あっちゃん様バースデイイヴ。(なのに暗い。ごめん) - 2007年03月06日(火) 春になれば想い出す、遥かな声、冷えた雨。 替え歌です。 何だろうなあと、実は日々、考えて過ごしています。 めっきりここに出てこなくなったから、いろいろ揣摩臆測飛んでそうで何も言えなかった訳ですが。 最近の私の小咄(小説とは自分の中で呼べない長さだ)は、一体どうなんだろうと、自分を客観視できなくなっています。 あ、あっちゃん様バースデイイヴですが、そんで気持ちも身体も忙しいので、2〜3日遅れるかと思いますが、お誕生日小咄をアップする予定です。 まあ、それは置いておいて。(アップしてから言えって話だ) 『紫能さんの引き出しにこういうのがあるんだと驚きでした』 これは、私の中で最近最も影響力を持った『感想』でした。 【涙、或いは殉教者】に貰った感想です。 アレは、私のカラーではなかったのか? 私のカラー、そんなものを決めていたわけではなかったけれど(だって私ギャグもリリカルもドシリアスもやるオールマイティーを目指しているので)、私のカラーで、ちょいシリアス。 自分の中では当初、そういう位置づけかなあとぼんやり考えました。 何が違っただろう? それが何だか随分、頭の中を占めました。 私の切っ先は鈍ったか? 磨こうと思っている切っ先は、どこかのぬるま湯の中で、鈍ったのか? それとも、磨き続けてきた───と、私は一応思っている───切っ先に、新たな刃が加わったのか? 解らないなあ、と考えます。 私は壮大な勘違いをしているか?とか。 書きたい、書ける、書こう。 それが私の全てです。 それが無い自分を想像できないなあ、そんな風に、全てです。 そして、人様にお見せするならば、それなりのクオリティを。 『自分基準』というのがあって、それをクリアできないと思うものは、殺します。100P書いていても。 私は成長したか? それとも、後退したか? 或いは、何かちょっと違う感じに生まれ変わったか? 恐怖のような感情で、そう考えます。 前に進めない、過去の栄光に取り縋る真似はしたくない。 昔はどんなものを書いていたとしても、『今』それに劣るようじゃ、意味は無い。 上へ、上へ、上へ。 立ち位置じゃない、『自分基準』で。 『一番厳しいのは、ご自分の目なんですね』と言われた事があります。最近。 『人様にお見せできない』と自分で判断した場合、それはもう一度生み直す為のストックになるか、デッドストックとして縊り殺すか。 二者択一。 デッドオアアライヴ。 ───そんな大したモン書いたかよ、お前が、と思う方は、鼻で笑ってくださって結構です。 生んだんだから、愛してやりたい。 それは、自分の書いたものに対する共通の認識です。 誰にも愛されない可能性がある、だから生んだ私だけは、動かしているキャラクターを愛そうと。 生んだキャラクターを愛そうと、そう思っています。 生んだ話を愛してやるのは、もしかして世界で私だけ。 『生んだ』ら、そう思います。いつもいつもいつも。 でもその反面で、生んだは良いけど私の眼鏡に適わなかったモノは、縊り殺す。 そうやって、今まで一体何本殺してきたのだろう。 殺すたびに私は、前に進んでいるか? 殺した代償に、ちゃんと前に進んでいるか? 自問自答は、何処までも何処までも続きます。 昔の本を見て、『今なら全部書き直すね』と思う。話の展開が早すぎるとか、ボキャブラリーが相応しくないとか、自分でいろいろ突っ込みを入れます。全部真っ赤に添削して、焼き直して生み直したい。 そのときGOを出した話たちは、『その時』の私の眼鏡には適ったけれども、今はもっと、と思うのは、進んだ証拠ですか。 それとも、昔の話に固執するのは、同じ視点ではもう生めないと思う、ちょっとした絶望からですか。 その判断が今、出来ません。 いろいろと失格だ、と思います。 書きたい話がある。 それはとても長い話だ。 もう、キャラクターは出来上がっている。 大筋も大体決まってる。 でも、『長いから、また時間のあるとき、今度』と思ってしまうのは、逃げ以外の何物でもないと思ってしまうのは、ただの焦燥ですか。 『今度』がいつ来るのか。 それは、今『書く』という、自分の中で譲れないと思ってる部分が、何だかへこたれてる気がするから、それへの自己弁護ですか。 朱に交われば紅くなるといいます。 私が『キツイ』と感じる空気を拒絶してしまうのは、逃げでしょう。 幸せだと思う、口々にそれを言う人々、それを憧憬を持って眺めながら、明らかに僻んでいる自分がいる。 彼女らは、山女で、岩魚。 私はその清流に棲めない雑魚。 その清流の中で、身体の中に流し込まれた清水は、まるで毒。 『お友達になりましょう、貴女に会いたかった』 その一言を、素直に、本気で言える、私の『友人』。 私も子供の頃、まだ自分に自信があって、自分の可能性と何より『自分』を信じていた頃、そうしたことがあった。 この人と、友人になりたい。 この人の友人と呼ばれたい。 そうして私は、掌を握って、にっこり笑っていた。 それを、私と同じ年で、今になっても、本気で実行できる友人。 『───冗談、でしょ?』 私の思うことは、一番にそれだった。 学生時代から、そうなっていた。捻じくれて、そういう風に思うようになった。 まあ、人間不信だ。 でも、彼女たちは、それを本気で。 清流の中の雑魚は、眩しくて潰れそうです。 でも、綺麗な水に憧れる。 その水に棲みたいと思って、願って、そして何だか、壊れていく気がする。 私が、もっと本気で、彼女の手を握っていたなら。 何か、変わっただろうか。 私は変わらないけれど、何かが、変わっただろうか。 人を喜ばせることに命を賭けている友人が、ボランティアで、外国に行ってしまう。 貴女が、いつも幸せでありますように。 そんなメッセージを添えて、本当は水晶が良かったんだけど無くて(…)、アメジストのネックレスを贈った(ちなみに4℃←どうでもいい情報)。 この気持ちに嘘偽りは無い。 貴女が、いつも幸せでありますように。 そう祈る友人は、彼女の他にも、もちろん居る。 貴女が私を『友人』だと思わなくなっても、私は貴女の幸せを、祈る。 そんな『友人』たちに出会えたことは、私にとって幸運で、得難くて、何もかもに満ち足りる。 私が『キレイだなあ』と思わない人は、友人としてカテゴライズしていない。出来ない、といって過言でない。 自分の道を行く『友人』たちを、キレイだなあ、と思う。 キレイで、眩しくて、そして私はその『友人』たちに嫌われはしないかと、ただ臆病になる。 ───ただ臆病な人間を、誰が好いてくれるだろう。 前へ行け、その為に何も惜しむな。 その為に、守りに入るな。 太くて硬い芯を、自分の中に持て。 その自己暗示は、成功しないまま、こうやってただ愚痴を吐き散らかすだけの生き物になっていることが、哀しい。 頭を垂れて、びくびくと怯えて、ただ命を消費する自分が、哀しい。 そんな風に、なりたかったなあ。 まるで自分が『終わって』いるかのような言葉が、異色だったのでしょうか。 私は今、何処に居るんでしょうか。 固い殻がある、天まで届きそうな壁がある。 自分の中にそれを感じるけれど、感じるからこそ、砕いて、超えて、前へ行きたい。 言うだけならタダだよ、と自嘲気味に、できる限り思わないように。 春だから、お別れなんです。 そう年輪を重ねるごとに身に沁みてしまう、春。 憑かれるようにして書いていた頃を、思い出せ。 それは私の一部だったはずだから。 ごまかすな、何もかもごまかすな。 そう思い込むには、キツイ季節です。 焦燥感と漠然とした喪失感、その中でじわじわと腐る自分。 だから、頑張らなくていいよ。 先日友人が私に言ってくれた言葉です。 焦らなくていいよ、頑張らなくていいよ。 その優しい言葉に解けてしまいそうな自分を嫌悪することは、自分を追い込むことに他ならないのに。 私は、世界に参加していますか? 漠然と、はっきりと、考える、そんな、春。 季節のせいにしちゃダメだけど。 -
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