潔 ノ 森

2006年08月31日(木)




2006年08月30日(水)

ムクゲ (アオイ科) Hibiscus syriacus

(画像削除)



2006年08月29日(火)

シコンノボタン (ノボタン科) Tibouchina urvilleana

(画像削除)



2006年08月28日(月)

近所の桜並木にヤブガラシが絡まり、昆虫のレストランになっていました。

蜜源植物として重要ですから、あえて庭に取り入れれば蝶が絶え間なく訪れることでしょう。
例えば、

□ 無機質なフェンスにヤブガラシ
□ 空いたトレリスにヤブガラシ
□ 壁面緑化にヤブガラシ


  アバンギャルド。




2006年08月27日(日)


タカサゴユリでしょうか。自然に生えてきた株です。
木陰でよく咲いてくれました。



2006年08月26日(土)

デラウェアの収穫



2006年08月25日(金)



庭に来るアゲハ蝶の仲間は、以下のとおりです。
□ アゲハ
□ クロアゲハ
□ アオスジアゲハ
□ ナガサキアゲハ
□ ジャコウアゲハ
□ キアゲハ

中でも目立って多いのが、クロアゲハ。
「闇」が飛んでいるようにも見え、奇妙な興奮を覚えます。




2006年08月24日(木)


7:40成田着





35になる



2006年08月23日(水)

■ 森林研究所(FRIM)訪問

80年前、フタバガキ科中心に補植された二次原生林内をツリー・ウォークウェイにて視察。








地上に降りて森を散策



宮脇昭先生












クアラルンプール空港にて絵葉書を買う
23:30成田へ向けて出発



2006年08月22日(火)

ビンツル空港  ―  クチン空港



バスで港へ。モーターボートに乗り国立公園へ。

マングローブ林

棘状の気根が地面を覆っています。



■ バコ国立公園









クチン空港  ―  クアラルンプール空港










今日の新聞に、植樹祭の記事が大きく取上げられていました。



2006年08月21日(月)

■ シミラジャウ国立公園


マングローブ林の視察


先駆植物の一種



■ マレーシア農業大学実験林視察


育苗場



■ 植樹祭


手前は去年の、奥の旗で囲っている所が今年の植栽場。

※ 無我夢中で作業をしたので、植栽中の画像はありません。






ホテル周辺の海岸にて



■ 現地スタッフとの懇親会



2006年08月20日(日)

■ ニア国立公園視察




洞窟へ





■ ビンツルへ向かうバスの中にて

道路脇は、見渡す限りアブラヤシ。
マレーシアにおけるアブラヤシ畑の国土を占める割合は、激増しています。森を伐採した後、火を入れ、アブラヤシの苗を植える。その火入れの現場です。


国立公園を除けば、ボルネオの原生林はほぼ消滅したそうです。


■ 勉強会

明日行われる植樹祭の意義、潜在自然植生に基いた樹種の説明、植樹の注意点など。



2006年08月19日(土)

成田出発(13:30)  ―  (19:40)クアラルンプール
クアラルンプール(20:40)  ―  (22:55)ミリ



2006年08月18日(金)


ここ(千葉県市川市某所)の潜在自然植生の樹種を中心にした苗。
殆どがタブノキで、他はシラカシ、ヤブツバキ、クヌギ。

この撮影後、父が自動車で5鉢ほどひき潰してくれました。
その現場を目の当りにしていたせいで、気が付いたら車を思いっきり平手打ちしていました。
両親は、息子の鬼の形相を見た筈です。



2006年08月17日(木)


クロアゲハの幼虫



2006年08月16日(水)

覚書 (いのちの森を生む 宮脇 昭 著 NHK出版 より)

 火をとめた土地本来の森

 森は防災・環境保全林として機能するなどとよくいわれる。しかし、それを具体的に現実のものとして体験した人は少ない。半信半疑の人も多いと思う。われわれがそのことを現実に、最もはっきりした実例として見たものは、あの不幸な阪神・淡路大震災である。
 震災が起こった一九九五年一月一七日、私はボルネオのサラワク州の山地で熱帯雨林再生の現地調査をしていた。CNNの速報版で西日本に大きな地震があり、たいへんな被害が出ているとの第一報を聞いた。私はそれまでの現地調査で、土地本来の本物の樹種は深根性・直根性で地震や台風にも強く、また照葉樹林帯の常緑の木であれば火事にも耐えられると公言していた。
 もちろん現代の科学・技術、そして生態学をもってしても、地震や台風の発生を止めることはできない。しかし、われわれが生態学的な脚本に沿って土地本来の森を守り、また再生して、少し我慢しながらでも森と共生していれば、その被害を最小限に止めることができる、と常に私は口にしていた。科学者は自分の発言と行動に責任を持たなくてはならない。もしこの震災で、すべての土地本来の木、潜在自然植生の主木までもがダメになっていたら責任問題だと覚悟した。
 ボルネオから帰国して、さっそく神戸市の現場に入ろうとしたがとても入れない。あちらこちらとお願いして、ようやく当時の清水建設の環境部長をされていた方の協力を得ることができ、横浜国立大学の藤原一繪教授たちと関西国際空港からヘリコプターで現地に入ることができた。地震が発生して一〇日目のことであった。
 空から見た神戸はまだ一部からけむりが出ていた。神戸の惨状は子どものころに体験した、あの第二次世界大戦の空襲の焼け跡と同じ状態で、どこも赤茶けて崩れた悲惨なものであった。
 ヘリは何とか海岸沿いの防波堤の空地に着陸したが、いわゆる液状化現象を起こし、防波堤のセメントが上につきだしたようになっていた。それまでNHKなどのマスコミの案内をしていたというタクシーをチャーターして、ドライバーに説明してもらいながら災害後でも通れるところを選んで進んだ。長田区などでは柱や鉄筋が倒れて、ほぼ完全に赤茶色の瓦礫と化した悲惨な状態に陥っていた。そして古い神戸市役所のビルはもちろん、最新の技術によってつくられたはずの高速道路や陸橋や新幹線も半壊、または全壊し、鉄筋がぶら下がった状態で、木造の住宅はほとんど燃えつきて灰塵と化していた。
 しかしよく見ると、小さな公園の周りの樹林で囲まれているところには救急車両が止まっていて、一時的な市民の逃げ場所になっていた。神戸の平地の潜在自然植生であるアラカシ、ヤブツバキ、シロダモなどの主木群や潜在自然植生が許容するクスノキなどの常緑広葉樹のところに幅二mの小道がある。火はそこで止められていて、道を挟んだ向かいのマンションは無事であった。
 さらに神社の鳥居は傾いていたが、われわれの祖先が知ってか知らずに植えたふるさとの木によるふるさとの森である鎮守の森、土地本来の常緑広葉樹林はもとの状態を保っている。また古くから植えられているクスノキの並木も、近くのニセアカシアなど外来の落葉樹が倒れたり折れたりしている中で、しっかりと生き残っていた。
 ついでわれわれは、六甲山の麓の高級住宅街はどのようになっているかと思い、歩いて上がってみた。一九七〇年代に神戸市の依頼で六甲山を調査したときはまさに廃山のような状態で、土砂崩れが頻繁に起こり、植えられている樹木は根の浅いアカマツなどが多かった。そこで私は、とくに住宅がはりついている山の麓の周りに、シイ、タブ、カシ類などの照葉樹を残すべきであると提案していた。その案に乗ってくれたからであろうか、古い住宅街には土地本来の照葉樹のアラカシ、シラカシ、ウラジロガシ、スダジイ、ヤマモモ、シロダモ、モチノキなどの屋敷林があった。深根性・直根性のこれらの常緑林があったためだろうか、一部の草地を除いて崩壊していない。火も入ることなく、ちゃんと無事で残っていた。
 本物の木は厳しい条件でこそ本領を発揮するといわれている。同じような緑であっても、まさに火事や地震のときに、どれが土地本来の森であるかが示される。恰好はよくても、台風や地震、火事に対して、あっけなく崩壊するニセモノとの差をまざまざと見せつけられた。場所によって地質の違いがあったとしても、土地本来の森の主な樹種は、われわれの調査した結果では一本も枯れていなかった。



2006年08月15日(火)

  隠喩

 緑花は豊潤な緑葉
 青花は空映す水面
 斑は木洩日さす庭
 黒花は樹にすむ闇








2006年08月14日(月)


セトウチギボウシ



2006年08月13日(日)

台湾ホトトギス

(画像削除)



2006年08月12日(土)


ゼフィランサス・カリナータ
後ろはランタナ、サルビア・グァラニチカ、イネなど



2006年08月11日(金)

JISE国際生態学センターの「マレーシア&ブラジル熱帯林再生実験プロジェクト」に参加するため、19〜24日までマレーシア・サラワク州ビンツルに滞在します。
不可能といわれてきた熱帯雨林の再生が、宮脇方式によって10年でほぼ回復するところまで実証されてきています。このタイミングでこのツアーに参加できることを思うと喜びを抑えることができません。焼畑跡地に樹の苗を植え、土地本来の自然の森(生態系)を復活させるお手伝いをしてきます。



2006年08月10日(木)

覚書
いのちの森を生む 宮脇 昭 著 NHK出版 より

第五章 植生学の金字塔――『日本植生誌』

 どこまでを自然というか

 一方、現存植生はどのようになっているか。照葉樹林帯でも、落葉広葉樹林帯のブナ、ミズナラ帯でも、木炭や薪を取るために、数百年あるいはそれ以上の昔から二〇〜二五年に一回の定期的伐採が行われていた。とくに第二次大戦後は木材の不足に伴って、ブナ、ミズナラ林など山地に残っていた自然に近い広葉樹林も、全国的な針葉樹拡大造林計画によってほとんど伐採されて、自然林はせいぜい白神山地や日本海岸側の山地、さらに下北半島などに部分的に残っているにすぎない。針葉樹林帯の自然林は照葉樹林帯や、ブナ、ミズナラ林を主とする落葉広葉樹林帯よりは比較的残されている。しかし下限付近では伐採されてカラマツが植えられているところも少なくない。
 このように見てくると、われわれが自然林だと思っていた日本の緑、森も、現在では土地本来の森からかけ離れた二次林、造林されたスギ、ヒノキ、カラマツなどの人工林の代償植生であり、極端な表現が許されるなら「ニセモノ」である。では、どこまでを「自然」というのか。
 私の日本列島各地、世界三八ヵ国を足で調べた調査結果では、長い人類文明の歴史の過程で、日本、中国、ヨーロッパはもとより、白人が入植してわずか五〇〇年余しか経っていない南北アメリカ、さらに新しい国のオーストラリア、ボルネオ、アマゾンなどの熱帯雨林や北方針葉樹林帯のバイカル湖周辺でも、厳密な意味での原生林(バージン・フォレスト)は全くないといっても過言ではない。
 ただ、厳密な意味での原生林でなくても、その植生、森を構成している樹種群の組み合わせが原生林と同じか極めて近いものは自然林と呼んでいる。林業的には、植えたものでなければ、森林が破壊された後に自然に出てきた二次林なども自然林と表現する場合があるようである。それはあくまで、土地本来の森の終局相の中途段階、先駆植物(パイオニア)群落や遷移の途中相である。いろんな意見があると思うが、自然植生、あるいは自然の森とは、植物社会学的には、その植生、森を構成している種の組み合わせが自然林に限りなく近いものをいう。すなわち、それぞれの立地の現在の潜在自然植生が顕在化した植生や樹林である。
 『日本植生誌』全一〇巻の各植生図を比較してみても分かるように、首都圏を含む関東、あるいは古くは都のあった近畿地方はもとより、北海道から沖縄、さらに小笠原諸島にいたるまで、厳密な意味での自然林はもちろんのこと、種組成が自然に近い樹林も今やきわめて限られている。
 とくに日本文化の原点ともいわれる照葉樹林帯では、われわれの調査した結果、さらに現存植生図と潜在自然植生図を比較しても分かるが、残された鎮守の森、屋敷林、斜面林などを含めても、照葉樹林は本来の森の領域、潜在自然植生域のわずか〇・〇六%しか残っていない。原生林ではないが、それに近い自然林では九州の宮崎県の綾の照葉樹林などしかない。これが冷厳な事実である。



2006年08月09日(水)


クロアゲハ
嵐が去るのを待っているのでしょう。



2006年08月08日(火)

ツリガネニンジン (Adenophora triphylla var. japonica)
実生からの開花

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2006年08月07日(月)

ブドウ‘デラウェア’

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売るほどなったので、ジュースやワ○ンもつくれそうです。

家庭でお酒を造ることを禁止しているのは世界的にみても日本だけだそうで、酒税法は日本独自の食文化の衰退を招いてきた要因の一つではないかとおもわれます。
台所から芽生えるべき食文化を今一度見直していきたいとおもいます。



2006年08月06日(日)

都立神代植物公園にて




2006年08月05日(土)

セトウチギボウシ

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2006年08月04日(金)


シロダモ、ヤツデ、カキなど



2006年08月03日(木)

Yojiさんから頂いたサルビア苗

□ S.amarissima メキシコ原産
□ S.chienii
□ S.digitaloides 中国原産
□ S.forreri
□ S.‘Gloomy’ (flava x hians)
□ S.interrupta モロッコ原産
□ S.meyeri 南米原産
□ S.pauciserrata ssp. calocalicina ベネズエラ原産
□ S.praeclara 南米原産
□ S.smithii 中国原産
□ S.stachydifolia 南米原産
□ S.striata ペルー原産



2006年08月02日(水)


ミョウガを生けたら花が咲きました



2006年08月01日(火)

カノコユリ (Lilium speciosum)

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