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2003年02月28日(金) 大盤振る舞いな男。それはやすくん。

今回は、変に所帯じみてる内容です。
ご了承くださいませ。

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伊豆に行ったやすくんは、予想通り例の焼肉屋さんに行っていた。
あの渋滞をした日にも、電話であらかじめ連絡しておいて
向こうに着くとすぐタクシーで向かったらしい。
「マスターもママも、ききに会いたかったって言ってたよ」
なんてことから再会の様子を楽しそうに話してくれたやすくん。
一緒に行けなかったことは残念だったけど、その様子を見てると
こっちまで嬉しくなってきた。







が。







「でさあ、やすくんが出発する前に旅費が足りないからって
 お金貸したでしょう?あれ、どうなった?」
知り合いのところへ泊まったから宿泊費は浮いたにせよ
やっぱり、伊豆に行くとなるとお金がかかる。
やすくんははじめ
「今月苦しいでしょ?まだこずかい使っていないからそれで行くよ」
なんて涙が出るような健気なことを言ってくれてた。
正直、今月は苦しいんです。
だけど、旅先ではなにが起こるかわからないし、安心のためにと思って
やすくんのおこずかい2ヶ月分ほどのお金を渡していた。
なにもなければ帰ってくるんだし。まあ、保険の意味で。

ついでに言っておくと、明日はやすくんの友人の結婚式でさらに出費がある。
やすくんはその辺もよくわかってて、出ていくときに
「こんなにいいの?大変じゃない?
 無駄遣いしないで帰ってくるから」
なんて、
さすが我がパートナー、泣かせてくれるじゃねえか。
男だねえ、なんて思っていたのに。





思ってたのに。





のにーーーーーーーっ!!!!(怒そして泣)





「あぁ、あれ?あれ、全部使っちゃったよ(爽そして笑)」
つ・・・使っちゃうってあなた、結構なお金をどうやって??(さらに泣)

「ん?2日目にさあ、向こうの同僚とかバイトのやつとか誘って
 またあそこ(焼肉屋さん)へ行ったんだよね(さらに爽)」
2日連続で行ったことにもびっくりしたけど、予想できないことじゃなかったし
それにしても安くておいしいあの店でそんなに使ったの?(呆然)
「いや、○○と△△はバイトだし、□□は今度転勤するって言うから、みんなでパーッとやったんだよ」

・・・で?(もはや虚)

「俺が一番年長者だから、おごってあげた(さらに笑)」

・・・・・・・・・・・・はぁ?
確かに年長者だけど、下だっていっても1つしか違わないし、
おまけに就職した時期がやすくんの方が遅いから
給料はあいつの方が高い、とか前話してたじゃん!!
まあ、百万歩ゆずって年上論を認めようじゃないか。
だからって、全額おごることはないんじゃないの?え?

もともと、人に何かしてあげるのが好きなやすくんだってことは
わかっていた。けどさあ。




そりゃないんじゃないの???



せめて、

せめて、私も一緒の時にしてくれたらいいのに。




悔しいから今日から
粗食。(やすくんだけ)


2003年02月27日(木) 違い。

久しぶりに


やすくんが帰ってきた。

お泊まり出張2連チャン。

ほぼ一週間の離ればなれの生活。





やっぱ嬉しいじゃないですか。





いつもよりくっつきたいじゃないですか。





少しくらいオーバーでも

「会えなくて寂しかったよ」って


ギューッと抱きしめたりしてもらいたいじゃないですか。







嗚呼それなのに。







いつも以上にあっさりと

夕食をとってテレビを見てシャワーを浴びて

布団に入られたやすくん。



再会の喜びも会えない間の寂しさも何もなく


全くいつも通り。



これって男と女の違いでしょうか?




2003年02月25日(火) 夢。

小さい頃の夢は、保母さん。
保育園の時、
一緒に遊んでいてジャングルジムの中からでてくる担当の先生を見て
不思議な衝撃があったから。
うまく説明できないけど、その瞬間は写真にでも残したかのように
今でも鮮明に心に残っている。

次になりたかったのは、動物園の飼育員。
ゾウの目を見て。
この目をずっと見ていたいと思ったから。
(ま、実際はゾウって結構凶暴なところもあるけど)
そうそう、私子供の頃動物園でゾウと話をすることができた。
声を出してじゃなくて、心で。
こんなことを書くとかなりイタイ人みたいだけど
小さな頃のことだから、どうぞお許しを。

次になりたかったのは、スポーツ記者。
当時好きだったスポーツ選手をそばで追ってみたいっていうの。

そして、大学に入る頃。
夢がなくなった。
ちょっと違うなあ。夢が、職業ではなくて
理想の人間像になってきたというか。



今私は

「自然に生きていける人」

になりたい。




自己中心的にならず、
かといって生きていくことに遠慮せず
自分の居場所で、精一杯生きていく。

いろいろ欲張るから、つらくなる。

自分の居場所で精一杯。




2003年02月24日(月) やすくん伊豆へ行く。

やすくんが一人で伊豆に行った。


2年前までやすくんが生活していた場所。
私にとっても忘れられない場所。


一緒に生きたかったなあ・・・


仕事の合間に、そんなことをつぶやくと
向かいの席のPaulaが笑う。
「そら は新婚さんだからねえ。
 ちょっとでも一緒にいたいんでしょう」

へへ。
そりゃそれもちょっとはあるけどさ。

そうじゃないのよ。

伊豆には大好きな



大好きな



本当に大好きな


焼肉屋さんがあるのです。



20人も入ったらキツキツっていう感じの
おまけにちょっと薄汚れた感じの(ゴメンナサイ。マスター&ママ)
店ではあるけど
出てくる肉は、最高です。そして安い。


やすくんが住んでいた当時
遊びに行くと4回に3回はそこでご飯を食べた。
マスターもママもすごくいい人で
しかもおもしろくて、私は大好きだった。


やすくんが伊豆に行くということは、
そこに行くに違いない。
ってか、絶対に行く。



「そこにいけないのがなにより寂しいのよね。
 というか、くやしい」

そういったら、Paulaはあきれていた。



夜。

以前、そのお店からもらって冷凍しておいたお肉を
ビールを飲みながら一人で食べた。

おいしいけど、やっぱりちょっと違うし、
なによりやすくんは本場で食べてると思うと
当たりようのない怒りがわいてくる感じ。


そしたら。
やすくんから電話。


「渋滞に引っかかっちゃってまだ横浜抜けられないんだ」














ゴ チ ソ ウ サ マ デ シ タ 。


2003年02月23日(日) おひさしぶりです。

おひさしぶりです。
どうにかPC復活しました。
今回の一件で
私のかわいいオンボロPCちゃんも
いよいよ天寿を全うしてしまうかと思いましたが
どうにか一命を取り留めました。





・・・・・・・・・・とってもお高い手術代だったけど(涙)


2003年02月22日(土) 大掃除。

入院させていた私のPCちゃん。
無事退院して、再び動き出してくれた。

でも、結局Windowsを再インストールしちゃって
これまでのものをさらに残しているから、
動作は今まで以上に遅い。
おまけに、ネットの設定とかはクリアにされてしまっていたり、
前の状態に戻っているようで戻っていないっていうのが
何とも気持ちが悪かったりするから
どうしても消したくないデータを取り出して
再々インストールをしてみることにした。
元の元をいったん消して、また入れ直す、っていうことは
しかも自分でやるっていうことには
一抹の、いやかなりの不安がある。

長いこと使っているとはいえ
細かいことは全くわかっていない私。
モットーは「止まるまでは動く」だから。

とりあえずデータを落として
マニュアルを見ながら再インストールのステップを踏む。




時間はかかったけど、かなり。
どうにか無事に完了。



すぐに必要ないソフトを消して
使いたいソフトを入れ直したら
ずいぶんとすっきりした新生パソちゃんの出来上がり。
インターネットは相変わらず接続できなかったんだけど、
友人あーもんどとジャム姉さんに聞きながら
プロバイダに問い合わせていわれたとおりに設定したら
無事動き始めた。


なんだかとっても大変だったけど、
今は大掃除したような爽快感。
今度は余分なものを入れないで

いつもすっきりしたパソちゃんにしておこう。







ん??

自分の部屋も、そうしよう。(恥)


2003年02月18日(火) おしらせ。

こんばんは。
ただいま代筆中です。
そう、私はききちゃんではなくって、あーもんどです。

実は、ききちゃんの大事なPCが壊れてしまって、
メンテナンス中です。
どのくらいかかるかは未定ですが、
1週間か、2週間はかかると思います。

長い間更新できなくなることを心配して、
私あーもんどが代筆を依頼されたしだいです。

しばらく、更新できないそうですが、
PCが直り次第戻ってきます。
それまで待っててね。とのことです。

よろしくお願いします。
ききちゃんの友だち、あーもんどでした。


2003年02月17日(月) ついに入院。

自分じゃどうにもならなさそうなことが
だんだんわかってきた。

今までも動かなかったこととかあったけど
何かをどうにかすれば、または、
原始的ながらしばらく放っておくと再び機嫌を直してくれた。
放置すると、ほんっと動いてくれたんですよ。


今回はそういうレベルの話じゃないみたい。
システムを再インストールすればいいのだろうけど
家計簿をこれでつけていたから
それだけはどうしても復活させたくて。
・・・・ここまで飽きずに
続けてつけてこられたことが私にとって快挙だったから。

仕事を終えてからタウンページで調べておいた
パソコン屋さんに向かう。

「うーん・・・これをこうしても動かないってことは
 システム事態に何か壊れちゃったところがあるみたいですね。
 一番いいのはシステムを入れ直すことなんですけど
 データは取り出したいんですよね。
 数日預かりますからデータを吸い上げられるかやってみますか?」

ええ、お願いします。
私のかわいいパソちゃんをどうか助けてください。
まさにそんな感じでその笑顔のおじさんに
救いの手を求めてみることにした。

入院期間は4日。


2003年02月15日(土) 突然の別れ

さっきまで動いていた

愛しい私のオンボロPCちゃんが

いったん電源を落として

もう一度立ち上げようとしたら

うんともすんとも言わない。






正確には

「ファイルが壊れているか、ありません」

と出て、アルファベットと記号だけが

いくつか並んでるだけ。







働いてる頃から

「そんなの未だに使ってるなんて、

おまえくらいしかいないぞ」

なんて言われてた

PC-98シリーズ。Windows95って、

個人所有で未だに使ってる人いますか?





いろんな不都合もあったし

そろそろ買い換え時とは思っていたけど

こんな突然動かなくなるなんて。










私の相棒はもう

息を吹き返しては

くれないのでしょうか。


2003年02月09日(日) あむあむ。

いよいよ今夜。

やすくんの仕事が終わり次第、私の実家へ向かう。



今回はいつもみたいにバタバタしないで、割とゆっくり向こうにいられる。
ゆっくり、って言っても、今回はやすくんの仕事にも関わってるから
予定はぎっしり。
まあ、前回、前々回のように2泊4日みたいな強行スケジュールじゃないだけマシ。
やっぱり実家が遠いと、大変だと毎回思う。
なんせ、夜通し運転し続けて8時間もかかるんだ。
うち。

もちろん、運転は交代制。
首都高だけは怖いから、やすくんの担当だけど
それ以外の道は、6:4位の割合で私も運転する。
雪道なんかは私の方が得意だし。
仕事を丸一日こなして出発するから
やすくんに運転を任せきりにするのは悪い気がするし、
何となく命を縮めちゃいそうで怖いから。


で。
毎回、帰る日はたっぷりとお昼寝をする。
安全運転のため。
・・・っていう大義名分で、まっ昼間からグータラしているだけかもしれないけど。
でも、やっぱり、寝ているのと寝てないのじゃ運転中の疲労感が違う。


いい天気の中で、ゆっくり眠るのは気持ちがいい。







・・・いいんだけど。







今回は。無理でした。
何だか暇つぶしにと、やすくんのアパートに持ってきた
毛糸と編み棒。
普段だったら、根気が続かないから1時間もすると飽きちゃうのに
今日に限って、手が進む進む。
気づけばいつもの2倍から3倍も編み進めてしまっていた。

ふと気づくと、まわりは真っ暗。
優しいお日様の光なんて、もうすでに姿を隠していて。
慌てて横になって眠ろうとしたのに、
脳はまだ興奮状態みたいで、なかなか寝付けない。


そのうち、やすくんからの電話。












今回の旅は、かなりハードな物になりそうです。














2003年02月08日(土) カラーセラピー

今日、日記をいろいろ読みながら、
いろんなHPへ流れて行きつつ・・・
なんてことをしていたら、
カラーセラピーのページにたどり着いた。

カラーセラピーって言うのが正しい名称か分からないけど。
2種類の色の水が入ったボトルを直感で4つ選んで、

今の自分を知るっていうもの。
占いとは違う物らしい。
前にたまたま聞いてたラジオで、セラピストさんがそう言ってた。
聞きながらすごく興味を持ったけど、
こんな田舎じゃなかなか出会える物でもないし。
あきらめていたら偶然たどり着いたので、早速試した。


そしたら。

今の私は・・・
 人生のターニングポイントを迎えています。
 新しい自分に生まれ変わるチャンスです。
 自らの人生をもっと輝かせたいと願うなら、
 今ここで次の宣言をしてみてください。
「過去の自分にさよならを告げ、
 私は真実の愛に出会います」と。

らしい。
愛に出会うかどうかは分からないけど、
今の私がターニングポイントを迎えているのは事実。

で、今後の私。

「恐れや緊張を解放できれば」自分らしさを表現できるようになるらしい。
ふーむ。確かに今の私は緊張や不安の固まりかも。
そして、
「協調的な考え方を備え、平和的な方向性を見通すことができる」
っていうのが私の良さで、それを前に出せば
「お互いに協力しあい調和しながら」物事を進めていける、らしい。

占いではない、というけど
今の私にはかなり救いの言葉が並んでいた。

がんばれそうだ。


2003年02月07日(金) 最近のコドモ。

今日の仕事は、小学1年生とのからみ。

小学生って、ほんと上から下まで多種多様だよなあ。
中学生、高校生も学年が上がれば大人びてくるけど
小学生のそれには及ばない。

1年生とのからみってそうそうないけど、
他の学年とはあきらかに違って、
まだ乳臭さが残ってると言うか、子ども子どもしていて可愛い。

教室に入っていくと
小さい机と小さい椅子に座った、
小さな子たちが一斉に振り向く。
そして
「せんせーい♪」とワラワラと近づいてくる。
(ちなみに、私の仕事は教員ではないんだけど、
 学校にいる大人はみんな先生だと思っている子ども達。うーん可愛い♪)

今日は、担任の先生はお休みだったので
1人で子ども達と時間を過ごす。
本日は、担任の先生が残していった国語のプリントと
カルタ取り。
「1枚出来たら先生(私)の所に持ってきてね〜♪」
っていうと、ほんっと素直に
「は〜い♪」
って言う可愛い返事が返ってくる。

机に座っていると
「できました〜♪」と
ニコニコ笑顔でやってくる子ども達。
自分の順番が来るまで、友達と話をしていたり
私にちょっかいを出したり、いろいろだけど
どれもやっぱり可愛い。


「せんせ〜い、○○くんが、せんせいのことすきだって」
女の子達がそう言うと、慌てて口を塞ごうとする男の子。
小学生ならよくある、こんな話もほほえましく思う。


そんな笑顔いっぱいの私に飛んできた次のセリフは

「でね、○○くんがせんせいのおっぱい見たいって」

!!!!!
なんか、せっかくのこのほほえましい気分が・・・
で、でも、そんな言葉も、子どもが言うから
可愛いとも思える。
そこらの親父さまたちが言ったら、セクハラだって騒ぐけどさ。


「そんなこと言って〜 ○○くんびっくりするじゃない(微笑)」


「ねえねえ、せんせいにはすきな人いる?」
と、○○くん。
再び、ほのぼのモード。

「そうねえ(微笑みながら)。
 先生は旦那さんがいるから、旦那さんが好きかな(セオリー通り)。
 でも、○○くんの事も好きよ(これ又セオリー通りのフォロー)」

そして、○○くんは。
















「なーんだ、旦那いるのか。じゃいいや」















せっかくの気分、台無し。















恐るべし、今時のガキ共。


2003年02月06日(木) 中国土産。

やすくんの従妹は
現在中国に留学している。


先日、その彼女から
中国土産の色々が送られてきた。

その中のひとつがジャスミンティー。

中国茶の茶器があればいいのだろうけど
そんなのは当然我が家にはないので
この前、偶然入った居酒屋でだされた
ホッとウーロン茶を真似て
ティーサーバーで入れてみた。


いい匂い。
色もきれい。
味はもちろんおいしい。
小さな湯飲みで飲むと、
飲んだ後の湯飲みからいい匂いが漂ってくる。



やすくんは初め
「俺はどっちかというとコーヒー派だから」
なんて敬遠していたけど
いい匂いが立ち上ったからか、黙って自分用の湯飲みを持ってきた。
そして、匂いを嗅いだり色を見たり
まるでワインのテイスティングみたいなことをしてから
一口飲んで
「うまい」
と一言だけ言った。



お茶の香りのせいか、それとも味のせいか、
なんかふっと柔らかくなった。
自分でも気づかなかったけど、私の気持ちはかなりこり固まっていたみたい。



そうそう、昔の歌に
「ジャスミンティーは 眠り誘う薬」とあるけど
アレって、本当は違うらしい。

ジャスミンティーは覚醒作用があるらしいです。


眠れないからって、ジャスミンティー飲んだら
よけい寝られないなんて、ちょっと悲しいな。


2003年02月05日(水) 先輩。

昨日の悶々とした気持ちは全く晴れないまま。
うーん・・・

今日は、やすくんの両親と経営なんとか相談に行く予定。
本当だったら、やすくんが行くはずで
もし私が行くようになっても、付き添い感覚だったのに
休みの関係でやすくんは行けず、私が行くことに。

普段だったら、なんてことない予定変更なのに
昨日の今日だから、変にイライラする。
しかも、こんな状態でやすくん両親に会うなんて。
無理に元気で明るいいつもの私で振る舞う苦痛が頭をよぎった。

待ち合わせた時間に商工会議所に向かう。
駐車場で待っていたのは、やすくん母一人。
そのまま会場へ。
先客がまだ終わらないようで、小さな部屋に通されて待つことになった。
私とやすくん母とふたりきり。
今のところ嫁と姑の関係は悪くない。と言うより、むしろよい。
でも、やっぱり2人でいるのは緊張する。


他愛のない話をしていたら、
やすくん母がボソッと
「今日本当はおとうさん(やすくん父)が来るはずだったの。
 でも、『お前行ってこい』の一言でおしまい。
 自分でやるくせに、そう言うのは全部私に押しつけるの」
なんて言った。
ははは・・・なんて笑ったみたけど、なんかその一言を聞いたら
自分の中にたまっていた物を一気に吐き出したくなった。

私は時間がないと焦っているのに、
やすくんは相変わらずのんびりしていること。
だからって、明確なビジョンがあるのかというと何もないこと。
お店に出ることが決まっているけど、そう言う経験がないから
どこかで修行(と言うか、行儀見習い)をしてきたいと思っていること。
この先どうなっていくのかって言う、漠然とした不安。
でも、それはやすくんに話しても理解してもらえないこと。


もしかしたら、やすくん母にしてみれば
我が子の悪口ともとれる様なことを言ってしまったかもしれない。
でも、そんなことを考える余裕がないほどだった。


やすくん母は
「まったく、うちの男どもはみんな呑気なのよ」
なんて、ため息混じりに笑いながら言った。

そして、自分が嫁いできたときの話をしてくれた。
結婚前は、店には出ないで家のことさえしてくれればいいって
そう言われていたのに、
新婚旅行から帰ってきたら、お姑さんに
「やっぱり店は、若い者が出た方がいい」と言われ、
その一言で店に出ることが決まってしまったこと。
ずぶの素人なのに、お客さんは当然店のことは何でも知ってると思い
売っている商品のこととか、たくさん聞いてきたそうだ。
で、分からないと旦那(やすくん父)にきくと
「そんなのは知ってて当たり前」と
厳しいことを言われて頼る人がいなくなったこと。

「自分たちはさ、裏で色々やってるから良いのよ。
 私はいきなり一番前で接客することになったでしょう?
 だから、どうして良いか分からないんだけど、
 子どもの頃から店を見てきた人たちには、それが分からないんだよね」


なんか、ホッとした。
数十年前に、今私が感じている戸惑いを
やすくん母は感じていたんだ。


その後、経営コンサルタントという人の話を聞いたり
色々質問したりしたけど、
その話より、
今日のやすくん母との会話の方が
今の私にとっては何倍も
ためになった。





またちょっと、前に進めそうだ。


2003年02月04日(火) 運転手は君だ 車掌は僕だ。

夜になると必ずやってくるもの。





将来に対する漠然とした不安。





目を開いて、動きまわっているときは
ほとんど忘れてしまっているのに、
なぜか横になって目を閉じると
一気に溢れてきてしまう。

やすくんは将来、実家の家業を継ぐ。
しかも、そのまま継ぐだけじゃなくて
自分の得意分野を広げて継ぐらしい。って言うか、継ぐ。
私もその手伝いをすることになっているし、そのつもりだ。

どんな店にしたいか、とか、
何年後には実家に帰って数ヶ月間は準備期間で
何月頃にはオープンして、とか
そんな話を時々やすくんとするけど
その時は、不安もあるけど期待の方が多い。


しかし、一人で布団の中で目をつぶると
さっきの期待はどこへやら、
ただ不安感だけが胸に残り、しかもかなり膨らんでしまう。





理由ははっきりしている。

運転手はやすくんで、車掌が私だってこと。
車掌がどんなにやる気があっても
運転手が汽車を動かしてくれなかったら
結局無駄骨だって言うこと。

時間がないと思っている私と
「まあどうにかなるさ」のやすくん。

働いてきたときは
ワンマン列車のよう(知ってますか?)に、
車掌も運転手も全部自分がやってきた。
時々失敗もしたけど
自分なりに考えてやった結果だったら納得できたし
次へ生かすこともできた。
かなり大変な職場だったけど、その中でも負けないでそれなりの成果を出してきた。
自分で言うのも何だけど、かなりバリバリやってたと思う。




今のこのもどかしさ。

正直イライラしてますよ、やすくん。


当の運転手は、お昼寝と大好きな競輪(テレビ中継だけど)に夢中。





あーもう、どうにかしてくれ。
我慢もそろそろ限界に近づき中です。


2003年02月02日(日) はまっちゃいました。

ちょっと前の日記に

「彼のために編みたい○○」なんてタイトルの本は
当てはまらない私にとってはただ恥ずかしいだけでやだ、

なんて言ってた私ですが。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・もろはまりです。




やすくんのマフラーを編むことにしました。
もちろん、本見ながら。
しかも、ヴァレンタインデイに向けて(恥)
さらに、やすくんには内緒で(恥)




いやね、この前TDLへ行ったときに
私は自主制作のマフラーを首にグルグル巻いていたのですが、
やすくんが着ている物はそんなに代わらないのに(注:ペアルックではない)
私は日が陰っても寒くなかったんですよ。
その時やすくんがポツリと
「そのマフラー暖かそうだよね」って言ってたのを思い出したんで。


・・・何を言っても、はまったことには代わらないんだけれども。




思えば、生まれてこの方バレンタインデーに
手作りものをプレゼントしたことなんて一度もなかった。
いつも冗談っぽい市販のチョコを送ったりして。
本命君に「義理」って大きな文字入りのあげたりとか。
マーブルチョコの眼鏡(状にパックされた奴、ありますよね?)に
きちんと輪ゴム通して送ったりとか。(視力検査表付きで)
やすくんに対しては、もしかしてチョコすら送ってないかも。
キムチの素とか送ったけど。


そんな私が
手作りマフラーをしかも、秘密につくるなんて
乙女ちっくなことを考え、実行するのは
きわめて異例なこと。

「二人で着たい」のマジックにまんまと引っかかったのか。




おまけに2月はやすくんの仕事はヒマらしく
休みが多く、家にいる時間が長くなりそうな気配。



私の乙女気分は、はたして当日まで持つのでしょうか。


2003年02月01日(土) 屋根まで飛んで 壊れて消えた。



やすくんの車を2人で洗った。

やすくんは水洗いとワックス塗り。そのあと車内の掃除機かけ。

私は、ワックスのふき取りと車内のぞうきんがけ。



9年も乗っていたというやすくんのお気に入りの車だけど、

この春手放すことになった。

私と出会う前のやすくんを知っている車。

出会ってからの私たちを知っている車。

初めて出会ったときも、この車が目印になった。

ドキドキして乗ったあの日。


仕事を終えてから急いでやすくんの所へ向かってた頃。

熱海の駅までむかえに来てくれたやすくんの顔と

車に乗り込んだ瞬間、なんだかホッとしたことを思い出した。



もうすぐお別れかあ・・・

そう思うと、せめてその日まできれいでいて欲しいと

車内を磨く手につい力が入る。



座席の後ろのポケットに入っている物を出して中を拭いたり、

ドアポケットの中を拭いたり。


隅々まで拭いていると

どうしても目に付く茶色の長い髪。

そんなにたくさんじゃないけど、長いから目立ってしまう。




そう。

9年間のやすくんを見てきたこの車には

きっと、アノヒトとの思い出も詰まっているのだろう。

2人でどこか出かけたり、同じ景色を見たりしたんだろう

と思った。

でも、不思議なことにそれ以上の気持ちが溢れることはなかった。



「ねえねえ、正直に答えてね」

「なに?」

「茶色の長い髪がいくつか落ちてたけど、誰の?」


我ながら、意地悪な質問。


「ん?そんなのわかんないよ。会社の奴もかなり乗せてるし」

やすくんは表情ひとつ変えずに答えようとしているけど

答えがわかっている私には、それが不自然だって事はすぐわかる。

「ほんとに?」

「うーん・・あ、そうだ、きっと妹のだ」

「そんなわけないでしょ。妹はこの車に乗ったことないってこの前言ってた」

「だったら、会社の○○だよ。何度か一緒に出張したし」

「だって、○○さんこんなに髪の毛長くないでしょ?」


どんどん追いつめられてるやすくんの顔をみて

笑いがこみ上げてくる。


「・・・きき、どうしてそこまで追求するの?だれのか、検討ついてそうじゃん」

笑って誤魔化しながらやすくんがそう言う。


「だってさ、あんまり隠されるといろいろ勘ぐりたくなるでしょう?
 
 ちゃんとやすくんの口から言われた方が気が楽だから」


「・・そう。図星だよ。ききが考えてるとおり」


「へぇ。前の彼女って髪の毛長かったんだ」




すごく自然に、作ったりしないで自然に

笑うことが出来た。



アノヒトへのこだわりが、いろんな思いが

いつの間にか、すっきり消えていた。

ううん、もしかしたら消えてないかもしれないけど

きちんと、過去のこととして整理されたんだと思う。



昨日消えたあの黒い固まりが

もしかして、これまでアノヒトのことにこだわって

やすくんを困らせてしまった原因だったのかもしれない。



だから今日の私は

不思議なくらいにさっぱりと、そして楽しく

あんな会話が出来たのかもしれない。






もう、迷わない。


もう、こだわらない。


まっすぐ。


自分の気持ちにまっすぐ。







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