★ 夏海の日記 ★

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2007年12月26日(水) 脳死は人の死?

脳死状態で長期間経過した人の生命維持装置を外し、
みんなで心臓が止まるのを見守っていたとニュースで流れた。
これは倫理に反すると何だかワカラナイ偉いヒトが言った。
介護疲れにより、人の死を助長しないか?が理由らしい。

ねえ?
脳死はヒトの死として、臓器移植対象になるんじゃなかったっけ?
臓器移植の為には生命維持装置を外すのはOKで、
何年も脳死状態で介護しなきゃ生きていられない人の生命維持装置を外すのは倫理に反すると言うの?

祖母は脳死だった。
心臓がベラボウに強かったので、栄養を点滴で入れ、呼吸器を付けて1ヶ月以上生きた。
それはそれは大変な生活で、
私は祖母な葬式後、パニック状態になり、ウツと診断された。


偉いヒトは、その辛さ、大変さを経験したのか?
どれくらいのお金がかかり、
どれくらいの労力が必要か知っているのか?
仕事を休まなくてはならなかったりして、お金の工面が大変だと知っているのか?
何年も脳死である以上、生き返る可能性は、ほとんどなく、
死を待つだけに、莫大な労力が必要だと『実感』しているのか?

脳死は人の死か?
脳死が人の死ではなく、あくまで生きさせ続けろと言うなら、臓器移植など止めちまえ!!

その選択をしなくてはいけなかった遺族を尊重できないのであれば。



情報元 : CHUNICHI Web

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http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007122302074348.html

>> 長期脳死女性の延命中止 秋田の病院 「死期迫らぬ中」異例
>> 2007年12月23日 朝刊

>>  頭のけがが原因で約半年間「長期脳死」の状態だった40代の女性患者について、秋田赤十字病院(秋田市、宮下正弘院長)が2006年3月、病院の倫理委員会の承認を得て人工呼吸器を含む延命治療を中止していたことが分かった。中止を希望した家族も立ち会い、女性は間もなく亡くなった。

>>  病院側は「臨床的脳死判定をし、院内全体で議論した結果」としており、日本救急医学会が今年10月にまとめた終末期医療に関する指針にも合致する対応だが、脳死後も長期間心停止にならず「死期が差し迫ったとはいえない」(同病院)状態での中止は極めて異例。

>>  呼吸器外しのように患者の死に直結する中止行為をめぐっては「生命の切り捨て」との批判もあり、議論を呼びそうだ。

>>  病院によると、女性は05年9月に転落事故による頭部外傷で入院、集中治療を受けたが、血圧が下がり瞳孔も散大した。

>>  脳死移植時の法的脳死判定とほぼ同じ基準で行われる臨床的脳死判定で脳死とされた。

>>  家族は当初、治療継続を希望。病院側は栄養や水分補給、呼吸器のほか、ホルモン補充療法などを実施。約2カ月後の再判定でも変化はなく、コンピューター断層撮影(CT)でも脳全体の壊死(えし)が確認された。

>>  治療方針について家族の気持ちは揺れることもあったが、06年2月ごろには「そろそろ見送ってあげたい。呼吸器も含め中止してほしい」と固まった。

>>  延命治療に対する患者意思を記した文書などはなかった。

>>  病院側は「家族の気持ちに応えるため、病院全体で手順を踏むことが大切だ」(宮下院長)と考え、3月に院長や事務部長、看護部長らによる倫理委員会を開催。審議の結果「家族の理解が十分であれば、延命治療の中止に呼吸器を含めることは是認できる」と中止を承認した。

>>  これを受け、家族に中止の希望を書面で提出してもらった上で最終的に宮下院長が決断、家族が見守る中で治療を中止し女性は約20分後に亡くなった。

>>  心停止後、生前の意思に基づき腎臓と眼球は移植に使われた。

>>  臨床的脳死判定は、患者に負担の大きい無呼吸テストをしないが、同病院は06年9月、より厳格に判断するため「呼吸器外しは無呼吸テストも含め脳死と判定された場合に限る」との指針を策定。

>>  その後、同様のケースはないという。

>>  ■市民団体「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」の清水昭美事務局長の話…患者の意思が分からない時に家族の判断で生命を左右してはならない。患者の元気なころの意思表示があってさえ治療中止は慎重に考えなければならないのに、それを家族の意思に委ねてしまうのは大変危険だ。家族が決められるという一歩を踏み出してしまえばやがては長期の意識障害の患者や家族の負担になる障害者にも生きることをあきらめてもらおうという、命を粗末にする社会につながるだろう。


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