日の想い
幸花



 

紅葉が綺麗な気候になった

見上げると
散りかけて、すこし残った感じがひどくはかなげで
むき出しの枝にふんわりと
暖色の薄いヴェールをまとったようにみえる

寒々しい木肌に 暖色が舞う


家から5分ほど出た先はバス通りになっている
そこはケヤキ並木になっていていつもバス待ったり、降りたりするとき
季節の移り変わりを色鮮やかに見せてくれるところである


ケヤキは落葉樹である
つまり今紅葉の時期を迎えているわけであるが

ふと目を落としたとき

ひどく、葉が大きい気がした


もともとケヤキは胴の部分は確かにどっしりとしていて硬く、
家具などにも用いられるしかしその枝の先は思いのほか、脆い
他の樹木と比べても明らかに枝の先が細かいことがみてとれるだろう

だから葉はどちらかといえば杜若ほどに小さくそして紙のごとく薄い

しかし私がバス通りの歩道でみたその葉は
かしわのごとくひろがっていたのである


わりと最近、
ケヤキ並木を切り倒すなぞという声があがっていると聞いたことがある

いわく、落葉樹であるがために、落ち葉の時期に雨が降ろうものなら
排水溝などや樋がつまり迷惑だということ
そしてなにより落ち葉の掃除当番が道に面したブロックのみということも
不満の原因であったらしい

この声が恐らく反映されてのことだろうか
だいたい夏よりも前にケヤキの枝打ちがあるのだが
これで本当に大丈夫なのだろうかと思うほどに
今までよりもはるかに切り詰められてしまっていた

枝が少なければ、葉を茂らせる面積も必然限られてくる
限りある場所でいかに高木を維持していくかと考えてみれば
大きな葉の理由もなんとなくではあるけれども納得できる


確かにめんどくさいだろうとは思う
でも落ち葉で遊んだことはないのだろうか
枯葉独特の香りを感じているのだろうか
季節を感じることはないのだろうか

私は落葉樹は表情が豊かで楽しいとも思うのだが、
効率化の近、現代 みまわしてみると常緑樹が多い
もちろん常緑樹も好きなのではあるけれども

植物もぎりぎりの環境で生きている
折り合うことはも考えることはできないのだろうか?
(そうでなくとも枯葉を集めて焚き火をしようものなら)
(苦情が出かねないご時世である)

本来の自然とまではいかないまでも
目の前にあるものを大切には出来ないのだろうか


私の根拠があるようでないような考えではあるが
それでもなんとなくかなしいおちばだった

2001年12月04日(火)
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