イブの流した涙
▼▼▼今回の一言▼▼▼
財布の中身(レシートとかカードの類ではない)がみるみる減っていく

○そのうちに、2003年12月27日(土)「注文をとらない料理店」を完成させる予定

http://d.hatena.ne.jp/Da-Z/
↑というページができました
感想専門の日記です

▼▼▼森博嗣▼▼▼
☆「大学の話をしましょうか」が中央公論新社から発行!
☆「τになるまで待って」が講談社ノベルスより発行!
Gシリーズ第3弾
☆「朽ちる散る落ちる」が講談社文庫から発行!
Vシリーズ第9話
☆「森博嗣の浮遊研究室5 望郷編」がメディアファクトリーから発行!
完結編だそうです
☆「ダウン・ツ・ヘヴン」が中央公論新社より発行!
スカイ・クロラシリーズ第3作
文庫になったらよもうおかな(「ナ・バ・テア」も未読)
☆「君の夢 僕の思考」がPHP文庫より発行!
☆「迷宮百年の睡魔」(スズキユカ画)が幻冬舎コミックスより発行!
◎オススメは「MATEKI−魔的−」(詩集、PHPより発行)です
というより僕が好きなだけ

宝生出演の舞台観ました!(7/26)
詳しいことは月曜の日記にて
・・・と思ったけど
やっぱり水曜の日記分に書きます
と言ってて、未だに書いていない
そのうち書きます
それにしても、もうすぐ一週間経つのか
・・・もうすぐ三週間か
・・・もうすぐ四週間か
・・・一ヶ月越えたな
・・・それどころか二ヶ月経ったな
・・・もうすぐで三ヶ月だよ
・・・経ったな、三ヶ月
そして四ヶ月が過ぎ・・・
半年が過ぎ・・・
七ヶ月が過ぎ・・・
そして八ヶ月(一年の2/3)が過ぎ・・・
驚いたことに十ヶ月が過ぎ・・・
もうとっくに一年経ち・・・
一年と二ヶ月が経ち・・・
二年と二ヶ月が経ち…

2003年03月29日(土) 思考嗜好志向施行(今エピつき)

男はビールを手で受け取った。
しかし、それは木製の椅子に零れた。
今度は男はビールの入ったコップを受け取った。
男はおいしそうにそれを喉に通した。
男は現在ドイツの平均的な酒場にいる。
皮のパンツには木製の椅子の座る面がしっかりと密着している。


―今までのエピソード集―
episode nine
Episode is a"sou-wa"or"itu-wa".

episo-do jyu-
tanni ro-maji yomide sirusita dake

エピソード11
上のエピソード(9&10)が英文字で記されていて不愉快だ。

エピソード12
アンジェリーナ・ジョリーは決してアンジェリーナ・ジョリッ♪ではない。



2003年03月28日(金) 誤作動ドラえもん

ドラえもんはポケットから道具を取り出した。
「ヘリコプター」

ドラえもんはポケットから道具を取り出した。
「ドアのオブジェ」

ドラえもんはポケットから道具を取り出した。
「ふとん」
「押し入れ」
「食料」
「退屈凌ぎのロボット」
(家出の準備かよ!)

ドラえもんはポケットから道具を取り出した。
「僕より優秀なロボット」
(出すな出すな)

ドラえもんはポケットから気持ちを取り出した。
<のび太くん、もうちょっと頑張りなよ。まぁ道具を次から次へと出し惜しみせずに見せる僕も悪いんだけどね。>

ドラえもんはポケットを交番へ受け取りに行った。
(・・・中身なくなってる!!)

ドラえもんはポケットから新鮮な魚を取り出した。
「これは本当に苦労したよ。昨日沖まで出ていった甲斐があるよ。はい、ハマチ♪」

ドラえもんのポケットから、まったく使われたことのない道具達が夜な夜な零れ落ちている。
零れ落ちた瞬間、それらの道具は跡形もなく消失していくのである。
そんな夜の明くる日、のび太がタケコプターを使っていると、必ず途中で危うくバランスを崩しそうになる。

ドラえもんはかくれんぼの最中、四次元ポケットに隠れた。(どうやって出てくるのか?)

―END―



2003年03月27日(木) 緩い考察

最近は考えていることが浮かんでは消えの連続で
これを止めることは至難の技。
また、止めることに意味も意義もない。

鈴木杏、という女優がいる。
彼女はようやく中学を卒業したらしい。
その割には充分すぎる(と思わせる)くらいにしっかりとして物言いの子である。
ところで、彼女の名を呼ぶとき、誰も姓の方を使わない。
それほどに彼女は杏である。

杏というのはどういう意味か?
広辞苑第二版補訂版によれば、意味は載っていない。
載っていない。
杏。
杏仁豆腐。
これで調べようとしたら、杏仁、という項目があった。

杏仁→きょうにん。
ということで<きょうにん>で調べることに。

杏仁:杏子の実の核中の肉。薬用。

また杏仁水というのは鎮静剤などとして用いられ、杏仁油というのは擦剤・軟膏などの製造、または香油・食用油などに用いられるらしい。

開いためくった見つかったア〜ン♪
などと言われているCMを見て彼女はどう思うのだろうか?(きっと彼女は自室のベッドの中に潜り込んでいたんだろう。)
このCMを観て思った。
彼女は皆に求められる存在なのだと。
それほどまでに見つけられる彼女は薬用としてこの世に存在するのかもしれない。

人は女優という職業の人をどんな風に見るのだろうか?
人はなぜ彼女らの演技を観るのだろうか?
杏は人の心にどんな効果をもたらすのだろうか?

―END―



2003年03月21日(金) 死人怖い

「死人」
というのは生きてた(と認識される)人と同一人物の人がそうでなくなった(と認識される)状態を他人が判断したもの
つまりこの世の中には<死人>が充満してるのである

「怖い」
という感情は人が生きていくにあたって必要な感情であるが
それが理解できるのは怖いという感情を持ち合せた人だけである
そして私は怖いというそれを持ち合わせない人が怖い

―顎を触りながらのEND―



2003年03月18日(火) CHICAGOまで運転

「CHICAGO」
もうすぐ『シカゴ』という映画が公開される。
アカデミー賞でも何部門かにノミネートされており、何かと話題なものである。
この映画はミュージカルらしい。

ミュージカル映画といえば『雨に唄えば』。
これはなかなかの見物だった。
家でビデオで観たが、映画というよりも舞台を眺める感覚だった。
とにかく唄い踊るシーンが圧巻であった。
これでもかの連続。
人がこんなにも意味のないこと(基本的に生きるために必要不可欠でない活動のこと。食べたり飲んだり寝たり、今でいうなら仕事もそうだが・・・というもの以外の活動のこと)に熱心になっている姿が微笑ましい、と思った。
ただし、(僕なりの映画の理想像である)映画としてはイマイチであった。
これは舞台で見たほが圧倒的に感動できる類のものではないか?

話は『シカゴ』に戻る。
この映画はスターを夢見る女達とマスコミを操作して名声を上げようとする男の物語であるらしい。
つまり、この映画のキーポイントはマスコミの存在といえるだろう。
今の時代、マスコミに利用される人達の方が多い。
それの逆を行くこの映画、なかなか面白そうだ。(僕はこれの舞台版があることさえ最近まで知らなかった。)
逆に、そう、世間を操りかねないものを、逆に利用しようとする気持ち、これは大切なのかもしれない。

ところで劇中ではマスコミの前で演技をし、それを利用する男リチャード・ギア。
彼は惜しくも(?)男優賞にノミネートされなかったらしい。

また、映画という某体もマスコミの一種であろう。

【マス コミュニケーション】新聞、雑誌、テレビ・ラジオ・などを使って大衆に伝達すること。マスコミ。

彼(リチャード)は映画という某体を使ったマスコミ(大衆に伝達すること)には成功したのだろうか?

劇中でのリチャードは演技していること(マスコミを利用していること)が世間にバレてしまったらマズい立場に立たされるだろう。(社会的抹殺を食らうという意味で)
反対に劇場でスクリーンに映し出されているリチャードが、つまり俳優として劇の役を演じることは世間に許されている。(社会的抹殺は少なくとも食らわない)

こう考えると、合法的に名声を上げている現実のリチャードは賢いと言える。
しかし、今回に限っていうなら、彼は劇中では名声を得ることは出来たとしても、アカデミー賞にノミネートされなかったということで現実に名声を得ることは出来なかったのである。


「車の運転」
車は走行中、大抵は前を見て運転しなければいけない。
何が起るかわからないからである。
前車との充分車間を空けているつもりでも、油断は出来ない。
ただし、左折時はサイドミラーでバイクに注意をしなければならないように、たまに周りに注意することもある。

人が人生という名の運転をしていると言うのなら、走行中意味もなく後ろを向いているのは危険なのだろう。
しかし、そんな事をしている人間にはきっと注目が集まる。
『なんであいつは後ろを向いているのだろう?』と。

人が何のために運転しているのかはワカラナイが、たまに走行中に前を向いているのに飽きた人間は、たまに意味もなく首をグルッと180度回転させるのだろう。
案外、ずっと前を向き、たまにミラーで周りを確認する人間は、首を180度回転させる人間を羨ましく思っているのかもしれない。
『俺もやってみようかな』

―END―



2003年03月16日(日) 漸近地

何かに近づこうとする度、違う何かに背を向けていく。



2003年03月14日(金) 楽天的天才の欠陥

「楽天的な人間」
楽天的な人間はしばし馬鹿にされやすい。
しかし、楽天的に思考するにもそれ相当の能力というのは必要である。

「天才を描く本」
人は天才という存在、言葉にしばし反応しやすい。
また、フィクション、ノンフィクションに限らず、あらゆる某体、特に出版物においてはそれを意識的に取り上げた、また反映させたものが多い。
先日もそういったものテーマにあげたフィクションの新刊を本屋で目にした。
とは言っても、その新刊が僕の目の役割を果たすことになったわけではない。
どちらかと言うと、その本はアンチ(世間でそう称されているような)天才を謳っているような内容と言える。

実はどういった主張の内容であるかはこの際どうでもいい。
僕が言いたいのは天才について記された本というのは、それの著者さえもある点では天才なのかもしれないという事。
天才の定義というのはわからないが、仮に天才でないとしても、天才について分析し、そこから自分の意見を述べ、それを一冊の本にまとめ、それから収入を得ようとしている事実から考えると、どうしたって著者は自分の才能を読者に披露していることになる。
そういうことを考えると、そういった類の本を読んでいる際、ついでにそれの著者のことも考えてしまう僕は浮気性なのでしょうか?

「ある人間の欠陥と僕」
君には○○という欠陥がある。
しかし、僕にも君に『○○である』と言ってしまう欠陥がある。

―END―



2003年03月13日(木) 急ぎのジョニー

「作家の悪口」

「表表紙の活字且つ事」
【森博嗣/夏のレプリカ】という小説の表表紙にはこんな文面が載っている。

たとえば、
『子供に夢を与える』
と言いながら、
本当に夢を見る者を
徹底的に排ソしようとする社会。
集団はいったい
何を怖れているのだろう。

これを初めて読んだ時には(怖いな)と思った。

そして昨日の晩、改めて読み、こう思った。

(面白いな)

「Have a good die.」
木村拓哉という男は目がいいらしい。
つまり視力が高いという。
間違っても先見性がある、という意味で<いい>のではない。

彼はそれを証明するために、遠くのポスターに印刷された<Have a good die.>という文字を読んだ。

一方中居正広という男は目が悪いらしく、同じポスターのそれを近くに寄って読んでいた。
『この位置からは見えるんですけど、読めません。(ニィィ)』
(ニィィ)というのは間違っても芸能人特有の歯の白さを露呈している状態をいうわけではない。

上の二人の男は遠くからにしろ近くからにしろ、結局同じものを読んでいた。
それは<Have a good die.>という文字。

知っての通り、木村と中居は同じSMAPでありながら個性が二人ともはっきりとしている。

木村は落ち着きがあり、目標に向かって闘争心を燃やす印象がある。
そして中居には正義感が強く面倒見のいい親分肌の印象がある。
また中居はSMAPのリーダでもある。


「ワインセラーにワイン70本(稲垣)と冷蔵庫に焼酎70本(中居)」

「縄飛び」

「夢は夢のまま」



2003年03月12日(水) そういうのをグシャグシャに崩したい

「悪口」
友達のT君のどこが嫌か?
それを三つ挙げたいと思う。

まず一点め。
レストランでご飯粒を残すこと。

二点め。
【ちょくちょく】という言い回しを使うこと。
ちょくちょく、というのは定期的に、という意味合いなのだろうけど、その音がどうも嫌だ。

三つめ。
くしゃみを人に向かって放つこと。(手やハンカチで絶対押さえない。)
これは甚だ疑問だ。
意味が分からない。
僕も何も押さえずにそれをすることがあるが、そういう場合は必ず近くに人のいない方向に向かってするようにしている。
それも室内では必ず何かで押さえてやるようにしている。

上の三つの悪癖から推測すると、彼は比較的自我の意識が強い人間であると言える。

「大衆」
大衆に実体はない。
大衆という抽象はそもそも存在しない。
大衆のことなんて考えても意味がない。

「自由」
自由とはSだ。

「私は入ります。」
繋がっているように思えても
本当は繋がってはいない

本当は繋がっていないのに
繋がっているように思えるのが面白い

私はお風呂に入ります
あなたがなんと言おうとも

つけたり消したり致します
あなたがなんと言おうとも

一つのお風呂に三人いても
三体が三人なのはなぜだろう?

一つの家族が三人ならば
どうして三人で一家なのだろう?

ただ物理的に三つの体が離れていても
本当は三つなのかもしれない

そして三つが二つになったとしても
それはそれで一つなのかもしれない

「同意」
それに同意しないのは
同意した瞬間にそれが決まってしまうから

そう決まってしまうことが
本当はとても怖いから

「伝達」
今のところ
的確に伝える手段は<言語>。
伝達とはアウトプット。
アウトプットするのに一番都合がいいのは言語だろう。

例えば人に「アルタの7階に行って下さい。」と伝えるとする。
それを聞いた人はアルタの場所を知っていれば行けるだろう。
しかし場所を知らない人はその場所を何らかの手段で知らなければ行くことが困難である。(歩き回って偶然知る方法もある。)
地図を見て知る。
言葉で教えてもらって知る。(道筋、近くのシンボル・・・)←アルタ自体がシンボルでもあるが。
主に上の二通りの手段で知ることができる。
まさかアルタの音を聞いて場所を知ることができる人なんていないだろう。

地図というのは半ばイラストでもあると言える。
ではアルタの建物のイラスト(写真)を手に入れた場合、それを元にそこへ行けるだろうか?
行けないと思う。
その場所を知るには現在地(自分のいる場所、知っている場所)とアルタとを繋ぐ道筋を知る必要がある。
それを相手に知らせるには、アルタの建物のイラストなり写真よりもより多くの情報量を見せる必要がある。
そして相手に確実に伝えたいことがある場合、言葉というのは実に有効なものである。

絵画をギャラリーで見た場合、それから受ける印象というのはあるものの、そこから確実な作者のメッセージというのは汲み取りにくい。
如何に絵、イラストといった類の視覚的なものがはっきりとしないものかがわかる。
(地図というのも半ばイラストではあるが半ば言語に頼る部分もある。)

「行くと着く」
私は今日、アルタに行った。
そこで『笑っていいとも!』という番組を観覧してきました。

上の文章の<アルタに行った>は<アルタに着いた>の方が正しいのではないか?
行く、というのは意志であり、本当にアルタという場所に居た事の説明にはならないのではないか?

アルタに行く
アルタに行った

どちらにしても、アルタに居た時に使う言い回しではない。

アルタに着いた

これはアルタという場所に入った瞬間に言う言い回しである。

こう考えると着く、という言葉は行く、という言葉の現在形であるのだろうか?と思う。

「孫のパンツ洗う人」
孫のパンツを洗うことが嫌なのか?
孫のパンツを洗っていると言われるのが嫌なのか?

「神様」
神様=自分

「面倒なこと」
それは面白くもないのにやらされること

―END―



2003年03月10日(月) 主張の泥棒

「チャート降下の曲のそういう意味でいい曲だ」
まさしくタイトルの通り(?)、初め上位(1〜3位)に入ったものの徐々に落ちていくミュージックには好感がもてる。
反対を言えば、ずっと一位であり続ける曲が自分にとっての印象に残る曲とはなり得ないのである。
なぜか?
それはずっと一位であるということが異常であるからだ。
そんな曲がいい曲であるわけがない。

人生は妥協の連続だ。
しかし、せめて芸術性のある文化(笑い、音楽、映画、小説、演劇、漫画、アニメ、絵画etc・・・)をそれぞれの作品として鑑賞する場合、それらに商業的ニュアンスが含まれていては気分は台無しなのである。
芸術にはロマンを求めたい。
それが妥協の連続を行く僕らにとっての刺激になるのである。
芸術は刺激的でなければならない。(と思う)

大衆に受け入れられるミュージックに芸術性の高さを求めるのは困難だ。
希にずっと一位であり続けるミュージックが自分のタイプのものであることがある。
それはそれでいい。
今に生きる僕にとって今流行っている曲に意味があるのか?(重要なのか?)を見極めることは大切だと思う。
そういう意味で今上位にランクインされ続けている曲には疑いの目をむけるくらいの気でいたい。
ただし、僕の知らない時代のミュージックに多々いい曲があるのは当たり前である。
そういう時代に生きていない僕にとって、それは冷静で客観的にいい曲かそうでないかを判断することが出来るからだ。

―「チャート降下のそういう意味でい曲だ」、END―

「不景気の幻」
不景気だ 不景気だ
そう言って飽食である現状
これはどういうことだろう?

―「不景気の幻」、END―

「味覚異常の異常でない」
若者は味覚が変わったという。
確かに変わっただろう。
しかしそれが本当に悪いことなのだろうか?
それが悪いなんて誰も言えないのではないだろうか?

―「味覚異常の異常でない」、END―

「男は(基本的に)タイプでない」
これこそ読んで字の如く。
男なんて嫌だ。
嫌、というのは<嫌い>という意味ではない。(この場合)

それに引き換え女はいい。(女がいいというよりも女になりたいくらいだ。)
尊敬できる。
側に居たい。
色んなことを教えてほしい。
一緒に何かしたい。
話したい。
触りたい。

本当に男なんてタイプでない。

―「男は(基本的に)タイプでない、END」―

―END―



2003年03月09日(日) 誰かが言いそう、<サンキューの日>と

「波」
波地獄
そのうねりのケタタマシサの広がり
波と波と波
波と波と波と波と波と波と波の連続
それらは重なりあっているのか?
そして一つの波でさえそれは一つでありえるのか?

「懐古主義」
古いとはどういうことか?
今は使われていないものの状態のことか?
そして今というのは新しいのか?

今使われていないものを使う
そしてそれはその瞬間に新しい

「異常と幸」
異常でないもの
それに幸はあるか?

「静けさはシュールのちシュールでない」
嵐の前の静けさ
静けさは嵐のやってくる前触れ
静けさとは何かの合図

身構える
用心をする
試される
そういったすべてはシュール
シュールな世の中

嵐の前に静けさはあっても静けさに前触れはない
それは突然にやってくる

シュールな静けさが立ちふさがる
やがてそれはシュールでなくなる

「新しいもの」
新しいものなど何もない

「僕は音楽だ」
リズムにのって
体クネクネ
クネッて合わせて
次第に体はリズムになって

「リンク切れ」」
久しぶりに訪ねようかと
かつてのお気に入りの店へ向かう

遠目から検討づける
もうすぐ左側から顔を覗かせるだろう

あの昔
常にそこに居たような
そういう記憶
あまりに強烈すぎて
ずっとそこに居たような
そんな記憶

軽やかに
慎重に
抹茶フレークの添えられたバニラエッセンスの効いた香しいアイスクリームは目の前に現れて
あれは私の特にお気に入りのもの
けして目玉商品にはなり得なかったもの
そしてそれに加え必ず頼んでいたのがメニューにはない温かい緑茶

あの辺りにあるんだろうけど
あの店の周りの風景を思い出せない
あまりにもあの店にしか目がなかったかを思い知らされる
貴金属店 眼鏡屋 雑貨屋 などなど
こんな店らはあったのか?

次第に忘れかけていた場所へと手繰り寄せられる
そう 誰かに引かれている感じ
もう今の風景なんてどうだっていい
あの思い出の あの場所へと

八百屋と弁当屋の間
そこには<売地>の文字と何やらどうだっていいような
目にしたって頭の中に繋ぎ止められないような会社名
あとはそう 確か 数字の並んでいるイメージもあって
両隣の建物に圧迫されている!!
そこには記憶の中の いや 記憶の中にはあの喫茶店がある

―END―



2003年03月05日(水) 新しいものにしか希望は見いだせない

「ばかばかしぃぃ!!」と言ってみる
あっ なめていた飴玉がころげた!
それは絨毯の感触をネットリに感じたろうか?
反対に自らのネットリを絨毯に擦りつけていっただろうか?
そんなことを思ううちに徐々にばかばかしぃぃという感情は消えていく
ころげきった飴玉は私を放しはしない
彼は裏切るという行為を知らない
うーん
いっそのこと教えてやろうか?という気もおきる

―END―




2003年03月04日(火) ヒューマン・ザ・ボディサイド

「書けない作家」
左手を左側の頬に置きっきり
何かを考えているふりをして
そんなふりをするのに慣れきって
何をしたらいいのかもわからなくなって

黙って
じっとして
俯いて
左手を左頬に置いて

私は書けない作家です
そんな内容のファックスをTV局に送りつけた

「キャーの予備量」
あと何度キャーと言えるのか?
予備量はどれくらいなのか?
【キャー品切れ続出!】
予備量を気にしながらも私はキャー
キャーのキャーのキャー
【キャーの輸入減少続く】
キャァ キヤ キャ
私は次第に息苦しくなる
【キャー輸入差し止め】
私は予備のキャーが仕舞い込まれた倉庫へ
キャー 思ったよりもない
【私は倉庫のキャーに手をつける】
【キャー窃盗続出!!】
私は倉庫に鍵をかける
しかし鍵をなくした
キャーのキャーのギャァァァァァ・・・
ア ア ァ

「マイセルフつっこみ」
お前は間違ってる。
間違ってるんだよっ!
というか間違え!
じゃお前はまだ間違ってないじゃないか!
間違ってるというのは思い込みだったのか?
じゃあ間違え!!

「間違って強盗」
『間違って強盗しちゃいました』
そう男は言った。
なぜかと聞くと彼はこう言った。
『間違ってよその家に入っちゃったんですけど、そのままそこに居たくなっちゃいましてね。それであちらこちらを探っていましたらね、家主が帰ってこられまして・・・』

「なぜ花粉は飛ぶのか?」
見物の為。

―END―




2003年03月03日(月) ある面接が行われている一室での会話

登場人物
聡(さとし):面接を受ける側。
面長の男:面接官。

聡:「僕は『マネーの虎』という番組が嫌いです。」
面長:「ほう。」
聡:「ああいった番組はですね、嫌いが故にたまにチェックします。要するにですね、あの番組には僕にとって何の価値もないんです。最近はリストラというフレーズや、大学卒の就職難といった事象がよくメディアでとりあげられています。そういう時代の流れの中にあるということで、ああいう番組が視聴者に受け入れられるだろうと製作者は踏んだのでしょう。しかし、あれを観てよし、オレも頑張らなくちゃ、と思えないのです。観ているとどんどん暗い気持ちへと傾いていくんです。そういった意味で、『貧乏脱出・・・』というような番組もダイッキライです。つまり再就職する人にスポットを当てたようなドキュメントらしき番組が嫌いなんです。ああいう番組には個人レベルにおける範囲では負の要素でしかありえないです。仕事ってのは辛いんだな、と擬似的に視聴者に感じさせることなんか無駄なんです。そして仕事ってああいうものなのか、という印象を一方的に決め付けてしまう怖さがあります。仕事が大変なものであるのには変わりはないと思いますが、そういう風に決め付けられる恐ろしさってのをああいったドキュメント番組からは感じます。だから決め付けられる番組ってのは全般的に嫌いですね。番組で語られていることが現状であり、すべてなんだ!という押し付けがましさが感じられる番組の内容が、自分の肌に合わない場合、僕は非常にその番組に対して嫌悪感を抱きます。僕はもっと、そういったものではなく、観る人に面白がってもらえたり、何かを感じてもらえるような、主張のない映像作品を作ってみたいという希望を持ってます。」
面長:「なるほどね。まぁAVならね、いい作品を作ることが出来れば十分にユーザーに感じてもらえると思うよ。」
聡:「そっちの<感じる>かよ!!」
面長:「何の会社か知らなかったのかよ!!!!!」

―END―



2003年03月02日(日) 20030302

2003年3月2日。
この日記を編集する時にもお馴染みであるが、なにかとコンピュータに日付けのデータを入力する時は<20030302>と打ち込まなければならない。
つまり3月であることをインプットしたい時に、<3>の前に<0>を付けなければいけないのである。
そうやって打ち込む場合、どうも3月2日を表す<0302>の0の2つが邪魔に思えてならない。
そうすると<200332>と打ち込めばいいのだろうが、仮に例えば11月1日であることを示す場合<2003111>と入力すると、謝って2003年1月11日であると誤認してしまう可能性がある。
<200332>という数字の並びをコンピュータが読み取る時に、<西暦200年3月32日>などと認識してしまう恐れはあるだろうか?
きっとないと思う。

―END―



2003年03月01日(土) 分析!!爆笑問題!

爆笑問題の漫才はどういったものなのか?
ざっと流れを追ってみたい。
(参考文献:「爆笑問題の日本原論2」幻冬舎文庫)
尚、参考文献は雑誌連載時のものを文庫化したものである。
また、<↑>はテーマに対するボケで、<→>はテーマに沿って応用させたボケ。
主に太田のボケのみを記載。

971216「ポケモンパニック」「女児殺害」「老人売春」「男児誘拐」「伊丹十三自殺」の巻(タイトルより抜粋)

<ポケモンを観ていた子供達がめまい、吐き気を訴える>
↑「案外強いんだな、見かけによらず」
[前フリ](他にこんなに騒ぎになったのは聞いたことがない)
→「失楽園観て鼻血ブーのガキがいた」

[つなぎ](製作者側の慎重さが求められる)

<仮面ライダーを観てライダーキックを真似た子が、それが原因で友達を殺す>
→「ウルトラマン観ててスペシウム光線出しちゃった奴がいる」

[つなぎ](最近子供の関わる事件が多い)

<同じ団地に住んでいた小学生を誘拐して殺した事件、犯人は捜索隊に参加していた>
↑「犯人が最初に『自分ちの冷蔵庫が怪しい』と言う」
↑「しまいには『どうも俺が怪しい』」

[つなぎ](誘拐と言えば)

<赤ちゃん連れ去られ事件、犯人は「離婚した夫に子供を取られ、寂しかったので」。実は犯人の母親が計画をそそのかしたのか!?>
↑「犯人の母親曰く『大丈夫、私も未だに見つかっていないから』」

[つなぎ](子供の事件が多い一方、老人の犯罪増)

<71歳と64歳の姉妹が売春容疑で逮捕>
↑「なんともしわくちゃな話」
↑「援助ばあさんと言われていたらしい」(※援助のされ方が間違っているという面白さがこのボケにはある。)
↑「別の意味で<寝たきり老人>」
[前フリ]老人の犯罪は今後増えるかもしれない、老人が老人を恐喝して老人から金を奪うとか。(※この例えは高齢化社会を反映したものであると思われる)
→「老人が老人の日に老人ホームにいる老人に会いに行く途中で躓いて転び、その老人が死んでしまう」

(漫才END)

以上が連載一回分の漫才の流れである。
こうやって流れを追っていくと、改めてこれを一から考えるとなると素人ではなかなか難しいと思わされる。
こんなにキレがあり、多種多様な時事漫才は、なかなか他の芸人では作れないだろう。
あらためて面白いということを実感した次第です。

―END―

ついしん
分析は面倒になったので、流れだけを追いました。
ご了承あれ。


 < シーラカンス  everyday history  光の射す方へ >


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