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■ 今だから言えること。
今日は、なっちゃんの一歳のお誕生日です。
昨年の今日、新しい姪っ子に会えるのを楽しみに私は仕事に行ました。 昼食休憩時に見た、もう直ぐ産まれる姪の事を書いた姉からのメールに、さらに楽しみは増し、仕事中も姪の事で頭が一杯でした。 仕事が終わると直ぐに、姉の居る産婦人科へ車を走らせ、病院へ着くなり部屋の番号は聞かずに、新生児室へ向かいました。 が、そこに姉の赤ちゃんはいませんでした。 不思議に思いつつも、きっと奥の部屋に居るんだろうと思い、姉の部屋に行きました。 そこで、無事出産を終えた姉に会い、早速赤ちゃんに会いに行ったとは恥ずかしくて言えない私は、新生児室に行った事は言わずに、姉と話をし、部屋を後にしました。 その直後、母から事実を知らされました。
「赤ちゃんが、大学病院に運ばれてる。先生の話では、心臓に雑音が入るって。」
目の前が真っ暗になりました。
その後は、もうただただ呆然とするばかりで、何をしてても、全然気が入りませんでした。
大学病院から帰って来た(義)兄の話では、ここ二日間を乗り越えれたら大丈夫だろうと言う話。 「ここ二日」。 逆に考えたら、この二日間はとても大きな山だって事?
涙が止まりませんでした。
みんなに愛され、待ちに待っていた子が、なんで、どうして。
今までの、姪・甥、誰より心待ちにしてた私。その私が、生きる事に無力でいたから?自分の命を、存在価値を軽んじ過ぎてたバチが当たったの?
自分を責めに責めました。 なんで、どうして、今まで自分の命を、与えられた命を粗末に扱ってきてたんだ。そのせいで、苦しまないでいい子が苦しんでるじゃないか。 こういう時、「自分の命をひきかえに」と神様に願うのでしょうが、ひきかえにするだけの価値もないと思っていた自分の命では、そうは願えません。 「もう(自分を)死んでしまえだなんて思いません、生きてても仕方ないなんて、自分の命を粗末に思う事はしません、どうか、この子と一緒に生かさせて下さい、お願いします!!」と願っていました。 私へのバチならば、生きながらにして私に与えてくれればいい、だからどうか、赤ちゃんの命は奪わないで・・・!!!!
数日後、義兄から「もう大丈夫って先生が言ってたよ。」と聞かされた時は、嬉しくて、本当に嬉しくて涙が止まりませんでした。
そして、生まれてから3週間後、無事赤ちゃんは退院してきました。 まだ、あまりにも小さく、か細く、弱弱しい子。 でも、誰よりいとおしく、守りたい存在でした。 この時、「私はこの子と一緒に生きていくんだ」そんな気持ちがしていました。 いつまでも、この子の成長を見たい、生きていたいと、心から思えるようになっていました。 赤ちゃんの命ある限り、私は死にたくない、生きていたいと思えるようになっていました。
彼女は、生まれながらにして、私にとてもとても大きくて大事な事を教えてくれました。
あれから一年。
彼女は、あの時のか細さ、弱弱しさを微塵も感じさせない位、元気に逞しくなりました。 我が家の大人連中は、彼女に振り回されっぱなしです。 それでも、彼女の成長が見れるのが、嬉しくてたまりません。
私は今、恐らく「転移」といわれるものが肺に住んでます。 今までは、抑えるためにできてた加療が、今回からはできません。
それでも、私は負けたくありません。
彼女が嫁に行くまで、それより先まで。 一緒に生きていたいです。
一年経って、再び彼女がくれた私へのプレゼントに感謝した、今日一日でした。
2006年02月28日(火)
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