★ 夏海の日記 ★

目次前の日次の日


2007年03月25日(日) かの人にも 『時が来た』

2007年3月25日 23:51

BENから久し振りに電話があった。

『一瞬で自分を変える方法』をお勧めし、
長ーーく返事がなく、
久し振りに先週メールが来て、そのメールに返事を返して・・・
それに対して返事はなく、気にしてはいなかったんだけど、
気が付いたら、電話があった。
teaに「あ、BENから電話が来てた」って言ったら、
「まだ早いから、電話してみたら?」って言われ、電話してみた。

・・・・実は金曜日、自殺未遂したんです。

正直、しまったって思った。
今の私の精神状態で、大丈夫か?って思ったけど、
ま、ダメならteaがいるかーって思い、話を聞き始めた。
金曜日の昼過ぎ、睡眠薬を飲んだ。
眠るつもりが、動きだして、電車に乗って名古屋駅に行き、
ケーキを買い、帰って来る途中の駅で降り、ショッピングモールに行き、
スタバでコーヒーを2つ買い、歩いて帰ったようだ。
レシートを見ると、買っているようだが、お金を払った記憶がない。
そのほとんどの記憶がないまま、商品とレシートだけ手元にあり、
推理してみたら、こんな感じに移動していたようだと話をされた。
土曜日首を吊った。
死ぬ一歩手前までいったけれど、苦しくて、結局死ななかった。

うーん・・・。
買った商品があると言うことは、朦朧としている自分を見て、覚えている人がいる。
それはを遡っていくべきなのか?

無事に帰って来たんだから、別に良いんじゃない?
お金を払わないと商品もレシートも貰えないんだし、
それがあるってことは、ちゃんと支払ってるんだから、
別に一日をトレースしなくても良いんじゃない?って答えました。

死ぬ一歩手前に行って、考えたんだって。
自分は何もしていないって。



2007年3月26日 9:22

上に兄がいるBENは、母親が女の子が欲しかったらしく、
女の子のように育てられたのだそうな。
髪の毛は長く、スカートを履かなかっただけで、外見は女の子で、よく女の子と間違われていたのだと。
ピアノを習い、全て母親と父親の言うがまま過ごしてここまで来たと。
自分が家を出ていた頃、兄がプチ引きこもりをしていて
(アルバイトはしていたらしいんだけど、私の世代では、フリーターはまだメジャーではなかったの)
成人した息子が定職に付かないことは、母親には耐えられず、
その当時は家族崩壊の危機にあり、
自分が兄を引きずり出し、自分ちに住ませ、仕事の世話をしたのだと教えてくれた。
兄が就職した後、部屋を出ていけと言えず、(部屋を追い出すと実家に舞い戻ると危ぶんだらしい)
結局自分の家財道具一式置いて、自分が出て行ったのだと。
そのこと(背景など)を当時の彼女は理解できず、酷い別れ方をした。
でも、それを言ったところで、あんたが勝手にやったことでしょ?と言われるに決まっていると。
私たちは、お願いなどしていない。
それはあんたが勝手にやったことだと。
でも言いたいのだと。


ここまでの会話は、前回までと同じだった。
そして私が掛けた言葉も同じだと思う。

「うん。そう言われるだろうね。」

そして、多分前回と同じ言葉をつなげた。

私は家族の中で異質だった。
5人家族の中で私だけが血の繋がった他人だった。
どれだけ説明してめ、理解して貰えなかった。
だから私がおかしいのだと思った。
でも違っていた。
本当は、私と家族が、住む世界が違っていて、
いくら日本語で説明したところで、通じなかったのだと。
なぜなら、世界が違っていたのだからと。

出発点ですでに違っている人にいくら説明したところで、
どれだけ努力をしても、理解して貰うのは無理だと気が付いた。
一人だけが異質という環境の中で生活すると、狂うよ。
早く家を出なさい と。



2007年3月26日 22:40

前回話をした時には、自分の頭の中に不満をいっぱい抱えていて、
私の言葉は弾き返された。
昨日はと言うと、BENは自分でその真理に すでに辿り着いていた。

彼女は他人だから判り合えなかった。
所詮他人だから仕方がないと思った。
でも、生まれてからずっと一緒に暮らしている家族が判り合えないとは思ってもいなかった。
でも、これこそが真実なのだと解ったと。


前に会った時に、BENが言った、
「学校を辞めさせて貰えなかった」の言葉に、teaが噛み付いた言葉があります。
キツイようだけど、辞めない選択をしたのはBEN本人だ と。
本気で辞めたいなら、辞めることはできた。
学校にさえ行かなかったら、辞めることなんて簡単にできる。
それをしなかったのは、辞めない選択をしたのは、BENであると。

昨日、BENは言いました。
自分は今まで奨められた道を歩いて来た。
自分で資料や情報やら何かを集めたこともなく、
自分で何かを選び取ったこともなかった。
でも、選択しないことを選択していたんだって。

凄いところに辿り着いたもんだなって思った。
自分の過去と真正面から向き合うのは怖い。
過去の自分を否定する行為は、とてもとても怖い。
BENは蒲団の中でのたうちまわり、それをなし遂げた。
内臓の痛みに耐え、死ぬかもと思い、
無力で勝手な親の存在に気が付いた。
自分の人生を、この親の為に無くしてしまうのは勿体ないことに気が付いた。

そうしたら、生まれて初めてやりたいことができたのだそうな。
○○まで何年。
○○できるまでに何年。
そう考えたら、私は結構長生きするかもと笑った。
金曜日に死にかけた人が。


自殺未遂をしたと普通の人には言えない。
でも、本当に伝えたかったのは、その話なんかじゃなく、生きたいと言うことと、希望が見えたと言うこと。
一人の頭で考えるには限界があり、
人に伝えることによって、本当は自分が何を考えているのかが解る。
答えは、もう見付かってたんだよね。
それを私に話して確かめたかったんだよね?
そう伝えたら、BENは、そうかもって答えました。

今まで沢山考えて、考えて、考えて
後は時が満ちるのを待つだけだった。

人に理解して貰えないと腹が立った。
でも、理解して貰えないものだという前提で対峙したら、
解って貰えたらラッキーだと思う。
そうBENはいった。



2007年3月27日 10:14

微妙に違うが、方向性としたら間違ってないと思い、
解って貰えないと諦めないで、努力は必要だけどねと伝えた。

人との付き合い方は、本当は子供の頃に練習しておくものなんだけど、
私も教えて貰えなかったからさぁ、
私も今練習してるところなんだけど、結構楽しいよって。

私の住む世界と、どれだけ頑張っても判り合えない人が住む世界があることを知った。
BENもそのことに気が付いた。
ならば、自分の世界の住人を探せば良い。
異世界の住人ではなく。


生き残った時、誰かに話そうと思った。
私と、以前の会社の担当医と2人思い浮かんだ。
すでに会社を辞めていて、今更何?と言われるかも知れない。
それに相手はプロで、こんな話は聞き馴れていて、軽くあしらわれるかも知れない。
または、どこかへ誘導されて、自分が言いたいこととは違う結論へ導かれる可能性もある。
お金が発生するかも知れない。
だから、まず私に話をして、次に以前の主治医に話をしようと思ったと。

teaは、死を選ぶのも、その人に与えられた自由のうちの一つだとBENに前回言ったので、除外だったのだそうな(笑)

teaが旅行中、隣の部屋の人が死んだ。
領事館の人が飛んで来て、家族に連絡をしたら「そちらで処分して下さい」と言われ、
その地域で顔だった宿屋の主人の口聞きで火葬して貰えたらしい。
宿屋のみんなで、遺体が燃えていくさまを見ていた。
そんな話をした後で、
自分には、死ぬな、生きろと言う権利はないと言った。
生きろと言った人の人生を保証してあげられない。
苦しみは、その人のものなのだから、その人が死を選択するのであれば、
自分には止める権利などないと。

おいおいと思いながら、私はBENに、生きて欲しいと言った。
私に関わった人、全ての人が、サバイバルな人生で生き残って欲しいと思う。
私が今生き残って幸運だったと感じているように、
ある時必ず『その時』が来ると信じているから。



2007年3月27日 22:37

以前、『神が降りた』と表現したこと。

霧の中を無我夢中で歩いていたら、
急に霧が晴れて、自分の目的地がはっきり くっきり 目の前に見えたような、
最近流行りのAHAではないけれど、
突然焦点が合って、「これか!!」って判るような、
ヘレンケラーが、ウォーターという言葉と水が一緒のものだと理解したように、
ある日突然『何ものか』が解る。
色々考えていたことが、集約されて形になり、
この何だか分からないモヤモヤの正体やら、こうなった本当の意味や真理やらが
本当に突然判る日が来る。
そこに到達する為には、自分の頭で考え、
悩んで悩んで試行錯誤しないといけないんだけど、
だから、決して簡単なことではなく、
ましてや心と言うデリケートな問題なだけに、
理由やそこに到った経緯は人それぞれで、
目が覚めるきっかけも、その人それぞれだから、
私はただ見ているしかできないんだけど、
だからこそ、生きていて欲しいと思う。

自分の人生なんだからさ、自分が幸せにしてあげなきゃねって言ったら、
そうだねってBENが言いました。
自分は親の面倒を見るべきだと思っていた。
でも、本当にしなきゃいけないのは、自分の面倒を見てあげることだった。


私とBENは似たところがあるなって思っていたら、そんな所まで似ていたのかって思った。
私は長女として育てられ、弟がいたにも関わらず、養子を迎えて家を継げと育てられた。
祖母が最悪な人であり、母親が苦労をしていた話を散々され、
父親がロクデナシなので、母親を幸せにしてあげなきゃいけないという使命感があった。
弟が亡くなり、それを聞いた瞬間に思ったことは、
母親の為に早く男の子を産まなきゃ だった。
弟が成人する為だけに生きて来た母の為に、私は弟の分まで幸せにしてあげないといけないと思った。

うーたんが一人っ子だった為、母親を引き取る為に3世帯住居を建てる気で本気でいたし、
母親が孫(妹の子供)の為に使えるようにと、母親名義の貯金もしていた。
けれども 10万だろうが、20万だろうが、
母が自分が無心して貰った大切なお金ではなく、
娘から貰ったお小遣として、容赦なく無駄使いされて消えていったお金たち。
それを大切に扱っていたら、家を出る資金にすらなったであろうお金も、
家を出る切羽詰まった意思がない母親には無駄な心配であり、
本当は不要なお金だった。

妹の結婚の為に保険会社から借りたお金を 母に代わって返し、
満期になったその保険は、叔母のミスの為に私が返金した分くらい損失を出したそうな。
私がしたことは、全て無駄だった。
少なくとも私が思う成果とは掛け離れた結果しか残らなかった。
私が病むまで頑張った成果は、本当の意味で母親にとって有り難いと感謝する程のことではなかった。
私の渡したお金は、無駄な死に金であり、
私はそれによって病む必要などなかった。

いつか救ってくれる。
いつか分かってくれる。
いつか助けてくれる。

心の底では信じていたんだと思う。私の中の子供は。
でも、いつかなんて永遠に来ないことが分かった。

ならば、私が私として生きる方法を考えないといけない。
生きて行く為には。

命を投げ出す程の価値のない人の為に病んでいる時間が勿体ない。
命を投げ出す程の価値もない人の為に死ぬなんて馬鹿らしい。

だから私は親を捨てることにしました。
私を生かすことを最優先に考えることにしました。
私が私の意思によって行っていたことによって 自分を傷つけていた。
その自傷行為にも似た行為を止めることにしました。


いやー夏海さんに電話して、本っ当に良かったってBENが言ってくれました。
私は聞いていただけなんだけど、
声の質がどんどん変わっていくのが分かった。
声に命が吹き込まれていくのが。
生まれ変わったんだね。
おめでとう!
やっと大人になったねって言ったら笑ってました。

まだまだ平坦な道程ではないけれど、
BENの幸せを祈っています。


夏海@夏海のお部屋 |★お手紙★夏海のお部屋★

My追加