日記でもなく、手紙でもなく
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2001年08月31日(金) 東京富士美術館

 会社はお休みにして、東京富士美術館まで行くことにする。
 昼過ぎに出て、JR八王子駅北口からバス。創価大学正門の正面にあるらしい。富士美術館行きバスそのものは、さほど本数があるわけではないが、そこを経由して行くバスを含めると、決して少なくはない。
 15分くらいかと思っていたら、そこに着くまでに25分はたっぷりかかる。渋滞などがあると、恐らく30分以上かかるかもしれない。さすがに遠い感じ。

 外観はややタイル張りのような建物で、今の時点で見るとやや古びて見える。日本ではルネサンス以降の西洋絵画の所蔵数では、有数の美術館とも言われており、東洋、日本などの作品含め、数万点を所蔵しているらしい。
 今回ここまで来たのは、もちろん日本にはこの美術館に1点だけ所蔵されているという、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品が見たかったからに他ならない。ところが、9/8から札幌芸術の森美術館で、その開館15周年を記念して開催される、 この富士美術館コレクションによる<ヨーロッパ絵画300年展>のため、かなりの作品が出払ってしまっており、何のことはない、ラ・トゥールの作品は、その中の目玉になっているらしく(入り口に貼られていたポスターでは、その写真が一番大きかった!)、今回は残念ながら見られずに終わった。

 企画展として、江戸期の生活美術品展が行われており、蒔絵の容器や屏風などを含む展示がされていた。ただ、これを見たくて来たのであれば、もう少し身を入れて鑑賞するのだが、そういうわけではなかったので、ざっと見て回ったというところ。他にも、ナポレオン室のような場所もあり、どうもこれは恐らく嘗て開催された、ナポレオン展の残り香のような感じもした。

 西洋絵画の多くは、SK展示室というところに置かれているのだが、いいものが出払ったとはいえ、それでも、ギルランダイオやモネの女性画含め、見るべきものはいくつかあったのも事実。ただ、やはり見たいと期待してきたら、それがなかったガッカリ感はなにしろ大きい。
 しかもこの美術館までは、往復する時間だけでも4時間見ておく必要があり、本当に1日がかりで来ないといけないわけで、その意味で満足度はかなり低いものにならざるを得なかった。
 その美術館の所蔵作品で、どうしても見たいものが1点、2点ある場合は、展示されているかどうか、予め確認してからのほうが良いということを、今回思い知る。

 今年の11月1日〜12月9日の期間、<女性美の500年>展が開催される予定で、約200点の西洋、日本の絵画・版画・写真などで構成された特別展が開催されることになっている。


2001年08月28日(火) 鰻まぶし

 鰻というのは、東京と大阪とで、少し調理の仕方が違っていたりします。関東の蒲焼は、蒸しあげてから焼くので、油くささをかなり落とす感じにななるようです。
 名古屋へいくと、「櫃まぶし」というものがあり、一度名古屋駅の百貨店の地下でこの弁当を買い、新幹線の中で食べたことがあります。弁当のご飯の間にも、焼いた鰻が挟まれている2段重ねの鰻です。
 薬味なども別についていて、途中からそれを振りかけて食べ、(後から人に聞いた話ですが)最後にお茶漬けのようにして食べるとのことです。

 たまたま、銀座メルサの飲食店のフロアにある、松江料理の店で、<鰻まぶし>という昼のメニューが、1Fの入り口のところに案内されていたので、その店まで行ってみることにしました。

 店に入ってわかったのが、<うなまぶし>とよむとのこと。
 茶碗蒸つきのと、ついてないのとが用意されているというので、当然安いほう(といっても昼で1800円もする!)をお願いしました。

 宍道湖の天然鰻ということで、ご飯の上に鰻が乗っているのですが、その周囲にざる蕎麦にかかっているような、細かい海苔がたっぷりかかかっています。
 これを、最初はそのままで、次にねぎや山椒の実をかけて食べ、最後に出汁つゆをかけて、お茶漬け風にして、3等分して食べて下さいと言われるわけです。

 聞いた名古屋あたりの櫃まぶしスタイルの食べ方に近いようです。
 宍道湖の天然鰻は、さすがになかなか美味しくいただきました。ご飯の量がたっぷりあって、満腹......


2001年08月27日(月) ブラームス/交響曲集(ケンペ指揮・ミュンヘン・フィル)


 この2年くらいの間に、ルドルフ・ケンペが残した録音が、徐々にCD化再発が徐々に進んできている。DISKYレーベルから発売された、ミュンヘン・フィルとの「ベートーヴェン交響曲集」は、安価な割に、極めてレベルの高い内容だった。
 更に今回、ミュンヘン・フィルとの、ブラームスの交響曲1番〜4番、全曲を3枚のCDに収めた盤が、輸入盤を扱う店に並び始めている(4000円前後)。74年の録音で、当時LPは75−76年に発売された内容。

 この中の、一番好きな交響曲第一番を聴いてみる。
 演奏全体としては、この交響曲の旋律と和声のバランスが良く、比較的美しい仕上がりの演奏になっているように思える。この曲の場合、第一楽章と第四楽章が比較的長く、どうしてもこの2つの楽章にハイライトがあたりがちだが、ケンペのこの盤では、第二楽章の美しさは、とりわけ素晴らしい。バランスの良い演奏であるため、これ見よがしなところがない。
 ブラームスの曲は、演奏者によっては、なかなか渋い感じに仕上がってしまい、その傾向が強くなると、ややとっつきにくい側面が出てきてしまうのも難点の一つではあるが、あまりそれを感じないで最後までその演奏に浸りながら聴ける。このへんがケンペの良さかもしれない。

 なお、音質そのものは、70年代半ばの録音によるCD化再発とすれば、マスタリングはもうちょっと良くなっても良いか?という気もするところ。


2001年08月22日(水) 台風接近? その2


 動きの遅い困った台風が関東圏にも向かってきている。
 昨日の段階では、昼ぐらいには通りぬけてしまうような感じだったが、潮岬付近に上陸して、三重の熊の灘に抜けるのに、ほぼ12時間近くもかかっている。変動もあるが、時速10〜20kmなので、せいぜい自転車程度の速度。
 そのため、関東接近の時間もかなりずれてきており、今日の午後、東京は暴風圏に突入しそうな気配だった。

 ところが、午後3時頃、ほとんどそれとわからないまま、東京上空を通過して行ったという。

 午後1時30分過ぎに、暴風雨になりそうなので、早く帰っても可、というような社内放送が流れた。早く帰ろうが帰るまいが、午後7時に新宿で人と会う約束があったので、会社にいたほうがいいか、くらいに思っていた。

 別途話を聞くために、午後2時前に会社を出たときは、そろそろ風雨が強くなってきそうな時。東銀座の交差点近くで、広げた傘でかなり強い風雨を受け止めるのが、少し大変だったものの、なんとか先方へ到着し、話を終わったのが、午後4時半を越した頃。その時は既に空がかなり明るくなってきており、台風はどこかへ行ったのだろうか、みたいな話も。
 会社に戻って聞いてみると、千葉のほうをかすめていったらしい、という。

 全然台風が通過して行った感じはしなかった。一体何だったのだろうか、という話でその時は終わった。

 新宿で地下鉄から降りて外へ出ると、本当に蒸し暑くなったが、高層ビルから更に西を見ると、夕焼けに、富士山のシルエットがきれいに見えたりもした。
 水気不足の台風は、あまり雨を降らせることなく、東京上空を通過して行ったことを後で知る。


2001年08月21日(火) 台風接近?

 朝のTVでは、和歌山県の串本などから、生放送で台風接近のニュース。空の便も、運休になっているところもある。
 こちらは、細かい霧のような雨。

 昼食に出る時だけかなりの雨だったが、午後すこし小降りになったようだ。
 京都に住んでいる人の、掲示板の書き込みでは、すごい風だとのこと。

 やはり速度が遅い台風だ。時速15kmくらい。自転車の速度。

 明日は、午後築地にある会社まで行ったり、夕方知人と食事をするため新宿へ行ったりするので、早く通り抜けて欲しいというのが今の心境。


2001年08月18日(土) パシフィコ横浜


 雲が多く、今ひとつすっきりしない空だったのですが、パシフィコ横浜で開催されている、<イタリアと日本・生活とデザイン展>が、19日で終了することもあり、できれば見ておきたいと思っていたこともあって、午後から(池袋経由で)横浜まで向かいました。

 地図で見ると、桜木町から歩いて行けない距離ではないのですが、みなとみらいエリアというのは、大きい建物がぽつん、ぽつんと点在しているだけで、その建物と建物の間の間隔が広いため、あまり歩いていても風景が変わり映えせず、その意味で歩いていても面白くない、結果遠く感じるような気がします。
 これは、埼京線の駅まで、ほんの少しだけバス停から歩くときにも、同じような感じがするのですね。
 たかだか、10分かそこら歩く程度なので、たいした距離ではないのですが、なんとなく歩く気がしません。

 桜木町から、本数は多くはないものの、パシフィコ横浜までバスがありますので、最初からこのバスに乗ることにしていました。ただ、このバスが、来そうでなかなか来ないのですね。15分ほど待っていて、やっと来たと思ったら、発車まであと5分ほどお待ちください、みたいなアナウンスがあって、これなら、本当は歩いていっても良かったか、などと思ったりもしました。

 桜木町の駅前から見ると、パシフィコ横浜は、ちょうどみなとみらいエリアの北側の奥のような場所にあります。そこに、まさに幕張や古くは晴海の見本市会場のような、大きな展示ホールが建っています。
 展示会場付近は、なんとなく賑わい感に欠ける雰囲気なので、バスを降りると、本当に、結構果てまで来てしまったなぁ、みたいな感覚に陥ったりもしましたけど。

 この手の会場一般にいえることなのですが、本当にその周辺に、もう少し賑わい感みたいなものを作れれば、見に来る人も、もっと増えそうな気もします。
 やはり、人を、そのようなイベントのためだけに、他のエリアから呼んでくる、みたいなことだけだと、いつまでたっても、こんな雰囲気の場所からは、なかなか変身できないようにも感じたところです。

 たぶん、居住するような人、あるいは宿泊するような人々がいない限り、その周囲を散策できる空間を考えたり、あるいは、そういう人がちょっと必要な買い物ができたりするような店をつくってみる、みたいなことはなかなかできにくいようにも思ったりしました。

 展覧会の内容については、別途またお知らせすることにします。


2001年08月16日(木) CD-Box<マイ・メモリー:弘田三枝子これくしょん>


 日本コロムビアから、海外のカバーポップス(スタンダード含む)及び筒美京平ポップスを歌って、その表現力が頭抜けていた、待望の弘田三枝子のCD全集にあたる6枚組のセットが、既に店頭に並んでいる。
 筒美京平の作品集は、2-3年前にも出たことがあるが、特に今回のセットの中では、海外カバーの曲目が、かなり収録されていること。下手なジャズ・ヴォーカリストなどは、この人の前では、吹っ飛んでしまう。
 パッケージについては、昨年発売された、<ちあきなおみ大全集>と、ほぼ同じ形での予約販売だが、比較的大きいCD店では、予め何点かを見越して仕入れている。(税別価格13000円)


2001年08月15日(水) タイミング


 帝国ホテルの元料理長、現・料理顧問の村上信夫氏が、その半生の記録を日経に連載中だが、今日の終戦記念日の内容が、ちょうど戦争終了時点の記録になっていた。
 文章も、料理と同様、適切なタイミングでお客に出すものだ、という村上氏の姿勢が感じられて、とても愉快な気分になった。なるほど。


2001年08月09日(木) 暑さも一服


 7月の温度の統計値が、新聞記事やニュースなどで既に発表されていた。
 全国20地点で平均気温が観測史上最高だったという。平均気温が平年を上回ったのは全国的な傾向ではあるが、平年比でプラス1度くらいならまだしも、2度以上上回ったのが、関東から中部地区のほぼ全域。
 とりわけ東京・横浜・埼玉など、東京圏で平年と比べると特に暑かったようだ。
 九州のほうは、比較的雨が多かったようなのだが、やはり中部から関東エリアでの降水量が平年よりも少なく、(千葉の房総や伊豆半島では、平年の10%以下という表示もあった!)このまま雨の降らない日が続くと、取水制限〜給水制限なども想定されることになる。
 水がめにあたるエリアで、雨が降っていないというのが、やはり曲者。降雨量の少なさが、一層温度を上げていたかもしれない。

 8月に入った今週は、今日まで、7月半ばの頃と比べると、比較的過ごしやすい温度の日(特に夜)が多かった。


2001年08月08日(水) 写真送付依頼

 4日のための前準備、いろいろご苦労さまでした。
 私のほうも、楽しい時間が過ごせました。

 先生の激励会で撮りました写真の焼き増しができあがりましたので、お送りしておきます。1年時〜3年次、それぞれのクラス別に先生を囲んで撮った写真については、今回記念として、参加された皆さんの分焼き増しました。
 
 ところで、焼き増しをしたのは良いのですが、よくよく私のほうで見ますと、顔とお名前が一致しない、あるいはお名前を存じ上げない方が5名いらっしゃいました。
 ここで、勝手なお願いなのですが、その名前がわからない方の分、それぞれビニール袋に入れ、その方の分であることがわかるように、その袋の上から、その人の胸の部分に、すぐ剥がせるミニラベルを貼っておきました。切手を貼った封筒も人数分入れておきましたので、大変恐縮ですが、その方の住所と名前だけ書き入れていただき、そちらのほうで投函していただけますでしょうか。

 Mさんのほうも、お忙しいことは重々承知していますが、たぶんMさんのほうにお送りするのが一番良いのではないかと思い、その方々の分も同封させていただきました。

 よろしくお願いします。

 来年か、再来年か、ちょっといつになるかわかりませんが、同期で香港とか上海あたりで、同窓会をやろうという案なども、こちらのほうで話をしていたりします。うまくパック旅行などを使えば、場合により東京−熊本往復の飛行機代と宿泊代くらい、あるいはそれに毛が生えたくらいの金額で、そのあたりの都市だと、行けるようにも思います(時季によっても違いますが)。
 企画ができましたら、そちらのメンバーも、ぜひ募っていただきたいとも思っています。

 まだ暑い日が続きますが、お元気でお過ごしください。


2001年08月07日(火) 写真

 4日は、36枚撮りのフィルムを2本使って撮ったのだが、昨日持って出ようとしたら、ころっと忘れていたので、今日の午前中に、会社のそばの<kinko's>へ現像と同時プリントを出す。

 昼食時にできあがった写真を受け取り、夕方それぞれの焼き増し枚数を入れて、再度焼き増しに出すと、会社の帰りに、それを受け取れる。以前だと中一日程度は待たないといけなかったことを考えると、その待ち時間、待ち日数がほとんどゼロになっているに等しい。

 最初のフィルムの場合、夕方に撮ったものの何枚かは、さすがに電池を入れ替える前なので、フラッシュが弱いものが数枚あるが、記念写真としては、ぎりぎりでなんとか使えそうなものが大半だったので、少しほっとする。
 ただ、夜の会のほう、出席者が30名ほどいたのだが、5名ほどが、顔と名前が一致しなかったり、誰かというのがわからない。この5名については、同期会会長のM氏が(N先生が彼が3年間やっていた弓道部の顧問だったので)今回出席していたので、彼のほうにまとめて送って、そこから送ってもらうようにするつもりでいる。

 昼食会のほうは、ちょうどいい室内光線の感じで取れているし、室外は感度400のフィルムを使ったので、背景にした、遠景の山もかなりシャープに写っており、正解だった。


2001年08月06日(月) 昼食会セッティングのお礼

 今回の、中学時のクラスメンバーでの昼食会、セッティングその他、いろいろありがとうございました。
 熊本駅に着いた時、思ってもみず、そこにM先生と一緒に待っていていただいたこと、感謝と同時に、なかなか恐縮もしていたりします。
 同時に、10名も集まれたこと、特に、前回出席されなかったEさんと会えたことは、特に嬉しく思いました。
 先生も前回お目にかかったときとほとんど変わられていなくて、お元気そうで何よりでした。

 また、昼食会の後、熊本新港までのドライブも、その付近までは、初めてでしたので、少し新しい熊本の動きなどを、垣間見られたような気分です。

 ところで、今回のK君の自宅のそばにあった金峰山麓の<香風>という山菜・野菜料理の店ですが、私にとっては、それこそなかなか贅沢なものだったような気がします。別に高いということではなくて、東京のほうにいると、なかなかこのような山菜・野菜は、食べたくても食べられないという意味での贅沢でした。
 特に、最後に出てきた天ぷらの中に、無花果の実の天ぷら、これは美味しかったです。また、菓子・デザートとしても、ご飯といっしょでも、どちらでも良い、というのは、なかなか珍しいとも思いました。

 上通りの入り口のところまで、送っていただいた後、通りをぶらぶら歩きました。3年前にも感じたことですけど、やはり私がいた頃とは店がかなり入れ替わってしまっていますし、通りの入り口近くにあった、高校時代には本当によく行った映画館などが無くなっているのは、なかなか寂しい思いがします。
 少しは変わっているけれど、入り口付近の佇まいが、当時とさほど変わっていない店があるとすると、長崎書店くらいだったでしょうか。それでも、中に入ると、本当に参考書のコーナーのほうが広いくらい。別の本屋ができていることもあり、しょうがないのかもしれませんが、なんとなくつまらなくなってしまったようにも思えるところです。

 最後に、夜の会の話を少しだけ書いておきます。

 その後、ホテル・キャッスルまで行き、ロビーで高校3年次同じクラスだったメンバーと落ち合った後、200メートルほど離れたところにあるアークホテルのN先生の激励会場に向かいました。
 途中で、高校2年次に同じクラスだった、HさんIさんのお二人と出会いました。Hさんのほうは、昨年の東京での同窓会時にお目にかかったのですが、Iさんのほうは高校の時以来。女性の場合、これくらい時間を経てしまうと、結構変わる人が多いように思うのですが、Iさんは、高校の時と雰囲気が変わらなくて、大変驚きましたね。
 本当は、宮崎から参加するはずだった、去年の東京での同窓会時に幹事だったN氏のほうは、急な仕事でドタキャンをして(本当は、今回司会役をやるはずだったので)、今回の幹事の面々から、顰蹙を買っておりました。

 たまたま昨年以降、メールだけでやり取りしていた人(高校時代は全然知らなかったメンバー)などとも、顔を合わせることができましたし、同じクラスの中でも、今回会うのが高校卒業以来というようなメンバーも4人ほどいました。さすがに同じクラスのメンバーは、顔を見るとだいたいすぐわかったのですが。
 この会が半分ほど進んだ頃に、そういえば、メーリングリストで、3年間同じクラブだったTというのも参加しているはずだったということをふと思い出しました。彼に会うのも高校卒業以来のことでした。そう思って探してみましたら、最初どこのオッサンだろうか、あまりあった記憶がないようだし、などと思っていたのがふと名札を見たら、なんとTだった、ということで、2人で大笑いしました。

 そんなことで、あっという間に9時半近くになってしまいました。
 先生の新しいスタートを励ますというのが目的でもあったのですが、最後の先生のスピーチで、先生から励まされるような会になったのも、また楽しいことでもありました。

 2次会もあったのですが、私のほうは、一次会のみ出席後、熊本駅から午後10時の特急に乗り、博多のほうへ戻りました。

 熊本新港まで行った時、ちょうどその話をされていましたが、わが高校の山岳部の高校総体での活躍を祈りたいと思っています。

 熊本では、本当にお世話になりました。重ねてお礼申し上げます。


2001年08月05日(日) 志賀島

 本当は、今日の午後会う予定にしていた友人がいた。
 一昨日(金)の、ちょうどGさんとの昼食時に、「申し訳ないが日曜日午後は、楽しみにしていたのだが、どうしても外せない用事で会えなくなった」という電話があった。
 午前中に、お礼のため人に会う用事を済ませると、福岡空港へ行く時刻まで、ずいぶん時間の余裕ができてしまう。

 福岡の街は、昼間だと海からの気持ちよい風が、特に賑やかな繁華街をも吹きぬけて行くので、外でも陽射しの遮られたビルの日陰にいると、結構暑さを凌げたりする。東京だと、このような風が吹き抜ける場所は少ない。暑い九州の夏とはいえ、福岡にいた頃暑くて死にそうに思ったことがほとんどなかったのは、若かったということだけではなく、おそらくこの海からの風が、市内を吹きぬけていたからだろう。
 日陰でそのような風に吹かれると、福岡に住んでいた時に行ったきりになっている志賀島まで、海風に吹かれて、行って戻ってくるのも良いのではないか、などと思い始めた。

 福岡ビルの地下で昼食の後、そのビルと天神交差点斜向かいにある、フタタという店の前から、博多埠頭行きバスに乗る。埠頭はバスに乗った位置から、ちょうど北東にあたる場所なのだが、結構一直線に近い道路を走っていくので、あっという間に着く。
 博多湾遊覧一周などという比較的派手な船に乗るようなコースもあるものの、福岡市営定期船の志賀島行きに乗り込む。船の後方2F席は、海風を感じられる船外デッキになっている。こういう場所はえてして、陽がそのまま当たって暑かったりするのだが、うまく日陰になるように作られている。

 志賀島に近づくにつれて、潮風が冷たく感じてくる。博多埠頭から途中、志賀島のすぐ手前で2ヶ所ほど寄港し、30分で志賀島の埠頭に到着。志賀島に来て、ではどこに行くか。特にこれというあてはなかったのだが、港の待ち合い所を出ると、大きな鳥居が見えたので、港には欠かせない航海安全の守り神を奉った神社があると思い、その方向に歩き始める。
 通り沿いに民家が並ぶ、ごく普通の道だが、旅館やちょっとした飲食店などが、僅かに混ざった、港の道。さすがに陽射しが強い。
 この通り沿い、海からの風が吹き抜けていく通路になっているようにも感じる。

 民家が尽きるところに、その志賀海神社がある。
 階段の手前に清めの砂。
 この階段を上がっていくと、右手の海のほうからの風がこんもりした木々の間を吹きぬけてきて、気持ちがよい。

 海上守護の決して大きくはない神社ではあるが、人が常駐していることもあり、荒れた感じはない。しかも、千年以上続く神社と書かれている。太宰府天満宮が1100年の歴史をもつ神社でもあり、ほぼ太宰府と近い時期に設立されており、しかも、比較的長かった平安時代、しかもその時代になってからちょうど100年強くらいを経た年から続いているとすると、京都にある一部の神社などよりも、ずっと古い創設だということにもなる。
 当時でも、那の津から志賀島一帯というのが、やはり要地であったことが偲ばれたりもする。
 この神社、鹿の角が数多く奉納されていることでも有名。

 蝉の鳴き声を背に受けながら階段を降りて行く時、久しぶりに目にする黒アゲハ蝶。特に、羽を大きくひろげたままゆっくり飛んでいる姿が見られたのは珍しい。

 道路に出て左手のほうへそのまま行くと、堤防から浜辺のほうに降りて行けるところがあった。
 船が志賀島まできたところは博多湾で、一般的に静かな海ではあるが、この浜辺から見える海は、まさに玄界灘。浜辺で岩についた貝を取っているような女性が2人。なかなか手を休めない。
 海の水は博多湾よりも、さすがにずっと透明度が高い。僅かな砂地もあるが、大半は大きな石の多い浜辺だ。海水の中の石ころも、透き通った水の中にくっきりと見える。
 この玄海灘を渡って吹いてくる風、これがまた天然の冷気を保っていて、午後3時頃の陽射しは結構まだ強く、その直射日光にあたっているにもかかわらず、この浜辺にいると一切暑さを感じないくらい。
 恐らく子供の頃と変わらない、そしてずっとずっとその昔と変わらないような、そんな海辺の風景の中の安らぎ感。

 乗船場のすぐ手前で、バス停はどこでしょうかと、たぶん高校生くらいの若いカップルに尋ねられてしまう。反対を見ていたらしくて、私のほうからだと、2人が来た道の逆に、すぐ見えているのだが。
 戻りの船の中では、室内の椅子席でごろんと横になり、うとうととしているうちに到着。博多での小さな旅になった。


2001年08月04日(土) 博多から熊本へ

 3日、浜松町の自動チェックイン機を使ったら、(さすがに窓側の席は空いていなかったが)2F通路側というのが取れると表示された。
 2Fには、乗ったことがないという単純な理由で、そこにすると、機内でわかったのだが、ちょうどドアのあるところで、私の前の席がかなり前方に離れてある位置だった。離着陸の時、スチュワーデスの人が坐る席が、真正面にある位置でもある。

 時間通りに福岡空港に着陸。
 空港ビルから出ると、やはり、夏の九州独特の熱気を孕んだ空気に晒される。

 7月の東京が暑かっただけに、今年の九州の暑さは、さほど感じないだろうとタカをくくっていたが、それでも実際にそのむわっとした空気に触れると、九州の暑さを感じてしまう。
 地下鉄で天神まで出て、ホテル(福岡アルティ・イン)は、大丸の横の道を入って、更に少し歩いたところにある。さほど距離があるわけでもないが、ホテルに着いたら、汗をびっしょりかいてしまっている。

 チェックイン時、サービスということで、ミネラルウォーターをもらう。
 最近できたホテルらしく、全体的にまだきれいで、シングルの部屋もベッドも、さほどせせこましくない。一泊6000円なら、安いほうかもしれない。
 窓が開くようには作られているのだが、その部屋の窓は、残念ながらうまく開けることができなかった。

 寝転んでTVを見ていたら、いつしか眠り込んでいて、3時くらいに気がつき、エアコンをLoにして、再度眠る。

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 ホテルのカフェテリアで朝食後、博多駅までタクシーで出る。
 土曜日のためか、道路はすいていて、あっという間に駅まで着いてしまう。駅でカメラの電池とフィルム2本を購入。

 窓側の席であることはわかっていたので、風景でも眺めながら行こうと思っていたら、ちょうど陽射しのあたる側。やや薄いブラインドなので、下ろしていてもすこし暑い感じ。しょうがなく、目をつぶっていたらうとうとしてしまう。


2001年08月03日(金) 今から福岡へ

 本日は暑い中、わざわざ、会社のほうまでおこし頂きましてありがとうございました。
 考えてみれば、Gさんといっしょに、ゆっくり昼ごはんを食べられたのは、2年ぶりのことでした。去年は大阪のほうで、ちょっとごあいさつをしただけでしたので、今回ご一緒できただけでも、とても嬉しい気がしたのですが、図らずも私のほうがごちそうになってしまいました。大変恐縮しています。ありがとうございました。

 これから会社を出て、羽田へ向かい、ANA午後8時発の福岡行きに乗ります。
 九州も暑そうです。

 まだ暑さは続きそうですが、お元気でお過ごしください。
 名古屋の会場のほうで、次回はお目にかかりたいと思っていますが、もしうまく時間が取れるようでしたら、また一緒に食事でもしましょう。
 九州行の話は、戻りましたらまたメールででもいれておくようにします。
 では。
 


2001年08月02日(木) 麦藁帽子の夏

 先週の土曜日、京都のお寺に行った時のことです。

 昼過ぎに着いて、本堂の横にある部屋で、冷たいお茶をいただいていました。その部屋からは、庭木や花などが植えられていて、陶器でつくったような少し大きめのカエルが片隅に置かれていたりする中庭がよく見えます。
 最初にこのカエルを見た時は、いったい何だろうと思って、少しぎょっとするのですが、見慣れるとなかなかユーモラスな雰囲気も漂っています。

 その庭に、陽の光を受けて、ひらひら飛ぶ黒い蝶――、一瞬そう思ったのですが、蝶とも違う飛び方なので、よくよく見ると、実はそれはハグロトンボでした。小さい子どもの頃の、薄れいく記憶を蘇らせると、このトンボは、こんなふうにゆっくりと、ひらひら飛ぶのだった、ということを思い出したりしました。
 今住んでいるところでは、このハグロトンボ、ほとんど見かけることがなくなっています。しかも、以前それを偶然見かけた時から、既にかなりの年月を経ているようにも思いました。

 そのハグロトンボがひらひら飛んでいる、さほど広くない空間を見つめると、トンボの動きはよく見えるのですが、熱くなった外気の中で、どういうわけか、その空間だけ昔から時間が止まっているようにも見えてきたりしました。

 麦藁帽子と虫取りの網をもって、外を走り回っていたような、そんな夏のことが、ふと脳裏を過ぎっていきました。


2001年08月01日(水) コイズミ人気


 全国的コイズミ人気だけが、陽炎のようにゆらゆらと見えた、参院選が終わりました。
 期待感という殻をむいたら、中身はなにもないかもしれない、というようにわかっていながら、他の選択肢がないというのも、なかなか辛いことのようにも感じます。

 それにしても、アイドル・タレント以上の人気。
 その人気にぶら下がる人、その人気をけなす人。いろいろな人間模様が見えたのも、今回の選挙だったのかもしれません。

 人気があるということは、決して悪いことではないと思いながらも、(またそれぞれの人の言い分もあるだろうし、個人の勝手といえば確かにそうではあるのですが、)これだけきゃーきゃーいう人をTVで見たりすると、ちょっと勘違いしているのではないかねぇ、とも言いたくなってきます。参院選で、自民党が勝った、ということは、その党内=内輪で成果を上げたことでしかありません。

 これから、もっともっと、より実質的な成果をあげてもらわないといけないわけですから。
 その成果を、どこに置くか、コイズミさんがそれをどこに置こうとしているか、きちんと一人一人見ておく必要はあるのでしょう。火傷するのは、自分自身かもしれないからです。

 そういえば、以前にもコイズミ人気というのがありました。あの頃あれだけ人気がありながら、最近(TVで)見かけることは、ぐんと少なくなりました。
 人気というのはそんなものだということを、おそらくコイズミさんは、たぶんよく分かっている人だろうと思います。ある時一夜にして失うかもしれないけれど、今自分自身を支え、これからてこでも動こうとしないものを動かしていくのも、その人気だということを、よく分かっている人だろうとも思います。

 ただ、その見極めは、なかなか常人には難しいのも事実です。
 参院選では、結構それをうまく使いましたが、問題はおそらくこれから、ということになりそうです。ジュンちゃーん!という、一見無邪気な声援の判断を誤ると、命を落としかねません。


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