日記でもなく、手紙でもなく
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2002年01月27日(日) NHK<若冲>


 お正月に放送され、ビデオに録画しておいた番組、<若冲>を見る。近年再評価が進んでいるユニークな江戸期の絵師。

 若冲の世界一のコレクターは、実は米国の人。自宅では、カリフォルニアの明るすぎる光を避け、ブラインドと、日本の障子(風のもの)で外光をコントロールし、蝋燭の炎の光で、ゆらめく若冲の絵を見るのが、一番ということらしい。
 こういう人がいてこその再評価でもあるのだろう。

 この米国コレクターが捜し求め、実物を一度は見たいと思っていた作品が、全30点で構成される<動植彩画>。
 もともと、相国寺に若冲から寄贈されたもので、かつては年に1度全作品を一室にかけて、見られたという。
 現在、御物になっているので、なかなか見ることもかなわない。

 一度は、忘れられた絵師だったが、今の時代に復活している−−というのは、おそらくそこに何らかの理由があるはずだ。
 徹底した観察に支えられ、重ね塗りの一切ない画が、どうしてここまで人を惹きつけるのか。拡大してみると、線の迷いが一切ないようなことも見えてくる。

 若冲といえば、なにしろ<鶏>の絵が、とても生き生きしていることは知ってしたが、それ以外の動植物をテーマに、数々の作品を多数描いていたことがよくわかった。
 鶏が一番手頃に観察できた、ということだったようだ。

 今や、新しい伝説の絵師、若冲である。


2002年01月26日(土) 青磁

 銀座にあるギャラリー・バーで、知人が陶芸作品の個展をやっている、ということを知り、行こうと思っている間に、最終日になってしまいました。

 今日も仕事があったので、会社で作業をしていると、なかなか終わらずに、午後6時近くになった時点で、たぶん顔を出していると思い、ギャラリーのほうへ電話をいれてみました。
 マスターと思しき人が出て尋ねてみると、ええ、こられてますよ、というので電話を代わってもらうことにしました。

 いや、仕事が終わらなくて....また、ぜひやるときは連絡してください、という話をしたものの、仕事のほうがある時点でこれ以上進まなくなりました。
 ちょうど9時前頃。覗いていくか....

 雨脚は弱まらない中、ギャラリー・バーへ向かいました。
 Mさんは、今日は早くからきていたので、先ほど帰ったばかりです、というマスター。それでも、作品をみせてもらうことにしました。
 白〜青磁系の、作品がほとんど。ああ、こういう雰囲気だったのか、手にとりながら、そんなことを思いました。

 Kさんというマスターと雑談をして、そこを出ると、バーの柔らかい暖かさの空気とは裏腹に、まだ冷たい雨脚は弱まらず、かえって強くなっているようでした。


2002年01月21日(月) 雷雨


 朝、会社のそばまで歩いてきたときに、急に雨が強くなり始めました。
 昼食に出た時にも、かなり強く降っていました。

 仕事をしていたら、何か光ったような−−、そう思っていたら、ゴロゴロという雷。春雷というには、時期が少し早い....

 会社を出たときは、やっとあがっていました。
 不思議に暖かい夜。

 春一番は風なのですが、雷の春一番みたいなものがあるのかもしれない、などとも思ったり。


2002年01月19日(土) 通貨ユーロ:その後


 ユーロの流通開始後、様々な状況がニュースで伝わってきています。
 通貨そのものの普及は予想以上に速く、遅れていたイタリアも、2週間強経った時点で、9割を超す普及状況に達しているようです。

 興味深いのは、単に通貨が流通しただけではなく、<気持ちのつながり>のようなものも形成されてきていることでしょうか。
 昨日と今日の日経朝刊に、「ユーロが変える」と題されたコラムが掲載されていました。それによると、ユーロによって、自分たちは<欧州人>という実感を与えた、みたいなことが取り上げられていました。
 つまり、『絆そのものを意識させる<メディア>』としても、新しい通貨が機能している面があるということのようです。

 通貨ユーロは、圏内どこでも使えるものの、実際の紙幣や硬貨を見ると、同じ1ユーロでもデザインが国別に異なっているのが面白いところです。コラムによると、イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙による<政治的通貨>というコトバも紹介されていました。

 ある国の中では、当然その国のデザインのユーロ硬貨や紙幣が、当然一番多く流通しているはずです。しかし、それだけではなく、別の国のデザインのユーロも混じってくることになります。人の行き来が多ければ多いほど、別の国のデザインのユーロの混じり方も多くなります。

 他の国のユーロ紙幣や硬貨が混じる度合いなども、そのうちに確認されていくのだろうと思います。
 このへん、通貨発行量の多い(市中流通量の多い)国は、国力があるというように見なされるのかどうか、ちょっと考えてしまったりもします。
 入国時に通貨を交換する、みたいなことをやっているのであれば、外貨を稼いでいることになるのでしょうが、デザインだけが異なるユーロが区分けして果たして使われるのかどうか、そのへんは当然怪しくなってしまいます。

 ただ、以前の国境を前提としている限り、ユーロの本当の意味はなかなか見えてこないようにも思うところです。むしろ制度上の違い、税の違いなどのほうが浮き彫りにされ、それらが平準化していく可能性もあるし、気持ちが本当に一つにまとまってしまえば、旧来の国という境目の概念そのものが消えていくことになるかもしれません。

 政治的通貨という概念がこれからも残っていくとすれば、それぞれの国のエゴみたいなものも強く残っている、ということを言っているに過ぎないような気もしてきます。


2002年01月14日(月) 成人式


 前日、前々日などより、少し空気が冷たい感じもする。

 有楽町駅の階段を下りていく和服の艶やかな女性2人。右横を先に抜けていく時に横目でみると、とても若い。そういえば今日は成人式。
 慣れないせいか、階段を下りていくのが少しぎこちないところもあるが、可愛らしい簪が2本髪に挿されていてほほえましい。

 成人式などやめてしまえと、ほえているような人も、最近後を絶たないが、さて?


2002年01月11日(金) ワインの故郷(の一つ)、ナーエ・エリア


 会社のほうに、「ドイツワインの三色旗をご存知ですか?」というアンケートの入った封書が届いていた。
 ドイツワインで茶と緑が、それぞれラインとモーゼルである、ということくらいは、ドイツワインを2度くらい飲めば、だいたいわかってしまうくらい。初級レベル。

 しかし、もう一色の青というのは知らなかった。
 正解は、<青>のナーエ地方のもので、ちょうどモーゼルとラインに囲まれたようなエリア。青色のボトルというのは、確かに記憶があるが、茶と緑のボトルほどには見かけない。
 添付の手書きのような、かなりラフな地図に示された実際のエリアを見る限り、ラインが一番広く、その半分強がモーゼル、更にモーゼル・エリアの半分弱が、ナーエというように示されている。

 ドイツワインを2本セットにしたようなギフト箱だと、だいたい、モーゼルとラインを1種ずつ入れてあったりするものが圧倒的に多い。

 このナーエワインを知ってもらおうとするアンケートであるのなら、このDMは成功しているのかもしれない。


2002年01月06日(日) 宮坂不二生・監修「ボサノヴァ・レコード事典」(ボンバ・レコード刊)

 昨年の10/25付日経朝刊文化欄に、それを監修した宮坂不二生氏自らが、<ボサノヴァ・レコード事典>について11月発売予定ということを書かれていた(*注)。実際には昨年12月末くらいに店頭に並び始めていたものの、値段を見たら2800円もするので少しためらっていた。

 ビルボードの年末号(今年度の各ジャンル別ベスト100が掲載されている特別号)がそろそろ入っていても良い頃だと思って、銀座山野まで行ったら思惑通り入っており、ついでにボサノヴァCDが並んでいる棚に、この本も並んでいたので、ついでに購入しておくことにした。

 このレコード事典の内容だが、宮坂氏のボサノヴァLP約2000枚のストックから574枚を選択し、そのアルバム(アーチスト)について(宮坂氏含め)7人で解説を分担してまとめられている。確かに形としては、よく見かけるようなものではあるが、さすが!と言わざるを得ないようなセレクションが見事。ボサノヴァのことを知っていると思っていればいるほど、ここでのアルバム選択について感嘆してしまうのではないだろうか。

 そのセレクションだが、ぱらぱらとページを繰って見ると、今までのボサノヴァのレコードを扱った本とは根本的に異なるところが2つある。
 一つは、取り上げられているレコードが、記録性を重視しているためか、(現在CDとして再発されているような盤もないわけではないが、)既に廃盤となって長い時間を経ているものも、数多く多く取り上げられていること。この人、この歌手にこんなアルバムまであったのか!と思わせる盤もかなりあり、まさにジョアン・ジルベルトやA.C.ジョビン、セルジオ・メンデスあたりが、正にボサノヴァなのである、などと考えている人には(それはそれで確かに間違ってはいないものの)、ボサノヴァの裾野の広がりを認識する、強烈な一撃となる本に違いない。
 もう一つは、ブラジルの歌手だけではなく、米国やヨーロッパの歌手が歌ったボサノヴァの盤も、ページをぱらぱらと見ていると、そこそこ取り上げられていること。その意味で、世界的に広がっていったボサノヴァを、実際のレコード現物の視点から検証し、捉えていることになる。ここがボサノヴァ・ファン以外にも特に興味深いところになってくるだろう。

 何しろ驚いたのが、1963年に発売されている、カテリーナ・ヴァレンテ&ルイス・ボンファというレコード。活躍した時代を考えてみれば、あるいはヴァレンテのレパートリーの広大さを考えてみれば、十分にあり得ることだとも言えるのだが、実際にジャケットを見せつけられると、こんな盤があったのかと驚いてしまう。まさに、このような盤を取り上げている視点が、旧来のボサノヴァ本には全く欠けていたのではないかと思う。

 このような視点で見ていくと、ドリス・デイの<ラテン・フォー・ラヴァーズ>、イーディ・ゴーメ、Hi-Lo's、ジョニ・ジェイムス、フランク・シナトラ、スティーヴ&イーディ(withボンファ)、リタ・ライスがジョビンの曲を歌ったアルバム、あるいは、最近CD化再発されたナンシー・エイムス、更にアート・ヴァン・ダムやシンガーズ&リミテッドの盤なども、きちんと取り上げられている。
 キティ・カレンにボサノヴァ・アルバムがあったことなども、全く知らなかった。まだまだある。アンディ・ウィリアムス、ジョニー・ソマーズ、ペリー・コモ、トニー・ベネット、ヴィック・ダモン。国内のアーチストでは小野リサも登場するが、これも音楽好きな人から見れば、納得できる選択だろう。小野リサにしてみても(彼女の選曲の幅を考えれば考えるほど)ここに選ばれたことについて、光栄に思うことなのではないか。

 ジャズ系では、スタン・ゲッツやポール・ウィンターなど、CD化されて今なお聴かれている盤以外にも、アンドレ・プレヴィンのアルバムが挙げられていて、これにもほとほと感嘆してしまう。また、ジャズ系以外の演奏ものでは、パーシー・フェイスの盤が取り上げられていて、これは拍手。

 音楽というものの面白さは、芋づる式にたぐっていくような聞き方をしている人であればあるほど、その面白さについてよくわかっているように思うが、本当に好きな人なら、その蔓をたぐりながら、一層その深みにはまっていくところもある。しかし、深みにはまると同時にその広がりをも実感する。

 ところで、既に廃盤となって長い時間を経ているような盤がかなり取り上げられていると書いたが、例えば、私の好きな、ルイス・ボンファのアルバムが(CD含め)、574枚中リーダー作が13枚も登場しているし、歌手ドリス・モンテイロの盤が12枚も取り上げられているのは、恐らくこの本くらいではないだろうか、というような気がしないでもない。
 マリア・トレードは、ボンファのリーダー・アルバムで共演しているものの、マリア・トレードのリーダー作というのが、ユナイテッド・アーチスト・レーベルから1963年に発売されていた、ということもこの本を見て初めて知った。
 やはりもっとCD化して再発して欲しいような盤というのは、まだまだ山ほどあるのだということも、恐らくこういう本を見る人なら、強く感じてしまうのではないかと思えてくる。

 それにしても、ヴァレンテとボンファの共演アルバムというのは、一度ぜひ聴きたいものだと思っている。なお、ヴァレンテやトレードのアルバム・ジャケットは、この本の中のカラー写真ページにも収録されている。

(*注)2001年10月25日参照


2002年01月02日(水) 新年


 1日元旦は、今ひとつ体調が思わしくなく、寝正月。

 2日は昼少し前に外出。
 新宿の京王プラザホテルロビーで知人と待ち合わせ。小田急百貨店が開いているので、そこのレストランフロアで食事をしようと行ってみたら、どこも入り口に人が10人ほどは待っている。

 一番上のフロアのなだ万賓館、すしコーナーか鉄板焼きコーナーなら、すぐ席が用意してもらえるという。結局鉄板焼きのコーナーで、ランチ2500円を食べる。家族連れ6人で来ている人も。
 ただ、鉄板焼きは鉄板焼きだなぁ、店を出てからそんなことも。


2002年01月01日(火) 流通し始めた通貨ユーロ


 1月1日から、ヨーロッパは通貨ユーロが流通し始めた。ここまでくるのになんと30年かかったという。確かにECからEUという名称については、かなり以前から徐々に目になじんでいった感じがする。
 1990年頃、オランダに住む人が話をしていて今でもよく記憶していることがあって、簡単にヨーロッパというのは一つにならない、それぞれの国に歴史があり、文化があり、風俗習慣がかなり異なるのだから、どだいそれを一つにするのは無理だ、という。
 ただ、文化を一つにするのは無謀だが、市場経済的な側面から言えば、同じ市場の中でモノやサービスが流通していったほうが、市場効率は圧倒的に良くなり、そこに新しい競争が生まれ、大きなマーケットの中でビジネスをつくりだすこともできていく。グローバル化する経済の中で、ヨーロッパの通貨統合というのは、ドルのグローバル化に対しての、ヨーロッパ挙げてのカウンター攻撃でもある。
 
 かつてヨーロッパに行った折、とりあえず持っていくものはドルで持っていき、最初ロンドンでポンドに換え、次にポルトガルで換え、更にパリで換え、短い10日くらいの間に、3回も通貨交換したが、今なら大陸側だと通貨交換は1回位で済んでしまうことになる。ヨーロッパをあちこち短期間に回らざるを得ない旅行者などにとっては、この上なく便利になった。

 実は、今回の通貨統合は、経済統合を促進する手段として、採用された一つの手であるという。従って、当然国によっていろいろなところで価格差が明らかになってくる。ある高額商品の価格が、極めて安いところがあるとすると、それを求めて多くの人がそこへ買いに行くということになる。
 価格差が明らかになると、例えば<労働の対価>一つをとってみた場合、同じ仕事をしても、ペイの良いところと悪いところが出る。この価格差が歴然とすると、(言語の問題やそのエリアの物価等々は今考えないことにすると)ペイの良いところへ人が流れていくことになる。
流出したエリアでは、人口=市場が小さくなり、供給量が変わらないなら、需要が減ると価格が下がり、ペイは少し低くても、物価が安いので住みやすい、みたいなことになる。
老後はそのエリアに住む、みたいなことを考える人が増えたりすると、仕事が増えると同時に需要量が増えることにもなる。
 
 恐らくこのようなサイクルを徐々に繰り返しながら、ある程度安定し平準化が進行していくことになるのだろう。
 確かに通貨統合により、大きな経済圏が生まれてきたわけだが、決してこれからの道は平坦ではないだろう。言語・文化の違いにより、経済だけの統合では、予測できないことがらも多々生じてくるに違いない。
 その意味では、大いなる実験でもあるし、21世紀のヨーロッパを一つの市場として捉えた、まさに国家100年の計に近いようにも見えてくる。

 小泉さんの構造改革についても、本当はこれくらいの規模と視点からやってほしいと思うのは、僻みだろうか。


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