白月亭通信別記
老い先短い残照の日々、
おりふしの所懐を、
とりとめもなく書き留めて…

2001年08月31日(金) 小泉さんの歌

 小泉さんがメルマガの最新号で自作の短歌を披露している。

 柔肌の熱き血潮を断ち切りて仕事ひとすじわれは非情か

 なるほど「三十一(みそひと)文字」にはなっているが短歌という趣は感じられない。与謝野晶子を本歌にした上の句もわかったようでわからない歌である。
 参院選挙の応援で、

 大和路を遊説すれば人の波

 という句を臆面もなく演説に取り入れていたが、これが俳句なら、

 この土手にのぼるべからず警察署

 でも俳句になる。



2001年08月30日(木) 殺気

 盆花をとりかえに行った帰り、とある交差点を横断しようとしたら右側から乗用車が右折しようとしていったん一時停止をしたのでわたしはかまわず進行しようとすると車も同時に発進して私の自転車をおしのけるようなかっこうになった。私は「あぶないじゃないか。バカヤロー」とどなってしまった。この叫び声が聞こえたのか車は一瞬スピードを緩めたがそのまま走り去った。家に帰って報告するとカミさんは「よかったじゃない。運が悪いといまごろはボコボコにされているわよ」。殺気のみなぎっている世の中になってしまった。もしかすると車は謝りたくなったのかもしれないのだけれど。



2001年08月29日(水) 男はだまって…

 「田辺聖子のエッセイ読んだか?」「いえ、まだよ」「ぜひ読んで見るとよい。夫婦とはこんなものだったのかと認識を改めるにちがいない」。田辺聖子女史のエッセイとは朝日新聞連載の「行くも帰るも浪花の夕凪」の「だんまり夫婦」(28日)のこと。レストランで夫婦らしい二人がもくもくと食事をしている風景を描いている。いつも寡黙にふるまっている私に不平タラタラのカミさんに対して絶好の教科書だと思って重い口を開いたのでありました。



2001年08月27日(月) 国難

 昨夜テレビでは日本は文永11年10月だった。西暦では1274年のこの年はいうまでもなく蒙古軍が日本侵略をめざして攻撃をしかけた年。対馬沖に姿を見せた千隻の大船団は海に黒い山が築かれたようだったという。テレビではこの光景をCGで見せたがあまり迫力がなかった。さて、青年執権和泉時宗が元寇を乗り越えた歴史にならって小泉時宗もこの国難を克服してもらいたい。



2001年08月26日(日) ニガゴイ

 朝日(Web版で見た)で沖縄のゴーヤ(ニガウリ)を特集している。夏の栄養野菜として人気急上昇。レストランなどでもサラダメニューとして受けているらしい。実は南九州でもゴーヤは昔から夏の食膳の定番だった。私の地方ではニガゴイ(ニガウリの転)とよんでどの家でも畑や空き地に植えて食材としていた。イボ状の突起があり食すれば独特の苦味と生臭さがあるので嫌う人も多かったが滋養食としての価値を見つけていた昔の人のえらさを今になって思う。我が家のニガゴイはことしはもう終わり。つるをはわせた棚をきょう解体した。



2001年08月25日(土) 爆弾発言

 昨夜のニュースステーションにニューヨークのスタジオから生出演の新庄クンが爆弾発言をした。13日(日本時間)の対カージナルス戦の7回代打に立った新庄クン、ハックマンのシンカーがバットのにぎりに当たったのを大げさに痛がってみせ、「I got hit !(当たった!)」と英語で審判に抗議、とうとう死球判定にかえさせたが「ここだけでの話ですが、あれはバットに当たったのです」と白状。この発言を重視した米野球機構はスポーツマンにあるまじき行為として新庄選手を出場停止の処分を検討し始めた(そんなことはないか)。



2001年08月24日(金) 関サバ

 一泊旅行のおみやげはなんと「関サバ」。山中の黒川温泉へ行ったのに「どうしてだ?」と聞くと、チェックインまでの時間があったから佐賀関まで足をのばして来たのだという。関サバとはいってもこの時期に生で食べるのは気になって刺身におろしたのに箸をつけなかったのでカミさんはお冠。



2001年08月23日(木) 読者懸賞

 当たるはずもないと思いながら新聞の読者懸賞に応募する。運がよければW杯日本戦のチケットが貰えることになっている。今回からインターネットでも応募できるようになったから50円の切手代がいらないのがよい。新聞拡販のためのイベントだが1ケ月購読者も20年購読者も同じ1口の権利。新規読者の勧誘には手を代え品を代えのサービスがあるが長期愛読者に対してなにもないのが不満だ。



2001年08月22日(水) 一泊旅行

 カミさんは親しい仲間3人と黒川温泉(熊本)へ一泊旅行。「ごはんは炊いといたからひとりで食べてね」といそいそと出かけて行った。ダンナさんと行くよりおしゃべり友達とのほうが楽しいのだろう。旅費も一人分ですむことだし。



2001年08月21日(火) 台風

 台風はさいわいにも九州は直撃を避けられた。「さいわいにも」と言うと上陸した地方の人を無視した言い方になって申し訳ないけれど大型で強烈な台風と恐れられているだけにホッとしている。これからも進行方向がどんどん東に傾いて雨の恵みだけを日本列島にもたらす台風だとよいのだが。



2001年08月20日(月) 夜明けを待って

 目が覚めるのはきまって払暁。夜明けまでの時間が長い。今朝は大リーグ中継で朝を待った。来し方行く末について内省する時間と野球とが混然となる奇妙な時間だった。



2001年08月19日(日) 校歌演奏2

「遙か はてしなく長いこの道 君はひとりで歩きつづける……」というのが準々決勝に進出した大分・明豊高校の校歌の冒頭。大分在住のフォークシンガー南こうせつの作曲だが詞は夫人の南育代さんとか。新設校らしい斬新な歌だ。歌詞のどこにも校名が入っていないので高校生のすべてが歌ってもいいとアナウンサーが解説していた。



2001年08月18日(土) 「つくる会」

「つくる会」が教科書採択をめぐってケンカ腰のメッセージを乱発ているのは見苦しい。採択率が1%に満たなかったことについて事務局長が「リベンジ」と発言しているのなどがその例。「復讐」という発想がこわい。日本の戦争責任についての公式見解は「村山談話」ということになっているがこれを「妄言」という人たちだからその程度の底は割れている



2001年08月17日(金) 校歌演奏

 郷土の期待を担って戦った日南学園は話題の寺原投手の不調で苦戦したが3回戦への進出をはたした。勝利の名誉を讃える校歌演奏に聴き入る選手たちの表情がよかったが「若き我らは身をきたえ真理を学ぶ」という一節のテロップが「心理を学ぶ」となっていたのが気になる。1回戦の勝利の時も同じテロップだったのにNHKは訂正しなかったと見える。「心理を学ぶ」のはサッチーだけにしてほしい。



2001年08月16日(木) 神様

 神様とは実に不公平なもので、既に地位や名誉にめぐまれてしあわせにくらしている人たちには、さらにその上にもといろいろのしあわせを送りとどけるが、貧乏なものには、ばちばかりあてる。──「橋のない川」(第三部)



2001年08月15日(水) 電話サポート

突然フォントに異常が発生、数種のゴシック体をのこしてワープロやインターネットで明朝フォントが使えなくなった。ゴシックで都合がわるいわけではないが気になるので電話サポートで問い合わせたら「何らかの障害でフォントが削除されたのでしょう」と懇切丁寧に復元の操作を教えてもらって無事に復活した。電話サポートはありがたい。



2001年08月14日(火) 青雲高校

 きのうの塚原青雲高校の名前には笑った。「青雲の志」を育てたいという校是はわかるがまるで野球マンガか線香屋の名前みたいだ。35年ぶりの出場だそうだから歴史のある学校だと思われるがわたしはこんな安直なネーミングは「ヤだねったらヤだね」。
 小泉さんが「熟慮中、熟慮中」と気を揉ませながら突然参拝し、その豹変の弁解に「口はひとつだが幸い耳は二つある」というレトリックを使ったのもおかしかった。
 みんなが思いつきで勝手に振る舞っている世の中だ。



2001年08月13日(月) 干天の慈雨

 午前4時、屋根をたたく雨音で目が覚める。このところ20日間ばかり日照りつづきで庭も畑もからからに乾いて砂漠状態だったのでまさに干天の慈雨。しかし10分もたたないうちに上がったので庭木に水を吸わせるほどにはならなかった。



2001年08月12日(日) 為末大

 きのうは決勝レースの時間がわからかったので放送開始から待ちつづけていたら結局12時ごろまでテレビに釘付けになってしまった。4位になった選手の追走をかわして銅メダルを獲得した為末選手の快走に拍手。思わず涙が出た。夜のテレビで両親の応援風景をレースにだぶらせて見せていたが母親が手で顔を覆って正視できないでいた様子が印象的だった。室伏選手といい為末選手といい世界最小というハンディを克服して偉業を達成した努力に敬意を表したい。



2001年08月11日(土) 小さい秋

 散歩の途上民家の庭の柿の木にまだ青いが赤ん坊のにぎりこぶし大の柿の実がなっているのを見た。畑のトウガラシも群生した実の一本が赤くいろづいている。小さい秋だ。



2001年08月10日(金) バックアップ

パソコンを三代目にした折、二代目の環境を移植するのにはフロッピーディスクしかなく大変苦労したのでWindows XP機を購入した場合はどうしようかなと案じていたらハードディスクをまるごとバックアップできるソフトがあることを知った。現在2.5ギガになっているファイルがCD-R5枚に収まって新機種に買い換えても現在の環境がそのまま移せるようになってひとまず安心だ。1時間20分もかかったのには驚いた。



2001年08月09日(木) 誕生日

 「夏休みの思い出」と題した小泉さんのメルマガがおもしろい。蝉やトンボの幼虫の脱皮を興味深く観察していた少年時代の思い出を語っているのだが「私は少年のころから変わるということに関心をもっていた」といういう意味の一節に思わず笑ってしまった。
 きょうは67歳の誕生日。もうこの年になると特別の感慨もない。風の吹くままに身をまかせている。子供たちから小遣いをもらって(ミニコンポをねだっていた)、老妻とビールを酌み交わしてささやかな誕生祝いだ。



2001年08月08日(水) スポンサー

 世界的なイベントのスポンサーになる日本企業は多いが、今度の世界陸上にも「SERIKO」「エプソン」「TDK」といったIT企業がデカデカと看板を出している。日本人として誇らしくもあるが時計やプリンターやカセットテープを買うときにわれわれも広告代を負担させられているのだろうなと思うと複雑な気持ちになる。



2001年08月07日(火) 室伏選手

 きのうの室伏君、第二投目に快記録を出したのでこれで優勝間違いなしと思っていたが夜のニュースで最終結果が銀メダルだったことを知って残念だった。それでも決勝に残った八人のうちではもっとも小さい選手だったという記事を見て室伏君の偉大さを再認識。スポーツの世界大会では日本人をはじめとしてアジア人種がなかなか上位に進出できないが室伏君に続く選手の出現を期待したいものだ。



2001年08月06日(月) 流汗淋漓

 気温は35度だが湿度が高いせいか体感温度はそれ以上。クーラーの利いた部屋で暑さをさけるのもいいが逆療法というわけで日盛りの中で芝を刈る。たちまちのうちに流汗淋漓、下着を通して作業着にまでしみ出してくる。終了後下着を絞ると汗一斗五升(ウソ)。苦しかったがこんな仕事ができるのも元気のうち。五体がかなわなくなって身動きできなくなる日も迫っている。



2001年08月05日(日) ラジオ体操

 今朝のラジオ体操は「1000万人ラジオ体操祭」としてテレビと同時放送。海老沢会長をはじめとしておエラ方も揃いのユニフォーム姿で登場。会場は長野運動公園だから前日泊の宿泊費や金目のユニフォーム代もみんな我々の視聴料からまかなわれるのだろうなヒガミながら体操をした。



2001年08月04日(土) 金持ち

 不道徳といえば、金持ちこそ不道徳を敢えてしているのだ。去年の冬,誠太郎がよこした長い手紙にも、およそ富豪とうたわれるほどの人たちは、残らず戦時における暴利によってその財をなしたのだと、るる、のべてあったではないか。もし他人を害し、他人に迷惑をかけることが法律的にも道徳的にも悪というなら、進吉を戦野に狩り出して死に至らしめた権力者や、戦時に巨富をなした財閥こそ、太陽の下に肩身を狭くすべきなのだ。──「橋のない川」(第二部)



2001年08月03日(金) 貧乏

 それにしても、全く妙である。貧しい生活だからとて誰に迷惑を及ぼすわけでもないのに、人はなぜ不道徳でも犯しているもののように、貧しいということで肩身の狭い思いをしなければならぬのだろうか。──「橋のない川」(第二部)



2001年08月02日(木) ナビダイヤル

 電話は市内市外ともNTT以外の会社とマイライン契約をしたのにNTTから料金を請求されたので色をなして問い合わせの電話を入れると「0570局番の電話を一回使用になっています。これはナビダイヤルといってNTT扱いとなります」と軽くいなされた。某社の製品サポートが0570番で一回ここを使っていたのだ。ダイヤルQ2やケータイもすべてNTTの収入になるというのは知らなかった。



2001年08月01日(水) 冷や汁

 きのうの「おもいッきりテレビ」で渡辺文雄が夏の食べ物として宮崎の郷土料理冷や汁を紹介したのをみのもんたが激賞、「おいしい、おいしい」とお代わりしていたが味噌を生のまま使ったのは邪道。オーブンなどで焦げ目をつけてから水で解くと香ばしさがいっそううまみを引き出す。死んだ母はすり鉢に味噌をうすく張って七輪にかぶせ炭火でこんがり焼いていたのを思い出す。


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