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2002年02月23日(土) 税金。

正直、私は政治に興味がないって言うか、疎いって言うか、知識がないって言うか、とにかく駄目ダメなんだけど、消費税なんかはちゃんと払ってます。

最近ムネオさんとかいう政治家が、税金を私物化したとか、してないとか・・・
そういえば、ついこの前サチヨさんとかいう人が脱税したとかでニュースになってたね。
脱税は国民の義務を果たしていないのだから、駄目な事やし、悪いって私にでもわかるけど、誰やねん!みたいな政治家に勝手に使われるなら、そりゃ、脱税したくなるわな・・・

今日TVでやってたけど、ノルウェーは消費税が22%も取られるらしいけど、
ちゃんと国民に有効に還元されてるみたいよ?
日本はどうよ?
わたし、税金の使い道って、主に、年末の道路工事しか知らないよ?

ねぇ、税金、税金、ちゃんとしてよ!


2002年02月22日(金) 償い

ニュースで裁判官が判決を言い渡した後
「唐突に思えるかもしれないが、君たちはさだまさしさんの"償い"という曲を知っていますか?」といい、「歌詞だけでも読んで償いの意味を知って欲しい」とかなんとかいったらしいことが報道されていた。
私はこの曲を知らなかったので検索してみた。
そして、歌詞を読んで、最後の部分に強く印象を受けた。
なので、ココで紹介してみたい。

「償い」word by さだまさし
月末になるとゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに
必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった
仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと
飲んだ勢いで嘲笑ってもゆうちゃんはニコニコ笑うばかり

僕だけが知っているのだ彼はここへ来る前にたった一度だけ
たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ
配達帰りの雨の夜横断歩道の人影に
ブレーキが間にあわなかった彼はその日とても疲れてた

人殺しあんたを許さないと彼をののしった
被害者の奥さんの涙の足元で
彼はひたすら大声で泣き乍ら
ただ頭を床にこすりつけるだけだった

それから彼は人が変わった何もかも
忘れて働いて働いて
償いきれるはずもないがせめてもと
毎月あの人に仕送りをしている


今日ゆうちゃんが僕の部屋へ泣き乍ら走り込んで来た
しゃくりあげ乍ら彼は一通の手紙を抱きしめていた
それは事件から数えてようやく七年目に初めて
あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り

「ありがとうあなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました
だからどうぞ送金はやめて下さいあなたの文字を見る度に
主人を思い出して辛いのですあなたの気持ちはわかるけど
それよりどうかもうあなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」

手紙の中身はどうでもよかったそれよりも
償いきれるはずもないあの人から
返事が来たのがありがたくてありがたくて
ありがたくて ありがたくて ありがたくて

神様って思わず僕は叫んでいた
彼は許されたと思っていいのですか
来月も郵便局へ通うはずの
やさしい人を許してくれてありがとう

人間って哀しいねだってみんなやさしい
それが傷つけあってかばいあって
何だかもらい泣きの涙がとまらなくて
とまらなくて とまらなくて とまらなくて


友達と車の運転についてよく話をしていたが、
本当に、誰かを傷つけたR、それこそ、生命を奪ってしまったら、
もう、辛くて、償う事なんてとても出来なくて、
生きてられへんなって言ってたけど、
この歌詞を読んで、ますます、そういう気持ちが強くなった。


2002年02月19日(火) カテゴリ化

今日友達と話をしている時にとある話がでた。
自分の周りの人についてである。
私は何時からか、一般にいう友達を「友達」「知り合い」などカテゴリ分別している。
今日一緒に話をした人はそんなカテゴリ化という発想さえ今までなかったようだ。
今回はそんなカテゴリ化のお話。

人間は一人では生きて行けない。
では、周りにはどんな人がいるだろうか。
その周りの人を日向葵的に今回はカテゴリ化してみよう。
家族とか、親戚とかは、法的にカテゴリ化可能なので、今回は触れないでおく。

まず、一番親しい、よく遊んだり、いいたい事が言えたりする、お互いの携帯アドレスくらいは知ってるかな・・・な人=「友達」中でも特に親しい人=「親友」
お互いの携帯アドレスは知ってたり、挨拶したり、ノートの貸し借りくらいはするけど、どーでもいいことではあまり会話の続かなかったり、微妙な距離を感じる人=「知り合い」
特に個人的に仲がよかったりするわけではないけど、ゼミが一緒だったり、サークルが一緒だったりバイトが一緒だったり・・・な人=「○○の人」
「知り合い」「○○の人」の中でもこう…個人的にダメな人(私がね)=「嫌いな人」
その他=「どうでもいい人」
だろうか。このようにカテゴリ化すると、一番多くなってしまうのが「知り合い」な自分が虚しかったりする。

そもそも、このカテゴリ化。自然と始めたのは、中学か高校かのときだと思うが、
友達と言うものに疑問を感じ、同時に友達というものに固執しなくなった時だと思う。
これは一方的なカテゴリ化なので、私が「友達」だと思っている人にとっては私は「知り合い」かも知れない。こんなカテゴリ化自体がアホみたいなことかなとも思うけど、ふと話題になったので、ここでもちょっと、取り上げてみた次第である。


2002年02月15日(金) 大切なモノ

小さい頃からずっと、変わらない事が一つ。
「大切なモノ」。
色々苦労して、いっぱい頑張って、やっとの事で手に入れた大切なモノ。
それはいつもいつも、一瞬で崩れ去ってしまった。消え去ってしまった。
大切なモノって気づかない事が多くて、気付かないものが多くて、
本当は、大事にしなきゃいけないものなのに、適当に、そこらへんに、乱雑に扱って、なくしてから、大切だったて気付く。
今度からはもっと大事にしようって、早く気付いて、なくさないようにしようって思うのに、やっぱり、気付けなくて、なくしてしまう。

思い出してみて?幼稚園の頃のあの時間。
いっぱいいっぱい、時間があって、やさしい大人達に囲まれていた日々。幼稚園は楽しい事がいっぱい。
なのにたったひとつのことが嫌で、毎日泣いていたあの日々。
今はどんなに恋しくてももう戻れない。
なくしてしまった時間。
思い出してみて?小学校の図工の気持ち。
おっきい機械で、いろんな道具で、自分の好きな色で、いろんなものを作ったね。けれど、周りの友達の方が、上手で、自分の作品が大嫌いだった。ちょっと、気に入ったものができても誰も誉めてはくれない。
それが悲しくて、家に持って帰っては捨てていたね。全て忘れたかったね?
何を作ったのか?あの頃どんな思いを込めて作っていたのか、今となってはもう思い出すこともできない。
なくしてしまった心。
思い出してみて?中学校の頃の部活の事。
いろんな思いをして、楽しい事なんて何もないって思ってた。
全然思うようにプレイできなくて、上手くまとめる事もできないのに
スタメンで副キャプテン。私には重荷で仕方なかった。
いろんな事を学んだあの場所から逃げてしまいたかった。
何度も逃げ出したけど、逃げ切れなくて、最後にどうしても逃げたくなった時、
一番大切なモノを失った。そう、それは友達。
気が付くのが遅すぎた。失うことの意味をわかってなかった。
どうしようもなく儚い思い出。
思い出してみて?高校の文化祭。
ちょっとキツイ規制の中で精一杯創作する文化祭。
そして体育祭。みんなが明るく輝いて見えたのは、
ちょっと羨ましく思えたのは、自分ができることを最大限にやらなかったから?
自分の限界を自分で決めて、適当に、周りを円滑にする事だけに気をとられていた所為?周りのみんながどんどん成長しているのに、焦りを感じた原因は?
そう、自分自身で消してしまった、自分の可能性。

いろんな事、今更になって、どうしようもなく取り戻したくて、
どうにもできない。
人生なんてそんなもんかな?
それとも、それは私が弱いからかな?
もしそうなら、今度からは大切なモノ。
なくさないようにずっと、ずっと、守り続けていく事が出来るようになれるかな?
出来るようになりたいな。


2002年02月10日(日) 友達

友達。
この言葉を聞いて今、一番に出てくるのは一人。
親友だって思える。
親友って言葉。ずっと憧れがあった。
けど、親友って何なのか?よくわからなかった。
そんな簡単に口にできる言葉だとは思っていなかった。
親友。今は親友だと思える人がいる。
周りの友達に親友だっていえる人がいる。
そう、親友だって思いがあるから、周りの人には言う必要もないくらい。
その事がすごく、すごく嬉しい。
友達って難しくて、人間付き合いが下手な私はよく悩んでた。
今もやっぱ悩んだり、傷ついたり、傷つけたり、悲しくなって、虚しくなって、
そんなことはしょっちゅうだけど、今は大事な友達がいる。
失いたくないとか、そんなことは考えられなくて、失う事が考えられない。
別にいつも一緒にいるわけじゃないけど、いなくてはならない存在で、
相手にとって私の価値ってどんなものかも知れないけれど、
私にとってはやっぱ大事で、大切で、言葉になんてできなくて。
毎日、いろんな事後悔して、自分が嫌になって。
そんな私も親友と思える人に出会えて、幸せだって感じられる。

私の人生、とてもつまらないものかもしれないけれど、
今のこの気持ち、一生忘れたくない。一生大切にしたい。


日向葵