おおみち礼治のてくてく日記
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2007年07月09日(月) 年金

 社保庁にせよ、農水省にせよ、しっかりやってくれていると思うから、今回のような問題が明るみに出ると、裏切られたと腹が立つ。そんなのは、最初からデタラメだと分かっていれば、いまさらなにも思わない。

 国に頼ろうと思っていると、思ったように頼れれば頭を下げるかもしれないが、頼れなかったときに腹が立つ。依存しているという意味で同レベル。しかし、そんなのは、オプションみたいなもので、本当に頼れるのは自分以外にない。

 いや、国なんだから信用するに決まっているし、ちゃんとやってもらわなくては困るではないか、というのは、えらそうだけど、私に言わせれば、根拠のない思いこみというものだ。

 日本はそれなりに安定しているから、信用しても良いような気になってしまうが、もし、これが、年がら年中内戦して、ろくな生活が出来ない、家族も財産も奪われて、逃げ回るしかない、そんな国に住んでいたら、国に対する信用、などという発想自体ない。

 結局、他者に過ぎぬ。

 日本は違うんだから、という話をしているのではありませんよ。本来的な話として、他者とは、それが国であれ頼るという種類のものではなく、自分なのだ、ということ。

 もちろん、信用に足る他者は存在する。だが、自分の人生は自分のものである(その人生の責任は100%自分に属する)から、他者に自分の人生をやってもらうわけにはいかない。

 究極的には、頼りになるのは自分以外にない。ならば最初から自分を頼りにすべき。信用するなら自分を信用する。
 それが分かっていれば、老後は年金に頼ろうなどとは思わない。自分で自分のことをしていくためのことをしていたはずだ。

 現実問題として、年金が振り込まれなかったら生活に関わるというなら、社保庁に問い合わせるなどしなくてはならないが、そんなところに力を入れるものではない。永遠に、やってくれない、と文句を言い続けなくてはなりません。言ったところで、なにもしてくれません。だって、彼らにとっては、それは仕事かもしれないが、それ以上のもの――自分自身のことではないんだもの。

 そこを批判したって自分だって同じなんだからダメ。それよりも、根源的なところを理解する。そして、自分が、立派に生きていけばいいのだ。


おおみち礼治 |MAIL

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