★ 夏海の日記 ★

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2006年08月07日(月) 5分だけ抱きしめること

昨日、御嶽山へ登山に出掛けました。
休日だと言うのに、登山者の朝は早い(なぜなら、早く下山しないと日が暮れるから)。
と言っても、5時起きの5時半出発だったんだけどね。

御嶽山は、御岳教の総本山?としても有名らしく、
tommyの登山歴は、小学生の時の御岳教の人に連れられて行ったのが最初の一歩で、
それ以来病みつきになったのだそうな。
小学生から、よぼよぼのご老人(両脇を支えられながら)、子供を背負った20代くらいの若いお母さんや 
祖母?母?の大荷物を代わりに背負った息子(30代くらいかな)と、その息子の娘(小学校5年生くらい?)やら、
登山というイメージとは 全然違った人達で 登山道は 満員でした。
「ご苦労様です」
いつもは「こんにちは」と挨拶するだけなのに、登山者ではなく白装束の参拝者の方々がすれ違うとそう挨拶を交わす。
私達にもそう挨拶をしてくれて、参拝者の方達は山頂に宿泊するのに対して、私達は登山が目的なので、日帰りで登って下りてするので、
「元気だなぁ〜」って反対に励まされたりしました。

人生初の3000m超えです。
酸素がどんどん薄くなっていくのがわかって、
足がどんどん重くなって、持ち上げられなくなりました。
遠回りしても良いから、段差の少ない場所を歩きたい。
足を上に持ち上げるのが 凄く嫌。
あと少しなのに、その少しを元気良く動くことができない。
疲れているんじゃなくて、辛い。苦しい。
足は元気。体も元気。
でも、自分の思うように体が重くて動かない。
それを、子供を背負ってスニーカーで登っている人がいるんだから、宗教(信仰)の力って凄いね。

山頂の神社から、もう一つ上(奥殿?)があって、私は高度的にいっぱいいっぱいだった(頭がくらくらしていました)ので、
友達と一緒に行かずに、二人が帰ってくるのを待っていました。

家族連れがやってきて、小学校高学年くらいかな?の女の子連れで、神殿の前で長い間何かを唱えていました。
小さい頃から、怪しくない宗教が無理なく空気のように存在しているって良いなぁって思いました。
何かを強制されるわけでもなく、自然と人と動物を愛して、
自分と他人を愛して。
「どうして人を殺しちゃいけないの?」
そんな質問などすることなく、真っ直ぐに伸びていけたら。

それが何であれ、絶対的にかなわない『何か』大いなるものが心の真中にあったら、
人を傷つけたり、殺したりしないで良いのに。
そして、自分の信じている宗教だけが『真実』ではなく、
他人さえ、他の宗教でさえ許容できる度量のある宗教であったなら。
もしくは、導く人が曲解したりしないで、昔の教えそのままに導いているのなら。
世界は争いのない 平和なものになるだろうに。

で、御岳教とはなんぞや?って思って、例の如く検索してみたら、こんなHPがヒットしました。
館長?の人の言葉を読んで、こういう事なんだよなって、こういう事の積み重ねが
あるか ないか で、人の形成のされ方が全然違った方向に向いちゃうんだよなって思いました。

帰りに 高速が炎上しているとかで不通になっていて、19号線は大渋滞でした。
私達は大人だから、大丈夫だけど、子供が乗ってるのに渋滞って大変だよねぇって話を車の中でしていました。
子供は我慢することができません。
喉が渇いたって言ったら、『今』飲みたいんです。
おしっこ!って言ったら、もう洩れる寸前です。
お腹が空いたと言えば、『今』食べたいんです。
我慢ができない以前に、直前にならないと要求を言わない。
そこまで成長していないんです。
子供の時間は『今』なんです。未来も過去もなく『今』が一番大切。

館長の言葉は こうです。

『良くある母親の例ですが、子供が寂しさを我慢して親の帰りを待っているにもかかわらず、帰宅すると夕食の準備に追われてしまい、子供の気持ちなど理解せずに自分の役割を優先してしまっている方がほとんどではないでしょうか。
食事の準備をしている母親の背中に向かって話しかけても取り合ってもらえず、おまけに邪魔者扱いまでされてしまう子供の様子を思い描いて下さい。
母親の対応する言葉は、 「後でね」  「待っててね」  「うるさいわね!」  ・・・・・身に覚えのある言葉ではないでしょうか?』


そしてこう続きます。

『「子供が話しかけた時が親を必要としている時なんです」       
ですから 「五分間」 子供に時間を与えてください。
我が子を優しく抱きしめて、話を聞いてあげてください。
たった五分夕食が遅れたとしても、誰が文句を言うのでしょうか。

この 五分間 の繰り返しですが、必ず何かが違って来るはずです。
こんな単純な事で・・・・・と思われる方もいるとは思いますが、これだけでいいと言っているのでは無く、あくまでも一つの方法として考えてください。
この事が習慣になるまで、毎日面倒がらずに実行することはとても大変なことですが、自分の意識が子供に向けられているかどうかのバロメーターになるとも思います。  
言うまでもなく、面倒になってきたと言うことは子供に目を向けていないことだと認識すべきでしょう。』


子供が本当に求めているのは、話を聞いてくれる誰かがいることではなく、
その人(親)が自分を見守っていてくれること。
自分を放ったらかしにしないで、自分の方を見ていてくれているかどうか?
自分の仕事を後回しにしてまで、私を優先してくれるかどうか?
家事などを中断して、抱きしめてくれること。
子供にとって、それは 何て素敵なことなんでしょう。
この人は信じても大丈夫な人か?
それを見る為の最初の一歩は、その人と比較する対象は、親の姿なんですよね。

山の帰りの車中で話していた、「子供がこれって言ったら、『今』なんだよね〜」って言葉。
その言葉 そのままが載っていて、あまりのタイミングのよさにびっくりしました。

何か話したいことがあるようだ。
それは、『今』なのか『後で』でも良いのか。
きちんと見分けて、きちんとゆっくりと話を聞いてあげられる心の余裕を持ちたいと思います。

HPはこちら。
http://homepage3.nifty.com/na-ontake/index.htm

今日の日記の内容は、『頭と心』に書いてあります。

良い話と、怪しい話が満載で、アヤシイ物好きの私には 結構楽しめるHPです ^^
うつの方の、『幻聴』の話は、なるほどなぁって思って。
『何かに憑かれた』からお祓いを!っていう 怪しい宗教ではなく、
きちんと考え、対応していて、人間として 素敵な人だなぁって思います。


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