★ 夏海の日記 ★

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2006年10月29日(日) ホタルの光

【10月30日に書き込みました ^^;】

今日は弟の命日です。
土曜日にお墓参りに行こうと思っていたんだけど、予期せぬアタフタで時間が過ぎてしまって、
はっって思い出したのが昨日の夕方の5時過ぎ...
ごめんよ。
こんな姉ちゃんで。
7時過ぎに真っ暗なお墓で出掛けて、teaとお墓参りしました。
お線香も何も持ってなくて、お寺で拝借して(正確に言うと貰ったんだけど)、
お墓参りの作法?も出鱈目で、あの几帳面さは一体何だったんだろう?って、自分のいい加減さにびっくりしました。
こんな姉ちゃんで、本当に ごめんよ。 f- -;

さて本題。
婚家を出る時、出ようと決心して1ヶ月ほど、
ホタルの光が 毎日私の頭の中で流れてました。
「もう出て行くんだから」
「もう他人になるんだから」
そう思って、ムカツク言葉を言われても、無駄に腹を立てないで優しく接したりできた。
私がいなくなったら、頭が痛くなるくらい嫌いな食事つくりや、家事を全部しないといけない。
可哀想に。
そういう目で、うーたんの母親を見てました。
可哀想に。私というクッションがなくなって、これから この親子はどうするんだろう?
まだ家に住んではいたけれど、私の心はすでに渦中ではなく、
赤の他人として外側から 私には理解不可能な うーたん親子を見ていました。

家を出て最初に住んだ静岡から、今の場所へ戻ってくるときも、ホタルの光が流れていました。
ここでやるべきことはもうなくなり、卒業(引越し)を待つのみ。
そんな 卒業生の気分でした。
苛めに合い、でもそれとももうお別れして、苛めたヤツとは もう一生会わなくても良い。
もう一生会わなくても良いという安心感は、私を優しくしました。
何をやられても、何を言われても、あと○日の我慢って思えることは、私を優しくしました。

自分の実家を出て、うーたんと結婚した時も、やっぱりホタルの光が流れていました。


で、今回。
ホタルの光は流れていなくて、そのことに突然気が付いて、あれれ?って思いました。
今回の引越しでは、私は何とも決別しなくても良い。
何からも卒業しなくて良い。
私にとって、今までの引越しは、辛い過去と決別して新天地へ行く 人生の疲れと希望とがごっちゃになっていた引越しだったんだなって。
今回は、今住んでいる場所を移すだけで、何も変わらない(同居人が一人増えるが)生活を送れば良い。

そうか〜
ホタルの光が流れていたのは、そういう意味だったのか〜って
自分のことながら、改めて驚きました。
そんなに辛い過去ばかりだったんだ〜。
『卒業』がとても嬉しい出来事で、そんなに待ち遠しかったのねってね。
だから『ホタルの光』だったのねってね。

昨日、静岡から引っ越した そのままのダンボールを開いて中を整理しました。
蟹さんの下へ行った時の借りた家の契約書や
静岡時代の部屋の契約書やら、
私の生きた証、私の勲章として取っておいたものたちを、今朝ゴミとして出しました。
それらを手放したくなかった過去の私は、今はいません。
その心の変わりように、自分で驚いています。
本当の意味で、過去と決別するって、こういうことなのねって 改めて思いました。
昔のもの 私は頑張ったんだぞって過去の遺物を勲章として持っていなくても、
私は 私を誉めることができるし、私は私を認めることができる。
「これ」があっても なくても 今いる私が私であることに変わりはない。
過去に私と一緒に頑張ってくれたものたちと お別れし、新しい生活を始めます。
ここへ引っ越してきた2年半前、
お薬を 「もうこれ以上出せない。後は我慢して、どうか頑張って」って言われる程、MAXに出されて飲んでいた私が、
未来や明日にすら不安しかなく、何もかもに怯えて、過呼吸の発作の度に蟹さんに電話していた私が、
建物の中にいられなくて、一日中外を歩き回っていた私が、
仕事をし、
電車に乗り、
バスに乗れ、
エレベーターに乗れ、
結婚なんざして、同居までするようになるなんてね。

昨日、私が宗教にうっかり勧誘されてしまった、勧誘した姉さんにメールしました。
引越しをしますって。
終の棲家(ついのすみか)だと思っていたのに、たった2年で引っ越してしまうなんて、自分でもびっくりしてます。
人生って何が起こるか分からない。
人生って素敵ねって。

「生命力をつけましょう」って誘われた宗教だったけど、
この年まで生きてこれたのだから、生命力はあって、それを自分で知らなかっただけだって気がついた1年前。
日記の中で『神が降りた瞬間』って表現したけど、
「ああ、私はオリジナルなんだ」って 腹の底から思えたことが、私がお薬を減らせるきっかけでした。

今、私はウツのお薬を飲んでいません。
緊張を解くお薬を少し飲んでいるだけです。
1年前には、飲んで良い限界、MAXの量を処方されていたのにね。

何回ころんでも、そのたびに起き上がれば良いのよ。
ころんだ回数が多ければ多い程、転び方も上手くなるってもんだよ。
『転んでも前のめり』って題名の本を本屋さんで立ち読みしたんだけど、その言葉通りに、
転んでもタダでは起きないぞって、大阪商人の精神で図太く行こうよ!
転んだ目の前に、可愛い花を見つけたら、それだけでもラッキー、転んだ甲斐があるってもんだよ。

道に迷ったら、人に聞いたりして その人と友達になっちゃえ!
迷った道で 何か一つでも新しいこと、楽しいこと、珍しいことを収穫できれば、
道に迷ったこと自体が 意味のあることになる。
迷った道が、自分の地図の地名になる。
白い地図にたくさんの地名を書き込めることは、悪いことじゃないんだよ。
たとえそこが行き止まりであったとしても。
それ以上前に進めなくなったら、自分が通ってきたその道をたどって 元へ戻れば良いんだよ。
それは、恥ずかしいことじゃない。

経験したこと全て、失敗したことも 成功したことも、全てがネタになり、
経験したことのない人や 失敗したことのない人より 人生の幅が広がり、人間の幅が広がるってもんさね。
壁にぶち当たり前に 何だかんだ理由をつけて逃げたりしないで踏ん張った経験は、宝ものになる。絶対に。
(当然『逃げる勇気』も必要だからね ^^v)


どうか未来を恐れないで。

小学生の頃から人生にくたびれ果てて、未来に絶望していた私が、
死にたい歴30年のベテランの私が こう言えるようになったのだから、
人の人生って 捨てたものじゃないよなって思う。


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