★ 夏海の日記 ★

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2015年10月16日(金) 『尊厳死』だってさ

この記事を やっと読むことができました。  
(真夜中に 何やってんだか 笑)

安楽死・尊厳死を認める「死ぬ権利」法が成立 カトリックのカリフォルニア州知事はどう決断したのか

どうしたら『自殺』ではなく『合法的』に見えるように死ぬことができるのか?を ずっと考え続けて来た私が思うんだけれど、

自殺か 自殺じゃないかって、本人の意識に過ぎなくて、
「これって 『合法的』よね」 って信じることができるのならば、それは『自殺』ではなくて、
それを 本当に信じ切れて 心安らかに死ぬことがでるのであれば、この法律は有効的な法律かも知れないなって思う。
(そうは思えない私には無理だけれど。)

人の死って 誰かが決めるものじゃなくて、
自分が求めて生命を終えるのは、全部自殺だって私は思うの。

例えば、見かけは病気が悪化しただけ だけれど、それは本人が自ら進んで 悪化させることを望んで、
運が良かったら死ねるかも?って願って悪化させたのであれば、見かけ上は『病死』だけれど、まんまと望みどおりに死ねた『自殺』だと思うのね。

例えば、見かけは登山中の事故であっても、運が良かったら死ねるかも?って思いながら危険な計画や危険な場所に進んで行っていたとしたら、
安全対策を全く考えない無防備な登山計画を わざと立てていたとしたら、
滑落事故だったり、雪山遭難だったり、滝から落ちることだったり、そんな『見かけ上』は事故だったとしても、それは まんまと自殺出来たって ラッキーな出来事だと覆う。

自殺者は 天国じゃなくてどこへ行く?
自殺者は 浮かばれない。

『死にたい』と思って それを成し遂げた人は、さて どっちに分類して貰えるんだろうね?って思うの。
実は ちょっと笑っちゃう。

死んじゃってから、あれあれ〜 自殺と変わりないぞ〜ってなるのか、
自殺しちゃっても、合法的に死んじゃった人と同じ道を行くのかって、
死んで見ないと分からないわけじゃん?

それは 誰かに聞ける問題じゃないし、
結局 生きている側の問題なんじゃないかなって思う。

あとちょっとで死ねたのに、ちょっと早く終わりを操作して、心安らかに死んでみても、
死んでみたら 、自殺も他殺も自然死も全部同じだってのかも知れないし、
逆に 「あんたさん 『自殺』でっせ。はい 残念!」ってなって、あと半年我慢すれば良かったえーってなるかも知れない。
死後の世界って 生きている者に操作できない世界だもんね。
誰にも分からないこと なんだよね。

だから結局、
自殺幇助(ほうじょ)って罪があって、自殺するのを助けることは 殺人になるから、
生き残った人が罪を被らなくても良いようにって 『尊厳死』って法律が制定されないといけないんだよね?って私は思ったんだけど。

これは 『合法的』であって、死にたい人の手助けをしたのではない。
これは 『合法的』な『尊厳死』であって、自殺ではない。

それを 法律で定めて 『罪』ではないよってシステムができただけ なんだと思うな。。。

ねえ?

昔の日本に存在した 切腹ってシステムは 自殺だと思う?尊厳死だと思う?
昔の日本に存在した 特攻ってのは、自殺だと思う?
世界中で起こっている 自爆テロは、自殺だと思う?

危険地帯だよって言われている外国にわざと行って 殺されるのは 自殺だと思う?
地雷除去のボランティアに行って、そう意識してわざと爆死するのって、自殺だと思う?
感染病が蔓延している場所へ行って、看護ボランティアをしていて、運よく感染して死ぬのって、自殺だと思う?

私に関して言えば、死ななくてはいけない理由が 外側(自分以外)にあるのか 内側(自分)にあるのかの違いがあるだけで、全部自殺だと思うんだけれど。

23:31:22


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