ぴょんきち活きる、生きる道
DiaryINDEXpastwill


2001年07月31日(火)

どっか〜ん!
今日、やっと、長かったテスト期間に終わりをつげた!わぁ〜い!
がんじがらめにされてた心が、大きく解き放たれたって感じっす!
明日から、なっつやすみー。ま、大して変わらない日々だけど・・・

テストが終わった後、
久々に同じく留年した大学の友達と、昼食をとりながら大いに語り合った。

その彼女は、居酒屋のバイトで生活費を自分で稼いでいる。
新聞奨学生と同じく昼夜逆転労働で、毎朝睡魔と闘っている同志だ。

今日はお互い仕事が休みだったので、大学の事やら、生活のことやら、
女同士のおしゃべりは果てしなく続いたわけである。

それから家に帰って、ふと思った。
「新聞奨学生」って立場は、すごく恵まれてるのかもしれないって。

仕事は楽なもんじゃないし、その上学校と両立しなければならないし、
貸付け金のことを考えたら契約途中で辞めることもできないし、
厳しい面は承知の通りたくさんある。

でもその反面、奨学生制度に守られてる部分もたくさんあるんだよね。
万一、けがや病気で仕事を休むことがあっても、生活は保障されている
わけだから。

バイトの時給で生活費を稼いでいる人達は、
けがや病気で動けなかったら、ダイレクトに生活に響いてしまう。
バイトのシフトをたくさん入れても、ある金額を越えたら、
保険でかなり引かれてしまったりする。
その中で、必死に頑張っている人達がいる。
私の大学の友人も、その一人だ。

「新聞奨学生は普通の大学生と違うからね」ってよく使ってしまうけど、

奨学生とは形が違っても、
世の中には、いろんな自立の仕方があるんじゃないかって思えた・・
新聞奨学生の立場っていうのは、ほんの一例だって。

「しんどい、しんどい」って言ってばっかいないで、
おごらずこれからも頑張っていこうって肝に銘じたのでありました。

反省。




2001年07月30日(月)

忙しい*2って言ったって、奨学生だって恋をする。

私も、一応例外ではない。いくつか恋をして、やぶれたり、ふられたり、時には自らサヨナラを選択したりしてきた。(ぶっちゃけ)

高校2年生の時から4年間、付き合ってる人がいた。
高校の学園祭でナンバーワンカップルに選ばれたりと、とにかく仲良しだった。

高校卒業後2人とも上京して、彼は大学の部活の寮に入り、私は奨学生に
なった。休日は、2人の距離の中間点の駅で、よく待ち合わせをして会ったりと、とにかく会える日は、出かけっぱなしだった。

生活リズムのズレは、気合で払拭していた。

でも、彼には寮の門限があり、私は次の日の朝刊が気がかりだった。
いつも、時間とのにらめっこだった。

そうこうして上京してから2年間、あれこれ2人頑張って付き合ってきたが、
結局、別れた。

今思うと、
もっと要領よく付き合えていたらなぁ〜ワッハッハ!と思えるけど、
その当時の私は、生活リズムのズレと、気持ちのズレを穴埋めすることに疲れきっていた感があった。

 朝刊後、
「とにかく少しでも休息したい」と私。
「せっかく遠くから来ているのに!」と彼。
「なんでうまくいかないんだろう・・・」悔しくって涙が出た。

うまくたちまわれない自分への苛立ち、体中を駆け巡る自己嫌悪感、普通の人とは違う奨学生の生活リズムへの戸惑い。迷い。とにかくいろんな感情達が、グルグル自分の中でかけっこしていた。

まだまだアマちゃんの戯言かもしれないが、
別れた時、純粋に「好き」って気持ちよりも、それを越えた強い何かに抑えつけられてる気がした。時間、距離、生活スタイル・・・そして、現実。

あイタタタタ・・・でも、切り替えて行かんと!
(思えるまで時間を要したけど)

と、苦い経験やそれよりもっと苦い思いをしながらも(笑)、
やっぱり恋っていいもんだと思う。

いっぱいいっぱい考えちゃったりするけど、
恋をするってことは、誰かをまっすぐ信じたいってことだと思う。
少なくとも、私は今までのことから、そう思った。


2001年07月27日(金) うちの犬の話。

私の集金時の楽しみの1つは、お客さんがかっているペット達と会うことだ。
たくさんの犬や猫たちが毎回私をあたたかく(!?)迎えてくれる。
毎月訪れる、やたらと自分らに話しかける人間の存在を、ちゃんと認識してくれているようだ。

もう少し何か新しい発見をしたら、人は犬とか猫とかと話せるようになるんではないだろうかと、私は個人的に思う。逆に犬や猫にとっては、人の言葉の意味なんてお見通しのような気がするのだ、かなり確信的に・・・

先月、うちの実家の愛犬が死んだ。享年13歳だった。名を、ロロという。
私にとっては、たった一人の弟のような存在だった。そんなの大袈裟だって思う人もいるかもしれないけど、紛れもなく、家族にとって、ロロは人間となんら変わりはなかった。ロロ自身も、自分のことを人間と思って生きていたかもしれない。

夫婦が、姉妹が、家の中で喧嘩を始めたとする。座布団に寝そべっていたあいつはムクッと起きだし、耳も目もたれて困ったような表情をし、ソロソロと移動して、どちらかの人の腕に前脚をおいて、「まぁまぁ」と言うように、目を見つめてくる。喧嘩の仲裁は、彼の十八番だった。
2月に13歳の誕生日をむかえて、もうロロも年だから介護のことも考えておこうと家族で話し合ってた矢先、夜、彼は一人で散歩に出かけそのまま、ちょっと家から離れた民家の横で、帰らぬ犬になっていた。急な心停止であったらしい。家族に何の手も煩わすことなく、逝ってしまった。ロロらしいといえば、ロロらしいと思った。

ロロの死には後日談がある。ロロが倒れていた横の民家の方が、親切にも亡骸を安置しておいて下さっていたので、数日後あらためて母がそのお宅にお礼に伺うと、
玄関には、生まれたばかりの子犬が母犬と共に眠っていたそうだ。その子犬は・・・
ロロの子犬の時とそっくりだった!!まさか父親?それはさだかではなかったが、
これも何かの縁だと思い、その日から、ちっちゃな新しい家族が増えた。
名前を、「ロッジ」という。

家族の中でやっぱりロロが一番強者だったことを、思い知らされたエピソードでありました。 帰省した際には、お墓参りに行く予定です。

「ロロ、生まれ変わったんでしょう?」って聞いてこなくちゃ。


2001年07月26日(木)

日記を書くの、1日すっぽかしてしまいましたーーー!!
テヘ、ちょいと昨日は地元の親友から電話がかかってきて、
長電話してました、、(かかってきたことをいいことに)
その親友は、今年からピチピチの新米看護婦さんをやってます。
そう、白衣の天使ってやつ。真っ白いナースシューズってやつ。
でも、魅力的な外見とは裏腹に、人の命と対峙するっていうお仕事だから、
本当、たいへんそうだ・・・。
「元気だせ!」っていう気持ちをこめて、応援歌を電話先で歌おうとしたら
拒否された(笑)毎度の事なんだけどね。(それでも唄っちゃうのだけど)

本当は、今すぐ地元に飛んで行って、一緒に飲んで、いっぱいグチを聞いて
あげたいんだけど、(自分もいっぱいしゃべりたい)
奨学生をしてるとなかなか帰れないよねーー。
この間帰ったのは、去年の夏かな・・・早いなーー、1年。

でも、離れていても、それぞれ頑張ってる親友がいるからこそ、
私も頑張れてるような気がする。辞めないで奨学生続けてこれた
ような気がする。

これからも、大切な人を、いっぱい愛していこぉっと!
テヘ。そんな感じ。


2001年07月24日(火)

おっしゃー、ぼちぼち日記を書くぞー!
っておい!もう25日になっちゃったよーー。テヘ。チャットが楽しくて、つい。

今日(ホントは昨日)はテストが午前中で終了したので、帰りに美容室によってきた。パーマをかたり、カラーを入れたり、気合が入っていたので、お昼くらいに行ったのに、セットが終わったのは午後6時をまわっておりました・・・ふいー。

でも、どす黒くて、ボサボサ伸び放題で重かった髪から一新・・・
リフレッーーーーシュ!!
どおりゃーー!明日から頑張るぞ〜!・・あっ・・・集金だ・・・
ひゅルルルルル〜シュパン。ドテ。いやいや、ネバーギブアップ。
わっせわっせ、
パカパパッババ〜ン、モチベーションアップ完了!!

ところで・・・
ふと、自分の進んでる道に不安を覚えた時、配達中大声で歌う歌がある。

ミスチルの「終わりなき旅」の1フレーズ・・
「誰の真似もす〜んな、君は君でいい〜、生きるためのレ〜シピなんて
 な〜い、なーーーーーいさーーー!!!」

そう、自分は自分。人は人。マニュアル的な生き方なんて、ありえない。
 
日記なんだけど、この場をかりてramiaさんへ。

将来の夢を持ってるramiaさんが、とってもカッコイイと思ったぞ。
ぴょん的に、力の限り応援しております!!がんばれ〜!!

余談。私はこっちに奨学生として上京するとき、父親に猛反対され、
拳を交えるまでの大喧嘩をしちゃいました。

でも、最後には真剣な思いは必ず心に届くはず。




2001年07月23日(月) ふるさと。

この間、NHK朝のテレビ小説「ちゅらさん」の海の日特集を見ていたら、物語の中に、「自分にとっての地元の本当のよさは、そこを離れて生活してみてはじめてわかるものだ。」といったような台詞があった。
それを聞いていて、実際北国から上京してきた私は、「全くその通りだなや〜」としみじみと思った。そう、離れてみて実感する、ふるさとの良さなのだ。

私は、18歳で上京するまで、(注:神奈川だろうが埼玉だろうが、あっちにしてみたら、ほぼ首都圏全域「東京」に入ると思われるのであしからず)一度も関東に足を踏み入れたことがなかった。「都会に行ってみたい」という欲も特になかった。ただテレビで見る都会の人ゴミと電車の量にビビってただけかもしれないが・・・コホン。
でも、東京という大都会に強い憧れはあり、それは、吉幾三の「おら東京さいくだ」ばり感覚の、「東京に行ったらなんでもある!」という思い込みからであった。こっちに来てみたら、確かに物はいっぱいあふれていて、田舎に比べて交通の便もすごくよかった。テレビのチャンネルも三つも多かった。遊ぶ所も観る所もたくさんあって、上京1年目は、そりゃもう電車に乗っては、新宿、浅草、お台場やらに出かけたりしていた。でも・・・時が経つと、無いものもたくさん見えてきて、高い場所から眺めた景色は、どこまでも灰色っぽい空と建物に覆われていて、噂には聞いていたが、山は、遠く遠くにかすんで見えるくらいだった。

ふと、気づいた。「私、ないものねだりだったんだなー」って。

田舎には、緑が覆い茂った山々も、キレイな水も、美味しい空気も、渋滞知らずの道も、そしてのぉ〜んびりした雰囲気もホント当たり前に存在して、18年間、その価値についてはあんまり深く考えなかった。服屋が少ないだの、セブンイレブンがないだの、そんなことばかりに目がいって・・・
だから、こっちに来てはじめて、当たり前で冴えなかった田舎の風景が、キラキラ輝きはじめたのだった。「地元最高ー!」って具合に。ちょっとゲンキン?
でも、
都会の人にとって「ふるさと」ってものが、かけがえのないものである理由がようやくわかったような気がした。

「まぁんず、んだよね〜!」











2001年07月22日(日)

来週から、大学のテスト期間(他大学に比べて遅過ぎる)が始まるので、今日は1日勉強してた!と、日記に書く予定でした。ところがどっこい、すっとこどっこい、居眠りばかりしてました(苦笑)ピ〜ンチ!でも、夢の中の私は確かにバリバリ勉強をしたり、課題をこなしたりしてました(笑)

時たま仕事でも、
自分はもう朝刊に行く準備をしてるつもりでも、それは夢の中での話しで、しっかり二度寝してたりとか、カーテンを閉めたままとかで部屋で寝ていて起きると、朝刊で起きたのか夕刊で起きたのかわからず一人で大混乱してしまったりとか、朝刊寝坊した!と焦って店にすっ飛んでったら、一時間早かったりとか・・・

そんな衝撃の後に押し寄せてくる、切なさっていったらない。せつな〜い!

ま、勉強は崖っぷちだけど、その崖っぷち、受けてたとうじゃないの!と都合良く開き直りながら、これからテストにむけて少しあがこうかなと思う次第であります。がんばるぞ〜!

教訓:勉強は計画的にね。


2001年07月21日(土)

今日は風があって比較的過ごしやすく、夕刊配達ものぉんびりとしたもんだった。

何年も同じ区域を配っていると、あんなことがあったなー、こんなことがあったなーとふと思い出を回想しながらの配達になってしまったりする。
(あまり考え事をしてると事故るので気をつけましょう。)

たまに、黒飴のおばあちゃんについて思い出す。
そのおばあちゃんは、2紙もうちから購読して下さっていて、ご主人と二人で、お庭のとっても綺麗な、立派な一軒家に住んでいた。とっても品のいい方で、田舎育ちの私は、オババといえば田畑ともんぺ姿を連想するような感じだったので、なんだか新鮮な思いでそのおばあちゃんと接していた。
おばあちゃんの口癖は、「あなた健康に気をつけるのよ、人間はそれが一番ですからね」で、集金の時、ほとんど毎回身体に良いからと、黒飴を2、3個私にくれた。そしてそれが3年くらい続いた。
桜が満開をむかえる月にいつものように集金に行くと、玄関先にご主人と娘さんが出てこられたので「おばあちゃんは今日はお出かけですか?」と聞くと、おばあちゃんは、つい一週間前に急逝したと告げられた。眠ってる間に亡くなられたとのことだった。私は思わず、かぶっていたヘルメットを取り、仕事も忘れて泣いてしまった。私はちょうどその頃、食中毒で休んでいたのから復活したばかりだったので、
お通夜もお葬式もわからず、その事がなおさら無念だった。

それから1年以上が経った現在でも、ご主人が新聞を取って下さっている。
今では集金の時、これまたダンディなおじいちゃんに「私がもうちょと若かったら、
お姉ちゃんに結婚を申しこんどるぞ」とからかわれている。
御年八十数歳、いつまでもお元気でいてほしいと願うばかりである。
そう、黒飴をなめながらそう思うのである。


2001年07月20日(金)


 今日は3連休の初日のためか、朝刊のチラシがめちゃめちゃ厚くて、
 バイクと悪戦苦闘しながらの配達だった。ふいー。
 
 私のバイクはちょっとポンコツなメイト君である。
 バイクに詳しくないのでバイクの寿命とかについては
 全くわからないんだけど、私が新入生の時にはすでにあり、
 3年前にメーターが五万キロ近くを指して止まったままである。
 彼(バイク)とはかれこれ四年半弱の付き合いである。
 
 まだピチピチ(!?)の新人だった頃、私は本当によくバイクを倒した。
 荷台にたくさん新聞を積んでる時に倒すと、自分の力でなかなかバイクを
 起こすことができなくて、すったもんだしてやっとこバイクを起こすと、
 今度はなかなかエンジンがかからなかったり。
 その他いろんなことをやらかしてしまい、ドジなご主人をもったおかげで、
 彼はどんどんポンコツになっていった。
  
 現在彼は、40キロ以上スピードを出そうものなら、ものすごい金属音を
 あげたり、日によって機嫌がコロコロかわったりしてる。
 今度エンジンが故障したら廃車にしようかって言われてるんだけど、
 できれば私が卒業するまで、なんとか持ちこたえてほしいと願うのである。
 
 


ぴょんきち