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■ 戦争報道。
日テレの深夜番組で、イラク戦争についての報道のあり方についての番組が放送されました。
内容としては、主に伝える側のあり方。 報道というものの姿勢。 あの時流した映像や情報は、正しかったのか。 ……等。 だったと思います。 主に議論されていたのは、ジャーナリストが攻撃を受けた、あの映像。 あれについてだったと思う。 攻撃される側・する側の、情報の使い方も話されていたけど、主だったのはそれだと思う。 賛否あるいは意見を、それを撮影した人、編集した人、TVで伝えた人等、それぞれの立場から出し合っていた。
それはいい。
アタシが気になったのは、実を言えばソコじゃない。
報道の人間が、目の前で起こった出来事をあるがままに伝えようとするのは当たり前だし、それこそが彼らの仕事であり、大仰にいえば使命だと思う。 そして今回、それは戦争の現場だった。 伝えようとその場に赴いた人間が、自分の見たことを、見たままに伝えようとするのは正しいことじゃないのか? その後、どんな風に取捨選択が行われたとしても、それはその人達にとってはある意味“しょうがない”ことだ。 判断材料を提供する立場としての責任はあったとしても、他人が選び、更に見ず知らずの不特定多数が判断したことについてまで、伝えようとした人間に責任はないと思う。
で。何が気になったのかというと。
深夜にも関わらず、生放送だった番組に寄せられた視聴者のメッセージだった。 『報道するだけしておいて、その事柄に対する善悪の判断を視聴者に任せるのは無責任だ』 たしかそんな内容だったと思う。 それを聞いた瞬間、アタシは自分の耳を疑った。 上の発言をした29歳の男性は、自分で判断することを放棄したと、私はそう感じた。 自分の目で見た出来事を、その人は自分では判断出来ないといった。 与えられた情報の善悪或いは成否に対する判断と、それに付随する責任を、彼は他人の中にのみ求めた。 そう、認識してしまった。 アタシは、そんな人間とは付き合いたくない。 そんなことを公言して憚らない人間は、きっと何事に対しても自分で責任をとろうとはしないと思うからだ。 それどころか、TVや雑誌・ネット等で得た情報を、疑う事無く正しいと信じ、他人にもそれを強制しかねない。 その挙句、不都合が生じたらきっと言う。 『だって。そう言ってた』『そう書いてあった』 理由もなく、根拠もなく、垂れ流される情報をただ横流しにしておいて、自分が困ったら他人のせい? ふざけんじゃないわよ。 他人の努力の上っ面だけ利用して、都合が悪くなったら自分は関係ありませんなんて、そんなことが通用するのは今のこの国ぐらいだわよ。
そんな意見をわざわざ読み上げるってことは、似たようなことを書いてきた人間が一人や二人じゃなかったってことだと思うと、ますますぞっとする。
だから政府はどんどん訳分かんない理由つけてかってに国民を管理しようとするんだ。そして、『善良な一般市民』は知らず知らずのうちに管理されることに慣れて、自分で考えることをしなくなっていくに違いない。
これは、一つのきっかけだ。 少なくとも、アタシにとってこの番組は切っ掛けになり得るし、しようと思う。 ここにこうして書いた以上、しなければならないとも思う。
疑うことは罪悪ではないのだと、フィクションの世界の少女が言った。 確かにそのとおりだと、今アタシは改めて思ったのだから。
2003年05月11日(日)
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