米国発 金融危機関連情報

2003年11月30日(日) ガンジーの非暴力主義

 暴力は悪いことだ・・これくらいは小学校1年生でも知っている。しかし、社会は様々な暴力が大手を振っている。地球上の視点に立つとまさに暴力だらけで、その究極がテロ・国家の暴力すなわち戦争だ。いかなる理由があるにせよ、毎日のニュースにテロ、テロ戦争が報道されていること事態が異常と言わねばならない。
 
 11月26日のNHK「その時歴史は動いた」はマハトマ・ガンジーの無暴力の戦いであった。ガンジーは、50年以上前の世界の覇者大英帝国に対して武器一つ持たずに戦い、インドを150年にわたる植民地支配から解放したのである。まさに、暴力否定の思想を打ちたてた半裸の聖者で、この思想は世界の心ある指導者に引き継がれている。

 どんなに迫害されても非暴力不服従で立ち向かっていった民衆の力を引き出したガンジーは、まさに「偉大なる魂」と讃えられるだろう。ガンジーの戦いのハイライトは有名な「塩の行進」であった。
 
 貧しい民衆にも重税を強いる「塩税法」をイギリス支配の不正のシンボルとし、「みんなで破ろう」と呼びかけた。海まで390キロの道のりを歩くこの行進には、最終的にインド民衆500万人が参加してイギリス支配の屋台骨を揺るがしていく。
 
 番組の中でガンジーの言葉が紹介されていたが、ここで紹介するのはやや不正確になるので、後日機会をみて記述したいと思っている。インド独立後、ヒンズー教とイスラム教が対立し、50万人もの死者を出す。「宗教の名において殺しあう必要があるのか」とはガンジーの最後の呼びかけであった。
 
 1997年1月23日、マハトマ・ガンジーの遺灰がガンジス川に流される報道があった。この時の解説などを読んで、次の短歌を作る。

  ・ガンジーの 暴力否定の 精神は 七つの海へ 広がり征かんか
  ・悠久の 歴史を讃えし 大地より 扉を開きし マハトマ・ガンジー




2003年11月29日(土) 皆既日食のドラマ

 太陽が月の影の隠れる皆既日食が、日本時間24日朝南極で観測された。太陽の縁でコロナと呼ばれる輝く層がはっきりと映し出されていた。コロナが太陽の半径(696000キロ)と同じぐらい広がっており、その規模の大きさはとても頭の中に収まらないスケールである。
 
 皆既日食は月が主役であるので、月の大きさを仮に1メーターとして比較してみよう。
 
 太陽の直径  1392000キロ   400メーター
 月の直径      3476キロ    1メーター
 地球の直径    12740キロ    3・6メーター

 月の直径が仮に1メーターとすると太陽の直径は実に400メーターもあるが、月に完全に隠れてしまうのだから、それだけ太陽は遠くにあるのだ。どれだけ遠くにあるのかも距離の比較で見てみよう。 

 地球から月までの距離      384000キロ    この距離を1とする
 地球から太陽までの距離  149600000キロ    月までの距離の390倍

 太陽は直径139万キロという巨大な恒星であるが、地球から1億4960万キロも離れているので、3476キロの小さな月にすっぽりと隠れてしまうのだ。話は飛躍するが、地球の全ては、太陽の恩恵によって成り立っているのだ。

 趣味で宇宙を大変勉強した知人がいる。その方に宇宙のことを少々質問して、その返信の手紙が手元にある。その中の太陽に関連することを引用したい。「太陽のように自己のエネルギーで輝く星を恒星といいます。わが銀河系に約2000億個の恒星があります。わが太陽はその中でも中の下位の小さな星といわれています。なぜ恒星というと、位置をほとんどかえない(恒久)ことからそう名付けられました」
 
 太陽と同じように燃えている星が銀河系に2000億個もあるということが、どうしても理解できなかった。11月9日に記述した太陽系の直径を1メーターと仮定すると銀河系の直径は3650万キロになるとの比較を書いてどうにか頭に納まった。
   
  ・太陽に 青き地球が 育まれ いのち輝く 銀河の旅人
   
   



2003年11月28日(金) 人気ダントツ 高見盛

 妻が癒しの森に高見盛のことを書いてほしいと言う。「ロボコップ・パフォーマンス」ですっかり有名になったが、これだけの情報ではエッセイは書けない。あのパフォーマンスは、自分自身の恐怖心を振り払うために気合を入れているのだと聞く。

 雑誌で高見盛の子供時代のことが出ていた。小学校4年生の時担任の先生が「相撲をやるなら給食残ったとき、おかわりを優先させてやるぞ」と言われ相撲部に入部したとのこと。 

 なにしろよく食べる子供であったようだ。小学校6年生の時、身長がお父さん(163センチ)より高く170センチを越えていた。しかし、運動神経は悪く、かけっこはいつもビリであったという。

 中学校時代高見盛(本名加藤精研・せいけん)に相撲の稽古つけていた中 谷氏は「気が弱くて怖がり。試合前には『心臓が口から出そう』となんて言ったり、怪我をして病院に行けば『注射が大きらい』と言っていた」という。この人の少年時代のイメージは、「気が弱く優しい力持ち」であったのだ。
 
 日大を卒業して角界に入ったが父は「力士になるとは思わなかった」と言う。母・寿子さんは「ずっと彼女いないと思う。早くお嫁さんもらって欲しい」と言っている。この面でも起用ではないのだ。弱虫・運動オンチ・不器用というありのままの人間像が人気ダントツの秘密のようだ。

 11月17日日本相撲協会が9月の秋場所中に国技館で行なった入場者アンケートの結果を発表した。「好きな力士を1人教えてください」の質問で「高見盛は投票総数の3分の1近い8889票を獲得。この時の2横綱4大関の合計7474票を軽く上回った」(17日朝日から)というから、その人気ぶりが伺える。

 この結果に付いて高見盛は「うれしいけど、この差は怖い。世の中どこかおかしいんじゃない」と戸惑い気味なのだ。恐怖心を乗り越えて懸命に進もうとする人間性に人気が集まっている。観客は、高見盛を見て、何かホットする癒しのようなものを感ずるのではないだろうか。

  アンケート結果は次の通りだ
  1、高見盛    8889
  2、千代大海  1784
  3、魁皇     1749
  4、栃東     1587
  5、武双山   1020
  6、朝青龍    996
  13、武蔵丸    339

  ・全力で 己を鼓舞する 振る舞いに さあガンバレの 大歓声が
  
  ・誰しもが 己の弱さと 向き合って 鼓舞する日々と かさなる姿  
           








2003年11月27日(木) アルビレックス新潟優勝の余韻

 アルビレックス新潟優勝とJ1昇格のことは、11月24日の日々の映像に書いた。チームスタートから5年目でおとぎ話が現実になり、悲願の優勝と共にF1昇格を決めた。

 小さな子供からお年寄りまでビックスワンが割れんばかりの応援歌で一段と盛り上がり、オレンジ一色に染まった家族ぐるみのサポーターがここかしこにひしめいていた。

 試合が終わってもこの勝利の余韻が続いている。町内にアルビレックス新潟の試合に必ず行くという婦人がいる。妻も誘われ応援に行き、すっかりアルビレックスファンになった。来年はチケットを買うとのこと。私も誘われているが、さてどうするか思案中である。

 いつも応援に行くY子さんが我が家に遊びに来た。勝利が決った瞬間を「天にも昇る思いであった」と表現していた。Y子さんは感動を与えてくれたアルビレックスに心から感謝していた。スポーツはまさに一つの文化といえる。

 友人から「遂にやりましたね。新潟では久しぶりのホットなニュースで盛り上がっています。アルビレックス新潟の優勝とJ1昇格おめでとうございます」という趣旨のメールが数人から来た。たしかに、新潟発の全国ニュースは、ここのところは田中真紀子ぐらいであるから、アルビレックス新潟のJ1昇格は、桁外れのホットニュースである。

 なにしろ、00年まで1試合の観客動員数が平均で3000人程度であったのだ。01年W杯新潟スタジアムが完成してから、観客数が増加して行った。この影には無料券を有効的に配布するなど、関係者の大変な努力があったのだ。

 選手、関係者、サポーターにとって、「今季はJ1、J2を含めて史上最多となる66万7447人に膨れ上がった」(11月24日・スポニチから)この事実は、知恵と情熱がもたらした神話に近い財産といえる。新潟の事例が全国に伝播していけば、日本のサッカーは発展していくのでないか。
                         
   ・感動が 巨大な渦と 巻き上がり 涙涙の 歓喜飛び散る



2003年11月26日(水) 31文字(短歌)が出来るまで

 早いもので、癒しの森のナンバーが100(日々の映像でナンバーを表示)になった。いつ途切れると思いつつ書いて来たが、もう少し続くようである。この短文エッセイは、最後に31文字で結ぶことが一つに形式だ。我流とはいえ短歌で結ぶのがなかなか難しい。読者の中には、この31文字が事前に浮かんで書き出しているのかと思う人もあるかもしれない。全く違うのである。文章を書いている時は、短歌は思いつかないのである。

 この小エッセイを書き終えて、文章を読み直す時点で滑り出しの上の句が浮かんで来る。上の句の5・7・5がまとまると、後は比較的容易に出来るものである。時によっては作ろうとしてまとまらないことがある。10月30日城島選手の『右手に勇気、左手には信頼というものを持ちながらボールを放ろう』を短歌にしようとしたがまとめられなかった。 

   ・文章を まとめて浮かぶ 滑り出し 簡潔我流の 31文字
      



2003年11月25日(火) NHKスペシャル「松井秀喜」

 11月23日9時のNHKスペシャルは、作家・伊集院静が見つめた「松井秀喜」であった。テレビを見ての記述は正確さを欠くことがあるので、放映された1面を少々記述したい。

 松井秀喜さんは人の悪口を言わないとのこと。確か中学2年から言わなくなったという。このことは初めて知った。そして、一番嫌いなことはとの質問に対して「人と人が憎しみ合うこと。戦争が一番嫌いだ」と答えている。何処かの国会議員は、この松井秀喜さんの語録に耳を傾けて欲しいものだ。
 
 今年5月打率が最低で苦しんだ時期があった。この時トーリ監督は「松井は誇り高き若者だ。必ずスランプを乗り越える」と言ったという。その後の活躍はここで記述するまでもない。松井秀喜の人間性を私なり理解していたが、今回のNHKスペシャルを見て、もっと松井秀喜のことを知ろうと思った。以前も類似した表現をしたが、人間性に富む人を理解することは、心の滋養と癒しになるのだ。

  ・アメリガで 子供のフアン 多かりき 彼らの瞳に 松井が映る          




2003年11月24日(月) 松井秀喜9ヶ月ぶりに帰る

 11月21日、日本中を沸かせた今年最大のヒーロー松井秀喜がニューヨークから帰国した。ホテルで記者会見した松井が「自分の数字としては、日本でやっていた時のものは残せなかったが、ベストを尽くした」とすがすがしく語った。そして「目の前のワールドチャンピオンを逃しすごく残念だった。ただ素晴らしい日々、最高の経験ができた」(21日・yahoo! Sports)と充実感いっぱいの表情で大リーグ生活を振り返った。

 苦しい時もあったのに「素晴らしい日々、最高の経験」というあたりに松井の人間性が伺える。「内気でシャイな少年の間で松井人気が高い」(11月12日・スポニチ)という。なぜなのか。松井の大リーグゲームを数多く観戦した伊集院静氏(直木賞作家・立大2年まで野球部・スポーツコラムを多数執筆)は、「彼の活躍自体よりも、おとなしい子供たちの信頼を得たり、人知れずチャリティーに参加するような彼の人間性、1年目の苦しみを克服した姿勢にひかれる」と言っていた。

 ゴジラ、カムバック!古巣の巨人が熱烈なラブコールを送っている。松井のオフのトレーニング場所として、ジャイアンツ球場を全面解放するというのだ。原政権時代は「松井に関する話は一切、タブー。原前監督にしてみれば、松井の留意に失敗し、・・・いわば『巨人を捨てた裏切り者』」(21日・yahoo)との捉え方もあったのだ。

 堀内政権になると、松井は『裏切り者』から180度変わって『巨人が生んだヒーロー』になった。堀内監督は若手の手本として、松井にラブコールを送っている。しかし、22日の報道によれば「テレビ出演も軒並み断りを入れ、野球に専念できる環境をつくった。さらに、自主トレの地も例年のジャイアンツ球場から閑静な場所に移す予定」とのことで、堀内監督の思惑は外れるようだ。
 
  ・素晴らしき 日々を重ねた ヒーローは 青少年の 心の支え
   



2003年11月23日(日) 人間はダイヤモンドの原石

 11月18日の日々の映像で暴走族の殺人事件、裁判官の「暴走族は産廃以下」発言に関連して、松下幸之助の人間観を引用した。「人間とは繁栄への能力を秘めたなんと素晴らしい存在であろう。あたかも磨けば光るダイヤモンドの原石のようなものだ」と。人間は繁栄への能力を秘めた素晴らしい存在と認識することが最も大切なことだと思う。
 
 人間は磨けば光る、努力すれば人は変わることが出来る・・そう考えるか、そう信じるか、これが一切のベースなのだろう。これがなければ人は良い方向に変化しないと思う。
 
 磨けば光る、言葉だけでは簡単だが、実際にこれを可能にしていくには、良き指導者に恵まれないと難しい側面を感じる。ただ、この磨けば光るとは、外部から与えられるものでなく、何らかの規範を持って、自分自身の努力によって磨かれていくのでないだろうか。

  ・人間は 内なる能力 厳然と  磨けば光る ダイヤの如し
  
       (短歌は1997年12月30日の日々の映像から・上の句は変更)




2003年11月22日(土) 手の不思議

 11月18日手と口を使う重要さを書いた。考えてみると、小説家、音楽家、画家などの超一流の人で手を使わない人は誰もいない。それどころか、普通の人の何倍・何十倍も手を使っている。

 私事になるが、1997年1月から毎日日々の映像と題するエッセイを書くようになった。このことが私にどれだけ記憶の範囲を広げたか計り知れない。書く前に読まなければならない。書くという前提があると読み方が違ってくる。イギリスの哲学者ベーコン(1561〜1626)が次の名言を残している。

「読書は充実した人間をつくり、書くことは正確な人間をつくる」

 書くことは知識を記憶の中に残す大きな力となることは云うまでもない。11月18日に書いたように「手は脳から飛び出した頭脳」なのである。手を動かすことと、脳が活発に活動することと一体なのである。親しい友人には日記、メモ帳なんでも良いから書く習慣をつけることを奨めるのが常である。

・書くことで 豊かな日々を 育むか 不思議なるかな 第二の頭脳  
            



2003年11月21日(金) 銀杏の勇姿   (7号で引用)

 11月18日、村松町慈光寺の銀杏を見に行く。晴天で車の中は温かいが、外に出るとさすがに寒い。銀杏の大半が落葉しているかと思っていたが、ことしの秋の暖かさでまだ20%余りであった。それでも大地は黄色の絨毯になっており、まさに秋の深まりと初冬を感じさせる風情である。銀杏の中には黄色の葉を多く残して佇み、背後の杉林をバックに見事な色彩美を演出している木もあった。自然の美しさは、人に感動を与える力を秘めている。

 300年以上経った銀杏の大木を下から見上げると、なんともいえない迫力がある。現存する植物としては、地球上で最も古いのだ。進化論のダーウィンは「種の起源」の中で、「太古(2億年)の昔より生き抜いた化石」と表現した。他の生命・植物が絶滅するほどの氷河期を4回も耐えたのだ。そして、太古のままの姿で現在も生き続けている。

  ・氷河期を 耐えつつ生きた 二億年 生きた化石の 雄姿厳たり 



2003年11月20日(木) 音の色彩を輝かせて(2)

 梯剛之さんは1997年の20歳の若さから全国各地でリサイタルを開催して大きな反響を呼んでいる。1997年9月26日東京NHKホールの感動的なコンサートを伝える記事を引用したい。曲はモーツアルトのピアノ協奏曲第13番「絶妙な呼吸で澄んだ音が流れる。・・・各曲の演奏が終わると感極まった指揮者の秋山和慶は『モーツアルトの再来だ』と絶賛した。・・拍手がいつまでも鳴り止まなかった」と報じていた。凡人が感想を記述する資格もないが、人間の能力の限りなさに驚嘆するのみである。これだけのピアニストを育てた母郁子さんはどんな人なのだろう。
 
  ・ この母の 海より深き 愛ありて 息づくいのちが 大樹とならん 
 
 梯剛之さん語る。「音楽というのは生命みたいのもの。雨が降ったり、太陽が出たりすることで自然が息づいている。自然に対して養分を与えると同じように、音の色彩という養分を与えることで感動が『パーッ』と広がってゆく。その感動をいかにインスピレーション(霊感)に直結させて聞いている人に届けるか。その基本はどの曲も同じです」と。 音楽の世界で深い悟りを自覚している語録である。人の心に感動を与える大音楽家に母郁子さんが剛之さんを育てたことになる。

  ・この母が 教え育てし 剛之あり 感動伝える 二人の絆

 (本文、短歌も1997年10月19日に日々の映像から。短歌は修正して掲載)




2003年11月19日(水) 音の色彩を輝かせて(1)

 6年10ヶ月間、毎日1枚の日々の映像のなかで、最も感動して書いたのが盲目のピアニスト梯剛之さんのことである。この人のことは、10月14日にも書いたが、これから2日間続けて梯剛之さんと、母郁子さんの物語を記述したい。

 なにしろ、剛之さんは生後1ヶ月で小児がんに冒され両眼の視力を失ったのだ。剛之さんは言う。「僕は今、普通に歩いていますが、どうやって足を動かすのかも逐一、母が足を持って歩かせた。そうした1つづつのことをやってくれたから今の僕がある。その忍耐の力というものは計り知れないと思う」と母に対する感謝の気持ちを表わしていた。全盲の1歳児に歩くことを教えることは、母郁子さんの想像を絶する努力があったことだろう。

  ・一歩二歩 歩くこととは こうなのよ 偉大な母の 愛を讃えん
 
 N響の父とソプラノ歌手の母の元に生まれたことが、剛之さんが人間の限界を超えた才能を開花させたベースなのだろう。4歳で本格的にピアノを習い始めたという。剛之さんはいう。「5本の指を使うということが驚くほど難しい。これも忍耐のいる仕事だったと思います」と。いうまでもなく、母が全盲の4歳児に手を取って教えたのである。これがどれだけ難事であったかは想像すら出来ない。

  ・指を取り ドレミとたたいて 音ありき 耳に響くは 母の愛かな

            (本文、短歌とも1997年10月19日の日々の映像から)



2003年11月18日(火) 老いぼれない方程式  (4号で引用)

 一昨日の養老さんのアドバイスを引用したい「人間ってのはいつも頭を使い、手を動かさなきゃいけないの。脳で考えたことを出力できるのは筋肉だけなんですよ。だから僕はいつも言うの、『頭だけで考えるな、身体を使え』って。たとえば頭で考えたことを、声を出したり文章を書くことで相手に伝わり、そこからコミュニケーションが生まれ・・・・脳ミソと身体を絶えず使っていたら、老いぼれる暇なんかなくなりますよ」とのこと。老いぼれないポイントは、手を動かす、口を動かす(会話)ことなのである。

 1998年12月31日の日々の映像で「手の不思議」と題して、日々の映像を900枚書いての感想を記述した。その中の一部を引用したい。「手を動かすとは、肉体の一部を使うことである。どうもわれわれの脳は、身体の一部を使わないと記憶を預かる脳が作動しないようである。・・・情報・知識に触れても、手を動かす(書く)か、口を動かす(話す)行動がないとほとんど脳の記憶に残らない」(要旨)と書いた。
 
 「手は第2の頭脳である」という言葉があるが、西洋では「手は脳から飛び出した頭脳である」と表現する。手を使うことがいかに重要であるかを示唆している。
 
  ・手と口を 動かすことで 生き生きと 脳がまわって 老いぼれ知らず




2003年11月17日(月) 高橋尚子7連覇を逃す

 信じられないことが起こった。こんなことが起こるのだろうか。11月16日の東京国際女子マラソンは高橋尚子の優勝と信じていた。マラソンの女王高橋尚子が、7連覇でアテネ五輪代表のキップをつかむと思っていた。それが全く予想外の結果になった。30キロ過ぎから高橋尚子のスピードが止まってしまった。そして、40キロ手前でエチオピヤのアレムに抜き去られた。こんなレース展開を誰が予想しただろう。高橋尚子も限界を持っている人間であったのだ。

 前半温度25度、向かい風5メートルの中で2時間20分のペースで走ったことが失敗であったようだ。走り終えた後の高橋尚子のコメントは「30キロ過ぎから足が棒になった」と言っていた。小出義雄監督も「油断があった」とコメントしていた。それにしても高橋尚子に以下のようなタイムがあろうとは。
  
  優勝 アレン  2時間24分47秒
  2位 高橋尚子 2時間27分21秒

  ・誰しもが 限界持って 今ありき 過信がもたらす 敗北なるか
                        




2003年11月16日(日) 人 養老 孟司(たけし)さん

 私が解剖学者の養老さんの文章に接したのは、2000年10月のことであった。養老さんが毎日新聞の「時代の風」に登場したのだ。社会を見る視点が独創的であり、文章も分かりやすく軽快であった。この人のコラム(エッセイかもしれない)は、月1回で2002年12月まで続いた。月刊誌潮の12月号で「現代の主役」として養老さんが登場していた。
 
 この人が書いた「バカの壁」がベストセラーになっている。養老さんが言いたいバカの壁とは何か。関心のある人はこの本を読まれたら良いと思う。バカの壁の要点は「現代人は、何だって理解できると勘違いしているのです。つまり自分の考えにこだわって、相手の話しに耳を傾けようとしない。全部でき上がっている世界の中で固まって壁を作り、そこから外を見ようとしないんです」との指摘である。要点中の要点は「自分の考えにこだわって、相手の話に耳を傾けない」ことだろう。
 
 1997年1月27日の日々の映像で、アインシュタインの言葉「常識とは、18歳以前の心につもりにつもった偏見以上の何物でもない。それから後に出会うどんな新しい考えも、この『常識』の概念と闘わねばならない」を引用して、上記と同じ趣旨のことを書いた。現代人は自分の常識にこだわっている人が余りに多いと思う。これでは多くの友人も出来ないし、人とのコミュニケーションは生まれにくいと思う。ともかく、自分の考えにこだわっている人は友人知人が少ない侘しい人生を送るしかないのだ。


  ・僅かなる 自分の知識に こだわって 自ら拒否する 新たな概念
                     




2003年11月15日(土) 阪神をリードした男〜矢野輝弘

 昨日のNHK人間ドキュメントはプロ入り13年目の「阪神をリードした男〜矢野輝彦捕手」34歳であった。平成2年ドラフト2位で中日に入団する。しかし、6年間はほとんどベンチに座っているだけで、付いたあだ名はカマボコであった。そしてプロ入り7年目に阪神に放出される。

 ここでも最下位を連続四年も経験する。レギュラーポジションと名捕手の評価を得るに10年以上を要した。矢野の持ち味は、投手の良さを引き出そうとする姿勢なのだ。その典型が「キャッチャーのサインが気に入らなかったら首をふれ」との指示だ。そして、常に若手ピッチャーを常に気にしている。ある時は負けん気を刺激したり、ある時はひたすら優しく元気づける。

 この独特の姿勢は、悔しさを味わいつくした経験がベースになっているのだ。悔しさを味わい尽くした矢野輝彦が、投手の球と心を受け止める名キャッチャーに成長して行った。そして、ピッチャーの力を最大限に引き出す「矢野流・心のリード」が完成する。

  ・悔しさを 味わい尽くして 培った 矢野流リードが ことし花開く
                             



2003年11月14日(金) 舞台「放浪記」1700回をめざして

 森光子さんといえば、舞台の「放浪記」である。過日に新聞によると、1961年の初演以来42年間、ロングラン記録を更新中。現在は東京・芸術座で12月28日まで上演されている。なにしろ、今年9月に公演1600回を突破1700回に向けて主演の森光子さんはますます元気なのである。
 
 この舞台の上演時間は3時間半。演技はもちろん体力も必要だ。前半の林芙美子役は22歳の年齢だ。この役を80歳を越えた森光子さんが演じるのだから凄いものだ。喜びを爆発させる「でんぐり返し」も披露する。こうしたシーンのために毎日150回のヒンズースクワットを欠かさず体を鍛えているとのこと。この舞台へのエネルギー、執念は凄いものである。

 1997年10月24日の日々の映像で森光子さんを書いた。年齢よりずば抜けて若いので「化けもの」という異名があるという。放浪記の演出家三木のり平氏は「明るさや優しさ、おおらかさが森光子の芸の魅力の源」と説明する。森光子さんは「ともかく新しい血が欲しい。冒険心を忘れたらこの仕事はダメです」(放送評論家岩切保志の解説から)と言い切るとのこと。新しい血が欲しいとはどうゆう意味だろう。いつか分かりたいと思っている。

  ・八十を 越えてもなおかつ 輝けり その源は 何処にありけん 



2003年11月13日(木) 人 久本 雅美さん

 人を理解することは難しいことだと思う。特に頭脳に柔軟性がない人はそれなりに人を理解できないように思う。人を理解することは、自身の心に癒しを与えると共に、自身の成長にとって少なからずの影響がある。

 雑誌のグラビアで久本雅美さんが出ていた。テレビのレギュラー7本。バラエティ、司会、ドラマと引っ張りだこの超売れっ子である。インタビューの会話が深いので引用させて頂いた。−ーすごい活躍ぶりですが。「ありがとうございます。1回1回が勝負だと思っています。皆さんに元気になってほしい。いつも根本にあるのは、そのことですね」テレビでのお笑いも根本となる心の波動があるのだ。
 
 更に「いいものをつくるためにも誠実でいたいし、自分も周りの人も輝いていられるようにしたい。・・いつも全力投球でやっています」とも言っていた。桁外れのコミュニケーション能力を備えた人だと思う。一番印象に残った言葉は「自分を鍛える時間を絶対に忘れたくない」であった。爆笑を呼ぶ力は、見えない場所で培われているのだ。
 
   ・人知れず 己を鍛えて 朗らかに 元気を与える 振舞いキラリ



2003年11月12日(水) 高橋尚子が帰ってきた

 6日、高橋尚子がコロラド州ボールダーから、Qちゃんスマイルを振りまいて帰ってきた。10月23日に書いたように、五輪代表をかけて16日の東京国際女子マラソンに出場する。オレンジ色のシューズを履き、秋の東京を風のように疾走することだろう。

 インタビューの一部を引用したい。−16日のレースに向けた仕上がりは。「42・195キロをいろんなパターンで走り切る体力はついたと思う。・・」−どんなレースを。「展開は周りの状況次第。タイムは考えていない。そんなことよりもスタートできるうれしさ、元気でやって来たことを披露できる楽しさがある。早くレースの日が来ないかと、わくわくしている」(6日・産経から)と目を輝かせているのだ。

・オレンジの シューズを履いて わくわくと アテネを目指して さあ8連覇



2003年11月11日(火) 松井にグッド・ガイ(いい男)賞

 全米野球協会の二ユーヨーク支部は、グット・ガイ賞(人柄を評価する賞)にヤンキースの松井秀喜外野手を選んだ。40人の記者が出席した選考会議で、米国人記者から「言葉の壁がある中、日米双方の報道陣の取材の連日快く応じた。プロフェッショナルな態度だった」(6日・毎日から)との評価で、他の候補を抑えて多数で選出された。
 
 ここまでは、今までの報道で予測されるところであった。しかし、次の報道はイメージに全くなかった。「キャンプ中、われわれ担当記者を夕食に招待してくれた上に全員の名前を覚えてくれた。こんないい話は今まで聞いたことがない」(6日・yahoo!sports)といった賛辞が相次いだというから素晴らしいことだ。

   ・グットガイ 賞賛浴びる 振る舞いを 誰もが認める 松井の存在          



2003年11月10日(月) イチロー3年連続「ゴールドグラブ賞」

 米大リーグ、ア・リーグのゴールドグラブ賞が発表された。マリーズのイチロー外野手が新人だった2001年から3年連続で選出された。今季も抜群の守備力を披露しているのだ。2人目の松井秀喜外野手も打率287打点106で、新人王の最有力候補となっている。この2人の存在が、日本選手の評価を上げる大きな役割を果していると思う。
 
 内・外野手の3人目は、7日に書いたように西武の松井稼頭中内野手、4人目はダイエーの井口であろう。5日の報道によりとダイエーの村松有人外野手(打率320)がフリーエージェントの権利行使を正式に表明した。この人も大ルーグへ行くのだろうか。ヤンキースがヤクルトの高津臣吾(34)の獲得に向けて動いているようだ。野茂・イチローが開いた大ルーグへの道、これからどれだけの選手がアメリカに渡っていくことか。

     ・先駆者が 道を開いて 次々と 目指せアメリカ 30球団
             



2003年11月09日(日) 惑星探査機ボイジャー1  (6号で引用)

 宇宙の広さは昨日書いたように実感として分かるには大変だ。そんな中で、多少でも実感できた時は感動する。ボイジャー1号が打ち上げ後26年で、太陽系の縁にたどり着いたという。「1977年の打ち上げられた米国の惑星探査機ボイジャー1号は5日現在、地球から約130億キロ(約90天文単位。1天文単位は地球と太陽の距離)の宇宙空間を飛行しており、太陽系の最も外側に達している」(11月5日・時事通信から)
 
 この記事を読んでハッとした。「そうか、太陽系の外側は僅か90天文単位でしかないのか」と。太陽系の外側までは下記の計算の通り光速で12時間しかかからない。
 1天文単位の光速の時間8分19秒×90天文単位=747分(約12時間40分)

 上記は半径の時間であり、太陽系の直径は光速で約24時間なのだ。それでは太陽系が属している銀河の直径の距離はというと、実に10万光年なのである。日数で示せば以下となる。
 100000光年×365日=36500000日(365万日)

 地球が属している銀河の直径は光のスピード(秒速300000キロ)で365万日もかかる。一方太陽系の直径は光速で1日の距離でしかない。よって、太陽系の直径は銀河系の3650000分の1となる。これでは分かりにくいので数字を置き変えてみよう。
 ・銀河系の直径を仮に3650キロとする(3650000メーターとする)
 ・この場合で太陽系の直径は1メーターである
 
 銀河系の直径からすると、太陽系の直径(地球上の距離の単位では約260億キロ)はまさに点に過ぎないのである。ボイジャー1号が26年もかかって飛行した130億キロも、銀河系の大きさからすると、点に近い空間の移動でしかないのである。

  ・巨大なる 楕円銀河の 広がりよ 太陽系すら 僅かな空間 



2003年11月08日(土) 近くと遠くの銀河発見 (6号)

 8月28日の日々の映像で火星大接近のことを書いた。これに関連して癒しの森29で「地球と月」、同30に「宇宙の広さ」の一部を書いた。11月5日の報道によりと、太陽系から最も近い小銀河(2万5000光年離れている。星の数は10億個)と、最も遠い銀河(128億3000万年光年離れている)が発見された。最も遠い銀河は、日本の天文台チームがハワイの「すばるも望遠鏡」で見つけたものだ。どれだけ離れているのか、感覚的には全くつかめないが、数字を並べてみよう。
                                      
                   光速       ジェット機 
月                1・3秒        16日間
太陽             8分19秒        17年間               北極星            800光年      392000年            近い銀河         2万5000光年      計算できない
遠い銀河       128億3000万光年      −

  ・悠久の 時間と距離の 空間が 無辺に広がる 宇宙の神秘                       
                



2003年11月07日(金) ダイエー井口も大リーグか

 西武に松井稼頭央遊撃手(28・FA宣言)の大リーグ入りするニュースが先行している。松井の獲得に「オリオールズが正式に名乗りを上げた」(11月3日・スポニチ)とのこと。ダイエーの井口資仁二塁手(28)は、ポスティングシステム(入札制度)で大リーグ移籍を希望している。ダイエーのオーナーは井口放出には難色を示していると伝えられている。
 
 しかし、日本の一流選手が、大リーグに挑戦する流れを止めることが出来ないと思う。なにしろこの2人は、下記の成績の通り走攻守三拍子そろった超一流の選手なのだ。シアトル・タイムズは一日、井口二塁手を取り上げ「もう一人の日本のスターが米国へむかうかもしれない」(ヤフー・スポーツから)と報じてダイエーの井口を高く評価しているのだ。日本のプロ野球界に何が足りないのだろう。超一流の選手の全員がアメリガでプレイすることになるようだ。
      打率   本塁打    打点   盗塁   出塁率   三振
松井  3割5厘  33本    83点     13    3割6分  124
井口  3割4分  27本    109点     42    4割3分    81

   ・アメリカの 野球文化を 見習えや スター選手は 日本脱出




2003年11月06日(木) 小説家 藤原周平

 一昨日の紅葉のことを書いて小説家藤原周平のことを思い出した。同氏が死去したのは1977年1月であった。日々の映像の書き始めた頃、藤原氏の解説を何点か読む。同氏は雑木山が好きであったのだ。雑木山の四季と人生を重ね合わせていたのだ。雑木山は冬になると丸裸になるように、人も死を迎える時は、一切の虚飾が剥ぎ取られるとの視点を持っていたのだ。

 藤原周平の作品は少年藩士が成長していく姿を描いた「蝉しぐれ」に代表されるように、庶民が主人公の作品が多い。これらの解説を読んで次の短歌を作る。

 ・冬の木々 総ての虚飾を 剥ぎ取られ 追って迎えん 覚悟はいかに

 ・逆境に さらされながらも 誇りもち 耐え抜く庶民を 顕わし残さん

               (短歌は1997年1月28日の日々の映像から)



2003年11月05日(水) 紅葉と夕日   (7号で引用)

 今日は、妻と近所の婦人2人を連れて荒川上流の紅葉を見に行く。この国道113号線は「荒川峡もみじライン」いわれるだけ、見事な紅葉が広がっていた。特にこの紅葉が夕日に照らされ、その風景を北側から見る時は、紅葉がキラキラと光り息を呑むほどの絶景となる。

 春四月青葉が延びる山の風情も美しい。八十八夜のころは緑が萌え、盛夏とともに草木の生が燃焼するように延びていき、あたりには草いきれが漂う。そして紅葉の時を迎える。小説家藤原周平は雑木山が好きであったという。雑木山の四季、落葉樹の1年の変化と人生を重ねあわせていたのだ。人生の最後を夕日に照らされた紅葉のように美しく飾りたいものである。

 ・平等に 必ず迎える 老いと死を いかに飾らん 夕日のごとく
              
                 (短歌は1997年11月7日の日々の映像から)    



2003年11月04日(火) 二人は魂でつながった「戦友」だった

 ピンクレデーが2年限定で復活、全国で120回のコンサートを開くことは知っていた。未唯(みい)と増田恵子に音楽評論家の伊藤強氏が加わったてい談(雑誌・潮)を読んだ。会話のレベルの高さに感服した。ここでは、会話を引用したい。

・伊藤「ツアー120回が終わると、それぞれにすごく変わっていると思う」

・未唯「私はプロデュースがもっとできるようになっていたい。それからケイとの昔からの友情・・・戦友としてずっと魂でつながっているんですが、今回、さらに深い関係が作れるんじゃないかと、鳥肌が立つぐらい楽しみにしているんです」

・増田「私は自分の魂がもっともっとキラキラ輝いていくと思う。『ピンク・レディはあなたにとっては何だったのか』と聞かれても即答できないけれど、この2年間の120回のツアーをとおして、新しい『思い』が沸いてくると思います。私とミーは宇宙というか神様から出会うべくして、そしてそういう『使命』を受けて、この世に生まれたような気がするんです。その意味がもっと分かった時の自分の魂のきらめき度がすごく楽しみです」
   
・人生の 価値観どこに 定めゆく 二人の魂 まさに戦友  
   



2003年11月03日(月) 脳に広がる映像

 小説を読みたいと思っている。その時間がなかなか見出せない。96年に「恋」で直木賞を受賞した小池真理子さんのインタビューを読む。以前、日々の映像でテレビの映像を見るより、文字を通して頭の中で情景を浮かべたほうが、桁外れに脳を使うという趣旨のことを書いた。

 小池真理子さんが、そのあたりを分かりやすく説明していたので引用させて頂く。「映像では、私たちはスクリーンに没頭します。・・映像というものは与えられた情報です。それに対して、小説を読む作業は、活字を追いかけて大脳の中に自分なりのスクリーンをおろし、自らが映写機となって、スクリーンに情景を写し出していくようなもの。自分自身が映写機の役割を果せるような力は、小説を読むことによってしか育まれません」と。

  ・活字追い 立ち止まりつつ 考える 脳に広がる 確かな映像

        (短歌は1997年3月7日に日々の映像から。下の句は修正)



2003年11月02日(日) 人 吉永小百合さん

 昨日の宇津井健さんのことを書いて、1997年に吉永小百合に関して短歌を作ったことを思い出した。この年の10月に「原爆詩の朗読会を静かに続けて12年」というグラビアの特集を読んだのである。6年前で小百合さんは52歳、今は58歳になられる。どうしてこの人はいつまでも美しいのだろう。

 この時の解説では「輝くことを強く自制しているが、抑えることで一層気品に満ちた輝きを増している人」と讃えていた。小百合さんの言葉で印象に残ったのは「教えることは出来ませんが、生涯様々学んで生きて行きます」であった。この人の美しさは常に何かを学ぶ姿勢にあると思った。

 ・生涯を 様々学んで 生き抜くと かくして生まれん 心の美かな

               (短歌は1997年10月10日の日々の映像から)



2003年11月01日(土) 師匠に付く

 3〜4日前のテレビで「徹子に部屋」を見る。そこに宇津井健さんがゲストとして出演していた。お年を聞いてビックリした。72歳であるとのこと。どう見ても5歳以上、いや10歳近く若く見える。まず、日常的な身体の訓練である。腹筋を1日300回もするというから大変なものだ。

 その他、この人の若さの秘密は、常に何かを習う生活パターンであるようだ。今はヒップホップとタンゴを週1回習いに行くとのこと。常に師匠に付いて何かを習得する・・・これが宇津井健さんの人生の生き方そのものなのである。

   ・生活の 一部となった 学ぶこと 師匠を求める 美徳の心
      


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石田ふたみ [MAIL]

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