日記
日記です。なんかあれば書こうと思いますです…。

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2006年11月30日(木) うつ病に関する考察


前父と弟がうつ病とお医者さんに認定されていたとかいた。なのでうつ病のWebはわりとみていて,彼らがなぜ苦しんでいるのか考えるようにはしている。

うつ病はなぜおこるのか。脳内には脳細胞のニューロンがシナプスという突起を用いて信号伝達物質というものをだして,情報のやりとりをしている。生命維持・身体活動・思考もすべてそれで行われている。うつ病というのは,その中で過度のストレスが引き金となり思考を制御するニューロンに障害がおこり,神経伝達物質が分泌されなくなり,思考障害,思考停止などといった形であらわれる精神病のことだ。それまでは何の問題もなくできていたのにという条件付ね。もとからそういうことができないのは学習障害というまた別の病気だ。

このように機能障害のメカニズムとしてはきわめてシンプルなものであるため薬学と精神ケア療法,病棟建設法etcがすすんでいる現代医療ならほぼ治療可能な簡単な病気であるわけだが,日本の場合は文化的背景からうつ病に対する認知が低いため,発見すら満足に行われていない。

ストレスがおこる理由としては,「仕事」ができないのは「根性」が足りないからだとかすごいこといっているからね…。今の仕事は体力がありゃどうにかなるような仕事は稀だ。また,病院といっても精神科は基地外がいくところという認識があるのも問題視されている。「熱っぽいから内科いってくる」人は多いが「ちょっと気分が優れないので精神科いってくるよ」っていう人は少ない。アメリカでは,気分が落ち込んだらセラピストやカウンセラーに気兼ねなく相談しているというのに。このへんは見習うべきだと思う。それから仕事ができないのはその人に根性がないからではなくて,なにをやればいいのか理解できていないか,もしくは物理的・時間的・に不可能な場合,それのどれにもあてはまらなければ病的ないわゆる学習(勤務)障害とよばれる病気だかららしい。

治療は理屈ではストレスを遮断すればそれがダメージコントロールになり,あとはニューロンが正しく動作できるように免疫促進剤を投与すればいいわけで,それに加えて最新医療ではリハビリも考慮にいれて行っているという。まぁ,他の病気に比べれば体開いたりしなくていいため,治療法としては簡単だといわれている。

ストレスの遮断は具体的には,仕事が原因でうつ病になったら休職すれば3ヶ月くらいで楽になって戻れるようになるし(職場がストレスにならないように会社が努力することは必要だが),家庭が原因なら家庭環境をかえる努力が必要になる。

うつ病の具体的な症状。うつ病というのはいわゆる脳内神経細胞に障害が発生して,思考をコントロールする神経伝達物質が分泌されない状態。初期症状では思考がにぶくなり,末期になると思考が完全停止する。ゆえに,理論的には社会活動において,思考障害が発生して,朝満足におきられない,ご飯を食べる気がしない,仕事を行うのに気力が発生しない,仕事の効率が落ちる,などのいわゆる気分が優れない状態で毎日を送っているような格好になる。普通の状態だと恋人にフラれたとか単位を落としたとか留年がきまったとかそういうのでもそういう状態になってしまうことはよくあるんだが,これらは自然と回復して3日たてばまた普通に寝られて,ご飯を食べることができるようになる。うつ病の場合はそもそものニューロン自体が損傷している状態なので,自然回復しにくい状態にあるといえる。

初期においては,まだ思考障害程度の認識になる。インターネットでよくあるような,くらーい文章で仕事する気にならないし医者にうつ病と診断されたというのも初期症状だといえる。なぜならネットやる元気があるからだ。この状態ではコミュニケーションもわずかながらとれるし,会社に自分から休職願いをだしたりもできる。ただし,その判断力は通常に比べて著しい低下がみられていることは認識する必要がある。

末期になると「うつ病昏迷」といって,思考の完全停止がおこる。つまり思考を伝達する物質が完全に分泌されなくなる。わかりやすくいえば,ようするに思考できない植物人間。つまりネットどころか手足一本動かすことができない考えることのできない人間になってしまう。

うつ病患者と接する方法は,とにかくその人にストレスを与えないように注意しなくてはいけない。ストレスを与えればうつ病が進行してしまうからだ。具体的には,その人が「"みんなのために"ぼくがなにかやらなきゃ」と思ってしまうような言動に注意する必要がある。ただし,「今日はこれをやりたいなぁ」と自発的に動けるような活動はストレスにならないし,むしろ気持ちを楽にさせるので逆に推奨される。

また,特に注意しなくてはいけないのは,うつ病を治療して治った(これはよ絶対によくある)患者に対しても,「治ったね,おめでとう!」と仲間を集めて飲み会を開き,「これでまた一緒に仕事できるね!(また以前のパパになれるね!)」と声をかけるのはよさなくてはいけない。具体的な事例では,退院患者を祝うパーティーを友人らが開いた,その翌朝退院患者は(おそらく以前のうつ病の経験がフラッシュバックされて)自室で首をつって死んでしまったという事例がある。つまり,パーティーを開くのなら以前の環境がストレスだったことを認識して,今後はこのようなことが二度とおこらないように,という論調で開かなくてはいけない。外科内科の病気と違う点は,単純に体調を崩したという点ではないことだ。

実際,精神科の病棟では面会に対しては,家族は医者から十分に注意をうけてからでないと面会不可能,その他知人の面会は無理で,子供の入棟は禁じられている。

さっきもいったが,うつ病のメカニズムは,過度のストレスが起因して脳内に単純な異常が発生しただけというシンプルな病気だ。はっきりいって初期段階で精神科にいけば治しやすい病気だし,予防も虫歯以上に簡単にできる。過度なストレスをためないように気をつければいいのだから。

今後高度な知識社会に入るにあたって,うつ病など脳障害における患者数は増加傾向が予想される。今から精神病に対する正しい理解と予防が必要である。

ではでは。

2006年11月29日(水) 席をゆずる若者


なぜか若者でググるとこの記事がトップにくる。休みの日,電車内で山登り帰りのおじいさん連中の「今の若者は席をゆずらなくて…」という話に,若者のほうがこっちは休み返上で働いて今のおじいさんの年金をつくっているのに,その俺たちが今度は年金もらえないなんていうのは不公平だ,そんなおじいさんになぜ席をゆずらなくてはいけないのかといいかえしたという話。

おじいさんのほうはまったくの焼け野原だった日本を高度成長によって支えてここまで豊かにしたのは俺たちなんだという誇りがあるから自然と若者に対しては俺たちを尊敬して当たり前という考えをもってしまうらしい。

上があるから下があるという考えは中国→日本文化では重んじられている考え方だ。当然の真理だし,大事な考え方だと思う。

しかし,今の世の中は集団主義から個人主義にうつりかわり,「その人がなにがやりたいのか,できるか」で判断される時代になりつつある。損か得かが価値観の基準となり,そうなればおじいさんを大事にすると何の得になるのかという話になり,「この瞬間」労働力のないやつを大切にしても意味ないじゃないかという価値観にならざるをえなくなると思う。米国主義には歴史や文化がない…。とにかく今一番働き盛りの人間が,過去のものをすべてぶっこわして革新し続けていく,それを繰り返すという思想。過去のものを大事にしようなんて発想はなくなってしまう。

おじいさんにはかなりかわいそうな思想だが,しかしその思想でアメリカが世界一になれた以上,TOPからその思想を学んでこっちの国も生き残りを考えないといけないから,この流れを否定するわけにはいかないと思う。

アメリカ人に日本は邪馬台国〜平成にいたるまで日本は長い歴史をもっている,それを大切にして生きていきたいんだ!といっても保守主義者,一緒にビジネスはできないの一言で相手にされないんだろうな…。実際トム・ピーターズがそんなこといっていたし。だから,今日本が生き残るために歴史を捨てて…という考え方になって,それが世代間ギャップを生み出そうとしているのだと思う。

…でも,人間っていうのは未来への夢だけじゃ生きていけないんだけどね。今のように未来に夢希望がもてない時こそ過去の歴史のことでも考えてるとまだ楽なんだけど,今は歴史を学ぶことは保守的思想であって好ましくないことなんでしょ?

ではでは。

2006年11月28日(火) GISの掲示


アルファベットを全部数えるプログラム作れとかいてあったら,文章の中のアルファベットの文字数を全部数えてたしあげればいいのかのか?って思うよねこんにちは。僕ってなんて馬鹿なんだろう。

掲示板の「Web-建築情報処理履修中の学生へ」っていう掲示が他学科の掲示ながら香ばしくて思わず他学科なのによんでしまった。とにかくすごいキレてることだけは伝わってきた。どういうものかというと,Web-GIS演習っていうのを行ったらしい。で,そのアンケートを回収したいんだが学生がかいてくれなかったらしくて,それを発端に,その他も色々あったのか,色々なことにキレていて結局何にキレているのか掲示だけでは判断できなかった。

確か「Web-GISは文科省から800万円の支援をうけて行った講義であり,講師もGIS界の一流の超多忙な講師を超安い給与できてもらっているのに,教育に対する感謝の念がなければ,アンケートも書かない。このアンケート結果は広く世間に公開されるものであり,ということはここの大学の学生が劣悪であることを世間に知らしめるものであって,ということは君たちおよび後輩の就職は厳しいものになるであろう,こんなことではこの講座は閉講せざるをえないし,講師もきてくれなくなるだろう,いや大体これから激動の世の中になって2007年から3年にわたって団塊が300万人辞退する中,新しく雇われる若者がそんな甘ったれでは企業はそんなやつ雇わないで団塊の勇士を再雇用という形で雇いなおすであろう。くれぐれも反省し態度を改めるように」とかなんとかそんな内容だったと思う。すげえな。GISについてはやったことがあるのですこーしだけ思い出す。

漏れ高専時代の卒業研究がGISだったんだが,GISというのは最近ではじめた技術だからはっきりいってソフトも高価なものしかない。本にしても新しい概念だから,文系科目のように安くてわかりやすい本なんて便利なものがない。ま,理系の専門書でわかりやすい本なんてみたことないけどね。

ネットワークGISソフトっていうと高専の連中が使っていたのはSISってソフトだったんだが,それは100万円以上もする高価なソフトで,プロ並の研究をしたければとにかく100万円だせという格好。周りでも色々苦労していた。(それでも昔の地図に画鋲さしてたり色鉛筆でごしごしぬってたころよりはなんぼかマシらしい)またGISをまじめに使える人間っていうのは今まだまだ少ない状況で,GISが使えれば多忙になれるという格好,だからGISをやるというのは今後20年くらいは食えると高専の人はおっしゃっていた。

ちなみに漏れの使ったソフトはというと,SISはネットワークGISソフトだから,マザーコンピュータがないと使えないタイプだったので,つまり学校じゃないと卒研できないという格好。進学活動で群馬にいって学校を休んでしまうとか学校にいる暇がないとき家でも卒研やりたいなー…という考えをもっていたのでMANDARA Freeというフリーソフトを使った。卒業論文まだパソコンに入っているが,まぁこれを使うと国のWebから国勢調査と国土数値情報落としてエクセルにうちなおすだけで,MANDARAがエクセルをよみこんで地図を生成してくれる。ネットワークソフトじゃないからマザーコンピュータ(サーバ)もいらない。

致命的なのは周りにGISをやっているえらい人っていうのがその教授しかいなくて,つまりGISをやっている企業というものはない。大学にアウトソーシングしてまるなげしている状況だった。自社開発もしているところもあるが,おそろしく一部だ。一部のエリート大学とちょっとクールな大学で細々とやりはじめた程度という現状だった。つまり引き続き卒業してからもやりたければ国立のN工大なりT波大なりに逝くか学科鞍替えして編入しろという状況で,入りづらさを考えるとなえまくる話だった。多分GISはここにいる間だけ取り組む技術かもななんて予想していたら案の定そうなった。T波大なんてどうせ受からないんだしなにより遠いし受験料の無駄だよ無駄と受けすらしなかった。

というわけでつまりなにがいいたいかというと,M工大でそれやってくれうんだったら,もし建築に入っていたら多分興味から血迷ってその科目とって話だけでもききにいっていたなと思ったという話でした。

ではでは。

2006年11月27日(月) 課題:Mac VS Windows!


今朝8時に警察署から連絡が…。「財布が届けられたので印鑑もってきてください」とのこと。おぉ神よ。誰でもなき者よ。ラーメン。

1時限目受けたら4時限目までは暇になるので,その時間を使って警察署にとりにいくことにした。電話うけてその場でグーグルマップで大学と警察署の2点を表示してみたところ,これはすごく遠いということはわかったので,片道1時間30分くらいかかった。車の免許をまじめにとろうかなと思った。

届けてくれた方にお礼しなくてはと思い駅前のイトーヨーカドーで紅茶を買っていった。(一般常識ではお菓子かケーキらしいんだけど,距離とチャリだけに原形をとどめて運ぶことが困難を極めるであろうと予測されたので)受け取りの際に「届けてくささった方にお礼がしたいのですが…」と伺ってみたら届けてくれた方が急いでたらしく,30代の女性であるということしかわからないということだった…。つまり住所も電話もわからないということ。

そっか…。「あ,そうですか…それだとお礼できませんね…。一応お礼に紅茶を買ってきまして…あ,では警察の方で…」と機転をきかせたら「わたしもいりません」いわれた。orz。とりあえずこの2000円の紅茶どうしよう。

さてさて,実はコンピュータアーキテクチャでコンピュータの性能を実際はかってみようという課題があってだ,とにかくそれが完成した。

はかるPCは学校のUNIXマシンでもPCルームのWindowsマシンでも自宅のPCでもいいよ〜ということだったので,僕は自宅のVAIOノートとPowerMacG4の比較を行ったのだ。

その結果を記載したレポートを以下に示す。大学の友達0だからうpしても誰もここを知らないのでパクられる心配はないし,つまり大学の人で僕がWebをもっているという以前に僕という存在がいることを知っている人自体が稀だと思うので,その点は心配なし。

学校のPCルームで印刷した都合上Windows用ワードファイルになっています。内容的にはひらたくいえば整数演算と実数演算という基本的なまったく同じベンチマークプログラムを両者で走らせその実行時間を比較するというもの。普通だ。ベンチマークのプログラムは確か自分で勝手に考えて作ってよかったはずだ。

…。うん。

Macはや。文字通り桁違いに早い。自分も結果を疑った。最初なにか間違ったんじゃないかって思った。っていうか教授になんでMacってはやいんですかって質問したくなった。どう質問すればいいかわからないのでできないですが…。でもここまで違うとなぜか知りたくはなるよね…。

また面白い側面もわかった。VAIOノートのクロック周波数は1.4GHzでMacのクロック周波数は1.25GHzのやつ使っているんだけど,理論どおりクロック周波数はプログラムの実行時間にはあまり関係しないよ。

なぜならCPIがクロック数/実効命令数で,実行時間=実行命令数*CPI*クロック周期だから,クロック周波数をあげてしまうとクロック数がふえてしまってCPIが増大してしまうわけね。つまりコンピュータの性能は実際にはプログラムの実行命令数をいかに減らせるかできまる。

だからどうしたっていう話ではなく自宅のMacは自宅のWindowsよりはやかったというだけの話でした。

ではでは。

2006年11月26日(日) ダメージコントロール


第二次大戦中に日本海軍がなぜ負けたのか。それはダメージコントロールにあったという。日本軍は敵を倒すための砲術の研究は世界トップクラスだったが,逆に敵から敵を受けた際の対処法,いわゆるダメージコントロールの研究はまったくやっていなかった。

アメリカはその点,第二次大戦中からその研究を盛んにやっていた。アメリカの船というのは,船内で火災がおきたときに燃えている飛行機などをすぐさま海の上に捨てられるように設計図がかかれていた。船底の倉庫にもドアがあって,ブルドーザも一緒につんであってそれらを使ってすぐに捨てる。

日本の場合は船内で火災がおこっても,船底の飛行機を船外にもってくためにはエレベータを使ってまず上にあげないといけないという設計で,つまりダメージをくらって火災がおきたらもうおしまいだった。燃えている戦闘機をエレベータ使って海に捨てることなんてできない。

このダメージコントロールがあればなにかがおこっても生存率は高まるといえる。

近年では企業経営内でもダメージコントロールの考え方は受け継がれていて,企業が被害や悪巧みがばれたときにどう対処すればいいかというのをマニュアル化している企業も多い。大企業になると,大体そういうのはもっているという。

このダメージコントロールという考え方は意外と大学や高専内でもあまり教えられていない。(失敗に備えて準備するのも大事だが)いざ失敗したというときにどうするかという考え方は現実的かつ実用的だし,失敗した後の考え方みたいなものはあまり提案されていないためオリジナリティもでるし色々な意見もでると思う。特に環境にも応用できるし,健康にも応用できるし,機械やプログラムにも応用できる。なにより失敗しかない日常生活へ応用できる。

どのようなダメージがあるのかと,それに対応する簡単かつ効果の高いコントロールを考えられると,確実に生きられると思う。

なお注意しなくてはいけないのは,ダメージコントロールというのは失敗への予防策ではない。思想的にはそれに近いんだが,地味に違う。たとえば船でいったら火災がおきないように船を強化するとかそういう思想ではなく,実際に火災が起きたときにどうするのかという考え方で,火災をどう自動的に消化して何事もなかったかのようにするのかという考え方。つまりダメージがおきたときにどうするのかという考え方。だから実用的なわけね。

考えなくてはいけないのは,どのようなダメージがあるのか。それを正しく検知するにはどうすればいいのか。それを自動的に回復するにはどうすればいいのか。この3点がわかればいいと思う。

ではでは。

2006年11月24日(金) 財布落とした…


大変なことに財布を落とした。といっても,僕の場合現金(常に30000円で固定)と学生証の入っている財布と,あとはまじで大事な保険証キャッシュカード類はわけて管理しているので,正確には現金30000円と学生証とショッピングカード類を落としたことになる。落としたと気づいたのが9:20,すぐ引き返して1時間目の一番ききたい講義欠席して調べたがすでになかった…orz

その足で交番で紛失届をだそうということで,とりあえずいってきた。電話で本署のほうにつなぎ財布の特徴やらこっちの連絡先やら中身に学生証が入っていることやらいろいろ伝えた。まじで最悪だ。

致命的なのは今日幾何学の中間テストで,大学のテストっていうのは学生証がないとうけられないというきまりがあって,テストが受けられないということはこれで留年だろうな…。とあきらめかけていて,だめもとでテストの前に教授室に伺って「財布を落として,警察にも紛失届けだして,学生証が中に入っていたので今学生証が手元にないんですがテストうけてもよいですか?」と伺ったら「それは大変でしたね。学部の連中は顔覚えてるから,いいですよ。」と許可してくれた…。まじで助かった。それと,あとキャッシュカードや保険証といった超大切なものは財布にいれずに別のファイルにいれて常にアパートにおきっぱなしにしていたのが被害拡大を防げた点だった。

というわけで文字通り金がないということで今日も朝昼飯ぬきなんだが,それ以上に学生証再発行どうにかしないと…。お財布を何を血迷ったかポケットにいれたのがよくなかった。バッグの中につっこんどかないといけないね…。警察のほうから届いたと連絡があることを激しく希望します。

ではでは…。

2006年11月21日(火) 別Webのために作曲


ギルメンのために曲を作りました。ギルメンというのはオンラインRPGゲーム(多人数参加型ゲーム)において形成されているコミュニティのことね。そこの取締役っていうかまとめ役っていう人がなかなかユニークな方で,いじられまくってるんだけど(漏れも地味にたまにいじる)偏差値70でやたら頭がよく今は知的財産権だかなんだかの管理を民間でやっているすごい方で,その方を特集しよう!ということで曲を作った。

まぁ,内容がその方がそれまで付き合った女性をモチーフに作ったせいと漏れ自身まだまだ作曲は上手とはいえないので,あまりうけがよくなかった…。作曲がもっとうまくなりたい…。

でも,本来の作曲としてあるべき姿みたいな格好のことはできてよかった。作曲はやっぱり金儲けのためにするものではないと思う。こうやって他人のために作って他人を表現できるのがなかなか音楽的にすごいことではないか。

そう思いませぬか?僕はそう思いますですよですか。うん。

ではでは。

2006年11月20日(月) トム・ピーターズ


大学の図書館でトム・ピーターズのデザイン魂・リーダーシップ魂をかりてよんでいる。これはすばらしい名著だ。これは実際に自分でも買おうと思う。それだけの価値がある本である。

彼の「なんという違い」→「昔:まず計画だ」「今:とにかく実行だ」が名言中の名言だと思う。計画なしに実行すれば失敗しやすくなるが,彼によれば「一度も失敗したことがないというのは何もしていないということだ」とあるし,これもいいと思う。そして,「失敗とは才能だ」とある。

新作のタレント魂も含め,ぜひ買いたい。

デザイン魂では,とにかくデザイナーが経営などのえらい人にならないとだめだとしている。もしかするとそうかもしれない。彼は今までの経営の悪い部分は数学に頼りきってしまった,これでは計画とその修正に終始してしまいすすまないとしている。デザイナーは確かに,紙ではなく現場をみる,そこから感じ取る,そしてムダなものをはぶき,単純に,美しく表現する。これはスピードとわかりやすさが求められる今の経営には数学者よりもデザイナーのほうが必要なんじゃないか,とまじめに考えさせられた。経営のデザインも,ものを売るのではないという時代みたい。スターバックスはコーヒーを売っているわけではない,仕事の合間にコーヒーを飲みながらくつろぐという経験を売っているのだという。

僕のまわりでこれを理解しているのは食堂のおばちゃんがいるように思われる。彼女たちは食堂のご飯ではなく,食堂ですごすひと時を売っているように感じられる。ジャズを食堂にながしてみたり,テレビをつけてみたり。彼女たちの発想はすばらしいと思われる。

リーダーシップ魂とは,部下をリーダーにするのが真実のリーダーだといっていた。

つまりすべてが現実的で,閉塞的な社会を生き抜くのに重要な発想がつめこまれていると思う。本のデザインも非常に魅力的で,他の本のように開いた瞬間ちっこい字でちまちま紙一面にびっしりとうんざりするような本ではなく,大きい字で,クールな写真(すべて本編と関連がある)をしきつめて,想像力がひきたてられている。

なにより,読んでいるとなんだか元気になる。トムって最高。

ではでは。

2006年11月19日(日) 自己管理


酒もたばこも緑茶もからだに悪いらしい。こんなこと十年も前からずっといわれ続けてきたのに,なぜいまだに誰もやめられないのか理解に苦しむよほんと。これでは日本人は自己管理のできない無能な連中だなんていわれても否定できないだろう。

僕はタバコも酒もやらないし,緑茶もあまり飲まない。毎日水道水とレトルトカレーと週2回くらい食堂やコンビニの食事しか口にしない。

今日はレポートかいてとりあえず一通完成。残すところもう1通のみ。来週はテストシーズンなんだよね…。

ではでは。

2006年11月18日(土) デザイン論。


デザインはすべての前にくるらしい。

ではでは。

2006年11月17日(金) 年功序列と終身雇用


経営学がまた面白かった。今回はブランドのメリットデメリット組織の種類別のメリットデメリットを実例を使いながら説明し,最後に日本的経営も保守的な三大要素(米国の「Japanese Factory」という著(1950s)の中で記されたのがその語源)である年功序列・終身雇用・企業別労働組合についての説明が,なんかそういうのを経験している人ならではの説明なのがよかった。

終身雇用制の場合,今ではこれのせいでサラリーマンが勉強することをやめているんだ!日本の会社はぬるま湯だ!なんて悪くいわれている。しかし,これがうまくいった場合,その会社に定年まで勤めるわけだから,自然と会社の同僚と仲良くしないとまずいとなり,仲良くしようとなるらしい。具体的には同僚が仕事で困っていたら手伝ってあげるとか,そういうこともできるとしていた。また,その会社に一生勤めるんだから,自分のすべてを(少なくとも定年までは)会社のためになげうったほうがいろいろと都合がいいとなり,いわゆる企業戦士だとかモーレツ人間だとか,欧米では絶対にありえない(欧米の経営者はうらやむだろうし,労働者はいやだなと思うであろう)社員になることができる。

今後終身雇用制が崩れれば,困っている同僚をみても誰も助けなくなるだろう,すべて自己解決しなくてはいけなくなり,大変不利な状況がうまれるだろう,ということらしい。終身雇用でないということはいつクビになるかわからないんだから,同僚が仕事を完成させると評価によっては自分がクビになるかもしれないということを恐れてしまうというわけらしい。また,会社もいつ自分をクビにするかわからないところだということで,こっちも会社を道具や手段としてしかみなくなり,昔のように会社を目標や夢にするということはしなくなるだろうとも。

年功序列は,これは年齢という絶対にくつがえらない基準で競争しているとしてもっともあってはいけないといわれていて,自分も一理あるよな〜って思う。しかし,これがないと,部活のような先輩が後輩を教えるということができなくなるらしい。なぜなら,年功序列でないということは年下でも優秀なら年上にうってかわることができるということ。ということは,年下が優秀になられると自分の立場を奪われるということで,誰も後輩に物を教えようなんてしなくなるだろうということ。今後,会社で先輩に「これわからないんで教えてください」ときいても「なんで?自分で調べろよ」と返されることがおこるだろうと予測していた。年功序列があれば後輩が優秀でも立場はかわらないんだから,後輩にあれこれいろいろ教えることができる。ムダなこと意味不明なことを教えることもあるだろうが,多くの場合仕事上の重要な情報(営業で●●区の××さんが〜。開発でライブラリが〜。など)を安心して後輩に教え,共有することができる。それが,年功序列がなくなると,それすらしなくなり,自分で調べろという話になりかねないということだ。

企業別労働組合。欧米の労働組合は企業別でなく文字通りすべての労働者のための組合で,大変な力をもっているんだけど,日本ではこういう発想はない。企業別労働組合ですんでいる理由は,まだ年功序列・終身雇用をとっているから,企業とは自分の目標であり,この企業と職務のために一生をささげるという考え方があるからと思われる。これがこれから企業が年功序列と終身雇用をやめ,アメリカのように大量の利益をあげたあとに大量のレイオフなんてことをやりだしたら間違いなく日本労働組合なんてのができて,その組合員でお金をだしあって優秀な弁護士を雇い,裁判しまくるなんて社会になるだろう。解雇が不当だとして。ついで証人保護プログラムなんていうのもできるだろう。

つまり,年功序列と終身雇用は,実は経営的にみるとかなり優れた制度なんじゃないか?って思う。少なくともこれのおかげで戦後復興をとげることができたわけだし。とにかくクビとか,出世競争なんて心配しなくていいからおまいら日本とこの会社のことだけ考えろという発想なわけで,理屈にはかなっているような気がする。

単純な労働者の発想だと,あの若いやつのほうが(俺のほうがとか)上司にむいているような気もするよな,とか,あいつ仕事もできないのになんでクビにならないの?とかあるかもしれないが,ふかーいところで理由があるみたいですね。確かに,バイトとかやるとわかるけど,あまり仕事できないけどクビにならない人とか(たとえば俺)トンデモ上司なんてのはいるから気持ちはわかるんだけどね。

さらに…日本の企業は仕事のあたえかたがあいまいだが,これがかえっていい効果をうむこともあったらしい。たとえば,開発や技術のほうで雇った人でも人とうまく話せる能力があれば営業もやってもらうことがあるとか,ゲームでいえばプログラマとして雇ったんだけど音楽も作れるなら音楽のほうも担当してもらうとかそういうの。

欧米の場合はそのへんがきっちりしていて,職業というポジションに絶対に1:1対応になるように人を雇う。人事部とは,人間と職業をわりあてる数学的関数
じゃないか?って思うほどきっちりしているらしい。

つまり,日本の場合は人間に仕事をわりあてていて,欧米の場合は仕事に人間をわりあてるって発想なわけね。だからその職業が必要なくなれば大量にレイオフしまくって訴えられてるわけね。このへんは人の能力に対して仕事をわりあてるようにすれば,その人の能力次第ではレイオフしなくていいとなり,もう少しレイオフ人口減るかもね。このへんは日本的経営を連中は見習うべきだと思う。

ではでは。

2006年11月16日(木) 大人と若者


現代では,大人と若者は基本的に仲が悪い。まぁ,1世代前もそうだったらしいが。大人の「若者は〜」発言には本当にうんざりするし,若者の「ああいう大人にはなりたくない」発言にもうんざりする。

どうしようもない大人もいればどうしようもない若者もいる。それは人間なんだから仕方ない。でも全部が全部そうというわけではない。まず大人。なかにはトム・ピーターズやスティーブ・ジョブズのようなクールで最高の連中だっているわけだし,あとは毒にも薬にもならない普通の連中だ。凡用というのは僕は嫌いだが,別に悪いことではない。

若者も,同世代からみても流石にどうかと思うやつもいれば,才能に恵まれたやつ,努力しまくるやついろいろいる。

しかし,その中で無能な一部の人間だけ抽出して今の若者はなってないだの,大人はなっていないだの,本当にバカでアホな議論だと思う。

僕だったら,大人とは?ときいたらスティーブ・ジョブズと答えるし,若者とは?ときかれたら小野選手と答える。重要なのはより優秀な人をみて危機感を覚えて緊張状態を経験することだと思う。頭の悪いやつをみて安心することではない。

人間の本性は誰もが認めることだと思うが,怠けて楽をしたい,それでいていっちょまえにえらくなりたいという矛盾した思想だと思う。こんなものに素直に従うのはクソだ。

一度きりの人生,自分のやりたいことをみつけてやりたいだけやり,自殺して死ぬのが美しいんじゃないか?

ではでは。

2006年11月15日(水) HDI


ちょっと前の記事だけど,UNDPの人間開発指数で,日本が第7位だったらしい。順位表(トップ20は以下のとおり)

これを日本の豊かさの指針と勘違いしている人もいるが,もちろんこれは豊かさを示したものではない。

この数値は(1)長寿で健康な生活(2)知識、(3)人間らしい生活水準。を基準化してみたもの。具体的には,
(1):出生時の平均余命を平均寿命指数に変換。
(2):成人識字率と総就学率を使って教育指数へ変換。
(3):一人あたりのGDP(平均購買力PPP)をGDP指数に変換。そして、この3種の指数を統合指標である人間開発指数に変換している。

つまり,寿命が長ければ健康的な(?)生活,字が読めて学校に通っている人が多ければ知識があるとし,GDPが高ければそれなりにまともな国として算出しているわけ。

ちなみに2004年版では日本は9位だったから,一応躍進をとげたらしい。日本がこれで上位になれないのは,教育指数がネックになっているといわれていた。なぜなら,寿命とGDPは日本がトップ3に入るから。しかし,教育指数のほうがよろしくなく,9位にとどまった。ただ,教育指数の算出がみてもわかるとおり字がよめて学校にいっている学生の数だから,学校に入るほうを卒業するより厳しくしている日本が,学校に入るのは簡単にして卒業するのを難しくしている欧米の学校と比較して,低くなるのは当然だという。ちなみに教育内容はこの指数では問題にしていない。

識字率は,日本はなんとあの性別や人数で変化するのではなく,人間関係の序列で変化するという世界でもっともまどろっこしい日本語を使っているのにもかかわらず,ほぼ100%の人間が日本語を読めるという。まじめに考えるとこんな常に序列を意識しなきゃいけない言葉をよく使いこなせていると自分でも感心する。ちなみに簡単らしい英語はアメリカ人ですら読めない人間が20%いるとマイケルムーアが書いてた。日本の語学教育はかなりハイレベルにあるといえるだろう。

しかし,進学率がかんばしくない。高校進学率からしてすでに80%だから,他の国はもちろん100%,イギリスにいたっては110%と掛け持ちして通っている生徒すらいるということ。

これは高校・大学・専門学校ができるだけ優秀な人間だけからなる閉ざされたコミュニティを作り,その中で学問を行おうという思想だから。それがいいか悪いかはもちろん難しい問題だ。(塾や予備校はそれでもうかっているんだし)

多分これは欧米人には理解不能な発想かもしれない。頭が悪いから学校に入ることができないというのは逆じゃないか?と。頭が悪いから学校にいかなきゃいけないんじゃないの?と彼らなら思うかもしれない。そういう発想での100%という数値だと思うし。しかし,日本の常識はそうではないのだ。日本の常識の1つは世界の非常識であるという例でもあるかもしれない。

しかし,日本では近年高校・大学の入学試験のしきいが下がり,わりと誰でも入れるようになったから,HDIがあがったということらしい。全入にも一応メリットはあるみたいだ。研究機関としての質はさがるんだろうが,馬鹿だから勉強せよという格好の発想にはなりつつある。

僕も馬鹿だから勉強しなきゃな…まずぃで。

ではでは。

2006年11月12日(日) 作曲しますた


アルベロスの図形をみてみたんだけど,確かに企業のロゴマークみたいでかっこいいけど,数学やっている人がなぜこれに大学の金を使ってまで研究したいと思うのかがよくわからなかった。あ,通っている大学に限った話じゃないよ。なんか円が円を作っているような図なんだけど,丸いってだけで数学やっている人はとてつもなく感動し,丸に異常なほどの関心をよせているのには何かわけでもあるんだろうか。アルベロスの研究もうちだと幾何学とベクトル解析の教授でかぶっているんだよね?みんな興味もっているらしい。

僕としてはアルベロスの研究もいいけどむしろ,なぜ人間は毎日100〜200円のレトルトカレーさえくってれば死なないのかそっちに興味が(ry。これは生物の神秘ですよほんと!

それはそうと作曲しますたよ。なんか作曲ばっかりしてるな…。このピアノソロ曲。こわくするつもりは最初はなかったんだけどいざできあがってみると地味にこわい曲になってた。完全に僕の作曲力(譜面かく能力)ではなくてコンピュータの音源の威力によるものです。音源の力ってすごいな…。

ちなみに,実際にこれをピアノで弾くのは少しだけ難しいと思います。左手でまずオクターブ音たたいてのぼるっていうのだけ難しいと思う。

そういえば大学のWebみたら来週から土曜日に大学で特別講座を開きまくるらしい。12月まで。全部でただけで終了証がもらえるらしい。ってことは申し込まないといけないのかな?

ちょうど時間が土曜の午後は中国語とかベクトル解析とかとっていてかぶってしまうんだけど,図形処理の人がでるやつは学会講演で,しかも珍しいことに学生が無料らしいので,まぁ土曜は今のところ全部出席していることだし一回欠席してみにいきたいな〜って思う。一応高専卒だから研究やっている人(つまり教授ね)と話したり教わったことはさすがに5年もいれば一度二度はそれなりにあるんだけど,なぜかそういう人たちが研究で働いているところはみたことがない…。まがりなりに研究者ってかっこいいよなぁ,なってみたいなぁ(多分これはやっちゃいけない勘違い)と思っている漏れとしては一回みにいってみたほうがいいかしんない。

ではでは。

2006年11月10日(金) スーツに期待をこめられるか


経営学でみなさんが春にリクルートスーツを買うのは,それを着ることによって就職試験に受かる,編入試験に受かる,大学院試験に受かるという期待をこめて買うんですね,受かりたいという考えをneeds(潜在的欲求),その手段-スーツを買うことをwantsといいますというのがかなりわかりにくかった。

リクルートスーツをきて試験を受けるのは就職試験なり編入試験なりはそういうもんだっていう社会的マナーがあるからそうしているだけだったり,僕はした。そして,マナーを守って受けても受からないことがあることが多々あり,スーツを着ることと合格することはまったくイコールでないことも知られている…。っていうか企業や大学がそう公言している。まぁ,社会的マナーを守っているほうが印象よくしてくれることもあるかもなとは思うけど,あまりリクルートスーツに期待をこめるという考え方は僕の編入経験の経験などではしなかったので,ちょっとわかりにくかった。

たぶん,セックスにおける勝負パンツの例だったらわかりやすかったがその説明だとセクハラになるので教えるほうもなかなかいい例がなくて難しいんだとは思う。

いつもこんなくだらないことばっかりかいているけど,大学の講義っていうのはほとんどこういうのじゃなくていろいろ難しいものが多々あるよ。幾何学とか情報理論とか日本語じゃないよ。でも僕がそういう難しい講義が理解できなくて端っこの脱線した話ぐらいしか理解できていないからこういう日記になっちゃうわけですごめんなさい真剣に勉強します。

ではでは。

2006年11月08日(水) 問題


今日の「データ構造とアルゴリズム」のミニテストはできたはずっ。解答と一緒だったし!あれでで間違っていたらもうどうしよう…。1回目のミニテストは問題文を写し間違えて(教授の書く1という文字がなぜか|にみえた。)たぶんだめで2回目のスタックについては勘違いして,それでそうかこれはソースを理解するか丸暗記していけばなんとかなるなと第三回目はそれでいったらやまがあたった。あってるはずだっ。

なぜかみんな機嫌が悪いように感じる。バイトの人もやたら機嫌悪かったし,まぁ,季節の変わり目だからいろいろ大変で機嫌が悪いのかもしれないね。

大学の図書館でなんとなく本をみていたら「自殺」っていう本が社会科学のコーナーにあったのでふと手にとって読んでみた。これは悪著だった。若者の自殺率が高いのは若者が社会変化に未熟で,対応できないから自殺するということ。だから,その未熟な若者には手をさしのべようという。

なぜハンガリー人や日本人の自殺率が今も昔も相対的に高い(先進国中ベスト5)のかは,その分野では研究の余地があると思う。基本的には14歳頃〜30歳と,60歳〜の年代の自殺が多いのだという。

たぶん筆者はこのデータだけみれば精神的に未熟な年代および衰退した年代だから,自殺したんだなと考えてしまったんだと思うが,ではなぜそれ以外の国では自殺率が高くないのかという話しになる。

よく言われるのは文化的背景。西欧のキリスト教では,自ら命を絶つ行為は悪であり,ようするに自殺すると地獄におちるみたいなことは根強く信仰されていた。欧米人は神様を本気で信じているから,自殺については結構怖いみたいで,きたる審判の日に天国にいくために何があってもがんばって生きようみたいな考え方はあるみたいだ。

日本ではどうかというと,一応あることはある宗教(主に仏教)では自殺してしまうと極楽にいけないとか,自殺すると自縛霊になってこの世を永遠に漂い,成仏不可能になるみたいな格好の教えはないこともないけど,ほとんどの人が宗教を話し半分にしか信じていないから,まぁそういう宗教感は存在しないといってよい。それどころか,自殺することによって責任をとったという考え方をされる伝統的背景が強い。最近では,高専生が同級生を殺した(かもしれない)事件があったけれども,容疑者の高専生が(おそらく)自殺したことによって,それ以上の追求が行われなくなった。悪いことをしても,自分から命をたてば,罪をつぐなったとして社会は許してくれるということである。

また,なにより致命的なことに,保険に入っていた場合,自分が自殺すると妻や子供が保険金によって裕福になるというかなりどうかと思う社会システムも存在している。

自殺が悲劇ではあるけれども,悪いこと,つまりやってはいけないことだととらえられていない例であるといえる。

と,日本の場合は,自殺することはかわいそうなことではあるけれども,悪いことだとはとらえられていないから,(学校の道徳教育でも自殺はかわいそうなことだけど悪いことだとは教えられていないと思う)そのへんがつらいことがあるとすぐに自殺という形になってしまうことの背景ではないかと考えられる。

Wikiによれば,社会体制が本当にひどい時は生きることに最大の関心がむけられているのかなんなのか,そういうときは自殺率はむしろ低いという。逆に,裕福ではあるけれども,自分より裕福な他人や他国がすぐそこにあってそれに手が届かない場合に自殺が増えるのではないかと検討されている。

つまり,勝ち組と負け組といった貧富の差が存在していて,勝ち組になりたいんだけれど,それは限りなく不可能に近い場合,自殺してしまうという考え方。でもこの場合は,もう勝ち組にはなれないとあきらめてしまえば自殺という考え方はうまれないような気もする。むしろあきらめて自分なりの生き方ができればいいとわりきってしまえればいいと思うし,そういう生き方をしている若者も多いような気もする。ネオサラリーマン・ネオフリーター・ネオニートのことですが。

でも勝ち組と負け組へのこだわりを捨てきれない人だと負けてしまったときに自殺してしまうという考え方には一理あるとも思う。

政府にも自殺については対策に乗り出すという。自分が思うには,自殺するという問題は「自分がどう生きるか」という問題だと思う。前総理の「人生いろいろ」という感じで,自分の人生をどう決定すればいいかが重要になると思う。

まぁ,自分の能力を正しく把握できて,社会がどういうものか知って,どのへんの位置でどのようにすればどういう人生が送れるのか,こういう現実を認識して,それでいて,努力することによってどういう理想が実現できそうなのかさえわかっていれば,それなりに楽しく生きられるんじゃないの?あとは不慮に病気や怪我をしたときにあっというまにどん底に転落するんじゃなくて,治療がすんだらある程度(若干それまでいたところよりは低くなってもいいから)復帰可能な位置までは面倒みてくれれば,今よりは自殺しようとは考えなくなるだろう。

ではでは。

2006年11月07日(火) いろいろ


大学のテストって問題文からして何をひきだしたいのかわからない。穴埋めとか選択問題って問題文として非常に優秀だよねということがわかる。客観的だからね。文系科目だと何書いても正解とかそういう感じで,理系科目の場合は何書いても間違いになるんじゃないかとそういう気がしてならない。なぜなら文系科目には間違いがなく,理系科目には正解がないから。

文系はいろいろ正解があるんだから,その正解の1つ1つがなぜ正解なのかは学ぶ必要があると思う。だが,正解が存在しない場合は何がしたいのかと問い詰めたい。どうも世の中の構造が文>理になっている理由も理にかなっているような気がする。いろいろな意味で,女がいないのに恋人をほしがってどうするんだ?

テストもその一部だけど地味に社会的な行為を行う場合,ましてやそれを客観的かつ平等に評価されたほうがいい。だから世の中の標準化されたテストは選択問題が多いのかなと思う。それでも問題文が意味不明だと終わるけど,少なくとも努力さえすればコツがつかめて点数があがるだろう。数学のテストでも選択肢があれば,逆演算して消去法でしぼりこんだりということもできる。

講義は某科目でその分野の権威が死去してしまったらしく,教授が「人は誰でも死ぬわけで,ただいつ死ぬかがわからないのが…」というのが深かった。自分がいつか死ぬのも恐いだろうが,大事な人がいつ死ぬかわからないっていうのも恐いわけで,年齢を重ねるとそういう問題に直面するのかなぁ,と思った。年齢重ねなくても同じか。

プロ演IIの問題Aの,Cに関する基礎的な知識を要求している,課題の提出状況があまり芳しくない,理由や要望があれば述べよというのは,まず要求されている基礎がどういうものか明らかにされていないからな…。Cで何をしたいかによって基礎ってだいぶかわると思う。あの課題だと要求されるものってポインタとか,グローバル変数とか,マクロとかまでに及ぶんだけど,大学入ってはじめてC言語をさわる人なんかにはちょっときついのではという気もする。OSもUNIXだしな…。

ではでは。

2006年11月05日(日) モーリアたんと学園祭


うっそ!ポール・モーリア死んじゃったの?ポールたんといえば,ピアノのメロディとバッグのストリングスメインのオケがきれいな曲をかく音楽家だお。それプラス短調と長調の切り替えがうまいから,悲しくてやさしくて明るい曲を多数作曲。漏れの好きな音楽家だったお…。ポールたんのCDも一枚もっていて実家ではなつかしい気分になりたいときによくきいてた。ポールたん…しんじゃやだ…。

大学の学園祭,芸能人がでたとこだけみてきた。「そうだねプロテインだね」のパッションと,バナナマンがでた。両方とも面白かった。バンドはうまいけど,東京で活躍しているプロに比べると劣るような気がした。頑張っていて努力の結果あそこまでになったわけで,それは本当にすごいことなんだが…多分プロにはなれないのが残念だ…。

ではでは。

2006年11月03日(金) 明日は学園祭なのかもしれない


明日は学園祭らしい。大学の学園祭はなんていうかまたーりしていてよい。前いた高専みたいに学園祭を休むと医師の診断書がでていないと停学なんてきまりはないし,各学科必ずなにかだしものをしなくてはいけない(体験入学だの展示だの)なんてきまりはない。当然実行委員のおしつけあいなんてのもない。やりたい人だけがきてやればいい格好。

学園祭の目玉は,ロミオメロン?よくわからないけどいわゆるプロを輩出した軽音楽サークルのクオリティの高い(らしい)ライブと,芸能人でバナナマンとパッションなんたらをよぶんだそうだ。当然テレビをもっていない僕にはわからない世界だ。まぁ,よくわからないけどとりあえずすごそうだしいいんじゃないの?例年芸能人はよんでいるらしい。

それどころじゃない。その学園祭の翌週は中間テスト1つ,レポート締め切り1つがあるわけで,その翌週もテストだから,はっきりいって学園祭どころではない。アパートの中の食材もきれてしまったので食料確保に明日は近所のスーパーに買い物して,洗濯物を整理しないと。

と,ちょーっち忙しいので多分漏れいけない。土曜日は学園祭関係で講義はすべて休講。普通にテスト勉強&課題作成をしなきゃまずいよ〜。今週は,言語学と英語Dを,つまり2講義も欠席してしまったのでもうこれっきり欠席なしでいきたい。

そういえば体育祭も漏れスルーしたっけ…。まぁ漏れだけじゃないらしいけど。これじゃ大学になにしにいっているって勉強と学食で外食しにいっているだけだな。でもこういうほうが気楽で僕はこういうの好きですね。学校は学問するためにいくものだーあ。

あ,テスト1つじゃない,水曜のやつがあるから2つか。

ではでは。

2006年11月02日(木) Web2つめをつくりました。


朝おきた。さぁ大学にいこうっ。あれ?アパートの鍵がみあたらないっ。やばい。やばすぎる。どこかで落とした?え?じゃあなんで俺今アパートの中にいるの?ってことは部屋のどっかにあるはず。どこにおいたっけ?とかなんとかやっていて一時間目でれなかった…。どこにあったかというとほんとにくだらないところにあった…。もう自殺したい…。

ところでギルドのかたがたがWebを作ってほしいということだったので,ビジャクーって大学生で,しかも工学部で,情報工学科でしょ?ってことだったのでギルドのWebをつくりました。これで管理するWebがここと2つ。

でも高専生なら確かにCGIとか,Perlの演習はやるよ,高専1〜2年のときにHTML演習みたいな格好でHTMLだけのWebを作って,3〜5年で実際に動的Webを作りなさいみたいな格好の課題はあるよ。だから高専生ならWebくらいは作れないとまずいよ。

でも大学の情報工学科だと…なにかを作れなんて課題でたことないんですが…。課題のほとんど,いやすべてが出来合いのものを解析せよみたいな課題ばかりなので大学生だから作れっていうのは社会は何か勘違いしている。講義も解析手法の説明ばかりでたまにうんざりする。もちろん面白い内容の解析手法もあるからそれは悪いことではないと思われ。つまり大学生は作るほうはかなりノータッチなのでできなくてもいいんジャマイカ,とはちょっと思った。

今週のみで仕上げたんですが(もっと時間かけたかったんだけど今大学は課題シーズンだから,時間がとれなかった),だから未完のものとか細かい部分がかなりいい加減だし,コンテンツも何もないに等しいんだけど,ギルドのメンバからの評価は掲示板を見る限り上々で,あえてそういうところをつっこまないのが本当にいい人たちだと思った…。僕も見習いたいし,他の人もみならってほしい。つまり,いろいろその人の事情をよんで「いいよ,これで ( ><)b」といえるような人に,わたしはなりたい。

ふっ。ちゃら〜ちゃらりら〜。

ではでは。

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