★ 夏海の日記 ★

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2006年08月24日(木) すでに壊れていた うーたん2

今朝は市役所へ出掛け、保険証の名前変更と、自立支援法の名前変更と、免許証の戸籍&名前変更のための住民票を取って来ました。
teaは全然実感がないと言い、私も実感がないのですが、
今朝、突然teaが「そう言えば、夏海ちゃんは苗字が変わったんだよね」って言い出しました。
何がきっかけだったのか、突然気が付いたらしく、「うん。会社の入門証の名前変更の申請も出すよ」って言ったら、別に変えなくても良いじゃんだって。

teaは自分の苗字に特別な思い入れはなく、私の名乗っていた苗字にしても良いんだけど、まだお母さんが生きていて、一緒に暮らすので、一応teaの苗字を名乗ることにしたんですが、
私の苗字になったとして、私の苗字はうーたんの苗字のまま旧姓に戻していないので、
「お互いが自分の苗字とは違う苗字になるなんて、何だか変だよね〜」って笑いました。
苗字が変わっても良いように、私のハンコは名前だけで作ってあります。
『PO』調べでは、最近は 結婚後にハンコを作る女性は『名前だけ』が多いようで、
annさんが「うちの奥さんは、フルネームで作ってあるなぁ」って言ったので
「愛されてますね〜」ってからかったら、
「いやいや離婚したら、次も同じ名前の人と結婚して使いまわせるから大丈夫」って答えられました。(笑)
annさんの毒舌は絶好調です。


さてさて、昨日の続きです。

昨日は働いていた うーたんちの工場がどれだけ危険かという話をしました。
なので、私が心がけていたことは、
・食事をきちんとさせて、体調を整えること
・睡眠は充分取らせること
・ぼーっと考え事をさせないように、トラブルはその日の夜寝るまでに解決すること
でした。

うーたんは精神的ダメージが腸に来るタイプで、私が旅行に出掛けると必ず下痢になっていました。
私の母親との1泊のお墓参り旅行でさえ。
ネットで知り合って仲良しになった友達との旅行の時には帰って来た時には魂が抜けて別人になっていました。
私が気を抜くと うーたんはすぐに風邪を引く為、色々なサプリメントを飲ませて体調管理をしていました。
(私は サプリメント・オタクです f^^;)

眠さでボーっとしていると危ないので、睡眠が充分取れるように配慮していました。
私がベッドに入らないと寝ないので、眠くなくてもベッドに入り、
夜中に起きて眠れない時も身動きしないでベッドで朝が来るのをひたすらずーっと待っていました。

自分の親の悪口は言われたくないだろうし、
それに『これが普通』でずっとやってきた家族の中にいて、私だけが異質な存在だと思っていたので、
悪気がないのに怒るなんて、大人げないって思って 腹が立っても何も言いませんでした。
(それがいけなかったんだけどね〜)

危険が伴う仕事とは?
その仕事は『プレス加工』です。
鉄の板をプレス機で挟んで形を変えたり、穴を開けたりするのです。
その圧力は 何トンという単位。
上から何トンという力を加えるのですから、指を挟んだら『骨折』ではなく 骨が砕けてしまって元に戻せないので、切断するしかない。
だから、義母や 他の工場の人には指がないのです。

1つの機械で1パターンの仕事をさせるだけではなく、『型』というものを変えて、違う形に加工します。
1工程で済む単純な加工から、形成→穴あけ→形成など、製品にするまで何工程か必要な複雑なものもありました。

『型』は高価で、ヒビが入るなどすると精度が落ちる為、修理に出したりします。
プレスの機械は 何百万〜何千万単位のお金のもの。
『型』を付け替える時に、ねじが緩んでいた場合、人を傷つけるか『型』が壊れるか、最悪機械が壊れます。(ああ、『最悪』は「人を傷つける」でしたね)

ぼーっと考え事をしていて ねじが緩んでいたり、『型』や材料を足などに落としてしまったら、その重量で余裕で骨折します。
なので、仕事に集中できるように、仕事以外の雑事は与えないように頑張り、義父母へは直接対決していました。

『型』を付け替える時に、うーたんは 何度もねじが緩んでいないかどうか確かめていました。
くどい程何度も、少し経ってから、もう一度確かめに行くこともしばしばありました。
それは『安全の為』についた習慣だと思っていました。
その配慮があって、安心して仕事ができるのですから。

うーたんも壊れていると友達に言った時、自分の周りにはそういう人がいないので、どういった行動を取るのか今後のために教えて欲しいと言われました。
自分がいつ 同じ状況になるか分からないからと。
そういう兆候が見られたら、すぐに病院へ行くから『おかしい』と思っている症状を教えて欲しいと。
私が一体何を基準に『おかしい』と言っているのか教えて欲しいと。

私は『神経症』だと思いました。
『神経症』で思い浮かぶのは、何度も手を洗わないと気が済まない人や、手すりを持てない人。
汚れている訳ではないのに、手を洗わないではいれない症状は、とってもポピュラーです。
美空ひばりさんも、マイクを必ずハンカチで包んでしか持っていませんでしたよね?
彼女の歌う姿を見て、彼女が『神経症』かどうかは置いておいて、ああ そういう人なのかなって勝手に思っていました。

うーたんの場合はというと
1. 歩いている途中で突然後ろに向かって歩き出し、マンホールを見て(何かに納得して)
  また少し歩き、また振り返ってマンホールを見てまた歩くを何度か繰り返す。
2.家の階段を上がる(下りる)時、途中で2、3段下り(上がり)また上がる(下りる)。
3.お茶碗の中に米粒が一つもない状態なのに、お箸で口に掻き込むしぐさをする。
  (これは、『自分のタイミング』で終わりたいから なのだそうです。)

それは確かにおかしいわな。って友達が言いました。
明らかにおかしいって。
私は壊れていたけど、話をしていると『普通』で、病院へ行くべきは 旦那さんの方じゃないかと。


私はうーたんを(工場の問題で)追い詰めていた自覚があったので、相談できる人を与えてあげたかった。
親は頼りにならない。
友達には 自分から訪ねていかないし、相談されても相談はしない。
うちの工場に仕事を出してくれている人の中に、親に勘当されて、一人で工場を興した人がいたので、
その人と個人的に仲良くなって、色々と相談に乗って貰ったら良いとアドバイスもしました。
そして
誰にも本音や弱音を吐きたくないのであれば、病院しか頼りになる場所は思い浮かばず、
行動から あきらかにおかしいので、私が家を出る前に何とかこれ以上壊れてしまわないように病院へだけは行かせたいと思って説得していました。

自分の経験上、我慢をすればする程 治療に長引くし、今なら、カウンセリング程度で済むかも知れない。
リストラや仕事の悩みを相談する場として カウンセリングが使われているのだから、悩み事相談として病院を使ったらどうか?
何年もかけて説得しました。
そして
最後の話し合いをしたときに、うーたんは病院へ行くことを決めました。
それは 自分が納得した訳ではなく、私に『今度こそ本気だ』(今まで何度も裏切られたもんね)という姿勢を見せる為だと言って。
そう言われても遅いんだけどな。
私がこの家で死ぬよりも 家を出て生きることを選択する前に もう少し本気で考えていてくれていたら。
まぁ、病院への道を付けられたことで、私のこの家での仕事は全て終わったと思っているんだけど。
一応家を出る前に、部屋を探すのに、「もし一緒に出るなら、仕事場の近くに家を借りる」と譲歩しました。
家を出る原因は、うーたんにあり、でも家を出たら 気分を変えてやり直せるかと 少しだけ期待したのですが、うーたんの答えはNOでした。
「自分は家を出ない。」
家を出たのは私だけど、離婚を選択したのは うーたんも であり、お互い様だったんだよね。


そして、私は違う県へと引越し、時々うーたんに会ったりはしたけど、その度に怒鳴られ、傷はどんどん広がり、会うことが怖くなりました。
もといた県へ戻る話をした時に、「お金を使って家を出たんだから、帰って来るな!」と怒鳴られました。
うーたんにとって、お金は大切なもので、自分(家)の大切なお金を使って出て行ったのに、
また自分(家)のお金を使って戻ってくるのか?とキレたのです。
なぜか『遠距離恋愛』をしている気分になっていた うーたんにとって、私が他県にいた方が都合が良かったのかも知れませんね。


それまでは会った時にしかお金を渡してはくれなかったのですが、この県に戻って来たら、毎月実家へお金を届けてくれるようになりました。
うーたんは私の実家へ行って、世間話をすることを楽しみにしていたようです。
家と工場が生活の全てだった うーたんの 唯一の外界とのつながりだったからです。

私の話が聞けるのかと思ったのでしょうが、それは無理でした。
私は実家を避けていたので、取りにいける気分の時にしか取りに行けなかったので、
お金の入った封筒が 何枚も妹の手元にあったままという状況でした。
お金はありがたかったけれど、それは重く、生活できる程度のお金を稼げるようになったので、もういらないと断りましたが、
うーたんの携帯代を私が払っていたことと、私との関係が切れるのがいやで、「少しだけど」って相変わらず持って来てくれてはいました。

うーたんの訪問は、私も重かったけれど、妹や母にとっても重かったのです。
私の調子は相変わらずで、実家には寄り付かない。
うーたんとの間に未来があるように見えない。
私の近況を聞かれても答えられない。
そして
うーたんの調子がどんどん悪くなり、料理嫌いの義母のせいで、どんどん痩せていったうーたんを見るんが辛かったらしい。
家にいてヒマを持て余したのと、夜眠れないからとお酒の量が増え、
実家に行くときには、必ず酒臭かったらしいのです。

私と一緒に実家へ行っていた あの明るいうーたんしか知らない母や妹は、うーたんが壊れていくのを見ていたんですよね。毎月。

そう、この話をしようと思ったのは、このことが言いたかったからなの。

母や妹は、うーたんが壊れていく様を見ていた。
だから、自分の『病気』の姉が 娘が うーたんをこんな風にしてしまって申し訳ない。
そうだね。私は誰にも言わなかったからね。

うーたんは、私が家を出る何年も前に すでに壊れていたんだよ。
そして うーたんの症状をきちんと説明したにも関わらず、
現実を受け入れられない両親のもとで うーたんは確実に酒量を増やして暮らしています。

これを私の実家で話したところで、どうなる訳でもなく、
だから、私が『悪者』として、相手のご両親に謝らなくてはいけない対象であることを
私が受け入れるか どうか。
私は自分が悪いとは思っていないので、口先だけの挨拶さえしたくない。
私は充分支えたし、頑張ったし、病院への橋渡しをし、十分私のできる仕事はしたと自負してる。
私がいなくなった時の為にと病院への橋渡しに成功し、私はうーたんを救ったとさえ思っている。
私は 私のできることを充分頑張ったと思うの。

うーたんは、毎月の貰ったお金をお給料だと思っていなくて、親から預かっているお金だと考えていました。
自分達の貯金 イコール この家のお金。
自分達が自由にできるものではなく、親のお金 工場の財産であると。
なので、お金の問題ではもめ、トラウマになるほど散々怒鳴られたけれど、
お金の問題さえなければ私達は仲良しだったのです。

謝ることなど 一つもない。
あの家にいて、私が死んでしまうより、生きることを選んで家を出たことは悪いことだと思っていない。
そして、一応ちゃんと一緒に家を出ようと誘い、家を出ない選択を うーたん自身が決めた。


鍼灸院の先生に、親と和解したら、一番ストレスがなくなるよって言われて、
『和解』以前に、相手に理解されてないんだもんなって
何をどうしても 無理だし、
全然違う世界に住んでいて、私のことを理解ができない相手と 相手のことを理解できない私が
憎しみあってる訳ではないのに どうやって『和解』ということができるんだろう?って思いました。


青虫が葉っぱを食べる様子をteaと二人で観察し、
青虫から うんちが出るのを見てゲラゲラ笑って、
鳥に怒って、でも頭ではちゃんと理解していて、
寝るほんの数分前までお喋りして 楽しい眠りにつく。

私の『普通』は、こんなに単純なのに、そんなに難しくて 理解できない程変なのだろうか?
何がダメなんだろう?
たぶん 出発点から すでに違っているのだよね。
だから
無理して理解して貰うことは諦めて、父親の存在がそうであるように
母や妹も 私の人生では すでにいない人だと思ってしまうのが 一番楽なのかも知れない。
私が私として生きていく為に。


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