★ 夏海の日記 ★

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2006年08月21日(月) 何が正常で 何が普通か

押しつぶされそうな気分のまま、一週間の始まりです。
私を知っている 今の友達や仲間たちは、みんな『私目線』で物事を見てくれています。
そして、私だけの友達 私だけを知っている人たちは、私が正常で、他の人が異常で、
だから、正常な精神の私が壊れたんだと言ってくれています。
正常だからこそ、その異常さに耐えられなかったのだと。

『私が』話すのですから、主観が入るのは勘弁して貰って、
でも、価値観や『普通の基準』が『合わない』人と一緒に暮らしていては、無理があるよね。

で、今回思ったの、何が正常で、何が普通なんだろうってね。

友達も最近悩んでいます。
自分のことを愛していてくれる親に対して過去のトラウマがあって、しっくりいかないことを。

ここから8月29日になります。
お昼に食堂で考えていました。
自分と人が別の感覚を持っていて、それが当たり前の出来事で、誰も責められることではないってことを、簡単に説明できないものかってことを。

エアコンが強いなぁって思って前を見ると、ノースリーブの女の子がいて、私は寒いのに、あの子は暑いんだ。もしくは丁度良い温度。
で、思い至りました。
なぁんだ!『体感温度』が違うんだ って。

私は家族とずーっと一緒には育ちませんでした。
その昔、エアコンなどない時代だったけど、例えば現代だと考えて、
エアコンの中で育った私の実家の家族たちと、伯母夫婦や祖父母夫婦の元で育ち、外で遊びまわっていた私は、体感温度が違うのが当たり前で、
同じ部屋にいて「暑い」と うちわ であおぐ人も 「寒い」と言って ひざ掛けを掛ける人も誰も責められたりしないように、
育った環境によって、常識が違うのは当たり前なんだよね。
北海道ではトマトに砂糖をかけて食べるそうです。
どこかの県では、お正月に食べるお雑煮に砂糖を入れるそうです。
カツに味噌をかける愛知県。
どこの喫茶店にでもある「小倉トースト」は、全国的に今どれくらいメジャーになっているんでしょう?

それと同じくらいに 人と自分は『違う』ということを『当たり前』として認識すること。
全てが同じ考えの人など 一人もいないってことを知り、無理してあわせる必要もないことを ちゃんと『心で』理解すること。
それさえできれば、あとはその光に向かって歩いていけば良い。


赤ちゃんは、親が世界の全てで、そして少しずつ知恵が育って 世界が広がります。
ハリーポッターは、父親が素晴らしい人間だってことを信じて疑わなかったし、ずっと誇りに思っていたんだけど、
『白鳥の騎士団』では、自分が不快だと思うような 違う一面を見ます。
認めたくなかったスネイプ先生の「嫌なヤツだった。」の言葉通りのことが過去にあったと知り、とてもショックを受けます。
その息子であることが恥ずかしいとさえ思いさえします。
絶対的信頼を持っていた親に対して疑問を抱き、冷静に観察し、本当は格好良くもなく、模範的でもないことに気が付く。
偉そうなことを言ってるくせに、自分はどうなんだ?と反抗心を抱き、自分と親は違う人間だと認識する。
そういう時期を経て、人は大人になって行くのです。

男の子にとって、男親は 乗り越えなければならない壁であり、
女の子にとっては、女親とは女同士として対峙する時期があります。
母親ではなく、『身近にいる女性』として魅力的な女性であるどうか。
素敵な女性になる為の見本として、お手本として 私の母親はどうなのだろうか?と。


さて、
母親と妹を見て、同じ方向を向いている二人を見て、考え込みました。
そして『私が』変なの??って悩みました。
当たり前のように、離婚を認識できていないことに驚き、明らかに私とは違う人種だと言うことを再認識しました。

でね、
人は生まれる場所は選ぶことはできない。
そして、その場所や違う場所で大人に育って行くんだけど、
その育っていく場所が、『普通』だと認識して 何の疑問も持たないで生きてるんだよね。
例えば、nobyの家の常識は、「旅行は車で寝泊りする」ことであって、
一般の家庭の家族旅行は、宿泊施設に泊まることだと気が付いたのが、中学生だったのだそうな。

この『当たり前』が、
空気のように存在する『普通』が、
自分の『当たり前』や『普通』と少しでも違っていたとしたら?
家族みんなが同じ方向を向いているのに、自分だけが ぽっつーんって蚊帳の外な感覚 持ったことありませんでしたか?
家族みんなが『当たり前』として行動していることに対して、何か違和感を感じたことはありませんでしたか?

日常はあまりに『日常的』なので、違和感を感じたところで 特に何事も起こる訳でもなく過ぎて行きます。
ほんの少し感じた違和感も 新しいイベントの前では すぐに忘れてしまう程度のちっぽけなものだったりして。
でも。
その違和感は、なかったことではなく、花粉の量が少しずつ少しずつ体内に蓄積されるように、
化学物質が 少しずつ少しずつ体内に蓄積されていくように、
少しずつ溜まったストレスが 長い年月を経て 突然現れる。

風邪かな?
最近疲れが取れないなぁ。
肩こりが酷くなってきた。
寝ても寝ても眠い。
寝ても疲れが取れない。
ちゃんと寝ているのに、寝た気がしない。
現実に起こっていることなのに、何かフィルターを通して見ているような感覚。

身体はちゃんとSOSを出しているのに、『そのこと』に気が付けない。
だって、生まれた時から変わっていない『日常』なのだから。
それが『普通』なのだから。

ねぇ?
お父さんと お母さんの子供だけど、私たちは私たちであって良いんだよ。
お父さんと お母さんは それぞれが違う人間であるように、
私たちと お父さん お母さんは 違う人間なの。

違う人間である以上、同じ常識でいなきゃいけない理由など 一つもない。
何が正常で 何が普通かなんて、小さなグループの約束事でしかない。
例えば中学校の生徒手帳に書いてある規則が、大人に有効かどうか?
スカートの丈なんて、誰も気にしないよね?

誰かが決めた約束事なんて、その誰かのためにあるものであって、
その約束事は、自分に合ってるかどうかが問題。
合っていないこと を ちゃんと認識して、その上で 敢えて 守っているなら それはそれでまだまし。
でも
私がそうであったように、家族の中で私だけが異質な存在だった場合、
それが『普通』なのだから、守ることが『当たり前』だと思って 無意識に我慢して生活していたら、
そりゃー壊れもします。
壊れて当たり前なんだよね。
ずっと ずっと 本っっっ当に まるっっっきり無意識だけど 無理して生きてきたんだから。

何が正常で 何が普通か
それは 人それぞれ 個人単位で考えて良いって思う。
人は殺しちゃいけない。
これは、大切な約束ごとだけど、殺されそうになった時に自分を見捨てて無抵抗でいないで、
抵抗したら不可抗力で相手が死んじゃった場合、
『殺しちゃいけない』って約束事には反するけど、自分を守る点においては正解だと思う。

「自分を守る為に殺せ」と言っている訳ではなく、自分を守る為に防御し、逃げることは恥ずかしくないって思うの。
このまま殺されるのを待つとか、殺してしまおうと思ってしまわないうちにね。

世間の全てをシャットアウトして、頭の中を『自分だけ』にして考えてみようよ。
そこにある答えは、私は私でしかないってことだけ。
そして、(身内も含めて)他人の評価である『正常』や『普通』と
自分が考える『正常』や『普通』は、同じであるかどうか?
一緒に暮らしている人達は、自分とは体感温度が同じであるかどうか?

もし違和感があるのなら、無理して合わせる必要なんて ないんだからね。
年がいくつであっても、反抗期になっちゃえ!!
今から始めても 全然遅くないんだよ。
そのことに気が付けた時が、あなたの第2の誕生日だよ。

あなたが この世に生まれて来たことを 私 夏海は、祝福します。
あなたの未来が 幸せな温かい光に包まれていますように ^^


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