲に覆われすっかり薄暗くなった。
丘の斜面を一気に駆け下りる。
そして気付く。

斜面の先が地面とつながってない!

焦るオレ。
この間、コンマ2秒くらい。

そして跳ぶ。

アスファルトに着地。
膝が吹っ飛びそうな荷重を受ける。

振り返って見ると斜面から地面まで80cmくらいの段差があった。
下りで加速していたから下手するとケガしてたろうな。
無茶を重ねるのはオレか。

秋田マリーナ恐るべし。


こうして書くと秋田にゃ危険がいっぱいって感じもするけど、
ほのぼのしてていいもんです。

次は誰とどこへ行こうか?


〔kaen〕 - 2002年09月16日(月)




留守にします。 - 2002年09月13日(金)

む。

何を書こうか。

最近筆が進まないんです。
筆じゃなくてKeyなんでしょうけど。

何度も中断したせいなのかな。
山にこもりっぱなしで感性が磨かれていないからなのかな。

何か浮かんでもうまくまとまらないのですよ。
困りました。

いや、自分勝手に書いてるだけなんだから、
書けないなら休めばいいんだろうけど、
どうも固執してしまう傾向にありまして。

いけませんねぇ。

そうこう言ってるうちに
またお休みしなくてはなりません。

一週間ほどです。

ごきげんよう。


Let It Breed - 2002年09月12日(木)

こういうのはね、好きになった方が負けなんだよ。

そう言われて妙に納得してしまう。
勝者なんてどこにもいやしないのに、
その不整合性を感覚的に理解できてしまう自分は自らを憂うべきか、否か。
物分かりだけ良くなったふりをしている愚者を呪うべきか、否か。

何と言われようとも変わることなどない。
僕はただ、僕なのだから。


MOST of me - 2002年09月11日(水)

掲示板に貼られた紙の中から特定の番号を探す作業というのは
何度経験しても気持ちの良いものではない。

T029・・・T029・・・T029・・・あった!

真っ先に探したのは友人の番号。
この夏を共に過ごした大切な仲間。
九分九厘受かっているであろう彼の番号を探すのは容易であったが、
当の本人はそれほど気楽なものではなかったようだ。

少し安堵する。

いつまで待ってても仕方ないので自分の番号を探す。

E013はあっさり見つかった。

受かったらしい。

これで就職がまた遠のいた。
次の2年は人生の中で誇れる時間でありたい。


思えば4月、
なにもできずにただぼんやりしていた。
5月は衝突により自暴自棄になり、
6月は一転して精気を失い、鬱に入っていた。

7月、貴方に見いだした唯此処に在るという証。
そしてヤツらと共に過ごした8月は一生忘れない。

人生で初めて、何者にも縛られず
糸の切れた凧のように彷徨っていた日々から
僕は価値在るものを得られたと思う。

“The MOST”

新たな地で僕は踊る。
軽やかにステップを踏んでダンスを踊る。


九月の空 - 2002年09月10日(火)

部屋がバナナくさいと思ったら本当に台所でバナナが腐ってやがった。
バナナというのは保存に困る。
冷蔵庫に入れると黒くなるし、冷凍庫に入れると釘が打てる。
どうしたものか。

今日は久々に稽古をした。
おかげさまで膝蓋靱帯がひどく痛む。
膝にお灸を据えながら日記を書いているのはオレぐらいなものだろう。

喜怒哀楽、
気持ちの中のいづれかの感情は剣に投影され、
使う技も攻め方も変わってくる。
ネガティヴでペシミストなオレは往々にして“哀”を纏う。
今日もこの境遇からすれば、それは明らかだった。

明日で全てが決まるとは思わない。
しかし、何らかの決断を迫られることになるだろう。


風はどっちに吹いている?


うたはれしうたうたいうたへどうたうたはずうたうたへず - 2002年09月09日(月)

ここのところ友達が出る夢ばかり見る。
今日は市民広場の花屋の横でテニスをしていた。
ミツキと誰か、6人くらいいたと思う。
なぜか卓球のサーブでおもいっきりカーブをかけた。
ミツキが帰省中に卓球しようぜって言ったせいだろうか。

起きがけに心臓が病んで活動停止。
寝覚めが悪いことこの上ないが、
まだ死なせてはくれないらしい。

部屋に小物を追加した。究極のヒーリング。
置かなきゃ良かったと思う日が来るのはいつだろうか。
後悔するのが分かっているならやらなきゃいいのにね。

いつからか呼吸をしていない。
その術すら忘れてしまった。

運命とか神様といった類の言葉が嫌いだ。


正しい週末の過ごし方。 - 2002年09月08日(日)

土曜日。
毎年恒例の定禅寺ストリートジャズフェスティバルが開催された。
時折小雨がぱらついていた。ジャズフェスはいつもこんなもん。
極上のベースを求めて定禅寺通りから勾当台公園までさまよったが、
昨年のラリー・グラハムを演った左利きのベーシストには巡り会えず。

珍しくストーンズを聴いた。世界ツアー始動とあって活性化している。
JJFは“定禅寺ジャズフェス”の略だというので大いに笑った。
しっかりテレキャス5弦openGcapo4fで演っていてうまかったが、
ベースが心もとなくてもったいなかった。yeah!yeah!yeah!

アップライトのベースとアルトサックスが欲しい今日この頃。

夜は牛越橋に移って昨年に引き続きはなプレゼンツ。
買い出しに行く途中でサークルのマネを見かけて声をかけたら
はなに「あれ誰よ!?」って脇腹を数回どつかれた。どつかれた。

花火をやろうといったわりにはロケット花火しか入ってなくて驚いた。


日曜日。
昨日遊び過ぎたので昼過ぎまでゴロゴロしてた。
街に出たところを捕獲されてランチ。バイキング。
そのあと勾当台まで歩いて友人と合流した。
露店でベルギー産のフルーツビール・フランボワーズというのを飲んだ。

駅前に戻って冬目景を買って、他の用もこなした。

夜はおみやげの泡盛を仰いで疲れて寝た。

久々にのんびり過ごした週末だった。


そういえば、ジャズフェスで会った人は皆、
しまった。もう少し隠遁しとくんだった。ハーミット。


本当ならば 今ごろ - 2002年09月07日(土)

胃が痛い。
こういうとこだけは脆くできてるらしい。
何がどうしたかは11日にでもゆっくり。

夜に突然メールが送られてきた。
「ねえ、無性にラーメンや餃子を食べたくなるときってない?」

・・・オイ。
そりゃ分かるけどさ。
なんだよ。
なんだかなぁ。

ミトさんとは数日前に電話で話したばかりだった。
オレは女性に告白するような人に見えないと言われた。
オイオイ。
僕はフラれてばっかりの人生ですよ。
黙ってても女性が言い寄ってくるわけでもないし、
だいたい向こうから来られても気持ちが動くことはないし。
自分、不器用ですから。

それでもやっぱり気持ちは面と向かって伝えなきゃと思う。
自分を欺きたくはないし、想った人ならどこまでも信じたい。
それが後悔しない最良の方法だと思う。


そういえば一度だけラブレターをもらったことがある。

中学・高校と昼食は弁当だった。
母ちゃんが毎日作ってくれた。

学校のバッグとは別に弁当袋を持ち歩いていた。
かなり大きめの弁当袋。これも母ちゃんが縫った。

ある日、学校から帰ると、二つ折りにされたルーズリーフが
部屋の机の上に無造作に置かれていた。

レタリングシートでわずか2行に“好きです”、と。
差出人は2年A組女子、ただそれだけ。

なんでこれがここにあるんだろう。
最初にそう思った。
差出人がはっきりしていればそっちに気を取られたかもしれないが、
冷静に考えてみると、いきなり部屋の机の上にあるのはおかしい。

答えは容易に想像がついた。
彼女は放課後、弁当袋にこれを忍ばせたのだ。
僕は帰ってきて、そのまま弁当袋をいつもの棚に置く。
弁当箱を洗おうとした母ちゃんが開けて発見する。

( ̄□ ̄;)!!

なんてこった。
封もされていない二つ折りのルーズリーフ。
母ちゃんは読んだろうか。どうなんだろう。

明らかに机の上に置いたのは母ちゃんだが、
そのことに関して触れることはなかった。
信頼しているし、特に不安はなかったが、
しばらくの間は気になっていたものだった。

しかし、問題はこの差出人。
僕はどうやって返事をしたらいいんだろう。
そう思っていたら、早くもその日がやってきた。
僕と仲のいい女子が特使として遣わされたのだ。

「ねぇ、どうなの?」

なんともぶっきらぼうな特使だ。
当時の僕には想い人がいたので
その儀を伝えて丁重にお断りした。

結局差出人は分からず仕舞い。
おそらくは僕とたまに会話する人なんだろう。
容姿で判断されるわけがないんだから。


なんとも歯切れの悪い思い出だった。
人づてに返事を伝えてもらうことに違和感を覚えた。
彼女は何気ない日常に戻り、僕の視界に紛れている。
僕は違和感を記憶に紛れさせ、変わらぬ日常に戻った。


別に相手が誰とか知りたかったわけじゃない。

ただ、あなたは、



・・・いや、いい。


He scares me... - 2002年09月06日(金)

映画は好きで、ビデオを借りて観るよりは映画館で観た方が
絶対おもしろいと思うのだが、映画を観て泣くことは滅多にない。
一方で、漫画を読んでいて泣いてしまうことがたまにある。
俳優が感情の全てを演じ、時間の進み方が決められている映画に対し、
コマ送りで描写する漫画は自由度が高く、想像力をかき立てられるからだろうか。

というわけで、今日は僕が泣いた漫画の紹介。

【うしおととら / 藤田和日郎】
久々に読みたくなって今将に全巻揃えんとす、といったところ。
これは人間と妖怪の交流を通した生命賛歌、
生きることの尊さ、素晴らしさを説いた作品だと思う。
この作品を読んでいると、全編を通して泣いてしまう。
基本的に冒険物に弱い。主人公が若くて活力に溢れ、
未来へ大きな可能性を秘めていればなおさらのことだ。
ちなみに時逆(ときさか)、時順(ときじゅん)というのは
この話に出てくる時空を自在に往来する妖怪のこと。

【昴 / 曽田正人】
曽田正人の作品を読むと精神的な描写にいつも揺さぶられてしまう。
流線の生み出す質感やスピード感が訴えかけるものがあって、
読んでいてゾッとする瞬間がたびたびやってくる。
序盤のすばるが幼少期の話で双子の弟の病室で踊るシーン、
僕は抑え難い激情に襲われる。

【彼氏彼女の事情 / 津田雅美】
学園モノの少女漫画なのだが、精神面での展開がおもしろい。
泣いてしまうのは5巻後半からの雪野の両親のサイドストーリー。


今日は「うしおととら」を3冊と「イエスタデイをうたって」を3冊買ってきた。
後者はほとんど衝動買いなのだが、予想通りはまってしまった。
今の自分は弱いので何にでもつけ込まれてしまうのかもしれないけど。
今も色褪せないあたりはサスガ。


Sympathy for the Devil - 2002年09月05日(木)

今年の夏は一瞬のうちに過ぎ去った。

幾多のことに終焉が告げられ、
新たな出発を予感させられる。
退屈しない夏は有意義な遺産を遺していった。

ようやく一息つける状況になったし、
雑務に煩わされる余裕もできたので、
再び綴ろうと思う。

それに先立って、
暫時、僕は名を明かそう。

I am nuts, and nuts about you, as you know...


天上はるかに。 - 2002年09月02日(月)

休載している間、世の中はいろんなことがあったが、
個人的にはうちの高校のOBが騒がしかったように思う。
大学の学長が改選され、医学研究科の教授が当選したのだが、
どうやらOBらしい。さらに現在の東京の大学の学長は同期だとか。
同期で7分の2を占めるか。珍しいこともあるもんだね。

そんなことよりも、石井浩郎
社会人で全日本の4番を努め、近鉄に入団し、94年に打点王のタイトルを獲得。
巨人では代打の切り札として活躍し、そのひたむきな姿勢から
“漢”(おとこ)という枕詞を与えられ、球団の枠を越えて親しまれた。
しかし、石井選手の現役生活はケガとの闘いだったと言っていい。
4球団を渡り歩いた漢は傷つき疲れ果て、ついに現役引退を表明した。

『あなたの夢を あきらめないで』

その言葉を傍らに、ひたすら走り続けてきた石井浩郎先輩、
本当にお疲れさまでした。


大先輩に負けてばかりいられないので、
若手で今後の活躍が期待されるOBをご紹介。

○オリックス 後藤光尊内野手
一期上。当時から打撃センスは素晴らしかった。
社会人の川鉄千葉を経て、今季ドラフト10位で入団、
即戦力として前半戦で活躍したが故障により現在長期離脱中。

○磁石
磁石はサワズカムパニー所属のお笑いコンビで、N極の永沢君は同期。
顔と名前を知っている程度で話したことはない。学年に400人もいたらそんなもん。
だけど、ある日突然NHKの『爆笑オンエアバトル』に出演すると同期から聞いて
チェックしたらまさしく彼だった。秋田弁でのボケがおもしろいので応援してます。
最近はどこで活躍してるのか分からないけど、磁石を見たらご一報を。

○オレ
いつか活躍するかもね。



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≪時逆    時順≫

滅入ル  【Aurum Forum】
  



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