日だまりに咲く

2004年07月27日(火) 自宅にて

サトの体調は不安定で、気分の良い時と悪い時の波がある。
調子よく遊んでいたかと思えば急に具合悪そうに横になって
しかめた顔をして唸っている。目が回るのだそうだ。

私が年に数度、ひどいめまいに襲われる。
あの時の気分の悪さったらない。
寝ていても起きていても不快なのだから。
サトの顔色を見ていると、その不安定さから
赤くなったり青ざめて見えたりする。
気分の悪さが理解できるだけに何とかしてあげたいのだけれど
こればっかりは静かにめまいが治まるまで待つしかないのよね。

せっかく自宅に戻っても、かえって
身体を休めてゆっくりできる場所がないだけに
可哀想な一面もある。
早く元気になって表に遊びに出られるといいのにね。



2004年07月26日(月) 大きな病院

さすがに大学病院、広い・でかい!!
受診する人の数も半端じゃない。

紹介状を持っての受診だったからか
診察は午前中に無事終わったけれど、
手術した方がいいのではないか、という話しになり
来週再受診することになった。
するか否かはその当日結論を出すのだそうで、
もし手術を行うとしても、
全身ではなく局部麻酔で当日中に出来るとのことだった。
どちらにしても、結論は一週間先延ばし。
まだまだどうなるか判らない。

入院中の病院に戻って診断結果を報告後、
起き上がれる、歩行できる、食事もできる、点滴もない
ということから『退院』の許可が下りた。
一応、自宅療養という形で今後の経過を診ることに。
事故の日から10日目を迎えた今日、
サトを連れて家に帰る事ができました。

よかった〜♪



2004年07月24日(土) 自宅のベッドでぐっすり

今晩は旦那さまが付き添ってくれているので
私はユキと一緒に自宅のベッドでぐっすり眠る。

サトが「早く元気になってお家に帰りたい」と頑張っている傍らで
「お兄ちゃん、元気になってね」と小さな腕を目一杯振って
ガッツポーズを取るユキだって、実はとっても頑張ってくれている。
みんなサトにかかりきりで、サト中心の生活になってしまっている今
グズリもせずに家と病院を行ったり来たりしながら、
兄を慕って、兄の容態を気遣って励まして
健気にサポートしてくれているのはユキだったりする。
ともすれば暗くなりがちな事故後の病室でも
ユキのキャラに救われ、笑顔の絶えない毎日を送る事ができる。
こんな時だからこそ、状況を把握しているんだかいないんだか
ノー天気でマイペースに見える4歳児の存在が
とてもありがたかったりするのだ。

サトの状態も目に見えて回復してきて
顔の腫れも引き、検査の為に身体を起こして
車椅子に乗せ移動したのがきっかけで
多少気分が悪くなることがあっても
自分から進んで病室の外へ出てみたいと言うようになった。

無理して歩いたせいで後で気分を悪くして
食べたものを戻すこともあったけど(^-^;
それでも、頭をほんの少し傾けるだけでも
あれ程嫌がっていた子が、すごい変化だと思う。
まぁ、甘えもあって仰々しく騒いでいる点もあると思うけれど。

旦那さまと交代してもらって病室を出た後、
ユキと小学校のグランドの片隅で虫捕りをして遊んだ。
満面の笑みで小さなコオロギを手にはしゃぐ。
この子にもシワ寄せが来てるのだから、
時間の余裕が有る時は思いっきり遊んであげよう、と思う。

子供のベッドに添い寝してあげると
嬉しそうに笑って少し話をして、そして目を閉じたと思ったら
信じられない程早く寝た(笑)

「ユキ、毎日ありがとね♪」



2004年07月22日(木) 集中治療室脱出!!

症状の回復も進んで、食欲も結構ある。
めまいと嘔吐感は相変わらずかけど...。

夕方、旦那さまからメールが入る。
「個室に移ったよ。隣のベッドにおじいさんが入ってきたから
 部屋を替われないか訊ねてみたら、許可が出たから」と。
おぉ!!とうとう集中治療室から出られる事になったのね〜♪
よかったぁ。

と、いうことで今日から付き添いベッドも少しランクUP。
ただ、一番端の個室ということもあって
お手洗いからも遠くなって、
ナースステーションの明かりも入ってこないので何となく心細い。
サトが起きあがれるようになれば、徐々に慣らして
お手洗いにも行けるように、と思っていたのだけれど
廊下の一番端からだと距離が長く感じるなぁ。

にしても、今どき個室に冷蔵庫もない病院って(^-^;



2004年07月21日(水) どっひゃ〜っ

深夜にグズッて起こされる回数は激減したものの
数回は起きて相手をしなければならず、
寝起きのボケた頭を回転させるのは
結構キツイのであります(^-^;

まだ起き上がる事ができないサトが
「母さん、トイレ」と私を起こしたので、
「ちょっと待ってね」
と、寝ぼけ眼で付き添いベッドから下りてサトのベッドの方へ移動し
ベッド下に置いてあるシ瓶を手に取るんだけど、
用事が済んだ後のソレを片付ける為に
取っ手に手を掛けて自分の方に引き上げたら
うっかり液体の入ったソレのバランスを崩してしまって(°口°;) !!
寝ぼけた頭では鈍い反応しかできず、
着ていたズボンにその液体をしっかりと浴びてしまいました( ▲ ;)ゲェェ・・・

サトの着替えはたくさん持ってきてあるのだけれど、
自分の着替えなど、翌日シャワーを浴びに帰るつもりで
下着と靴下くらいしか用意していなかった私。
深夜も2時を回った時刻に看護士さんをわざわざ呼んで
着替えを貸してもらえないかと交渉。
「病棟服しかありませんが」
と、快く貸して頂けたので
とりあえずお湯で濡らしたタオルで身体を拭いて
病棟服を借りて寝ました。
「お母さんも入院してる人みたい」と
サトが愉快そうに笑ってました...( iдi ) ハウー



2004年07月20日(火) お見舞い

少しグズる回数も減って、話しをする余裕も出てきた。
たくさんの方が病室を見舞ってくれる。
子供の笑顔が少しずつ見られるようになり一安心といったところ。
ただ、嘔吐感とめまいは絶えず襲って来るので
にこやかに話せる時間はほんのちょっと。
見舞ってくれても、唸って苦しむ子供の様子を伺い見て
気遣ってすぐに病室を後に...申し訳ない。

昨日から、一応食べ物を口にする許可が下りたから
ゼリーなどを口に運ぶようにしていて
本人も喜んでたりするんだけど、
身体が受け付けないのか、戻してしまうこともしばしば。
じっくり時間をかけていかないと。
病院食ではなく、何か本人が食べたがるものを
ということで、雑炊を作って持って行った。
美味しいと言ってお椀に1杯ペロリと食べた。
あんまり急に胃に詰め込むと気分悪くなりそうだけど
やっぱり進んで食べてくれるのは嬉しいなぁ。

今日は義父母と義妹が関西から見舞いに来てくれて
サトの笑顔に少しホッとした様子だった。
きっとものすごく悪い想像なんかをいっぱいして
心潰されそうな程心配していたに違いない。
サトが調子のいい時に来てくれて良かった。

旦那さまに自宅にある読み聞かせの絵本を持ってきてもらった。
最近はなかなか本を読んで聞かせることもない。
ずっと病室に居て、何もすることがないまま
痛みや吐き気と対峙するくらいなら気を紛らわせてあげたい。
大喜びで「次、読んで」「次、読んで」と聞き入っていた。

深夜の付添いもちょっぴり楽になった。
昨日よりも体調のいい時間が増えてきている。よかった♪



2004年07月19日(月) 苦しむ我が子、限界のスタミナ

「お母さんっ、フラフラするよぉ」
悲鳴のような叫び声を上げて泣くサトの
差し伸ばされた手を取って
「どうした?気分悪い?吐きそう?」
問いかける私に、「違うよ、違う...」
小さく首を左右に振って涙を流して泣くサト。
「どこか痛いの?頭がフラフラする?」
様子を伺いながら問いかけを続ける私の目の前で
ベッドに横になっているサトがうわ言のように言うの。
「自転車が...自転車のタイヤがフラフラする。フラフラするよォ...お母さんっ!!」
私に語りかけているのに、目は閉じたまま涙を流して訴える。
「大丈夫だよぉ、サト。もう自転車には乗ってないよ。
 今は病院のベッドの上だよ、お母さんも傍にいるから
 何も心配はいらないよ。自転車はお家にしまってあるからね。
 サト、怖くないよ、大丈夫だよ」
手を何度となく握り締めて穏やかに声をかけると
サトはそのまま寝息をたて始めた。

夢にまでうなされてるんだ、この子は。

今日も食事は取れず、寝ている時以外はずっと不調が続いていた。
付き添いをする私も、二夜ともまともに寝てなどいない。
グズついたことに気付いて目覚め時計を見れば
さっき横になった時からわずか15分しか経っていないなんてザラだった。
私より辛いのはこの子の方だ!!
いつもそうやって意識を奮い立たせていた。

そんな朝も日が高く昇った頃に自宅にいる旦那さまからメールが届く。
「ごめん、寝坊した。これから仕度して10時頃行きます」と。
眠る事すら自由にならないこの状況。
仕事明け2時間の睡眠だけで、その後2日寝ようにも眠れない状態でいるのに
相方が寝坊した連絡なんて、受け取っても面白いわけがない。
溜まってるストレスのはけ口は旦那さまに向けられた。

付き添いを交代してもらって昼間自宅に戻っても
シャワーを浴びて足りないものの買い出しに出かけてしまえば
あっという間に2、3時間経過。
おまけに病院でおとなしくしているのは無理だろうと
チビ助のユキを連れての帰宅ともなれば
「お母さん、お母さん」と笑顔でまとわりつくユキを
放って仮眠を取るというのも無理な話で。

病院に戻った私がこの上なく不機嫌で
「だったら2時間でも3時間でも帰った時に寝ればいいじゃないか。
 今からもう一回行って寝て来い」と
すごく冷めた言い方で顔を背ける旦那さまに
「中途半端な時間だけ交代して寝ろというくらいなら
 自分が泊まってくれればいいじゃない。
 そしたら私、自宅でゆっくり眠れるから」
病室の中なのに大声で訴える。
「今日は僕が泊まるからゆっくり寝ておいで」
と言えるだけの優しさはないのか!!あまりに冷たいわ。
眠れないイライラと、サトの症状が何も回復しないのと、
眠りたいのはやまやまだけど
ユキにだって淋しい思いさせちゃってるからと思えばこそ
帰った時くらい遊んであげよう、と時間を費やすジレンマと。
とにかくイライラが重なって口に出してみたくなった。

痛み止めと吐き気止めの点滴を受けて
少しサトが落ち着いたその昼間の時間だけ病室に来て
たかだか3時間程度交代してくれたくらいで
何をしてくれた気になっているんだろう、この人は。

言えばわかってくれるんだけど、
言わなきゃ気付いてくれない人なんだ、時々。
肝心な時に限って、ね。
ヘトヘトになってるのは身体じゃなくて心なんだけど。
休息すらくれない。

結局、昼過ぎに怒らせて帰してしまった旦那さまは
消灯時間間際に病室へ来て「今夜は泊まるから」と
深夜の付添いを交代してくれたのだけれど。
何だか、気分的に素直に喜べる程ではなかった。

その夜のサトは、比較的落ち着いて眠っていたらしい...。



2004年07月18日(日) 眠れない夜、付添い看護

傷みと激しい吐き気で、浅い眠りから覚めてはグズるので
ウトウトしかけると起こされる状態が
消灯時間からずっと続いて結局朝を迎えた。

頭部強打で急変の可能性も有り、と
言われていたこともあって
緊張感と睡眠不足で目覚めても疲れが抜けていなかった。
「暑い」「寒い」「痛い」「気持ち悪い」
「吐きそう」「目が回る」「ふらふらする」
色んな言葉で苦痛を訴えるサトの
症状が落ち着くと時々聞こえる静かな寝息に
こんな小さな身体にどれほどの苦痛が覆いかぶさっているのかと思うと
やりきれなくて涙が出た。

「お母さん、トランプやろう!!」
昨日、映画から帰った後で
旦那さまがユキを連れ出して買い物に行った直後
サトがこう言って私を誘った。
映画館で買ったポケモンのトランプを嬉しそうに手に持って。
ただ、さすがに深夜から早朝までの仕事明けに
映画館へ出向き、午後も1時を回っての帰宅だったので
眠さには勝てず、「起きたらやろうね」とあっさり断って
寝る仕度を始めてしまった私。
つまらなそうに口を尖らせながらも
「じゃ、起きたら絶対だよ。ボク今から学校行って遊んで来るね」
と、素直に私の都合を受け入れてくれたサト。
いつものように家の鍵とピッチを持って
ヘルメットをかぶり「行って来まぁ〜す♪」と玄関へ向かうサトに
「気をつけてね」といつも通りの言葉を掛けて寝室に入った。
ベッドに倒れ込むとすぐに眠りに引き込まれ、
その2時間先に鳴り響く携帯の呼び出し音も
間近にけたたましくなる救急車のサイレンの音にも気付かず深い眠りの中にいた。
目覚めたのは、旦那さまの怒鳴り呼ぶ私の名と
信じられない出来事の状態を聞いたその時。

病室にいて、ほんの時折しか見る事の出来ない寝顔を見て思う。
あの時、私が誘われたトランプ遊びに快く承諾して
サトと一緒の時間を過ごしていれば...
もしかしたらこんな事態を引き起こすことはなかったかもしれない。

赤黒く荒れ上がった痛々しい目元や
細い腕に外れない様テーピングされた点滴のチューブ。
何で今こうしてココでこの子は横たわっているのだろう...
顔を覗き込めば涙で輪郭が滲んでいく。
点滴をしている左手をそっと握って「ごめんね、サト。ごめんね」
ポタポタとシーツに落ちる涙をぬぐうより、
とにかく少しでも早く回復するよう祈るしかなかった。

今日も苦しそうな表情で訴えるサトの背中を
トントンと何度となく叩いたり摩ったり
ただそれだけを繰返して時間が過ぎて行く。
動く事もままならない状態で、苦しみながらも
「お腹が空いた、何か食べたい」と泣きながら訴える。
彼が口にする事を許されているのは水分だけだった。



2004年07月17日(土) 自宅目前の交通事故

映画に行ったのよ、子供達のたっての希望で。
今日から上映開始のポケモンの映画を。
だって仕事明けて帰ってきたら
ふたりとも早起きして待ってるんだもん。
寝るわけにもいかなくて行ったわよ、睡魔と戦いながら。
しかも普段なら車で行く距離の映画館。
旦那さまが車を通勤に使っているので
移動手段は自転車と電車。
映画館への最寄り駅で下車したものの
タクシーはつかまらず、バスも出た後で
仕方なく30分も歩くことになったり。
映画観るまでにすっかり体力消耗よ。

上映開始10分前に映画館に到着。
開始時感ギリギリに入場で、席も悪い状態なのに子供達は大満足。
封切りして一番に観られたと、はしゃぎながらも
画面に釘付け。夢中になって観てました。
私は...いい感じで寝たわよ、半分くらいはね(笑)

映画のキャラがついたグッズを嬉しそうに買って
帰りは贅沢にも乗車した駅までタクシーで帰ってきて
あとは自転車で自宅まで楽々帰宅。

夜勤明けで寝ていた旦那さまが起きて来て
「買い物に行きたいからみんなで行こう」
なんて声を掛けてくれたけど、私はもう眠さの限界。
寝かせて欲しいと懇願して留守番することに。
サトも外に遊びに行きたいからと買い物を拒んだので
ユキを連れて旦那さまは買い物に出かけた。
遊ぶと張り切っていたサトも
いつの間にか小学校へ出かけて行った。

私、午後2時就寝。

ところが、午後4時半。
旦那さまに叩き起こされたの。
「何で携帯何回も鳴らしたのに通じないんや!!」
急に起こされてポカンとしている私に
「着替えて早く外へ来い」と怒鳴る。
「何?どうしたん?」
まだ半分寝ているような私の耳に
次の瞬間信じられない言葉が飛び込んだ。
交通事故や。サトが車に跳ねられた!!
 学校の門の前だ。着替えたらすぐ来い」
眠気が一気に吹っ飛んだ!!

着替えて現場へ駆け付けると
目に飛び込んだのは救急車と人だかり。
家からあまりに近い距離だけに
ご近所の知った顔もたくさんいた。
旦那さまが救急隊員と話をしている。
背後から近付くと救急車の中からサトの泣き叫ぶ声が聞こえた。
「痛い〜〜〜〜っ!!痛ひぃ〜〜〜っ!!」
顔面におびただしい血。
『あぁ、ウチの子だ』
着替えをしている時も、子供を見た瞬間も、
何故か妙に冷静で、まるで夢を覗いているような感じだった。

「市立病院が取れましたのですぐに出ます!!
 どなたかご同乗されますか?」
ドアから顔を出した隊員が私のすぐ横で叫んだ。
旦那さまから私に乗るように指示が出る。
「保険証、あった方がいいですか?」
急を要する時に、私ってば何聞いてるんだろう。
そんなの後でどうにでもなるのに...。
どこかで自分を客観視しながら
家にバックを取りに帰る余裕。
やっぱり気が動転してるのか。

救急車に乗り込んで病院に着くまでの
わずか5分程の時間にも妙に静かに声を掛けていた。
私、やっぱり変だ。

自転車で道路を横断中、走って来た車に跳ねられたのだそうで
飛ばされて地面に叩き付けられたようなので
頭部を強打している可能性もある、と車中で説明を受けた。

病院について救護室に通されると
タンカから診察台へと移された子供の顔を
初めてじっくりと見る事ができた。
まぶたがパックリと裂け、目を閉じる度
血がしたたって落ちる。
先生の診察を受けながら、サトをなだめるように
相変わらず静かに言葉を口にする私。
私がパニックになったらサトが余計に動揺する。
そんなふうに思ったのかもしれない。

病院に追って駆け付けた旦那さまと
待ち合い室のイスに腰かけながら
止血の為に縫合に入った救護室からの
サトのけたたましい泣き声を聞いている時も
ユキに笑顔で接する自分があった。
「どうしよう」とかそんな動揺よりも
『やっぱり起きたんだ』
一瞬そんな気持ちが過った。

サトの名を見て改名をすすめた人に
ちょっと以前にそういう警告を受けていたから
気持ちの準備が出来ていた、といったところだけど。

その後の検査で、とりあえずレントゲンにもCTにも
骨折や外傷はいくつもあるものの
重症となりうる問題点は今の所見当たらないという診断を受けた。
ただ、頭を打っていることから
しばらくは安静にして様子を見ることになった。
ナースステーションのすぐ横。
集中治療室にて面会謝絶の札を下げられた。
入院。
不安な一夜を過ごすことになりそうだ。



2004年07月12日(月) うるさぁ〜い!!

仕事で帰宅。
子供達は幼稚園と学校へ。

やっと寝られるわ〜っと思ったら
家の脇を大きなトラックが凄いエンジン音で通過。
袋小路の路地で何ごと?と窓から表を見てみると
裏のお家の配管工事か何かで機材を下ろし、
アスファルトにドリルで穴を開け始めた。

ドドドドドドドドドッ
ガガガガガガガガガッ

うっ...うるさい!!
家中の窓を全部閉めてもすっごく響く。
床や壁から音が伝わってくる感じよ。
あ〜ん、今日はずっとこんな調子かしら(T-T)
こんなにうるさいととても眠れそうにないわっ。
今夜の仕事はきっと眠たいだろうなぁ(TロT)


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里伽 [MAIL]