おおみち礼治のてくてく日記
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2004年08月16日(月) ■新入り看護婦さん■悪夢■ひきこもり

■新入り看護婦さん
 多分、20代の後半か30代前半くらいだろう。新入りといっても、もうキャリアは積んで中堅といっていい人だと思う。

 透析の終わりくらいに回路からエポジンやら鉄剤やらを入れるのだけれども、直接肌に注射をするわけではないから、他の人は別に何も言わずに時間になったら、その作業をする。しかし、新入りさんは「は〜い、では、おちゅーしゃしますねぇ〜」といいながらやるので、笑ってしまった。
 おちゅーしゃしますねー、なんて言われたのは初めてだな。

 それはともかく、仕事はそうやってキチンとするし、物言いもやさしいのだけれども、本当はこの人はどんな気持ちで、何を考えていて、どういう人なのかが、まったく分からないのだ。
 完全に、看護婦としての仮面を付けていて、その奥に隠れているその人自身、その人らしさというものが現れてこないので、恐い感じがする。
 この間、その人に針を抜いてもらったのが、2時20分くらいで、「10分くらいで(出血が)止まりますから」といっておいたのに、30分になったら、「さようなら〜」といって、どんどん帰っていってしまった。パートさんのようで、2時半までと決まっているらしい。自分の担当なんだから、もう少し待って、ちゃんと終わるのを確かめてからでもいいんじゃないか……と思ったのだけどねぇ。

 仕事に対する気持ちがあるわけでもなんでもないんだな。
 彼女にとって、仕事(看護婦)というのは、完璧な仮面を付けて最低限の自分の責任は果たすけれども、それ以上のことは絶対にしない、という、給料をもらうだけの責務に過ぎないのかもしれない。
 それがいけないとは言わないけど、愉快ではありませんねぇ。

■悪夢
 おっそろしい夢を見た。
 目が覚めてからも、心臓がばっくんばっくんなって、しばらくまともに息ができなかったほどだ。こんなに現実感のともなった夢は初めてかも知れない。
 それは――

 アメリカの住宅街(?)のような場所にいる。道の脇に、町中を案内するモニターと操作盤があり、それを何となくいじっている。モニターに左矢印が出たので、操作すると、画面が乱れてキチンと動作しない。そのソフトは自分が作ったらしく、これはいかんなぁ、と思っている。
 金髪のでっぷりしたおばさんが、うろんそうに私を見ながら歩いている。この辺りで、怪しい人がうろついている、ということを最近耳にしたことを思い出す。それが、私のことではないかと勘ぐられたらイヤだな、と思い、その場を後にする。
 左に曲がる緩やかな下り坂を歩いて、自分の家に向かう。曲がり角のすぐ内側に立っている家は、1階が庭で車を家の下に置けるようになっており、玄関へは階段を上って入るようになっている。家は小さく、団地のように密集して家が立っている。
 家を見上げると、2階の出窓のところで女性が男に襲われている。
 驚いて、持っていた荷物を外から出窓に投げつけ、さっきのおばさんが目に入ったので「ヘイヘイ!」などと叫んで指さし、警察を呼んでくれることを期待しながら、家に飛び入り、玄関先に置いてあった長い柄の付いたフロアランプを手に取って、男に向かって槍のようにつきだす。
 ふと左を見ると、別の男が腕を縛られて座らされているのが見える。犯人の男は何かにつまずいて倒れたが、すぐに起きあがって、ポケットからナイフを取り出す。
 その途端、形相が変わった。
 「これは殺される」と分かったので、ランプを投げ捨ててホールドアップしながらいざって逃げる。と、先ほどの腕を縛られた男が、犯人の後ろ側から飛びかかる。犯人はその衝撃で前に倒れ、何かにぶつかって頭がまるでゴムでできたようにバウンドする。
 それを見て、これは夢ではないか、と夢の中で気が付いたのだが、まだ少しだけ夢は続く。
 倒れて手から離れたナイフを、フロアランプで遠くにやる。

 ここで目が覚めた。
 テレビドラマで、似たような場面は珍しくないが、見ていて恐いと思ったことは一度もない。殺気も感じないし、あんなへなちょこどうにでもなるわい、くらいにしか思ったことはない。
 だが、これは何だ。
 夢の中だが、体験してはじめて本物(?)の殺気、とてもかないそうにない人物がナイフを持って圧倒し、襲いかかってくる、殺される(かもしれない)という恐怖を実感できた。
 こんな体験したくありませんねぇ。

■ひきこもり
 以前、夜中にやっていたひきこもりの特集番組で、引きこもっている20代前半の男性が、暴力をふるい、汚い言葉を浴びせ、お金だけはせびって普段は自室に閉じこもって、家族がいる時間はほとんど出てこない。母親はノイローゼ気味で、ずっと自分をせめている――なんて番組がやっていた。
 で、それまで無関心だった父親が、息子の部屋に上がり込んで、「いい加減にしろ!」と怒鳴って首根っこを掴まえ、壁に押しつける。そうされながら、息子は父親の顔を殴り続けるという修羅場も映し出されていた。

 いや、似たような家庭の話しを聞いたので、思い出したのだけどね。
 息子さんの方を知っているのだが、「親には育ててもらったかもしれないが、別の(価値観を持った)人間なのだから、もうハタチを過ぎたら、家を出て自分の家庭を作ればいい。自分とは違う人――親であれ、違うのだから、分かってもらおうとしない。もしくは分かってやろうとしない。ただ、違う、と分かるだけでいい。何もしない。
 いちいち起きたことをとらえて解決しようとしたら余計に苦しくなる。だから、どんどん流す。解決しようとしない。それでいいし、そうするのが本当。頭脳に振り回されているようだから、いったん考えるのを止める。本心をしていれば楽なもの。ただ、自分が快適にできているかどうかだけが大切」というようなことを言っておいた。

 それは敗北主義だ、負け犬だ、という人が必ずいるのだが、まあ、そう思う人は、解決しようともがいてみたらよろしい。それも決まっているから。
 ともかく、いろいろな次元での話しがあるから、一概には言えないのだけれども、家族であるにもかかわらず、ひとりひとりが自分と他人とを切り離して考えていることが問題だと思うのだね。上と矛盾しているようだが、両方とも理解したい。
 他人は自分であり、自分は他人である。
 これが分からないうちは、対処療法的に何をしようと何も解決しない。いや、解決しようとしなくていいんだけどね。ただ、自分が快適にやれているかどうか。問題はそこ――自分はどうか、だ。問題があるとするなら、常に外ではなく内にあると知るべき。これは息子さんだけではなく、そのご両親にも当てはまる。当てはまるというより、まさにそのとおりなのであり――ちょっと考えればすぐに分かる。番組の例では、息子さんにしてみたら、それまで何もしようとしなかった親父が、テレビカメラの前で突然張り切り、おそらくはそれまで同様、力で強引に押しつけるだけで何も息子さんのことを分かろうとしない態度で来たら、それはもううざいどころではない。暴力をふるって当たり前。息子さんに暴力をふるわせている父親がまずあるのだ。
 父親自身にとってはそういうこと。父親だけが悪いというのではなく、母親には母親の、息子さんには息子さん自身の原因というものがある。人がどうのこうのではない。自分はどうかだけ分かればよろしい。それだけに注力する。
 悪い、と書いたが、本当は善悪ではなくて、原因。また、過去積み重ねた業というものもあるから、「今は」仕方がない、霧の中を歩むほかないこともある。歩んでいけばいつかは晴れた場所に出るでしょう。
 そしてまた、自分が力んだら相手も力む、という法則。
 自分を中心に世界が映し出されているのだから、まず、自分を磨くべき。自分が磨かれれば磨かれた世界が見えてくるもの。自分がそのレベルに達しない以上、良いものを見たくても見ることができない。それが法則。余計な想いを捨てて身軽になり、快適にしていけばいい。
 このようなことを理解していくのが人生といえると思うのですけれどもねぇ。いま生きている、命があるということ以外は、大したことじゃありません。力を抜き、それはそれとして、大らかな気持ちで生きたいものです。


2004年08月08日(日) ■UO・祝ロード!■アジアカップ■ブーム?

■UO・祝ロード!
 ウルティマオンライン。
 やっと、Loadになりました。ちんたらやってましたから、はじめてから2年ですよ、2年。人が多い銀行前なんかにいくと、何も用事がないのに、しばらくじっとしていたくなりますね。
 Loadなんだぞー、って。(笑)


■アジアカップ

> 「スポーツの本来の目的は友好促進だ」細田博之官房長官

 反日感情をあらわにして、マナーも何もあったものではない。だいたい、スポーツとはいえ、やっていることは勝負事なのだから友好促進にならない。自分が勝ったら相手は畜生、と思うし、相手が勝てば自分が畜生、と思う。そんなことをしに行くのを友好促進とはいわない。戦っているのに友好促進? 口ではどうとでも言える。勝負をしているのだから、闘争心が増長される。
 闘争心。
 それを、スポーツマン精神がどうのこうのと、よくわからない言葉でくくって友好だ、などといってしまう。闘争と友好、もしくは平和。まったく逆である。
 本当に友好促進というなら、試合が終わった後に互いの健闘をたたえ合うとか、そういうシーンがあって然るべきなのに、そんな様子もない。スポーツは友好になりうる、とは思う。だが、実際にやっていることといえば、勝ち負けを争う「戦い」でしかない。

 一部の中国人サポーターが騒いで、日本のサポーターにゴミを投げつけた、なんて聞くと、不愉快だが、理解すべきは、(おそらく反日感情の源泉は先の戦争なのだろうけれど)もう60年近く経っていて、当時のことなど知りもしない若い人たちにまで、日本に対し、あのような悪感情をもたせてしまっている戦争の悲劇ということだと思う。
 いかに戦争が長期間にわたって、お互いの関係修復を困難にするか、よく分かる。教育が原因ではない。それも戦争のひとつの結果である。
 彼らにそのような行動をさせてしまっている日本が「まずある」ことを謙虚に受け止めるだけでいいのだ。それだけ。別に何もしない。何も思わない。

 一部の感情的になって騒ぐ中国人サポーターと同じ土俵に立って、中国人を罵倒する人がいるけど、それじゃ同レベルだ。逆の立場になったら、同じ事をするのは目に見えている。だいたい、司会というかナレーターがよくないね。コーフンしちゃってまあ、中国を見下すようなことをいう。サッカーとはそういうものかもしれないし、その方が盛りあがるのかもしれないが、子どもじゃないんだからもう少し考えてほしいね。サッカーでのことであって、政治とは関係ないといっても、感情的にはそうもいかないのが人間というものだ。
 そういうレベルにいちいち合わせない。悪くなるだけである。悪くしたいのでしょうか? 頭に血が上って冷静な判断を下せないのでもないかぎり、(両国関係を)悪くしたい、と思う人は普通いない。では、どうすればいいのか?
 頭を冷やしたほうがよろしい。

■ブーム?
 上を書いていてふと思い出したのだけれども、いま韓国ブームで、若い女性が韓国人と付き合いたがっているなんて番組がありました。
 ミーハーな人はどこにでもいるし、それが悪いわけでも何でもない。が、以前、別のある番組で、韓国の若い人たちが日本の文化を理解しようと活動しているのを、その親が「日本のような悪い人たちのことなんか……」という意味のことを言っていたのを聞いて、驚いたことがある。ある一定以上の年齢の方には、日本はいまだにそういう印象を持たれているのだ。

 もし、うまいこと韓国のイケメンと結婚して移住したとして、一生、そういう反日感情と出会わずにすむとは考えにくい。それを知って、覚悟の上で韓国人と、というならいいんだけど、何も知らずに一時的なブームに乗っかって一緒になっても、はたしてどうなんでしょうか、という気はする。

 理解すべきは、どこの国の人であろうが、結局は「自分が招く」のだ。日本の男はダメというなら、そういうダメ男ばかり招く自分がまずあるのだ。そこが分からないままどこへ行ったところで、やっぱりダメな(○○国の)男しかよってこない。
 では、どうしたらいいのかといえば、それはもう自分を磨くしかありません。類は友を招くということわざ通り、どこへ行こうが自分と同程度の人が常に目の前にいるのである。


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