体以上にココロが疲れている気がするこの頃… そういや、しばらく美術館にも足を運んでないなぁと気付いた。 今どこで何をやってるかも知らないくらいだから、 ほんとに疎くなっている。 まだ映画館のほうが行くくらいだもんなぁ。 それもほとんど行かないけど。 本も読むようにはなったけど、これも学生時代ほど読むわけじゃない。 どんどん引き出しは錆び付き、感性鈍ってくような…(。。)
映画はどうしても作り手の波に揺すぶられて、あっちへさらわれ、 こっちへ漂い…な、作品によってはジェットコースター的な楽しみ なんだけど、絵を見るのは、その時の自分がものすごく出てしまうように 思います。 からっぽな時に見たら…やっぱりのみ込まれて終わるんだろうか?
その時の自分の心象風景にぴったりの絵に出逢った時って、実はそう ないんだけど、あれは沁み入るね。 描き手が何を意図して描いたとかはまったく関係なく、 だからたぶん、向こうがドアを叩いたというよりは、 自分から開いちゃった状態なんだろうけど。 ああいうのも『出逢い』よね。 こっちから心を開いた出逢い(笑) 向うから激しくノックされるのは、音楽に多いですが。 いや、音楽の場合は、ノックされるどころか、 心臓わしづかみという表現のほうが近かったりもするですが。
昔はこむずかしいこと考えて、絵の見方すらわかんなくなって、 混乱してたこともあったんですが、別に評論家じゃなし、 自分のその時の状態で向き合えばいいんじゃんと気付いてからは そーゆー『出逢い』を求めるようになりました。 ヘタに自分が描き手の立場だといろいろ考えちゃうけど、一歩離れると 気が楽になるってことかも(^^;
心臓わしづかみの音楽は、ひたすら作り手に敬服ですが、自分から 歩みよれる絵画なら、穏やかに接してられるし。 いや、精神状態によってはバッドトリップなんぞもあるんかも 知れませんが、今んとこそーゆー経験はないしね。
なぜかいきなり語ってみた。 オタクでなく(笑)
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