ヤグネットの毎日
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2001年09月30日(日) ジョイナスグリー 敬老会で歌う

 29日は、寺田西校区の敬老会。ジョイナスグリーは、その第二部で歌う機会を与えてもらった。
 文化パルクのふれあいホールがほぼいっぱいになるくらいの盛況ぶり。
 70歳以上のお年よりが対象だ。
 
 ステージでは、おおさかグラフィティーの曲を3曲ほど歌い、その後、指揮者の中島比沙子先生のソロ。ディック・ミネが歌っていた、「りんごの木の下で」とおなじめ喜納昌吉の「花」を歌われたが、とくに、「花」がよかった。その後、「伏見の酒造り唄」から二曲。

 結構、楽しんでいただけたかな、と思う。その後、団員みんなで「茶話会」。いろんな話しがとびだして、おもしろかった。
 とくに、音楽文化を城陽でどう広げていくべきか、の話は白熱した。
 こういう、言いたいことをみんなで言い合うのは、僕は大好きだ。
 率直さがとてもいい、と思った。大切にしたいグループだ。


2001年09月29日(土) ようやく散髪に行けた。

昨日、ようやく散髪に行った。
 昔は、耳を全部覆って、肩の当たりまでのばしているときもあったが、さすがに、三十路をこえ、かつ、議員という立場上、あんまり伸ばしすぎてもいかがなものか、と思い、マメに散髪に行くようにしていたが、この間の忙しさで、その機会を逃していた。翌日に、私が所属している男声コーラスのステージがあるので、どうしても行っておく必要があった。
 
 メールを開くと、「GLOBAL PEACE CAMPAIGN へのご協力のお願い」という匿名のメールが届いていた。
 
 アメリカの新聞に平和の全面広告をのせるため、日本人が中心になって行っている運動で、ぜひ協力をしてほしいという内容だった。
 
 チェーンメール形式の軍事報復に反対する「ネット署名」に、ルール違反を知らずに協力をしてしまった経緯のある私にとって、まず、必要なことは、リンクされているHPなどをよく見て、どういう目的で、どういう人たちが立ち上がっているのか、その上で自分が協力できることは何かを考えること。
 せっかく、送っていただいたメールなので、正面から受け止めて、真摯に対応させていただきたい、と思っている。


2001年09月28日(金) ホームページへのアクセスが一日で50件を超えた!

27日は、午後から党議員団の定例の会議。
 新市長登庁をうけ、今後の活動の基本方向について論議。
 
 夕方、さとしを迎えにいき、「桃太郎ごっこ」でひとしきり遊ぶ。
 僕が、桃太郎で、さとしが犬の役、自分の役割を知っていて、それにふさわしく演じることができる。
 親ばかかもしれないが、非常に演技がうまい。

 夜は、党地区委員会の会議で外出。
 
 ホームページのアクセスが一日で50件を超えていて、驚いた。
 議会の質問の議事録の追加と、プライベートルームの「私の本棚」がまだ完成していないので、少し焦りぎみ。
 


2001年09月27日(木) 保育所問題で市役所児童課へ要求書を提出

 私は、いま3才になる息子を公立保育所へ預けている。
 その関係で、保護者会の活動に参加するようになった。
 大半がお母さんたちが参加してくるが、仕事と子育てをしながら、夜の会議等に参加するというのは、本当に大変なことで頭が下がる。

 昨日は、延長保育の実施の課題を中心に児童課に要求書を提出した。
 私は、議員の立場ではなく、城陽保育運動連絡会の副会長という立場で参加させていただいた。
 「民間でできることは民間で」をかかげる新市長のもとで、大西前市長が具体化をはかってきた、来年4月からの延長保育の実施は、当然具体化されるべき課題である。私の6月議会での質問への答弁で、担当の部長が明確にしている。
 11月からは、入園募集の用紙交付がはじまる。それまでに延長保育実施の具体的な中身が固まっている必要がある。その内容を10月議会に報告しなければならないはずだ。
 だから、昨日、保護者や保育関係者の強い要求として文書で申し入れをした。
 行革の論理、すなわち財政の効率化と子育てや福祉の課題は片付けられない。新市長のもとで、徹底して論戦を挑みたい。


2001年09月26日(水) 城陽市少年少女合唱団のホームページがリニューアル

 音楽活動を再開したことがきっかけで、城陽市少年少女合唱団の存在を知った。ところが、活動を休止している、とのことだった。
 自分にとって、小さいころに少しだけ音楽とふれあったことが、成長にプラスだったと思っているので、子どもたちにできるだけ音楽にふれる機会を多くして、感動する喜びなどを体験させたいと思っていた。

 いろんな要因があるけれども、行政の役割、いや、あえていえば責任というものも大きいと私は考えている。

 社会教育、あるいは公民館活動との言葉は、最近、めっきり使われなくなった。今日において、この分野に行政がどういうイニシアチブを発揮するのかは、とても大事な課題になっていると思う。

 とりわけ、城陽市の場合には、教育委員会に文化体育振興課があるものの、実際には、文化協会まかせ、あるいは財団法人余暇活動センターまかせ、になっているのではないか、という感が強い。
 本来、会場使用の問題や、広報活動への援助など、行政ができる仕事はおおいはずだ。私は、近々、議会でこの問題を取り上げてみたいと思っている。

 そんな折、城陽市少年少女合唱団のホームページが全面リニューアルされた。かわいいレイアウトで、携帯用BBSなどへもアクセスできて、かなりバージョンアップされた。一人でも多くの方にみてもらえ、しかも、もう一度再生させようというムードが高まるよう、少しでもお手伝いできれば、と思っている。


2001年09月25日(火) さとし初めての映画に圧倒 ギタレレのこと

 24日は、家族で映画を観にいった。
 さとしにとっては、生まれて初めての映画だ。
久御山イオンシネマに行くと、もう人、人、人。とくに、小さな子どもを連れた家族づれが多かった。それもそのはず、「千と千尋の神隠し」と「仮面ライダー・アギトとガオレンジャー」が上映中だ。
 さとしのお目当ては、「仮面ライダー・アギトとガオレンジャー」。
 初めての映画。大型スクリーンの大迫力に、最初は圧倒されて、母親に抱きついたまま。しだいに面白くなってきたようだが、会場が暗いので時折、こっくりしそうにも。それでも、終わった時には少し興奮ぎみだった。

 「仮面ライダー」は、シリーズ開始30周年ということだ。私が4才の時からなので、文字どおり私は、仮面ライダー世代。
 仮面ライダースナックとそれにおまけでついていた、仮面ライダーカードを何枚も集めたことなどを懐かしく思い出した。
 仮面ライダーもガオレンジャーも、一昨日のウルトラマンショーもそうだが、子どもたちに不正義を憎み、正しいことを貫く勇気、弱いものを助けるやさしい心などをストーリーを通じて教える、ということはとても大切なことだ。もちろん、戦闘シーンなどは問題が大きいと思うが。
 
 映画が始まる前に、音楽楽器店の「十字屋」をのぞいた。
 友人から「ギタレレ」を紹介されたので、どんな楽器なのかと探してみたが、「売り切れ」状態とのこと。いま人気急上昇中らしい。
 ギタレレとは、文字どおり、ギターとウクレレの中間くらい。大きさは、ウクレレよりもひとまわり大きいだけだが、弦はウクレレの4本と違って、普通のギター同様、6本ある。弦の材質もナイロンでできており、クラッシックギターそのものだ。
 コンパクトで持ち運びが便利なことに加え、値段的にも1万円前後とお手ごろになっていることで、いま密かにブームになっている。
 なぜかしらないが、とても興味がある。
 高校時代に、文化祭の「戦争展」のイベントで、反戦ソングをギターの弾き語りでどうしても歌いたくて、少しだけ覚えたことがある。それ以来、最近まであまり、弾くことがなかった。
 歌と同様、自分を表現する手段として、何かできそうな気がして。早く、手にしてみたいと思っている。


2001年09月24日(月) 日帰りドライブと2つのメール

 ◆23日は、奈良ドリームランドに日帰りのドライブにいってきた。
  選挙続き、家族でゆっくりするときがなかったのと、この間、事情があって妻の体調が悪かったので、気分転換の意味もこめて。

  奈良ドリームランドは、1961年にオープンした遊園地で開園当初は、「日本のディズニーランド」をめざしていた施設だそうだ。
 施設の老朽化は否めず、この不況下、人の入りも今ひとつ、という感じ。
 しかも、遊園地の乗り物は、身長110センチ以下は乗車禁止のものが多く、さとしは身長が92センチしかないので、入り口まで来て、「乗れません」というパターンが多かった。
 それにしても、久しぶりの遊園地で家族みんな大満足だった。

 ◆家に帰ると2つのメールが届いていた。
  一つは、私の知人が発行している「プライベート・ジャーナル」。
  とても、内容が濃く、充実しているもので私も愛読させていただいている。毎回、取り上げるテーマの切り口も鋭いもので、時代をとらえる深さを感じさせる。
 その方から、私も協力した米国のテロ報復反対のネット署名について、「問題が多い」という指摘があった。
 その中身は、また別のところで書こうと思うが、冷静な対応と行動が求められるとの指摘は全くその通りだと考えたので、ネット署名のあり方まで掘り下げて自分でよく考えて、いま、自分のサイトに載せているネット署名用紙の取り扱いを早急に考えたい。
 もう一つは、私の知り合いから。アメリカの軍事報復に反対し、日本政府としても協力しないことを求める小泉首相あての署名を取り組むべきだ、というご提案。どういう署名ができるのか、すぐに対応させていただきたいと思った。
 こういうメールをいただくことは本当にありがたい。自分の活動のどこが不十分でどう改善すべきなのかが見えてくる。
 ホームページをたちあげ、メールで様々な人と交流を広げてきたことのメリットではないか、と思っている。


2001年09月22日(土) 大西市長の2つの退任式

,nt?l\間のことをまとめて書いておく。

◆21日 
 朝、7時から近鉄久津川駅で駅頭宣伝。活動ファイルの最新号を配布した。
 午後からは、市役所に行く。夕方5時20分からは、大西市長の退任式が行われた。職員をはじめ、議員さん、そして一般の市民の方も参加されていた。その後、午後7時30分からは、「市民参加の退任式」が開かれた。
 これが、もう一つの退任式だ。
 大谷京子会長の挨拶で開会し、市民の会代表の岩佐英夫さん、宇治久世教職員組合の岩佐先生、そして城陽市職員労働組合委員長の稲川さんが、それぞれの団体を代表してあいさつ。共通していたのは、「悔しい思いはみんな一緒だが、みんなの目と心は前を向いている。次にむけて何が必要かをみんなで考えて、ともに前進しよう」という前向きの決意。
 そして、大西市長からも感謝の言葉が述べられた。
 最後は、上土新一郎さんの挨拶。
 上土さんのあいさつは、私にとって生涯忘れることができないと思うほど、すばらしいものだった。ご本人の了解が得られれば、メールマガジンで紹介したい、と思う。
 その後は、「市民の会」の総括会議。
 
◆22日
 午前中は、久世小学校の運動会に来賓として招待されたので、参加してきた。本当は、運動会にスーツ姿など堅苦しいのだが。
 子どもたちは、みんな元気だ。
とくに、印象的だったのは、3年と4年合同の「ヨサコイ・ソーラン」の演技。わずか3週間の練習にもかかわらず、みんな思い思いに表現をして、圧巻だった。
 北海道や高知の「ヨサコイ・ソーラン」を踊るイベントは、あまりに有名だが、城陽でも、小学生からお年寄りまでみんなが参加して踊るイベントなどが企画できないものか?







 


2001年09月21日(金) 16日のケチャップ落下事件のこと。

 突然だが、16日の事件のことを書き留めておきたいと思う。

 この日、息子のさとしに前からせがまれていたおもちゃを買いに、アルプラザ城陽店に行ったときのことだ。
 昼食も食べていなかったので、地下の食堂で食べて、妻が一階で買い物をしている間、ピロティーになっているところで息子と一緒に備え付けのテレビを見ていた。
 すると突然、私の頭にそう大きくないものがあたる感触があった。そして、次にトマトケチャップの臭いがあたり漂ってきた。
 「いたっ…」と思い、「これは、何かぶつけられたな」と、すぐに上を見上げると四階のところから、さっと逃げていく小さな子どもたちの姿があった。
 いまさら、追いかけてもどうなることでもなし、仕方なく、一階のインフォメーションコーナーに、四階からトマトケチャップの小さなパックが落ちてきたことだけを伝え、管理をしっかりしてほしい旨伝えた。
 
 それにしても、突然の「災難」にびっくりした。
 とはいえ、米国のテロ事件のような「突然の災難」にくらべれば、他愛のないことと、その場では思ったが、上からケチャップを落とした子どもたちは、どんなことを思ったのだろうか?
 もしかしたら、あやまって落としてしまったのかもしれない。
 いや、無差別に誰にでもいいからいたずらをしようとしたのかもしれない。
 いずれにしても、人に迷惑をかけたことについて、謝ることや自らの行為について、反省させることが必要だ。小さなことかもしれないが、結局、そういうことの積み重ねが大切なのかもしれない。
 その点では、とことん追いかけて、真意をただすのが、私の使命ではなかったのか、と少し後悔した。

◆20日の日誌
 午前中、「活動ニュース」の仕上げの作業
 午後、党議員団の会議
 夜、保育園の保護者の方たちと相談。

   
 


2001年09月20日(木) 非暴力的制裁にyes!

 米国のテロ事件は、アメリカによる大規模な報復行動、そして日本も自衛隊派遣へと徐々にキナ臭い方向へと様相を変えてきている。
 僕の家の近所には、自衛隊の大久保駐屯地があるが、上空をヘリコプターが頻繁に飛ぶようになった。

 それにしても、各新聞の論調はひどい。日本がアメリカの同盟国としてとりうる支援を行うことを当然の前提としていることには驚いた。
 
 そんなときに、友人からネット署名の要請のメールがきた。
 タイトルは、「非暴力的制裁にyes!」
 とてもいいネーミングで、すぐに別の友人にメールを送った。
 こんな取り組みが草の根から広がろうとしている。
 僕も、自分のホームページで紹介することで、少しでも協力したいと思っ
 ている。

 昨日は、私の活動ニュースを作成し、午後からは党の会議。そして、夜は党議員団の市長選挙の「反省会」。
 


2001年09月19日(水) 久しぶりの日記

 前回の日記が9月13日。この間のことをまずメモにしておく。

 ◆ここ一週間は、テレビも新聞も米国多発テロ事件の報道で明けくれた。
  いまも、5000名をこえる人が瓦礫の中に埋もれている。どんな理由
  をもってしても、テロは許されない。アメリカの国民の憤り、悲しみは
  想像にあまりある。しかし、だからといって、「報復」の名による軍事
  行動は、真の解決になるのだろうか?率直にいって疑問だ。
  無法に対しては、道理ある世論と国際法によって解決をはかるべきだ。
  日本のマスコミの多くは、アメリカの報復攻撃を当然のこととして、そ
  のXデーがいつか、ということばかりに注目を集めている。
  もっと、冷静で大局を見据えた、骨太の報道ができないものか。
 
 ◆13〜15日
  岐阜の妻の実家に稲刈りの手伝いに帰る。結局、雨続きて一日しか作業はできなかった。この帰省には息子のさとしも連れて帰った。田んぼの稲がめずらしく、はしゃぎながら、いっぱい遊んだ。おじいちゃん、おばあちゃんともふれあって、楽しそうだった。

 ◆16日 
  保育園で「お月見会」。親子あわせると100名を超す参加で大成功。
 子どもたちもたくさん遊べて楽しそうだった。
 
 ◆18日
  夜、地域の城陽市長選挙のごくろうさん会。
  反省点、意見などがたくさん寄せられた。
  昼間は、東城陽中学校の運動会。その後、10月からはじまる議会の準
  備などをした。
  


2001年09月13日(木) 熱い城陽市長選挙終わる

 7月の参議院選挙、そして続く城陽市長選挙。長く熱い夏が終わった。
 結果は、どちらも勝利することができなかった。
 
 たくさん支援をしていただいたみなさんには、本当に申し訳なく思う。
 でも、僕の気持ちのなかでは、「前途洋々」という感じ。
 決して、強がりじゃなくて。

 政治と社会を変える力は、結局のところ、ひとりひとりの個人の「よりよく生きたい」「目の前のこの人を助けたい」という心の底から突き動かす「正義感」とか「向上心」とか、そういうものなのだと思う。

 そうした人と人との連帯を、これからネットの力なども生かして広げていきたい。

 


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