おおみち礼治のてくてく日記
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2003年12月29日(月) ●振り返り、前を見る

●振り返り、前を見る
 本当にまあ早いもので、今年も一年が終わりです。なんだかどんどん時間の進み方が早くなっているようです。
 今年は三つ……四つかな。変化がありました。その中でハッキリ書けるのは、ひまし油湿布をはじめたということくらいですが、これはマジでいいですぜ。
 まず、よく眠れるようになります。そして、翌朝の目覚めが快調です。これまで透析をはじめてから10年あまり、午前中に起きられなかった私が朝自然に目が覚めるというだけでも奇跡です。不定愁訴のある方――自分が何をしているのか理解して変えていくのが完治への第一歩ですが、その補助として、もしくは代替療法として――にはオススメですよ。詳しくはこのへんとかこのへんをご覧下さい。

 あとは毎月、東京に出かけるようになったこととかね。だいぶ慣れて、どこへでも行けるようになった気がします。継続か中止か迷っていた某サイトは休止という中途半端な判断で落ち着きました。再開するかどうかも未定ですが、その際には作業効率を見直さないとできそうにありません。
 ネットショップを始めるのは来年。位取りもしたいし、透析の回数を減らせるくらいに腎臓が回復するようできる限りのことをしたい。今年は、ちょっとこれまでとは違う覚悟が芽生えたような気がします。

 さてさて。
 みなさん、よいお年を!


2003年12月27日(土) ●高校生

●高校生
 活動する時間が違う(?)ので、高校生を見かける事なんてほとんどないし、いたとしても気にもとめないのだが、先日、駅の本屋に立ち寄った際、見てしまった。
 パンツルックだったので、パッと見たときは男かと思ったのだが、髪は長いし声も甲高いので、女子生徒だとわかった。
 靴のカカトを履きつぶし、スリッパのようにペッタンペッタンやって歩いているのだ。雰囲気が完全にオヤジなんだよね。女の子はこうでなくてはならないだとか、幻想を持っているわけではないし、最近では珍しくないのかも知れないが、これはひどかった。なんとなく薄汚れていて、うかつに近づいたらわけの分からないことをいわれてカネをとられそうな雰囲気があった。
 レジの近くには、超ミニをはいた女子高生がたむろしていた。ダイコン三本分くらいのたくましいおみ足を露出させて騒ぎ立てる姿は、ひそかに涙を誘った。
 品のない女は嫌いだ。
 なかには、電車で寝そべってケータイをやる若い女もいるらしい。寝そべって、というのは電車の床にですぜ。幸いにして見たことはないのですけれども。
 女だけでなく、最近では、サラリーマン然としたスーツ姿の若い男が床にウンコ座りをしてケータイをいじっている姿を見ることがある。床は座るところでも寝ころぶところでもないのだけど分からないらしい。恥ずかしいですな。
 そうかと思えば、とてもしっかりした常識的な人もいて、これは2極分化しているのか、それとも、ひとりの中で表裏が激しいのか分からないんだけども。

 教育、というのは知識を頭に詰め込むだけのことではなくって、むしろそれは二次的なことで――もう中学生くらいになったら、あなたは何をしてもいいけれども、良いも悪いも責任は自分で受け取るんだよ、と一人前扱いして、自立させていくのが本道ではないかと思う。
 学生でいるときは、周りの大人が、ほとんどすべてをやってくれてあとはボタンを押すだけというような状態なので――ようするに線路が引いてあるので何も考えずに言われるがままそこを進んでいくだけでよかった。逆らってみるにしても、子どもだから選べる道は多くない。
 それが、卒業して就職したり、ハタチを過ぎた途端、あなたは大人なんだから自分のことは自分で決めてやりなさい、責任もとりなさいといわれても、何をどうしていいのか分からなくて混乱するのですよ。それまでにある程度自立できていた人は、すーっといけるのだが、できていないと苦労しますね。
 突然、(中身が)大人になれるわけではない。せめて、成人式でなぜ騒いではいけないのかくらいはハタチになるまでに(涙)理解しておいてほしい。といっても、そんなことは小学生だって分かっている子には分かっているんだけど……。
 これは、当の子どもはもちろんだけれども、子どもに関わる大人たち自身のことでもあります。


2003年12月11日(木) ●猫特集●hello-BJ

●猫特集
 先日、NHKでやっていた猫特集番組の中で、脳出血で右半身のしびれと言語障害が残ったというおばあさんが、ボランティアの人が連れてきた猫に自分の人生のことを話していたらすごくよくなった、とやっていた。
 話しを聞いている(?)猫は、相槌をうったり、「それはこうしたらいいのだ。にゃー」とは言わない。(笑) 人間は他人の話しに言い返したりアドバイスしたり、とにかく何か言いたくなってしまうのだけれども、猫はただそこにいただけである。何にもしない猫に話しをしただけで言語障害はなくなり、いまでは裁縫も出来るようになったという事実から何が理解できるか?
 まず、話しをちゃんと聞いてくれる人がいなかったんですね。話しの内容がどのようなものであっても、判断を下さず、ただ黙って聞いてあげられる人がいなかった。なにも言わなくてもいい――というより、言ってはいけないのだな。
 言葉が重要なのではなく、長い人生で溜まっていたいろいろな想いを、やわらかくてあたたかくて、うるさいとも言わない安心して話しのできる猫という媒体を通して吐き出すことができたことが重要なのだ。いま気がついたけど、言霊からいうと「想い」とは「重い」んだな。背中に山のように積みあげられた重たい想いが体に負担を強いていた。その想いを捨てて身軽になれたのなら、良くなって当たり前、か。

●hello-BJ
 ある人から「ブラックジャックによろしく」という漫画をすすめられたので、ヤフオクで全冊落札して手に入れた。これを読むと、病院なんて恐くて行けなくなる、というお話しだったのだが――読んでみて、子どもの頃から病院にお世話になってきた経験からいって、まあ、こんなものかなと思っただけだった。主人公の頑張りやドラマには感動したけどね。
 そういえばテレビドラマにもなったんだよねぇ。知ってはいたけど、見ていなかったのだ。ビデオになっているなら借りてきてもいいかな。
 それはともかく、わしが感じてきたのは、医師はその病気症状を現代医学の枠にはめるだけということだ。もちろん、医師は治そうと努力しているのだが、やっていることは、決まったフローチャートに沿って処置していくだけ。結果、統計通りの確率で治る人は治るし、死ぬ人は死ぬ。
 もし、本気で治そうとしているのなら、現代医学以外のあらゆる手段を検討していいはずだが、ほとんど行われない。システムの問題も大いに関係していると思うけどね。

 わしは、透析をはじめて10年になるが、いまだに尿が出ていて体重増加もない。肌は黒くなっておらず合併症もない。10年前、一緒に透析をしていた人たちの中で生きているのは、わしと数名の女性だけである。男性はすべて亡くなった。
 なぜ、このおおみちだけが生きていて、しかもなんの問題もなく透析が出来ているのか検証しないのだ? 悪くなったら、こういう薬があります、こういう処置が出来ますといわれることはあっても、いまより良くなるために、こういうものがありますよ、といわれたことはない。医師は現代医学的に完治は難しい――不治とされたものに、他の方法を模索検討しようとは思わないようだ。そういう意味で、治そうとしているわけではないといえるし、現代医学がすべてだと思い込んでいることが分かる。安定しているんだからいいじゃないかといわれそうだが、そういう問題ではない。
 病院や医師に対して別に不満もなにもない。ただ、そういうものと理解しただけだ。なんというか、一時的な対処が必要な時もあるし、自分の体を知るのにはいいから、そういう意味で病院は利用したらいいと思う。しかし、結局のところ枠にあてはめることしかしない、というより出来ないので、それ以上のことを期待してはいけないと思うのだ。


2003年12月09日(火) ●パワスク●自衛隊派遣

●パワスク


 ウルティマオンライン。
 鍛冶がGMになり+5のパワスクを探していたんだけど、今日偶然マラスで発見。50K。即購入。+20は800Kが相場らしい。いつかはそうなりたいものだが、いまはとても買えない。上はパワスクを使ったところ。ふたたび地道にスキル上げ。

●自衛隊派遣
 そうせざるを得ないのかも知れないが、やっぱり反対に一票。
 日本人全体がそういう雰囲気――自衛隊を派遣してでも、なんとかイラクを支援したいという雰囲気になって、それに連動して国が決めたというのならいいんだけどさ。
 今回の派兵は、国会が勝手に決めたことだからね。カネだけだしてそれでいいというわけにはいかないというけれど、だからといって憲法に違反してまで軍隊を海外に出さなくても――というより、自衛隊員の命を差し出さなくてもいい。……言葉の使い方が適正ではないかも知れないけど、わざとです。
 支援しなくていいとは思わない。ただ、派兵は国連決議を無視して戦争を仕掛けたアメリカの尻ぬぐいをしに行くという印象があるから気持ちが悪い。決定は自主的でも何でもない、アメリカ組の舎弟の判断にすぎないように見える。ものは言いようとはいえ、明らかに憲法9条に反した決定を正当化するのは苦しいのではないか。
 それはともかく、このままいったら当然テロ組織に攻撃されて被害も出る。日本だけ例外というわけにはいかない。標的が現地の自衛官だけなのかどうかは分からない。
 そうなったとき。
 全国から怨嗟の声が責任者に集中し、その椅子を後にしなくてはならなくなることは見えている。辞めるだけならいいが、一生、その声はのしかかってくるのだ。
 派兵に賛成という人こそ現地に行くのが本当なのに、安全なところにいて頭で考えた理屈をいい、だからお前がいけといわれても納得できない(人がいる)のは当然だろうと思う。

 話しは違うが、そもそも、暴力をより大きな暴力でもって抑えつけようなんて、その発想自体がおかしい。というか、幼稚である。支援をするなら、そんな幼稚なボスに付き従うのではなく、だからといってカネだけというのでもなく、見せてあげるだけでいいと思う。
 我々はどうやっているのか。根底にどういう考え、精神があって、どういうシステムで国(自治)や、または会社組織を運営しているのか、生活しているのかを見せてあげる。望むのなら、教えられるところは教えてあげる。
 呼ばれてもないのに、他人の国に押しかけて銃弾をばらまき、おとなしくなったから平和になったというわけではまったくない。国レベルでは話が大きすぎて分かりづらいというのであれば、ぐっと小さく家単位で考えれてみれば分かりやすいと思う。(うまくいっている)家では、こうやっていますよ、と見せてあげるだけ。そうするかどうかはその人たち次第であり、勝手に人の家に上がり込んで問題のある人をぶっとばすなんてやりすぎである。


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