日記でもなく、手紙でもなく
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2002年11月25日(月) 新JAL:経営統合と業務システム、新機内誌などの話

 二つの企業が経営統合されると、当然その統合を象徴的に示すロゴ・マークがまず話題になったりもする。JALとJASの場合もつい先ごろ、新たに発足した日本航空システムの新ロゴを発表している。
 ただ、その企業に勤めている人々の、一番具体的な業務に近いところでは、いわゆる「業務システム」の統合を図っていくのが最優先課題になる。
 
 この業務システムというのが、実はなかなか曲者なのだ。日常業務で使われるコンピュータ・プログラムの考え方、その設計、インターフェイスなどの違いなどはすぐ思い浮かべられる。しかし、そればかりではなく、その企業内の業務手続きや仕事の手順みたいなものと、コンピュータ・プログラムは当然連動しており、このようなところが、曲者中の曲者。そのような業務における手続きや手順といったものは、ある意味でその企業の<文化>であったりするからだ。

 企業が合併するということは、どちらかのシステム、手順・手続きに合わせるという方法がないでもない。但し、これは極めて短期間にそれを実現しないといけない場合の選択だろう。旧来用いられていた業務システムというのは、極めてローカルなルールまで飲み込んでいたりして、傍から見ていると滑稽に見えてしまう場合すらある。

 本当に新たな企業として生まれ変わるという決意があるのであれば、新しい企業文化である手続きを、双方が歩み寄って議論を戦わせながら固め、それを根気よく新しい社内に浸透させるという努力が一にも二にも必要になる。また、そのようなプロセスを踏んで、本質的な経営統合が、末端に至るまで図っていける。
 デザインやマニュアルの変更だけでは、社員一人一人の頭の中は、新しい会社のシンボルが変わったというだけの理解と、ある程度熟知している日常業務の処理手順が書かれた、普段ほとんど使わないような、すぐ引出しやキャビネットの中に眠ってしまう文書が増えたという認識だけが付け加わるにしかすぎないのだ。

 実は、後者のマニュアル上、特に重要なところは、旧来双方がそれぞれ進めていた手続き・手順が、新たにどのように変更されるのか、どのような考え方をベースに、なぜそのように変更されるのか、という点を一番理解してもらう必要がある。
 細かい部分ではあるのだが、実はその細かい部分に、今後の新たに生まれ変わる企業の方向性、新しい環境認識に基づく企業戦略というものが反映されてくることも多い。同時にこのことは、旧来進めてきた旧組織の手続きや手順上、新たな企業の考え方、新しい経営のビジョンや、フィロソフィーなどと、極めて適合する部分なども明示しておくと、抽象的概念とその具体的な業務の中での意味が、一層理解されやすい仕組みとして提示できることにもなる。

 ところで、業務システムというのは、狭い意味で言えば、日常の業務を処理していくプロセス上で不可分なコンピュータ・プログラムを示す場合が極めて多くなっている。BtoC(Business to Consumer)の場合、しかもそれがサービス業の場合では、この新しいシステムが古いものに替わってうまく稼動するかどうか、今やそのことがサービスの品質に関わる部分と深く関連しているだけに、絶対手抜きはできない。この点甘く見ていて大チョンボした例が「みずほ銀行」で、まだ本当に記憶に新しい。

 航空会社を例にとると、(銀行のシステムほどデータのトランザクションが多いとは思えないものの、)業務システムは、予約・発券・入金情報、あるいは空席情報などが、様々な業務のコアと密接に関わっているし、チケット一つ取ってみても、サブ・モジュールとして、搭乗手続き/座席指定の有無によるキャンセル待ちへの対応なども絡んでくることになり、やはりサービス業務の根幹と直接に結びついている。(あるいは、各フライトとそのクルー、各フライトにおける当該クルーの勤務時間と給与などを関連させるプログラム、あるいは、様々なフライトのスケジュールとクルー・メンバーの割り付けなどの処理をかませていると、かなり細かいモジュールが付け加わってくることになる。)
 それらが常時機能してこそ、必要な情報に基づき、様々な利用者への対応業務や社内的な処理業務が可能になる。統合化されたシステムであればあるほど、それが機能しなくなると、もはや混乱しか生みださない。

  ☆  ☆  ☆

 ところで、エアラインの機内各席に置かれていた機内誌も、統合されることになったという少し前にリリースされた記事を、今日たまたま見つけて読んだ。
 旧JALが<winds>、旧JASが<ARCAS>をそれぞれ発行していたが、この2誌が統合され、2003年4月号より<Skyward>という新雑誌になるという。
 
 新しいJALグループの目指す「Dream Skyward(空に限りない夢とよろこびを)」というところから、新雑誌は命名されているとも書かれていた。やはりというか、当然というか、新雑誌の編集長は、旧windsの編集長が引き継ぎ、コンセプトも『<winds>を継承し、視点を絞った切り口・奥行きある内容で「旅」を取り上げ、「より多くの人が興味を持つであろうテーマ」を「上質な読みもの」「美しい写真」で紹介し........「上品な派手さ」「読みやすさ」を感じさせる誌面を目指す』というところに落ち着いている。
 言い方を変えると、新機内誌は、単にWindsの継承形、もしくはよく見てもその発展形であるように思われてくる。口の悪い言い方をすると、windsの発展形の機内誌が名称を変えて、旧JASの機内にも置かれる、ということらしい。
 もちろん、既に経営統合を果たしている新会社からすれば、旧JALや旧JASということで話をしていては、決して経営統合にはなっていないわけで、むしろ新しい形をいろいろ作りながら、新会社が形成されていくと言い直しておくことにしよう。

 さて、この機内誌であるが、ある意味でどこのものも、似たり寄ったりと言えないこともない。若干の違いはあるにせよ、その性格や内容は、かなり重なっているようにも思われる。どちらかの旧機内誌の愛読者がいたとして、統合されて新しい雑誌を読んだとしても、あまり違和感なく捉えられてしまうのではないだろうか、という気もする。
 書店などで一般に売られている雑誌の場合、今回の機内誌のように、発展的統合というのは、なかなかできにくいことだ。同じ出版社の雑誌でも、その一つ一つの雑誌は、当然編集コンセプトも異なれば、読者層・当該誌の購買層なども異なるため、統合して一緒にする、みたいなことをしてしまうと、コンセプトが絞りきれず甘くなり、旧来の愛読者が逃げて販売部数も減ってしまう確率が極めて高くなる。従って、出版業界ではある雑誌を出しつづけるか、あるいは休刊・廃刊にするか、そのどちらかの選択しかないに等しい。

 ところで、機内誌の場合は、書店に並ぶことが目的ではなく、機内の各座席にプリセットされる、ところに大きな<流通>上の特徴がある。基本的にはそれを買ってもらうということではなく、機内で読んでもらうPR用のパンフレットに近い。
 しかし、PRを意図しただけの情報だと、1回手にしたら、たぶん2度と手にされない。しかも、エアラインにとって重要な顧客というのは、エアライン多頻度ユーザーである。このようなヘビー・ユーザーに、できるだけ読んでもらう仕組みとして、機内誌という形で発展してきた。

 当初は、今まであまり知られていなかった場所やその土地の文化を伝えたり、そこでの楽しみ方を理解してもらったりすることで、実は新しい<旅>の需要創造につながっていたと考える。しかし、旅行などに係わる情報が様々な形ですぐ得られるような環境の中では、なかなかそのような情報の鮮度というのは保ちにくいことも事実である。
 むしろ、その機内誌では、既に行き見たところを追体験し、その記憶を強化し、あるいはそこで愉しかったことを思い出してもらう、というような方向が、ある時期以降実は大きくなったのではないか、と私などは見ている。それにより(確かに新しい旅の需要ではあるが)初体験需要を刺激するのではなく、リピート型需要創造の方向に変わっていくことになる。
 このような考え方・編集視点というのは、今でも(全部とは言えないまでも)その核の部分には置かれているのではないか、と思っている。コンセプトそのものはさほど変わっていない、変える必要はないものの、テーマの取り上げ方や切り口を変え、併せてそのテーマに基づく需要層の質的な変化といったものを、確実に押さえておかないと、これも読者の価値観や感覚と、ずれてしまうことになりかねない。

 なお、新しい機内誌の発行部数は、旧来よりも増え、国際線版・国内線版合計で84万部となる。一般雑誌で現在80万部を確保しているようなものは、極めて限られる。また、その雑誌によく接する人こそ、<旅>そのもののフリクエント・ユーザーであること、などを考えると、独特のポジションを確保している雑誌の一つであり、恐らくその特色が今後一層強化されることになるのではないだろうか。


2002年11月24日(日) 国産野菜と輸入野菜

 今回頂いたメールで、野菜をコアにしたテーマを探されているという、その意味や雰囲気が何か見えてきたように思います。ただ、グリーン・ツーリズムを生産者側の視点で見ること、自然環境と子供の情操教育という視点、消費者が求める野菜とその情報、あるいは、国産野菜と輸入野菜.....等々のテーマというのは、恐らく辿っていくと同じような根をもつ問題と関連しているようにも思いました。
 私自身がこれらのテーマの中で、特に関心を持って見ることができるのは、<国産野菜と輸入野菜>でしょうか。このへんのことから少し書き始めようか、などとも考えました。

 今のような時代、特に問題になるのが、中国などからの輸入野菜の安さに(国産野菜が)負けてしまうということでしょう。
 しかしその前に、これとは全く正反対のことがあったりもするのですね。

 現在東京で人気のある、イタリア料理店のシェフは、全てではないにしても、かなり野菜に関心を持っている人が多いようです。有機野菜を使うというのもその初歩的な例ではあるのですが、やはりイタリア料理ということで、日本にない野菜を使わないといけない料理も多いし、それを使うとなると高価な輸入野菜を使わざるを得ない......
 かといって高いのに鮮度は落ちるわ、それで不味いわ、ということになると、我慢できないわけです。

 で、生産地を尋ねて、日本でそのようなイタリアの野菜を作って行くことになります。徐々にこの辺が効を奏し始めて、新しい野菜を作り始め、日本の土壌・気候にあったイタリア野菜の種類も増えつつあるようです。

 もう一つ。日本で特に野菜の種類が多いのは京都です。
 京野菜というのが、ちょっとしたブランドにもなってきています。これも、一時期死にかかっていたところもあります。
 京都とその近辺の気候・土壌でとれるから、京野菜なわけで、そこに多様な品種の作物がとれていたわけですが、それらが西洋野菜に押され、作る人も少なくなっていき、どんどん減ってしまっていくことになりました。
 これも、やはり京都の調理人たちが、いろいろ見直し始め、生産者と一緒に、一部そのような昔の野菜を見直していることもあるようです。典型的には、京都・菊乃井の板長を務める村田吉弘さんとか。

 このへんが、高付加価値型の野菜栽培ということで、全般的に、若い生産者の人が、本当に力を注ぎ始めているわけです。生産者の人も、その野菜がどのように調理されて、客に提供されているのか、それを知ることで、その野菜がもっている力、美味しさみたいなものを、新たに実感するそうです。
 
 ところで、基本的に、<食>という領域では、外食メニューの家庭の中への取り込みというのが、戦後の食マーケティングでは、何しろ大きなうねりだったと思います。
 野菜をもっと食べてもらうためには、当たり前のことなのですが、美味しく野菜を食べられる、という人が増える、ことです。この意味は、毎日食べても本当に美味しい、と感じる素材と、それを調理できる腕と、そのような野菜料理を美味しいと感じる食べ手が同時に増えていかない限り、決して消費は伸びません。

 美味しい和食の店に行くと、調理された煮物の野菜などが本当に美味しく、食べたときに、ああ、自分はこんなものが食べたかったのだ、という気にさせてくれます。
 それは、美味しい中華料理を食べに行ったり、凝りに凝ったフランス料理を食べに行ったりする時などとは全く異なる感覚です。
 サラダというのは、野菜の中でも最も便利な食べ方ではあるのですが、私などは、これだけでは貧しい感じがしてしまうのです。野菜料理というのは、結構手間がかかる、その手間をかけないと美味しくないのですね。
 ここが、なかなか難しいところではないかと思っています。

 以前、某食品事業部で、メニュー開発をしたことがあり、そのテーマが実は蛋白源と併せた野菜煮物料理メニューの開発だったのですね。そのことを、思い出しながら以上のことを書いてみました。

 野菜は必要だ、というのは、誰にも頭の中では本当に良く分かっていることなのですが、それが、なぜちゃんと摂取できないのか、それを阻害しているのはどこなのか、都市生活の中では、その阻害要因が山ほどあったりするのです。
 同時に、それを美味しく食べる技術が失われている、そのことも大きな課題だろうとも思います。
 あるいは、スーパーで買うトマトの不味いこと。これ一つとっても、生産だけの問題ではなくて、また流通にその責任全てをなすりつけることでもないのですね。そのようなトマトを買ってしまう人がまだまだ多いから、その不味いトマトが流れる仕組みが残ってしまう、なんてこともあります。

 野菜ということだけではなく、もっと<食>そのものの全般的な問題が、食のある分野を探っていくと、すぐそこらへんに行き着いたりもします。つまり、野菜を例えば<魚>に変えても、同じようなことが出てきたりしますね。
 昔、食というのは、厚生省や農林省が扱う課題だったのです。それで十分事足りました。今、食をもっと真剣に扱わないといけないのは、文部省や文化庁だという人もいました。

 経済のグローバル化とは、今後もっと多くの安い野菜が日本に流れ込むということです。検疫のチェックの問題だけで、それを押しとどめるということにはなりません。
 日本人が、今の調理力だけで野菜を使っているのなら、そのような調理力に合わせた野菜しか売れませんし、外国からも、それが売れるのですから、そのような野菜が流れ込んでくるということになります。

 イタリアに端を発したヨーロッパなどのスロー・フード運動というのは、やはり、なかなか含蓄のある運動なのではないか、というようなことも感じています。

 あまりまとまりがつきませんでしたけれど、食の問題というのは結構根深いものがあるからだと思っています。


2002年11月20日(水) 午前8時半、歌舞伎座前

 東銀座駅を降りると、その駅のほぼ真上にある歌舞伎座。
 吉例顔見世がすでに始まっている。

 午前10時30分開演なのだが、今朝8時半には、歌舞伎座前では開演を待つ人が、既に100人ほどたむろしている。
 一瞬ぎょっとしてしまう。

 かなり年齢の高い人が多いので、団体なのだろうかとも。ただ、団体なら、座れないみたいなことになってしまうと不公平が出てしまうことになるので、恐らく避けるに違いない。
 確かに昨日の朝より寒くはないとはいえ、決してさほど温度が高いというわけでもない。

 歌舞伎座の前で、2時間も待つことになるのだが、それでもさほど辛そうにしている顔は見られない。楽しい時間が来るのを待つ、それができること、そのような時間をあえて作る、というのも、元気の素に違いない。


2002年11月12日(火) 心臓病や糖尿病の原因

 肥満、悪玉コレステロール、高脂血症、高血圧など、心臓病の原因については様々な直接的な原因があげられており、ほぼ間違いのないところには違いない。
 しかしながら、これらの原因領域に影響を及ぼしているのは、油ものの取りすぎとか、糖分の取りすぎなどが、犯人とされてきているものの、その人の体質の違いや、生活習慣の違いによっても、心臓疾患を引き起こす場合とそうでない場合などがあるようだ。

 低脂質・低糖分の食事を心がけるにこしたことはないが、米国のマウント・サイナイ・スクール・オブ・メディスン(NY)の研究者らは、心臓病や糖尿病の原因として作用するのは、AGEs(advanced glycation end products)であるという研究を発表したという記事が今日出ていた。
 しかも、このAGEsというのは、食べ物の成分に含まれているということではなくて、炒める・焼く・電子レンジ調理などのように、<急速に加熱を施して調理する方法>を用いた場合、このAGEsというのが、糖分、脂肪、タンパク質の相互作用で、すぐにできてしまう、というところがポイントになっている。

 旧来の食べ物の中に含まれる成分であるとか、油で揚げたもの、というような、その食べ物の成分的概念による原因の設定とは、考え方としては180度異なるものである。
 AGEsの発生が少ない調理法というのは、蒸す・茹でる・煮るというような調理法であり、反対に一番良くないのが、強火で長時間調理する料理であるともいう。

 これは困ったことになる。レンジでチンというのは、今や当たり前すぎる便利な調理法の一つになっている。
 炒め物が好きな私などは、体の中はAGEsだらけに違いないだろうし、そうであれば、心臓疾患などにかからないほうが不思議と思われる体になっていそうだ。

 研究では、AGEsが形成された場合、それをどうやって減らすか、というような点については、まだ触れられていなかったようだが、さて?


2002年11月09日(土) 国立

 武蔵野線で西国分寺乗り換え。国立まで行く。
 以前ここの駅を降りたのは、もうずいぶん昔だったような気がする。

 一橋大学側へ出て、ぶらぶら歩くと、やはり当時の店とはずいぶん変わったようなところもあるし、昔よりもずいぶん店が増えたという感じもする。
 
 家を出たときには、かなり晴れ上がっていて、武蔵野線の電車の中では少し暑い感じすらしたのだが、12時前にここに着いたら、黒雲が出て空模様が怪しい。
 怪しいと思ったら、雷が鳴って、ぽつりぽつりき始めたかと思ったら、かなり降り出した。これは参ったと思ったが、なんとかすぐに雨は上がる。
 しかし、一雨の後、空気が急に冷たくなってしまう。

 


2002年11月03日(日) ケーブルテレビ

 我が家で契約しているケーブルテレビ(基本+NHK・BS)は、11月から基本チャンネルが更に3つ増え、(11〜12月は移行期間で料金据え置きだが)来年一月から月額で500円上がることになる。
 ちょっと、う〜ん、というところもある。

 少し前までは、FOXの「Xファイル」や「ミレニアム」などが面白くて、しっかりビデオ録画して見ていたのだが、今はXファイルは以前の作品の再放送くらいだし、ミレニアムはもうなくなっているし。
 それ以外で、たまに映画を見なくもないが、番組表が不親切なので、あまり映画チャンネルを見るということもない。
 
 ケーブルテレビを契約した頃は、ディスカバリーや、すぐ追加されたヒストリーチャンネルなども見ていたが、最近はとんとご無沙汰してしまっている。
 そういう中で、チャンネル3つ増やしましたから、500円値上げしますといわれても、嬉しいという気は全くしない。
 単なる値上げだろう、というように勘ぐってしまう。

 今年の年末年始休みは長いので、その期間でも、あまり見るものがなければ、やはり契約解除か、などとも考えたり。


2002年11月02日(土) 3連休の初日に

 今年は9月以降、これで4回目の3連休になる。
 午前中は冷たい北風が強く吹いて、少し早めに起きたものの、家の中でうだうだしてしまう。

 日本ではこれだけ不況になってしまうと、休みが増えても、お金を使わずに楽しめることを考える人が増えるのではないかと思ってしまう。
 経済成長著しい中国だと、休みを増やすと消費もかなり増える、というような効果が出るということを、以前TVのニュースで見たことがある。特に、観光旅行が増えるのだという。

 そういえば、香港が中国に返還された後で、仕事で香港へ行ったときのこと。
 陽も落ちかけて夜に入っていく頃、例の有名なケーブルカーに乗って、丘の上まで行ったことがあった。
 中国本土からの団体の観光客で、丘の上にあるみやげ物店が、えらく混雑していたことを思い出したりもする。

 午後、損保ジャパン・東郷青児美術館まで行く。閉館時間が一時間延び、午後6時閉館になったようだ。この一時間の差は大きいようにも思う。
 午後5時閉館だと、4時半までに入場しないと、その後だともう入れてくれない。中には15分で十分見て回れる展覧会があるにもかかわらず。5時閉館というのは、やはり早い感じがする。
 (しかし、たぶんそれで入場させても、見終わらないでごねる客がいるだろうというのも、十分想像はつくが。)
 
 3連休、あと一回、12月にもやってくる。
 21〜23日。クリスマスが外れた3連休だ。今、クリスマスと休日が重なると、家でクリスマスを楽しむ人が圧倒的に多くなるので、今ひとつ消費も盛り上がりに欠けるのだが、今年は果たしてどうだろうか。 


2002年11月01日(金) Jさんのいた店

 金曜日の夜、池袋へ寄ることが、9月後半以降本当に多くなった。
 山野を覗いた後などに、Jさんの店にふらりと寄った。顔を出すと、<元気、ご飯食べた?>と聞く。もちろん、これは中国の挨拶を日本語で言っているだけなのだが、これを聞くとつい笑ってしまっている自分がいた。

 今日店の前まで行ったら、やはり扉は閉まったままだった。
 月曜日早朝、携帯に入っていたJさんからの着信記録が、最後のメッセージといえばメッセージだったのかもしれない。まだまだ日本にいたい、そういう話も聞いていたのに。

 ある時は本当に10代のような表情を、ある時はずっとお姉さんような表情を、その中に見ていたような気がする。先週、30代半ばだということを初めて知った。
 
 やがてすぐ、別の店になるという。
 夜の空気が冷たい。


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