だだ争論

だだの日記

2002年09月24日(火) うまく説明できないけど…

自分で言うのもなんだが、最近、極めてソウな状態である。
何をしてても楽しくてしょうがない。
精神的にすべてが満たされている感じ。
この感覚というものは今まで経験したことのないもので、
自分でも笑ってしまう。

この状態を口で説明するのは難しい。
でも、相対的に見るならば、この日記の履歴が役立つ。
8月を境に随分と記述が変わった。客観的にそう思える。


昨日から、このことばかりを考えていた。
今の自分を満たしているこの感覚は何なんだろう?


きっかけはあった。あの時だ。
あの北アルプスに行った時。
この話は9/1にも書いた。
星野道夫の言葉を借りて、「もうひとつの時間が流れていることを
心の片隅に意識できるようになった」と表現した。
今でも的を射た表現だと思ってる。
あの日々からずっと過ごすのが楽になった。


このことは自分にとってエポックメイキングな出来事であって、
会う人会う人に話したくてしょうがなかった。
でも、誰も相手にしてくれなかった。鼻で笑われるだけ。
全然理解してもらえなかった。「だだがなんか言ってるよ」ってな感じで。

ちょっと悲しかったけど、しょうがないと割り切った。
誰にでもわかってもらえるとは思ってなかった。
わかる人にわかってもらえればいい。
実際に僕はそう感じたのであるし、他人うんぬんの話ではない。
だからもう人に話すのはやめることにした。
ここの日記を含め、自分の言動で僕の意識が変わったことを
感じてもらえれば充分であった。

とは思うものの、やっぱり悔しい。うまくこの想いを伝えたい。
そんなことを考えているときに、ふと気付いてしまった。
これって「スティル・ライフ」ではないか。

池澤夏樹の芥川賞受賞作。その冒頭にこうある。
「外に並び立つ世界と自分の内側にある広大な世界。
大事なのはこの二つの世界の間に連絡をつけること。
呼応と調和をはかることだ。たとえば、星を見るとかして」


僕が北アルプスで体験してきたこと、
それ以来得られている感覚というのはこのことではないか。
僕自身と外の世界とに連絡が取れている、呼応と調和がはかれている。
だからこそ「毎日を過ごすのが楽になり」、「水の味がわかり」、
「心の力をよけいなことに使う必要がなくなっ」たのだと思う。
まさか、ここでこう「スティル・ライフ」につながるとは思わなかった。

星野道夫と池澤夏樹がここで明確につながった、と思った。


「スティル・ライフ」は深呼吸をする感覚で楽しめる小説だ。
深呼吸は息を吸い込みながら空気が体内に入り込んでいくのを感じられる。
それと同じように、言葉が心のなかに染み込んでいくのを感じながら
読めるのが楽しい。
空気を味わうように言葉のひとつひとつを味わう。

この作品はもう何回も読んだ。
読むたびごとに違ったことを感じ、新しい発見に驚く。
まるで自分が成長していくにつれて、この小説も成長していくような感じ。
あるいは、自分の心象を投影しているよう。

僕はまだまだ未熟者。
一人前になるためにはまだまだ成長していかなければならない。
それはつまり、この小説の可能性も無限大ということだ。


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