★ 夏海の日記 ★

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2006年12月21日(木) 日常

●夏海(439) 題名:日常 投稿日 : 2006年12月21日<木>

昨日、仕事を早く終わって、帰りに『PO』へ寄りました。
私が仕事やプライベートでテンパっている間でも
『PO』には 何気ない普通の日常があって、
私が土曜日の夜にしか味わったことのなかった 夜のクライミングタイムが そこにありました。
通常の土曜日の夜のように、普通のいつもの『PO』の時間が流れていました。
変わっていたのは私であり、世間は何も変わっていない。
テンパッているのは私だけであり、世間には何一つ変わっていない日常が流れている。

昨日、あまりにテンパっていたので、的を一つに絞ろうと思いました。
少なくとも仕事においては 今の現状を改善できる。
私の見つけた不具合が 深刻度が低かったお陰もあって、
「今日は 自分の世界だけで 仕事をします」と徹さんに宣言し、
これからの仕事のやり方を テンパッても忘れないように 紙に書いて、
耐えず 落ち着いて仕事に向かえるような精神状態を作れるように
その為に私がすること、私がきることを紙に書く作業をしました。

ずれたまま 箱を積んでも、最終的には 崩れてしまいます。
時間がかかったとしても、ずれた箇所を一度直し、
ずれた理由を考えて、ずれていないかを確認し、ずれない工夫をすること。
その作業をさせてくれた徹さんに感謝です。

その紙を徹さんに見せて、これだけあれば、私は大丈夫か?を確認して直して貰い、
少しお喋りを。

テンパッたら ではなく、テンパる前に一呼吸しろ。
取りあえず動かないで固まれ!
トイレに行っても良いし、休憩所に行っても良い。
『今』ではなく、頭を切り替えて。
ちゃんと頭を冷やさないで手だけ動かしているから、夏海は ますますテンパるんだ。
一度立ち止まることをしないから、自分で自分を焦らせていると言われました。
休憩所へ行っても駄目で、外で出られるのが一番良いんだけど...って言ったら、
じゃぁ、外へ散歩に出掛けなさい。
3時間続けて仕事をするよりも、休憩をして脳を休めてクールダウンさせた方が効率が上がるからって言って貰えました。
オーバーヒートした頭では、空回りするだけで、何も前に進まず、
仕事の効率も悪いし ますますテンパるだけだからって。
自分も時々外へ出掛ける。
自分にとって、キレることの方が最悪だからって言ってました。


2週間ほど前に部長に うだうだ説教されました。
私と部長は仕事(部署)が違い、仕事のやり方も違い、客先も違う。
だから、私達の書いている計画書では 何をやっているのかが見えないと言われ、
自分のやり方を押し付けられました。
私のレベルの話ではない堂堂巡りの説教を90分も耐えました。

昨日その話をし、私はそれに対しても焦っているんだ。どうしたら良いのか?って聞いたら、
徹さんに、右の耳から左の耳へ 適当に聞き流せって言われました。
私達の仕事は設計さんが優秀なので、部長のグループ程の不具合が出ません。
って言うか、そんなに大量の不具合が出るような恐ろしいものを「できた!」って客先に出そうとしてる方がどうかしてると思う。
それを『普通は...』と言ってのける会社の体質?部長の常識?の方がおかしいと思う。
(「一日中機械を触っていたら、不具合10個くらい見つけられるでしょう!普通。」って聞いて、
 そんな恐ろしいものを私の仕事の設計さんは作っていない。
 1日10個1ヶ月で200個も出る不具合を「普通」と言ってのけるこの人に
 私達は...と話をしても無駄だと思い、「はい。はい。」と返事をして聞くことだけに専念しました。)

機嫌が悪くなると、変なことで愚痴愚痴言うから、適当に聞き流しておけば良い。
時々そうなるけれど、その時は真剣に聞くなと言われました。

昨日整理したお陰で これからの仕事のやり方が見え、
そして『PO』へ出掛けたことによって、リフレッシュできたので、
今日は 平静な気分でいられます。
頭から湯気が出ている状態で、よくここまでやって来たもんだ。

週末は、山へ登りに行くつもりでいます。
山の木々に 山の自然に 癒されてきます ^^



20061221 誰かと比べたいのは自分

昨日のyoh君とのメールでのやり取りで思ったこと。

私は誰かの頭で考えたことはあるけれど、
誰かになりたかったことはなかった。
誰かをうらやんで、どうかしようと思ったこともなかったし、
誰かと比べて自分を見るということもしなかった。

背が人よりずいぶん低いこと。
確かにコンプレックスではあるけれど、それは不都合なことが多かったから。
例えば、バイクに乗るのに足が届かない(涙)
靴のサイズがない。洋服のサイズがない。
気に入ったものを着ても似合わない。
やっと見つけたものも、自分の背丈に切ってしまわないといけないので、余分にお金がかかったりする。
ロングのスカートを履くと、ますます背が低いのを強調してしまうので、ロングは履かなかったし、
髪の毛も 自分の背を高く見せる為に 長くしないようには気をつけた。
誰と比べて背を高く見せたいのではなく、私の背を少しでも高く見えるように自分なりに研究して工夫しただけで、。
誰かと比較して自分を良く見せようとしていた訳ではなく、自分がそうしたかったからであって。
人と比べて髪の毛が伸びたからと言って、自分が髪の毛を切りたい訳でもないのに美容室へ行く人がいないように。
お洒落とは、人と比較して ではなく、自分の個性を生かして自分をいかに魅力的に見せるか だと思うの。

背が低いことによって、子供っぽく見られるのも、悪い面だけではなかったし。
子供っぽく見られるので、ずいぶん子供扱いされはしたが。
あきらかに年下の初対面の人に、タメ口を聞かれて無礼な対応をされたことも度々だったけど。
上とか下とかではなく、初対面でその言葉は無礼だろう?って思う。
(これは上下関係ではなく、『しつけ』や『一般常識』など『人間として』どうよ?って問題だよね。)
年下だと思って、舐められるのは度々だったから、若く見られても微妙に嬉しくもなかった。
ただ、幼くみられるので、年上には可愛がられた。
童顔だから、おばちゃん、おじちゃん、おばあちゃん、おじいちゃんからは 安心できる顔らしく、
気軽に話し掛けられたり、可愛がって貰えたりした利点もある。

守られたいとは思わないが、守りたいと思う人も多く、
本人的には結構勝気で喧嘩っぱやいと思うのだが、背がちっちゃくて、丸いので、
『保護したい欲』の強い人には、子供を扱うようにウケは良かった。
私がこの顔で この背なのは 私のせいではなく、
勝手に私像を作って勝手に印象と違うと言われても...って困るんだけどってよく思った。
この顔と この背のせいで、ずいぶん長い間苛めにも合った。

yoh君は 自分の顔に自信があるのだろうか?
自分の身体が痩せていないと 自分に価値がないと思うのだろうか?

美しい、格好良いと思うのは、不細工な人がいるからであるとyoh君は書いていた。
え“っ?!は?!...それって好みの問題じゃ?
紅葉ちゃんと 会社の中の良い男探しをして報告会をするんだけど、
格好良いとは思うんだけれど、私の好みじゃないんだよね〜って私は最後に言う。
『ハンサムである』は、その時代や個人の好み、主観の問題なので、
わたし的にハンサムであると認める人はあっても、その人が好みの顔かと言うと、そうじゃない場合がほとんど。
私の好みはゴリラ顔で、んでもって、年上好きだから、競争率が低くてラッキー♪
もともと『おじさん好き』だったけれど、年齢が上がると自分の年齢の下へスライドするかと思ったら、
自分の年齢と共に上にスライドしてしまって、最近は おじいちゃんまで ストライクソーンに入ってきてびっくりしてる。(笑)

トムクルーズは、格好いいと思う。
(会社にトムクルーズ似の人がいるけれど、この人は微妙 笑)
ブラッドピットを『美しい』と表現する記事を見ると、「はぁ?」って思う。
こもみち君は、私の『格好良い基準』から大きく外れているし、
徹さんは痩せている時の写真より 今のドスコイの方が魅力的(健康には悪そうだけど^^;)

誰かと比べて自分を優位に見たいとか、
誰かと比べて自分を不幸ぶりたいとか、
誰かと比べて自分はまだましだと思いたいとか、
多分私は精一杯生きるのに忙しくって、そんな『誰かと比べる』ヒマがなかったんじゃないかと思う。

誰かと比べてどうにかなってくれるのであれば、誰かと比べてみても良い。
でも、『誰かと比べて』立ち止まっている時間が 私には勿体無い。
辛いのは私であって、誰かと比べたからと言って、その辛さがなくなる訳じゃない。
その辛さを人と分け合って、傷の舐めあいをするなんてまっぴら。
悩むなら、頭を使うなら、前向きでないと私の時間が勿体無い。
改善しない作業に没頭したり現実逃避できる程ヒマじゃない。
生活力がないと私は生きていけない。
何とかしたいと足掻くのは、私がそうなりたいからであって、誰かと比較してどうのというレベルの問題ではない。

誰かが持っていて私が持っていないものがあるのなら、それを手に入れたいとは思う(かどうは微妙だけど)なら、
比較などしないで行動をおこす。どうしたら手に入れることができるか考える。
指を咥えていても、誰も私に手など差し出してくれなかった。
泣いて助けて貰えるのであれば、大声を出して泣いていたでしょう。

子供の頃近所にいた いじめっ子は、両足が無かった。
でも、その子への感情は、可哀想でななく、いつも追いかけられていたので怖かった。
中学の時、格好良い憧れの先輩がいた。
その先輩の顔の半分以上には赤いアザがあった。
でも、その先輩は私のアイドルで、野球をしている姿に見とれていた。

会社で仲良しになった王子(白馬に乗りそこなった男の子 笑)は、太っていた過去があって、
痩せた途端に『金城たけし』(だっけ?字が出てこないし^^;)にそっくりになってモテ始めたそうな。
でも、痩せていても 太っていても中味は変わらず、私にとっては王子は王子で、
どちらの王子とも私は恋人として付き合わなかっただろうし、どちらの王子とも仲良しの友だちでいただろう。

目が見えない友達のことを不幸で可哀想だとは思わないし、
それ以前に、私より何でもできて尊敬でしている友達を 目が見えないと言うだけで そんな風に思うのは失礼だと思う。

『人は比べる生き物です』と断定したyoh君は、自分の価値をどこに置いているんだろう?
そして『自分が上の立場なんだと思いたい誘惑はとても強力である』と言うyoh君って一体...
今のこれが私なんだと これが 私の全てなんだと思えるようになった私から見たら、
何て不自由で、何て不安定なんだろうって思う。
人と比べないと自分を確かめられないなんて。
比べる相手(何か)がいないと、自分の中に確固たる判断基準が持てないなんて。
誰かがいないと 自分がどこに位置しているのかを確認できないなんて。

小田和正さんがやって来て、アンジュをさらって行ってしまうと妄想して不安で泣きじゃくるのは、
人と比べないと自分を確かめられないからなんだよね。きっと。
不安で不安で。
そりゃー不安だろうともさ。
比べる対象と 自分を 絶えず意識して比較していないといけないんだから。

yoh君を縛るのはyoh君である。
誰かと比べたいのはyoh君である。
『誰かと比べる』癖を無くしたら、もっと楽になるでしょうに。

私の子供の頃からの癖。

『誰かに頼らないこと。』

○○がいないと生きていけない。
そういう状況こそが私が最も恐れていること。
誰かに私の生命の選択権を与えたくない。
私が誰かと比較しないのは、誰かに縛られたり、誰かの一部になったり、誰かの保護下にいたり、
そんなことまっぴらだと思い、
人生の選択権を人に握られることなく、自分の頭で考え、一人で自分の力で立っていたいからかも知れないね。



●夏海(440) 題名:こんな記事を見つけました 投稿日 : 2006年12月21日<木>13時32分 返信

『平気で「いのち」を奪う子どもたち』

なるほど。
納得です。

自分の命の大切さを知らない人間に
命は大切だと説いても無駄。
罰則を強化したところで、『命が大切なものである』ことを知る訳ではないから、
キレて自分を見失ったら、動物として行動する先には、手加減しないで殴ることも含まれる。
刃物があったら、刺すことも躊躇わないでしょう。
失った命は もう帰って来ない。
リセットボタンなど 人生においては 絶対に ない。

自分を大切だと思わない人間は 他人を大切になんて思えない。
自分の心が飢えていなくて、現状に満足していない限り、
与えるその『愛』は、相手に返して欲しい『愛』であると、私は自分の経験から思う。

「自分が与えているから、あの人は私に優しくしてくれてるんだ」
では、自分が努力しなくなったら?
今の現状が 自分の努力の上に成り立っているだけ なのであれば、
砂の城のように、何もなくなると思う恐怖。
どれだけ努力を継続させないといけないのか?
これだけでは足りない?もっと?
深く付き合えば 付き合うだけ 寂しさがつのる。
疲れ果てた末に得るものは 何?

過去はなかったことにはできない。
子供時代には もう戻れない。
なら どうしましょう?

こんな時のために、私達の頭の中には 脳みそがあり、
こんな時のために、代わりに考えてくれるであろう ネットがあり、
(ただし、答えを出すのは私達自身だけどね)
お医者さんや 友だち、お寺の住職など、『信用できる誰か』に相談することも有効。

そして自分で自分を抱きしめること。

私は あなたは 誰かのために生きているのではなく、
自分自身のために生きていることを 腹の底から実感してください。
誰かに求められていない自分は価値がないのではなく、
生きている そのこと自体に価値があるのです。

手首を切らなくても 自分が今 この世界に生きていると思えるような何かを見つけて下さい。

http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/koneko/2005/inoti.html

このページをプリントアウトして アンジュに見せました。
yoh君の『今』へのヒントになるかなって思って。


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