| .....PAPER MOON |
| .....HOME .....MAIL .....OLD .....INDEX .....NEW |
有限と微小のパン/森博嗣 2002年03月31日(日) とうとう、シリーズ最後の本を読み終わってしまいました。解決のあたりになって、あーもう終わりなんだー…なんて、ちょっと感慨深かったです。けっこう分厚いんだけど、長さを感じさせなかったですね。解決は、人によってはなんだそれ、と思うかも? 私は、とある映画を思い出しました。名前出すとネタバレなんで書けないけど。(先月テレビでやってたなあ) 本筋とは関係ないけど気になってたことを書くと、国枝先生は、どうしてジョギングしてたんでしょうねえ(笑) なにか伏線かと思ったけど、全然伏線じゃなかったんで、なんで唐突にジョギングしてたんだろう…この人の存在自体が謎だけど、と思ってました。…まあ、この本の表現を借りるなら、物語の装飾ですか。ちなみにダンナさんが出てこないのは、刑事コロンボ? あと、すごく気になったのが、アトラクションで遊んだ後に「面白かったね」っていうセリフが出て来るんだけど、そのあとに「こういうとき、当たり前のことを言うのが彼女らしい。とても優しい証拠だ。」って書いてあって。なんで「優しい証拠」なのかを、しばし考えてしまった。言葉によるコミュニケーションをめんどくさがらずにちゃんと取ろうとするところ? 私、優しくないからわかんないや…。言葉にしないで伝わればいいのに、と思ってるし。 |
嵐が原/那州雪絵|天は赤い河のほとり 27/篠原千絵 2002年03月27日(水) 「嵐が原」は、滅ぼされた国の少年が、敵国の王に復讐に行く話。…なんか、「魔王の王国」(グリーンウッド)を思い出すようなヴィジュアルですけど(笑) いや、まあそれは忘れることにしましょう、真面目な暗い話なんで。「あきらめることは今日までの自分を裏切ることだ」。私も、そう思ってしまうタイプだから、この終わり方は、私にとってはハッピーエンドのようなもの。 この物語のテーマは、過去にこだわりつづけるのか、過去を忘れて未来に生きるのかを、問うことだ。 忘れなきゃ、生きていけない。 でも、過去の私が報われるのなら、死んでも本望だと思う自分がいる。 そんな人間ばかりだったら、地球はもうとっくになくなっているかもしれないけどね。 「天は赤い河のほとり」、私はこれで最終巻だと思ってて、実際終わってもおかしくない展開だったんだけど、まだつづいてたのね…。次で終わりかな? でも、ここまででほんとに終わってもいいような気がする。納得のいく展開でした。 |
おひさまのブランケット/山本文緒(集英社文庫) 2002年03月26日(火) コバルト文庫の復刻版です。作者は、「小賢しい」なんて言ってますが、私は割とおもしろく読みました。コバルトだから高校生の恋愛ものなんだけど。初々しくていいじゃない? なんだか設定的にはあだち充の漫画みたいでしたが(笑) あだち充も好きなんで。 「放っておけないって気持ちは、なんだろう。 ただ好きだという気持ちと、ちょっとだけ違う気がする。いいことも悪いことも、何もかも許して包んであげる。守ってあげる。見ていてあげる。そういうことかしら。」 なんて文章がありまして。 そうだな、「好き」なだけじゃいられないんだな…なんて思ったりしてました。 そんなに綺麗なものじゃないけど。言葉にしたら、詩的に過ぎるかな。別に何かを「してあげて」いるわけでもなく、ただ私がそうせざるを得ないだけのことで。もっとどろどろしてる。 そんな、綺麗なものだけじゃなくても、道はつづいてるから…。 |
炎の蜃気楼33 耀変黙示録�検歐隻陲両蓮檗新�原水菜(コバルト文庫) 2002年03月24日(日) まだ真面目に読み続けてます。しかし、「君は誰だ」、それは私が言いたい(笑) なんとなーく記憶にはあるような気がするんで、そのまま読み進めるんだけどねえ。だいたい、私は世界史選択だったんで、日本史は苦手だったのよね。(そういう問題ではない気もするが…) あ、知らない方のために。戦国時代の武将の魂が、現代の人間の身体を乗っ取って復活し、戦っているという話ですね。 読者が登場人物の把握が容易にできないというのは、作者の力量によるものか、作者の判断によって、そんな甘い読者はいらん、ということなのか、ですね。 話が煮詰まりすぎて、どこへ行くんだ…?と長いこと思ってきましたが、そろそろ終わるんでしたっけ? どう始末をつけるのでしょうかね。 --------------- ここ数日、ライブラッシュだったので、ここの更新が滞っておりました。でも、おかげでたくさん本は読めたので、徐々にアップしていきます。 |
バガボンド 13/井上雄彦 2002年03月20日(水) 鎖鎌の宍戸梅軒と戦う武蔵の巻。この巻の主人公は宍戸梅軒でしたね。宍戸梅軒と共に暮らす女の子が出てくるんだけど、この子がすごくよかった。ずっと淡々とした表情しかとらないんだけど、泣くシーンが…。すばらしかったです。 戦いの決着も。いいじゃない、私は、こういうの好きです。…うらやましい。 |
西の魔女が死んだ/梨木香歩|白い犬とワルツを/テリー・ケイ(新潮文庫) 2002年03月17日(日) ちょっと前に流行ってた本ですね。どちらも泣けるって評判で、楽しみにしてたんですけど。私はいまいち入り込めず…。「西の魔女が死んだ」は、登校拒否中学生の女の子が、祖母の家でひと月過ごすお話。 「白い犬とワルツを」は、妻に先立たれた老人が、誰にも触れない白い犬が見えるようになる、というお話。 新潮文庫では、この2冊ともう一冊「ジェニィ」(ポール・ギャリコ)という本と3冊並べて売ってるんだけど、私は「ジェニィ」がいちばん好きですね。 ところで、本を読んでいると、この年齢設定は正しいのだろうか?と思うことがあります。「西の魔女が死んだ」は中学生という設定ですが、少し幼くないかな、と思ったり、昨日読んだ本には4歳だったかの女の子が出てきたけど、4歳でこんなにわかるかな、と思ったり。 「小公女」も、あまりに幼いんでびっくりしましたが。この話は、セーラより幼い頃から読んでいるけれど、その年を追い越してみると、うーーん、と思ってしまいます。 もちろん、自分を基準にするしかないんで、一般的なことははっきりわからないんだけど。 人の心の中って、ほんとわからないね。自分が人に較べてどうなんだろうってよく思うけど、永遠の謎だものね。 |
罪深き緑の夏/服部まゆみ(角川書店) 2002年03月16日(土) 1988年の作品ですね。なんていうんでしょう、耽美小説…?あんまりそういう小説を読みつけないので、ちょっととっつきにくかったような。 でも、他の本も借りてあるので、借りてある分は読みます…。 なんだか、私も絵を描きたくなりました。 |
スキマが多すぎる 2002年03月13日(水) とある作家が、「小説を書くのは、書きたいシーンと書きたいシーンの間を埋める作業がほとんどだ」というようなことを言っていた。毎日の生活も、食事も、そんな感じで。ご褒美目指して、スキマを埋めてるんだ。 …スキマがなかったら、疲れちゃう? じゃあスキマは睡眠で埋めたい(苦笑) 水金は、図書館は7時までやっている。ありがたい。というわけで、行ってきた。 図書館には、服部まゆみの本はいっぱい置いてあった。置いてあるの全部(4冊)借りてきた。 そこまで熱心になるほどか?だいたいちゃんと読める時間あるのか?と自分でも思うんだけど、私は欲しい物はすぐに手に入れたい人。手に入れると、ちょっと安心してしまう人(笑) どうでもいいけど、服部まゆみって名前には見覚えがあったんだけど、ちょっと自分の中で「長野まゆみ」とかぶってた(笑)(長野まゆみは数冊読んでるから、混同していたわけではないよ) |
探索中 2002年03月12日(火) 服部まゆみの本を買いたいと思って、昨日今日と本屋をハシゴしたのだけど、売ってない! どこも「この闇と光」しか置いてないんだよ〜。明日は図書館に行ってみるつもり。確か、明日は遅くまでやってる日のはずだから。 「ヒカルの碁」16巻(ジャンプコミックス)を購入。 絵が端正なのもあるけど、冷静よね。自暴自棄じゃないっていうか葛藤を物語の中心においてはいないんだなというか。 私は、どんより落ち込む話が好きだから(笑) ヒカルがもっと苦悩しているところを押し出して欲しかった。 「ダヤンのスープ読本」(中公文庫)を購入。 ダヤン好きです。ジグソーパズル、買ったままやってませんけど(笑) 絵本と、スープのレシピが合体した本。 私はスープも大好きなのです。それぞれのスープの絵がちゃんと入ってると、もっとおいしそうだったと思うけど。でも読んでるだけでもおいしそう。 |
この闇と光/服部まゆみ(角川文庫) 2002年03月10日(日) 某誌で紹介されていたこの本、興味を惹かれて、早速購入して読んでみました。別荘に幽閉されている盲目の姫レイア。幼い彼女の視点(目は見えてないけど)で、物語は始まります。童話的かな…と思わせておいて、この展開!(ミステリ?) すごいです、おもしろいです。引き込まれます。どんどん先が読みたくなる。終わり方には多少すっきりしないものを感じますが、読後感は悪くないです。 解説を読むと筋がわかってしまうので、絶対に読まないように。後ろの方をぱらぱら〜っとも見ないように。翻弄されてください。 この人の他の話も読んでみたいです。 |
リセット/北村薫(新潮社) 2002年03月09日(土) どういう話か知らずに読み進めたのですが、輪廻転生の話ですね。最初、延々主人公の子供の頃の話が続いて、戦時中の様子が丁寧につづられて…。どこへ向かっていくのかわからなくて、ちょっと退屈しました。話が重なったときは、ぐっときてほろりと泣いてしまいましたが。 うーんでもやっぱり、文章に違和感を感じます。 あと、最初に方向を決めてもらわないと読みにくい、というのがあります。第二部で語り手が変わるのだけど、それがどういう立場の人なのか、最初の数ページわからなくて。男性が子供に向けて、自分のことを「お父さん」と言っているのが、最初わからなかったんですね。 よく新井素子が、突然文中で「私、○○。○歳の女の子」と自己紹介を始める、なんてからかわれてましたが(笑)、あれは読みやすいですよね。それを、唐突ではなく自然にしてくれるとありがたいです。 輪廻転生の話というと、恩田陸の「ライオンハート」。あれはいいです。泣けます。メロドラマばんざい。 |
「言葉にすればするほどに意味が軽くなる」 2002年03月08日(金) 「感じたままを口に出す」という見出しで、朝日新聞に宮沢章夫氏(劇作家・演出家)がこんなコラムを載せていた。ピカソ展で「ミノタウロス」という牛頭人身の絵画を見た女性が「肉、食べたいわね」と言ったという。 また、伊藤若冲という画家。生家が野菜問屋。その展示会で「やっぱり、野菜の絵が多いわね」。 人はなにを想像するかわからないが、問題は口に出すかどうかだ、と書かれている。 某誌の四コマでは、「心の平安を得るために秘密にするタイプとオープンにするタイプがいるのよ」なんてセリフがあったっけ。 私は、日常生活ではかなり無口な方だ。だから、すぐに思ったことを口に出す人の気持ちはわからない。 必要ないなら、ずっとしゃべらなくていい。しゃべるのって、私にとってはすごく体力消耗すること。 反対に、うちの姉はよくしゃべる。ひとり暮らしで普段話す相手がいないから、というのもあるかもしれないけど、それにしたってよくしゃべる。 その姉が、この前うちに帰ってきていた時のこと。 私が姉に「君のいる場所」(ジミー)という絵本を見せてあげた。 しばらくして、姉が言った。「これ、最後会えたのかなあ」 私は他のことをしていたし、その最後の方がどんな絵だったか忘れていた。なので、「それは読んだ人が思ったらそれが答えなんだよ」というような答え方をした。 そしたら、「じゃあ、○○○はどう思う?」と聞いてくる。なんだよ、国語の授業やってるんじゃないんだよ(笑) それになんと答えたかは忘れたけど。 まあ、この時は答えるのがめんどくさかったっていうのもあるんだけど…。 あの、言葉にして欲しくないことって、ないですか? 言葉じゃなくて、見て、わかってよ、みたいな。 うちの姉も母も、すぐに口に出す。デリカシーがないと思ってしまう。 なんてことを書いている私だけど、日常生活でしゃべらない分、文章を大量に書いている。私はしゃべりたがりじゃなくて、"書きたがり"。 「問題は口に出すかどうかだ」 「問題は文章に書くかどうかだ」 でも口に出すのはけっこうぽろりと簡単だけど、文章はもうちょっと手間がかかる。書くだけでなく誰かに読ませるとなると、かなりな手間がかかる。もう、しゃべるのに体力が要る、なんてものじゃない。 でも私は、書きたい。 私はなぜ、書きたいんだろうね。 言葉にして欲しくない、と思うことがたくさんあるのに。 放棄してないから。わかること、わかってもらうこと。 「言葉にすればするほどに意味が軽くなる」というのは、ゆたかくんの詞。 それでも、彼だって自分の言葉で歌ってるものね。 |
言葉はどこまで意思を伝えてくれるんだろう? 2002年03月06日(水) 言葉は、ある程度の一般的な定義があって意思の疎通が成り立ってる。抽象的な言葉だと定義が曖昧で、お互いの意図するところが伝わりにくい、ということもあるけど、名詞だと一見正解はひとつしかないように思われる。けれど実際は「赤」と言っても様々な赤があるし、方言もあるし、「桜餅」とみんなが呼んでいても辞書で調べたらそれは違うんだと言われてみたり、コミニュケーションというものは、難しい。 そうした一般的に見られる違い以外にも、個人的な意味合いを込めた言葉っていうのもある。 例えば、父親がお風呂のことを「温泉」と呼んでいたとする。(フィクションです、念のため) それをいつも聞いている家族は、父親が「温泉に行ってくる」と言ったら、お風呂に入るんだな、と思うだろう。でもそれを知らないお客さんが来ていたとしたら、この人はどこまで行くんだろう、近くにそういう施設があるのかな、と思うかもしれない。ある程度の経験の積み重ねと理解への甘えで、コミニュケーションが成り立ってる。 また一方で、家族はただのお風呂だと思っていても、父親にとってみたら、入浴剤を入れたお風呂じゃないと温泉と呼べないのかもしれない。でもそれは家族は知らなくても、自分だけがわかっていればいいことだと父親は思っているかもしれない。そしてそれを説明しなくても、いつか何かの拍子に、家族はその事実を知るかもしれない。永遠に知られずに終わるかもしれない。 このように、一般的に理解される意味に、ちょっとだけ自分なりのニュアンスを含ませた言葉というのは、その人なりにあるかもしれない。(ないかもしれない) 要は、その言葉を使うときに、どこまで覚悟をするかだ。 自分の思う意味とは、まったく違う意味に取られるかもしれない。それでも、どうしてもその言葉をその用法で使うのか。誤解されても使うことで意義はあるのか。 そのこだわりによって誤解しか生まないとしたら、言葉はなんらかのものを言葉という記号に変換して、それが誰かに読まれて言葉が言葉以外のものに変換されて、初めて役目を果たすというのに、最初から理解されることを放棄していいものだろうか? それとも誤解されることも、コミニュケーションのうちだろうか。 逆に、すごく的確に言い表してる言葉だ、と思っても、どうしても自分の中でその言葉を使うことがためらわれる言葉、というものもあるけどね。 須和さんという作家が、そのことについて秀逸なあとがきを書かれていて(←知ってる人は笑ってください)、私はいたく感心したものだけど、…実践はしないけど。 あんまりうまく説明できた気がしないけど(例がよくなかった気がするな)、誤解されたとしても、これを読んでくれるあなたが何か考えてくれるなら、それでかまわない。 ------------- ダ・ヴィンチが「MONSTER」の特集だったので購入。 よく、ダ・ヴィンチではミュージシャンが本のこととか話してますが、あんまりおもしろくないよね…。そのミュージシャンのファンが、そのミュージシャンに興味があって、どういう本を読むんだろうーっていうときはおもしろいんだろうけど、何かの特集の時は、ミュージシャンに興味のある人じゃなくて、その本に興味のある人が読むわけだから。 流石に、同業者の井上雄彦のは視点が違ってておもしろかった。 (「SWITCH」ではその井上雄彦のロングインタビューが掲載されていた。写真も何枚も載ってるし。立ち読みしたけどおもしろくて買いたくなった。…結局買わずに帰ってきちゃったけど) 彼が指摘するように、浦沢直樹はインタビューでも冷静だ。 この特集、おもしろくないことはなかったけど、そんなにすごくおもしろかったとは思えず。これ見ても、そんなに「MONSTER」読みたくならないかも…。いや、新規読者開拓が目的じゃないのか…。 あ、「すべてがFになる」がゲーム(PS)になるそうですよ。ちょっとやってみたいかも。 |
嵐の獅子たち グイン・サーガ 83/栗本薫(ハヤカワ文庫) 2002年03月03日(日) どうにもどんよりした巻でした。私も、「ああ生きててよかった!」みたいなしあわせな展開を期待してるわけではないはずなんですが(笑) 何とも言えないねえ。せちがらい世の中だぜ。本の中でくらいしあわせ感じたいぜ(笑) あ、私の場合、おちていくしあわせってものもあるので…必ずしもハッピーな話だけを求めてるわけではなく。同じ暗いでも、なんでそっち行っちゃうんだーって感じ。 グインの、「人を信じること」についての講釈がちょっとおもしろかったですね。 相手のことをちゃんと見極めていれば、無駄な期待をしないから失望などしない、裏切られることもない、と。 …それは、グインが自分に自信があるから、できるんだよ。 自分に自信がなかったら、相手にも信じてもらえないと思うんだよ。 自分を信じられるように、なりたいね。 |
ドミノ/恩田陸(角川書店) 2002年03月02日(土) 「ドミノ」を読みました。東京駅で起きる、ドミノのような出来事。登場人物が多くて、誰が主役というわけではなくそれぞれが主役。なんの関係もなかった人たちが、些細な積み重ねで、どんどん事件は発展していってしまう…。 なかなかおもしろかったです。この場合の「おもしろい」=笑える方の。 最初は淡々とした出来事がつづられていて退屈なんだけど、それが絡み合い出すとおもしろくて止まらなくなります。 やっぱり、物語の醍醐味は、この必然によりころがっていくおもしろさでしょう。話としては大げさすぎるけど、文章が軽妙なので笑える。 --------------- この人の文章は、私はとても読みやすくて好き。小野不由美の文章もとても読みやすい。 嫌いじゃないしおもしろいと思って読んでるけど、森博嗣の文章は、「…」が多すぎるな、と思いますね。インタビューで、ちゃんとその沈黙も読んで欲しい、ほんとは「…(5秒)」とか書きたい、なんて言ってましたが。私は、どんどん流れるように読みたいので、沈黙で止まらされるのがちょっと鬱陶しいです。 それから、時々ネットで、文章の中の「あいうえおやゆよ」を「ぁぃぅぇぉゃゅょ」で書いてる人を見かけますが。ぁれはゃめてほしぃです(笑) 意味で読んでいたのに音で読むモードに切り替わっちゃうから。 本屋をうろうろしていると、ハードカバーの本は、とても美しいなと思います。ほんとに、きれいな本が多い。 文庫になっちゃうと装幀が変わって、イラストも変わっちゃうのが、実にもったいないと思いますね。文庫であんまりイカしてる(死語?)装幀って見ない気がする。 収納や値段の都合で、普段買うのは文庫ばかりだから、ああハードカバーのあの装幀がよかったのに…とか思ってしまいます。 「女王の百年密室」の、冒頭の献辞を読むと、新書版の表紙にあの写真が使われていないのが不思議に思えます。…それとも、文庫にしたら装幀を変えないといけない決まりがあるんでしょうか。 |