★ 夏海の日記 ★

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2008年02月25日(月) 死んだ気持ち

転校したら、私は死んだも同然。
学校を卒業したら、私は死んだも同然。
会社を辞めたら、私は死んだも同然。

だって、『彼ら』の日常には、もう私はいないのだから。



いつから そんな風に思うようになったんだろうって。
転校を何度も経験して、
その当時携帯電話なんざなく、何ヶ月かは手紙のやり取りをして、
そして。
いつか 返事が来なくなり、私は忘れ去られる。
彼らには 彼らの日常があり、
過去、そこで一緒に笑っていた私は もういない。
彼らにとっては、日常にいない私という存在は、死んだ人と同じ。

私というものの 存在意義は?
私の心は まだそこにいて、みんなのことをちゃんと覚えているのに。

みんなが笑っているところを 少し上の場所から見ている。
私からは見えているのに、みんなには見えない。
私の声は、みんなの耳には届かず、
確かに みんなが そこにいるのに、手が届かない。
寂しい.....。



転校 転校の 子供時代が、私にそういう風に思わせるようになったんだって思ってました。
あづまさんからの返事と、あづまさんが『師匠』と仰ってらっしゃる方『矢野惣一』さんのメルマガを読み始め、
彼のHPを少し読んで、
http://imagework.at.infoseek.co.jp/yuseinohosoku.html
どれを読んだ時だったのかな?(今、探してみましたが、見当たりませんでした。)
簿記が終わった もう勉強しなくても良いとゆるんだ脳みそが やっと気が付きました。

「あれれ?転校している子供みんなが、『自分は死んだも同然だ』とは思っちゃいないぞ?
 じゃぁ、なぜ、私は 死んだも同然だと思うようになったんだ?
 死んだも同然だという失望感を なぜ小学生の頃から持っていたんだ?」


そしてハッとした。
私のルーツは、転校続きの小学生にはなく、赤ちゃんの頃からあったんじゃなかったのかい?

私は 3つの家庭を転々として過ごした。
一つは 自分の家。
    父親の兄弟姉妹と祖父母とイトコと妹と弟の大家族。
一つは 祖父母の家。
    母の兄弟姉妹、そしてイトコ。
一つは 母の姉夫婦の家。
    母の姉夫婦と義伯父の姉?夫婦とその娘たち3人。爺婆と100歳ばあちゃんと。

私は 3つの家庭を転々として過ごした。
自分の意思とは 関係なく。

その家庭に少し慣れた頃、別の家庭へ連れて行かれる。
前に住んでいた家庭では、『日常』が続き、そこに私はいない。
私に新しい『日常』が与えられ、そこには違う『日常』で過ごしていた人たちが住んでいる。
彼らは私がいてもいなくても いつもと変わらない『日常』を過ごしている。
私だけが、それぞれの家庭の『日常』に突然投入されるだけで。

私は どこの家庭でも『異星人』で『旅人』だった。
そして 以前の日常から私は抹殺され、連れ去られるたびに、私は殺されていた。
毎回 毎回 何度も 何度も

私は生まれた時から、死んだ気持ちを味わっていたのかも知れない。
私の孤独のルーツは、生まれた時に始まったのかも知れない。

このおもちゃは、私のものであって、私のものじゃない。
次の家に行けば、そこにはそこで与えられた『私の物』があり、
次の家に行けば、また違う『私の物』がある。
履いている靴も、洋服も、帽子も....。
私は その家に合った私になり、その家の『日常』の一部になる。

こうやって書いていると、よく私が多重人格者にならなかったものだと その奇跡に感謝するよ。

どの家が私の『日常』で、どの私が 本当の『わたし』なのか?
大人の真意を 本心を言葉から翻訳し、他人の『日常』を上手に泳ぎ、幼時期を過ごし、
そして、次に転校 転校の 学生時代を過ごす。

私は今まで どの家にいても 自分の家だと思って心から護られていると安心して過ごした記憶がない。
蟹さんに出会うまで、この人は 何があっても私を裏切ならないと思って過ごしたことはなかった。
この『時』が これからも続くとは 思えなかった。
いつも いつ 『その時』が来るんだろう?と思っていた。
それは、いつも突然やってくる『転校』のせいだと思っていた。

『転校』は いつも突然やって来た。
台風が来る 周囲がその備えをしている日に。
少年スポーツ団のバレーの試合にも出られなかった。
春休みが終わって新学期が始まったら、みんなと同じように剣道を始めるんだ。(願いは叶わなかった。)
体育大会を『部外者』として見に行った。
そこには 私が出た後に転校して来た見知らぬ男の子がいた。
塾に入って目標にしていた高校に、そして決めていた大学へ行くという計画も消えた。
テニスの試合にも出られなかった。
『生徒』ではない部外者として、私が出るはずだった試合を応援した。
好きだった男の子に好きだと言う前に転校してしまった。
転校元で仲良しだった男の子がバイクの事故で死んでしまった。
本当は 死んでいるのかいないのか いづれにしても 私には判らない。

いつも私は『部外者』で『よそ者』だった。


そしてその最初の転校以前の幼児期には、ある日突然訪ねて来る3家庭の家の誰かに連れられて その家へ行った。
いついつに ではなく、
ある日突然にやって来る誰かによって、私の日常のスイッチが切り替わる。
「お姉ちゃんが 行くって言うから...」と母には言われたが、
0〜4歳までの幼児に、迎えに来てくれた誰かに向かって「嫌」と言える選択権などあったのか?

http://archive.mag2.com/0000129794/20080215000000000.html

このメルマガには、『カウンセリングは癒し』と題して、
癒しの要素とは 何か? が書いてあります。

そしてバックナンバーの紹介に、『人は、癒しなしでは、生きていけない』と書いてありました。
『癒されてからでないと、人は変化・成長することができない』と。
http://archive.mag2.com/0000129794/20080207000000001.html

以下 上記URLのバックナンバーからの転記です 


「私のことを見守ってくれている人がいる」

「私の話を真剣に聴いてくれる人がいる」

「私に寄り添ってくれる人がいる」

↓    ↓     ↓

「それって、わたしには、それだけの価値があるってことだ!」

これが癒しです。

     他者から認めてもらえたことで、
     人は自分の価値に気づき、

     自分の価値に気づくことで、
     その価値に見合った自分になろうとします。


このように癒しは、他者からの承認によって、引き起こされます。

− ここまで −
 

ならば、私は一度も癒されたことなどない。
私には 生きる価値などないと思いながら生きてきた。

私が私に生きても良いと許可してからまだ10年も経たない。
もしかしたら、まだ5年ほどしか経っていないかも知れない。

私には 価値などあるのか?
誰かの役に立っていない時であっても?

私は まだ 誰も心から信用していないのかも知れない。
『ある日』が突然やって来て、私はまた彼らの日常から消え去るのかもしれないと恐れているのかも知れない。

かも知れない?
『かも知れない』ではなく、きっと今でも恐れているんだと思う。
『信用』し続けるに値することなど、まだ何もないのだから。
蟹さんですら、彼の『日常』は東京にあり、
電話で声を聞いている時でさえ、電話先の彼の意識の全ては私のものではない。


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