紅い猫の落とす影
生きた記録夕方明け方


2002年10月26日(土) 今までもこれからも友達で

















前に会ったのは何時だったのでしょうか。



待ち合わせの場所で目の前にアナタが居たのに全く判らなかった。


大人びた顔つきや服装に驚き


全く変わってしまった外見に少し淋しさを感じました。



それなりの時間が過ぎていれば


それなりに変わってしまうわけで


自分自身も変わってしまったのか


でも自分自身の変化には全く判らず


アナタの変化に焦りました。



でも言うことや喋り方は前と同じ。


会話の内容は最初は近況報告だったけれど


だんだん他愛のない


前みたいにバカバカしい話に笑い合いとても楽しかったです。


「なんかアンタといるの楽でいいや〜」


会話の流れの間に言われた言葉が嬉しかったです。





最近友人のありがたさを実感することが多く


他人になってしまう友情も


いつまでも続く友情も


大切にしようと思っています。















2002年10月17日(木) 1年の月日で









無視されると思いました。


でも挨拶されました。


たどたどしい他人行儀の物ではなく


「久しぶり〜」なんてたいして親しくもなかったのに。


ただ同じ空間にいただけだったのに。


あの時は毎日会っていても


お互い言葉を交わす事なんてほとんどなかったのに。



すごくビックリしました。


でもすごく嬉しかったです。
















2002年10月08日(火) 意地っ張りで強がりで素直じゃないのはわかってる






















たくさんの人が流れる街で

ひとりぼっちでゆっくり歩いていた。



見たこともない人や

みたことあるかもしれない人が

次々と僕を追い越していく。



肩が当たっても見向きもせず

点滅した青信号を見て走って横断歩道を渡っていった。



三宅島のアンケートやビラ配りのお姉さん達だけが僕に話しかける。



今度は僕が無視した。



知らない場所じゃないのに

誰もが知ってる場所なのに

みんなが通っている場所なのに

知っている人なんて全然居ない。



知っている人は何処に居るんだろう。

知っている人なんて居るのかな?



寂しげな青の空だけが僕を心配して追ってきてくれる。




人なんか頼りたくない。

だから誰にも弱いところなんて見せない。



だけど僕は今日も僕の前で泣いてしまう。



そして僕が僕を慰める。



人が人を可哀想だと思うのなんて

ただ自分よりも不幸な人間を見て哀れんで

優越感を得たいだけ。



哀れまれるなんて惨めなだけだから

他人に慰められたくなんかない。



そう思うようにして

明日もひとりぼっちであの街を歩く。

























2002年10月07日(月) 人それぞれ違うのだろうけど










人を傷つけて平気な顔をしている人が居て


傷つけられているのに平気な顔をしている人も居て


それは免疫がついてしまって何とも思わないのだろうか。



この先何度人を傷つけるだろう。


この先何度傷つけられるだろう。


そう考えるとその方が強く生きていける。



いちいち傷ついていたらキリがないし


例えば強者が人を傷つけたとして


その人に媚びた方が自分に害が及ぶことはないだろう。







でもやっぱりそんなの淋しいよ。





























傀儡

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