時々日刊たえ新聞
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2006年05月23日(火) Aさんを偲ぶ

5月17日午前中、仕事で利用者の家を訪問しお話をしている時、携帯電話が二度震えた。外に出ると急いで着信の相手Iさんに電話した。Iさんの声が暗い「今朝、Aさんがね」と言うのでピンと来た。Aさんが天に召されたのだと。寝込んでいたわけではなく、食べ物を喉に詰まらせての呼吸不全によるのだと言う。

Aさんは目が見えない。70歳前半の女性。先輩クリスチャン。わたしが出会ったときは50代後半だったと思う。それまで週報は(礼拝のプログラムや情報が載せられている印刷物)は、目の見えない人は、誰かに読んでもらうか、読まずに我慢していたと思う。Aさんは「盲人だって週報が欲しい」と声を上げた。それを後押ししてくれる教育担当牧師がいて、Aさんを講師にして、点字教室が教会で毎週開かれた。13−4年前のことだったろうか。Aさんは火曜日電話番として牧師室に詰める。教わりたい者は牧師室に三々五々集まり、Aさんから手ほどきを受ける。早く週報を打ちたいんだけど「週報を打つにはまだ早い」と留められた。実際に点訳を始めると「間違いが多い」と厳しい指導を受けた。Aさんにはまだ体力があり、わたしには今よりもっと根気があった。
一時は10名くらいが、Aさんから点字を習っていたと思う。ノンクリスチャンも大歓迎だった。ある年のクリスマス近い日、皆で食べ物を持ち寄り、クリスマス会をした。Aさんは大きなデコレーションケーキを持参してくれた。自分はあまり食べないけれど、皆に振舞うのが好きだったAさん。
Aさんは、プレゼントするのも好きだった。わたしの誕生日をちゃんと覚えていて電話を下さる。おしゃれなAさんの下さるプレゼントはブローチだったり、十字架が付いたネックレスだったりする。
電話で長話の常習だったAさん、必ず我が家のメンバーを一人ずつ誉めて下さる。あなたの家族はどれだけ素晴らしいか、あなたはどれだけ幸せか、毎回諭された。
やはり目が見えなくて、Aさんと親しかったYさん。「Aさんの電話を迷惑だって思っていたけれど、もう電話がかかって来ないと思うととても淋しい」と切なそうに語る。「次はわたしの番だね」と言うので「わたしの方が先かもしれないでしょ!?」と笑って言う。Yさんが先だったら、わたしが弔辞を読む、わたしが先だったらYさんが弔辞を読む、という口約束をする。Yさんは何だかんだ言って弔辞から逃れるかもしれないなぁ。(笑)Aさんのことを語る時、わたしたちはすぐに天国の話になってしまう。


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