雑記

ここに掲載されているテキストはフィクションです
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2005年12月31日(土) 30年目終了

帰ってきても、というか今年もやっぱり面倒な事もいろいろ。まあいろいろ。どうにもならない事はどうにもならない。どうにもならないとか言うと良くないらしいけど、まあなるようにしかならないもんさ。なんでも。って言っても、どうしても心配される癖があるらしい。困るが仕方がない。いつぞやの先生が言うように、心配つうことの迷惑はされるほうよりする方の問題だもんな。

今年もいろいろ環境変わったけどぼんやり過ごしてみた事は変わらずですね。悪い事の方が少し多めだけど、現状つうのにボヤキはしてもまあこんなもんさ。気がつけばだんだん悪くなってるのかも知れないけれど、それでもまだ最悪じゃないし。

来年もこんな調子でなんとなく済むか楽になれますように。


2005年12月29日(木) さよーなら

朝急ぎの図面描いてたら捕まって、近くにある、今は倉庫になってる工場の雪かきに出かける。本格的な雪かきは正直したことない。それっぽい格好で笑いをとって、いざ力任せにザクザク掘って投げて、、、やっぱりすぐばてる。面倒臭いんで屋根のてっぺんまで駆け上ってみたところ、、、今度は意外と滑るのに気付いて降りれないw。まあ駆け降りたけど。
たかだか2時間だったが、まあ時間分くらいは軒下の雪もどけてきましたよ。大体がこういうときは翌日以降響くもんだろうが、不健康なんで午後からすでに腰にきてる。

今月はじめまでここでよくしてもらってた上司が駅まで送りついでに近所のうまいそば食わしてやるってんで一緒に出る。
おねーちゃんとは最期なはずだけど、まあこういう時のタイミングの悪さは死ぬまで相変わらずなんだろう。1往復だけの最期のメールでこっちまで泣きそうに少しはなった。向こうで幸せに、ってのは別に一般的なそういう意味じゃなくて彼女だけでも幸せになってくれりゃいいつうことさ。ちゃんと好きだったんだな。俺。

そばやたら美味い。閉店際に駆け込んで無理に出してもらったんでアレだけど、とにかく美味かった。田舎のそばやはハズレが少ない。また行こう。

駅で親戚の叔母と待ち合わせていろいろ。「楽観しすぎるな」てのはクソの役にも立たない助言をありがとう。きっとずっとこの調子なんだろうなあ。いやだなあ。

風が吹けば転覆したり氷を跳ねたら窓割れたりする電車が遅れて来てもっと遅れて大阪着。


2005年12月28日(水) 年末ぽくもない。寒くもない。

一応明日まで日本の工場は稼動してるんでこっち戻ってきたが、これと言って仕事があるわけでもない。まあ前もそうだったし中国でもそうなんだけどさ。頼まれてちょっと作ったり、ちょっと図面描いたり、みんなのメール整理したり。Windows2000で中国語表示できるようにするにはCD要る。

なんかこれからの事はうやむやにいい加減に聞いてたおねーちゃんといつぞやぶりに夜出かける。そんなにでもないけど、前のようにくだらない話とかいろいろとかいろいろとか。何を言ってもウソ臭いでしょつう感じで自分なりにはずい分いい加減な所も多かったと今は思うけど、今月一杯で今の彼氏の所に行く事にした彼女はずい分泣きながらも僕がいい人だったと言ってくれる。なんか僕は僕で納得するしかないんだろう。こんな時は。
一緒に居るために好きだと思わなくても、優しくされたから優しくして、それだけの好きでもいいじゃないか。ほらやっぱり僕はひとりの方がいいんだ、とか、また思う。

手編みのストラップは前にもらったもので、今日はマフラーもらった。暖かい。


2005年12月27日(火) 帰る2

たかだか朝イチの飛行機に乗るためだけに前日移動までしてるわけだが、結局5時には起きて6時のバスに間に合うようにバタバタ出かけなければならない。前泊の意味あるんだろうか。

どうと言う事なく中部国際空港、うお名鉄全車新車のは全席有料かよ。てな具合に福井県山奥の工場まで帰ってくる。移動日に仕事場に戻る必要はないんだけどまあ住処ここだし。

長靴借りないと歩くのもあれなくらいの積雪、、、NHKも毎日見てはいたが、毎日毎日大雪大雪のニュースでこんな感じかあ。除雪したところとか多分2mくらいの壁になっとるよ。相変わらず数百ワットの電器式のしか暖房のない倉庫で寝る。寒いよ。


2005年12月26日(月) 帰る1

みんな日本帰るんで帰る。帰ること自体来る時はどうでも良かったがちっとそういうわけにもいかなくなったんで帰る。社内のメールの意味がイマイチよくわからなかったが、天津の公休つうのは31日から3日までなんだそうだ。それとは別に1月末には春節つう1週間の休みがある。

ロクな仕事もしてないのに来たばっかで帰るのもあれだが仕方がない。ああTさんおめでとう。
うちはケチな会社なので天津→日本のどこかの高いチケット代が出ず、北京からの飛行機に乗るために移動せなばならない。さらに北京から中部イケてない空港までの便はそんなに早くない朝なはずなのに、中国は変なところで非常に効率の悪い国なのでとんでもない時間に空港に行かねばらならない。そんなわけで日本へ行く時は前日北京泊なんだそうだ。まあなんでもいいよ。

バス乗る前に栗買う。天津たらこれくらいだもんな。バス乗ってしばらくまで熱くて触れない。天津から北京までバスで70元、空港近くのホテルが300元少し、まあいちいち日本円に直す事を考えることはしないけどまあなんだ。納得いかねえなあ。ラジオのやかましい一番後ろの席で眠れず、でもまあ早めに北京着。

この辺だと3人居りゃたまの飯は火鍋ですよ。羊のしゃぶしゃぶをゴマダレで食う。大体一人30元前後くらい。香菜はじめきついのいろいろダメな人は先に言っとけば日本人でも若いのだったら大体大丈夫なはず。つうかなんでも美味いぞ。マジで。食っとけ。


どうということはない、今使ってるフツーのGSM機。カメラもMP3もなんにもないけど、なんか小さくてこれはいい。


2005年12月25日(日) どこいっても同じ

ずっとこっち居る人と買い物行った。来週にも帰るんでなんかみやげとか思ってもなんも買うもんない。うちはほら、父ちゃんも母ちゃんも俺なんかよりずっと海外遊びに行ってるからさあ。何買ってもそんなには。普通のスーパーで普通のお茶っ葉だけ買った。

今日一緒に行った人はこっちで彼女いたりこっちでずっと住む気で居る人で、そりゃ駐在で中国語も必要になるだろうしずっといるならおねーちゃんもこっちで、なんなら仕事場で遊びに行くのも、なんて言ってはくれるが、しばらく居るのが俺も会社もいつまでかわかってないのに、ただでさえ身持ちの固い中国人相手に、というか生まれて今まで彼女とかそういうのなんて必要で作ろうと思ったことなんて一度もないからわからんしなあ。
せっかく一人なんだ。日本語わからなくても飲み友達居りゃいいよ。楽だし。


2005年12月24日(土) クリスマスで飲み行って吐いた

LAN元に戻ってるよ。ボケが。ドライバ入れ直しましたか?ハハハ、ってなんもしてねえよボケ。他の端末も元に戻ってて、レジストリエディタにパスワードかけたPCだけそのままでやんの。バーカ。

家は年末年始どうにもならなさそうだ。去年の今頃と事情が同じはずの社長と言うか従兄弟に、年始の予定の確認のメールはしておく。つまんないこと言ったら殴って辞めるぞおい。

とってつけたように俺の歓迎会と忘年会だそうだ。近所の飯屋でそこそこ人集めて、何言ってっかわかんないけど人は良さそうな現場の人たちと仲良くなるチャンスだ。でも同行のおっさんが早めに切り上げるぞとか言ってるからまあよくわからないけどカンペー用のバイチュンだったっけ?焼酎くらいの程度しかないもんだろうけどグラスにナミナミ注がれたのを全部飲んでそれから飯食いまくってあちこちでカンペーカンペーして騒いで吐いて帰った。万国共通、これである程度はよし。


2005年12月23日(金) しょんぼり電機街

あってそれをわざわざ残してあるのはまあそういうこったろうと思うことにする。どうでもいいがここのインチキ臭いシステム担当は風貌が将軍様に似てて苦手だ。んで唯一どこでも仕事PCは私物ThinkPadくん持ち込みな俺様はさくっと無線LANで、、、DHCP動いてません。

サーバ買イマシタヨこれで速いですよ!って100MBのハブとルータをようやく買ってきたり、ぞっとするくらい何もかもコピー品だったり、新しく入れたPC軒並みXPなのにメモリ128MBだったりどれもよくわからないスパム用ソフトのおかげで社内のメールが全部スパムがどうこうでって件名統一されてたりそもそも回線ヘボいから不良関連画像付きファイルを送ったりしようもんならまたこれもひとつのメルアド使いまわしてるもんだから何もかも止まったりそもそもWindowsの自動更新禁止どころか全部SP0デフォルト状態キープ、、、まあこれは国どうこうじゃないや。日本の工場もそうだったもんな。

電話機と同じように着信音が鳴って、手元で着信等一般的な操作ができるのがいわゆる「Skype対応」なUSBの外部音源なんすよという言葉に反応してくれるのはここでも一緒だ。本気で探せば中国の方がそういうデバイスも種類はあるんだろうなあとか思ったから総経理と電気街っぽい所にでかけてみましたよ。
天津の市内、場所うろ覚えだけどホンチールーのロータリーを国美電器の隣と言うか奥というか、まあこの辺でPC周りのパーツを安く上げるにはここららしい。ひとつの建物に若松みたいな店がたくさん入ってて、マザーだのCPUだのメモリだの中古PCだのはひととおり揃うらしい。並びはそれっぽいんだけどどこもここも置いてるものは一緒てのがすぐ判ってずい分がっかりしたが。上から下まで回ってようやく日本で買ったBuffaloと同じ側のやつがあって100元高ぇなあとか散々文句言って帰ってくる。
本当に側だけだったんだけど声は通じるからまあいいや。いいんだろこれで?>エラいひと。日本の工場とのSkype利用は、もっぱらハンズフリーで済ませられる私のThinkPad君が大活躍です。判ったよ。日本で買ってくるよ馬鹿。

抜糸する。運転手におしえられた、「抜糸」を読んだだけのバースーは中国語じゃないんだなきっと。何回か言うと意味が通じるのが凄いけど。正解は拆线(chai1 xian4)、で抜糸。

帰り際、終日使わなかったThinkPad君片付けながら、「もう無線LAN使えませんか?」って言ったら、(俺様のPCの)ドライバ壊れた?はははとか言われた。慌てて設定見直しとけクソが。


2005年12月22日(木) 住所天津

どうにもならんことはどうにもならない。私の中に神様は居ませんがそう言う事はそういう事です。でもどんな事が起きてもそれが最悪ではないと思うだけのあきらめと覚悟はできてから大人になったつもりです。

Zビザの、出入国の有効回数を増やすだけだとか言われて言い成りになるままパスポート預けてきた公安にもっぺんでかける。よくわかんない半券もらってきたのを返せばパスポート戻ってくるんだそうだ。どうでもいいが今週から病院だのなんだのへ出かけるのも、通訳つけてもらえず現地の運転手と二人でボロい軽のワンボックスで出かけとる。まあなんでもいいんだけど。
いくら払ったか判らないけどもう800元払ったらパスポート帰ってきて、んで新しいシール貼ってあって、外国人居留許可なるシールが新たに追加されとる。うーん。それっぽいな。改めてよろしくお願いしますよ中国の皆さん。

今週はずっと午後から病院だ。英語と違って単語だけ覚えてもどうしようもない中国語を駆使してアゴの傷の抜糸は今日の筈だったがなんか違うらしい。多分最初の耳鼻科の先生が休みだったんだと思う。多分。明天下午。うい。

夜酔ってちょっと暴れる。


2005年12月19日(月) 馬鹿ばっか

日本の工場のおねーちゃんが他の男といちゃいちゃしてるの見てその男を引っ剥がしてぼこぼこにしたら相変わらずそのおねーちゃんがニコニコしながら「あたしらつきあってるわけでもないやん」とか言われる夢見て目が覚めて会社行ったら、仕事場でその人がなんか結婚して遠くに行くから今月で会社辞めるらしいよとか聞かされる。

んで家から多分人生で最悪のメールが来る。


2005年12月18日(日) 飯屋とか

週末。昨日歩いてスーパー行って、今日日本から仕事に来てる中国のSさんとメシ行ったくらい。せっかく久しぶりの土日休みだから、そんときくらいちゃんと寝てれば傷もふさがるかなとか思ったけど関係ない。毎日薬塗るのに病院来いとか言われてたけど、面倒くさいし言葉通じない病院とか行くのもあれだしなあ。

部屋は会社で借りてるというかこっちの社長の顔で借りてもらってる部屋なんだけど、ネットの環境はないんですよね。聞けば月80元くらいでADSLはひけるらしいけど、会社の蹴っ飛ばしたくなるような速度とぶちぶち切れる状態見てたら、ああこれが日本を上回る中国のADSL普及率かなんて思った。いつぞやの某ヤフー思い出した。某。
うんでもこれしかないからお願いしてるですよ。弱いなあ。

飯行った店は飛び込みかなんかで一族挙げてのお誕生日会だったらしい。なんでも親とか祖父母の誕生日には全兄弟とか嫁とか婿とか子供とか彼氏彼女まで勢揃いでお祝いするもんらしい。予約も無いんでフロアには待ってる人が大勢待機しつつ、大体どこでも持ち込みOkらしくジュースだの酒だの、誕生日だからケーキとかまで一杯下げて、、、でもまあ大勢で集まって飯食ってんのはどんな国でも楽しそうだ。親戚どころか家付き合い苦手な僕は面倒臭そうにも見えるんだけど。
あああとあれだ。灰皿あろうとなかろうと、飯くう所はどこでも床にタバコとか灰捨ててもいいてのも覚えたな。いい所だ。


2005年12月16日(金) アゴに

朝シャワー浴びてて派手に転んだ。朝は飲まないので酔ってないけどまあ洗面台で顔打つ。軽く気分が悪くなる位でああこりゃ歯ぁイったかなとか思ってたらどっか切れてて血が止まらない。口の中あちこち切れてるけどアゴがぱっくりと。押さえてりゃ血も止まるかなてなもんで、仕事場に薬とかあるんでティッシュをセロテープで貼っとく。

ガーゼとテープだけありゃいいんで薬局連れてってよって言ったけど、結局日本語わかる人と町医者へ。待合室も診療室もへったくれもない所で、顔に一杯針指したおばちゃんらが大勢怖い顔して座ってるような場所。適当に消毒されて適当にガーゼとテープで160元取られる。んだよやっぱ薬局でいいじゃん。

別の偉い人に見つかって、そりゃおまえ病院だよとか言われる。さっきのテープもメシ食ってたら剥がれてるし。
日本語イマイチな通訳に連れて行かれでかいめの病院へ。通訳途中で居なくなる。廊下でも病室でも普通にみんなタバコ吸ってる様な大きいけどいかにも中国な感じの病院で、何言ってっかわからないまま靴脱げ座れ立て言われベッドに寝かされ穴の開いた布をかぶせられ麻酔効き始める前に手早く縫われる。縫われるの初めてだ。なんと言うことはなかったが、まあこれで喋ったりメシ食ったりしても傷口開かないならなんでもいいや。5針縫ったけど傷口残るかもよとか言われたみたいだけどそんなのどうでもいい。ケツに太い注射打たれ化膿止めだかたくさんもらって終了。1週間先までの検査と薬と抜糸合わせて400元。ああこっちはそんなもんかなあ。

酒と蟹と海老禁止とか言われたけど週末なので街まで飲みに行ってちょっといい所で餃子とか食う。なんでもうまい。食って傷ふさがないとな。

酔っ払ってて転んだ訳でもないんだけど、この調子ならブラックジャックみたいな顔になるのかもなあ。


2005年12月15日(木) 新しい仕事も生活も相変わらずぼんやり

今週。新製品のラインの立ち上げいろいろでうろうろしてたわけだが、そんな関連でお客さんの監査とかの1週間。たかだかメーカーの人が来てもさすがえらいとこの人らは違うのお、とか言ってる自社田舎会社の人たちの話はもういいや。年寄りの人たちが辞めるまでこれ以上会社とか俺の居場所とか悪くならないように祈るばかりだ。

まあそれはともかく晩しかでかけないけどいろいろメシは出かけましたよ。同行はいつも同室のおっちゃんなので、美味いだの不味いだの行く店も限られてしまってアレなんだけれども、それでもたどたどしい中国語で言いたい事くらいはなんとか伝わったような伝わってないような中途半端な気分だけの食事だった。メシそのものは、外国人向けなとんでもなく高いところには行ってなくて近所の店からあちこちいろいろ・・・印象に残るような店はまだないけど、散々脅されてた香菜つうのも難なくこなしてどれもこれも美味かったのでまあいいや。脂だの味付けだのなんだのは好き嫌いだろうけど、野菜もちゃんとメニューにあるのはありがたいですね。ビールはどれもこれも薄いのばっかだから、夜は酒とちょっと皿と、と言う向きには頼むものを選ばなきゃならないけど。
何書いてあるのかわからないから酒は帰りの店でテキトーに買ったものをいろいろ試してるけど、寒いと少々きつい酒もどれも美味いですね。

いやいやトイレの紙が流せないのとあああと言葉が全然わからない以外は全く以って快適ですよ。


2005年12月11日(日) 特にどうと言う事もない休日

休み。朝普通に起きて洗濯とか。同居の上司と言うか先輩が朝コップ割って足からだくだく血ぃ出してる。

この人のおかげで晩も外に出る事はめったにない。特別真面目な性格でもないようだけど、言葉がとか、どうせメシ食いに行ってもとか、おねーちゃんも、とか、中国なんかなにやってもダメさとか言うのはお前らが中国どころか日本の他の地域も認めない田舎者ばっかりだから(略)まあそういう感じで特に一人でいるうちはひきこもり癖も実はそんなにない俺様にしてみりゃ自分で毎日楽しくなくしてんじゃんみたいなそういう感じの人。

まあ休みくらいは出かけるでしょ。

元つうのは1元で大雑把に16円くらい。タバコが4元くらいでビールの350缶が3元くらい。僕にしてみりゃ天国のような環境だが、それでも大体の生活水準からすれば変にケチにもなる。そんなわけで大体市内なら20元で移動できるタクシー乗らずにバスで移動する。これが大体1.5元で、まあバスなんざ前からか後ろからか、先に払うか後に払うか、そんなもんさ。ここらのバスが違うのは釣り出ないから前後の客と相談して一緒に払ったり、降りるボタンないから下手すりゃ出口のドアででかい声出さなきゃいけない事くらいさ。

バッタもん屋で有名っぽい財布買う。80元。騙されてんだろうなあ。まあネタ代は惜しまないよ。イトキンのキレイなトイレ、ああそうトイレは予想通りだとも。イトキンだ伊勢丹はいいんだけど都市部でも普通につまってたり紙ないぞ。あと紙持ってても流しちゃダメで、横に言葉通り汚物入れが置いてあるんだぞどうだ凄いだろ。
イトキンの上でフツーの味噌ラーメン食う。餃子とビールで40元程。少し買い物とかして帰る。

寒い寒いと散々言われてたけどそれでも最悪でも高々マイナス20度くらい、まあそれくらいなら経験則上なんとかなるもんさ。中途半端に寒い所の人はそれより寒いと文句言うもんだが、元々そんだけ寒いと地元の人ってのはそれなりに寒くても楽しむもんさ。街歩いてみて、やたら何をするわけでもなく人が多いのはいいな。身体の機能がどうにかならない限りの寒さは我慢すればいいと思ってる方なんで。いい所さ。

北斗の拳全部読んだ。やっぱラオウというのはエライな。その後はともかく。


2005年12月10日(土) 携帯買った

基本的にこっちの工場は週休2日のはずなのに、来週から立ち上げラインに予定がまだ全然なので土曜出。おかしいなあ。先月から土曜が休みだった記憶ないんだけどなあ。ただでさえ給料安いのになあ。

日本から持ってきた携帯はMotorolaのV171つう愛想の欠片もない、一応メールとか使えるようにしときました携帯で、まあ相場がわかればsonyerrcsonのウォークマン携帯でも買うつもりでいる。んで今日こっちのエラい人に頼んで、SIMを買いに連れて行ってもらう。どんなだせえ携帯でもプリペイドのSIM挿せばとりあえずは使えるようになるんでしょ?なんて思ってたんだけど、中国じゃずい分前から本人確認のないただのプリペイドSIMはやってないんだそうだ。新規の受付がないだけなんかな。言葉わからんしどうもどいつもこいつもそういう意味じゃ素人臭いんで信用できんが。んでしゃあないのでその人と一緒にパスポート持って出てきたわけだ。
もう一人別の日本人スタッフ(日本メイン)が俺も携帯欲しいってんで途中電器屋寄って、なんでもいいんだったらこれ使ってくださいよとかV171使った事ないけど渡しといて、んで何故かC157なる同スペックのストレート機を衝動買い。500元。なんかプレミニっぽくていいなと思ったんだよ馬鹿野郎。MP3だのカメラだののフルスペック機はおよそ4000元程するもんだという確認だけしてきた。来月以降だな。うし。もちろんCDMAなんか全く眼中外。
んで別の店でSIM買う。ChinaUnicom(中国聯通)なるショップ。プリペイドはもちろんやってないとのことで、外国人の僕らはもちろんパスポートまで持って来た訳だが、まあそこはそれ中国、同行の一人の確認だけで俺のも買えてしまう。僕が買ったのは月々に定額(10元)がかかって、国際電話はダメだけどプリペイド分が切れても3ヶ月は未払いでも番号おいといてくれるカード。面白いのは、一番最初のカード代と言うのがあらかじめ店で用意された番号一覧によって値段が全然違うつうこと。っても同じ番号が3つ並べば普通30元くらいのが500元とかになったりするんですよ。もちろん安いの買っとく。んでこのカード代プラスなんぼか、が基本料金含む通話代の代金になる。
これで国内の通話と日本以外のGSM圏内を確保。

プリペイドついでにいうと今のアパートの電気代もプリペイドだ。そもそもの電気容量が足りない事はともかく、こんな汚いいかにもなアパートでも玄関の外にフラッシュメモリだか挿す穴があって、そいつにちっこいのを月イチかなんかで挿さないとダメな仕組みらしい。なんでもかんでも定額払いじゃないからこそ、素晴らしく合理的な仕組みに思えることも多い。


日本から送ってきた特殊なプリンタが使い物にならない事がわかった。日本製たいしたことねえなあおいHAHAHA!、って言いたくても中国語出てきません。


2005年12月09日(金) 天津市内を少し見て回った事

なんでこう。昔から。客先、じゃなくて、超away環境で、よくわからない設備を任されるのが得意なんだろう俺様は。

今日。Zビザの有効回数を1回から増やすために、こっちの総経理(社長)と公安へ。公安つうのは別に政治犯専門でなくて警察のことらしい。んで中国では中国人がビザを取るために公安に来ないといけないらしいので混んでるらしい。8:45とかきっかり指定してくれる社長は素敵な地元の人だ。まあなんかの書類忘れてすごすごと帰る。あと前は俺様の事を少しは気に入ってくれてたはずだけど、最近日本の人で悪い思いばっかりだったとかそんな感じの直接言わないけどみたいないろいろ。難しいなあ。

車で移動してたもんで、明るいうちに天津という街をいろいろ見て回るのは初めてだった。よく見ると古くてかっちょいい建物とか橋とかたくさんあるのな。
スカイビルみたいなのとMBSみたいなのが並んで立ってたりもしたぞ。

中国銀行の周りでうろうろしてる人は外貨の両替をしてる人で、でかい額を持ち出すために合法的に1年に一人は死ぬとかまあよくわかんね。街中のなんとかっつう跳ね上げの、勝鬨橋みたいなのは今でもたまに動かしてるそうだ。超見てえ。

休みになったらいろいろ見て回りたくもあるけど、、、つまんない買い物ひとつでも金額のやり取り以外の事言われても全然わかんねえ。もちろん日本語で聞き返す。


2005年12月08日(木) 3日経った

中国3日目。昨日から工場出とる。こっちで新規立ち上げのライン関連のいろいろについて、こっちの作業者に詳細な指示を出して、ウソだな。笑うくらい中国語全然わかんねえよおい。まあでも機械何個か分、日本から来てる中国人の社員になんとかやってるとかいわれる程度にはそれっぽく熱意は伝わってるようだ。要は伝える気持ちと言葉の数だな。多分。

行く前から散々言われてた、生活環境つうのは全く問題ない。まだ3日目だが水もメシも。スーパーで買い物するくらいは覚えたし、美味い酒はともかくなんとなく重いタバコの銘柄も覚えた。肉買うにしても牛と一緒に同じくらい羊あるのは気に入った。買ったけどどうやって調理するかはまあ今度だ。昼の弁当なんかは煮物しかない日本の田舎より、肉だの野菜だのをめちゃくちゃに炒めてるこっちの方がずい分いいぞ。何より今の時期のマイナス5度前後の心地よい寒さがいい。多少ホコリっぽいがキレイすぎるのも性に合わないしな。何言ってっかわかんないけどやかましい所はやかましい方がいい。ああでも面倒くさいからってミネラルウォーター使わない癖はなんとかしないとな。つうわけで街は非常に期待通りに気に入った。

こっちでの生活は、先に普通ビザでこっちに居た人と同じアパートに住んでてしばらくは1日中一緒に居る感じで、でも長い事居るくせに言葉も買い物もメシも店もあんまりな、まあそんな風なもんで早く携帯さえ使えるようになれば一人ででも街に繰り出したい気分です。

部屋は全くオフラインなのでADSL調べ中というかこっちの誰かにお願いするんだけど、あと携帯も。いや実は電話機も中古でchinamobileのSIMもあるけど新しいの買って来るとも。

まあほらいろいろありすぎて。もう。


2005年12月06日(火) 着いた。

朝起きていろいろ。Yahooで申し込んだホテルのおまけQUOカードが1000円じゃなくて500円だったとか、空港までのバスがトイレ無しだったとかもう今さらどうでもいいや。

7時にバス乗ってちょっと渋滞してて名古屋空港に10時半過ぎ、絵に描いたような田舎の馬鹿高校生団体と777に乗ったのが13時頃で、1時間戻したのに北京着いたのが16時頃、そっからバス乗って天津に19時くらい→タクシーで部屋が20時くらい。まあ同行の人のおかげですんなりこれたけど。
時差も大した事ないし、寒い寒いって言われてたけどまだ0度前後なんで問題ない。そこここから美味そうな匂いがする。とりあえず近所の店でビールとタバコくらいは買って来た。何言ってんのか全然わかんねえwwww

まあなるようになるさ。誇りっぽいベットだが寝る。


2005年12月05日(月) 雪が多いからといって雪に強いわけじゃない

朝起きてタバコ買いに行く時は5センチ程だった積雪が、昼間もガンガン降り続いて帰る頃には40センチ程に。あほか。昼の弁当屋だかの車がハマったとかでメシ中に呼び出されみんなで車押す。ちょっとへこんだけど知らん。つうかタイヤ替えろよ。

今日の今日になってようやく荷物作り始める。そんなに持ってくつもりもないから東京で何もかも捨ててきたのに、気がつけば中くらいのスーツケースに入らないくらいの、、、まあ服ばっかりなんだよなあ。あんまり向こうでキレイな格好もしたくないんだけどなあ。仕事サボりながら荷物作ってて、明日は早いんで街のホテルまで送ってもらうだけ、のつもりが、雪のせいで駐車場から車が出せない、タイヤ替えてない、挙句に出たはずの車が行列になってると思ったら集荷の運送屋が坂登れんとかふざけた事抜かしてやがる。
田舎だから都会の奴には雪とかわかんねーだろみたいなノリは結構だが、朝起きて雪だとわかったら冬タイヤくらい履いて来いボケども。自力で駐車場から出られないならFRのんな。車高落とすな。押されて困るならエアロ外せ。ぐちゃぐちゃで深い雪ならヘルパー積んどけ。それから自分の車だけ脱出できたからってそのまま帰んな。北見は決して雪の多いところじゃなかったけどそれくらい貧乏学生でもわかるぞおい。
心の底からさすが田舎クオリティ。

なんて言いながら普段どおりの時間を肉体労働で過ごしつつホテル着く。明日からちょっくら中国行ってきます。


2005年12月04日(日) 土日

土曜、荷物片付けたりで父と母来る。けど小1時間程で帰っちゃう。仕事→会社忘年会。その後少し暴れる。軽く二日酔い。

AUの携帯止めに出かける。天気いいし暖かいので歩いて出かける。歩いて30分ほどの所にAUショップあったはず。まあでも出てすぐ会社の人の車が通りかかるんで乗せてもらう。北海道セルラー、、、は1回切ったか。東京来てIDOの頃からずい分長い間同じ番号だったけどしょうがない。

んで近くのこれも交換した事ないホールへ。GOGOマリンで熱くなって、花月伝説そういや1回くらいひいてみたいななんて1000まで回したりいろいろで60K程の40K程で20K程マイナス。まあ交換はしたな。

親戚ん家でメシ食う。んで夜遅くなってから帰る。雪。


2005年12月01日(木) やっぱり

うそ臭ければうそ臭いほど、僕のその場だけいいひと付き合いというやつもよくできたもんだなあとか、少しでも思ってもそういう時に限って、やっぱり僕はひとりなんだなあと気付けるのはやっぱり僕がえらいからなんだろうきっと。
裏切られた、なんて、言ってる奴がマヌケなだけなんだろ?ってのが信条だったじゃないか。

同じウソでもまともな人風にウソつく人は怖いよやっぱり。

向こうでもうすっぺらく、うまくやっていけそうだ。


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